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恥の文化の無い、日本人の残虐性(久米島にて)
1945年 5月24日, 日本軍作戦兵力 2個大隊が沖縄の久米島
に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、
“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガン
の下、 捜索掃討作戦を繰広げた.
彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上
6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました.
彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ
捨ててありました.
妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました.
日本兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って
地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
略)