尖閣諸島問題は、満蒙問題の形を変えた再現at HISTORY2
尖閣諸島問題は、満蒙問題の形を変えた再現 - 暇つぶし2ch288:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/18 18:11:22.40 2nAkF68W0
>>2
>>54-55
海の帝国(6)新しい帝国秩序   白石 隆

 この当時、一九四九、五〇年頃、ワシントンから見れば、アジアには二つ大きな問
題があった。そのひとつは国際共産主義の脅威にどう対処するか、どうやってソ連、
中国(中華人民共和国)を封じ込めるか、という問題だった。もうひとつは、日本を
経済的に復興させ米国の同盟国として独立させる、しかし、日本が二度と米国の脅威
にならないようにする、それにはどうするか、という問題だった。

 米国がこの問題にどのような答を出したか、安全保障についてはよく知られている
。「二重の封じ込め」がその答えだった。日本から東南アジア、インドを経由してペ
ルシャ湾の石油地帯まで、アチェソンの表現を借りれば「大きな三日月」によって国
際共産主義の脅威を封じ込める、これがひとつの封じ込めである。そしてアジアでは
このために、ちょうど自転車の車輪のように、米国を車軸、米日、米韓、米台、米比
、米タイなどの二国間の安全保障条約、基地協定をスポークとする安全保障体制が構
築され、これがハワイの大平洋司令部指揮下の米軍の前方展開を保証した。
 もうひとつの封じ込めは日本の封じ込めである。これには少し説明がいるだろう。
一九四〇年代末、日本の政治的独立はもう時間の問題となっていた。しかし、日本が
政治的に独立し、経済的に復興して、再びアメリカの脅威となるのでは困る。どうす
るか。日本の頚動脈に軽く手を置いておいて、一旦ことあるときにはこの手に力を込
めると日本がたちまち失神してしまう、そういう仕掛けを作っておけばよい、これが
ときの国務省政策計画局長ジョージ・ケナンの答えだった。ケナンがそこで考えたの
は、日本の軍事力をアジアにおける米国主導の安全保障体制に組み込むこと、そして
日本のエネルギー供給を米国がコントロールすることだった。
URLリンク(coe.cseas.kyoto-u.ac.jp)(6).htm

日本の石油政策は、第二次世界大戦後の当初から、米国の政策に規定されていた。
当時、米国政策立案の中枢にいたジョージ・ケナンが、日本の石油輸入を米国が支配する
という制約のもとで日本の産業化を進めるよう米国政府に提言し、米国政府はこの政策を
採用した。それ以来、日本の石油輸入や精製は、かなりの部分、米国の統制下に置かれ、
日本の石油政策は、おおざっぱに言うと、国際資本からの石油供給を維持することを第一に
配慮して行われてきた。
URLリンク(www.jca.apc.org)


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