12/02/14 21:04:03.09 GxfXLjOL0
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しかるに政治運動というのは、若い人もおそらく直感的にわかっているだろうが、
その全行程の90%以上が「ぱっとしない日常」なのである。
運のいい政治運動の場合は10%程度の「祝祭的高揚期」に恵まれる。
その時期には「祭りだ祭りだ」と有象無象がわらわらと寄ってくるので、一時的ににぎやかになる。
しかし、あらゆる政治運動は、どれほど綱領的に整合的でも、政治的に正しくても、
必ずいつかは「落ち目」になる。
これは歴史が教える永遠の真理である。
「棺を蓋いて定まる」と古諺に言うとおり、人の世の出来事はすべてが終わり、
「がたん」と棺の蓋が閉まったときにはじめてそれが何であったかがわかる。
誰もがその思想や運動に見向きもしなくなったとき、こつこつと「後片付け」をする人間が
どれだけていねいにその仕事を果たすかで、その価値は決まる。
東大全共闘は政治運動としてある種の完結性をもつことができたと私は思っているが、
それは山本義隆という個人が「弔い」仕事を引き受けたからだ。
痩せて疲れ果てた山本義隆が1974年の冬、東大全共闘最後の立て看を片付けているとき、
彼の傍らにはもう一人の同志も残っていなかった。
冬の夕方、10畳敷きほどある巨大な立て看を銀杏並木の下
ずるずるとひきずってゆく山本義隆の手助けをしようとする東大生は一人もいなかった。
目を向ける人さえいなかった。
法文一号館の階段に腰を下ろしていた私の目に
それは死に絶えた一族の遺骸を収めた「巨大な棺」を一人で引きずっている老人のように見えた。
東大全共闘はひとりの山本義隆を得たことで「棺を蓋われた」と私は思っている。