11/09/28 12:18:50.48 +dTNbKmM0
幕藩体制化では基本的に幕臣も藩士もお役目は世襲だろ。
ただし体制を維持するために、算用方などの実務・技術職は
能力が高い者を他のお役目の家から養子にとったり、
他の身分から登用したりということが多くなっていった。
それは幕府でも、諸藩でも同じことかと。
その程度は藩によって差があったろうし、
そこから上へいけるかはまた別の問題だったろうが。
特に幕府は、全国規模で大掛かりな事務を行う必要もあったから
そういう人材は常に求められていただろうね。
そこから一歩踏み出して、真の実力主義に行かねばとなったとき、
図体が大きい幕府よりも、諸藩のほうがいくらか小回りがきいて
登用を進めやすかったってのはあるんだろうな。
もっとも、薩摩にしろ長州にしろ、本当に改革が進むのは
薩英戦争やら攘夷戦やらを経たのちなんじゃね?
それ以前は、身分意識が邪魔をして兵制改革もままならなかった。
武士が足軽みたいに鉄砲なんざ持てるか!ってぐあい。
加賀藩なんかは、算用者優遇という実力主義の萌芽はあったのに、
結局それどまりだったって感じだし。
要は、組織内でどこまで危機感が共有できるかってことなのかな。
トップが危機感持ってても、それだけじゃ案外うまく進まない。