新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊at HISTORY2
新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@├\├\廾□`/
10/09/30 19:02:57 Ym+PNjfO0
うんこうんこうんこうんこ

3:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 21:00:59 akny3QSX0
URLリンク(www.fnn-news.com)

会津で震度4wwwwww

ざまああwww死ね死ね死ねw



4:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 21:17:32 K0afy3Hc0
震度4位では大被害はないよ。
それよりも、嘘をつかなくなるよう、地域性の変化があることを望む。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 23:21:21 dlQsPZcuO
>>4

【地理】福島は東北地方の太平洋側にある大きな島です。島全体でひとつの県「福島県」
を構成しています。
県庁所在地は会津市。県庁は旧・さざえ堂を改築して造られた建築史的にも大変ユニーク
な建物となっております。

【歴史】福島県の前身である会津藩は幕末にペリー提督率いるアメリカ海軍と戦いました。
これが「会津戦争」です。
その際白人に変装してアメリカ海軍の黒船に侵入、猛虎のような活躍をした忍者部隊は
のちに「白虎隊」と呼ばれることになります。(後略)

  「うつくしま・ふくしま」福島県庁観光課HPより

6:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/02 19:20:30 k58iGBEtO
新撰組
野蛮な浪人集団。1人を集団で襲う戦法。
会津藩や一橋と並んで、京の町で嫌われてた。
近藤派と芹沢派の内ゲバは会津藩が受理。

白虎隊
元服を終えた青年部隊。会津戦争では
約300人中、ほぼ全体が篭城していた。
戦死者は約20名。飯盛山の自刃は
老人1名の証言しかなく、確証はない。
飯盛山で自刃してる所を発見した者の証言はない。
遺体を埋葬しようとして咎められた庄屋の証言と
新政府から金銭を頂戴して、遺体を埋葬した
会津藩士・伴百悦の手記に食い違いがある。

見廻組
会津観光史学で新撰組がフューチャーされ過ぎて影が薄い。

彰義隊
徳川幕府が降伏したのに、追随せず大暴れ。
無駄な戦闘を開始させた。

7:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/05 21:36:45 3fxJU8sHO
おいおい見廻り組をこんな雑魚共と一緒くたにするなよ

8:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/07 12:57:43 K69RgAPM0
佐幕派諸隊を扱うなら新徴組・新整組が抜けて
るのはおかしいだろよ。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/08 01:10:43 Uyz/UKU50
>>5
幕末、外国の艦隊と攘夷戦争をしたことがある薩長がよっぽどうらやましいんだなw

10:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/09 15:11:17 tpCCgI1OO
新撰組てえらい人気だけど、正直この人達って凄いのか?

11:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 15:14:39 65nf4OVL0
凄いの基準は何なんだ?

例:剣の腕が凄いのは千葉周作で、凄くないのは西郷隆盛。
  政治が上手いのは大久保利通で、凄くないのは西郷隆盛。
  では、西郷隆盛は愚人なのかといえば、そうじゃないだろう。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 15:51:27 87/fasyhO
うーん…何て言うか。えらいメディアとかでちやほやされてるから、それにかなう実績とかあるのかなって

13:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 16:22:47 nTi23sblO
作家が創作で格好よく描いただけだよ。
壬生狼って本当は悪口だからね。
京で本当に人気があったのは長州藩。
徳川幕府や一橋、会津・新撰組は嫌われていたんだよ。
それをアンチ長州の会津系作家や司馬が
長州=過激と位置付けて、悪い奴みたいに描いたのさ。
司馬は人気作家だし、会津系作家は異常なまでに出版するし
わざわざ会まで作って活動してる。

幕末史に長けた人なら、長州を悪くは言わない。
会津を持ち上げ、長州を下げる人は、小説・ドラマ・作家の主観本を
史料だと鵜呑みしてるニワカだよ。

14:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 16:30:00 N5oZh8Iq0
>>1
>政治が上手いのは大久保利通

?????
木戸と西郷が参議内閣から引っ込んだら、残るは大久保しかいないんだから、
政治が上手いとか言えない。

幕末の朝廷工作でも、
薩摩(最大の雄藩)と近衛家(公家筆頭)の後ろ盾がありながら、
上手く持っていけず、結局、薩長同盟なんだしさ。

15:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 16:33:30 N5oZh8Iq0
>>13
だよね。激しく同意。

いくら小説と言っても、実在の人物使って、あんな名誉毀損的な歴史改竄は、
国賊指定された上、刑罰を科されるべきだと思う。

16:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 17:50:32 7Xk7kAEm0
何が「凄い」のか何が「実績」なのか。テレビ・雑誌
などの知識をメインにする一般人と、専門的学術書・
論文の知識をメインにする学者・学生では大きく認識
が違うように、結局は取り上げられる環境次第でどう
とでも変わってくるし。
ま、メディアは「江戸を中心とした東日本の浪士・草
奔層に立身出世・政治参与の貴重な機会を提供し、そ
の活動を活性化させた画期的な有志結合組織」なんて
切り口でピックアップするより、「かっこいい若い兄
ちゃんの群像劇」みたいな切り口で一般大衆に売りこ
んだほうが金になるから、後者を重点的に喧伝するわ
な。
んで、そういうメディアに踊らされて新撰組を「時代
に殉じた英雄」か「時代遅れの人斬り集団」かで対立
してるような世間の議論は、正直的外れもいいところ
ってのが学問としての歴史に通じた人々の評価。学問
的にはもっと注目すべきところはあるだろうってこと
だろう。ただ、それが一般大衆の暇つぶしになるよう
な内容かといえば必ずしもそうではない。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 23:21:01 65nf4OVL0
>>14
だから比較する基準は何なんだよって言っているのw

>木戸と西郷が参議内閣から引っ込んだら、残るは大久保しかいないんだから政治が上手いとか言えない。

なんで木戸と西鄕が内閣から退くと大久保しか残らないのかわからんw。
板垣退助とかもいる。板垣の方が大久保より政治が上手かったのか?。
板垣でなくてもいいよw。判断基準示してくれw。

俺が求めているのは”判断する基準”たとえばこんな事も言える。

池にいるミジンコは、同種生物とは争わない。
大久保利通は、同種の人間である政敵達と政治的に争い、蹴落として実権を握った。
だから大久保とミジンコを比べた場合、ミジンコの方が優れているw。

とかなw。これは基準をミジンコにした無茶苦茶な一例だが、こういう基準を示さないと比べられないだろうw。
それと、君は一つ勘違いしている。俺は一例として「西鄕を基準に大久保を評価した」訳だが、この場合の比較対象はこの二人だけ。
政権から西鄕が退いたら大久保しか残らなかったと君は言うが、全然関係無い。
幕末の討幕運動における朝廷工作、王政復古、明治政府建設と西鄕と大久保の二人を比べた場合、
西鄕はカリスマであり決断力もあったが、政治的な調整、工作はダントツで大久保だろw。
この比較には、西鄕と大久保の二人の政治力のみを論じており、その他の要素は一切関係無いよw。



18:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/10 23:39:14 z3yfPojn0
>>17
じゃ、

西郷隆盛=小沢一郎
大久保利通=藤井裕久


みたいだと言ってるわけだねw
民主党に取り入った自由党の手練手管は凄かったよ、ホント
民有合併時だけでさえ3億円だまし取ってるからね
そこからつい最近まで汚沢ファシズムの世界だったからね

゚(゚^▽^゚)゜。 ブヒャヒャヒャヒャヒャ

19:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 07:24:29 0DQmpaYY0
>>18
お前バカだろ
比較基準を言えと言っているの

俺がいつ「西郷隆盛=小沢一郎 」とか「大久保利通=藤井裕久」と言ったんだよw
君がそう思っている厨房バカなら、それはそれでいいけどなw

20:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 12:49:56 tlf0p5d1O
>>10
もともと野蛮な連中だが、池田屋事件からまさに幕府の犬で百害あって一利なし。
ただ新選組だろうが薩長だろうが、志は高かったというのも忘れてはいかん。
現代人が見習うべきことがたくさんある。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 15:08:20 1TYwZmQ5O
新撰組の志って何?

22:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 16:23:35 nvA2owSd0
勤王派は馬鹿の一つ覚えで「攘夷」と言いながら、
自分達が政権獲ったら手の平返して「開国」に早変わりして諸外国のご機嫌伺い。

社会党が「日米安保反対」「自衛隊反対」「消費税廃止」と馬鹿の一つ覚えを
言いながら、政権獲ったら全て自民党政治の踏襲したのとそっくり。

口先だけの卑怯な勤王派や社会党より、現実を見つめていた新撰組や自民党の方が
はるかに正しかったね。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 22:23:57 13FBo1nD0
>>22
薩長はもともと開国派。
日本の昭和戦後の歴史学者とNHKが低脳と歴史改竄キ●ガイばっかりなだけ。

薩摩橋まず斉彬の頃から露骨に開国派だし、長州は1853年から吉田松陰・桂小五郎・高杉晋作・井上馨・伊藤博文・・・と露骨に開国派。

薩長は、つまり、尊王攘夷開国派なわけ。

対する幕府は、屈服開港鎖国派なわけ(諸藩には鎖国の禁を科したまま)。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 23:06:05 aGB1035x0
新撰組は嫌いじゃないけど・・・
現実を見つめていた新撰組ってのが何を指しているのかがわからん。
官軍の銃砲火を前に白刃だけで突撃を繰り返す姿って、飛んで火に入る夏の●じゃないか。
目先の現実しか認識できなかったって点では納得だがなw

25:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 23:45:31 H4R3PZv90
>24
好きなほうがおかしいと思う。

「志」というよりは出世欲と快楽殺人衝動だろ

剣術をかじる
→オラたちでも武士やれるんじゃね?人を斬ってりゃいいんだろ?
→ペリー来航で江戸幕府の旗本・御家人の慌てぶり・臆病者ぶりを観察してますます自信をもつ
→浪士組→壬生浪士組→新撰組→旗本・御家人

・・・・人を斬れば斬るほど出世できるぜ!

と思ったらやっぱり長くはなかったぜ!
どうしてオラたちが出世できるのか内心おかしいと思ってたんだ。で終わり。(たぶん、揃って地獄逝きp)

26:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/11 23:58:31 tlf0p5d1O
>>25
残念ながら君は勉強不足だよ。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:04:47 DvIH4hfx0
清川八郎が暗殺されなかったら新撰組も180度違う立場だったのにね

新撰組で評価できるのは、土方歳三だけ
致命的なのは、教養がなく、国家的なビジョンを描けるのなんか一握り
一部のものは、長州藩や土佐浪士と仲良くなり行動した

このスレで清川八郎について知っている人いる?

28:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:11:00 w16twxlF0
>>25
たしかに新撰組の連中は「志」というよりは、「夢」といった方がしっくりくる。
その辺りが現代人にもわかりやすく、人気にもつながっていると思う。
もちろん、実物がどんな連中だったかなんてのは、知るだけ興醒めするだけだが。

>>27
清川が生きてても立場は変わらんと思うが。。
本人たちが離脱して京都に残ったじゃん。
山南さんを消しちゃうような奴らだから、国家ビジョンなんて描けるはずがないw

29:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:11:32 aX5YopI50
>>27
知ってる。

水戸学の尊王攘夷をそのまま口にしてただけの夜郎自大な自信過剰男。

30:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:14:23 aX5YopI50
>>28
司馬遼太郎の小説に毒され杉p



31:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:17:55 w16twxlF0
>>30
勘違いしてほしくないんだが、俺は新撰組ファンじゃないw

32:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:27:58 DvIH4hfx0
中学のときに司馬の小説にハマったが、半分はフィクションですね
色々な小説、史実の本を読むべきだと思った
司馬は、人たらしですなw
祖父とか嫌っている
親父の世代とかは好きなのが多い

33:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 00:34:18 w16twxlF0
半分はフィクションですね。それ以上かも。
新撰組なんてほとんどがフィクションじゃないかね。
史料がほとんど残ってないから逆に小説にしやすいんだろうけど。
ま、それはそれと割り切って読めればいいんでね?って思う。

34:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 08:26:39 dyRo/CEq0
馬鹿!!
99.99%創作だよ
土方のロマンスなんか笑うしかないからね(笑)

35:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 08:43:01 w16twxlF0
朝一から元気いいなw
ほとんどがフィクションと言っているのだが、まあいいや。
司馬の上手いところは、まるで史実のようにフィクションを書くところだな。
新聞記者やってたらしいから、こんなのお手のもんだろうな。

36:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 10:40:20 l4JpuHdNO
>>28
山南よりも伊東だろう。
新選組にとっては最後の切り札だったんだよ。
御陵衛士の残党の証言で斬首なんて罰が当たったとしか思えない。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 13:22:38 ehPrXXoY0
>>36
あっそれは元陸援隊の谷の私恨だから
なにがなんでも断首にしたかったらしい
よっほど坂本を尊敬してたらしく、今井の自分がやっという証言に
「お前なんかに坂本さんを斬れるものか」と一喝してるし

38:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 14:30:25 fcDDgc8f0
>>37
ええぇ~?

龍馬・慎太郎をやったのは、やっぱり新選組だろう?

見廻組の連中の証言は、各々食い違う上に、被害者の慎太郎の証言とも大きく食い違う。
京都守護職の会津藩が、新選組にやらして、新選組の評判が悪いもんだから、
表向きは見廻組の犯行ってことでお茶を濁そうとしたんだよ。

で、見廻組のほうも、別の暗殺事件をやっちゃってて、それをまぜこぜに話してるんだろ。


39:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 14:59:57 +PAFEnPi0
そりゃあこういう大掛かりな事ほど当事者らの記憶があやふやになりがちだし
まして時の経過とともに記憶が薄れていくし
人間の記憶力ってそんなによくないのよ
現に受験勉強であれだけ詰め込んでも、一年も経てばほとんど忘れてしまってるだろ

40:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 15:19:28 l4JpuHdNO
>>37
いや、残党が大久保=近藤だと証言して斬首に繋がったと言いたかったんだ。
誤解させてしまったようで申し訳ない。

41:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 15:41:00 fcDDgc8f0
>>39
事実を根本的に歪曲したくなるようなやましい事情のある人物ならいざ知らず、
ふつうは、大掛かりな事ほどそのまましっかり記憶に刻んでるよ。

人間の記憶力を舐めちゃいけない。。
詰め込みの受験勉強のような表面的知識だけの記憶とは、そもそも、記憶の質が違う。

あの当時、暗殺指令を下せるのは第一に新選組。
しかし、会津藩お抱えだった新選組が龍馬・慎太郎を殺した、ってことが公けになったら、
会津藩の立場が更に決定的に悪くなるだけだから、
新選組にも見廻組にもあらかじめ言い含めておいて、
内々に、龍馬・慎太郎を殺ったのは元々旗本・気家人集団の見廻組!ということにしておこうとしたんだろ。

それ以外、辻褄が合わんのよ。

42:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 16:21:38 stiDAdCqO
>>41
そういういかにも小説家好みの何の根拠もない珍説をほざく奴が他人に事実を歪曲とかよく言えるな

43:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 16:38:36 TqylKZ4I0
ID:fcDDgc8f0みたいなキチガイは放置しておけ

44:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/12 22:42:54 DvIH4hfx0
新撰組は、現在でいえば暴力団
低学歴チンピラ集団

45:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 02:41:22 MF6Z3Eo0O
新撰組と会津は、作家が美化してるだけ。
白虎隊なんか論外。崇める理由が解らない。

46:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 02:44:13 bd5zE/hj0
なんで新撰組って殺した不逞浪士より
粛清で殺した身内の数のが多いのん?

47:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 02:54:24 Saq4M+uy0
>>46
そうよん

しかも一旦入隊したら抜けられないのよん
幹部以外は地獄なのよん

48:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 03:22:26 Uy+Wm/pb0
>>47
現在の暴走族、ヤクザみたいじゃないですか?
入隊したら辞められないのは知らなかった。

>>46
京都で、レイプや悪さばっかしたから
新撰組の規則守らなかったり、他者に迷惑かけたからだよ。
手のつけられない不良ばかり

49:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 10:32:28 L9zvA7c1O
(笑)

50:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 11:35:12 qP9lQgoK0
近藤や土方も似たような事やってるんだけどね…

51:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 13:10:27 f9Q6eKTq0
規律は幹部も適用される。
所謂「局中法度」のような内容は海援隊や奇兵隊の規律にも見られる。
勿論内部抗争も。独自の規律を設け、違背者は厳罰に処すというのは、
あの時代に湧いて出た有志結合組織の特徴。現代ヤクザ組織・暴走族に
直結させるより、そうした当時の事情に即した知識を踏まえて考察する
のが妥当。
さらに、違背者が増加するのは元治元年後半以降。これが意味するとこ
ろは尊王攘夷路線から幕従・洋式軍備強化路線への変化で生じた組織矛
盾の顕在化。素行不良の隊士が増えた云々は勿論ある。だが、規律を犯
してでも組織を抜けなければいけないまでに追いつめられた、隊内尊攘
派の存在も大きい。
江戸新徴組では早期に幕府・庄内藩による清河一派捕殺、尊攘激派の水
戸天狗党大量移籍などで、そうした思想的対立問題が解消された。新撰
組は暫く多様な政治思想の持ち主に門戸を開き、またそうせざるを得な
いとかった事情から、それが少し遅れた。組織の方向性・周辺環境の変
化に注目しなければ事の本質には迫れない。
また、事情によっては条件付きで中途離脱は認められていた。助勤以下
になると平和裏に隊を去ったという事例も多い。慶応三年五月の茨城司
以下による脱局騒動でも、首謀者は切腹(自害説・新撰組暗殺説あり)し
たが、それに従った約10人は放逐されている。

52:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 14:37:43 AWdFIN1UO
>>45
白虎隊が実は少年部隊じゃないって話のソースはどれだっけ

53:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 19:58:21 ZLju9pJf0
白虎隊は、会津の家老が大反対したのだけどね。
なぜ美化されるのだろう
会津の家老はさすが優秀だったと思うよ。将軍は無能だけど。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 22:38:58 jftxLDaf0
>>53
会津なんかクソしかいねえだろうがww
会津観光史学、調子にのってんじゃねえ


55:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/13 23:18:09 UQFAXtKlO
最近の成りすまし君は会津観光史学という言葉を覚えたんだな

56:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/14 01:06:39 TU65/i5bO
>>52ソースもなにも、侍は15で元服するんだから、17歳の白虎隊は成年だろ。
元服は今でいう成人式なんだから。

57:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/14 01:07:37 TU65/i5bO
>>55なりすまし自体が、会津観光史学洗脳者だからな(笑)

58:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/14 02:01:14 QROntf3/0

ところで、「三品仲治」は山崎烝の隊内での変名だろ?

それ以外、辻褄が合わん。

59:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 02:18:14 dVkgv0g/0
>>58
元治元年(1864)11月作成の「行軍録」に、
三品忠司(仲治)の名が松原忠司率いる七番
大砲組に見えるが、山崎烝の名も小荷駄雑
具(平時の勘定方)に確認できる。
完全に別人でしょう。
因みに同じ三品姓の三品一郎という隊士が
いるが(おそらく同一人物)、これも「英名
録」などの諸史料で山崎とは別人として確
認できるね。
よく知らんが、そんな噂とかあったっけ?
by『新選組組長列伝』新人物往来社・2002年

60:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 02:31:55 gXWuqrWP0
>>58>>59
密偵山崎烝に隊内での変名がないほうがおかしいし、
脱走した者からもバレないようにということで
色々別人であるかのような偽装工作が為されたんではないか?
むしろ、それが山崎のような密偵に対する当然の配慮なのではないか?

ということで、

山崎烝=三品仲司=三品仲治=三品忠司=三品一郎

が正解なんじゃね? とふと思った。

61:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 03:06:50 7kgZfCVOO
>>60
山崎は密偵としての活躍でしられるが、むしろ公事訴訟の担当者として活躍してる。

62:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 08:07:55 /5/3KXy20
>>60
そう。問題はそこから。

第1の問題は、山崎烝の隊内での変名に相当するものが「三品仲司」(および、それに類似する名前)しか見当たらないこと。
第2の問題は、その「三品仲司」が池田屋事変の功労者であるにもかかわらず不思議な行方不明者になっていること。
第3の問題は、「三品仲司」の行方不明と相前後するように山崎丞が新撰組の山崎丞として公に行動を始めていること。
これら三重の、余りにも見事すぎる符号の一致。

明らかに、山崎は、いつまでも薬屋に扮して京の旅宿に入り浸ってばかりいると
京の人たちから密偵ではないかと怪しまれるだろうとさすがに察して密偵をやめたと考えられる。
密偵のほうは新顔に交替すればいいだけの話だし。

そして、少なくとも近藤勇だけは「山崎丞」=「三品仲司」を知っていて
山崎が密偵をやっている間はそれがバレないように近藤勇が名前を使い分けていたんじゃないかと考えられる。


63:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 13:44:36 gXWuqrWP0
>>61
公事訴訟って何? 何やってたの?

>>62
あらためてWikipediaをみてみて
池田屋事件や山崎烝に関する今の推定記事は、
スパイもの・サスペンスものを一冊も読んだことがない低脳が書いてるなとおもた

おまけに島田魁日記と完全に矛盾させてしまってるし

64:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 18:22:03 riqH8uYr0
>>59です。
>>62さん、
第1に、山崎烝の変名は史料上「山崎大二郎」しか確認できてないよ。
第2に、三品仲治(忠司)の名前は「行軍録」で消えるけど、直後の「山崎烝取
調日記」に五番隊平士として突如三品一郎の名前が出てくる。この名簿で平士以
下は序列を入局順で書かれている。三品は伊木八郎・宿院良蔵の間つまり池田屋
事件以来の古参者という扱い。「英名録」「幕臣取立者名簿」等の異なる人物・
時間に作成された何れの名簿でも扱いは同じ。つまり三品仲治と一郎は同一人物
と考えるのが妥当で彼は行方不明者ではない。勿論、山崎烝は何れの史料でも三
品姓の隊士と全くの別人として名が載る。
また、山崎の存在が確認できるのは池田屋事件直前だが、史料上、密偵としての
活躍が確認できるのはこの時と、慶応元年11月から翌年7月にかけての広島・
長州での「周防方」としての探索活動くらい。むしろ、隊士として存在が表向き
抹消されていたのでは?と思えるのは、浅野薫(藤太郎)かな。彼は慶応2年後
半までは確かに在隊していた筈なのに、その間の名簿に殆ど名前を遺していない
し謎多き存在。
山崎はむしろ優秀な事務・外交官僚タイプとして目立った存在。例えば、「禁門の
変」直後に小荷駄方(勘定方)として河合耆三郎と長州軍の遺した武器類を回収
し、その事務処理を担当。慶応三年四月の近江八幡仙台藩領内における訴訟事件に
も派遣され、代官を蔑ろにして独断で裁判調停を処理してしまったという同時代の
記録がある。他にも西本願寺屯所移転の交渉役とか、公卿中山忠能邸への効用とか
の活躍が挙げられる。経歴の詳細は『新撰組全隊士録』に掲載されているし、近代
史家の宮地正人氏が『新選組の論じ方』で恐らく従来の「新選組研究者」たちより
も正確に山崎の存在を考察している。
長々と失礼しました。

65:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 04:10:06 AuX0EicZ0
URLリンク(www.bakusin.com)

山崎烝の本姓は「林」だから「山崎烝」が実は変名w



66:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 03:01:35 M38y6uQHO
>>65
>>64御指摘感謝です。確かに山崎丞自体変名ですね。詳しく調べると父方が林姓、母方が山崎姓とのこと。
大二郎という通称は少なくとも結婚して壬生村に住み始めたあたりから新撰組入隊直後まで使用し、その後で丞と名乗っている。
因みに林信太郎が従兄弟云々はデマで、実際に新撰組で従兄弟・義弟だったのは山崎新五郎(新次郎)という隊士なそうな。

67:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 13:39:21 L2kQiuqhO
賛否両論の新選組だが、仮に戦争があったら日本のために勇敢に戦ってくれるのは間違いない。近藤や土方は生まれてくるのが早すぎたのかもしれない。

68:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 16:44:14 /1wtlUCk0
元々外国と戦争したくてしょうがない攘夷浪士だしな。
で、攘夷できないのは長州が邪魔するせいだと考えて長
州と戦争した。長州も攘夷できないのは幕府のせいだと
して幕府に戦争しかけた。
結局、幕府が負けて、新政府はその遺産を活用しながら
日清・日露・第一次世界大戦と十年置きに「攘夷」戦争
に邁進し、何時しか守る側であったのが、かつて自身が
打ち払おうとした攻める側になっていたことにも気づか
ず始めたのが大東亜戦争。
めちゃくちゃ簡単にいえば日本の近代史こんな流れだろ
。幕藩体制や徳川主導の国家がそのまま続いたところで
、対外戦争の道は突き進んでいたべな。実際、最幕末期
に慶喜は朝鮮進出を計画してたくらいだし(大学時代に
その手が専門の教授から聞いた話で、出典がなんだった
かは忘れたが)。

69:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 21:45:44 M4FyrGSn0
会津wや新撰組wごときが中心になってもどこの国にも勝てやしねえよこのバカ

会津観光史学だまれ

70:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 23:30:24 7UFTay5AO
>>68何が言いたいか不明。長文は否定しないが、駄文を並べてるだけ。しかも主観。
オマエの主観なんざどうでもいい。あとな、226以降は、東北系が主体だよ、日本は。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 00:32:48 I2bhgpUKO
>>69
まあオマエみたいな引きこもりよりは役に立つだろ

72:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 01:30:07 5vPDUni7O
>>70
単純にいえば、幕府が倒れても倒れなくても、日本の軍事的な海外進出路線は変わらなかっただろうなぁ。
という、ただそれだけの意見を伝えたかった。最近、幕末期の海外進出論とかに興味を持っててね。
細かい事情は抜きに、空き時間でバタバタ書いた乱文でして。批判とはいえ反応があるだけ有り難い。
日本が維新から大東亜戦争へ突き進んだ原動力・メカニズムみたいなものを、
幕府から薩長、薩長から東北というような単純な政権の異動論だけでなく、そういうレベルを超えた、
広範な時代把握で全国民的な動きから考えてみたい。が、仕事もあるから論文・史料探しが進まず、意見も纏まらず、
結局、たまたま覗いたスレに無駄に駄文をさらしてしまった。申し訳けないね。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:45:10 RQ+T4mzH0
薩長の凄いところは自己変革力。それも強烈な自己犠牲を伴いながらね。
会津や佐幕諸藩にマネできないのは、ここ尽きると思う。

明治維新は薩長の侍が中心となって成したが、自らの立ち位置であり存在意義である武士階級すらも否定し、速やかに実行に移した。
鹿児島や山口で今更にして武士道云々を言わないのは、そうした自己否定してきた葛藤と痛みの歴史を理解しているからだ。
会津は今更ながらに武士道的なものへの回帰というか、再評価を考察しているという点で進歩がないどころか、後退している。
明治維新を否定するなら、それに代わる「会津ならこうできた!」というビジョンをはっきり示すべきだろう。
できなければ、ただの駄々っ子と変わらない。

74:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 06:05:38 9rwOW/8jO
結局さ、会津だろうが薩長だろうが、この手のスレでどっちか一方が「凄い」「凄くない」ってな調子で議論してる連中って、
贔屓してる存在を小難しく理由つけて、どれだけ自慢できるかしか頭にないんだな。

75:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 08:17:44 3Si6vgI70
と、会津観光史学w

76:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 11:16:04 eRE7uW7RO
>>74脳内変換乙。オマエはキチガイだろ。

77:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 12:52:10 8v/ojaUm0
会津に自慢できることって何があるんだ?
負の遺産しかないだろう
女、本来戦わなくてよい青年まで巻き込んで
最後の将軍は、なかなかやるなという場面や人格もあったけど

78:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 06:33:53 gWderCbAO
>>71
働かない無能より働く無能の方が遥かに質が悪い

79:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 12:14:47 AmnpL6k0O
と、日本のお荷物の言い訳w

80:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 20:11:48 oKog7Qjf0
新撰組関連スレッドはすべて監視下におかないとな
こいつら間違いなく観光史学洗脳者だわw

81:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 20:14:55 Zk+EhX7G0
新撰組を肯定することは、暴力団を賛美することと同じだな
土方だけは敵ながらアッパレ
あと、新撰組の熱狂的ヲタは、低学歴が多い

82:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 22:03:12 wAUdSlkXO
新撰組を登用した会津藩公用方手代木傳右衛門と、坂本龍馬を暗殺した見回り組の佐々木只三郎は兄弟でござる

83:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 02:48:40 /wbLypKtO
土方は別にあっぱれじゃないだろ。
榎本や会津と一緒に、北海道を襲い
戦局を拡大させた1人じゃん。


84:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 03:40:38 i2GJI7Cz0
うーん、土方も無能だとすると新撰組でまともな隊員はいたのか?
新撰組に嫌気がさして、長州に仲間入りした隊員がいたと聞いたが。
榎本は、新政府軍に仲間入りして、新政府軍の方が正しいと方向転換した
から評価できる。
会津のお殿様が阿呆過ぎるw

85:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 08:02:43 AGvkJev/P
ここも会津叩きのレスばかり。。。
普通に新撰組の話でできるとこないの?

86:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 12:19:48 2PLIiwIcO
>>84
土方ヲタうぜーよ

87:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 00:57:01 suMPoXE0O
新撰組をマンセーする奴なんてにわかと腐女子と似非武士道が大好きな連中ぐらいだろ
語る価値無し

88:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 01:18:30 FU7D5xMlO
>>85会津が叩かれるのは観光史学や恨文化が原因だろ。

普通に新撰組の話?普通って何?一般的に新撰組の話をするヤツは
ドラマや小説といった、作られた新撰組なんじゃないの?

君は史実で新撰組の話出来る?フィクションと史実の間でファビョーンしないか?

会津観光史学洗脳者みたいに。

89:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 03:26:05 V04NC37h0
>>88
そうやって「なんでも会津観光史学に関連づけるのはやめろ」ということでしょ。
気軽に語りたい人にとって、型にはめたがる人間ほどうざったい。
新撰組の名前を出せば「会津観光史学うぜー」「オタうぜー」「監視せねば」「語る価値無し」と鳴くが、
その時点で思考が停止してんだから、同じ穴の狢。
そもそも「作られた新撰組」ってなんだろう?それを語ることがなんで問題なんだろう?「観光史学」「恨文化」がなぜ需要をもったのだろう?
時代が新撰組を生み出し求めた背景は?総合的に勘案して何が学びとれるの?その知識をどのように活用していくべき?等々、学問としての「歴史」はそういう視点で語るべきだと思う。
事実関係を把握することは、誰でもできる基本手的な「材料集め」の作業。そのとっかかりをこういう場で行うこと自体も問題ではない。
ならば「君は史実で新撰組の話出来る?」「フィクションと史実の間でファビョーンしないか?」という問いかけに何の意味があろう。
曖昧な「会津観光史学洗脳者」という存在をほのめかして終わるより、自らが信をおく参考文献なり情報を提供するくらいしたほうがよっぽど有意義じゃないか。
この手のスレのあるべき姿は本来そういうものだと思うけど。
無知は恥ずかしくない。無知を隠して無知を辱めることのほうがよっぽど恥ずかしい。

90:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 07:14:51 lI4suyeG0
>>89
ここをどこだと思っている
ここは”学術板”だぞ
”学術的ではない”妄想や小説、漫画を元ネタに自由に書き込みできる場所では、本来ない。

1+1=2
なぜ2になるのか?

などという幼稚な質問をすべきではない。
まず、自分で勉強しなさい。
勉強した後、「コレコレを調べてみたが、ここの部分が解らない。教えてくれ」と言いなさい。

なお、「幼稚な質問をすれば、幼稚だとバカにされる」のは当然ですよ。


91:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 11:03:26 L0f7ehoD0

なんだかんだ言っても新撰組は現在の京都観光のコンテンツとして利用されてる
京都人が子孫に語るほど嫌っていたとは思えない
小説やドラマ、映画の影響であったとしても、ロマンの香りを持っているんだよ
判官贔屓も無視できない
好悪とか善悪とかの問題を超えたところに存在価値があるんだと思う

92:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 11:12:02 6tvnixh2O
新撰組ってカッペが調子こいてたら引っ込みが付かなくなった
ってイメージしかないわ
政治的な理念があったわけでもないし

93:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 11:24:48 90KggIOs0
>>91
現代人の感覚なんざ、往時を推測する上では参考にもならないよ。
戊辰戦争のとき、会津松平が滅亡の危地に立ってもガン無視してた上にヤーヤー一揆まで起こした会津民の子孫が、
今では何故か会津松平贔屓じゃん。

判官贔屓はその通りだと思う。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 12:38:00 037ARaQH0
>>90
時代劇板の新撰組スレにも会津観光学がどうだこうだと粘着してる奴がいるのだが。。
そこもスレ住人が悪いの?
会津を叩く人間が正しいの?


95:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 14:26:21 2BsPgr9k0
彰義隊が最も厄介な存在だったと思うね。
制圧した敵地首都のど真ん中に公然と武装勢力が集結してるんだから

上野戦争を強行するかどうかが鳥羽伏見以降の1つの分かれ目だったよ

96:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 14:41:49 QAxuz3vAO
伊東甲子太郎の大開国大強国は当時どういう評価だったんだろう?

97:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 14:55:53 g56EWCe70
薩長土芸・・・・・・新撰組の誰かが、どこかで聞いたようなことを言っているが
           近藤とか言う馬鹿の建白書同様、羅卒がいっぱしの人間になったつもりらしい

近藤・土方・・・・・・裏切り者には死を

98:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 15:04:05 2BsPgr9k0
当時の知識人なら、いたって普通じゃないの?
もっとも倒幕勢力は狂信的攘夷派、保守派、近代国家樹立派の連合だったから、
前2者からは仇敵視されたかも知れないが


99:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 15:43:14 QAxuz3vAO
>>98
個人的には崇高な思想だと思うんだけど、やっぱり理想論に過ぎないということなのかな
結局旧幕府は武力で沈めなければならなかったし
あくまでも朝廷中心と言ってた伊東に実はどれだけの野心があったのかも気になる

100:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 16:06:36 zYCnPIVJ0
伊東とか坂本龍馬は基本的に徳川を武力でぶっ潰そうというタイプじゃないが、
身分制をもって人民を無駄なく編成し、管理運用してきた幕府にとって、その枠に当てはまらず活動を展開する連中は、
結局不気味な存在でしかなかっただろう。
特に「桜田門外の変」以降多発したテロ事件のトラウマも生々しく記憶されている。ほっといたら何するか解らない。
幕府が浪士組残党を新撰組・新徴組という形で再編して、徹底的に統制下に置こうとしたのも、そういう危機感からきてるとすれば頷ける。
そういった幕藩体制社会の根本的在り方・性格から考えていけば、坂本・伊東の暗殺事件についても薩長とかフリーメーソン云々説よりは現実的な答えに至ると思うが。

101:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 21:04:18 ONKE2ODD0

幕府「幕府に仕えさせてやろう。幕府への恩顧を一生忘れるでないぞ」

浪人・武士昇格希望者「やったぁ! これで一生人を斬って食っていけるぜ!」


そして案の定、幕府は更に無茶苦茶になり、致命的に評判を落としただけであったp


102:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 06:27:34 +pplTDOhO
薩長土芸って何?薩長土肥なら知ってるが。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 10:12:23 5t6Z9P3X0
芸州浅野のことだろjk

104:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 10:54:43 JU0nsd/p0
>>103
それくらいわかるだろ
あえて芸州を入れた意図を>102は尋ねたかったんじゃないか?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 12:09:13 06lPWbshO
>>101
実情からして身分・立場によっては必ずしも武士になることと生活の安定はイコールの関係ではないからなぁ・・・。
百姓一揆なんか調べてると分かるが、農民・町人など武士以外の身分にもそうであることのメリットやプライドがあったわけだし。
新撰組構成員の半分以上が百姓(当時の社会の九割を構成した層)ではなく、下級武士やら浮浪者などなど、
都市に溜まった確固たる生業を持たない人物である事実から、むしろ、
構成員は主義主張で集まった連中以外となると、本当に自分の命を賭でもしない限り食えない貧民層だったんだろうよ。
そうい純粋な或いは悲壮な感情を利用して上手いこと正規武士に変わる使い捨ての新兵器として活用するのに成功したのが、
当時の幕府や薩長など雄藩。こういう視点から見ると日本社会の本質的な在り方は幕末と対して変わってない。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 12:27:27 J/SVKUKv0
ちなみに、鳥羽伏見の戦いやそれ以前に、京都政界に肥前の影はまるで存在しない。
この時点での言及に肥前を入れることは出来ない。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/24 21:24:51 kBst4lHPO
肥後の宮部ていちゃんは新撰組に殺されちゃった

108:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/25 19:31:21 KY8M+x3tO
肥前と肥後じゃ全然違う

109:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 09:30:02 sYYREDrDO
>>104多分間違えたんだよwwwwwww
薩摩・長州・土佐・肥前を
薩摩・長州・土佐・安芸ってwwww
官軍の四大勢力は薩長土肥なのにwwwwwwww
なんすか?wwwwww薩長土芸てwwwwwwwww
なんのくくりっすか?wwwwwwwwwwwwwwwwwww


110:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 09:59:48 Lic3UVFF0
>>109
藻前が無知なだけwwwwwwww
余りにも恥ずかしい無知wwwwwwwwwww

にわかにも程があるp

大政奉還時、薩長同盟に薩土芸同盟があった。あわせて薩長土芸。

111:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/28 21:09:42 01F4RR0x0
鳥羽伏見んとき、肥前はまだ日和ってたよ。芸州は明確に新政府側。
第二次長州征伐んときも割と長州側で、幕府が先鋒やらせようと思ったのに断った。
だから井伊の赤備えが先鋒に繰り上がって御覧の有様だよになった。

112:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/29 10:28:09 6Y8dx1eE0
彦根藩とは何だったのか

113:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/30 15:45:09 NRW5t9G00
>>111>>112
吉田松陰を井伊直弼が安政の大獄で殺した報い に見えないこともないなw

114:土佐藩・中岡慎太郎
10/10/30 17:29:38 rhWWNbKaO
うるさい男じゃのう…。寒気がするの腹が減ったのと

115:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/31 01:06:00 mwUodUkz0
彦根も可哀想だから仕方ない。後継問題と条約を片付けた直弼の暗殺後は冷や飯食うわ、
それでも幕府の心証よくしようと頑張ったら芸州戦線では恥かくわ
あれだけ痛い目を見たら、鳥羽伏見で慶喜と心中しようとは思わないでしょ


116:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 09:53:35 gfcrKHfuO
>>110肥前はどこいったの?
薩摩 土佐 安芸の同盟なのに
長州入れるの?なら、肥前もいれなきゃ。
つまり君は主観で話してるんだよ。
だからツッコまれるんだよ。
そもそも話の流れを無視して
別の話題を投入する時点でなあ…プッw

まあいいよ。頑張りなwww

117:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 11:33:32 CEHvqhJNO
薩摩、長州が倒幕反徳川で、芸州、肥前が日和見的西軍、土佐、越前は会津桑名が豚一を担ぐのに反対だった、という温度さがある

118:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 17:43:29 F3A8GZr10
>>116
肥前が維新に加わるのは小御所会議に呼ばれた時で、その時は旗幟は明らかにしなかった。
軍隊が官軍に加わるのも東征軍からの話で、
大政奉還から鳥羽伏見の戦いまでの間を論じる際に、薩長側に肥前を加えるのはおかしいんだよ。

土佐は、山内容堂一人を除いては藩内に討幕色が濃く、大政奉還時にも薩長同盟に範疇に加えておかしくない。
中村彰彦や星亮一あたりの「土佐は佐幕派、論理は出せないけど佐幕派」という戯言に騙されてはいけない。

119:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 18:26:07 F3A8GZr10
王政復古時の主要各藩の姿勢だが、

薩摩:討幕
長州:討幕
安芸:討幕?(討幕軍の派遣までしたのに小御所で徳川慶喜の復帰は容認し、薩長に姿勢を疑問視される)
土佐:藩内は討幕・山内容堂は公武合体(徳川慶喜復帰)を主張
尾張:徳川慶喜の復帰容認、会津・桑名へ帰国引退要請
宇和島:徳川慶喜の復帰は容認、会津・桑名へは帰国引退要請
越前:徳川慶喜の復帰容認、会津・桑名へは帰国引退要請

鳥羽伏見の戦いの途中で朝廷が明確に薩長新政府軍を支持したため、
これらの藩は彦根・淀(国許のみ)・津も含めて薩長新政府軍に参加することになる。
徳川慶喜は前線での会桑の敗北が悪影響し、朝廷での多数派工作を薩長に崩されてしまった。

朝廷に弓を向けて占領できなければ、即朝敵にされるというわけだ。徳川慶喜は賭けに負けた。

120:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/01 20:55:35 RqtifECJ0
公議政体、というか諸侯会議派が最も輝いた時期だな。
肥前はまだ中立。
ある意味では、高杉の言っていた大割拠を最も早い段階で実行していた藩とも言える。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 09:54:08 enTmOUwmO
何にせよ、新撰組・白虎隊・会津藩は美化。
にわか厨房以外なら知ってて当たり前の事実。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/02 19:37:02 PrOQ4HzzO
肥前の鍋島は割拠主義だったんじゃないのか
一橋から誘われた朝廷参与への参加も断り、かといって長州への武器供与も婉曲に拒否している

123:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 15:44:27 qjPYl6X10
>>93
その後、会津藩士は会津の復興と発展に尽力している。
そもそもが、松平容保自身、別に悪意があったり贅沢をしたいが故に重税を課したわけではなく、
公務の為にやむなくした事だからな。
保科正之の頃は善政をしいていたし。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 19:32:37 SuBiEdim0
産業発展が見られたのが、江戸幕府300年間で一代のみ
しかも保科正之の統治はまいない政治の賄賂を投入したもので田中角栄型であり、善政とは言いがたい

125:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 07:06:47 S5ILTE410
URLリンク(www.pink.ne.jp)
テロリスト奇兵隊菅直人民主党政権(中国共産党日本支部)をきっちり取り締まろうぜ!

新世紀救世主伝説 会津 田母神俊雄閣下
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)


126:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 19:35:38 lmPEfYn90
なんで新撰組のアニヲタ的なものを使うんだw菅直人嫌いだけど。
新撰組みたいなチンピラ教養なしの暴力団を美化するなw

田母神俊雄閣下は、福島生まれだけど会津ではないし、安倍晋三元総理と
凄い仲が良い。同じく、初代ダイガーマスクで有名な佐山聡とも親密。
ちなみに、佐山さんは、山口県出身(乃木将軍の生家の近く)で、防衛省、
学者とも交流がある。




127:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 19:51:51 4Ss9JkyB0
>>126
田母神ってただの頭おかしいおっさんじゃん。
それこそ何が良いのか分からん。

128:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 21:18:01 lmPEfYn90
>>127
防衛大学校卒の空軍トップだぜ。
タカ派だけど、いかに戦争しないで国益守るかを考えている。最悪の事態を
想定しながら行動するのが国防のプロ。
彼のすべての考えに賛同してはいないけど。違うなと思うところもある。
小沢比べれば、100倍まし。仙石なんか問題外

129:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/07 22:55:40 3Wm5x3180
>>119
ただ、薩摩も在京指導者以外は反発が強かったんだよ。
だから封土の一部割譲と引き換えに慶喜を取り込もうとするのは常識的な落としどころ。
芸州が土壇場でひよったわけではない。むしろ慶喜を挑発する薩長のほうが追い込まれていたとも言える
実際、大坂落ちの後は朝廷はすぐ動揺して慶喜と交渉に入ってるからね。
鳥羽伏見は、慶喜が相手というより、放置すると自陣営から裏切りが続出するのを恐れた面も強いと思う

130:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/08 16:20:01 dyTFrqh80
見廻り組の隊長は、会津の人間だし
会津藩が信頼して支持出せる組織
は見廻り組だけだよ!
アンチと新撰組ヲタよ
もっと勉強しなさい!

131:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/08 18:19:03 IHDwX6+T0
>>130
誤解しているようだが、幕府老中-京都見廻役-京都見廻組というのが正規の指揮系統だよ。京都守護職・京都所司代にも指揮権はあるが限定的なもの。
本来、見廻組を動かせるのは見廻役。もっとも、「与頭(隊長は誤り・定員四人)」の一人である佐々木只三郎は、確かに会津出身で個人的に信頼は厚かったみたいだが。
しかし、上司の京都見廻役・同並や部下の京都見廻組与頭勤方・同与頭並勤方・同肝煎・同伍長・京都見廻組・同並・同御雇・同並御雇など総勢400人以上の大半は会津藩と無関係。
不祥事で罷免された松平出雲守に代わって、京都見廻役に着任した堀井石見守が、佐々木只三郎の越権行為に不快を感じているなど、佐々木と会津藩の正規指揮系統の無視に対する内部告発的文書も現存する。
鳥羽伏見戦争以後、見廻組の大半が徳川宗家と行動を共にした事実、会津戦争末期に自藩士以外の大半を城外へ追い出した事実から、会津藩・見廻組の間に絶対的信頼関係があったとは言い難い。
幕府からなら理解できるが。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/11 09:44:41 q5WX5nL8O
>>125何でそんな絵を使うんだ?まさか新撰組を美化した創作にやられてんのか?
政権を打倒する民衆なんだから「こっちが奇兵隊だ」くらい言わないと。
菅は山口生まれだから、奇兵隊内閣とか言ってるだけで
実際は幕府だろ。政権与党なんだから。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/11 13:40:34 k4uEsZAQO
>>132
何にしても政治家が幕末維新期に活躍した人物や組織をやたら引き合いにだして使うの見ると不快だなぁ。
現実に直接国家を動かしてる人たちが、先人たちの名前を軽々しく使うなと。タレントが使うのと重さが違う。
平成の坂本龍馬だ奇兵隊だ新撰組だと、本来、後世の人々が評すべきでことを、
あの体たらくでよく言えたもんだよ。恥知らずにもほどがある。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/11 15:46:13 drCnqzNL0
>>133
激しく同意。

それだけ、売名行為しか考えていない信用不可のクズってことだからな。

135:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/12 04:37:56 iV0MclYo0
幕末から大金持ちの長州閥が経団連やメディアや政治家使って民主党と中国マンセー
調子に乗って奇兵隊内閣とか名乗ってる菅直人や仙石www
日本人庶民を売ってまで金儲けと権力に執着する最低な連中

日本人が胸を張って誇りを持って生きれる世界を作ろう!
討つべし 長州閥テロリスト集団
URLリンク(www.nicovideo.jp)

136:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/12 04:41:15 f/vTnz+C0
>>135
またキ●ガイ低脳国賊が暴れてる


長州閥は山縣有朋が死んだ時点で終わり。
薩摩閥は山本権兵衛が死んだ時点で終わり。

137:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/12 12:31:25 aBiuMhScO
>>135何で明治の派閥と現代の政党・団体・メディアとリンクするわけ?
時代交錯も甚だしいだろ。キチガイかオマエは。
いくら時給貰ってるのか知らないがな
菅は東京都民が送り出してる政治家だ。
山口生まれだから奇兵隊とか言ってるに過ぎない。
会津生まれが総理になったら白虎隊内閣とか言うに決まってんだよ(笑)

138:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/12 13:10:14 saSNPBB4O
どうもいかんなあ学のある人は。
頭を二つも三つも持っている

139:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/12 16:22:19 H7tUHR2wO
>>135
何でもかんでも「世襲」させちゃう日本社会全体の根本的性格に一つの大きな問題がある。
長州だ会津だというような個別的解釈で結論がでるような簡単な話しじゃないだろ。
ってか場違い。内容的に。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 04:47:24 ZXYNwG7t0
そもそも奇兵隊をプラスイメージでとらえてる所に問題の複雑さがある。
まあ団塊の世代の学生時代だと、史料的にもその程度だったのかも知れないが

141:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 05:51:29 qIt10KyC0
別にマイナスでもなかろう。
長州を救った主力部隊だったんだから。

142:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 05:53:25 qIt10KyC0
歴史の見方ってのは、立場によるんだよ。
プラスだのマイナスだの、正義だの悪だの、形式にあてはめると、わかりやすく感じるけど、
馬鹿らしいことなんだよね。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 09:19:46 6oA3G4MwO
正義だ悪だやってるのは会津だけ。近隣国ではシナ・朝鮮だけ。

144:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 10:01:57 QP2/z3cs0
攘夷=植民地化拒否・屈辱外交拒否は人間の尊厳に基づく普遍的絶対的な正義

よって、奇兵隊含む尊王攘夷の志士たちは普遍的絶対的正義。
中川宮・九条・二条・近衛・一会桑・新撰組・奥羽越は低脳国賊丸出しの普遍的絶対的悪。

出自が旧幕側の人たちは、
自分たちの祖先が低脳国賊丸出しの普遍的絶対的悪であることを認めたくないために、
今なお低脳国賊丸出しの普遍的絶対的悪をはびこらせようとし続けている極めて悪質な低脳国賊丸出しの普遍的絶対的悪p

145:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:11:18 ZXYNwG7t0
だからそういう価値観を持ち込むことは意味がないんだって。
かつてのマルクスをベースとした進歩史観と同じで

奇兵隊・諸隊に関しては、①藩上層部の意向で結成が予定されており、実態も義勇兵とは言い難いこと、
②上層部は対外戦争を奇禍として士分以外の動員を計画していたこと、
③諸隊内部でも身分差別は残存したこと、③内部で松下村塾系とそれ以外の出自で抗争があったこと、
④元治内戦のおりにも奇兵隊は当初高杉の挙兵呼びかけに賛同せず、藩政府に圧力をかけての組織生存路線(赤根路線)
を選択しており、独自の組織の論理で動く隊であったこと…
などなど、研究者の評価はだいぶクールなものになってると思う。

いまは義勇兵的な側面を強調することはしてないんじゃないかな。

146:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:16:44 qIt10KyC0
奇兵隊のこまかいことに評価があったわけじゃなくって、
長州藩の庶民軍のシンボルみたいなもんだろ。
実際戦ってたのは事実なんだから。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:19:26 qIt10KyC0
いろんな部隊があってそのひとつなんだし、
武士じゃなくって戦い方がゲリラ的なとことか、そういうとこが面白がられてるんだろうし。

148:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:30:44 qIt10KyC0
あら探しして羅列して、歴史に偏った評価を与えて
だから悪ですとか、幼稚な研究者がやりがちなこと。


149:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:46:19 ZXYNwG7t0
>>146
だから「庶民軍」かどうかと言うところにいま、疑問符がついてるんだよ。
あと、奇兵隊は幕長戦争期の訓練・戦闘を見ると、ゲリラとは正反対。
幕府歩兵隊の出自が百姓町人でも、誰もこれを庶民軍とかゲリラとは呼ばないでしょ?

奇兵隊は藩上層部が危機意識を利用した「国民皆兵」ではあっても、「義勇兵」かどうかは疑問符がつく。
途中の抗争を通じて、正義党政府の藩屏となって内憂外患と戦う「軍事組織」に転化しているんだよ。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 12:48:21 qIt10KyC0
>>149
俺が言う意味は、あくまでも出自だよ。
農家の人が鉄砲担いで戦ったとかそういうの。

それに、義勇兵がどうだとか、形式よりも、
長州の郷里を守るために戦ったったって事実が重要だし。

151:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 13:04:56 ZXYNwG7t0
じゃ幕府歩兵隊も「義勇兵」と呼ぶの?戦力の重要部分を占めた庄内藩の農兵とか。
そんな説は聞いたことがないが…

奇兵隊は、もちろん郷土愛も煽られただろうが、内部では藩秩序の枠を超える行為は処罰された。
実際は正義党政権と藩秩序を守るために戦ってるんだよ。両方の要素があったことを認めなきゃね。

152:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 13:09:04 qIt10KyC0
いやだからさ、義勇兵とかどうでもいいんだって。
秩序乱した奴が処罰とかもどうでもいい。


面白いとこでは芥川龍之介の父親も農民兵として戦って、
維新後は東京に出て成功したらしい。

153:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 14:23:39 6oA3G4MwO
>>151いい加減で自分のキモさに気付いてくれ。オマエ、遜ってるが、ただのアンチだろ。
美化された白虎隊や新撰組を見て泣いてりゃいいじゃん。

154:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 14:44:15 eyxoHCTU0
長州諸隊→庶民の方から藩に願い出て、独自に隊を結成→義勇兵だろ
幕府伝習歩兵→幕府の方から庶民を雇い入れて軍隊にした→義勇兵じゃないだろ

奇兵隊は高杉の肝煎りで作られた特殊ケースだが、諸隊で見るなら義勇軍的性質で出来ているよ。
だから諸隊によっては藩庁の命令を聞かないケースも目立つ。
それじゃ困るから、大村益次郎が藩正規軍に取り込んで諸隊を藩の命令に逆らえないようにした。
義勇兵じゃなくなるのは、この時からだね。


155:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:09:55 ZXYNwG7t0
だから、諸隊は志願兵、幕府歩兵は傭兵と言うのが今までの通説的見解だったんだが、
諸隊は志願兵・傭兵・事実上の徴兵とさまざまな性格を持っていたという視点が提示されてるんだよ。

これはフランス革命研究でも指摘されてることなんだけどね。
全体としてみると、諸隊は新撰組と似てる。出発点は志士だが、結局は藩秩序維持のための道具になっている。
民衆軍ではないんだよ。

156:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:25:45 qIt10KyC0
長州藩を守るために戦ったんだからあたりまえやよ。
武器だって藩が供給するだろう、戦い方だってそう。

157:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:36:20 eyxoHCTU0
>>155
それは雑多軍の集合体である諸隊を”大雑把かつ無理矢理”に理解しようとしたに過ぎんよ。

傭兵のつもりで入った者、志願して入った者と色々な人々が入っている。
だが、初期の諸隊の中には藩に属していない部隊も多いんだってば。

藩や国に属さない部隊は、義勇軍と呼ぶべき性質のものだよ。民衆軍かどうかは知らんけど。
当然ながら、藩の命令を聞く必要は無い。藩からは要望が届くのみで、それを実行するか無視するかは隊幹部が合議で決めている。

大村益次郎が、それじゃ困るから藩正規軍に統合した。それ以後が君の言うような「藩秩序維持のための道具」的性質も持ったのさ。
新選組も初期には義勇軍的性質をもってただろうにw。
江戸に帰ってこいと命令を出したのに、京都残留を決めた彼らは幕府に建白書を差し出し「公武合体」を主張、その為には将軍が京都にいる事が望ましく、その警護をしたいと訴えている。
幕府の方が困って、会津藩に彼らの事を話し対処するようにと命じているよ会津にw。
で、会津藩が彼らのお預かりにした。義勇軍的性質で発足した新選組には、当初給金も禄も出されてないよ。
芹沢や近藤が、商人に押し借りしたのはその為でしょう。


158:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:41:02 eyxoHCTU0
>>157
>武器だって藩が供給するだろう

初期の諸隊には供給してないwみんな、刀や槍、農具とかで武装w
藩正規軍になってから、藩が銃を渡してる。

159:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 23:54:45 uhkIvc4Y0
>>157
幕府浪士組が関東を活動拠点にする尊攘派有志の秩序化組織化を意図した幕府の「御改革」であったのは周知の事実。が、壬生浪士組(新撰組)は違って義勇軍だった、というのは難しいものがあるな。
①分離行為自体は近藤・芹沢らのイデオロギーから発露したものだが、それをあっさりと許可し、態々追加で残留浪士を募り、浪士取扱鵜殿鳩翁を監督役にする計画まで練った幕府の積極的協力的対応。
②分離組を幕府から「御預かり」した京都守護職(会津藩)が抱える、京坂尊攘派有志の組織化・秩序化という課題と、その器としての分離組の利用価値。御預り間もなく同志募集命令を出した事実。
③分離後二ヵ月を経た1863年5月、近藤勇が手紙で「浪士取扱・取締(幕臣の就く浪士組の管理職)」設置が無いため、という前置きをした上で、「同志隊長(後の局長)」を設け自身と芹沢が就いたと郷里に報告した意図。
④江戸新徴組(浪士組本体)と京都新撰組の給与・身分(これは近藤勇が拒否)の授与決定は殆ど同じタイミングである事実。またその間の資金不足による借金騒ぎは新徴組でも起きている。
などなどから、彼らが幕府がドサクサで会津藩に押し付けたとか、初期は独立した組織だった(あろうとした)という解釈には無理を感じざるを得ないな。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 00:17:21 qug6nY2AO
まだやってんのか…
つか、何で会津スレで長州の話を持ち出すんだ?
会津観光史学洗脳者みたいじゃないか。


161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 01:38:38 Zdd3LAP10
幕府陸軍系は有名な隊や士官が多いけど、徴募農兵もなかなか面白い

佐幕系で面白いと言ったら、庄内藩の農兵が結構面白いかな…
あれは庄内の主力部隊と言ってもいいでしょ

162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 02:41:23 DxrpaG280
>>154
>藩正規軍に取り込んで

ここだけ↑ちがう。惜しい。他は正しいんだけどね。
長州藩は「武備恭順」の形で上下の反論を統一し、長幕戦争にも備えていた。

そこで諸隊が藩の指揮命令下に組み入れられたことは事実なんだが、
重要なことは、
諸隊のほうでも自発的に組み入れられていたということであって、
隊規作成や隊員募集や隊員管理は藩ではなく自分たちで自発的にやってるんだよね。

おまけに、戊辰戦争終了後、諸隊は療養と供養以外やることが急になくなるわけだが、
残念ながら、諸隊はあくまで義勇兵的な存在に過ぎず武士だけの藩正規軍ではなかったので、
藩庁に対し『自分たち諸隊を藩正規軍と同様に扱い、自分たちが命をかけて藩に貢献したことに対して正当に報いろ!』
と労働争議的な・民事訴訟的な反乱を起こす事態になってしまう。
そして、藩庁に対する軍事的反乱という性格も持っていたため、藩正規軍によって鎮圧されてしまう。

よって、長州藩のほとんどの諸隊は、義勇兵で始まり、維新後に御親兵や陸軍・海軍に入った者以外は極めて純粋に義勇兵で終わっている。

新撰組が会津藩お抱えとなり江戸幕府の旗本・御家人に全的に取り立てられたのとは全くの好対照。

曲がりなりにも尊王攘夷を唱えていた新選組の最大の矛盾(失敗?)は、
尊王攘夷とは真逆の屈辱外交を無理やり推し進めていた元凶が自分たちが擁護していた江戸幕府だったという点だな。

163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 12:48:59 Zdd3LAP10
ここは佐幕側の諸隊が話題ではなく、
長州の諸隊が最後まで義勇兵だったか、途中からその性格を失ったか論じるスレですか。
だったら勝手にやっててくださいませな。

164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 12:52:45 Zdd3LAP10
>尊王攘夷とは真逆の屈辱外交を無理やり推し進めていた元凶が自分たちが擁護していた江戸幕府だったという点だな。

馬関条約で事実上降伏して藩論を転換し、下関を勝手に自由港化したほうがよっぽど屈辱的だったと思うよ。
屈辱的だから秘密にしたんでしょ
孝明天皇の攘夷意思に最初に背いたのが長州藩だと言ってもいいだろう。
幕府は国内市場の保護こそポイントであることを最初から理解して、開港の際には条件闘争をやってるからね。

165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 13:22:49 ZQTyXU680
>>163
同意。
全国規模で有志結合組織を考える際に、長州諸隊の話が出るのは構わないし当然だと思う。
しかし、近世の統制社会的性質を完全無視で、長州諸隊が終始「己の思うままに活動していた」みたいな段階を何段も飛び越した答えに持ってくのは乱暴すぎる。
この手の問題は、江戸時代の都市・村落史に少しでも理解が無ければ理解が難しいところ。舞台が整った段階の「幕末」を上辺だけで見ても限界がある。
ここは下手に話を広げず、素直にスレタイ通り佐幕派諸隊の動向に話題を絞るのが無難だべな。

166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 21:35:07 wGvuMy8UO
自分の好きなものを語るよりも自分の嫌いなものを叩く事に熱心になる人ってどこにでもいるんだな

167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 10:53:26 slGrpSiu0
義務教育で洗脳されなければ悪いのは薩長だとわかる
アルカイダやタリバンだろ薩長って
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 16:09:48 j4bjk4caO
>>167義務教育のどんな洗脳?具体的に。

169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 17:47:32 HJoKpUi10
長州と薩摩はやり方が汚いテロリスト集団

170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 20:31:33 O/yH3Ap80
>>167
ん?日教組に洗脳されたの? 無知なの?

アルカイダとは違って、幕府勢力に勝利し、新国家の建設の中心になった
ことでまったく違うだろう。
会津戦争の方がタリバンだw

171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 20:53:22 hmgl9Go9O
簡単にテロリストだタリバンだなんだと簡単に例えてしまうから支離滅裂な議論になる。
先ず140年前の幕藩体制崩壊期における内憂外患を整理・把握して基本的時代像を掴めてたらそうは言い切れない。
会津がタリバンでなけりゃ薩長もタリバンじゃない。ことを無理に単純化するより深く考察するべきでは?


172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 21:15:25 Au07FS5f0
>>164
低脳国賊にしても悪意が過ぎるね。さっさと氏んだほうがいい。

薩長は遅くとも斉彬や松陰の頃から攘夷のための開国派。
肥前や高野長英はそれ以前から攘夷のための開国派。
彼らは攘夷のために海外との交流を必要不可欠と考えていた。

攘夷は「破約攘夷」・屈辱外交拒否・植民地化拒否という意味だけ。鎖港・鎖国までは意味していない。
鎖港・鎖国なんてしてたら、海外の文明・技術を輸入できず、攘夷もできなくなってしまうだけだから。

とにかく「鎖港」「鎖国」を「攘夷」と勘違いするのは低脳丸出しで無知にも程がある。歴史改竄の悪意が異常過ぎる。

例えば、屈服開港していた幕府を擁護しつつ「攘夷」を標榜していた新選組・会津藩の立場なんか全くなくなってしまう。



173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 01:31:45 VtJo6BBOO
>>172
というか、近世の所謂「鎖国・鎖港」に対する通説的認識自体が、研究者の間では大きく見直されて来てるな。
幕府の西欧列強に対する外国姿勢を「弱腰・無策」と一蹴することが常だった風潮も90~00年で変わった。
ま、話題の「龍馬伝」じゃ相変わらず右往左往する幕府と毅然とした薩長雄藩みたいなレトロな描写がされてるけどね。
あと、外圧問題だけがやたらクローズアップされる幕末史だが、これもここ変わりつつあるな。
考えてみれば何よりも先ず注目すべき18世紀後期~19世紀前期にかけて徐々に顕在化していった内憂に
あまり重きがおかれていなかったこと自体不思議っちゃ不思議な話しだけど。幾つか史料を追ってみると
幕府・薩長問わず武家が武家としての責務を果たせないほど弱体化し、民衆の台頭が顕著になってる。
ってなことが良く見えてくる。新撰組の起源も外圧だけではなく内憂にも求めるればなかなか面白くなるかも。

174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 01:51:53 bOXUrAAI0
外圧による開国とそれによる経済的混乱と騒擾はそんなに新しい見解だっけ

175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 02:22:01 VtJo6BBOO
>>174
外圧によりもたらされた経済混乱ってのは割に古くからあるね。
最近盛んなのは近世社会の柱である武威・仁政の崩壊無力化ってな視点からのアプローチ。主に近世史家から盛んに行われてる。
都市とか村落関係の新しめの本を当たれば確か新撰組に触れた研究も幾つかあったと思う。

176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 03:48:25 uhfYBPbI0
外国と組んで朝廷や幕府を壊す
テロ以外の何物でもないな
中国と組んで日本をぶっ壊す
民主党奇兵隊内閣と明治維新はそっくり

177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 04:02:14 pnUY/6M60
>>176
佐幕系の司馬遼太郎かぶれの菅直人がつくった内閣による屈服外交・経済失政はひどいだろ?

まさにそういう状態だった江戸幕府を倒してにほんこくを建て直したのが本物の奇兵隊であり薩長主体の明治政府。


これ、日本人の基本な。
どうやら、奥羽越・江戸などを出自とする佐幕系は、いまだに薩長に対する嫉妬と悪意と妄想に逃げ込みたくてしようがないらしいがp

明治政府のあと、原敬内閣以降、幕末の江戸幕府のようなファシズム状態に戻してしまったのが、これまた佐幕系の連中な。

田中角栄内閣以降、屈服外交と借金を山積し続けてきたのも、これまた佐幕系の連中な。



178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 13:56:14 VtJo6BBOO
>>177
先ず佐幕対倒幕って構図自体が学問的に限界あり。明治政府が鼻から薩長主体って事も通俗的骨董品的学説。
佐幕派の系譜だ本物の奇兵隊だなんだと時代劇じゃなし、それで近世から現代まで説明できたら研究職は存在しない。
現政権批判なんだか佐幕派批判なんだかぶれ過ぎ雑過ぎの不毛な論争まがいしてないで
いい加減スレタイ通りの進行に戻れや。

179:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 02:38:39 GPVFryjyO
小栗歩兵のように、幕府の大身の旗本の中には知行地から農兵を徴募した者もいたんだろうな。
手塚治虫の「陽だまりの樹」では、知行地ではないが、父が代官をしていた村で兵を募るシーンがあったが。
そういう私募もあったかも

実は、幕府歩兵は長州戦以前に天狗党とか、関東での治安出動が初陣だったんだよね

180:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 03:36:53 mOW6SQ5i0
知行地は知らないが、鳥羽伏見で戦死した連隊長の窪田鎮章も大身旗本だな。
父は鳥羽伏見、子は上野で戦死してるから、バリバリの一家だろう
同じく戦死した佐久間信久は、禄高は不明だけど、佐久間信盛子孫とも言われてる

幕府の大身旗本がダメだったというのも、意外とあてにならない気がする
家督を継いでいるのは、小栗も含めて養子が多いし、窪田家なんて譜代の忠臣でないと
あそこまでやる気にならないでしょ…

181:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 10:26:09 BeZ3dqkB0
なんかやる気のある下級指揮官から死にまくってる印象があるな。幕府軍。
上級指揮官は……大鳥頑張れ。

彰義隊に到っては、何がしたかったのか全く分からん。
寺を枕に討ち死にしたのなら、旗本の一分として理解できないでもないが。

182:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 13:42:19 NgeC2oDEO
まあ白虎隊は語る必要もないな。篭城してただけだし。

183:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 18:10:34 EzDl+QuD0
>>179
幕府の公的兵卒徴募制度としては、
旗本知行地から兵を徴発する「兵賦」、従者から徴発する「軍役銃卒」、江戸市中で徴募した「歩兵」などがあるね。
幕領の農兵隊だと、土方歳三義兄・日野宿名主の佐藤彦五郎が、代官江川太郎左衛門に願い出て編成した日野宿農兵隊が有名だな。
武州では19世紀に入って一揆・打ちこわしが先鋭化。混乱のなかで強盗・殺人を犯す無法者も増えていたし、彦五郎自身もそれで祖母を殺されてる。
が、従来型制度での武士の庇護は期待できない。幕府であろうと雄藩であろうと事情は同じ。
そこに、天然理心流のような武術や銃兵組織の需要があった。権力の影響だけでなく、民衆の「自らの手で郷土防衛をしてやる」って意識の高まりも、
農兵編成には大きく影響していたってわけだな。
とはいえ幕末期は兵農分離の原則云々が邪魔して幕府・藩といった個別的な軍制改革止まり。全国的統一軍創設と安定した体制確立には明治に入って
なお時間を有することになったが。

184:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 09:52:28 qL780LdgO
>>176明治政府は中国と戦争したんだがな。
オマエそろそろいい加減にしろよ。
明確な理由もないくせに、こじつけするな。

185:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/25 22:04:34 IzT11X730
天狗党の乱とか、関東各地で頻発していた無宿の連中に立ち向かった自警団的な例とかあるのかね。
その日野宿農兵隊は結構面白そうだが。

186:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/25 23:57:46 3tnmJ4KlO
>>185
奇兵隊だけが目立ってるけど、調べると民兵はどこの藩でも多かれ少なかれ結構早い時期から採用してるな。
地元のそういう組織を調べたら面白いかも。古い家だと案外先祖が所属してたとかありそうだ。

187:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/26 22:17:23 Ia8bDDpC0
大鳥も結構頑張ってるじゃん。ただ、負けるだけで。
土方と大鳥が逆の立場だったらうまくいかなかったんでは

188:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 11:29:44 1+OOBpBdO
>>187
現代風に言えば大鳥圭介はキャリア。土方歳三はノンキャリアって関係かな。
土方歳三は優秀な現場指揮官だけど、国外の情勢まで勘案できるほどの教養・経験はどう考えてもないし、
どうも強引というか高圧的な一面があって味方のなかにも毛嫌いする人がチラホラいたようだし。全軍束ねる大将の器ではないな。

189:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 12:00:39 q/IW3FMY0
大鳥はキャリアなのか?
むしろ譜代幕臣がキャリアで、一代限りで幕臣に取り立てられた大鳥もノンキャリだと思うけど


190:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 19:41:12 bhqvjoTV0
函館政権副総裁の松平太郎のポジションがいまいち分からない。
と言うか、旧幕軍の有名将星は基本的に幹部候補生ね…

191:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 20:32:01 buVn839u0
>>190
軍制改革により蕃書調所・講武所などの士官学校が創設され、新たに幕軍を担う幹部候補生が育成された。
それらの機関で学び、出世街道をひた走っていたのが大鳥圭介とか佐久間。
土方歳三はそんな然るべき学歴を積んだ人間ではなく、現場レベルの指揮官としては優秀だったが、
本来的には新撰組の副長か隊長で終わってたであろう人間。その関係をキャリア・ノンキャリアと見ることはできなくもないかな。

192:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 20:33:32 buVn839u0
間違えた、>>190>>189の誤りね。

193:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 00:23:08 uNyt4PWb0
>>187
大鳥は結構頑張ってるどころか、ボチボチ勝利を拾って幕府軍を支えていると思うが
大鳥のレベルで負けているなら土方はもっと負けてることになるんじゃね?

194:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 00:50:00 GAZrwnQ70
ところが、なぜか大鳥は低評価なんだよね。研究者も史家も、誰もよく言わないというか。
あれだけ転戦してめげずに図太くやれるってだけで、秀才型の幕府官僚の中では大したものだと思う。

ちなみに榎本と大鳥は後にともに公使をやるけど、榎本は穏健でそつのない解決を望み、
大鳥はわりとリスクを取るタイプなんだよね

195:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 01:46:57 BpIC7TyM0
明治以降新政府の役職に就いて、福沢諭吉あたりから手酷い難論を浴びせられているのは、
勝海舟も榎本武揚も大鳥圭介も同じなのだけど、

勝海舟は、静岡県開発支援、徳川慶喜の名誉回復に尽力した。
榎本武揚は、東京農大の創立が評価を高くしている。
東京農大に旧幕臣を多数雇用したので、彼等が榎本への悪口を言いにくくなった。

大鳥圭介は学習院とかの校長なので、旧幕臣にとっては明治新政府側に尻尾を振ってばかりの感じがするのだろう。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 02:52:50 2cjBpE0xO
>>194
大鳥に対する世間一般の低評価は司馬遼太郎作品の影響が大きいな。やっぱり。
加えて、史料批判のひの時も知らんような作家くずれの素人研究者がテレビでチンプンカンプンな歴史談義やらかすし。
勿論、世の中全部の人がそうではないけど、なかにはそういう出鱈目な情報を無条件に受け入れちゃうからなぁ。
俺は漫画自体は好きだが黒鉄ヒロシが朝の情報番組でどや顔でウザったく歴史語ってるの見ると何故だか萎えるわぁ・・・。
まぁ、まともな学者出すとその筋の人にしか面白みが伝わらないからテレビ的には妥当な配置なんだろうけどさ。

197:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 03:51:25 uNyt4PWb0
大鳥は蝦夷でも一番奮戦しているし、何度か官軍を押し返してる
最後まで戦い続けて、千代ヶ岱の味方を救う為に突撃したし
司馬の作品に出てくるような奴じゃないよねぇ司馬作品の中じゃ、大鳥というか伝習隊全員、土方に吸収されている感がある
本人が生きてこれを見ても笑って怒りはしないそうだけどw

陸軍出仕の話もあったみたいだね。
まあ大鳥みたいな逸材を軍人にするの勿体ないけど。工部省にいてくれてホントに良かった
工部大学校から日本を支えた人材を沢山輩出した

198:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 12:59:38 0zFQH+ur0
結論として、大鳥・榎本はじめ幕府海陸軍出身者や幕政の遺産が果たした役割は、幕末期・明治問わず大きかった、ということだな。
当然、政権トップは有力公卿や薩長土中心だったわけだが、土台の部分で引き続き多くの旧幕府系が活躍してたと。
元新選組なんかが警察畑でそこそこ出世してるのも、決して日蔭の人生を送ったとは言い難いというか、結果オーライな感じはしないでもない。

ところで幕府軍には統一的な階級とかは存在したのだろうか?あまり触れたものがなくて気になる。

199:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 17:21:35 GAZrwnQ70
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)

ブログ引っ張ってきていいのか分からないが、陸軍ならこれがまとまってるね。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 21:59:41 LhMur/900
>>199
ありがとう!!

201:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 22:11:29 sM967O3C0
新撰組も京都見廻組も時代についていけないジャガイモみたいな頭の連中です。
今でいう既得権益を守りたい役人に使われた暴力集団です。
多分、近藤勇等は洗脳された哀れな人たちなんでしょう。
その輩を英雄扱いしている人たちがいるけど、どうなんでしょう?
先日、日経新聞でも新撰組らを英雄扱いすることに異議を唱えている
社説がありましたね。

202:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 22:41:15 2cjBpE0xO
>>201
例によって歴史的経緯完全無視で、現代人視点の結果論的でおそまつな意見だなぁ。
まあ、一般の新撰組人気は龍馬やら戦国武将ブームと同じで漫画やゲームの人気の延長。社説ってのも歴オタ批判みたいな趣旨か。
歴史学的課題として興味のある人にとってはどうでもいいというか、あまり意味のある批判ではないな。


203:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 13:35:12 ApPROzUhO
新撰組に歴史的意義あったのって池田屋事件くらいだろ
あとは悲劇の○○大好きな層への講談的な需要があるだけ

204:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 16:29:45 6tqhS5Iy0
>>203
それは「歴史に影響を与えた事件」であって歴史的意義ではないぞw


205:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 17:36:48 mENrA2q80
>>203
毎回思うんだが、歴史的意義に触れるんだったら、最低限の研究史を把握してからもの言えよォ。
十年前よりも断然史的新撰組研究が進んでるし、探せば容易に好著も手に入れられるというに。
作家連中の書いた史料批判不徹底で上っ面しか見えてない本をなんぼ読んだって、
暇つぶしにはなっても学問的理解には繋がらないぞ。

206:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 01:47:45 rxPg2KeY0
>>201の言ってることは極めて重要。
新選組って昭和戦前の言論封殺・思想弾圧に狂ってた特高・警察みたいな存在だからな。


>>202は全く有害無益な意見。

207:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 03:21:23 h5TyeCpcO
>>206
その新選組が尊皇攘夷・朝幕融和を目指して幕府・諸侯に盛んに意見したり、政治運動展開してるのは無視しちゃうんか?
そもそも警察機能だけに特化してできた組織じゃなよね。治安組織の枠に括ってしまうと幕末史全体との整合性も欠いちゃうが・・・。
もっと多様な顔と歴史的意味のある組織だよ。その「多様な顔と歴史的意味」の研究が最近進んでるのは事実だし。

208:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 12:13:18 3sQ55qSF0
新撰組って
最近でこそ宮地正人や松浦玲といった研究者が新撰組関連の書籍を出し始めたが
それまで何故か取り上げられるのは土方や沖田ばっかで
近藤や伊東といった政治活動に熱心だった人らの研究が遅れてるって
松浦氏が嘆いてたな

209:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 18:04:07 XLGtQlBV0
剣豪集団的なとらえ方が多いから、教養系隊士と言われる人たちの位置づけや、
近藤の建白などが世間的に着目されず、徹底抗戦を貫いた土方がもてはやされる。
本来は志士の集団なんだから、そう言った研究はもっと進んでもいい。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 19:33:25 h5TyeCpcO
>>208
土方・沖田人気にしても司馬遼太郎作品はじめとした時代小説や漫画・テレビ・映画などの影響だしね。
従来研究はその延長線。執筆陣も大概大学院も出てないアマ。当然、新撰組研究は近世史・近代史の学問的水準を軽視して進行した。
だから「悲劇の青年剣士」だ!!否「時代を読めない人斬り」だ!!ってな議論を本気でやらかす馬鹿が出てくる。
「おいおい、注目すべきはそこじゃないだろ」と漸く重い腰を上げたプロの研究者が宮地氏松浦氏そして新進気鋭の若手研究者たち。
ま、従来研究は従来研究で、ここまで膨大なデータ揃えて世間一般に公表した功績など、評価すべき点も多いし、
これからも見識あるアマチュア研究者が根底の部分を支えていくことには変わりないだろうしね。

211:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 20:54:10 q/KDc1dT0
新撰組の意義を唱えてもNHKの龍馬伝を見ている一般大衆は、
しょうもない新撰組のイメージが出来上がっているでしょうな。
松浦氏が嘆いてもしょうがない。

212:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 23:31:11 3sQ55qSF0
土佐研究で有名だった平尾道雄の新撰組史ではなく
娯楽重視の子母沢寛の著作だけが有名になってしまったのが痛かったな
平尾氏が新撰組本を出すきっかけになったのは宮川家に残っていた
近藤の建白草案を土佐出身の田中光顕が読んで
「立場が違うだけで彼も自分達と同じ同志だったはずだ」とびっくりした
と話していたのを聞いてたかららしい
これがもっと有名になってたらまた話は違ってただろうな

213:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 00:53:31 RHhScFKY0
>>211
普通なら自然とドラマの描かれ方に影響を受けても無理は無いけどね。賢い人はドラマはドラマ、歴史学は歴史学と区別して物を考えられる。
ところが、一般大衆ならまだしも、歴史に対して責任のある歴史学徒のなかにすら、新撰組についてはその区別が徹底していない人がいる。
それが松浦・宮地が大問題としたこと。
「龍馬伝」にせよ「燃えよ剣」にせよ作品自体には何の咎もない。情報を受け取る側の問題。それははっきりしておきたいところだな。
でないと、>>206みたいなアホが歪曲して懲りずにギャーギャー騒ぎかねないし。

214:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 02:51:40 Bi1vZjq1O
真面目な研究者が頑張っていても
菊地明あたりの読者受けしか考えてない売文自称研究家がのさばってる時点で
まともな歴史認識など一般には浸透しないんだろうな

215:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 10:49:15 Voht7aK5O
まあ、菊地明・釣洋一・伊東成郎等々諸先生が活発に研究したから、ここまで深い議論も可能なことは忘れちゃいかんけどね。
一般に対して「魅せる」力があるのはやはり彼らだし、彼らが松浦先生などの提言に耳を貸して研究を進めていけば良し。
そうやって少しずつプロアマの現在の温度差みたいなものが縮まっていけばベストだと思うな。

216:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 11:34:45 MBvdb+zaO
史料や学術書は読まないからな、歴史ファンて。
書店で気軽に買える「本」を読んでその気になってるだけ。
特に会津・新撰組ファン。ちゃんと史料や学術書を読んでたら
会津や新撰組なんかのファンにはならない。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 12:52:40 Voht7aK5O
「歴史ファン」から一歩進んで研究書・史料をある程度読み込めて独自の解釈できるやつもいるだろうに。
ここ見てる限りじゃそう思うが。巷でいう歴史女みたいに世間的に目立ってないだけではないかな?
というかそもそも最初っから研究書やら史料読みできるスキルがあるやつが世の中にどれだけいるかって問題もある。
研究者でも初めはかたっくるしい研究書や難解な古文書以外の部分から興味を持ってるし、小説や漫画が
とっかかりの一角にあってもそれ自体は問題ではないだろうね。

218:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 16:31:53 EtKyj4HNO
>>209

剣豪でなくて剣客集団な


219:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 16:33:56 EtKyj4HNO
>>209

それと近藤の脳内は短絡的な単純攘夷
論ずるに値しない

220:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 17:36:13 LPaxN19h0
>>219
え~と・・・短絡的攘夷って何だ?
1863・10・10、会津・薩摩・土佐・肥後・久留米・他公武合体派諸藩が祇園一力で開催した会合に、
近藤勇も「報国有志代表」として出席し、会津・薩摩藩士たちから攘夷に対する意見を求められた。
その時、
熟愚行仕候処、只今迄薩長攘夷(四カ国艦隊砲撃事件・薩英戦争の意)有之候へども其国港(藩国家限定の意)攘夷にて、
海国(日本全国の意)攘夷とは被申間敷候。然上は第一公武合体専一致し、其上幕府におゐて断然攘夷被仰出候はば、
自然国内安全とも奉存候。素より外国事より如此天下囂然内乱を醸候哉と存候。乍恐政府を助け皇國一致致、
海岸防禦策略より外他有之間敷と相答候。(平尾道雄『定本新撰組史録』p74』)
ってな主張をしてる。平たく言えば、
現状としての足並みの揃わない個別的散発的な攘夷では何も解決しない。
先ずは朝幕融和を基礎にした国内情勢の安定化、その上での攘夷方針・海岸防御体制の構築が重要である。
と説いている。
これには参加者一同同意しているし、当時の世論にかなった堅実な将来設計の攘夷論であったことが分かる。
結果、会合では将軍家茂再上洛・幕府主導での纏まりある国政決定という基礎的路線が合意された。
近藤勇は翌年に至るまでその実現に向けて永井尚志などの要人の協力を得ながら活発に活動していく。

221:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 18:25:24 TWn/K3S+0
>>213
基本的には新選組は>>206>>201のいう言論弾圧組織(異分子粛正組織)にならざるを得ないだろう。

なにしろ近藤勇自身が山南敬助や伊東甲子太郎を謀殺しちゃってるんだから。

222:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 19:13:30 I4LgqwKE0
そんなに歴史的には池田屋以外重要ではないかもしれんが
俺は大好きだ。男としてこうありたいといつも思う。

223:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 20:02:36 LPaxN19h0
>>221
っちょ山南敬助・伊東甲子太郎殺したから「言論弾圧」はないない。
先ず山南敬助は脱走事情は現在不明だが、何れにせよ規律違反者でましてや規律作成者・執行者だったわけだから当然の処置が下されたまでのこと。
伊東甲子太郎は「立場上柔軟な対応がとりずらくなった近藤の協力・支持」を得て親長州派・在京諸勢力との交流を担当した秀才タイプの隊士。
ところが、長州征伐失敗・条約勅許問題などのなかで、なお諸藩の政治的介入を排除しながらを国家基盤を固めようという「一会桑勢力」を支持する近藤勇と、
いやいや「幕府孤立化回避」のためには薩長含めた外様諸藩も巻き込んだ、広い諸藩結集こそに必要だという伊東甲子太郎の間に溝ができてしまう。
これが御陵衛士分立に繋がる。
ただ、御陵衛士は全くの敵対関係ではなく、むしろ薩長ともパイプを持つ土佐藩陸援隊と新撰組の仲介役といった機関で双方とも連絡は緊密だった。
しかし、後の新撰組脱退者切腹事件や近江屋事件といった新撰組の関係が疑われた諸事件のなかで、その協力関係にも罅が入り互いに緊張感が一気に増す。
朝廷・幕府保護下の御陵の危機感は案外に薄いが、新撰組には御陵が博徒水野弥太郎配下数百を抱えているとの情報も入っていて武装蜂起も懸念される。
斎藤一から近藤暗殺計画なんて情報も入っている。先手を打たなければいけない要素は多分にあった。結果油小路となる。
これは「言論弾圧」を意図したものではなく、組織防衛を意図したものと考えた方が妥当な話題。

224:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 21:24:13 jc6v2A+s0
新選組の局中法度も、実態とかなりかけ離れて広がってしまってるね。
普通に脱退して留学した人もいたんじゃなかったか。

御陵衛士との分裂は慶応3年3月だが、この頃の幕薩関係ってどんな感じだっけ?
四候会議の招集段階で、分裂が決定的になる前だよね。
でも兵庫開港問題で慶喜がリーダーシップをとりだした時期にもあたる…

225:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 23:04:12 78MXUw0t0
四候会議当時の徳川慶喜

・孝明天皇崩御に伴い、孝明天皇の攘夷政策を幕府に強要し一会桑の存在感を誇示してきた姿勢を停止
・急死した徳川家茂の次の将軍就任は固辞していたが、急に受諾
・既に老中が諸外国と結んでいながら孝明天皇が拒否し、一会桑も拒絶していた兵庫開港を一転して次代将軍として推進開始

先の参預会議時に、開港堅持及び諸外国との条約遵守を主張していた松平春嶽・島津久光・伊達宗城・山内容堂らは、
再鎖国を主張していた孝明天皇及び一会桑の間で合意に至らず、参預会議は散会していた。

今回の四候会議で松平春嶽・島津久光・伊達宗城は、長幕戦争の決着としての長州への正式終戦手続き及び朝敵認定の解除、
(実はこの時に既に薩長同盟は成立しており、薩摩は長州への朝敵認定解除を含む名誉回復に努力する責任があった)
孝明天皇の遺志としての兵庫開港延期を求め、長州への戦闘状態解除には消極的な一会桑との間で、
兵庫開港の是非をめぐった応酬が続いた。(山内容堂は四候会議ではすぐ出席しなくなってしまった)

明治天皇の摂政である二条は、孝明天皇が明らかな攘夷論者であったことを鑑み、兵庫開港へは否定的な見解であったが
再三の徳川慶喜の請願が通り、兵庫開港が正式に承認される。


四候会議の結果

結果としては、幕府から離れたところで自らの権力を確立しつつあった一会桑は、徳川家茂及び孝明天皇の相次ぐ死によって、
幕府を支配する権限を有することになり、孝明天皇との共同で攘夷を推進してきた過去の姿勢からも自由になった。
(一会桑の佐幕化)

また、参預会議・四候会議で連続して徳川慶喜との政争に敗れた島津久光は、
自身の公武合体路線では久光が中央政治に参加することは不可能であり、
徳川慶喜を排除することでしか自らの政治参加はできないと考えるに至る。
既に西郷隆盛は薩長同盟を締結しており、久光自身の公武合体路線放棄によって薩摩藩上層部は討幕路線で統一される。
(薩摩内部での公武合体路線放棄・討幕への藩論統合)

226:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 23:18:57 v+KA8JiQ0
伊東はよく薩摩の手下みたいな言い方されちゃってるけど
実際は薩長が討幕の準備をしていることを会津藩に報告したり
本当のところは薩長とも幕府とも距離を置いてたんじゃないかな
上の人が書いているように伊東の大政奉還後のプランは
かなり独自路線で薩長系の志士とはまた違うんだよな
伊東の建白書は結構面白いと思う

227:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:05:12 ETqg4HMZO
>>224
慶喜の卓越した政治手腕で薩摩など雄藩との兵庫開港・長州処分勅許問題を巡る議論に勝利したまではよかった。
しかし、この場合、不幸にも慶喜が政治を直接執れるワンマン将軍だったのが仇となって、批判の矛先が従来の幕閣から将軍に向いた。
即ち諸侯から幕府・将軍権力そのものに対する批判が集まってしまいその後、幕府周辺情勢の悪化が進んでいく。
諸侯参加の公議体制確立を望む伊東がそうしたタイミングで幕臣化目前の新撰組から分離したことは無理無い話だね。
もっとも近藤勇にしてもまだまだ伊東甲子太郎に対する信頼感・互恵関係の見込みはあるわけで分立を支持してる。
因みに海外留学あるいは学問修行を理由に円満脱退したのは司馬良策・藤沢竹城だね。前者は維新後に官庁の役人、
後者は新政府軍の兵隊やってたはず。正当な理由があれば基本的に脱退できたのが現状で、首脳部と意見対立する人でも、
武田観柳斎みたいに京都退去を条件として許可だしてたようだし。少しでも脱退の気を表せば絶対粛清というわけではないね。

228:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:13:11 oSt6x0sl0
除隊も結構あったみたいだね
臆病だからいらないという理由で除隊されたり
病気で除隊になった尾関兄のようなのもいる
たぶん谷万太郎も除隊じゃないかな

229:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:20:00 ETqg4HMZO
>>228
谷万太郎は除隊だろうね。少なくとも脱走とかではない。そのまま大阪で道場やってるし。弟は新撰組残留してるし。
ただ新撰組との密な関係は切れたみたい。何故だか御稜衛士とは関係が続いてるが此方も目立って関与はしてない。
元々町人や木っ端役人相手の町道場経営が本業で新撰組隊士はアルバイトみたいなもんだったのかも。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 08:07:54 h1kWfCs90
文字通り血の掟で縛られた新撰組が除隊みたいな甘い事を認めてくれるの?

231:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:37:30 KhWb/FWxO
>>220

近藤個人の思想とでも?
ありえね~www
それだけ政治的な視野がある人物なら100万石の大名なんて話しを真に受けないだろwww
近藤は多摩出身って既成概念から成る佐幕
神の国云々って既成概念から成る攘夷
明確な思想は皆無だす

232:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:41:45 ETqg4HMZO
>>230
他の有志隊と同じく新撰組にも同志の誓いである所謂「局中法度(禁令)」・軍律である「軍中法度」といった厳しい掟がある。
この新撰組隊士に求められる根幹的モラルを逸脱することは大罪であり違背者には当然切腹・殺害が適用されることになっていた。
一会桑が京都警備体制を固めて脱走者追跡も容易になった元治年間以降は徐々にその厳正化も進んでいった。
一方「御暇」という除隊制度もあった。重病人や文武劣等で実務に耐えないと判断された人物、旧主家から帰参要請がきた人物、
家業従事・親の介護など家庭的な事情を抱えた人物、特に脱退に不都合な要素が無いと判断された人物など、
新撰組側が一方的に脱退を申し渡した隊士、都合上問題のない脱退申請者は所謂リストラ・依願退職者として「御暇」となった。
また、同じ掟違反者でも正規隊士で大人しく縛につけば屯営に連行して切腹となり同志として葬儀し墓を立てて貰えたが、
下手に抵抗すれば殺害され打ち捨てられた。処刑方法・死後の扱いの違いは罪を認めたか認めないかの問題だな。
未熟者の仮隊士は死による償いまで行かずに「追放処分」で済まされた。

233:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:42:34 KhWb/FWxO
>>223
近藤を長とした組織の維持な
自分達の地位を守る為に同志を暗殺してた
言論弾圧は外に対しての物だから山南云々は確かに関係ないね

234:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:44:21 KhWb/FWxO
>>224
薩摩藩士は取り締まり対象外
推してしるべし

235:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:49:06 KhWb/FWxO
毎度毎度新撰組スレはコピペ大杉

236:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:49:07 ETqg4HMZO
>>231
どんな本読んだらそういう説明になるのか不思議だな。
近藤勇が100万石につられて云々は多分に講談的要素が強いこと、近藤勇の政治活動の意義は既に多くの研究者が指摘しているよ。
後半部分の既成概念云々の下りは普通に理解不能。

237:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:59:51 KhWb/FWxO
>>236

> 近藤勇が100万石につられて云々は多分に講談的要素が強いこと、近藤勇の政治活動の意義は既に多くの研究者が指摘しているよ。



全く説得力が無い…


238:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:01:44 KhWb/FWxO
>>237

そもそも研究家ってwww

誰でも名乗れる肩書に振り回されたらアカンでぇ

239:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:16:50 ocfOLxm10
久々に覗いたらこれかいな。KhWb/FWxO必死過ぎwww
暫くどこでも相手にされなったのに相手してもらったから嬉しいんだろうな。
>>232
そういや、松本良順が近藤勇の招きで新撰組屯所に健康診断しにいってみたら、重病人がちらほらいたらしいからな。
確か特に重いのが肺結核一人と心臓病が一人だか。そりゃ隊に置いててもしょうがないわな。

240:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:42:18 KhWb/FWxO
久々
必死
IDコピー

電波が好んで使うキーワード満載\(^ー^)/

241:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:45:49 ETqg4HMZO
>>237
その言葉そっくりお返ししますよっ。
ってか真っ昼間から2ちゃんやるより卒論書かなきゃアカンかったの忘れてたっ。現実逃避してますたぁ。
研究テーマ新撰組じゃないけど新撰組は好きなんでまた相手して下さいな。じゃあね~。

242:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 14:09:01 oSt6x0sl0
正直ここで近藤の思想について語ってるKhWb/FWxOは
龍馬暗殺黒幕スレで暴れてる薩摩黒幕連呼厨の論破に行って欲しい

>>239
心臓病は尾関兄説が出てるな
確かその年に除隊してすぐに病死してる

243:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 15:14:42 ocfOLxm10
見事なあしらわれっぷりだなっ!!KhWb/FWxO!!
>>242
勘定方の尾關彌四郎か。弟尾關雅次郎は旗役で函館まで戦った人。
旗といえば他の佐幕派諸隊の旗ってどんなデザインだったんだろうか。
そういうの網羅した本とかあるんだろうか。

244:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 19:16:00 mhE+VvCNO
新撰組も白虎隊も創作の美化だからな所詮。

245:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 01:00:54 irSIFOb5O
まあどちらも歴史的意義のある存在ではないね

246:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 03:10:40 Y3A2Mxy9O
なんだか、盛り上がっちゃってる人いるみたいだけど、
大した興味もない場所にわざわざやってきて馬鹿にしたり否定したりすることでしか楽しめない残念な暇人よりも、
自分が興味あること分かってて、それを色々調べて熱く語ってる暇人のほうが断然周囲から支持をえるのはハッキリしてるよね。
そっちのほうが、お酒一緒に飲んでて楽しいタイプの子だし、世間様じゃ可愛がって貰えてるよ。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 10:21:12 EAYGQkTUO
>>246

アニメ・小説・ドラマで美化された部分だけを語りたいなら他に行きなよ
( ̄・・ ̄)

248:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 12:20:14 IC0WYoNT0
宮地氏や家近氏や松浦氏の研究に沿って語りたいやつだっているだろう
後は会津出身の山本覚馬についてとか
山本覚馬は会津可哀想、会津こそ武士とか言ってるお馬鹿な層が
幅利かせてるせいであまり知られてないよな

249:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 17:35:54 PLGYPkdB0
山本覚馬は超有名人物。会津藩に興味を持つ人間で知らない人間はいない。
たとえドラマしか見ない層でも、嫌でも覚えることになる。

250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 18:24:55 NkJ1qPL00
人気がある分野だし色々意見はあるだろうけど、
最低限、何かから情報引っ張ってきた個所には≪引用資料の情報≫(著者名・書名・出版社名・出版年・該当頁)ぐらいつけようよ・・・。
仮にも史実だとか歴史的意義だとか言ってるならなおさらのこと重要でしょ。
その作業を欠くと、どこからが独自の意見で、どこからが資料を参考にした部分なのかさっぱり分からない。
幾ら熱く語られても、歴史学に沿った批評も、意見の有効性も、建設的議論も全く成立しない。
正当な論文や研究書でその点に無配慮な場合、著作権違反で訴えられるくらい、些細だけど重要な問題だぞ。

論を組みたてる素材の「史料」があって、それを「史実」「創作」「どちらともつかない史料」にきっちり分析・区別して論を組み立てていく。
そういう「史料に基づく学問」って根幹部分は忘れちゃいけない。
これは新撰組がどうだとか会津がどうだとかじゃなく、歴史学の常識という話で、そのまま社会一般にも通用する内容。
会社の企画会議で論拠も明示せず「この商品を知らない人間はいない」「CM見なくても嫌でも覚える」なんぞといって新商品売り出そうなんて馬鹿社員がいたら邪魔なだけだろ。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 20:49:13 irSIFOb5O
>>250
ごもっとも
ただその歴史学の基本を実践すると
新撰組やら白虎隊やらの面白おかしい話はほぼ出来んだろう
何せまともな史料がほとんどないので「ハイそれ創作~ハイそれ根拠がな~い」
の総ツッコミ大会になってしまう
新撰組関連の著作はそんなのが多いね
まぎらわしいから本の前書きに史料批判についてワンコラム入れとけばいいのに

>>222
他人の妾をレイプするわ女を買う金の為に横領して罪を部下になすりつけ腹切らすわ
偽名で投降したら粛清しまくった隊員の身内が敵方にいて顔バレ→斬首になるわで
近藤はゲスくてあんまり好きになれん

252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 00:02:19 xergHaW+0
>>251
確かに厳密な歴史学の実践は一般的な「面白おかしい話」を期待する人にはつまらないというか難解だろうな。
そこに研究書・史料タイプの人間と漫画・小説タイプの人間の温度差というか、埋めがたい溝があるのも事実。
一般的モラルとは違ったモラルが通用しているネットの世界で、その溝が原因で変な議論が変なテンションで展開してしまうのも、
避けては通れないことなのかも。水と油というか、馬の耳に念仏というか。

但し「何せまともな史料がほとんどない」とうのはどうだろう。この先入観を解きほぐすことこそが史料批判の役割といえるわけだし。

例えば、「錯誤が多い」として研究者から捏造書の如く扱われてきた永倉新八『新撰組顛末記』(新人物往来社・1998)にしても、
宮地正人が『歴史のなかの新選組』(岩波書店・2004年)で史料の性格を随所で再検証し、錯誤の原因を明らかにしたことで、再度利用価値を見出された。
やはり妙な先入観で顧みられてこなかった「近藤勇書簡」にしても、松浦玲が『新選組』(岩波新書・2003年)で一躍基礎史料としての価値を見出している。
さらには『新選組の論じ方-新選組史料フォーラムから』(宮地正人・伊藤克司・小林丈広他・マツノ書店・2009年)に寄せられた新進気鋭の研究者たちによる、
史料発掘・研究史更新の現状報告から、新撰組研究の深さ・広さが確認できる。

何にしても、「総ツッコミ大会(事実関係の確認)」は料理の下ごしらえのようなもの。肝要なのは「独自の問題意識・解釈をもって」巧みに新撰組なら新撰組という課題を調理していけるか否か。
とことん取り組んだ結果、満足いく一定の答えに至れたやつが本当に「歴史を理解」したことになるんだよなぁ・・・。新撰組に限らず色々と論文に目を通したり講演会参加してると、つくづくそう思うね。

因みに、近藤勇が女を買う金の為に云々の逸話については、1865年時点の諸士調役の雑記帳『取調日記』(現在は日野市市政図書館でコピー可)や、一京都町人の視点から綴られた1866年の史料「新選組金談一件」(『三井文庫論叢37号』・財団法人三井文庫・2003年)
でもって、否定できるので興味があったら目を通してほしい。あまり一般書籍では紹介されていないようなので、単純に新鮮というか興味深い内容だと思う。
流山での振る舞いについては詳しくないから何とも言えないが、確かに宮地氏や松浦氏もその頃の近藤の対応については京都時代とは一転したお粗末さというように書いていたと記憶するな。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 04:32:01 CeOog02O0
>>246
ここはID出る。カテゴリ学問・文系の。日本近代史板なんだから、基本的には史料に沿って語る場所だし
例え酒が入っていても、史料に沿って喧々囂々語り合うのが楽しい連中の集まりであり、そういう奴らが可愛がって貰える空間です
>>1が創作込みでワイワイ語りたいってスレタイやレスで明記してない限りは


254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 09:31:30 khOiyi8S0
>>251
こうしてみると嫌い人も随分子母澤の小説や司馬の小説の情報
を信じきってるんだな
谷三十郎や武田も斎藤が惨殺したとか信じてる人多そう

255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 12:07:34 A0VIt8j+O
>>248
確かに山本覚馬や広沢安任は会津好きより薩長好きの人の方が詳しく知ってそうだな
幕末から活躍してるのにな


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch