新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊at HISTORY2
新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊 - 暇つぶし2ch632:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/06 18:17:37.06 RG5Y7Ju00
結局新政府も武士階級の特権なくすには、
最初に幕府倒して、次に西南の役その他、
武力で抑えるしかなかったしな。
二回に分けられたのが新政府としては良かった。

まず敵で次に身内という順序も良かった。
幕府は長州征伐で長州やっつけられていたらよかったが、
身内の旗本が不甲斐なくて無理だった。

633:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 06:01:56.59 2SG/DBtP0
>>632
武士の特権というよりも既存の身分制度そのものが消滅する過程で、
討幕運動から西南戦争までの動きが意味を成したっていうのならわからんでもない。
というか江戸時代そのものが常に身分を大きく変化させていた時代だったし。
単に身分絡みの政策っていうなら幕藩体制が200年でやってきた仕事の方が、
明治維新という歴史的画期に与えた影響は明治新政府と比較して大きなものがあるし、
後々の時代に対する影響力も良い意味でも悪い意味でも根深いものがあるね。

634:井戸魔神F ◆Tny1JrNujM
11/09/07 06:21:05.01 07D12CJl0
リストラストサムライ

635:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 21:31:04.44 Rw17wDZZ0
権力者が世襲で政権交代の方法が無い(江戸時代)<<<<<<合法的に政権交代が可能になる(明治時代)

636:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 23:26:19.02 8dCH1BZK0
>>633
松平春嶽まで複雑化の一途じゃないか。
幕末までに身分制度をなくす方向の大きな政策ってなんだよ。
武家官位とかもうアホかと。



637:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:32:53.71 bD8909PO0
>>63

江戸時代は身分がガチガチに固定されてた印象が強いけど案外そうでもなかったりする。
庶民が様々な手段で士分に「身上り」することや、その逆という現象が盛んに起きた。
具体的方法として試験、養子入り、身分売買なんかがある。

武士社会でも特定の人物や血筋が特定の役職にいつまでも居座ることはそう多くない。
江戸時代には江戸時代なりの能力主義社会があった。

そして幕府や藩は時代が進むにつれて身分間移動について政策として整備していった。

そうした政策が士農工商の垂直化ではなく横列化の身分意識を逞しくさせた。
軍事改革で庶民を大量に士分や武家奉公人として取り立てるようになった幕末はその極みだった。
まさしく武士の特権だった軍事すらも実質そうではなくなった。

そういうプロセスがあって明治時代の新たな統治組織と族籍編入という身分制度の確立がある。
江戸時代を完全否定して明治時代が成立したというより江戸時代の延長線上に明治時代がある、
って認識のほうが妥当だろうし、近代以降も身分制度は存続する。

638:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:40:46.16 bD8909PO0
すまん>>63>>636の誤り

まあ身分にしても明治時代と江戸時代の比較議論は色々あるけど
何故江戸時代が終焉を迎えたかについて語るのもいいけど、
何故江戸時代が260年以上も存続しえたかについて語るのもいいんじゃないかと、
その原因には江戸時代の柔軟な政策や身分意識があったんじゃないかと、
そう思うわけです。


639:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 17:01:52.71 IQJU+8990
政治制度は兎も角、社会慣習や風習はそうポンポン変わるもんじゃないわな。
そういう意味では、江戸も明治も昭和も確かに継続してる。

まーそれはそれとして、身分移動は武士株とかあったし、功によって取り立てられることも
無かった訳ではないが、身分意識はそれこそ幕末も末期にならないと、横列化の兆候すら見出せないのでは。
たとえば板垣なんかは、伝習兵の死者が刺青者ばかりで、士族中心のこちらと比べて
割に合わないと思ったとか吐露してるし、幕府内で重役に就くには、慶応の改革を経て尚
家格が付いて回った。

その武士階級の凋落が、幕末から徴兵制に到るまでの軍制改革にある点には同意。

640:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 18:56:04.67 sN+CYaW80
将軍の顔を見ることが出来た人って何人いるか知ってる?

641:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 21:53:37.43 cZDf3FmV0
慶喜の側用人を勤めた原市之進は譜代でも旗本でもないが重職を担った。
大奥の歳費削減をして旗本のリストラやろうとして殺されたが。

642:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 22:27:19.05 DQbrwJsB0
慶喜の時代は異常だからな。
何しろ将軍が能力主義で選ばれたんだから。
こんな徳川幕府否定はないだろ。

643:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 11:40:20.60 B7xOm3JY0
京都見廻組って何で全然史料残ってないの?
すげー興味あるんだけど、ネットや図書館で調べた程度じゃ組員数十人の名前くらいしかわからん
結成から鳥羽伏見まで何をしてたか何が起こったか知りたいんだけどなぁ


644:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 14:51:18.26 g7cgmFyQ0
>>643
見廻組だけを調べるような人は殆どいないからなぁ・・・・。

存在自体は武装警察でそれ以上でもそれ以下でもないからか、
特別に単体で調べようっていう研究者は少ないのが現状だし。
それだけに関係史料が注目されたりすることはないようだね。

とりあえずだが『続徳川実紀』にあたってみたらどうよ?
京都見廻組にどれだけ記述を割いているかは知らないけど
江戸幕府の公式記録だし先ず調べるならこれでいいだろう。
超分厚いが索引から探せばそんなに手間はかから無いしね。

大きなところでの組織や隊士個人の動きは把握できそうだ。

645:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 18:06:38.74 B7xOm3JY0
>>644
ありがとう調べてみるわ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 23:40:03.42 wtlU9ixc0
見廻組ってそんなに資料ないの?
有志が集まっただけの戦闘部隊じゃなくて
京都守護職配下の治安部隊なんだから公式記録ぐらい残っていそうだが。

647:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 00:15:09.26 aWoS7jBW0
>>644が書いてくれてるけど、関連の史料自体は探せば見つかるけども、
研究が少なくて全体的に多いか少ないかも把握されてないのが現状だな。

例えばあの新選組にしたって学者から郷土史家や歴史作家まで動員して
今じゃかなりのことが分かってるけど時代劇で人気になる数十年前まで
今の見廻組を取り巻く状況と似たようなもんだったって印象があるし。

史料ないっていうより史料を見つける人がいないというのが正確かもね。

648:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 00:28:58.88 aWoS7jBW0
確認したら菊地明って人がニ、三冊見廻組で本を書いてるね。
新選組スレ覗くとどうやら評判は悪い人みたいだけんど(笑)

649:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 13:25:01.40 +sEInQyE0
URLリンク(heartland.geocities.jp)

とりあえずこんなもん?

650:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 14:42:08.90 k8cY/REe0
>>694
やっぱり大抵の本では新選組のおまけみたいな扱いなんだなぁ

651:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 17:57:07.86 XHCTP4ur0
新選組はトップが死んだからある程度決着ついてるけど、
見廻組は明治に入っても隠遁生活の人が結構多いんじゃないの?
難癖付けられて罪に問われかねないからね。

652:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 01:50:17.44 nfWsNLfH0
確か、慶応4年正月以前の件は不問の達しがあったはずだから公的には問題なかったと
只、斎藤・永倉あたりの「メジャー」な隊士は変名して様子を伺いながらの生活だったと

「マイナー」以下はねw・・・

要は、そいつが「隊士」だったどうか「知っている」人物如何だったと

653:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 01:13:33.17 CFAUFDq10
>>652
政府方針としては幕末のことは不問にする方向でいきますよってだけだけどな。
法務は当然ながら日本全国の封建領主任せだった。

廃藩置県までは藩単位で幕末当時の政敵へのしっぺ返しは盛んに行われていたし、
以後も明治十年前後まで個人レベルでの殺傷や圧力といった復讐事件は相次いだ。

単純に元見廻組だとか元新撰組って理由で罰せられることは殆どないだろうけど、
役職や知名度の高低によらずとも生きづらさ感じるひとの割合は見廻組や新撰組に
かつて在籍してた人間には多かっただろうな。仕事が仕事だけに。

654:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 09:16:54.03 yDZgIrMj0
その辺、一番陰惨だったのはおそらく水戸藩だろうなぁw

655:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 20:14:39.05 1VzImNAW0
旧土佐藩士の山本旗郎が故水戸藩士の住谷寅之助の遺児達に
斬殺される事件があだ討ち禁止令が出るきっかけになったとか

656:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 21:59:58.25 j7xk4o3g0
仙台藩でも戊辰戦争後に優秀な佐幕派の人材が斬られたからな。
あの藩は倒幕派よりも佐幕派の諸士のほうが断然実力あるのに。

よく戊辰戦争中の対応が諸藩の維新後の存在感を決めたというが
本当に重要なのは戊辰戦争後にどれだけ上手いこと人材を温存し
機をみて活用できたかってことだろうなぁ。

657:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 22:29:40.24 2CTe45qV0
鹿児島県や山口県なんかは中央へ人材を送り込んで逆に寂れたよな

658:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 01:50:57.79 toqJWDla0
>>656
長州藩は禁門の変と内乱で多く喪失したけど、ぽこぽこ出てきていたから
単純に仙台藩の人材が少なかっただけじゃないの。
土佐藩でも藩内粛清で多くの人材を失っているし。

659:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 21:53:33.88 GdiYQlBU0
西郷隆盛や木戸孝允みたいな人材はどこの藩にもいたとは言い難いけど
各郷土史を確認する限り全国諸藩に各々人材は存在したことが分かるし
特に薩長土に人材が偏っていたということは無かったんじゃないかな。

歴史作家はよく西日本のしかも一部の雄藩を主人公にドンパチを書いて
読者もそっちのほうが読んでて面白いもんだからそれすなわち幕末史と
考えがちだけど実際は藩の数だけ人材がいれば歴史もあったわけだし。

地元の大学教授や郷土史家さんが頑張って研究したとしても掲載されるのは
多く入手方法が限定的な雑誌に限られるし現状は無理もないとは思うけど。
実態はともかく「その他」の藩の掘り下げた研究が少ない印象は受けるね。

660:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 23:35:58.39 toqJWDla0
適塾の塾生の出身地も山口県が一番多いから、
長州藩には特に人材を生み出す背景があったと思うよ。

661:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 23:52:23.35 0ZkVeNFJ0
元々有力大名だった毛利家に使える人達が
関ヶ原で西軍が負け、毛利領が減らされてしまって
あの田舎の一角にギュギュギュと押し込められてたってのもあるよ
江の実況スレでも話題になってたけど、徳川側から見たら
家康が天下を取った後、もっと懐柔するなり潰すなり
毛利家の処遇によっては違った結果になったかもしれない

662:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 02:30:07.38 8J5jLtKC0
懐柔はしていたつもりだったと思うよw吉川家でさ
大名にしたはいいけど、毛利側からはずっと分家・支藩扱い
で、毛利家宗家・分家で「仲が悪かった」
毛利家「内部」にて身内参勤交代とかねwww
結局、幕末宗家が「相次いで」亡くなったったため
等々本流血筋がなくなってしまったとか(元就長男系)
支藩からの刺客に狙われたとかなんとかwww



663:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 14:53:11.42 Q4pbjEH70
薩長に人材が偏っていたなどと言う事実は断じてない
慶喜が政争に勝利していたら原が今ごろ大河ドラマになっていたはずw
西郷も諸藩の貢士クラスに惚れ込んでいるし、
大久保の幕臣不信が直った後は幕臣の大量採用。西南戦争からは軍人登用
江藤の司法省は比較的軽視されていたから、明法寮の学校に朝敵諸藩が大量に入ってる
佐賀も大隈、江藤、副島、大木など優秀な人材を輩出している

実務家レベルでは薩長以外のほうがはるかに多い


664:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 15:04:35.13 Q4pbjEH70
鳥羽伏見に関しても決定的な敗因は緒戦。
大山柏が現場指揮官の優劣を挙げているが、それ以前の問題として
慶喜は平和的上洛を予定していたため戦闘に移れる態勢で行軍していなかった
さらに戦闘開始後は混乱して散開が上手くできなかったようだ
劣勢なった所へ翌日、窪田鎮章、佐久間信久のような忠実勇猛な連隊長クラスが前線で督戦し、
薩長側の(おそらくは)狙撃対象になって指揮官を失ったことが大きい。
彼らが前線で督戦せざるを得なかった状況を考えると、初日の戦闘になるまいと言う楽観が大きい

665:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 19:02:40.54 F/0C1LAM0
まー一口に人材っつっても、色んなのがいる訳で。
単に人材って括りで多い少ないを論じるのは不毛だと思うが。

>>664
その点については大山柏も、京側の作戦書と大坂側の軍配書を比較して、
軍配書には戦術的な着眼点しかなく視野が狭いとか批判してたような。
現場指揮官ってか司令部クラスの問題だな。

666:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 20:36:46.88 kC04odbc0
色んなのがいるけど薩長は藩力?に見合った程度の人材しかないよ
あとは政治化するか。ずば抜けてたのは旧天領・幕臣系、それと肥前かな

667:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 23:15:26.58 mtaBKbjQ0
>>666
? 意味がよくわからん
人材ってのは実務家っていう意味か?

668:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 12:26:04.83 wg00ejX8O
そのずば抜けていた人材をもってしても、たいした人材のいない薩長に負けちゃうんですね
やはり幕府は滅びてよかった、続いていたら更なる人材の飼い殺しが発生していた

669:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 15:57:38.52 mtQOJKjJ0
一口に人材っつっても、政治家もいりゃ軍人もいるし行政家もいれば思想家に科学者に実業家もいる。
属した組織によって世に出る機会も違うし質も違う、志半ばで横死した人は高く評価される傾向もある。
どこが多いよー少ないよーなんて評論は無意味だろ。

670:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 22:02:20.91 MoQy4fOZ0
もし吉田稔麿が生きて明治維新を迎え、本当に日本国初代総理大臣に就任していたら、大日本帝国はもっといい国になっていましたか?

671:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:39:30.69 solDD+t90
人材うんぬんで言えば幕臣や天領出身者が優秀だったのは当たり前
留守政府や西郷下野の前後からは奥羽諸藩出身者や旧幕臣の大量採用が続いている
>>668
鳥羽伏見の戦闘初日までは慶喜が優位だったんだが…
家近良樹は鳥羽伏見の戦いを「一か八かの大博打」
「9回裏の逆転満塁ホームラン」とさえ評している

672:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:42:53.53 6VhGdrlD0
幕臣に優秀な奴がいても幕藩体制じゃ能力発揮できないんだから意味なし

673:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:52:00.61 solDD+t90
>>669
ただ幕末に関して言えば万能型が多いのも事実だよ。

674:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:54:05.64 solDD+t90
>>672
いや、幕末にはかなり流動性が高くなっている。薩摩はどうか知らないが

675:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 07:38:31.06 e/bp7+Fc0
江戸社会は柔軟な人事登用のシステムが存在したようだね。
あれだけ長く政権を維持できた理由や明治社会の前提としての
江戸時代に対する理解も必要だろうな。

>>672
幕府はおろか諸藩も残らず幕藩体制を形成する一部である件
仮に幕藩体制が秀才の能力が発揮できない仕組みだったとすると
日本全国どこも同じになるな。
幕臣が特別能力を発揮できない状況にあったなんてことはない。

676:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 11:14:09.17 B1ZPEqBu0
新選組は尊攘派のテロから御所と京都市民を守った功労者。
断じて朝敵ではない。

677:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 11:32:35.07 j4PRiQMQO
新撰組はテロ計画をでっちあげて浪士だけでない正規の藩士も虐殺し、
長州人をいぶり出すために火をつけて京都の町を火の海にした。
朝敵ではないが京都の民の敵。

678:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 12:18:50.48 +dTNbKmM0
幕藩体制化では基本的に幕臣も藩士もお役目は世襲だろ。
ただし体制を維持するために、算用方などの実務・技術職は
能力が高い者を他のお役目の家から養子にとったり、
他の身分から登用したりということが多くなっていった。
それは幕府でも、諸藩でも同じことかと。
その程度は藩によって差があったろうし、
そこから上へいけるかはまた別の問題だったろうが。
特に幕府は、全国規模で大掛かりな事務を行う必要もあったから
そういう人材は常に求められていただろうね。

そこから一歩踏み出して、真の実力主義に行かねばとなったとき、
図体が大きい幕府よりも、諸藩のほうがいくらか小回りがきいて
登用を進めやすかったってのはあるんだろうな。
もっとも、薩摩にしろ長州にしろ、本当に改革が進むのは
薩英戦争やら攘夷戦やらを経たのちなんじゃね?
それ以前は、身分意識が邪魔をして兵制改革もままならなかった。
武士が足軽みたいに鉄砲なんざ持てるか!ってぐあい。
加賀藩なんかは、算用者優遇という実力主義の萌芽はあったのに、
結局それどまりだったって感じだし。
要は、組織内でどこまで危機感が共有できるかってことなのかな。
トップが危機感持ってても、それだけじゃ案外うまく進まない。

679:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 12:46:06.33 SqxLv+4+0
>>676
京都を守るどころか逆に京都のどんどん焼けの犯人じゃないか

680:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 14:02:17.97 fgWXyPq+0
新撰組は日本史板の新撰組スレで佐藤彦五郎や多摩農兵隊との関わりが論じられてるが、
もし多摩の郷村指導層の後援を重視するなら新撰組の位置づけは「志士集団」と言うだけでなく、
結果的に体制側についた民衆の武装として理解されるのかも知れない
武州一揆は面白いね。個人的には沖田林太郎が義弟の総司を置いて江戸に帰ったことから、
やはり京に残るのは邪道で、試衛館一派が新撰組中核を形成するのは必然だったように思えてきた

>>678
幕臣は新規召し抱えから中堅に上り詰めるルートが広い。渋沢兄弟、大鳥、福沢、古屋などは一代。
勝、榎本も御家人株を買った新参者。天領は藩領に比べて搾取が少なく、百姓町人層の意識も高かった
図体が大きいというより、今でも京浜・阪神と言った都市圏やその周辺部のほうが
就学機会や就労機会が多いし、海外情報にも敏感でしょ?それと同じ
諸藩のほうが壁が大きかったのは確か。長州は対外・対内戦争を経験したから軽輩からもじゃんじゃん上に行ったが、
それは長州の先進性と言うより、危機に直面して階級間の移動制限が打ち破られたことが大きいと思う
それでも長州はまだ百姓と、村塾系の連中の間に一線を画してる感じなんだけど…

681:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 14:10:35.14 fgWXyPq+0
武州一揆の起きたエリアも横浜と水運で繋がってるから養蚕農家は情報が素早く入手できたし、
投機的な取引も行ってる。結構驚いたのが、レフ・メチニコフが来日ほどない時期に春日部?の大きい民家を訪れた際、
ピョートル大帝とエカチェリーナ女帝の肖像画が飾られていて、女将がそれを説明してみせたと言う部分。
いかに幕末維新期の天領住民が、海外に関心が高かったかうかがわせる。

682:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 15:15:07.32 /QxplIhL0
>>674
流動性高いっつっても、たとえば軍制なんかを見ると、やっぱ役職の家格が定められてるのがな。
部隊長クラスの歩兵頭並辺りでは、大鳥とかいるんだけれども。
これでもトップをお飾りにして、周りは能力主義って形ならとりあえず上手く回ったかもしれないが、
実際は第二次征長や鳥羽伏見なんかの通り、家格だけで権力握った様な連中が軍司令官クラスを
独占してたのが致命的だった。

新しい将軍様が家来ごっそり連れてきたとかは吉宗の時にもやってるが、
まー時節が悪かったな。原市之進は勿体無い。

>>678
長州藩については、毛利敬親に村田清風が抜擢された天保期の頃には、
下の若い藩士が藩の行政を任されるようなシステムになってた。この辺詳しい論文があった筈。
山内容堂が逆さ瓢箪の絵を描いて、長州はこれだ、とからかったってのはこれが背景にある。
このエピソードは、勅使を奉じて毛利定広が江戸に下った頃の話だったかな。

薩摩藩は精忠組の地位上昇とかあるが、これは大久保の手腕という気もするw
城下士と外城士の区別は厳しくて、鳥羽伏見の会議だかで城下士の部隊長と平等に扱われたと
外城士の部隊長が感激してる手紙があったと思う。野口武彦の本だったかな?

683:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:22:37.96 B1ZPEqBu0
京都を焼き払って天皇を長州に拉致する計画を実現一歩手前で
阻止した新選組の功績は大きい。逆恨みして御所に大砲を
ぶちこんだ長州はクズ。

684:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:24:43.26 SqxLv+4+0
>>683
でっちあげの証言以外に証拠がない。古高の準備した武装は会津藩兵を相手にするには微妙すぎる。

685:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:35:45.29 v+/edl030
一部の幕臣がクローズアップされるが
大多数の幕臣は経済的に疲弊して軍事的には役立たず
財政的には穀潰しだったからなー
結局こいつらをリストラできたのは明治になってから

686:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 09:40:41.16 uvEFayYx0
蘭医坪井信良は黒船来航直後に書いた手紙のなかで
西洋銃砲の操作テストを番方(武官)に課したら殆ど使える人間いなかったとか
危機感は幕臣より田舎の諸藩のほうが高いって状況を伝えてるが、
実際のところ知識人にとってはなんとなく幕府軍団の限界が見えてたんだろうな。

結局、幕府は既存の軍事力を近世軍団から近代軍団へ再編成せざるを得なくなり
都市で集めた歩兵、幕領の農兵、浪士の新選組ら武士以外の連中に多くを頼りだす。
しかし、これって幕府のみならずそのまま他の諸藩にも当てはまる現象だよな。
全国の封建領主が軍事的財政的に抱えた根本的問題は同質だった。

幕臣は幕臣、諸藩士は諸藩士と個別に考えちゃうと何だが分かり辛いが
武士自体の解体への動きとして幕末維新史を眺めるとかなりクリアな理解が得られる。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 23:35:49.60 OfFPK6930
いや幕臣と一括りにしてしまうから分からないのであって…
それと天領では搾取率が低く、百姓の権利意識も高く、「出来れば天領に代わりたいものだ」
などと百姓が放言しているのを聞いて渡辺崋山が呆れているから、
旗本御家人の困窮は甚だしいものがあった。日々の暮らしに追われたら軍事どころじゃないよ

688:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 23:38:21.62 OfFPK6930
>>682
ただそれでも諸隊結成の際は百姓と、士分との間に厳然とした区別があったよ

689:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 00:44:49.78 QLpvYxfO0
新撰組と見廻組とは、仲は悪かったのでしょうか??
実際、京都の町や店などで平隊士同士が、遭遇した時とかは
どんな感じだったのでしょうか。


690:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 02:29:22.65 k16FPr/80
>>688
んや、俺が書いたのは士分の中で若手や軽輩の有能なのに行政の仕切りを任せる
システムがあったってことで、士分の農民の区別がなかったってことではないよ。
そういう意味では余り関係ないレスだったかw
医者とか商人とかの教養層が養子縁組なんかで士分になったりするのは、全国的に珍しくなかっただろうし。
あの薩摩ですら、精忠組とかにそういう人がいたしなw

諸隊結成の際がどのタイミングか分からんが、禁門の変で奮戦した遊撃隊の軍監
所郁太郎は医者じゃなかったかな。
奇兵隊も、高杉が教法寺事件の責任とって失脚したあと、赤根武人や山縣有朋が
隊士を全員士分格にするよう活動してそうなったんじゃなかったっけ。
ただ藩全体で見ると身分意識も当然残ってて、教法寺事件なんかそれだね。
その辺の意識が抜本的に覆された要因としては、下関戦争と並んで、正義党のクーデターで
撰鋒組が見事に敗退した辺りの影響も大きいと思われ。
干城隊結成の時なんか、後者を意識しまくってる。
あと藩校の明倫館も元々は身分に厳しかったんだが、あの世良修蔵が17の頃には
豪農の子のままでも入学できたらしい。

691:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 06:32:59.04 Ullf75fc0
>>689
上役同志は仲が良かった・・・かまでは解らないが、それなりに交流はあった模様
がしかし、それ以外の平隊士レベルでは仲が悪かったとの事

理由としては、見廻連中は殆どが「幕臣」であったから等々

見廻隊士の一人が薩摩に通じているとの事で、時の見廻役、蒔田と組隊士
それと新選組から土方と数人が捕縛に加わった

後に役を降りた蒔田は土方と手紙のやりとり等あって親睦を高めたとか



692:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 18:42:20.53 QLpvYxfO0
なるほど。
新撰組の全盛期、池田屋事件の前後さすがに見廻組も後塵を
拝したことでしょうね。
ある本には、佐々木只三郎は全盛期の新撰組を羨望の眼差しで
みてたと書いてましたよ。

693:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 20:56:12.97 Ullf75fc0
佐々木「ほど」のモノであれば「上」に役ってのがいる事が厄介だったに思うね
でしかも周りが幕臣なやつらが殆ど
変にプライドが高いであろう輩には、実力よりは「格」で言い聞かせる他はなかったに思う
故に、最初は役というのが目障りであろうが「必要」ではあった

が、そうこうしている内にその役とやらも入れ替わり立ち替わり
一方で新選組という「格下」が成果を上げている
佐々木はこの状況を喜んだに思う

・・・さて俺の出番だと

694:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 22:15:26.89 QLpvYxfO0
見廻組とは読んで字のごとく、市中見廻ることが
日課だったと本で読んだことがある。
新撰組とは、まるで中身が違うようなことを書いてたような。

695:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 22:53:57.32 Ullf75fc0
途中まではそれなりの地域が担当だったらしいが
ヘマしでかして新選組となんら変わらない担当エリアになってもうたという話
んでもって、今度は幕府系の別組織とイザコザ起して

更に「地に落ちた」とも言われるww

696:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 23:02:18.65 QLpvYxfO0
勤皇派の浪士や、京の民衆からは、当然新撰組のほうが
段違いに恐れられていたことは事実だったんですね。
ただ、最後は、坂本、中岡をやってるから凄いと思う。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:39:32.01 xC8USfKY0
どうだろねw本当に「やっていれば」の話ですがねw
別段、他の隊にも言える事だけれども
こういう所業ってのは「自ら」唱えても意味が無い
「周り」に唱えられて初めて「評価」が下る
故に、京都時代の新選組は「恐れられていた」と、それくらい「活躍」していたと言える

な、意味で見廻組っていう組織は評価が定まらない
殆どが新選組の「良いどころ取り」状態
江戸に戻り「狙撃隊」と名を変えたはいいが「時既に遅し」状態w

わかります?一歩間違えれば「死一等」が下っても可笑しくない状況で
今井さん、晩年に於ける渡辺さんが「ゲロッ」たわけですよww

「俺らが殺ったんだよ!」と

698:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 07:35:44.50 yScmYbLn0
一会桑政権の京都幕閣が好き勝手に色々とやり始めたことに警戒して
江戸幕閣が治安面での介入を意図して送り込んだ組織が京都見廻組。
余剰幕臣を戦力化して軍事・治安に活用する一環というだけでなく、
東西幕閣のパワーバランス調整の役割も負わされてたと考えられる。

そういう意味で新撰組は京都幕閣側の武装警察隊という立場だから、
江戸幕閣側の武装警察隊である京都見廻組とは当然温度差があるし、
加えて片や有志としての自負、片や幕臣のメンツでつっぱりあって、
現場レベルで衝突する状況も容易に想定される。

もっとも実質的に見廻組を仕切っていた佐々木只三郎という旗本は、
元々は会津の人間であるからその辺の調整にはベストな人材だった。
新選組との関係でいえば近藤勇らがかつての浪士組における部下で、
彼らの分立を助けた関係もあるから親密でやっぱり都合が良かった。

見廻組と新選組のどっちが優秀だったかって類の話には興味ないけど
両者は政治的出自的には間違いなくライバル関係と呼べるだろうね。
ただ、だからといって犬猿の仲ではなく両者にパイプのある佐々木が
クッションの役割を担って上手いこと良好な関係性が保たれていた、
っというのが実態で仕事の内容や実績もそこまで大きな違いは無い。

699:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 07:50:13.10 ZQGoRH9Y0
新徴組と庄内藩はどうだったんだろうな。前は庄内藩スレもあったのになあ
清河八郎を生んだ土地柄ではあるが酒井家は会津松平家みたいな筋金入りの尊攘ではないでしょ

700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 01:39:40.00 z63ARYMo0
逆に立場・身分の違いで実質的なライバルの構図になりにくかったような気もするけど・・
新撰組の平に関してはどことも仲悪そうなイメージw

701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 06:17:02.74 BM7mVHTG0
>>699
浪士組司令部は元来清河一派と親しい尊攘派幕臣で固められていた。
江戸帰還後の新たな浪士組司令部になった庄内藩はその監察が仕事。
清河らが庄内出身者だったことは当然その配置理由の一つだろうし、
何より江戸幕閣に忠実な尊攘派とは距離がある譜代大名の家だった。

が、突然に庄内藩一任というわけではなく未だ多い尊攘派の配慮から
尊攘派幕臣による司令部も松平主税介以下新徴組支配として残った。
つまり発足当初の新徴組は「幕府+庄内藩-新徴組」という指揮系統。
二重支配のかたちだった。これが庄内藩一任になって新徴組士たちが、
伊賀者次席つまり下級の幕臣から庄内藩の足軽格へ編入される時期は、
京都で起きた8月18日政変をきっかけに尊攘運動が一応落ち着いた
元治元年になってから。

新徴組は地理的にも政治的にも新撰組より江戸幕閣の統御が厳重で
そのために厳粛な警察隊として活躍した代わりに政治活動は無いが
薩摩藩邸焼討事件で活躍し、戊辰戦争の導火線をきったのは彼らで
その立場は池田屋事件で禁門の変の導火線をきった新撰組に重なる。

702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 01:51:56.48 KA1zsubK0
池田屋事件まで起こした新撰組も
薩摩藩だけには、一切手出しはしなかったんだよね。


703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 03:14:43.25 /NeXDAWC0
流石に鳥羽伏見戦争直前には小競り合いがしょっちゅうだったけどな。
井上源三郎の隊が小銃で薩摩藩の一隊を撃ち殺したりしてるし。

704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 04:23:53.46 JiRUhGZA0
衝撃隊(からす組)が面白いわ。関東では博徒は新政府軍に付く事例が目立つけど、
奥羽列藩に付いた博徒ってどういう動機だったんだろうな。あっという間に纏まったようだが

705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 05:34:26.85 woKfRY5w0
>>704
仙台藩の諸隊の一つだよね?
仙台藩は開戦前から庶民を含む「総力戦」の準備を開始しているし
博徒部隊の編制計画もその一環として考えられた可能性が高いね。

各隊員にも郷土防衛やお金と身分の向上など目的があるだろうけど
全国どの諸隊も基本的には軍制改革のなかで編制したものであって
自然発生ではなくて幕府や諸藩の政策あってはじめて形成された。

『仙台市史』に領民を銃卒部隊に編制することを命ずる史料があるが
戦争前夜のタイミングだし衝撃隊もそのなかで編制されんでしょう。
アウトロー相手だし兵卒集めは農商の場合とやや勝手は違ったかも。
親分に直接交渉とかだろうけどコンタクトをとれた人物はだれかとか
色々気になることはあるね。

706:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 09:53:14.46 DK97rZ1m0
諸隊と言っても額兵隊なんかとは全く違う性格じゃないかなあ
須賀川で参加したのは細谷個人に呼応した仙台藩領外の博徒衆だよ。

知行地の百姓を武装させたり、藩が農兵を徴募した例もあるけど、
彼らはやがて準正規軍的な編成になっていくでしょ。
衝撃隊は最初から正規軍と行動を共にしようとせず、ゲリラ戦に特化してる
もちろん農兵なら一通りやるような戦闘訓練も一切やってない

707:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 20:24:26.96 Hg8kdVkP0
>>706
なるほど。衝撃隊は仙台藩政とは一線を画するルートからの徴募で成立した部隊、
ってことか。あくまでもウィキ情報だがどうやらそのような書かれ方をしてるな。
細谷なる人は歴とした仙台藩士だが長期的な軍制改革のなかでの成立じゃなくて、
まさしく臨時編制、即席的な雇兵部隊なわけだな。それで勝つとは凄いなwww

自分は奇兵隊とか新撰組は有志隊には違いないが(実際は強制入隊もあったそうだが)
明らかに幕府や諸藩の軍事改革の範囲で編制・運用された存在と考えているものだから
義勇軍とか非正規軍って用語を出されて自然発生的に成立していたように書かれても、
正直ピンとこないほうなんだが衝撃隊は義勇軍といっても差支えない存在のようだね。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 20:57:47.53 vwR8FHdV0
倒幕の先駆ともいわれる、水戸の天狗党はどうでしょうか?
初代局長の芹沢鴨は、天狗党あがりだと聞きましたが。

709:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 22:11:43.55 Hg8kdVkP0
>>708
誰に聞いてるのかはっきり知らんけど勝手に書かせてもらうよ。

水戸天狗党は倒幕を目的にはしていないよ。よく倒幕勢力のように語られるけど。
また芹沢は新しい研究では大津彦太郎が率いる水戸尊攘激派の集団の一員であり、
佐原騒動なる事件を起こしたが自首し投獄されたということが明らかになってる。

出獄後仲間たちの何人かは藩主に従い上京できたが芹沢はどうしたわけかできず、
そのために浪士組に参加して上京したようだ。新見錦も芹沢と同じ大津の元同志で
佐原騒動時点では新家(にいのみ)久米太郎と名乗っていたが浪士組参加と同時に
改名したようだね。

近藤勇は当時の関東浪士らしく当初水戸尊攘派の影響をかなり強くうけたようだし
生死をかけた活動実績のある芹沢や新見に対する志士としての個人的な羨望もあり
京都に残りたいという一点で行動を共にしグループの有力者に立てたんだろうか。

東西紀聞という史料に水戸浪士約20人が云々という浪士組上洛時の様子があるけど
近藤・芹沢派を合わせて大体そのくらいだし既に上洛前から一団を形成していたかも。

710:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 23:59:04.49 TfV2SLJ90
新徴組に関する本って出てる?

711:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 09:47:50.92 VjrDqkZJ0
>>710
でてるよ

712:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 13:22:27.85 4zO24qii0
特にどれが良書?小説は除いて。

713:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 17:38:15.34 OPYXp3CK0
歴史研究家の本を買って読んでみたら
正式な学者じゃなくてただの歴史好きな作家が
研究家を名乗っていただけだった時は落胆した

714:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 23:01:48.80 zF5/0Khn0
佐幕派諸藩に関しては、使い分けしたほうがいいと思う。
例えば現地に足を運んだり、史料読み込むのは圧倒的に地縁血縁持ってる人が多いわけで。
どうしても同情的になるのは否めない(いま高杉晋作の研究やってる一坂太郎もそうでしょ。
「見殺」=殺さる を みごろしとか読んじゃうような読解能力なんだから。漢文に興味のある高校生でも分かる)
学術論文があればそれでいいんだが、↑みたいな在野のレポートもどきで知識を一応仕入れたほうが早いよ。

新徴組は自分も文献知りたいな。

715:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 23:04:45.08 zF5/0Khn0
>>713
奥羽列藩同盟研究をメジャーにした佐々木克さんとかも
「孝明天皇は毒殺だった」とか当時言っていて、あとで改説してるんだけど…

716:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 00:05:19.10 WRdUSyhI0
>>715
たまにNHKの番組でてましたよね

717:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 00:12:42.72 Lj7su9yt0
あれ?孝明天皇毒殺説ってトンデモ説なの?

718:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 05:34:13.31 IHMHUjBqO
はいそうです。

719:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 08:20:37.74 hi+Q+d1B0
孝明天皇暗殺の黒幕は岩倉具視、これ常識な。

720:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 11:53:33.79 +bA9TDMx0
>>712
>>714

どこか別のところでも紹介されていたが新徴組&新整組については、
小山松勝一郎という先生が書いた一連の著作が数少ない研究書だね。
既に30~40年前の書籍ではあるが内容的にはかなり充実してる。
近年の歴史作家が量産してるニワカ研究書より質は何倍も上だろう。
既に絶版だから図書館で借りるのが薦め。

自分はかつて下手に購入しようと頑張ったが結局は無理だった・・・。

近年マツノ書店という本屋から復刻された『戊辰庄内戦争録』などの
庄内藩関係の史料にもチョコチョコ新徴組の存在を沢山確認できる。
基本的に歴史の勉強とはそういうものなのだろうけど関心のある人は
地道に史料探していって自分なりの考えをまとめる他ないのだろね。

721:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 18:07:05.18 Nd9GIAa90
>>719
だとしたら敵に塩送ってるじゃん、岩倉。

722:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 18:21:21.82 cOVPd6RT0
>>717
70年代には伊良子光順の子孫が日記類を示して毒殺説を書いていたから、
佐々木氏も原口論文が出るまで病死説を支持しにくかったかも知れない。
岩倉は孝明天皇崩御の段階では討幕論者ではないし

723:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 19:32:07.27 Lj7su9yt0
それは初めて知ったぞ!

724:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 19:59:13.07 cOVPd6RT0
ワッパ一揆

725:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 02:58:42.48 1UVVR95O0
山形県では新徴組って有名なんだろうか?
隣の宮城県だが全然聞いたことないけど。

726:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 15:41:54.62 +DrYl07k0
新徴組は江戸が一番有名なんじゃないの
山形県でも米沢とか山形あたりは知らないでしょ
新庄は多少は知ってるか?秋田庄内戦争の跡地だから

727:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 19:14:03.40 WXXO9x380
孝明天皇って、昔からアレだって噂があるよね。
大行天皇と同じだっていう・・・

728:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/12 16:18:24.82 xnsWFXKs0
近藤の書簡集はいつになったら刊行されるんだろうな?土方と沖田のはとっくに
出てるのに。

729:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/13 14:45:40.53 tksi1dgE0
天狗党はいくら示しを付けるにしてもあれだけ残虐な処刑って逆効果だったんじゃ?
ちなみに幕府歩兵隊の実質初出動が天狗党討伐だよね。

730:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/13 22:59:19.82 yPL0DXH20
天狗党の大量処刑を目の当たりにした長州藩が恭順したら
虐殺されると分かったので徹底抗戦に踏み切った。
幕府歩兵が天狗党に腰を抜かしてまともに戦わなかったということもあり、
一か八かやってみようという気になったらしい。
降伏した相手は虐殺できても徹底抗戦する相手を押しつぶす力はもう幕府には無かった。


731:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/13 23:22:04.01 xO57Stxb0
だよな
その上で長州征伐で松山藩兵が大島住民を虐殺して
長州の非武士層まで危機感を持たせたのが致命傷になった

732:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/13 23:24:39.27 huwuJMZnO
ただあそこで天狗党の嘆願書を受けて寛大処置にしてしまうと、
内応を疑われて慶喜が処分されてしまう可能性もあるからなあ
つくづく幕府の癌だよな大奥って

733:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/14 06:56:57.00 IcBor6Bm0
処刑は首謀者にとどめておき大量処刑をしないのが常識的な判断で、
慶喜は後に幕府に逆らっても自分が処断すれば良かったと後悔の念をこぼしている。


734:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/14 08:44:00.07 zCtA3cff0
この時期までは幕府歩兵より、
知行地から徴募したり、自主的に組織した農兵のほうが士気はずっと高いね。

735:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 00:34:41.13 Tn1saVN10
>>734
農兵には地域防衛の問題や士分取立の願望が深く関係しているし
実態は在地組織の延長線上みたいなものだしな

主に日雇い労働者的な事情から就職を斡旋された歩兵に比べれば
確かに編制当初から士気は高くて統率もとれてただろうなぁ

幕府と諸藩が企画してつくられた点じゃどちらも変わらないし
個人レベルでみても強い意志や高い士気をもった人間がいれば
やる気のない人間もそれぞれ存在しただろうけど

組織レベルでみた士気というか自立性は農兵隊のほうが高くて
自然とそうなるような背景をもっているな
いわゆる有志隊とか草奔隊とよばれる兵隊に近い気質を感じる

736:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 23:30:02.69 4EY72TgR0
恩賞をダシに臨時動員された農兵は士気は高くても
装備は貧弱で訓練もされていないので実戦ではあまり戦えなかったようだが。
農兵の戦いに比べるぐらいならば寧ろ敗れたものの、高崎藩が真っ向勝負を掛けて善戦したと言える。


737:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 23:38:01.23 JxPpYdGI0
訓練しなきゃ畳持ってつったってるくらいしか役に立たないからなあ。

738:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 01:12:07.78 c7kdGHfL0
>>735を書いたものだが農兵の「強さ」は地域でばらつきが多いそうだ
外部から影響を受けやすい街道沿いなどに住む農兵は危機感が強く頼もしかったそうだが
そうでもないところは反対運動があったり訓練も疎かになりがちだったとか
結局は農兵取立計画は中絶したなんて話も多い

また例え戦争に動員されても必ず農兵が戦える環境があったわけでもないそうだ
武家奉公人の扱いだった歩兵はいざしらず農民のまま兵隊になった農兵は
武士は戦闘員で農民は非戦闘員って従来の線引き意識が武農互いに強かったためか
戦場での役割はもっぱら小荷駄の夫役担当だったようだ

甲陽鎮撫隊に日野農兵が加わったが優れた装備と充実した訓練をしておきながら
やはり小荷駄だったし畳もって突っ立ってる状況があっても実際不思議ではないな
もっとも戦争の影響で藩政が機能しなくなり無法状態になった村を自衛するために
全面に出て戦う農兵も知られてるがよっぽど非常時じゃなきゃ予備の兵隊扱いか

739:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 10:24:43.97 7DXozkCt0
庄内藩の農兵は主力と言ってもいいくらいだったんでは?

740:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 11:12:17.74 6o6JRT0n0
>>739
それこそ非常時の総動員で前線に出ざるを得ない状況だったしな
現実に自分らの村の目前に得体の知れない敵が迫ってきたわけで
農兵らの必死さも違ったろうね
鎮撫隊の農兵もそうだど農兵取立者は藩や国家っていうより
もっと身近な空間を守るために考えて行動していた人が多いよね
その点では坂本龍馬とか新撰組なんかの志士より共感もてる

741:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 11:42:55.51 7wh+DIIB0
農兵の必死さ?

たぶん、そういう農兵の必死さは、旧幕府側の武士どもから間違った情報でだまされていたため。

年貢で搾取され続け、その上、体で武力まで提供させられるとは。


か  わ  い  そ  う  に

742:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 11:51:26.94 zfKxoZFy0
庄内藩の農兵に関しては、自領防衛どころか久保田城を陥落させる所まで行ってるので
明らかに藩への帰属意識の高さだと思うんだよなあ。三方領地替えの件もそうだし

この時期の領民としては異常なくらい忠誠心が強い(恐らく攘夷戦争を戦った長州よりも)

743:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 13:46:03.84 7wh+DIIB0
>>742
東北くんだりまで戦いに行って、
地の不利にもかかわらず最終的には勝利しまくっている
長州諸隊の兵士たちよりも忠誠心が強い?

それ、もう完全にあり得ない妄想ですからw

744:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 13:52:54.41 98jgK/2T0
ID:7wh+DIIB0 例の佐幕派スレ荒らし

745:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 14:34:31.03 7wh+DIIB0
>>744
自信満々だった「農兵の必死さ」「忠誠心」妄想を粉砕されると、
今度は「佐幕派スレ荒らし」妄想かw

よく生きていて恥ずかしくないなぁwwwww

746:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 16:14:31.91 DsPqzrM2O
つか長州の農兵は、攘夷戦争後に「自分たちが守らねば」という意識が芽生える訳だよな
(正規兵のヘタレっぷりを見て)

比べるなら四境戦争の時の農兵じゃないか?

747:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 16:49:42.62 VWHHt34O0
庄内藩の場合は農兵2000名で、しかも秋田戦線が戦闘初参加でしょ。
(前線に出たのはその半分くらいだったと思うが)
確か庄内軍は武士とほぼ半々程度で、それで秋田戦線で諸藩を押しまくったのは異常な強さだよ
数的には終始圧倒的劣勢じゃない?最後は補給路が伸びきったのと、佐賀藩の援軍で反撃を受けたが
まず2000名も徴募できたと言うのが凄い。どんだけ本間家に財力があるのかと

それと久保田藩農兵も意外と善戦してるんだな。こっちはまさに侵略軍を守るために必死なんだけどさ
こうしてみると農兵を活用しなかったのは、会津と薩摩くらいか。

748:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 17:08:24.29 VWHHt34O0
もっとも北越戦争が片付くまでは実質的に戦力になったのは佐賀藩兵1000足らずだけど
薩摩藩や九州諸藩2000の増援が来た8月下旬にも、主力の薩摩藩兵に夜襲をかけて破ってる
9月16日の椿台会戦で諸藩が指揮系統纏めて、庄内のほうは海道口の合流が遅れるまで敗北らしい敗北がないんだなあ

米沢藩の降伏でやっと撤兵に決したらしいが、前線の酒井以下がよほど指揮が巧かったのか、
増援が来ても士気が下がらず勝ち進んでるのが凄い
庄内戦争の全貌の研究って、誰かやってないんだろうか?

749:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 19:06:51.08 VyyJQss40
秋田戦線に出兵した薩摩兵は、部隊番号が大きい新編の部隊だから
あっさり崩れてもそう不思議はないと思われ。
盛岡兵を鎧袖一触で斥けた佐賀兵を押し捲ってる庄内兵はやはり強いが。
秋田兵も、新式の銃?が届いてからは頑張ったみたいね。雄物川の戦いの最後の方。

あと庄内藩は、北越戦線にも多少出兵してなかったっけ?

750:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/17 21:07:51.37 jMLIVI/T0
石原倉右衛門だね

751:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 04:51:02.48 l0S1rGDr0
>>741
だまされるもなにも江戸幕藩体制のシステムは成立当初から
戦争がおきりゃ農民は陣夫として徴発されるし
平時においても奉公人として武家に出仕する人間が存在する
士民混成で軍団が編制されるスタイルだったぞー。
軍団に動員されること自体は農民にとって義務であり宿命だった。
それをかわいそうと考えるかどうかはその人次第だろうけどな。
実際自分が当時のお百姓さんだったら戦争なんか行きたくないね。
そんでも逃げたところでやっぱり野垂れ死にか処刑だから
戦うしか無くって140年後の2ちゃんスレで忠誠心が強かった
って勝手に美談化されてそうwww

752:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 06:02:37.83 +iCMSzcp0
幕末の農兵は動員されれば労賃が貰えた。
あまりにも戦えない農兵は解雇されることもあった

753:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 07:57:34.34 ainGpaAZ0
>>751
新潟の幕府領は幕末に分割されて会津藩その他に預けられたんだが、
そこで会津藩に徴用された農兵は速攻で逃げ散ったりしてるよ。
中には、そのまま米沢藩に従軍を志願して許されて、函館まで戦い抜いた
兵もいるとかw

あと、徴用された農民でも兵と軍夫は別だな。敵でも軍夫なら許されて解放された例もある。
軍夫まで皆殺しになった例もあるが。

754:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 11:31:31.60 0Cs+kS2u0
庄内藩の下士は本間家の奉公人になったりしてたんでしょ。
本間様がスポンサーについてるんだから農民もやる気が出て当然じゃんw
あそこは全員、日本有数の大企業の社員みたいなもんだからな

755:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 12:37:25.54 KBMOuAnb0
庄内藩は強いが結局最後は恭順している。
長州藩は降伏するどころか討伐軍を返り討ちにしているからその差は大きい。

756:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 13:32:53.95 U5ehmA5k0
8月28日に米沢藩が降伏した時点で国許では恭順論なんだが
前線部隊がそれを蹴るようにして戦闘を続け進撃した
最後にとうとう米沢から説得され上から怒られて引き揚げ。

幕長戦争と異なり日本最精鋭の佐賀藩兵、薩摩藩兵をはじめ九州諸藩の兵と戦い
1回も決定的敗北を喫していない。まあ、北越と会津方面に敵主力が来ていたから、
相手に恵まれた感はあるが…

757:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 16:25:00.86 ainGpaAZ0
同盟軍側では、桑名、長岡と並んでどれが最強かってとこじゃない?
北越や白河の薩長歴戦部隊との戦闘は見てみたかった。
両戦線へ援軍に出てれば、戊辰戦争はもっと長引いたかな。

758:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/18 20:11:13.01 OU/RxSjG0
秋田戦線の久保田、庄内両農兵を見てると、銃撃戦には武士より強いが、包囲されると凄い被害出してるな
佐々木克は秋田出身だが「銃撃戦になると突っ立ってる武士より百姓のほうが適応が早い」みたいなこと言ってた

759:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/19 05:52:01.97 Q94fPWW80
>>758
確かに農民は武士よりも西欧軍事に適応できたかもな
勿論みんがみんなではないだろうが武士や脱藩浪士は
一端の武術家としての矜持や尊皇攘夷思想が邪魔して
そういった西欧の兵器や戦術を嫌悪する傾向が強いし

やはり肝心要の修羅場では洋式鉄砲での砲戦よりかは
幼い時代から学校で日々習ってきた刀や槍で戦いたい
ってのが人情であろうし安心するだろうし自信もある

幕府も藩も一生懸命軍事的西欧化を推し進めた時代で
新政府軍も銃砲隊以外は無用と参加諸藩に命じてるし
あの新撰組ですら鉄砲をドシドシ使ってたそうだけど
人の心の問題というかなかなか難しいところがあって
それで色んな衝突や戦場での問題も多かったようだね

近代における画一的で機械的で公開的な戦争の訓練には
近世の人間関係重視で思想的秘密的な訓練で鍛えられた
武士やその技術はいまいち合わないことも軍事的点での
「武士」の淘汰を進めることになったのかも知れないな

760:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/19 23:22:32.34 YnWOorZh0
武士の適応が遅れたのは、「鉄砲は足軽の使うもの」って意識があったのもあるんでね。

761:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/20 20:42:19.45 6+W8g1S70
ただ、農兵は火力に対しての適応力は強かったが、白兵戦になると崩れやすかった
そこは武士や、武士の指揮官がカバー。西南戦争と同じだね

762:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/20 22:37:15.17 OS/rDYUO0
>>760
かなりエライ武士を師範や門弟にしてる流派砲術が沢山あったし
特に鉄砲は足軽が使うものって考えではなかった模様です。
ただ江戸時代の砲術は思想的で秘密的な流派砲術にされちゃってて
やっぱり何かと名誉とか形式を重んじていた。

そういう、ある意味職人的世界で育ってきたオサムライさんたちには
鉄砲自体は嫌いじゃないが親しみがなく均質さがよしとされる機械的内容で
教官に足蹴にされたり罵倒される洋式の銃隊訓練が大っきらいって人は
どうもかなりの数がいた様子。

例えば幕府講武所でも洋式調練の教官と流派砲術の教官で対立したりとか
学校や上司は生徒たる旗本を調練に出席させるため毎回飲食を用意したりとか
汚らわしい!うちの息子には剣術弓術しか勉強しませんザマス!って親もいた
とにかく文化的軋轢で西洋調練を嫌う武士は多かったようです。

文久前後で流石に武士と足軽でつくった軍団ではらちがあかんとなって諸々改革を重ね
武士は士官として軍官僚化が進み実力要員は兵卒たる庶民がドシドシつかわれだす。
ゆえに軍隊内で火砲戦に長ける人間が農商階層のなかで目立っていくのも当然かもな。
したがって砲戦では兵卒(庶民)主体の部隊、白兵戦では士官(武士)主体の部隊って
使いわけもあるいはあったのかもしれない。

763:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/20 23:29:50.86 4Rrn6Cn90
函館では土方は逃げる兵を斬殺して戦わせたという。


764:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/21 18:19:30.83 zeSwB8+D0
現在の栃木県での話じゃなかったけ?
土方はガンダムのランバラルを若くしたみたいなイメージだ。

765:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/21 21:25:38.95 HfYd2+ldO
新発田の裏切りで新潟港が官軍に。同盟軍の敗北はこの時点で決定的になった。

766:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/21 21:29:28.98 v/cEzGKv0
農兵は基本的に背後に白刃を持った督戦隊を置かないと逃走する。
近代でもロシアや中国は百姓を動員して碌に訓練もせず前線に投じ銃殺部隊を背後に置いて戦わせている。



767:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/21 22:08:35.29 qoJZeaPN0
農兵はそこまで臆病じゃない。ただ戦況判断に優れた指揮官は必要だったが
前に出てる衝撃隊なんて切り込み部隊だよ

768:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/21 22:18:21.39 qoJZeaPN0
庄内藩にわりと批判的な人が書いてたが、天明天保飢饉で土地の集約が進み、
本間家が大地主になり事実上藩財政の生命線を握るようになったのが逆に幸いしたと言う見方もある
藩と財閥、その傘下の農民が利害共同体になったと言う解釈らしい

あと三方領地替えの件で余所者が藩を乗っ取ることへの領民の警戒心が生々しかったとか
どこまで信じていいか分からないが

769:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/22 03:36:30.50 BA+yMqIZ0
>>766
殺す殺されるの極限で逃げ出すのに身分も糞も関係ないべ
武士だろうと農民だろうと逃げるやつは逃げてる
武士を特別に強い存在と考えるのはサムライとか武士道って
キーワードを強さの象徴としてやたらと使ってきた
後の日本人の思い込みですやん

770:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 03:46:24.88 e7b8XtyH0
幕府の陸軍奉行て陸軍奉行並ってどんな関係?
長官と副長官?

771:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 08:02:57.57 S2BacBll0
>>764
それは違うぞ。ランバラルは近藤勇だろ。
ランバラルには人望があったが、土方は過去に部下を粛清した経歴から人望なく、
永倉らの古参兵は、土方と対立する事激しかった。最後には分離したしな。

772:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 08:42:42.24 mwGdlJZRO
>>771
永倉さん達の衝突って
土方さんよりかは近藤さんじゃない?
近藤さんの件で嘆願書を松平公に持って行ったり
離隊したのも近藤さんの
暴言が原因だし
嘆願書事件も、土方さんは仲裁してたよ

773:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/23 14:17:28.24 LaJHWLKB0
奉行と奉行並は、複数責任者制で序列に差があるようなイメージでしょ

774:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 01:33:21.77 dcQ60URQ0
局長の近藤勇は内外両面で「組織の顔」って立場だからね。
評価されるにせよ批判されるにせよ先ず矢面に立たされる。
それに他より報奨金の金額にせよ身分処遇にせよ格段に上で
隊士の生殺与奪権を本来的に握っていたのも彼だったわけで
間違いなく「同志集団」的方向性とは矛盾を抱えてる人間。

そういう上司部下の意思疎通の問題を上手く調整してたのが
副長である土方歳三だったんじゃないかと思うなァ・・・。
上司と部下に対する態度は一貫である必要性はないというか
土方は近藤に対して粛清話を提案することはあっただろうし
その点では間違いなく恐ろしい「鬼の副長」だったろうな。

その一方で部下と日常的にコミュニケーションをとることで
双方の妥協点を探ったり幹部の信頼の維持に努めたりする。
そういう柔軟な対応の方が両長揃って弾圧に乗り出すよりも
組織を円滑に動かすためにはいい選択だと考えられるしな。

実際同時代人の評価は近藤勇よりも土方歳三のほうが良い。
そういう土方でも対応しきれない組織の問題を抱えた時に
新しい受け皿として用意されたのが参謀って大幹部であり
伊東甲子太郎っていう毛色の違った秀才君だったのかもな。

775:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 08:12:10.05 oviWYsn20
大村藩の渡辺清、昇の兄弟は弟の昇が神道無念流を学んでいて近藤と知り合い。
兄の清が大村藩の新精組を率いて戊辰戦争を戦った人なんだな、兄のほうは知ってるわ

渡辺兄が上野戦争で新式銃を持ってるのに退却する官軍を「なぜ後退するか」と叱咤したら
「向こうは刀を持ってるから敵わない」と兵が言い返したと言う笑える逸話がある

776:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 09:40:50.51 cfDRsKuxO
官軍って、武器は最新式のエエ奴使ってるのに
使う人間が…ってノリに思えて仕方がないんだけど

777:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 14:03:27.88 ZyKXoi2aO
777

778:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 15:27:29.57 oqk9iinP0
これこそバ官軍といわれる所以也

779:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 15:53:21.40 xLb3+p1ZO
>>776
それは幕府兵もじゃないか?
薩長よりも新しく性能の良い装備で倍の兵力なのに鳥羽伏見で負けてるし

780:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 16:02:11.25 cfDRsKuxO
>>779
全くだよなぁ(´Д`)
負ける訳ないだろ的な鳥羽伏見の戦いでボロ負けだもんなぁ…
自分は新撰組指示派だから鳥羽伏見での新撰組も
全て悪く言う気なんて無いけどさ
幕府側も擁護って事は無いなぁぁ…

781:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 19:51:27.23 0j8BkOC40
渡辺清のその談話は2通り読み方があって
①官軍が彰義隊の突出に手を焼いた言い訳を渡辺が嘆いた
②手元に切り込まれると結局、白刃のほうが強い

②じゃないかと指摘する人が結構いるんだよな


782:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 19:59:11.86 0j8BkOC40
ここは佐幕派諸隊スレだが、戊辰戦争通すと大村藩て佐賀藩を超える最強レベルだな。
ただ藩兵は100名程度しか出せないんだけど
あと北越戦線での信州松代藩とか、隠れた強藩もいるね

783:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 13:14:00.27 6PckwQ1Z0
>>776
そこは近世・近代移行期ですからなぁ。
公衆電話から携帯電話に移行しはじまった時代みたいなもんで。
知識・技術的進歩とそれに対する人間の理解・上達は必ずしも同時進行じゃないし。
その新しい知識や技術の本格的普及はそれに依存した社会をつくらないとなかなか難しい。
幕府・諸藩の高級官僚が行った軍事改革からは一種の西欧至上主義的方向性が分かるけど、
実際的に何から何まで西欧式の戦術・兵器でカバーされた仕組みの戦争だったかといえば、
そういうわけではなかった。

当時の兵隊さんが西欧軍事を使いこなせなかったという状況も確かにあったわけだが、
敢えて使わなかった、それで問題なかったという状況も確かにあった。
・・・って視点があっても良さそうだが、歴史作家が書いた一般向けの本なんかだと
便利なのに使わなかった連中は馬鹿か固物かってなザックリした理解になっているな。
個人的にはそういう理解は結果論的でなんか好かん。

784:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/25 22:53:36.76 YIkVNIeR0
しかし近藤も道場人脈で西国諸藩に知人がいたんだな。
渡辺昇と付き合ってたなら、普通に黒船とか一緒に見に行きそうだな。
何となく京に行ってからの付き合いしかイメージできなかった

785:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 03:45:24.12 PxmJNCjt0
江戸は全国諸藩の藩邸があるし道場や学塾への留学生も集まってたからなぁ。
近藤も土方も黒船見学自体はやってそうだ。

786:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 07:57:58.48 xdfPqpGHO
>>784
試衛館に道場やぶりが来た時に、錬兵館から助っ人に来たのが渡辺
試衛館も錬兵館も江川太郎左衛門の影響で黒船見学はやってそうだな
そこらへんを創作したのが三谷大河の一話なんだろう

787:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 08:05:00.95 NfWho5wIO
>>786
年齢的にも、近藤さんと
土方さんは黒船見学してそうだと思った
大河のシーンは、あながち創作とは言えないって事か

788:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 08:21:39.13 nwJmYwPt0
>>781
鳥羽伏見では会津藩も槍隊を伏せて奇襲とかやって成果上げてるが、
官軍が対処してからは普通に狩られてるしな。
薩摩は砲兵隊に白刃で突っ込まれても対処できてるし、やっぱ後者じゃないかと思う。

789:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 10:15:04.53 ZKc7J+Ao0
>>787
・佐久間象山と弟子の吉田松陰が浦賀に黒船見学(ちなみに短期間だが坂本も佐久間の弟子)
・弁当持ちに変装した桂小五郎が江川の従者として品川砲台建設を見学
・江川は多摩の代官でもあり、土方義兄の佐藤彦五郎に農兵政策を勧めることで天然理心流が更に広がった
・練兵館は江川が出資して作られた道場で、試衛館とは門人同士の交流があった
・二度目のペリー来航時に、吉田松陰が小船に乗って黒船に乗り込もうとする
ここらへんのエピソードを合わせた創作だと思われる
放送当時は史実云々と非難轟々だったが、ありえない話ではないんだよな

790:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/27 06:53:25.21 k6nEjFlP0
>>789
・練兵館は江川が出資して作られた道場で、試衛館とは門人同士の交流があった

近藤勇と神道無念流の永倉新八の邂逅の前提もそういうところにあるのかもなぁ
もっというと芹沢鴨も浪士組入る前からそういう人脈で紹介されてそう

791:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 00:18:25.89 rq5zsZAT0
>>781,788
>手元に斬り込まれると
手元に斬り込れて白刃揮われなくても良くなった時代の我々からすると、
そのへんはどうにもイメージし辛い所だね。今の時代の最低限の距離は何メートルだっけ?

まぁ、俺も②の意見に同意するけど。


792:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 15:18:15.50 Lc0CKur/0
>>791
ところがぎっちょん、21世紀の今でも白兵戦は戦術や状況によって有効な時もある。
イギリス軍が、今世紀に入って少なくとも12回ほど銃剣突撃してるから間違いない。
当然ながら失敗した事例も含まれているが、案外成功率高い。
銃剣突撃する状況としては、迂回攻撃とか夜襲が主体のようだが。
やらかすのは特にハイランダーズが多い気がする。スコットランド人じゃ仕方ないね。

793:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 23:04:55.96 u4Njh68S0
でもアメリカ陸軍は銃剣術を……

794:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/11 00:22:24.38 YP9m3fJW0
なぁに、アメリカにはまだ海兵隊がいるさ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/11 01:34:59.81 l6kmWg3d0
明治初期に日本にも海兵隊があったという事実は世間一般で有名?

796:なんだかスレッドタイトルとは掛け離れかけてるけどw
11/11/12 08:12:18.04 DxlC2/3e0
あちこちの観光地で木刀が売られてるのは白虎隊記念の木刀がウケたから……
ってのは、本当なんですかね?

797:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/12 14:37:52.82 f2YvA8iI0
元々木刀を供えるといえば源義朝。
そこから鶴岡八幡(鎌倉)での土産物の販売に移行し、全国に流布した。

白虎隊は俗説

798:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 10:29:26.02 hpoYFg7p0
>>791
5メートル以内なら銃より剣の方が有効ってのを聞いたことはあるな
点であわせなきゃいけない銃(狙う→撃つ)よりも
線であわせれる(狙いながら斬れる)剣の方がアドバンテージがあるって理屈

799:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 11:38:07.91 OCfJ11i50
>>796
会津は誇張大好きだから話半分で・・

800:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 23:55:49.80 BU9jFCjt0
新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
異教徒であるはずの高幡不動の敷居をまたぎ、その境内や参道で
「高幡まんじゅう」や「土方歳三まんじゅう」を売っている
創価学会員がいる。
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行は自分のHPに「ことばの道しるべ」と
題して、池田大作の言葉を紹介するような政教一致の市議会議員であり
高幡まんじゅうの製造販売で、何も知らない参拝客から金を巻き上げる
「松盛堂」のオーナーである。
URLリンク(www.e-giin.net)
URLリンク(www.syoseido.co.jp)


801:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/20 13:28:32.83 3u23gX040
>>797,799
其の辺は完全に会津捏造・誇張扱いにするのはどうなんだろうね?
鶴岡八幡宮に倣った流れと会津白虎刀の好評からの流れとの二つが
全国あちこちで混在してるって事じゃないのかと思うんだが。

802:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/27 00:31:35.09 9oQc85ZLP
ネトウヨの臭いがしますなぁ~

803:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/28 12:06:44.25 NkfpF1/j0
>>801で、結局嘘なんでしょ、捏造じゃん

804:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/28 13:12:34.02 Jr7aCHYU0
そりゃ鶴岡八幡宮のほうが遥かに先行している。

805:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/28 19:19:11.25 KOcq+zZc0
>>801
こういうものは木刀に限らず気がついたら自然にあっちゃこっちゃで出まわっとるよなぁ
新選組の法被とかも東京名物だっていうから買って暫くして京都いったら京都名物になってて
挙句に函館いったら函館名物って売り文句ついてたwww

806:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/28 23:17:50.90 pAAW8iUa0
新選組ゆかりの地、高幡不動でまんじゅうを売る松盛堂は創価の店です
URLリンク(loco.yahoo.co.jp)



807:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 07:06:54.02 wc7yuPax0
原口清名城大学名誉教授は(「禁門の変の一考察」『原口清著作集第2巻 王政復古への道』2007年9月刊)において
新選組らによって浪士による京都放火計画がでっちあげられた可能性が高いと述べている。
この人は作家ではなくちゃんとした日本近代史の歴史学者だけど
この説はどれだけ支持されているんだろう?

808:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 08:09:22.52 unH6XHeP0
>>807
当時の京都は新撰組も長州激派も化かし合いの状況だったってことは
幕末の勉強してる先生たちなら知ってることだけどね
まあ原口さんみたいなじっちゃん先生はともかくとして(失礼)
若手の学者さんを中心に新撰組を歴史のなかでどう理解するかってことで
頑張ってる人も多いようなので
そういう最前線のひとたちの論文から色々池田屋事件のことを
掘り下げて考えたら案外面白い意見の一つもでてきそうではあるね
自分としては世間でいうほど
新撰組が池田屋のことをどうこうできたとは思わないけどね
彼らの義挙だとか陰謀ってすんのはちと表面しかみてないかなって気はする
要するにコマのやったことなわけだし
新撰組だけつかまえて色々いったところで大したことは分からない

809:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 11:10:42.49 9/PSJq600
池田屋のときの放火計画云々は、まぁ新撰組の裁量でどうにでもできる自白だし
真相は永遠に藪の中じゃないかな。

新撰組としては、むしろ攘夷を柱とした政治的集団になろうとしてたって論の方が興味あるな。
長州征伐を優先したことで立ち消えたとか、誰の論だったっけ。

810:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 11:31:45.25 MI7vqPfT0
>>809
松浦玲さんの「新選組」かな?

こないだ出た中村武生さんの「池田屋事件の研究」を今読んでるけど、
結構細かく掘り下げてて面白い

811:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 19:32:07.61 DjVPk6Cf0
新撰組じゃなくて「浪士組」のメンバーがそのまま拡大していたら、天下を取っただろうね。
まあ結局は内ゲバだけだった。

812:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 20:04:09.39 DxKQAlMA0
天下を・・・取る?

813:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 22:58:59.08 5Sf8WnFW0
清河八郎は朝廷との直結を意識したことから在野の活動に徹して
幕府が攘夷しなきゃいけないような状況を無理矢理でもつくろうってした人だけど
そういうやり方はあんまし長続きしてないね
そのまま拡大したところで天誅組だとか天狗党のような末路になってしまう
現に多くの清河系新徴組士が天狗党に身を投じた

814:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 11:29:31.97 2tImwbBK0
他のスレッド(龍馬暗殺の黒幕6)に出ていたのだけど、龍馬暗殺の新資料が
出るらしい。
 それを、転写する。

料類の再検これですね。アマゾンに仮だけど出ているよ。
 真面目なノンフィクションみたいだから、新聞社も動くかも。
 題名は、
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社

内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。

「本書は、龍馬らの暗殺事件関係の資証を行ったものである。
そして、特にその中の『寺村左膳道成日記』の読み直しを通して、
そこに眠っていた、これまで語られることのなかった新事実を見つけ出し、
近江屋事件の真実や真相、真の黒幕を解き明かし、
事件の歴史的な評価をしたものである。
寺村左膳とは土佐藩の山内容堂の側用人で
大政奉還の建白書の草稿を執筆した人物である。」(「まえがき」より)



815:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 13:14:51.94 g9EK2Iey0
古高俊太郎の供述調書の全文が載ってる本ってある?

816:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 17:13:51.21 SZXFJr3y0



【サッカー/イタリア】MF本田圭佑、背番号は「10」移籍金14億円で名門ラツィオに完全移籍!★3


スレリンク(mnewsplus板)








817:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 01:13:01.98 IPdDWivC0

NHK-BS時代劇ドラマ『新選組血風録』
[ 2011年4月~6月 NHK BSプレミアム放送 ]

幕末という変革の時代。その大きな流れに逆らって、「武士」であることに異様ともいえる情熱を傾けた男たちがいた。
剣の腕ひとつでひとかどの武士に成り上がった男たちは、新選組として日本の行く末を左右する苛烈な戦いの最前線に身を投じたのである――。
司馬遼太郎原作「新選組血風録」は、混乱の時代を懸命に生きた新選組隊士たちの激しく切ない人生を、毎回読み切りの形式で描く<新選組外伝>。
時代劇初主演の永井大が、新鮮かつダイナミックなヒーロー土方歳三を演じる!

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818:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 02:42:00.06 0y3nHzcw0
NHK-BSはNH犬の中でもとびきり歴史捏造ぶりがひどい

819:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/24 12:29:48.89 SjZMnfx60



●  ▲   ★    ●   ▲ 


2月29日

サッカー日本フル代表

2014年ワールドカップ アジア3次予選 第6戦


日本×ウズベキスタン  (愛知 豊田スタジアム)



●   ★   ▲    ★    ● 






820:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/03 10:49:27.15 hbmXyzMB0
燃えよ剣じゃなくて

燃えよ京だよな

821:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/06 10:51:14.48 P2RCSl9/0
司馬から歴史入ると近藤に偏見ができる

822:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/16 00:34:22.59 Ljd3bRTK0
斎藤一って新撰組より会津藩に尽くした人ってイメージがある。
警官になって政府側に行った後も会津藩とは親しかったんだっけ?

823:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 18:13:52.33 aP7mMZxP0
>>822
斎藤一は旧幕府脱走軍(新撰組)と決別してからあとは
会津(斗南)藩士の身分を与えられて廃藩置県をむかえているね
たしか会津の殿様や重臣たちの世話で就職や結婚もしている

824:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/20 00:32:58.15 efHfTxncO
そんでるろうに剣心と戦うのか…。

825:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/23 01:03:04.66 UsptwBOS0
>>823
政府側である警察への就職も会津が協力したの?
…漫画だったら会津側から新政府へのスパイを頼まれて…とかなりそう。

826:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/23 03:20:27.13 bpdYzao20
>>825

ごめん就職については正直詳しくは知らないんだけど
斎藤一が警察に奉職した西南戦争の時代には
旧会津藩士も何人か軍隊や警察で偉くなっていたこと
いきなり下級ながら幹部になってること
士族は大抵旧藩の世話で就学や就職する時代だったこと
などの理由から会津の人脈で職業を得たって可能性は高いかな
っと勝手に考えた

827:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/23 09:14:00.44 UsptwBOS0
>>826
ああ、そういうことか。就職の経緯については詳しく分かってないみたいだからね。
しかし殿様や家老の仲介で結婚なんてすごいよね。
斎藤って男は謎の多い人物だけど信頼出来る人だったんだな、と勝手に想像してしまう。

828:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/24 18:21:22.03 qsbDSdV40
ガキかなんかに、戸口から出る際は

「足から」

と言った言わない話は斉藤さんだっけか?



829:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/30 08:25:07.34 CqSyuhZX0
砲煙天に渦巻きて
ああ鶴ヶ城落ちたるか
心は千々に逸れども
折れたる剣をいかにせん

死をもて守るこの砦
ああ破れたる哀しさよ
主君に殉ず他無しと
覚悟を定む十六士

飯盛山の頂を
ああ血に染めて散りたれど
忠烈永く香を止めて
誉れを残す白虎隊


830:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/14 23:56:40.56 KsX+Qp2t0
高幡不動尊の境内でまんじゅうを売る創価学会員。
東京都日野市市議会議員であり、高幡饅頭「松盛堂」オーナーである
峯岸弘行のプログです
URLリンク(www.komei.or.jp)

恩師のことば
2012年 5月 10日
人は困難に負けるのではない。
闘魂を失うことによって自らに敗れるのだ。

これ、小説「新・人間革命」の一節です。
池田大作、いやゴーストライターがこいつの恩師なんですね。

831:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/15 21:14:36.00 riAvQz9a0
また馬鹿な新撰組ヲタが

【横浜】土方歳三に憧れて・・・駅のホームで水色法被姿で模造刀を振り回した元JR職員を逮捕
スレリンク(dqnplus板)


832:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/29 16:58:32.15 4UELASye0
斎藤一について卒論書こうと思って色々調べてるんだけどやっぱり御陵衛士へスパイにいったってエピソードすら信憑性が無いの?
それとお勧めの資料があったら教えて欲しい…斎藤一についての資料はどの本が一番いいのかわからなくて…

833:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/29 21:15:46.49 +hLBhLZZP
>>832
るろうに剣心じゃね?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/30 10:14:18.16 oCzuHGS+0
新撰組に攘夷の志があったなら、薩長と同志になるはずだが。。
やったことは長州系攘夷派浪士の弾圧。

そもそも会津の傘下に入った時点で間違っとる。志と行動が始めから矛盾しておるからな。
つまり近藤・土方らには功名の野心があるだけで、政治思想などハナからなかったという事になる。
山南さんの末路を見ればわかるだろう。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/31 19:34:53.70 K+fCOPJu0
治安維持を目的とした特殊部隊に政治思想なんて要らないだろw

836:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/31 21:15:59.06 FhmCfQ1l0
>>832
もしスパイじゃなかったら生きていないと思うが?


837:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/03 13:55:59.33 k1wDvzIc0
>>832
新撰組で卒論書けるのかが疑問
史料が乏しいから無理だよ。教授に散々に叩かれて終わりw

838:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/03 16:11:29.76 LA+wqL0F0
自分も836に同意。
斎藤は新選組の中でも特に難しいと思うな。
まず資料自体がほぼ無いし、不確定事項が多すぎて諸説の域を出ない。
結論の持って行き方も相当難しいと思うよ。

839:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/03 16:11:49.93 LA+wqL0F0
ごめん837に同意の間違い。

840:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/03 21:16:34.73 2Go7fJBe0
>>832

自分の担当教授曰く新撰組や戦国武将で書きたいってヒトには好きな気持ちだけ先走り
>>838が指摘しているように結論にもっていけずに諦めてしまうヒトが多いんだそうだ
だから最後まで書いて単位をとって欲しい教授はお薦めしない

ようするに研究素材としての新撰組が特に扱いづらいといのではなくて
余計な仕事や気苦労を増やしたくない大学側の事情で新撰組のテーマは嫌煙されている

そもそもはっきりと分からないとこや史料が少ないとこから調べるのが学問なわけだし
他人の意見は気にせず大学生活にしかできないことなんだし好きに書いたらいいと思う
自分も卒論書いて思ったが結局は書き手の着眼点と根気強さの問題だな

斎藤一といっても具体的にどういうテーマなのか分からないからあれだけど
宮地正人さんや平化新さん三野行徳さん辺りの論文は基礎として読んでいて損はないかも
あと作家さんだけど相川司さんの『新選組隊士録』という本が役立つかも知れないよ

841:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/04 21:43:55.10 DzrmLht70
新撰組関連って重要な資料がほとんど明治政府に焼かれてるから
実際の姿が大筋しか分からないんだよな
だから作家が想像働かせてフィクション書きまくりでこんなに人気出たんだろうが
近藤はともかく、土方の権限や思想もよく分かってないと知った時はビックリしたwww
同時に司馬を始めとする作家の想像力のたくましさには恐れ入ったよ
斎藤一がほとんど過去を残さなかったのって、やっぱり賊軍にいたのを公にすると色々不都合があるからだったんだろうか?
永倉、よく板橋に近藤の碑なんて建てられたな…
単に深く考えてなかったのかもしれないが、あんだけあの時世で記録残してのは凄い

842:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/04 23:12:37.84 fe00PkaH0
会津落城のどさくさ、会津藩家老らが記録や書類を殆んど焼却処分したので
会津側の史料はあまり残ってないって、磯田道史が言ってたけど
その時燃やした中に新撰組関連の史料も含まれていたかも

843:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/05 00:06:24.74 gfTgGfoK0
>>841
明治7年8月18日付の太政官達第108号で「賊軍」戦死者の祭祀が許可されたこと
そして新撰組と親しかった陸軍軍医総監松本順はじめ政府高官の後援を得られたことで
どうにか永倉新八は板橋の碑を建立できたそうだ

永倉以外の旧新撰組関係者もこの前後から名誉回復に奔走しはじめていて
斎藤一なども自ら筆を執らなくても永倉や島田魁に情報提供するかたちで
間接的に自らと新撰組の軌跡を伝えたようだよ

明治政府の記録に新撰組屯所および残されていた物品を押収したってある
記録が失われたとすればこのときなんだろうなぁ・・・
まだまだ発見&翻訳されてない史料はあるから今後に期待というところか

844:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/05 22:31:08.88 PzMamZhZ0
意外と新撰組に関しては史実発見されない方が夢があっていいんじゃないかと最近思うようになった
もちろん知りたいことはいっぱいあるが…

板橋は今でこそ周り建物だらけだけど
当時は草ボーボーの何もないとこだったんだよね
そんな中にポツリと建つ碑を想像すると泣ける
しかし、わざわざ近藤と土方の名前を正面に並べて書いてあるってことは永倉から見ても仲良かったんだろうな

845:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/06 00:14:57.76 UHChpqNO0
いろいろ創作があるからこそ、実像を知りたいな
近藤の書簡集とか出してくれないものか・・・

846:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/06 01:12:22.20 te2xTINX0
新撰組は2ちゃんじゃ俗っぽい勧善懲悪みたいなハナシや陰謀論のネタにされてばっかだけど
それでも最近ではリアルの世界じゃ十分アカデミックな議論が可能になってきているわけだし
新撰組関係史料の再整理や発掘作業が進んで真の意味での『新撰組史料集』を刊行して欲しいな

847:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/14 23:56:46.64 OiioPLtr0
勝海舟研究で知られる松浦玲先生の「新選組」
東大史料編纂所の宮地正人先生の「歴史のなかの新選組」
の2冊を読んでみた。
定番の創作で飾られていない新選組の実情が感じ取れる読み応えのある内容だった。
でも愛好家の創作が引用されてさらなる創作を生み出して、
いわば誇張が定説化してしまっている現在では
こういった学術面からのアプローチの書籍は物足りないと信者に批判されてしまうんだろうな。

848:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/15 03:25:06.20 CHFOZf1N0
坂本龍馬好き的に見廻組は日本の将来に
大いにマイナスになることした酷い集団でしかないなあ
でも人気者殺した割にあまり悪く描かれる事ねえのが不思議
明智光秀なんて一時期は酷いもんだったのになあ

849:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/21 22:00:01.38 fQxGzBLP0
仏敵のはずの高幡不動尊の境内で饅頭を売る高幡まんじゅうのオーナーは
池田大作のことばを自分のプログで紹介する創価・公明党の日野市議!

URLリンク(www.komei.or.jp)
東京都日野市の市議会議員 みねぎし弘行 「ことばの道しるべ」

新しい仕事は自分の枠を破ることから始まる 2011.4.9
青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないこと。2011.2.23
人間として、確かな目的をもって、生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です 2011.2.16
挑戦なくところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する 2011.2.5

みんな「恩師」の言葉だそうだが、検索してみれば一発でわかる。
全部 池田大作先生のお言葉だ。政教一致の違憲政治結社、
公明党の市議が高幡まんじゅう「松盛堂」の オーナーなのだ。
URLリンク(www.syoseido.co.jp)

850:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/05 13:40:40.55 T67Dmtyc0
>>834
京都政治から長州が失脚して一会桑になってからは、慶喜も腹の中はいざ知らず公的には攘夷を主張してるべ
つか孝明帝を奉じるならそうなるしかない罠
もちろん功名の野心は否定しないがw

>>843
その押収資料を元に残党を追及するとかそんなことも無かったようだし、多分うっちゃって置かれたんだろうなぁ
どっかからひょいと出てきたりしないかな

851:森公平
12/09/22 04:11:05.69 Vrjtq1ciI
新撰組って今でいうAKBだよな
近藤勇 大島優子
沖田総司 前田敦子
土方歳三 高橋みなみ
ってとこかな

852:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/22 20:38:11.87 Q7mww13+0
akbだと分からんから
WWⅡの戦艦に例えてくれ

853:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/17 22:28:25.71 rgwyJq370
谷田川惣 ?@yatagawaosamu
URLリンク(twitter.com)
歴史分野で私の師匠にあたる八幡和郎先生の新刊がまたまた出ました。『本当は謎がない「幕末維新史」』760円+税。

案外知られていない歴史の真実がたくさん記されています。新撰組は会津藩が雇った用心棒、会津藩士は会津人ではなく信州人で地元民から嫌われていた、

龍馬はバリバリの倒幕派、等々。

坂本龍馬を勝手に穏健派にするから暗殺に謎が出てくる。龍馬は最後まで尊皇攘夷派で倒幕派。池田屋事件は無茶苦茶で京都人は新撰組が嫌い。

土佐の郷士が悲惨な差別を受けていたのはウソ。等々。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/13 23:51:36.01 Rf7gF9m70
元新撰組の中島登が戦友を描いた絵を見て「まるで歌舞伎役者の錦絵じゃん」と思った。
要するに自分たちをヒーローに見立てて描いているわけで。

855:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/14 02:11:41.43 z4RTaysR0
竜馬が討幕派なんて当たり前の話だよ。
大政奉還を徳川延命のための運動と捉えるから竜馬観を見誤る。
大政奉還は王政復古と新政府樹立を宣言するための重要な布石であった。

竜馬は殺されなかったら海援隊を解散して土佐閥の重鎮になっていたであろうし、
後世でこれほど取り沙汰されることもなかった。

856:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/27 06:32:36.95 B5yUY2U30
>>854
中島登は赤穂浪士の錦絵である「誠忠義士伝」を参考に「戦友絵姿」を書いたとは言われてるね

新撰組を中心に戦死した戦友たち(誤解されがちだけど「絵姿」は新撰組だけを描いたものではない)の雄姿を
君主に忠節を尽くした武士の鑑と評される赤穂義士を重ね合わせて描くことが
彼なりの死んだ戦友の弔い方であって国家からの賊軍という評価に対する精一杯の抵抗の意思表示だったのかも

文章や石碑ではなく絵に生きた証を残すっていう方法はけっこう珍しくて貴重な史料だね
中島は無骨な剣客というか、周囲よりも近代的というか、新しいもの好きの洒落たセンスの人だったようだ
維新後も開墾事業、質屋、葉蘭栽培、鉄砲販売など色んなことに挑戦して、それなりに成功したり

857:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/30 16:59:18.81 M3daunu80
白虎隊二十士をそれぞれ、昆虫に例えるとどんな虫になりますか?
また、蝶系は誰で、甲虫系は誰で、トンボ系は誰で、バッタ・キリギリス・コオロギ系は誰で、
蜂・蟻系は誰で、セミ・カメムシ・アメンボ系、蝿・蚊系はそれぞれどの隊士に当てはまりますか?
答えてください。

858:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/01 22:30:07.28 xLWwCGev0
>>857
蝶系は伊藤俊彦(アオスジアゲハ)、間瀬源七郎(オオムラサキ)、簗瀬武治(モンキチョウ)かな。色白の美少年だからね。
甲虫系なら篠田儀三郎はホタル(幼少時代のエピソードの印象が強くて)。
あと津川喜代美も。優しげで儚げなイメージがあるから。カミキリムシなら野村駒四郎。熱血漢だから。
伊東悌次郎と井深茂太郎はミツバチ。可愛いから。飯沼貞吉はコオロギかな。安達藤三郎は
クツワムシ。大柄だから。有賀織之助はカナブン。津田捨蔵はウマオイ。永瀬雄次はキリギリス緑だから。
林八十治は鈴虫。黒っぽいから。後は皆トンボ系。

859:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/02 16:59:04.85 sTIxUslE0
>>398
>>400
>>402

近藤勇=クワガタ…強そう、エラが張ってるから
土方歳三=カラスアゲハ…黒を基調としていて尚且つ綺麗
沖田総司=シオヤトンボ…細身だから

まあ、こんなもんでしょう


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