尖閣諸島問題は、満蒙問題の形を変えた再現at HISTORY2
尖閣諸島問題は、満蒙問題の形を変えた再現 - 暇つぶし2ch199:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 21:05:03.55 kgYNtP1T0
【満州事変80年と石原莞爾】
(上)酒田法廷 「私をなぜ戦犯としないのか」
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

【満州事変80年と石原莞爾】
(中)電光石火 「排日運動」高まり占有決意
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
 だが「謀略」であったとしても、関東軍が一方的に批判される類いの戦闘ではなかった。
 日本は日露戦争の勝利で、旅順・長春間の満鉄とその付属地の権益を得た。清国も日本との
条約でそれを認めた。日本は満鉄を中心に満州開発を進め、それを守るために関東軍をおいていた。
 しかし日本がロシアを追い出したことで中国人の満州への移住が進むにつれ、反日・排日運動が
高まってきた。特に昭和3年に爆殺された父張作霖に代わりこの地の軍閥を率いることになった
張学良が「国旗」を青天白日旗に変える「易幟(えきし)」を宣言し、蒋介石の国民党と手を結んで
からはその動きに拍車がかかる。組織的にもなった。
 昭和6年になると中村震太郎大尉殺害事件などが起き、日本人の安全は著しく脅かされる。
日本による厳重抗議件数は3千件を超えたとされる。満州にいる日本人ばかりでなく日本国内からも、
関東軍に対してその軍事的解決を求める声が強まった。特に昭和3年、関東軍の参謀となった陸軍の
俊才、石原にはその「期待」が一身に集まる。そして、満州を占有することしかこの問題の解決策は
ないというのが、石原の結論だったのである。
 石原は東京裁判酒田法廷での宣誓口述書の中で満州の状況を「いずれか一方が譲歩するか
双方が妥協しない限り、解決は至難と認められた」と述べた。さらに「単なる外交交渉による日本権益
の保持は期しがたかった」とし、こう主張した。
 「万一日本が満州より全面撤退したなら、単に権益を失うばかりでなく、ソ連が満州に進出し、
日本自体がその国防を全うし得ず支那(中国)もまた国防上重大な関頭に立つといわざるを得ない」
 日本による侵略戦争であったなど、石原にすれば一笑に付すしかなかったのだ。

【満州事変80年と石原莞爾】
(下)挫折と転換 「独走」招いた世界的視野
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
 「支那問題、満蒙問題は対支問題にあらず、対米問題なり。この敵を撃破する覚悟なくして
この問題を解決せんとするは、木によりて魚を求むるの類なり」


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