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尖閣諸島にみる政党や政府の領土意識の欠如
比嘉康文 2006/08/11
琉球が初めて冊封関係を結んだのは1404(応永11)年で、琉球の中山王・武寧は父の察度の
死を報告し、冊封を請うた。その冊封の礼を行うため使者を派遣した。尖閣諸島は中国(門港)から
琉球に向かう冊封船の標識島として活用されていた。そのとき、中国には琉球への航海の経験者
がいないので、琉球からの進貢船を待って出港している。そのとき、中国の船で航路を指示し、
中国側に航路の標識になる島を教えたのが航海に習熟している琉球の看針通事である。そのときに
中国側は尖閣の島々の名称を知ることになる。その記録が『冊封使録』である。
故・井上清氏は『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)の中使で、こうした歴史的
な流れを省いて考察しており、その論拠は完全に崩れている。『冊封使録』は次の冊封使に航海の
記録として残し、航海の不安や苦難をさせないために書かれたものである。この『冊封使録』は琉球
の最後の王国・尚泰の冊封のときまで行われている。
これまでにも井上氏の説を覆した論文に用いられた資料であるが、最近、沖縄県宜野湾市の
溶樹書林から発行された原田寓雄著『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』では、ことごとく井上教授の
主張を無力化させている。また主張の根拠がなく、虚偽を述べていることが指摘されている。原田氏
は1927年京都生まれ、京都大学卒業の医師。1967年に日本政府派遣の医師として来沖。
それ以後、琉球に関する研究を続け、『使琉球録』『冊封琉球使録』『使琉球録』など多数の訳注書を
出している。原田さんは「琉球使録とそれに近い記録から、尖閣諸島とその周辺の記録を紹介」して
いる。井上教授の主張に詳しく事例を挙げて反論している。
井上教授の主張は沖縄国際大学の緑間栄教授の『尖閣列島』(ひるぎ社)でも崩されている。
しかも琉球王国時代の東南アジアへの航海の実績を述べ、琉球人の航海技術がすぐれていたこと
を紹介している。
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