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脱亜入欧の由来は、岡義武の「国民的独立と国家理性」(1961年6月)だろう。
外交史の記述が「脱亜」の時代と「入欧」の時代に区別されているから。
日英同盟(1902年)からパリ講和会議(1919年)までが「脱亜」の時代、
国際連盟の体制下での日本の役割が「入欧」の時代で扱われている。
こうなると福澤本来の脱亜の用法からも逸脱しているが、
日英同盟から国際連盟脱退までの日本の外交政策が「脱亜入欧」ということになる。
平山洋「何が「脱亜論」を有名にしたのか」にも少し触れられている。
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