【五大藩】加賀藩・薩摩藩・仙台藩・紀州藩・長州藩at HISTORY2
【五大藩】加賀藩・薩摩藩・仙台藩・紀州藩・長州藩 - 暇つぶし2ch98:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/08 22:25:34.17 /0DNVPJH0
自由民権運動は薩長閥を潰すための
土佐藩の工作活動だしなあ

99:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/08 23:45:01.34 0xCwq2UE0
その土佐藩も全国平均から見ればはるかに士族議員の割合が高い


100:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/04 22:07:39.59 vStqnM8xO
江戸時代後期でも知見が広くて学問に精通してる人は珍しく一国の藩主でさえなかなか居なかったが、薩摩は島津斉彬公をみても分かるとおり藩主自らが伝統的に学問を重んじてたからな。
「島津に暗君なし」と言われるように藩主は代々勤勉で、その藩主に使えてる士族達ももちろん勤勉だったわけで
だからこその、異国の技術や知識を取り入れるのが早かったわけだし

他所の藩の士族は力だけのアホだから少ないのは当然なのに、それを持って時代遅れとは(笑)

101:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/04 23:39:00.05 Ssypf5aw0
薩摩と言えば、日本史上類を見ない簒奪が行われた奄美の黒糖地獄が有名だが、
本土の百姓の年貢も8割という信じがたい重税で、
浪費家だった斉彬の時代がもっとも過酷だったらしい。
しかし、こうして搾り取った資金で最新兵器が買えたわけだから、先見の明はあったのだろうな。

藩士は教養が無く、倒幕戦も島津幕府をつくるためだと信じている者が多かった。
また無教養ゆえ、刀に対する武士としての観念が乏しく、結果として容易に銃装に切り替えられた。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 00:24:02.72 u/qGjeoYO
>>101
> また無教養ゆえ、刀に対する武士としての観念が乏しく、結果として容易に銃装に切り替えられた。

銃>>>刀と成りつつある時代に
刀=魂、刀=絶対みたいな精神論こそ無教養の印

103:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 10:21:18.30 yWJ6t2N80
>>101
最後の行で馬鹿を露呈している。
薩摩の場合、現実には極めて素直というか、片言千語を弄して事実を見ないようなことは事例として少ない。

実見演習で火縄銃と輸入施条銃の試射を行い、火縄銃ではやっと届く程度の鉄板を施条銃が楽々打ち抜き、
以後切り替えが図られたとの記録が残っている。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 15:26:43.65 tnEW+aj/0
大砲数
1500 幕府
290 鹿児島
259 徳島
220 山口
205 金沢
194 佐賀
124 名古屋
111 秋田
108 水戸
108 熊本
105 和歌山
104 福岡
101 松江
100 高知
89 岡山
86 会津
85 広島
84 仙台
72 津
68 彦根
----------
4410 全国

※数字は南坊平造, 「明治維新全国諸藩の銃砲戦力」, 軍事史学, 13(1), 77-102 (1977年)から

105:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 15:27:56.43 tnEW+aj/0
小銃数
75,000 幕府
24,033 山口
22,617 鹿児島
10,886 和歌山
10,634 金沢
10,516 秋田
8,326 岡山
8,300 名古屋
8,233 徳島
7,128 高知
6,533 佐賀
6,294 福岡
6,260 仙台
5,400 熊本
4,597 津
4,200 広島
4,200 会津
3,500 水戸
3,454 彦根
3,422 松江
----------
262,184 全国


106:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 17:18:56.59 tnEW+aj/0
保有小銃の内訳

75,000 徳川幕府 先込施条銃60,600、元込施条銃5,924、兵種銃3,823、先込滑腔銃3,153、連発銃1,500
24,033 山口 先込施条銃9,138、元込施条銃4,131(レカルツ3,702、スナイドル263、シャスポー66、その他100)、
 連発銃755(十六/十三連発銃638、七連発銃117)、内訳不明10,009
22,617 鹿児島 先込施条銃19,997(スイッツル17,175、エンフィルド2,822、テントム55)、
 元込施条銃1,792(ドライゼ1,584、シャスポー153、テントム55)、七連発銃788、騎兵銃40
10,886 和歌山 先込施条銃7,886、元込施条銃(ドライゼ)3,000
10,634 金沢 先込施条銃10,570(エンフィルド10,000、その他570)、騎兵銃45、砲兵銃19
10,516 秋田(久保田) 先込施条銃6,879(エンフィルド5,872、ミニエー947、その他60)、
 先込滑腔銃(ゲベール)3,104、歩兵銃250、元込施条銃248(シャープス98、シャスポー85、スカイドル65)、
 砲兵銃28、拳銃4、十六/十三連発銃1
8,326 岡山 先込施条銃6,786(ミニエー6,697、その他89)、歩兵銃1,050、七連発銃490
8,300 名古屋 先込施条銃(エンフィルド)8,300
8,233 徳島 先込施条銃5,339、歩兵銃1,374、元込施条銃1,151(スナイドル865、ウィルソン282、シャープス4)、
 七連発銃118、騎兵銃51、内訳不明200
7,128 高知 先込施条銃(エンフィルド)7,077、内訳不明51
6,533 佐賀 先込施条銃3,286(エンフィルド3,063、ミニエー222、その他1)、
 元込施条銃669(レミントン489、ピーボディ90、ドライゼ52、シャスポー28、スナイドル10)、
 連発銃1,712(七連発銃1,675、十六/十三連発銃37)、歩兵銃620、騎兵銃240、内訳不明6
6,294 福岡 先込施条銃4,624(エンフィルド2,746、ミニエー93、その他1,785)、先込施条銃(ゲベール)975、
 元込施条銃665、六連発銃9、内訳不明21
6,260 仙台 先込施条銃6,260
5,400 熊本 先込施条銃5,400
4,597 津 先込施条銃(エンフィルド)2,256、元込施条銃2,231(スナイドル2,000、レミントン170、スタール61)、内訳不明10


107:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 17:19:41.95 tnEW+aj/0
4,200 広島 先込施条銃4,200
4,200 会津(若松) 先込施条銃3,394、元込施条銃332、兵種銃214、先込滑腔銃176、連発銃84
3,500 水戸 先込施条銃2,790、元込施条銃653(スナイドル598、スタール55)、兵種銃連発銃55、内訳不明2
3,454 彦根 先込施条銃(ミニエー)2,825、兵種銃連発銃528、元込施条銃(スタール)101
3,422 松江 先込施条銃2,212、歩兵銃914、砲兵銃213、拳銃44、騎兵銃38、元込施条銃(スナイドル)1、
3,250 鳥取 先込施条銃3,250
3,026 福井 先込施条銃(エンフィルド)2,210、元込施条銃(レミントン)680、歩兵銃136
2,633 柳河 先込施条銃1,941(エンフィルド1,810、その他131)、元込施条銃581(スナイドル420、シャープス74、その他87)、
 六連発銃91、先込滑腔銃(馬上筒)20
2,550 庄内(鶴岡) 先込施条銃2,061、元込施条銃201、兵種銃130、先込滑腔銃107、連発銃51
2,325 松代 先込施条銃(ミニエー)1,425、先込滑腔銃(雷火銃)650、歩兵銃250
2,321 高田 先込施条銃(ミニエー)2,144、先込滑腔銃(ゲベール)135、元込施条銃(スナイドル)30、砲兵銃12
2,255 小倉(豊津) 先込施条銃2,255(エンフィルド1,905、ミニエー350)
2,161 大垣 先込施条銃1,823(スイッツル117、その他1,706)、七連発銃189、騎兵銃134、拳銃14、歩兵銃1
2,100 久留米 先込施条銃(エンフィルド)2,100
2,030 高松 先込施条銃1,750、元込施条銃(スナイドル)200、歩兵銃80
2,000 新発田 先込施条銃2,000
2,000 盛岡(南部) 先込施条銃1,333、先込滑腔銃(ゲベール)667


108:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 17:42:49.58 tnEW+aj/0
>>106-107
南坊論文では、仙台藩の項目に元込施錠銃、兵種銃連発銃の数字が並べてあるが、
これらは一つ下の秋田藩の項目が上に移ってしまった誤植と判断した。
実際にその修正を加えることで、仙台藩と秋田藩の小銃の総数が内訳の合計と一致する。
その他、内訳の合計と総数が一致しない場合は、「内訳不明」として足りない銃数を列挙したが、
山口藩の場合は1万0009挺も数字がずれている。
山口藩の小銃の内訳・総数共に「明治三年調石高・人口・大砲・小銃」という
同一の史料から取って来たものなので、可能性として、

(1)合計の数字である24,033が「二」と「一」の誤植で、実際は14,044挺である。
(2)先込施条銃の総数9,138が「一万」の脱落によるもので、19,138の誤植である。
(3)南坊氏の集計の際の誤植

が挙げられるが、正直この手の文書の間違いとしては、(1)の、2万と1万の誤植の可能性の方が高いと思われる。
原資料で「壹、弐」表記しているのなら、南坊氏の集計の誤りという可能性が高くなるけど

「長州藩は2万4000挺と、薩摩藩よりも多くの小銃を保有していた!」

と言った方がインパクトはあるけど、1万4000挺だって鹿児島藩に次ぐ相当な数だし。


109:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/05 17:49:07.74 tnEW+aj/0
>>106-107
追記 山口藩の「兵種銃連発銃」の項目には、

117 (5)十六/十三連発銃
638 (6)七連発銃
1,050 (1)歩兵銃
490 (5)七連発銃

と内訳が書かれているが、この内下の二つは下の岡山藩の項目の内訳と判断した
この修正により岡山藩の数字が一致する。

このように南坊論文も誤植が多い


110:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/08 22:15:10.30 YEgmzjIzO
仙台藩は62万石から28万石に減らされたが、その28万石も実高は67000石しか無かったってマジですか?

111:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/09 13:53:16.10 v6SKjNd00
>>110
宇多郡、志田郡の米生産高は、それぞれの内高の割合で按分するとして:

内高(旧高旧領帳) 明治9年~12年4カ年の平均米生産高(全国農産表)
**7,012.747   **6,535   宇多郡内9村 (郡内米生産高の19.8%として計算)
*64,249.900   *59,506   名取郡
*75,435.820   *76,820   宮城郡
*43,611.090   *36,396   黒川郡
*39,247.460   *33,294   加美郡
*24,906.980   *22,681   玉造郡
*33,524.750   *30,740   志田郡内43村 (郡内米生産高の58.6%として計算)
287,988.747   265,972   合計

仙台藩に残った領地の内高は『旧高旧領帳』で28万7989万石
(『各藩高並租税帳』では、27万8017石2斗4升)に対し、
明治初期の実際の米の生産高は平均26万6千石 (22万9千石(明治11年)~28万4千石(明治9年))
米のほかに大豆や麦の生産も石高に足されるわけで、別に低くないぞ

というか6万7000石って、現石6万6109石(『明治四年六月 府藩県銘簿』、1865年~1869年の5ヶ年平均、
『各藩高並租税帳』では、現石6万9928石3斗7升8合7勺3才)、
つまり正租からの実際の税収である現収納高と勘違いしてないか?

現収納高が内高の25%程度なのは妙に税率が低いようにも見えるけど、
もしかしたら仙台藩は明治政府に蔵入地分の収入しか報告しなかったのかも知れない。


112:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/11 04:32:36.89 aMQNWU410
最強の庄内藩が人口がそう多くないのに驚いた

113:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/11 20:04:37.05 X+DZkCRu0
>>88
>約42万人 南部(盛岡)藩(八戸・七斗藩を含む)

南部藩の人口だが、明治初期の人口から逆算すると、
約50万人(八戸藩等を含む)が妥当だった。

52万6950人 明治6年1月1日調
56万1492人 明治12年1月1日調

>>88で出した南部藩の推定人口42万人は、1840年の盛岡藩の人口35万5548人からの計算だったけど、
これが全く信用ならないものだった。

盛岡藩では宝暦の飢饉以降、1752年から1840年まで、
盛岡藩の人口が35万~36万人の間でずっと固定されるという事態が発生しているんだが、
その内1777年から1790年までは男女の性比が完全に固定されており、
あからさまな人為的操作が認められている。

おそらく幕府へ報告する人口に手心を加えて集計するのが習慣化してしまったんだろうが、
飢饉の時の人口を誤魔化すために始まった操作が、
飢饉を脱出して人口増加により結果飢饉前の人口水準を上回っても、
なおそれを無視して「平常状態」を幕府に報告していたようだ。


114:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/14 13:31:06.69 OiioPLtr0
>>112
庄内藩は小さな力持ちというか
無駄のない筋肉質というかスマートだよな

115:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/15 08:59:31.50 iayp8W060
こちらでも質問。

禁門の変では退却する長州藩士が長州藩邸(中京区河原町通御池上ル)を放火したのが出火元で
北東から南西の風にあおられて京都中に延焼したと言われているけど
この間取りを見ると疑問を抱かずにいられない。
URLリンク(iup.2ch-library.com)

妙なことに
北隣の角倉別邸は高瀬川船入を挟んでいるとはいえ無事
南隣の加賀藩邸や船入を挟んだ2件隣の対馬藩邸も無事
東側は鴨川を挟んでいて無事
西側の本能寺は長州藩邸を砲撃した薩摩藩の砲撃により
有名な火伏せの大イチョウを残して諸堂は先に焼け落ちている。

長州藩邸の放火を原因と断定するのは無理がありませんか?

116:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/22 08:49:02.55 ozXrIaq5O
>>112 114
菅実秀は逆臣

117:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/07 19:21:17.72 wHiC0zHO0
>>976 >>979

>>975の保有銃火器のソースは
南坊平造, 「明治維新全国諸藩の銃砲戦力」, 軍事史学, 13(1), 77-102 (1977年)

ただ調査自体は明治3年の報告が主体なので、戊辰戦争の時期に各藩が
これだけの銃火器を持っていたという情報ではないのが難点

【五大藩】加賀藩・薩摩藩・仙台藩・紀州藩・長州藩
スレリンク(history2板:104-109番)

桑名藩は、南坊平造論文によると、大砲22、ミニエーが1,100

桑名藩の人口は、『藩制一覧』によれば総人口6万4848人で、華族4人、
士卒族7086人(『統計集誌』によると士族4439人、卒族2054人)
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)

兵隊の数は、二大隊で640人、大砲4座で108人
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)


118:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/07 19:24:09.39 wHiC0zHO0
>>117は下スレからの誤爆
戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について
スレリンク(history2板)



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