新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊at HISTORY2
新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊 - 暇つぶし2ch436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/20 01:00:18 6BFxBCBe0
>>434
白虎隊賛美って
特攻隊賛美や一億総玉砕に通じるメンタリティだよね
誰も突っ込まないのかな

ちなみに飯沼貞吉は生き残ってしまい故郷に居づらいので
しばらく長州藩に世話になってたという話もあるようだが本当かな?

437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/20 03:56:59 cgNlZ/Zh0
>>436
そういう見方に全く触れてないわけでもないけどな。
むしろ「悲劇の英雄観」と同じく、そういう観念も
これまで白虎隊観のかなりのスペースを占めてきたし
歴史的考察の妨げになってきたという経緯が実はある。


逆に、そういう白虎隊は「悲劇の英雄だった」とか、
「軍国主義に通じる存在だった」とか先ず答えをもってきて
その答えの立証に適当な史料を引っ張てきて物を書く
作家的研究手法によって生み出された
歴史的に深いようで実は浅い白虎隊を取り巻く研究の視点や議論から
如何にして脱却し、また歴史的課題として再検討していけるかが、
当面の課題じゃなかろうか、とは思う。

そういう感じで近年では新撰組研究が急速にレベルアップしてるし。
ま、学問の世界を離れた世間一般の人々に歴史学的に妥当な見方を
いくら説いたところでどれだけ理解してもらえるか、
どれだけ浸透させることができるかは歴史学とはまた別の課題だけどね。

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 00:12:33 cxmtxeWx0
白虎隊って自殺じゃなくて戦死している部隊もあるけどスルーされてるのは何で?
本来なら戦って死んだほうこそ讃えられるべきだろ
自殺したのは士族の子供で、戦死したのは足軽の子だから?

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/21 00:43:47 Od7k3e8K0
スルーされてることはないべ。少なくとも手堅い研究書とかではね。
単純に「少年武士たちの大量切腹」って事実がインパクトに勝って、
そこが白虎隊ストーリーの見せ場的扱いだからなぁ・・・。確かに、
世間的にはそれ以外の戦死者や生き残った隊士たちには目が行かない
風潮はあるっちゃあるよね。

440:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 01:28:52 uihUFyDv0
佐々木克は30年前の「敗者の明治維新」で二本松少年隊を取り上げてたけどね。

意外と古屋作左衛門が忘れられてる気がするな。
あと、一昔前だと遊撃隊の人見勝太郎とか

441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 02:23:35 p6ayt+jl0
長州のサムライもどきが暴力で長州藩の士族を排除し長州の実権を握った

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 05:15:28 228cZJz+O
これが会津か…

1.鉄道・道路を通してもらえなかった
→実際は三島県令が当時日本でも稀な大規模道路整備を若松を中心に行い、
恩恵が少なかった会津以外の人々が一揆を起こした。
→鉄道が通らないのは当然。仙台へ伸ばすには会津は経由させるべきではない。
また、磐梯山噴火などがあり若松より北へ伸ばす路線は危険が多かった

2.産業育成を阻害した
→実際は産業博覧会で三島県令が盛んに会津漆器などの産物を販売し、陶器産業も復興させている
清酒も明治以降の導入で、江戸時代はどぶろくだった

3.県都を郡山に移さず会津を引き裂いた
→郡山は新政府が開拓した都市。そこに移すのは新政府偏重と言う福島市の意見が強かった

4.学校を作ってもらえなかった
→会津高校を作ったのは明治初期、しかも三島県令と明治新政府の重役たちによる寄付だった

5.賊軍の遺体埋葬を禁止された
→「彼我の戦死者一切に対して」遺体確認作業の為禁止されていたのを作家が捻じ曲げて解釈しただけ
かなり早い時期から遺体処理を指示する民政局の達し書が出てる
会津藩士の遺体もちゃんと埋葬された

6.「白河以北一山百文」と侮辱された
→言いだしっぺは東北、わざわざ新聞タイトルにしてスローガンにしたのも東北

つまり、会津人が涙ながらに叫ぶ「被差別」話は、どれもこれも根拠がない。
新政府の援助をたらふく食った末に、貰った先を罵って、恩義はないといって済ませようとするのが会津。

443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 05:25:05 qXYADsZ30
なにも「サムライもどき」が武力や学識の実力でもっ
て時代の表舞台に積極的にでていったのは長州藩だけ
という話でもないね。それが良い悪いというレベルで
議論されるほど小さな問題としても扱われてはいない
だろ。
というか当時も今も何処までの身分を「武士」に含め
るかは意見が定まらない。足軽や郷士などを含める人
もいれば含めない人もいる。
よく聞く「サムライもどき」って表現も多分に不安定
なものだなぁ・・・。

444:429の訂正(義信→慶喜)
11/01/22 05:30:04 Kf6j1TGM0
>>442
「会奸」は現代にも通じる稀代の名言だなw

445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 05:35:36 qXYADsZ30
>>442
毎回思うが、会津批判にしても長州批判にしても、
結局「それらしい歴史的事象を引っ張ってきて批判
してお終い」なんだよな・・・。
幕末・明治・大正・昭和・平成を段階的・重層的に
捉え得てその先にある歴史的課題に触れることをさ
っぱりしていないというか。
週刊誌の下世話な芸能人や政治家叩きと変わらん。
そんなのは歴史の理解でもなんでもない。

446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/22 05:42:47 Kf6j1TGM0
>>445
そんなことはないよ。

会津批判なんて時間の無駄だから誰もやってないし、少なくともアフォくさくてやりたがらない。
これに対して、
命を賭けて日本国民の尊厳を守ろうとした志士たちに対する正当な評価を妄想や曲解で妨害しまくってるのが、
国賊司馬遼太郎以降の反木戸史観・反長州史観・反薩長史観。

結局、国賊司馬遼太郎以降の反木戸史観・反長州史観・反薩長史観が、
自己保身ばっかりのダメな国賊政治家・国賊公務員・その他あらゆる劣化国民を作り続けている。

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/23 00:57:23 roykbgP/O
>>439
> 単純に「少年武士たちの大量切腹」って事実がインパクトに勝って、

まず白虎隊は少年部隊じゃないから。
元服を終えた青年部隊。
次に、飯盛山での切腹だけど
証言者が1名しかいないんだから
事実だと断定はできないし、されてないよ。
事実確認が出来ないんだから。
会津観光史学があたかも事実のように発信してるだけ。

ちなみに死体発見者の証言はないし
死体を埋葬しようとした庄屋の証言も
「死体埋葬を禁止された!」という
会津観光史学の嘘が垣間見えるから信用出来ない。
会津戦争の死体は、会津藩士・伴百悦が
新政府に金を貰って埋葬したと記した
手記が出土している。更に歴史家の大山氏も
死体埋葬禁止を論破してるし、会津若松も
そのような禁止命令はなかったとしてる。



448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/23 06:28:59 6mlneScO0
>>439
「少年」って表現は現代人から見てってことで使ったまでなので悪しからず。
あくまで現代においてなんで白虎隊を語る際に切腹ばかり注目されるかについて書いたつもりだし。
当時として青年だったか少年だったかとかの話題に繋げるつもりもない。
話の流れや文脈的にそんな雰囲気でもないと思うが?

「当時は~」を先ずは念頭におく歴史に心得えのある人ならいざ知らず、
特に予備知識ない普通の人なら年齢だけ見て細かいこと抜きに少年だと感じるでしょうし。
数度、家族・友人・同僚とかと会津の温泉に入りがてら観光したことあるけど、
ガイドさんやお詳しい人が「当時としては大人として扱われる年齢ですが~」
などと説明したところで「あら、まだ子供じゃないの」という反応がよく返ってくる。
多くの人がドラマや小説或いは簡単なパンフレットでちらっと見聞きした簡単な知識で、
しかも現代人的視点を拘りもなく絡めて白虎隊を眺めている以上、
白虎隊=「少年の切腹」という認識は歴史的事実関係や専門的議論とは別枠で、
一般的には極々普通にまかり通るし、
あたかもそれ以外の事象はスルーされてるように見えてしまうでしょうね。

まあ「赤穂浪士=討ち入り」とか「信長=本能寺」といったのと似たような感覚かと。

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/23 20:04:44 X15ZrAkX0
>>446
けっこういるぞ>会津批判
古くは牧野登とか
畑敬之助とか
あと会津藩士と薩摩藩士の子孫の大山格とか
要するに
・根拠の無い話で余所様を中傷するな
・何でもかんでも責任転嫁するな
ってだけの話だろ

450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/23 21:32:39 bxCrQ1/a0
>>449
詰まる話はそうだろうな。むきになって喧嘩する前に
吉川弘文館あたりの研究書を何冊か読んでくれろと。
どうも学説批判と対象の事物や学者個人の誹謗中傷を
ごちゃまぜにしてる連中が多い。
まあ、一般的に2ちゃんは暇つぶしなわけだし、そも
そも粘着してむきになって喧嘩やりあってるやつ全体
がはたからみたら白ける存在やわ。

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/26 14:14:23 g9Ev1W310
ガキの頃は、白虎隊は全員切腹したもんだとばかり思っていたなぁ

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/26 18:52:59 9kgguFqj0
意外に多いよな白虎隊士。全部で150人くらいか。
腹切ったのは士中隊の一部だが他に寄合・足軽隊とかあったし。
修学旅行で買った白虎刀は壊れやすかったなぁ。

453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/27 13:19:00 Thr/y9100
斎藤一は新政府に仕えた無節操きわまりない恥知らずな変節漢なのに、
後世の人間から立派な人間扱いされてるのはなぜですか?

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/27 16:13:09 xFBmX/zo0
それは会津観光史学の人に訊いてください

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/27 16:49:28 iFzFwRBU0
斎藤一が人気の理由は大概テレビや漫画の影響でしょう。
新選組血風録とかるろうに剣心とかが火付け役かな?
個人的には単なるオタ女とかが「斎藤さんは優しくて~」
みたいなコメントをテレビとかで見ると「散々人殺しとい
てそりゃねーだろ」とは思うが、特に立派とも変節漢とも
思わんな。オタやアンチが騒ぐほど特別な人間だったとも
思えない。

まあ、斎藤は会津藩に対して義理は通したほうじゃないか?
旧幕出脱走軍から離脱して壊滅直前の会津城下に残留したり
苦しい生活覚悟で藩士となって廃藩置県で藩が消滅するまで
仕えその最期を見届けたりしてるし。そこまでやったら藩も
武家社会自体もさっぱり消えた新時代で斎藤が何やって家族
を養っていこうと勝手自由だな。

第一、新政府に仕えたか否かのたった一事で、実際に接触し
たわけでもない現代人が目の前にいる人間に対してすら時に
分かりかねる人間性まで言及できるほど世の中単純じゃない
しね。

警視庁奉職は別に薩長土肥閥と主従関係を結ぶという話でもな
く、天皇・国家への奉仕ということで、もとより尊皇思想に強
く影響を受けた世代であり現にそうした活動に身を投じてきた
斎藤なら特に抵抗もなかったろうし、周囲から非難されるよう
なことでもない。

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/28 02:05:37 /d/A5Vj2O
>>453
西南戦争で新政府の走狗になった会津の連中にも言えるね

ある会津人を優遇したらそいつを裏切り者呼ばわりする
会津を放っておいたら(本人たちがそう思い込んでただけだが)会津は新政府から冷遇されてる…
どうすりゃいいんだよ

457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/28 04:12:30 DImjLbSm0
というか、歴史の極々一時期の会津藩と長州藩の関係性を歴史的に探るの
は大いに結構だがそれを無理やり人間性批判みたいに繋げて五月蠅く騒ぐ
連中のほうが分からんよなぁ・・・。何の有益性も見いだせない。単純に
悪口言う対象が欲しいだけだろ。
幕末維新期のたかだが10~30年で「お話」を完結させちゃってる連中
とかもそう。「幕末で幕府方なのに新政府につくなんて卑劣だ」なんて当
時の事情完全無視した後世の人間による物差も歴史的というか現実的に有
効な代物じゃないし。時間的にもそうだが藩単位とか武士社会という空間
的にも限定された世界に閉じこもってるのは大いに問題あり。昭和戦前期
じゃないんだから・・・。
つまるところ歴史研究の最前線では相手にもされないような話に2ちゃん
の一部は一生懸命になってる。非難されるべきは会津人でも長州人でもな
くて明らかに偏った先入観で意見し見るべきところを見ない人間でしょ。
第一、会津人だ長州人だっつったってどんだけの人間がいると思ってんだ
か。一人の人間が右むいたら全員同じ方向むくわけでもなし。本来、史料
を紐解かないでも周囲にありふれてる人間社会の多様性も複雑さも無視し
てその存在に対してがっちりイメージ固めちゃえば、そりゃ>>456みたいな
余計な戸惑いを抱く人間も出るわな。

458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/28 09:16:52 O5TZt5D30
まあ、ね
でも実際一生を新政府と距離を置いて過した島田魁のような人物もいるし、どうしても比べちゃうよね

まあ現実は思想とかそんなものじゃなしに自分が食っていけて家族を養うためには
手段を選んでいられなかったということなんだろうけど、それ自体を責めるつもりはないよ
斎藤が手記の類を残していないのもやはりどこか自ら恥じる所があったからじゃないかとも思うし

しかし、後世の創作物の中では大抵斜に構えて慶喜や新政府を批判するキャラになっているのはおかしい
これは斎藤ではなく作家がおかしい

まあそういうこと

459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/28 18:17:12 cowMghcO0
>これは斎藤ではなく作家がおかしい

そうかなぁ?作家というより小説と史書の区別がつかないで
歴史学の場に小説の話もちこんだりまたはその逆をやったり
しちゃう見当違いの読み手の問題でしょうな。
歴史に責任を負ってる学者ならまだしも、作家先生だったら
史的要素に拘らず描こうとそれも表現の一手法何だろうから
別にかまわない立場でしょう。

新撰組研究にもの申した宮地正人とか松浦玲も「新撰組物語」
を形成してきた作家やその作品自体は批判してなくて、それを
無批判にうけいれてきた史家や読み手に対して警鐘を鳴らして
るし。

>自ら恥じる所があったからじゃないかとも思うし

これは概ね同意。同じ新撰組の相馬主計や近藤芳助も手記のな
かで新撰組時代を聊か後悔気味に振り返っている。勿論、それ
だけとういわけではないし、抗いようのない時代の一変に対す
る複雑な心境の一端にそういう心理があったということなんだ
ろうけどね。

ちなみに斎藤は纏まった手記こそ残していないが、
永倉新八の「浪士文久報国記事」にその情報が反映されてるというし
雑誌記者や近しい人間などには過去の話を求められれば幾らか話して
るな。

斎藤の幕末の一時代に対するけじめのつけ方は旧会津藩につき従うこ
とであり、それは廃藩置県で一つの区切りがついた。
島田魁のけじめのつけかたは新政府への参加を一切断りひっそりと生
涯を送ることだった。
永倉のように旧同志の鎮魂のために働きまわるやりかたもある。
或いは士族反乱や民権運動など新たな「戦場」を求めるものも。
「けじめ」のつけかたは十人十色だったしどれが正しいとか間違ってる
って話でもないね。

460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/31 04:43:33 P36zGVHzO
阿呆が…。
豚骨ラーメンおいしかですよか…。

461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/31 08:47:32 rYr+VlDHO
愛しき日々

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/31 09:32:41 UH0KyQ/U0
昔NHK教育で飛べイサミとかいうアニメあったなぁ。
幼稚園くらいに見てた記憶があるっさ。
大河以前もなんだかんだで新撰組ネタはよく見かけたよね。
るろ剣もそうだし宇宙戦艦ヤマトのキャラ名の一部もそう。

463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/31 13:27:31 AX4uV11WO
新撰組と龍馬は大河の影響による知名度じゃないだろ

464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/01 11:29:56 2ZZSgFB6O
新撰組は日本赤軍でゆうめ

465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 23:18:15 DJ3pvjrqO
どっちも司馬遼太郎様々

466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 00:10:08 pvgM6eOU0
>>458
そこで真っ先に出すべき人物は、山岡鉄舟とか高橋泥舟とかだろう、島田魁jなくて。

「武士は二君に仕えず」

という武士道精神の影響が色濃く残っている明治期までは>>456の考え方のほうが>>457よりも妥当だと思う。

467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 03:11:09 GRMzZ46P0
「二君」も何も既に将軍も大名もいないのにねぇ・・・・。
それに山岡鐵太郎は普通に明治政府の役人やってんじゃん。

ムック本とかだけ見てると旧幕方の最も尊ばれる身の処し方は、
殆ど公に出ないことみたいな印象うけるけど、実際はどうだか。
「その他」の武士連中の足跡を細かく追ってみると殆どそういう
生き方した人は居ないなけどなぁ。新政府役人とか薩長藩士の奉
公人・食客ならまだしも「君主」なんて貴人じゃない、田舎金持
ちの用心棒やら奉公人になってるやつもいるし。

中年以降の武士で廃藩置県を区切りにリタイアって高橋泥舟とかの
隠居組とか、金に余裕あって若いうちに世捨て人的生活に入る上級
武士とか、島田魁みたいに新たに仕官するにしても既に年だしかつ
ての敵の部下になるのも癪だからって理由で一庶民として生きた人
とかが、「最後の武士」だとか「武士の鑑」みたいに、強引に一緒
くたされて、大袈裟に喧伝され、それを後の人が正道だと思い込ん
でるだけかと・・・。

それに色んな意味で近世武士社会は現代人が思うほど型にきっちり
はまったもんでは無いことが分かるし。
勿論、守るべき「武士道」は大切にされてるわけだけど、実態とし
ての精神も生き方もかなり多様というか柔軟なもの。藩主もある意
味でお飾りというか、思い通りにならなきゃ家老クラスは結構あっ
さり交代させたりしてるし。酷いとこだと座敷牢に閉じ込めて実質
的に殺しちゃったり・・・。
上杉鷹山の時代あたりからは武士なのに諸藩をめぐって財政再建請
け負ったりなんて人も。特に高度な技能を持った武士は結構藩を渡
り歩いたりしとるね。

468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 07:54:18 irfZXtyM0
江戸時代の武士道ってのは、朱子学に元づく政治論を主としたもの。
しかし、学問として研鑽されるような事は無かった。
つまり、戦国時代の武士の姿と朱子学を強引に合わせて作られた英雄主義的なものだ。
もっと言えば哲学なのであり、100人の武士がいたら100の武士道がある。
だから、君らの言う「武士道ってのは、こういうものだ」的定義が変だ。


469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 17:58:31 0H+iH/bl0
>>467>>468
内通していると疑った(疑われた)だけで惨殺した(惨殺された)人たちを全く無視してしまっている妄想p

スパイ行為なんて今でも重罪p


470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 19:50:10 xWojMgi30
誰もスパイ行為が重罪じゃ重罪じゃないかなんて話してないじゃんか。
いきなりどうした?

471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 01:12:42 ZOHBBSFp0
会津がドイツに北海道と日本海側の地域を売ろうとしてたのがバレました。


472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 03:16:27 slmT50nSO
お前はずいぶん狭い世界で生きてるんだな。

473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 05:03:48 BiF1VlQlO
うん。




分かっとるさあああああああああ!!!
言うなああああああああああああ!!!

474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 20:35:47 8pymvi3C0
やっぱり会津=ドイツ(ナチ)だったんだね
今後は会津=ナチを連想させるもの
新賎組の羽織や旗、会津藩の旗の掲出を禁止しよう

475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 21:08:11 mR1TJuhs0
>>474
国賊佐幕派厳罰法をつくって、片っ端から死刑でいいよ。

476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 21:24:39 m+l3T37+0
それはちょっと。
徳川だって勤皇だったし、日本を考えて行動した面もあるのだろう。

(会津の自称勤皇は、明治天皇以降の天皇を足蹴にし続けている時点で論外だし、
特に王政復古以降の会津藩の行動は私利私欲に満ちており、会津が国を思っていただなんて論外だけど。)

477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 21:57:50 mR1TJuhs0
国賊佐幕派=自己保身を考えて行動した面ばっかり

だが。

典型例は、安政の不平等条約、安政の大獄、長幕戦争。

478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/07 23:57:16 7DgSQj9LO
話をややこしくするなよ
会津は佐幕にとっても勤皇にとっても厄介者ということでいいじゃん

479:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/08 04:12:11 9G4WAHAEO
会津=醤油豚骨

480:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/09 04:43:56 umDjkRNt0
リアル売国会津

481:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/09 21:32:47 knTXFXYa0
楽しく話してる輪に無理やり入ってきては空気読めない
発言を意図的にちょいちょい挟む同僚の姿が被るのう。

捻くれてる自分に酔いしれてるのかなんだか知らんけど。
ネットでハブられてどうするwww

482:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/13 04:00:29 v5ekErzg0
言葉の意味はよくわからんが会津は凄い売国た

483:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/15 09:53:20 4gExl//E0
会津観光史学サイド、Wikipediaの会津観光史学を削除出来ず。

484:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 01:13:54.35 Xgz73Bj10
白虎隊の2番隊だっけ?自決したの。
あれ全員死んでたら、美談だったけど勘違い切腹って武士道でも恥辱の類じゃないの?
あれから1月篭城してたから・・・うん。未熟って怖いな

485:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 10:29:43.40 Rpu0+H5/O
太平洋戦争ですら勘違いで無謀な突撃や自決に及んだ人とか勘違いで戦後何十年間も戦い続け戦死した人が多数存在する。
現実の戦争はそんなもんだしろくなもんでないがその様に亡くなった先人たちを恥ずかしい人間だとか罵るほど堕ちたくはない。
不真面目な態度で特定の歴史的存在を貶めること自体問題だがここまで冒涜するのは会津藩好きとか関係無しに憤りを感じる。
現代と地続きの時代の同じ日本人たちが現実に経験した歴史だって簡単なことすら理解できないとはね。
会津だ長州だという対立構図で思考を硬直化させ安易に武士道なんてタームを振り回してる限りそりゃ小説的論調に終始するわな。
会津観光史学だなんだとふざけて叩いてる連中は結局叩いてる対象と同根の存在。傍目からみたら至極滑稽な連中だな。


486:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 11:04:47.85 GjJLe20T0
>>485
>382 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/02/21(月) 06:04:37.14 ID:E8tSPETc0
>世良は腕と度胸だけでのしあがったならず者。
>妓楼を宿舎にして白昼から酒食の接待を強要し、
>横柄驕慢粗暴、あまりの振る舞いに耐え切れなくなった
>仙台藩士と福島藩士に斬られた。戦争挑発の任務を
>命を捨ててみごとに遂行したんだからりっぱだねw 
.>でも、本人は遊女を盾にしたり、命乞いしたりで、
>ちっとも命がけじゃなかったんだね。薩長の戦争挑発謀略の
>手駒の一つにすぎなかったあわれな男だね。

これは君が今朝書いた文章なのだけど、事実を一行も含んでいない。
「たとえ事実だって、言われたくない部分があることを知れ」と主張をするのなら、
まず、全くの嘘偽りで他人を罵る癖を辞めるべきではないだろうか。

君は人間未満の精神の持ち主だと思うよ。

487:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 12:45:26.73 sRHmnWXX0
会津観光史学、Wikipediaの削除に失敗してファビョンファビョン(笑)

488:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 13:41:21.44 7GFnP/6cO
白虎隊のアレはまぁ……
武家の出で元服迎えてるとしても
若い子たちがいきなりマジモンのドンパチ
殺しあいの最中に取り残されちゃったから大変だよなとは思うよ
指揮官ともはぐれて寒いは、雨は降るは、腹減るは、周りは敵だらけでさ
なまじいざという時には死ぬ覚悟があったから
集団心理で突っ走ってしまったのかな?

篭城戦初っ端だったのを後で知って
正直なところナニソレ!と思ったが



489:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 16:04:05.21 5a0G1+9i0
>>486
俺はこれまで2ちゃんで歴史がらみのこと書きこんだことないし
そんなことは一回も書いていないんだが・・・。勘違いかな?
どう読んだか知らんが
「たとえ事実だって、言われたくない部分があることを知れ」
ってなことを言いたかったわけでもないし。

或いは一々「俺は君の敵じゃないからね」「会津藩は凄い悪い藩だよね」
と自分の子供なだめすかすみたいに手前の心偽ってあんたのご機嫌伺わなきゃ、
反論代わりに人間未満の精神だなんだとヒステリックに汚く罵られなきゃならないのか?

面と向かって会話する必要のないネットの世界だからってそりゃあんまり不道徳に過ぎる態度だろ。
会津だ長州だと夢中になるのは結構だがそれ以前にそういった人に向き合う姿勢は改めるべきだと思うが。
喧嘩相手ばっかつくって建設的な議論もなにも始まらないでしょうに。

490:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 18:50:12.75 cSlY0sAp0
うさバラシのため罵倒したいだけの人間が多いのがネット



491:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 20:43:13.51 ZyvqVRva0
>>485
会津観光史学という言葉自体は会津若松の郷土史家兼観光課職員宮崎十三八が
自らの姿勢を「私の立場は会津観光史学である」と宣言したのが起源なんだけどなあ…。

以下説明↓
長州と会津が対立してると世間に誤解されるようになったのは
昭和60年代に行われた新人物往来社・歴史読本のキャンペーン
そして、司馬遼太郎が会津で行ったシンポジウムが原因です。
更に、当時会津観光部長だった宮崎十三八と
白虎隊記念館の早川喜代治が観光の目玉に会津VS長州のような
キャンペーンを行うようになった事が原因です。
ですから長州山口への因縁のふっかけは、観光イベントか
商工会絡みのキャンペーンが多いんです。
これに加え、会津びいきな作家連中によって
会津の悲劇が創作され、歴史を知らない人が多い日本国民は
イベント、キャンペーン、出版物を通して薩長=悪という
印象が刷り込まれ、特に長州は悪いとされ、現代の山口まで批判する
歴史的無知・偽善者が増えていき、定着してしまったのです。
しかし会津にも会津の史実を伝えようとする研究者・作家はいます。
野口信一氏・畑敬之助・牧野登氏達です。
会津の観光史学を批判し、指摘されてる出版物を出してらっしゃいます。
しかし会津では早乙女貢や星亮一といった会津に対し独善的な
小説家が支持され、現在の観光にも生かされてるのが実情です。
ウィキなどでもこういった星達の小説が参考文献となり
牧野氏達の書物は参考文献に使われてませんし、会津観光にも適用されていません。
畑氏は戦前から会津史の美化・悲劇化を指摘していたそうですが
会津の市民達から非難されていたそうです。
つまり、会津には戦前から会津史を美化・悲劇化する思考があったんですね。
また、最近は田中 悟氏の「会津という神話」という学術論文で考証の対象ともなり、史学の世界で「会津観光史学」という言葉は定着の域にあります。

という事だそうな。
ちなみに牧野登氏は西郷頼母の研究者ね。
西郷頼母と松平容保のやり取りを調べるだけでも、会津藩が義に殉じた悲劇の藩だったという
単純で美しいイメージ通りの存在ではなかった事が分かる。

492:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 21:26:14.11 ZyvqVRva0
「京都守護職始末」に始まる山川浩・健次郎兄弟の思想を論理的骨格とする会津士族たちの主張は
「会津は 朝敵にあらず」の一点に徹底集中した雪冤論だった。(勿論これは事実と異なる)
この願いは、1928年に会津松平家の勢津子と秩父宮雍仁の縁組が実現することで果たされる。
更に30年代後半、徳富蘇峰が各地で行った講演で、「会津は逆賊ではない」と強調、
その「尊王の大精神」を称揚したことによって達成された。
そして会津の「勤皇精神」は大東亜戦争中に国民が見習うべき規範という地位を確立し、絶頂期を迎える。
会津が皇国史観に全力で寄り添おうとする中で、会津武士道、とくに国に命を捧げるという所が美化され、
(城門から女子供や老人締めだして取り残された者達が自殺的な特攻してたんだけどな)
国民皆兵政策の重要なモデルケースとして大日本帝国政府及び国民に受け入れられた。
会津の精神こそ日本国民の精神であり、日本人は全員会津藩士を見習うべしという運動が行われた。
ヒトラーが来日時に白虎隊を称賛したり、ムッソリニが白虎隊へ記念碑を送っているが、
要するに会津の暴走はそういう全体主義的な国家観に利用しやすい危うい側面を秘めていたわけだ。

しかし大東亜戦争の敗戦によって、会津の人々はこの物語をリセットし、司馬遼太郎による「悲劇の会津」という新たな物語に飛びついた。
会津人は「軍国主義の寵児」という側面を忘却の淵に沈め、好都合な「司馬史観」に乗り換えたのである。
その過程で白虎隊の「非業」や「純粋さ」が神話として再設定され、会津の観光化の中で利用されていった…
藩内の恭順派を弾圧した事、未熟で若年な新兵を放置した事の責任の所在は放棄して。

こうして会津の過去の汚点は全てよそに責任転嫁した会津観光史学が作られていった。
現在の会津観光史学は「歴史上の失敗から学ぶ」という、歴史学の意義と全くの逆ベクトルを行ってるので
プロ・アマチュアの双方から批判されている。
なぜ「悲劇」が起こったのか、その背景を無視してはいけない。

493:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 01:45:35.78 pr0t8mJnO
なんだか変なのがまた沸いてきたと思ったらやっぱりここで一悶着あったか。誰か早く適当に宥めろよ。

494:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 01:58:20.08 MjW06FnC0
まったく、会津藩が好きという人間にはろくな奴がいないな。
少しは史料を基に話せばよいのに、いつも小説を振りかざしては他の地域への中傷を繰り返す。
しかも本人は正しいつもり。

495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 10:20:27.36 /L/lzWjMO
ここで揉めるちょっと前から一部スレにわいてたぞ
みんな相手したくないのか
同時期にいくつかのスレが進行ストップしてた


496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 11:37:53.33 Q0Tr0IZUO
ようするに会津観光史学は
薩長が悪い!慶喜が悪い!坂本龍馬暗殺犯は薩摩! ←黒幕最有力は松平容保です
俺達は悪くない!かわいそうな被害者!薩長は鬼畜!
みたいな姿勢が白い目で見られてるんだべ?
会津藩が悲惨な目に遭ったのは徹底徹尾自業自得なんだが。
白虎隊もなあ…自刃話はそもそも出典からして怪しいし、少し前子孫の方が調査して、どうも貞吉は
会津の大嫌いな長州にしばらく世話になっていたようだと突き止めていたがね。
薩長に温情裁きを受けた事は無視して叩いて回るんだもんなあ。

497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 14:38:21.47 XxLZowGD0
要するに、明治以降、政治経済において主導権を握った長州への嫉妬、やっかみが
怨念とごちゃ混ぜになって、「悲劇のヒーロー」という美談に仕立て上げただけだろw

判官びいきの感情に訴えかけて、「勝てば官軍」と涙目で同情乞食に徹するw
無能な恨民族がやりそうなことだわなw

498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 15:22:14.00 d/SDQfDl0
支那 朝鮮 会津って言うくらいだからな

499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:09:04.77 JedQnhjK0
佐藤賢一の「新徴組」

庄内藩士が全然金の心配をしてなくて笑った。金はぜんぶ本間家が出してくれると
実際、奥羽旅行者には、会津や仙台に比べても酒田(鶴岡)は別格の豊かさに見えたらしい

500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 20:53:30.35 YdlZJ7yd0
会津旅行(笑)
あんな山奥の盆地なんか、奇特な会津信者しか行っても楽しくないって(笑)

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/22 21:00:39.27 MjW06FnC0
そんな場所に吉田松陰は行ったのだが(しかも洗脳的な武士道一直線の姿をベタ誉めしている)。
しかしその後が悪かった。

悪質な藩主のせいで戦場と化し、戦後も罪は盆地の外にあることにして自己正当化。
挙句の果てに無実の人間を罵っては観光の具にする悪質武士道が広まった。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 00:41:54.29 AgfimUSG0
吉田松陰も叔父からかなり洗脳的な教育を受けて育ったもんよ。
何か合通ずるものがあったんだろう。

ところで白虎隊の集団自殺って結局どれくらい信憑性のある話なの?
会津史談会では追跡調査されてるみたいだけど。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 00:50:34.19 08VcqzKR0
飯沼の証言しかないし、部隊が果ててる所を発見した人の証言もない。
飯沼がそこにいた証拠もない。死体埋葬禁止が論破された今じゃ
死体埋葬を咎められた庄屋の談話も胡散臭い。

もちろん吉田松蔭が叔父に洗脳された証拠もない。


504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 00:55:45.65 08VcqzKR0
>>489それ、会津の所を薩長に変えて会津人に言ってやんな。
会津はリアルで子供や親戚にあんたかわ言ってるような事してんだから。

505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 11:09:44.96 YAt1+nWy0
残念な歴史を美化したり悲劇化したり
無理矢理外に敵をつくり叩きまくる。

会津って完全に半島気質だな。

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 15:56:31.57 QelblSXO0
>>502
集団と言っても、墓碑が建ってる全員が一斉に自決したわけではなく、
数人単位で連れ立って来るうちに負傷がひどくて死んだり、止めを刺したり、
それを見て自決したり…

そんな感じじゃないかな。

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/23 19:49:51.36 YAt1+nWy0
逆に証拠がないからやりたい放題なんだな。


508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 04:32:43.21 djRhgosP0
>>505
朝鮮人が対馬海流に乗って日本列島に漂着すると奥羽越。
渡来朝鮮人の本拠地が会津なんだろうなぁ

道理で昔から蝦夷などと言われてるわけだw

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 23:22:36.33 9XhZv+d40
●白虎隊のツッコミ所
全体の8割は生存。士中2番隊の自刃は出典がかなり不確かでフィクション性が強い。
あと元服済みで当時としては少年ではない。

一方規模にして会津の1/2以下の二本松は、15歳はすでに正規軍。
13歳~14歳の少年隊も編成され、そのすべてが、戦死または負傷して終戦をむかえた。
戦後、若者8割以上が生き残った会津と違って、二本松藩は、
若者が戦闘の中で殆ど戦死又は負傷者になっていて復興どころじゃなかった。

それなのに援軍要請を断り二本松藩を見殺しにした会津人達は、都合の悪い事はスルーし
「会津と二本松は最後まで戦いぬいた」と高らかに叫ぶ。

510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 17:12:04.14 i75CSlZAP
4月3日(日)からBSの新しい放送波「BSプレミアム」で放送を開始する
BS時代劇『新選組血風録』の主な出演者が決定しました!
URLリンク(www.nhk.or.jp)

毎週日曜[BSプレミアム]後6:45?7:30
※初回のみ73分版 後6:45?7:58
(再)翌週土曜[BSプレミアム]前11:00?11:45
URLリンク(cgi2.nhk.or.jp)

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 18:46:42.11 smalvxFb0
朝廷贔屓の水戸の天狗である芹沢鴨が
なんで清河についていかず幕府側についたのかが分からない

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 16:29:04.72 bKrXhZ/20
スレタイに白虎隊は要らない

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 03:52:44.09 dbwk6bf40
「日本のフクシマ・ニュークレア・クライシス(原発危機)」の最中に、
日本の外相の松本剛明(伊藤博文の曾孫だそうだ)とヒラリー・クリントンが、
穏やかそうに会談をしていた事実だ。ヒラリーは、それまで、あれほど怒って、
「日本政府は、(原発事故のことで)本当のことを(私たちに)伝えていない」と苛立っていたのに、
15日には、すでに密約の交渉を始めている。この事実が私には気になる。
長州閥松本剛明という若い政治家の裏に黒い人脈(ネットワーク)がある。

討つべし 長州閥

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 06:30:14.83 7p1io4BA0
>>513
へぇ~松本剛明って長州閥だったのか。
それは信頼できるな( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 07:57:56.34 wtJBio/D0
この現代に長州閥www

516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 16:01:32.80 VN4vQbAt0
伝習隊ってシャスポー銃持ってた持ってない論争は今のとこどうなってんの?

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 23:07:41.16 fppc/17AO
宇都宮城の戦いはシャスポーを使っていた可能性がある。
しかし今市の戦いでは可能性が下がる。
会津から補給したが会津藩は新式装備を所持していない。

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 02:01:13.25 uhECwaoz0
鳥羽・伏見の戦いと両毛戦争初期については可能性がある。
しかし江戸無血開城以降はフランスからの装備が補給不能であり、他藩の持たない装備を保持できたとは思えない。

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 16:47:38.20 5fgG1FHt0
2011東京都知事選政見放送 ふるかわ圭吾
URLリンク(www.youtube.com)

520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 10:12:22.04 QNNiNwiZ0
>>519
いろんな所にコピペしすぎだろ。ご本人かw

521: 株価【E】 u
11/04/20 23:51:07.76 MQeH/6/80
しかし、彰義隊がわずか数日しか持たなかったとは・・・・
佐賀藩の軍事技術と海軍技術はやっぱり凄いわ。

522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 09:45:46.15 0dUpPhqT0
彰義隊は1日も持たなかった。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 22:11:53.72 yEH10WlK0
創価学会のくせに高幡不動の境内でまんじゅう売るな!

関東三大不動尊として有名な、東京都日野市の高幡不動尊。
土方歳三の銅像があるなど、新撰組ゆかりの地としても有名だが、
高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーは、公明党の市議会議員で創価学会員!
お不動さんはお前らにとって邪教のはずだろう!
URLリンク(www.e-giin.net)
URLリンク(www.syoseido.co.jp)



524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 09:57:49.63 kYUeMdXj0
【新政府軍】上野戦争勃発の謎を探る【彰義隊】
スレリンク(history板)

525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 09:58:36.99 kYUeMdXj0
10 日本@名無史さん age 2008/12/13(土) 10:35:53
小栗は官軍に4月の始めにさっさと始末されてる。
江戸に官軍を引き込んで、退路を立って勝利する心算だったようだけど
罷免されると、すぐに江戸を離れてる。身勝手な奴だ。
しかし、官軍側は小栗が強硬派だと知ってたのかな?


526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 09:59:10.16 kYUeMdXj0
12 日本@名無史さん 2008/12/19(金) 15:55:58
最低だったのは徳川慶喜、家臣を見捨てて大阪城から逃げ出して
江戸へ帰ってからも主戦論をとらず、恭順恭順
情けない徳川宗家当主、結局自分の命が惜しかったのだろう。
恭順なら切腹して、家達に譲るべきだな。
家臣見殺しの上野。

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 12:32:55.43 UXjbmuDL0
慶喜は政治工作によって逆転を狙っていた。
事実、徳川家の官位も領地も大幅に譲歩され、小御所会義は骨抜きになっている。
戦う必要など全くない。
無いのに、家臣達は「戦えば勝てる」と叫び、戦いたがった。
慶喜は彼らを抑えようとしたが、ついには「戦わぬなら、上様を刺し殺す」とまで叫ぶ。
主君を殺すという家臣達を前に、慶喜は為す術もなかった。

それでも、勝ちさえすればまだいい。

負けたのである。

幕府軍一万三千に対し、薩長はわずか三千。

負けたのである。

そして、賊軍とされ、徳川家は存続さえもままならなくなる。
慶喜は家臣達に失望した。これ以上ないほどの失望だった。
彼らは忠義を叫ぶ癖に、ついに主家に賊軍の汚名をもたらしたのだ。
江戸に帰り、恭順の姿勢を取る慶喜。その慶喜を弱腰と言う家臣達もいたが、
慶喜はもう彼ら「不忠の家臣たち」に耳を貸そうとはしなかった。

慶喜が弱腰なのではなく、家臣達が馬鹿で弱かった。弱気というのではない。事実弱かったのだ。
なぜなら、強ければ三千足らずの敵に負けるはずはないのだから。


528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:14:23.22 8Mn2uDYdO
幕末は長州薩摩は戦しまくりだったからな。
自然、兵も強くなるし技術も工夫される。

529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 00:26:02.01 vy6na+nP0
会津藩だって禁門の変、鳥羽伏見と戦ってます
幕府だって天狗党の乱、禁門の変、大和天誅組の乱、第一次第二次長州征伐と戦歴なら薩長と引けはとらんよw

530:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 18:44:05.93 O+R0tJBaO
装備の話でも思うけど幕軍は劣っていなかったんだとどや顔で主張する奴を見るたびにそれであんなに早く負けるんじゃどんだけ弱いんだよとしか思わないんだが

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 23:47:46.11 7TLWq7BU0
天狗党相手に腰を抜かして逃げまくってた幕府歩兵隊。
禁門の変においてまったく使い物にならず薩摩藩頼みだった幕府軍。
圧倒的兵力を擁しながら見事に返り討ちにされた幕府・譜代軍

532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 08:30:41.39 0J5shqnu0
な?強さの秘密は装備や技術にあるのではなく、敗北から何を学ぶか、自己反省できたか否かでしょw

533:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/12 17:08:02.71 D4P8sou6O
敗北から学ぶゆえに装備も技術も向上すんだろ

534:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/12 22:01:19.82 nkfyI4l9O
鳥羽伏見で負けて何の学習もしなかった人たちもいるからなぁ

535:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/12 22:59:16.78 af1eXqXJO
いとしき日々

536:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/14 00:55:55.14 V5w8cm8NO
>>534
言い方がいちいちイヤミったらしいな
キミは

537:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/14 03:29:41.63 8GX88T6l0
先のことはわからないから仕方ない
突っ走るしかなかった

538:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/14 07:06:44.51 4M8soj6SO
がむしゃらだけど素敵

539:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/14 17:05:02.83 w7exTnH/O
学習能力がない

540:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/15 20:37:19.23 Qn+svi1M0
何か今日付けのヤフーニュースで土方歳三の新たな辞世の句が発見されたと記事が出てるぞ。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)

541:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/20 14:48:12.49 N7+6gFio0
ドラマの新撰組は正規の武士と同じく刀を二本差しにしてるけど実際もそうだったの?

542:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/20 15:52:54.02 1RHcafpwO
ケースバイケース
軽装なら脇差しだけって時もある

543:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/21 22:55:54.77 B78kfSGSO
槍だけや薙刀だけの人もいた

544:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/22 09:04:40.66 G0xOQ0IW0
中間や足軽出身の人は刀差せたのかな?

545:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/22 23:55:10.48 pSJ7Abor0
>>544
以前の身分がどうあれ、1度入隊したからには武士として扱われるので
帯刀出来たと推測される。
しかし、1度武士の身分になった以上はそれ相応の振舞いが求められる。
これに背くと例の「士道不覚悟」と言う非常に曖昧な隊規で否応なく切腹を
命じられた。

田内知、橋本皆助などが良い例だ。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/23 09:21:19.62 oif/p+/j0
>>544
中間なんかは一本差し

547:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/23 13:55:36.29 uKJjMn720
近藤が捕縛された流山は原発事故で放射性物質のホットスポットになっちまった。
どうも東京(江戸)から鬼門の方位になるところはいいことないね。

548:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/23 18:14:13.47 5l5cHd3/0
>>545
>>546
なるほど、ありがとう

549:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/24 23:56:00.89 dQlocz4xO
「ながらく厄介に相成った」

近藤最期の言葉

550:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/25 06:59:51.24 L3ONmryDO
切ない…(涙)

551:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/25 13:54:17.96 l0tF9Aqw0
>>529
>会津藩だって禁門の変、鳥羽伏見と戦ってます
禁門の変のときは自分たちだけで御所守れます!って
大口叩いておいて長州に粉砕されかけたやんw

552:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/27 00:08:31.93 xtja85w80
URLリンク(b.inle.jp)


553:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/29 10:42:07.55 d4B4MvaPO
尽忠報国の士 芹沢鴨

554:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 07:47:38.84 TThh0WoK0
芹沢が残念だったのは、生来の剛毅な性格は別として、梅毒とその不安を
紛らわすために多量の飲酒によるアル中。それで凶暴な振る舞いが多く、
結局はそれが為に命を落とした。

555:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 08:22:00.04 xZVspNj7O
>>554
芹沢さん梅毒だったのか…天狗党の時にやっちゃったのだろうかw

556:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 10:37:37.98 ytPCvUel0
芹沢について詳しく書いてある本ってある?
酒好きとか乱暴とか、良く言われてる話の出典は何だろう

557:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 10:58:09.18 xZVspNj7O
>>556
黒鉄ヒロシ『新撰組』では隊旗や芹沢さんの風貌については
名古屋市蓬左文庫収蔵の尾張潘士の『見聞録』
芹沢さん暗殺は
「浪士文久報国記事」に書かれてるそうだ
あと、自分はまだ読んだ事が無いが
永倉さんの作品に書かれてるかもな

558:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 11:21:29.77 XHVSnCekO
だいたいは子母沢寛が昭和初期に八木邸の息子さんから聞いた話しに出てくる
芹沢暗殺の現場にもいて弟さんが巻き添えで足を切られてる

559:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/03 11:37:24.42 xZVspNj7O
子母澤発信の話ってアテにならないよな
自分は子母澤&司馬発信ネタのほとんどは半信半疑

560:556
11/07/03 19:56:18.73 ytPCvUel0
レスありがとう
うーん、やっぱり史料は少ないのか・・・
本人の手紙でも残ってれば、人柄が掴みやすいのだが

561:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 10:33:24.04 oCksvTZBO
菜っ葉隊

562:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/07 02:53:51.53 GN8AGV8IO
>>549
「あの時ばかりは近藤も青ざめていた」
伊東の元部下二人が近藤の顔を改めるのに連れてこられて

ここまで見事に因果応報が決まったケースはなかなかないだろうな

563:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/07 12:08:39.10 324unlkM0
>>555
天狗党時代はすでにアル中だった。些細な理由で3人の部下を惨殺して
投獄された。しかし、芹沢は獄中で自分の小指を噛み切り、血文字で
死を覚悟した内容の詩を書いたから、正気か狂気か分からない人だね。

564:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 19:24:15.87 AVvmePA0O
【熱中症】避妊具メーカーのマスコット"近ちゃん"を被ってキャンペーン活動中の女性が緊急搬送(画像有)
スレリンク(mitemite板)


565:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 14:53:26.79 hNqyhmg+0
新選組の隊士や佐幕派の武士たちが靖国に祀られないのは理不尽である

566:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 15:15:16.20 M/QCd66o0
靖国神社の歴史を知った上で言ってるのか?

567:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 15:35:07.81 FXzqfcsw0
>>565
地下の人々は敵のつくった神社に平身低頭して「祀ってください」なんて頼もうとは思わんべ。
理解あるひとが各々の墓所なり慰霊碑を参ってやることが肝心。それが本来的な死者への慰め。
靖国神社に合祀したから慰霊になる。逆に入れなきゃ慰霊にならんなんてことは無い。
純粋な慰霊とは違う意図が絡むより現状のままのほうが断然良いべな。

568:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 19:05:44.27 hNqyhmg+0
なるほど。相わかり申した

569:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/22 15:52:12.12 yh2s/ni6O
>>565
佐幕派の武士を一括りにして貶す気は無いが
新撰組みたいな汚いマネばかりしてた内ゲバ集団の何を顕彰しろと?
コイツらは美化されすぎ。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/22 16:17:31.64 51zo1R9K0
>>569
おっとその手の罵詈雑言は聞き飽きた。

571:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/22 21:39:12.08 yh2s/ni6O
また芹沢や伊東の非を叩けば新撰組の卑怯な身内殺しが正当化されるかの様なノリが嫌だね。
自分らの暗殺は綺麗な暗殺とでもいいたげでなあ。
都合の良い時だけ士道振りかざすなっつの。

572:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/22 22:52:19.64 51zo1R9K0
なんじゃと?
烏合の衆であった新選組をまとめるには、悲しいがああいうやり方しかなかった。
別にそれで何を言われようがいいよ。
まあ靖国神社云々はどうでもいい。
新選組の名誉回復がなされれば。

573:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/22 23:47:10.20 nqMk2Duo0
現在の段階で充分評価されてると思うが。
池田屋とか情報源は拷問だろ?むしろ評価されすぎ。

574:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/23 22:03:53.76 CLRg75Ot0
そうか、それならいいんだ。
新選組ファンとしてはそれで嬉しいね。

575:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/23 23:52:35.30 bDH4jtanO
誉められてないだろw
池田屋事件て新撰組の自作自演じゃないか?
拷問で得た自白以外に放火の証拠ってあったのかね?

576:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 02:29:20.39 c77F7giB0
そもそも新撰組大好き&大嫌いが池田屋騒動の放火説だとか自作自演説だとかに拘ることに何か意味あんのか?
んな話題は新人物往来社系とかじゃなく吉川とか東大系の学術論文読んでても微塵も話題に上らんのだが。
それどころか同時代史料ですらそんなことは何ら問題とはしていない。
新撰組はよく知らんが聞いてると史料の成立経緯とか時代背景とか気にしてる人そんないないし、何なんだ?
明らかに賛美と批判の泥沼から抜け出せなくなってるでしょ。

8・18政変以後、京都政界を牛耳った一会桑政権は長州藩勢力との緊張関係を高めていく。
長州勢力は復権を狙ってどんどん京都に入り込んできては古高俊太郎やら池田屋惣兵衛みたいに関係者は自宅に武器をため込む。
さらには幕府批判の張り紙やらテロ事件など物騒な行動を起こす。
それを発見次第速やかに逮捕して拷問による自白強要および証拠物の押収、さらに関係人物の強襲・鎮圧って流れが何でそこまで不思議かね。
なんでそこまで理由が放火事件でなきゃならんのか。そんなもんなくても池田屋事件が起こりうる状況は幾らでもあるのに。変なの。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 02:38:44.94 b45rb8W30
快楽殺人犯の集団が新選組。それでいいじゃないか。

578:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 06:01:49.36 yv7PvdUrO
新撰組を悪く言うな

579:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 08:10:44.49 BPFdmLng0
>>575
いろいろ動きはあったみたいだし、古高俊太郎の家から大量の武器弾薬があったらしいじゃないか。
それで十分証拠になるだろ。

580:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/25 14:02:51.22 tJueRlmx0
>>577
>>578
あんたらは時代劇について語りたいのね。
少なくともその発言は歴史を語る人のものではないな。

581:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 21:06:39.71 MoNxc8nAO
>>579
武器弾薬があった、というのは新撰組の報告でだけで、
その後には確認出来ず消えてるらしい
作り話の可能性あり

582:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 23:27:27.54 3cxdJXeH0
>>581

確認してみたがけっこう残ってるな。
例えば中津川市苗木遠山史料館所蔵の「第三拾壱号見聞雑書」には、
元治元年四日の記録として、

古高俊太郎〈桝谷喜右衛門なり〉(中略)此方ニ甲冑調達之分八十程有之所、
更奪取帰り候由〈是ハ捕手之所業ニてあるへし、会か壬生か〉。

とある。また同史料館所蔵の「宮古の土産」には、
新撰組が古高邸を探索したら刀や鍔が散乱していたので不審に思って尋問し、
調べてみると古高は隣家の具足師から鎧甲冑の製作技術を習得して自作していたこと、
また「火薬等は所々より預りの具足櫃の内ニ少々」隠しもっていたこと、
などが記録されている。

第三者的立場の武士や町人の記録のなかには古高が武器類を製作・保管していたことを記したものは多い。
新撰組側記録しかないと平然といってのける研究者がいるとすれば史料調査が甘いとしかいいようがない。
どうも新撰組だの坂本龍馬だのは美化する側も批判する側も無理やり話をつくりたがるから困る。

583:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 00:43:18.37 W1UKRS9T0
わざわざ敵の目の前の危険な場所で時代遅れで役に立たない旧式装備を隠し持つのかねえ?

584:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 11:40:13.73 bOQbMAJ00
天保以来軍事改革は幕府・諸藩で進むけど、
幕府も長州も全戦闘員の銃士・銃卒化や施条銃段階の訓練ってのは
慶応年間、特に幕長戦争を境にして本格化しはじめたことだしね。

池田屋事件の段階ではいまだ旧来の甲冑・刀槍の需要は高かった。
まして軍事改革の本拠地から遠く離れた京都という地理的環境や、
武器の入手経路が限られた古高らの活動環境を考えればなおさら。
現に古高が頑張って揃えられた火器は木砲五門や短筒三挺くらい。

それらの武器は時代遅れには違いないが凶器としての威力は健在。
ゲリラ的活動家が主兵器として頼りにしてもなんら不自然ではない。

585:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 12:00:53.55 W1UKRS9T0
護衛の多い孝明天皇への作戦を決行にはあまりに心もとない装備だねえ。
何らかの作戦のための準備というよりは
取締をうけた際に最低限武装して脱出するための武装と考えるべきでは?

586:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 14:34:28.84 bOQbMAJ00
自衛のためだったら各人の大小刀や短筒でことたりるんじゃないか?
まして木砲・長弓なんかは緊急事態には効力を発揮しない武器だし。
当時は自衛や農業のための刀剣・鉄砲の所持は農商でも認められてた。
しかし、古高は自衛なんて可愛いレベルではない武器類を保管してて、
聴取されても弁解できなかったので組織的テロ容疑で即日逮捕された。

作家たちがゴリ押しする勧善懲悪ストーリーは「は?」って思うけど、
池田屋事件は冤罪だったみたいなとこまで話をもっていくのも危険だ。
ところが学実的見地にたった研究ってのが少ないから龍馬暗殺みたいに
どんどん話が歴史から離れてあらぬ方向に膨らんでいっちゃってる。

587:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 17:22:28.62 W1UKRS9T0
炭薪商の枡屋から武器が発見されたことは潜伏志士一味を疑う根拠になっても
京都市中で噂されている天皇誘拐計画の裏付けにはならない。
だからこそ尋常ならざる拷問による自白というでっちあげが必要だったわけで。

北九州で手榴弾が大量に発見されたからといって
それが九州のヤクザたちがやらせメールの九州電力の社長を誘拐する計画をたてている裏付けになるかい?

588:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 17:30:24.16 W1UKRS9T0
すまん。北九州の武器大量発見記事を思い出して例に書いたつもりが
すでに九州電力会長宅が工藤会組員によって手榴弾で襲撃されていたようだ。
このご時世で武器を持って襲撃するとは修羅の国は本当に恐ろしい。
なにはともあれ池田屋に関しては武器の備蓄・浪人が集まるなど不穏な点はあっても
由比正雪の乱のような内通者がいないので黒と断定できる確固たる証拠に乏しいんだよな。

589:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 20:02:50.93 bOQbMAJ00
でっちげもなにも長州藩は一会桑にとって排除すべき敵なわけで・・・
不穏な点があれば逮捕・尋問・同調者の襲撃・補殺は治安当局の責務。
何故新撰組が不審者を発見して弾圧することがそんなに不自然なのか?

良いとか悪いとかいう次元の問題ではないし計画の大小の問題でもない。
当局に許可もなく大量の武器を所持してる時点で検挙の理由になるし、
彼の逮捕のタイミングで情報筋が活動家の動きをキャッチしたとなれば
否が応でも緊張感は高まる。

よく古高の突然の自白で池田屋事件が勃発したように書く本は多いけども
8・18以来の政局の動きを理解しておけば「自白」がもつ意味が大した
ものでもないことが分かる。

武器大量所持の古高逮捕→浪士の集会情報キャッチって事実そのものが、
あの凄惨な闘争劇の発端になってる。
古高拷問は時代劇の演出装置として事実以上の役割を負わされてる印象。

590:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 20:30:42.26 W1UKRS9T0
その点では明治政府は戊辰戦争だけでなく、旧士族反乱の逮捕・処断に関して
徳川政権よりもさらにエグイことをやっているからなあ。
証拠がなくても関与の疑いってだけで都合が悪い人物を処刑しまくっているし。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/30 21:10:03.90 bOQbMAJ00
幕末も明治も弱者が虐げられた結果激化する仕組みは変わらないな。
今は「平和」な日本もこの先20年30年でどう変わるか分からん。
新撰組と志士みたいに弱者同志が殺し合う時代がくるかも知れない。
大袈裟かもしれないが最近の風潮からどうもそんな気がして怖いな。

政治家・大企業・マスコミら力ある者に国民が不満・欲求を利用されて
うまいこと仲たがいさせられてる気がする。

592:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 08:47:19.60 StThtbOWO
>>589
ちょっとヤバい奴らとつるんでる一般人の敷地内に
ありとあらゆる武器一式が勢揃いしてるのを発見して「武器じゃないもんオブジェだもん」のバックレ発言を信じる警察官がいるか?って話だよ

593:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 10:54:45.91 plYQIcLv0
あれって、松平の容保ちゃんだか新撰組屯所を襲う計画だったという説も
聞いたことがあるような

594:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 12:47:58.49 SI7O53HT0
それ単独じゃなくて複合の説だよ
長州の外道どもは全部やろうとしてたと思うね。
正義の新選組が悪を倒した!
これでいい。

595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 13:13:17.70 StThtbOWO
長州が倒幕したがった理由には(一応)理解出来るが
だからってやって良い事と悪い事の区別は付けろよ
イイ大人なんだからって言いたいやね
薩摩は野心を隠して表向き正義を語り
自分達のやりたい様に国を動かし上司を操り
明治政府に目ぇ付けられてボカスカジャンされましたってヲチに抱腹絶倒


596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 14:00:22.80 SI7O53HT0
むしろ徳川幕府のままでもよかったんじゃないか。
小栗上野介が徳川体制での近代化を構想していたように、徳川時代=悪というわけではないと思う。
それを薩長が悪だと決めつけ不幸な戦争を開始し旧幕府軍を賊軍に追いやった。
薩長こそ悪だと思う

597:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 14:19:16.39 StThtbOWO
薩摩は言い掛かり、長州は私怨で幕府を潰したかった幕府が今の国会並に腐ってたのは否定出来ないが
だからといって徹底的に潰すのはおかしいだろ
侵略したのは薩長
勝てば官軍とは良く出来た言葉だ

598:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 20:55:57.58 nT+NAc380
大奥を潰す
旗本をリストラする
将軍職の世襲を廃止する

どれひとつできなさそうだけど

599:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 21:29:25.19 SI7O53HT0
それはやってみなきゃわからんだろ
まあ実際旗本をリストラしようとして幕臣の誰かが旗本に暗殺されてるけどな。
やっぱりそれでも内乱が多少起きてもおかしくないわな

600:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 21:45:56.51 ZAnftGAX0
>>599
原市之進のように改革を試みた優れた人材が利権を守ろうとする連中に殺されてしまったのは大きな損失

601:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 00:10:06.20 5a6RAmN70
いや、やろうとして出来なかったんだからあの体たらくだろうが


602:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 06:29:28.48 u166Pp57O
旗本をお茶栽培で使うって今考えると凄い発想
勝さんゴイス

603:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 10:58:38.96 oF/RrDoz0
残念だが近代化を完遂できなかったからああなったのが幕府な訳で。
もし軍制改革だけでも徹底してたら、そもそも鳥羽伏見で負けなかっただろう。
幕府陸軍だけでも薩長より多かったんだし。

村田蔵六のようなとは言わんが、せめて実力で司令官級を登用できる
体制が出来ていればな。

604:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 13:11:36.95 u166Pp57O
鳥羽伏見って、どう考えても勝てる戦いだったよな
単に使った武器の違いなんて理由じゃないと思う
幕府ってここまでヘタレてたのかって感じ

605:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 17:07:57.23 3IZ725zk0
>>603
組織・物資の面では幕府も薩長も軍事改革の程度は変わらない。
というか幕府陸海軍は規模だけみれば日本最大級の軍隊だった。
幕府の軍制改革が大日本帝国軍の基礎を固めたといってもいい。
慶応2年には番方組織は完全解体されて全部洋式銃隊になった。
ところが田舎諸藩の連合に負ける。

直接的理由としては政治的要因・地理的要因がでてくるけども、
戦場に赴いた兵隊の意識・経験の差ってのがやっぱりでかいか。
幕長戦争を戦った歩兵隊以下の連中は戦争の実際を知ってるが、
長いこと江戸や京都に詰めてた連中は戦争の経験値が殆どない。
それでも士気が高く突撃兵を担ったのが剣客あがりの遊撃隊とか
新選組とか見廻組だった。

彼らは火砲戦に馴染むことができず結局せっかくの銃器を捨てて
白刃突撃に持ち込もうとしていたずらに死者を増やしていった。
近世から近代への過渡期にある戊辰戦争において間々白刃突撃も
役立つことはあったが彼らはタイミングを上手く掴めなかった。

漸く全軍のなかで士気が高く軍馴れした連中の割合が増えたのは
既に旧幕府軍ではなく旧幕府脱走軍となった時代のことだった。
当然ながら局地的に善戦するが大局を動かすまでには至らない。
幕府軍は腐っても中央政権だけにウツワを整えることはできても
そのでかさに見合うナカミを用意するのには結果的に失敗した。

西南の諸藩は小規模ながらもウツワとナカミのバランスがとれた
精度の高い軍隊をつくりあげることに成功し、かつ各軍を上手く
組み合わせて大規模な戦力を創出することの成功し勝利を獲得。
軍隊のウツワとナカミのギャップを埋められたかどうかって結構
重要なことじゃなかろうか。

606:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 20:47:51.90 XZs7LGL50
>>605
実戦経験は勿論大切だが、一応幕府陸軍も天狗党の乱や第二次長州征伐で
一応実戦経験積んだ連中は居た訳で。
鳥羽伏見でも、初陣の連中も居たにせよ、大崩れはせずに粘り強く戦ってると思う。

ただ、軍制改革とは部隊の装備や戦術機動だけの話ではなく、部隊の手配や指揮命令系統、
それらを運用できる人材やその育成まで含む制度自体の改革な訳で。
例えば部隊の運用となると、部隊長が合議して即動く薩長の機敏さに比べてどうしても見劣りがする。
伏見奉行所からの撤退後、どうするか決められずに中洲で一晩明かしたのちバラバラに撤退とか、
後に薩長が敗戦した時もまずなかった。
これはさっさと逃げ出した司令官も悪いんだけど。
また、伊地知や大村や高杉がやってた、戦略目標を定めて軍を手配し運用するってことが
どうにも出来てない。
これは幕府に人なしってことではなく、例えば大鳥なんかは上手くやってたと思う。
つまり、それらの人材を評価し上に取り立てる体制が出来なかった。
当時の幕府陸軍の指揮官クラスを見ると、キャリアと家格については煌びやかな面子。。
しかし戦争をどこまで理解してたかについては、鳥羽伏見を見る限り疑問に思わざるを得ない。
陸軍奉行は若年寄格とか、その辺の制約が明らかに邪魔してると思われ。
250年溜まりに溜まった澱を慶喜一代でどうにかしろっつー方が無茶振りだとも思うが、
それを徹底できなかったのが当時の幕府の限界であり、鳥羽伏見敗戦の根源ではないかと思う。

607:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 22:29:09.29 s9db2t820
そこで蝦夷共和国陸軍総裁並、土方歳三さんの登場ですよ。

608:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 23:33:58.20 tXQAzeq80
蝦夷共和国(笑)
国民がいない共和制国家w

609:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/02 01:18:14.15 ShF0GB8a0
>>606
要するに俺がいいたかったのは、
軍隊のなかでの組織と経験値とのギャップの問題が勝敗を分けた一因になっているってことでして
薩長は人数的地理的に限られた改革で内外紛争の機会も多くギャップ埋めのスピードは速かった。
幕府も天狗党・禁門戦争・幕長戦争など経験はあるが、全国的規模で改革を進めなければならず、
組織規模と比較して火力戦を理解した熟練兵の割合が不足している印象が強いという印象が強い。

単純な実戦経験の問題というではなく軍事改革の規模の違いってのを戊辰戦争の勝敗を考えるなら
考慮せにゃならんだろうなぁ、ってことがいいたかった。

実際に人材取立という点では薩長に遅れるところがあるがそれも幕府の組織規模が関係しているな。
現代の国がそうであるように都道府県・市町村の条例改正と違い一つの制度を変えるのには余りにも
幕府と藩ではクリアすべき課題が違いすぎる。

そんでも安政~慶応までに段階的に登用体制を整備していってその流れで大鳥や古屋が登場すると。
陸軍奉行にするには身分違いの人間を陸軍奉行並として同様の職務につけたりとかはその好例だな。
保谷徹が指摘しているが兵農分離・村請制など旧来の原理と改革のおりあいをつける努力はあった。
つきつめればそうした社会原則が幕府や諸藩の運命を左右した本質的な最大の課題の正体だった。

自分としては、
幕末期では旧来の澱を解決できなかったとするよりか解消の始まりで、それが大政奉還から憲法制定
の流れで完全解消されて近代日本が完成し、大日本帝国軍が登場するという段階的過程で理解したい
ところだな。というよりかは江戸時代そのものに対する一般的な後進的評価にもちょっと無理がある。
「鎖国」の実態にしかり、人材登用の実態にしかり。むしろ時代を前進させていた感のほうが強い。

610:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 07:05:29.48 Cyg3Sh84O
大鳥スレにも遊びに来てください
過疎ってます

611:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/04 21:51:40.46 bbO7VpDI0
大鳥と板垣の日光戦は戊辰の見所の一つだと思うんだが
なんで人気ないんだろうな。

>>609
鳥羽伏見に出征した陸軍奉行並の高力主計頭にしろ大久保主膳にしろ、
長崎奉行勤めてたり京都町奉行勤めてたり、他も勘定奉行とか奏者番とか譜代とかなわけで
役職の格はここにも影響していたと思われ。
合原猪三郎は色んな意味で異色だがw
歩兵奉行並からは鳥羽伏見以前の経歴が分からないので、この辺は
実力主義なのかなと思うが、俺が不勉強なだけかも知れない。
歩兵頭は大鳥がなってたぐらいだから、旗本縛りはあっても実力主義だと思うけど。

人事という点での改革で困難を齎したのは、改革範囲や規模の広大さというよりも、
既得権益層の膨大さだろう。
それらを背負いながらも兵賦令施策まで漕ぎ着けた幕府の努力は評価する。

612:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/04 23:08:56.12 RFQAlUYc0
旧幕府陸軍と会津軍が協同して起こした、宇都宮城の戦いと今市の戦いは、
会津軍が江戸開城以後、東北戦争以前から
関東や越後で新政府と戦っていたことを示す事例なので、

「会津は恭順していたのに、卑怯な薩長が恭順する会津に無理に戦いを仕掛けたのだ、あぁ卑怯なり薩長」という
中村彰彦や星亮一、会津若松関係の小説や論説、地元の歴史解説おばさんの主張を粉砕してしまう。

だから彼らはスルーする。絶対に語らない。
語る人が少ないから、話題にならない。

613:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/04 23:20:50.20 62fuz18D0
まあ食うための嘘だからな。
山口県側が訴訟をするまでは嘘を辞めないでしょう。

614:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/04 23:52:00.38 5jTSJl9N0
>>600
> 利権を守ろうとする連中に殺されて

いや、同じ水戸藩内の攘夷派だろ?


615:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/04 23:53:44.40 5jTSJl9N0
>>612
そもそも会桑が阿呆じゃなければ、
慶喜は新政府で力を発揮していただろう。

616:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 09:29:20.12 I6xjYO/SP
松田の心筋梗塞も会津のせい

617:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 09:39:37.66 bcZOwXdCO
>>616
その手に乗るか

618:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 10:59:00.30 nicRmpGb0
>>614
慶喜は開明派の側近が三人連続して殺されたからな。
生きてりゃ、もっとうまくいっていたはずだけどな。
水戸の尊攘派は、気に入らない奴は排除しといて、
列侯会議では何の役にもたたないしな。

619:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 19:38:58.28 3LdVMiguO
>>612
白虎隊の再放送を見て
日光戦とか板垣との戦いとか、サックリ場面でやってたが
会津はお世辞にも恭順じゃなかったぞ
でも薩長は卑怯だ

620:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 20:35:17.79 YnxvYeqb0
>>619
もまえみたいな低脳国賊がいるから、天がお怒りになって、天変地異続きになるんだよ

今後は、

「私が今日あるのは薩長の志士様たちのおかげです。
私たちを搾取と保身しか脳のないエセ武士どもから解放していただいて誠にありがとうございます。
このご恩は一生忘れません」

と毎日感謝の祈りを捧げて感謝の心を持って生きろ!

さすれば、少しは天変地異も収まるであろう。

621:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 13:54:27.23 5z8WbHfK0
>>614,618
原市之進殺した鈴木豊太郎・依田雄太郎ってググっても
幕臣とか同僚としか出て来ないんだが、水戸藩士なん?
原を暗殺する時、水戸藩士と名乗って面会を求めたってのはあった。

622:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 14:27:33.18 oCc+FbZ5O
>>620
バーカ

623:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 15:17:03.96 JbZUnlE80
>>621
水戸本陣のあった本圀寺駐屯遊撃隊士と名乗ったのだったか。
二人共、微禄の幕臣だな。

624:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 15:35:03.63 5z8WbHfK0
>>623
成程、ありがとう。

625:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/16 23:30:42.17 L4qdmEAC0
土方歳三の銅像など、新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
その境内や参道で銘菓「高幡まんじゅうを」売っている「松盛堂」は
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行がオーナーの創価企業です。
こいつは自分のHPで創価学会名誉会長の池田大作や戸田城聖二代目会長のことばや、
聖教新聞のコラム欄「寸鉄」を紹介するような、政教一体の学会市議です。
邪教のはずの不動尊で商売をする恥知らずな創価学会員です。

URLリンク(www.e-giin.net)
URLリンク(www.syoseido.co.jp)


626:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/17 21:34:46.25 5SCqVatB0
URLリンク(mihaeru.syakuhati.com)

627:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/01 00:03:49.79 VeNdlK9Y0
幕臣の平岡を殺したのは水戸藩士
水戸藩士の原を殺したのは幕臣

慶喜の人脈の複雑さがわかる。


628:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/05 19:47:11.64 o1GhPpO+0
清河八郎を無くした新撰組などもはやただのゴロツキ

629:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/05 21:49:12.71 u404Vb+80
>>609
天保改革の幕府と諸般の違いは確かに組織の大小に求められると思うけれど
文久、慶応の差は思想の差だと思う。幕府は徳川、譜代、家格と前提にしなければ
いけないものが多すぎる。翻って討幕派は現状を否定して天皇以外に関しては
フリーにできる。これだと改革のスピードに差が出るのは必然だ。

630:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/05 22:54:07.63 /CSH3ukW0
その天皇を御輿にしたのが後の禍根となるんだよなあ。

631:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/06 15:58:19.70 FjAsOiWI0
成功した改革がクローズアップされる陰で、失敗した藩政改革も山のようにある訳で。
一概に図体のせいだけとも言い切れない。

天保の改革の時も、譜代旗本が大反発した上知令が
水野失脚の原因ですしおすし。
反発する守旧派や利害が対立する関係者、それにそれを利用する政敵を
如何にして押さえられるか或いは排除できるかが、改革の成否の普遍的な鍵。
まぁ組織の図体がでかくなるにつれて、それらの反改革派の総量も増える訳だがw

632:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/06 18:17:37.06 RG5Y7Ju00
結局新政府も武士階級の特権なくすには、
最初に幕府倒して、次に西南の役その他、
武力で抑えるしかなかったしな。
二回に分けられたのが新政府としては良かった。

まず敵で次に身内という順序も良かった。
幕府は長州征伐で長州やっつけられていたらよかったが、
身内の旗本が不甲斐なくて無理だった。

633:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 06:01:56.59 2SG/DBtP0
>>632
武士の特権というよりも既存の身分制度そのものが消滅する過程で、
討幕運動から西南戦争までの動きが意味を成したっていうのならわからんでもない。
というか江戸時代そのものが常に身分を大きく変化させていた時代だったし。
単に身分絡みの政策っていうなら幕藩体制が200年でやってきた仕事の方が、
明治維新という歴史的画期に与えた影響は明治新政府と比較して大きなものがあるし、
後々の時代に対する影響力も良い意味でも悪い意味でも根深いものがあるね。

634:井戸魔神F ◆Tny1JrNujM
11/09/07 06:21:05.01 07D12CJl0
リストラストサムライ

635:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 21:31:04.44 Rw17wDZZ0
権力者が世襲で政権交代の方法が無い(江戸時代)<<<<<<合法的に政権交代が可能になる(明治時代)

636:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 23:26:19.02 8dCH1BZK0
>>633
松平春嶽まで複雑化の一途じゃないか。
幕末までに身分制度をなくす方向の大きな政策ってなんだよ。
武家官位とかもうアホかと。



637:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:32:53.71 bD8909PO0
>>63

江戸時代は身分がガチガチに固定されてた印象が強いけど案外そうでもなかったりする。
庶民が様々な手段で士分に「身上り」することや、その逆という現象が盛んに起きた。
具体的方法として試験、養子入り、身分売買なんかがある。

武士社会でも特定の人物や血筋が特定の役職にいつまでも居座ることはそう多くない。
江戸時代には江戸時代なりの能力主義社会があった。

そして幕府や藩は時代が進むにつれて身分間移動について政策として整備していった。

そうした政策が士農工商の垂直化ではなく横列化の身分意識を逞しくさせた。
軍事改革で庶民を大量に士分や武家奉公人として取り立てるようになった幕末はその極みだった。
まさしく武士の特権だった軍事すらも実質そうではなくなった。

そういうプロセスがあって明治時代の新たな統治組織と族籍編入という身分制度の確立がある。
江戸時代を完全否定して明治時代が成立したというより江戸時代の延長線上に明治時代がある、
って認識のほうが妥当だろうし、近代以降も身分制度は存続する。

638:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:40:46.16 bD8909PO0
すまん>>63>>636の誤り

まあ身分にしても明治時代と江戸時代の比較議論は色々あるけど
何故江戸時代が終焉を迎えたかについて語るのもいいけど、
何故江戸時代が260年以上も存続しえたかについて語るのもいいんじゃないかと、
その原因には江戸時代の柔軟な政策や身分意識があったんじゃないかと、
そう思うわけです。


639:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 17:01:52.71 IQJU+8990
政治制度は兎も角、社会慣習や風習はそうポンポン変わるもんじゃないわな。
そういう意味では、江戸も明治も昭和も確かに継続してる。

まーそれはそれとして、身分移動は武士株とかあったし、功によって取り立てられることも
無かった訳ではないが、身分意識はそれこそ幕末も末期にならないと、横列化の兆候すら見出せないのでは。
たとえば板垣なんかは、伝習兵の死者が刺青者ばかりで、士族中心のこちらと比べて
割に合わないと思ったとか吐露してるし、幕府内で重役に就くには、慶応の改革を経て尚
家格が付いて回った。

その武士階級の凋落が、幕末から徴兵制に到るまでの軍制改革にある点には同意。

640:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 18:56:04.67 sN+CYaW80
将軍の顔を見ることが出来た人って何人いるか知ってる?

641:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 21:53:37.43 cZDf3FmV0
慶喜の側用人を勤めた原市之進は譜代でも旗本でもないが重職を担った。
大奥の歳費削減をして旗本のリストラやろうとして殺されたが。

642:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 22:27:19.05 DQbrwJsB0
慶喜の時代は異常だからな。
何しろ将軍が能力主義で選ばれたんだから。
こんな徳川幕府否定はないだろ。

643:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 11:40:20.60 B7xOm3JY0
京都見廻組って何で全然史料残ってないの?
すげー興味あるんだけど、ネットや図書館で調べた程度じゃ組員数十人の名前くらいしかわからん
結成から鳥羽伏見まで何をしてたか何が起こったか知りたいんだけどなぁ


644:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 14:51:18.26 g7cgmFyQ0
>>643
見廻組だけを調べるような人は殆どいないからなぁ・・・・。

存在自体は武装警察でそれ以上でもそれ以下でもないからか、
特別に単体で調べようっていう研究者は少ないのが現状だし。
それだけに関係史料が注目されたりすることはないようだね。

とりあえずだが『続徳川実紀』にあたってみたらどうよ?
京都見廻組にどれだけ記述を割いているかは知らないけど
江戸幕府の公式記録だし先ず調べるならこれでいいだろう。
超分厚いが索引から探せばそんなに手間はかから無いしね。

大きなところでの組織や隊士個人の動きは把握できそうだ。

645:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 18:06:38.74 B7xOm3JY0
>>644
ありがとう調べてみるわ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/21 23:40:03.42 wtlU9ixc0
見廻組ってそんなに資料ないの?
有志が集まっただけの戦闘部隊じゃなくて
京都守護職配下の治安部隊なんだから公式記録ぐらい残っていそうだが。

647:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 00:15:09.26 aWoS7jBW0
>>644が書いてくれてるけど、関連の史料自体は探せば見つかるけども、
研究が少なくて全体的に多いか少ないかも把握されてないのが現状だな。

例えばあの新選組にしたって学者から郷土史家や歴史作家まで動員して
今じゃかなりのことが分かってるけど時代劇で人気になる数十年前まで
今の見廻組を取り巻く状況と似たようなもんだったって印象があるし。

史料ないっていうより史料を見つける人がいないというのが正確かもね。

648:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 00:28:58.88 aWoS7jBW0
確認したら菊地明って人がニ、三冊見廻組で本を書いてるね。
新選組スレ覗くとどうやら評判は悪い人みたいだけんど(笑)

649:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 13:25:01.40 +sEInQyE0
URLリンク(heartland.geocities.jp)

とりあえずこんなもん?

650:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 14:42:08.90 k8cY/REe0
>>694
やっぱり大抵の本では新選組のおまけみたいな扱いなんだなぁ

651:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 17:57:07.86 XHCTP4ur0
新選組はトップが死んだからある程度決着ついてるけど、
見廻組は明治に入っても隠遁生活の人が結構多いんじゃないの?
難癖付けられて罪に問われかねないからね。

652:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 01:50:17.44 nfWsNLfH0
確か、慶応4年正月以前の件は不問の達しがあったはずだから公的には問題なかったと
只、斎藤・永倉あたりの「メジャー」な隊士は変名して様子を伺いながらの生活だったと

「マイナー」以下はねw・・・

要は、そいつが「隊士」だったどうか「知っている」人物如何だったと

653:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 01:13:33.17 CFAUFDq10
>>652
政府方針としては幕末のことは不問にする方向でいきますよってだけだけどな。
法務は当然ながら日本全国の封建領主任せだった。

廃藩置県までは藩単位で幕末当時の政敵へのしっぺ返しは盛んに行われていたし、
以後も明治十年前後まで個人レベルでの殺傷や圧力といった復讐事件は相次いだ。

単純に元見廻組だとか元新撰組って理由で罰せられることは殆どないだろうけど、
役職や知名度の高低によらずとも生きづらさ感じるひとの割合は見廻組や新撰組に
かつて在籍してた人間には多かっただろうな。仕事が仕事だけに。

654:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 09:16:54.03 yDZgIrMj0
その辺、一番陰惨だったのはおそらく水戸藩だろうなぁw

655:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 20:14:39.05 1VzImNAW0
旧土佐藩士の山本旗郎が故水戸藩士の住谷寅之助の遺児達に
斬殺される事件があだ討ち禁止令が出るきっかけになったとか

656:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 21:59:58.25 j7xk4o3g0
仙台藩でも戊辰戦争後に優秀な佐幕派の人材が斬られたからな。
あの藩は倒幕派よりも佐幕派の諸士のほうが断然実力あるのに。

よく戊辰戦争中の対応が諸藩の維新後の存在感を決めたというが
本当に重要なのは戊辰戦争後にどれだけ上手いこと人材を温存し
機をみて活用できたかってことだろうなぁ。

657:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 22:29:40.24 2CTe45qV0
鹿児島県や山口県なんかは中央へ人材を送り込んで逆に寂れたよな

658:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 01:50:57.79 toqJWDla0
>>656
長州藩は禁門の変と内乱で多く喪失したけど、ぽこぽこ出てきていたから
単純に仙台藩の人材が少なかっただけじゃないの。
土佐藩でも藩内粛清で多くの人材を失っているし。

659:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 21:53:33.88 GdiYQlBU0
西郷隆盛や木戸孝允みたいな人材はどこの藩にもいたとは言い難いけど
各郷土史を確認する限り全国諸藩に各々人材は存在したことが分かるし
特に薩長土に人材が偏っていたということは無かったんじゃないかな。

歴史作家はよく西日本のしかも一部の雄藩を主人公にドンパチを書いて
読者もそっちのほうが読んでて面白いもんだからそれすなわち幕末史と
考えがちだけど実際は藩の数だけ人材がいれば歴史もあったわけだし。

地元の大学教授や郷土史家さんが頑張って研究したとしても掲載されるのは
多く入手方法が限定的な雑誌に限られるし現状は無理もないとは思うけど。
実態はともかく「その他」の藩の掘り下げた研究が少ない印象は受けるね。

660:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 23:35:58.39 toqJWDla0
適塾の塾生の出身地も山口県が一番多いから、
長州藩には特に人材を生み出す背景があったと思うよ。

661:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 23:52:23.35 0ZkVeNFJ0
元々有力大名だった毛利家に使える人達が
関ヶ原で西軍が負け、毛利領が減らされてしまって
あの田舎の一角にギュギュギュと押し込められてたってのもあるよ
江の実況スレでも話題になってたけど、徳川側から見たら
家康が天下を取った後、もっと懐柔するなり潰すなり
毛利家の処遇によっては違った結果になったかもしれない

662:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 02:30:07.38 8J5jLtKC0
懐柔はしていたつもりだったと思うよw吉川家でさ
大名にしたはいいけど、毛利側からはずっと分家・支藩扱い
で、毛利家宗家・分家で「仲が悪かった」
毛利家「内部」にて身内参勤交代とかねwww
結局、幕末宗家が「相次いで」亡くなったったため
等々本流血筋がなくなってしまったとか(元就長男系)
支藩からの刺客に狙われたとかなんとかwww



663:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 14:53:11.42 Q4pbjEH70
薩長に人材が偏っていたなどと言う事実は断じてない
慶喜が政争に勝利していたら原が今ごろ大河ドラマになっていたはずw
西郷も諸藩の貢士クラスに惚れ込んでいるし、
大久保の幕臣不信が直った後は幕臣の大量採用。西南戦争からは軍人登用
江藤の司法省は比較的軽視されていたから、明法寮の学校に朝敵諸藩が大量に入ってる
佐賀も大隈、江藤、副島、大木など優秀な人材を輩出している

実務家レベルでは薩長以外のほうがはるかに多い


664:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 15:04:35.13 Q4pbjEH70
鳥羽伏見に関しても決定的な敗因は緒戦。
大山柏が現場指揮官の優劣を挙げているが、それ以前の問題として
慶喜は平和的上洛を予定していたため戦闘に移れる態勢で行軍していなかった
さらに戦闘開始後は混乱して散開が上手くできなかったようだ
劣勢なった所へ翌日、窪田鎮章、佐久間信久のような忠実勇猛な連隊長クラスが前線で督戦し、
薩長側の(おそらくは)狙撃対象になって指揮官を失ったことが大きい。
彼らが前線で督戦せざるを得なかった状況を考えると、初日の戦闘になるまいと言う楽観が大きい

665:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 19:02:40.54 F/0C1LAM0
まー一口に人材っつっても、色んなのがいる訳で。
単に人材って括りで多い少ないを論じるのは不毛だと思うが。

>>664
その点については大山柏も、京側の作戦書と大坂側の軍配書を比較して、
軍配書には戦術的な着眼点しかなく視野が狭いとか批判してたような。
現場指揮官ってか司令部クラスの問題だな。

666:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 20:36:46.88 kC04odbc0
色んなのがいるけど薩長は藩力?に見合った程度の人材しかないよ
あとは政治化するか。ずば抜けてたのは旧天領・幕臣系、それと肥前かな

667:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 23:15:26.58 mtaBKbjQ0
>>666
? 意味がよくわからん
人材ってのは実務家っていう意味か?

668:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 12:26:04.83 wg00ejX8O
そのずば抜けていた人材をもってしても、たいした人材のいない薩長に負けちゃうんですね
やはり幕府は滅びてよかった、続いていたら更なる人材の飼い殺しが発生していた

669:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 15:57:38.52 mtQOJKjJ0
一口に人材っつっても、政治家もいりゃ軍人もいるし行政家もいれば思想家に科学者に実業家もいる。
属した組織によって世に出る機会も違うし質も違う、志半ばで横死した人は高く評価される傾向もある。
どこが多いよー少ないよーなんて評論は無意味だろ。

670:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 22:02:20.91 MoQy4fOZ0
もし吉田稔麿が生きて明治維新を迎え、本当に日本国初代総理大臣に就任していたら、大日本帝国はもっといい国になっていましたか?

671:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:39:30.69 solDD+t90
人材うんぬんで言えば幕臣や天領出身者が優秀だったのは当たり前
留守政府や西郷下野の前後からは奥羽諸藩出身者や旧幕臣の大量採用が続いている
>>668
鳥羽伏見の戦闘初日までは慶喜が優位だったんだが…
家近良樹は鳥羽伏見の戦いを「一か八かの大博打」
「9回裏の逆転満塁ホームラン」とさえ評している

672:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:42:53.53 6VhGdrlD0
幕臣に優秀な奴がいても幕藩体制じゃ能力発揮できないんだから意味なし

673:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:52:00.61 solDD+t90
>>669
ただ幕末に関して言えば万能型が多いのも事実だよ。

674:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:54:05.64 solDD+t90
>>672
いや、幕末にはかなり流動性が高くなっている。薩摩はどうか知らないが

675:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 07:38:31.06 e/bp7+Fc0
江戸社会は柔軟な人事登用のシステムが存在したようだね。
あれだけ長く政権を維持できた理由や明治社会の前提としての
江戸時代に対する理解も必要だろうな。

>>672
幕府はおろか諸藩も残らず幕藩体制を形成する一部である件
仮に幕藩体制が秀才の能力が発揮できない仕組みだったとすると
日本全国どこも同じになるな。
幕臣が特別能力を発揮できない状況にあったなんてことはない。

676:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 11:14:09.17 B1ZPEqBu0
新選組は尊攘派のテロから御所と京都市民を守った功労者。
断じて朝敵ではない。

677:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 11:32:35.07 j4PRiQMQO
新撰組はテロ計画をでっちあげて浪士だけでない正規の藩士も虐殺し、
長州人をいぶり出すために火をつけて京都の町を火の海にした。
朝敵ではないが京都の民の敵。

678:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 12:18:50.48 +dTNbKmM0
幕藩体制化では基本的に幕臣も藩士もお役目は世襲だろ。
ただし体制を維持するために、算用方などの実務・技術職は
能力が高い者を他のお役目の家から養子にとったり、
他の身分から登用したりということが多くなっていった。
それは幕府でも、諸藩でも同じことかと。
その程度は藩によって差があったろうし、
そこから上へいけるかはまた別の問題だったろうが。
特に幕府は、全国規模で大掛かりな事務を行う必要もあったから
そういう人材は常に求められていただろうね。

そこから一歩踏み出して、真の実力主義に行かねばとなったとき、
図体が大きい幕府よりも、諸藩のほうがいくらか小回りがきいて
登用を進めやすかったってのはあるんだろうな。
もっとも、薩摩にしろ長州にしろ、本当に改革が進むのは
薩英戦争やら攘夷戦やらを経たのちなんじゃね?
それ以前は、身分意識が邪魔をして兵制改革もままならなかった。
武士が足軽みたいに鉄砲なんざ持てるか!ってぐあい。
加賀藩なんかは、算用者優遇という実力主義の萌芽はあったのに、
結局それどまりだったって感じだし。
要は、組織内でどこまで危機感が共有できるかってことなのかな。
トップが危機感持ってても、それだけじゃ案外うまく進まない。

679:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 12:46:06.33 SqxLv+4+0
>>676
京都を守るどころか逆に京都のどんどん焼けの犯人じゃないか

680:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 14:02:17.97 fgWXyPq+0
新撰組は日本史板の新撰組スレで佐藤彦五郎や多摩農兵隊との関わりが論じられてるが、
もし多摩の郷村指導層の後援を重視するなら新撰組の位置づけは「志士集団」と言うだけでなく、
結果的に体制側についた民衆の武装として理解されるのかも知れない
武州一揆は面白いね。個人的には沖田林太郎が義弟の総司を置いて江戸に帰ったことから、
やはり京に残るのは邪道で、試衛館一派が新撰組中核を形成するのは必然だったように思えてきた

>>678
幕臣は新規召し抱えから中堅に上り詰めるルートが広い。渋沢兄弟、大鳥、福沢、古屋などは一代。
勝、榎本も御家人株を買った新参者。天領は藩領に比べて搾取が少なく、百姓町人層の意識も高かった
図体が大きいというより、今でも京浜・阪神と言った都市圏やその周辺部のほうが
就学機会や就労機会が多いし、海外情報にも敏感でしょ?それと同じ
諸藩のほうが壁が大きかったのは確か。長州は対外・対内戦争を経験したから軽輩からもじゃんじゃん上に行ったが、
それは長州の先進性と言うより、危機に直面して階級間の移動制限が打ち破られたことが大きいと思う
それでも長州はまだ百姓と、村塾系の連中の間に一線を画してる感じなんだけど…

681:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 14:10:35.14 fgWXyPq+0
武州一揆の起きたエリアも横浜と水運で繋がってるから養蚕農家は情報が素早く入手できたし、
投機的な取引も行ってる。結構驚いたのが、レフ・メチニコフが来日ほどない時期に春日部?の大きい民家を訪れた際、
ピョートル大帝とエカチェリーナ女帝の肖像画が飾られていて、女将がそれを説明してみせたと言う部分。
いかに幕末維新期の天領住民が、海外に関心が高かったかうかがわせる。

682:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 15:15:07.32 /QxplIhL0
>>674
流動性高いっつっても、たとえば軍制なんかを見ると、やっぱ役職の家格が定められてるのがな。
部隊長クラスの歩兵頭並辺りでは、大鳥とかいるんだけれども。
これでもトップをお飾りにして、周りは能力主義って形ならとりあえず上手く回ったかもしれないが、
実際は第二次征長や鳥羽伏見なんかの通り、家格だけで権力握った様な連中が軍司令官クラスを
独占してたのが致命的だった。

新しい将軍様が家来ごっそり連れてきたとかは吉宗の時にもやってるが、
まー時節が悪かったな。原市之進は勿体無い。

>>678
長州藩については、毛利敬親に村田清風が抜擢された天保期の頃には、
下の若い藩士が藩の行政を任されるようなシステムになってた。この辺詳しい論文があった筈。
山内容堂が逆さ瓢箪の絵を描いて、長州はこれだ、とからかったってのはこれが背景にある。
このエピソードは、勅使を奉じて毛利定広が江戸に下った頃の話だったかな。

薩摩藩は精忠組の地位上昇とかあるが、これは大久保の手腕という気もするw
城下士と外城士の区別は厳しくて、鳥羽伏見の会議だかで城下士の部隊長と平等に扱われたと
外城士の部隊長が感激してる手紙があったと思う。野口武彦の本だったかな?

683:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:22:37.96 B1ZPEqBu0
京都を焼き払って天皇を長州に拉致する計画を実現一歩手前で
阻止した新選組の功績は大きい。逆恨みして御所に大砲を
ぶちこんだ長州はクズ。

684:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:24:43.26 SqxLv+4+0
>>683
でっちあげの証言以外に証拠がない。古高の準備した武装は会津藩兵を相手にするには微妙すぎる。

685:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:35:45.29 v+/edl030
一部の幕臣がクローズアップされるが
大多数の幕臣は経済的に疲弊して軍事的には役立たず
財政的には穀潰しだったからなー
結局こいつらをリストラできたのは明治になってから

686:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 09:40:41.16 uvEFayYx0
蘭医坪井信良は黒船来航直後に書いた手紙のなかで
西洋銃砲の操作テストを番方(武官)に課したら殆ど使える人間いなかったとか
危機感は幕臣より田舎の諸藩のほうが高いって状況を伝えてるが、
実際のところ知識人にとってはなんとなく幕府軍団の限界が見えてたんだろうな。

結局、幕府は既存の軍事力を近世軍団から近代軍団へ再編成せざるを得なくなり
都市で集めた歩兵、幕領の農兵、浪士の新選組ら武士以外の連中に多くを頼りだす。
しかし、これって幕府のみならずそのまま他の諸藩にも当てはまる現象だよな。
全国の封建領主が軍事的財政的に抱えた根本的問題は同質だった。

幕臣は幕臣、諸藩士は諸藩士と個別に考えちゃうと何だが分かり辛いが
武士自体の解体への動きとして幕末維新史を眺めるとかなりクリアな理解が得られる。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 23:35:49.60 OfFPK6930
いや幕臣と一括りにしてしまうから分からないのであって…
それと天領では搾取率が低く、百姓の権利意識も高く、「出来れば天領に代わりたいものだ」
などと百姓が放言しているのを聞いて渡辺崋山が呆れているから、
旗本御家人の困窮は甚だしいものがあった。日々の暮らしに追われたら軍事どころじゃないよ

688:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 23:38:21.62 OfFPK6930
>>682
ただそれでも諸隊結成の際は百姓と、士分との間に厳然とした区別があったよ

689:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 00:44:49.78 QLpvYxfO0
新撰組と見廻組とは、仲は悪かったのでしょうか??
実際、京都の町や店などで平隊士同士が、遭遇した時とかは
どんな感じだったのでしょうか。


690:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 02:29:22.65 k16FPr/80
>>688
んや、俺が書いたのは士分の中で若手や軽輩の有能なのに行政の仕切りを任せる
システムがあったってことで、士分の農民の区別がなかったってことではないよ。
そういう意味では余り関係ないレスだったかw
医者とか商人とかの教養層が養子縁組なんかで士分になったりするのは、全国的に珍しくなかっただろうし。
あの薩摩ですら、精忠組とかにそういう人がいたしなw

諸隊結成の際がどのタイミングか分からんが、禁門の変で奮戦した遊撃隊の軍監
所郁太郎は医者じゃなかったかな。
奇兵隊も、高杉が教法寺事件の責任とって失脚したあと、赤根武人や山縣有朋が
隊士を全員士分格にするよう活動してそうなったんじゃなかったっけ。
ただ藩全体で見ると身分意識も当然残ってて、教法寺事件なんかそれだね。
その辺の意識が抜本的に覆された要因としては、下関戦争と並んで、正義党のクーデターで
撰鋒組が見事に敗退した辺りの影響も大きいと思われ。
干城隊結成の時なんか、後者を意識しまくってる。
あと藩校の明倫館も元々は身分に厳しかったんだが、あの世良修蔵が17の頃には
豪農の子のままでも入学できたらしい。

691:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 06:32:59.04 Ullf75fc0
>>689
上役同志は仲が良かった・・・かまでは解らないが、それなりに交流はあった模様
がしかし、それ以外の平隊士レベルでは仲が悪かったとの事

理由としては、見廻連中は殆どが「幕臣」であったから等々

見廻隊士の一人が薩摩に通じているとの事で、時の見廻役、蒔田と組隊士
それと新選組から土方と数人が捕縛に加わった

後に役を降りた蒔田は土方と手紙のやりとり等あって親睦を高めたとか



692:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 18:42:20.53 QLpvYxfO0
なるほど。
新撰組の全盛期、池田屋事件の前後さすがに見廻組も後塵を
拝したことでしょうね。
ある本には、佐々木只三郎は全盛期の新撰組を羨望の眼差しで
みてたと書いてましたよ。

693:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 20:56:12.97 Ullf75fc0
佐々木「ほど」のモノであれば「上」に役ってのがいる事が厄介だったに思うね
でしかも周りが幕臣なやつらが殆ど
変にプライドが高いであろう輩には、実力よりは「格」で言い聞かせる他はなかったに思う
故に、最初は役というのが目障りであろうが「必要」ではあった

が、そうこうしている内にその役とやらも入れ替わり立ち替わり
一方で新選組という「格下」が成果を上げている
佐々木はこの状況を喜んだに思う

・・・さて俺の出番だと

694:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 22:15:26.89 QLpvYxfO0
見廻組とは読んで字のごとく、市中見廻ることが
日課だったと本で読んだことがある。
新撰組とは、まるで中身が違うようなことを書いてたような。

695:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 22:53:57.32 Ullf75fc0
途中まではそれなりの地域が担当だったらしいが
ヘマしでかして新選組となんら変わらない担当エリアになってもうたという話
んでもって、今度は幕府系の別組織とイザコザ起して

更に「地に落ちた」とも言われるww

696:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 23:02:18.65 QLpvYxfO0
勤皇派の浪士や、京の民衆からは、当然新撰組のほうが
段違いに恐れられていたことは事実だったんですね。
ただ、最後は、坂本、中岡をやってるから凄いと思う。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:39:32.01 xC8USfKY0
どうだろねw本当に「やっていれば」の話ですがねw
別段、他の隊にも言える事だけれども
こういう所業ってのは「自ら」唱えても意味が無い
「周り」に唱えられて初めて「評価」が下る
故に、京都時代の新選組は「恐れられていた」と、それくらい「活躍」していたと言える

な、意味で見廻組っていう組織は評価が定まらない
殆どが新選組の「良いどころ取り」状態
江戸に戻り「狙撃隊」と名を変えたはいいが「時既に遅し」状態w

わかります?一歩間違えれば「死一等」が下っても可笑しくない状況で
今井さん、晩年に於ける渡辺さんが「ゲロッ」たわけですよww

「俺らが殺ったんだよ!」と

698:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 07:35:44.50 yScmYbLn0
一会桑政権の京都幕閣が好き勝手に色々とやり始めたことに警戒して
江戸幕閣が治安面での介入を意図して送り込んだ組織が京都見廻組。
余剰幕臣を戦力化して軍事・治安に活用する一環というだけでなく、
東西幕閣のパワーバランス調整の役割も負わされてたと考えられる。

そういう意味で新撰組は京都幕閣側の武装警察隊という立場だから、
江戸幕閣側の武装警察隊である京都見廻組とは当然温度差があるし、
加えて片や有志としての自負、片や幕臣のメンツでつっぱりあって、
現場レベルで衝突する状況も容易に想定される。

もっとも実質的に見廻組を仕切っていた佐々木只三郎という旗本は、
元々は会津の人間であるからその辺の調整にはベストな人材だった。
新選組との関係でいえば近藤勇らがかつての浪士組における部下で、
彼らの分立を助けた関係もあるから親密でやっぱり都合が良かった。

見廻組と新選組のどっちが優秀だったかって類の話には興味ないけど
両者は政治的出自的には間違いなくライバル関係と呼べるだろうね。
ただ、だからといって犬猿の仲ではなく両者にパイプのある佐々木が
クッションの役割を担って上手いこと良好な関係性が保たれていた、
っというのが実態で仕事の内容や実績もそこまで大きな違いは無い。

699:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 07:50:13.10 ZQGoRH9Y0
新徴組と庄内藩はどうだったんだろうな。前は庄内藩スレもあったのになあ
清河八郎を生んだ土地柄ではあるが酒井家は会津松平家みたいな筋金入りの尊攘ではないでしょ

700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 01:39:40.00 z63ARYMo0
逆に立場・身分の違いで実質的なライバルの構図になりにくかったような気もするけど・・
新撰組の平に関してはどことも仲悪そうなイメージw

701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 06:17:02.74 BM7mVHTG0
>>699
浪士組司令部は元来清河一派と親しい尊攘派幕臣で固められていた。
江戸帰還後の新たな浪士組司令部になった庄内藩はその監察が仕事。
清河らが庄内出身者だったことは当然その配置理由の一つだろうし、
何より江戸幕閣に忠実な尊攘派とは距離がある譜代大名の家だった。

が、突然に庄内藩一任というわけではなく未だ多い尊攘派の配慮から
尊攘派幕臣による司令部も松平主税介以下新徴組支配として残った。
つまり発足当初の新徴組は「幕府+庄内藩-新徴組」という指揮系統。
二重支配のかたちだった。これが庄内藩一任になって新徴組士たちが、
伊賀者次席つまり下級の幕臣から庄内藩の足軽格へ編入される時期は、
京都で起きた8月18日政変をきっかけに尊攘運動が一応落ち着いた
元治元年になってから。

新徴組は地理的にも政治的にも新撰組より江戸幕閣の統御が厳重で
そのために厳粛な警察隊として活躍した代わりに政治活動は無いが
薩摩藩邸焼討事件で活躍し、戊辰戦争の導火線をきったのは彼らで
その立場は池田屋事件で禁門の変の導火線をきった新撰組に重なる。

702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 01:51:56.48 KA1zsubK0
池田屋事件まで起こした新撰組も
薩摩藩だけには、一切手出しはしなかったんだよね。


703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 03:14:43.25 /NeXDAWC0
流石に鳥羽伏見戦争直前には小競り合いがしょっちゅうだったけどな。
井上源三郎の隊が小銃で薩摩藩の一隊を撃ち殺したりしてるし。

704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 04:23:53.46 JiRUhGZA0
衝撃隊(からす組)が面白いわ。関東では博徒は新政府軍に付く事例が目立つけど、
奥羽列藩に付いた博徒ってどういう動機だったんだろうな。あっという間に纏まったようだが

705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 05:34:26.85 woKfRY5w0
>>704
仙台藩の諸隊の一つだよね?
仙台藩は開戦前から庶民を含む「総力戦」の準備を開始しているし
博徒部隊の編制計画もその一環として考えられた可能性が高いね。

各隊員にも郷土防衛やお金と身分の向上など目的があるだろうけど
全国どの諸隊も基本的には軍制改革のなかで編制したものであって
自然発生ではなくて幕府や諸藩の政策あってはじめて形成された。

『仙台市史』に領民を銃卒部隊に編制することを命ずる史料があるが
戦争前夜のタイミングだし衝撃隊もそのなかで編制されんでしょう。
アウトロー相手だし兵卒集めは農商の場合とやや勝手は違ったかも。
親分に直接交渉とかだろうけどコンタクトをとれた人物はだれかとか
色々気になることはあるね。


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