新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊at HISTORY2
新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊 - 暇つぶし2ch157:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:36:20 eyxoHCTU0
>>155
それは雑多軍の集合体である諸隊を”大雑把かつ無理矢理”に理解しようとしたに過ぎんよ。

傭兵のつもりで入った者、志願して入った者と色々な人々が入っている。
だが、初期の諸隊の中には藩に属していない部隊も多いんだってば。

藩や国に属さない部隊は、義勇軍と呼ぶべき性質のものだよ。民衆軍かどうかは知らんけど。
当然ながら、藩の命令を聞く必要は無い。藩からは要望が届くのみで、それを実行するか無視するかは隊幹部が合議で決めている。

大村益次郎が、それじゃ困るから藩正規軍に統合した。それ以後が君の言うような「藩秩序維持のための道具」的性質も持ったのさ。
新選組も初期には義勇軍的性質をもってただろうにw。
江戸に帰ってこいと命令を出したのに、京都残留を決めた彼らは幕府に建白書を差し出し「公武合体」を主張、その為には将軍が京都にいる事が望ましく、その警護をしたいと訴えている。
幕府の方が困って、会津藩に彼らの事を話し対処するようにと命じているよ会津にw。
で、会津藩が彼らのお預かりにした。義勇軍的性質で発足した新選組には、当初給金も禄も出されてないよ。
芹沢や近藤が、商人に押し借りしたのはその為でしょう。


158:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 18:41:02 eyxoHCTU0
>>157
>武器だって藩が供給するだろう

初期の諸隊には供給してないwみんな、刀や槍、農具とかで武装w
藩正規軍になってから、藩が銃を渡してる。

159:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/13 23:54:45 uhkIvc4Y0
>>157
幕府浪士組が関東を活動拠点にする尊攘派有志の秩序化組織化を意図した幕府の「御改革」であったのは周知の事実。が、壬生浪士組(新撰組)は違って義勇軍だった、というのは難しいものがあるな。
①分離行為自体は近藤・芹沢らのイデオロギーから発露したものだが、それをあっさりと許可し、態々追加で残留浪士を募り、浪士取扱鵜殿鳩翁を監督役にする計画まで練った幕府の積極的協力的対応。
②分離組を幕府から「御預かり」した京都守護職(会津藩)が抱える、京坂尊攘派有志の組織化・秩序化という課題と、その器としての分離組の利用価値。御預り間もなく同志募集命令を出した事実。
③分離後二ヵ月を経た1863年5月、近藤勇が手紙で「浪士取扱・取締(幕臣の就く浪士組の管理職)」設置が無いため、という前置きをした上で、「同志隊長(後の局長)」を設け自身と芹沢が就いたと郷里に報告した意図。
④江戸新徴組(浪士組本体)と京都新撰組の給与・身分(これは近藤勇が拒否)の授与決定は殆ど同じタイミングである事実。またその間の資金不足による借金騒ぎは新徴組でも起きている。
などなどから、彼らが幕府がドサクサで会津藩に押し付けたとか、初期は独立した組織だった(あろうとした)という解釈には無理を感じざるを得ないな。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 00:17:21 qug6nY2AO
まだやってんのか…
つか、何で会津スレで長州の話を持ち出すんだ?
会津観光史学洗脳者みたいじゃないか。


161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 01:38:38 Zdd3LAP10
幕府陸軍系は有名な隊や士官が多いけど、徴募農兵もなかなか面白い

佐幕系で面白いと言ったら、庄内藩の農兵が結構面白いかな…
あれは庄内の主力部隊と言ってもいいでしょ

162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 02:41:23 DxrpaG280
>>154
>藩正規軍に取り込んで

ここだけ↑ちがう。惜しい。他は正しいんだけどね。
長州藩は「武備恭順」の形で上下の反論を統一し、長幕戦争にも備えていた。

そこで諸隊が藩の指揮命令下に組み入れられたことは事実なんだが、
重要なことは、
諸隊のほうでも自発的に組み入れられていたということであって、
隊規作成や隊員募集や隊員管理は藩ではなく自分たちで自発的にやってるんだよね。

おまけに、戊辰戦争終了後、諸隊は療養と供養以外やることが急になくなるわけだが、
残念ながら、諸隊はあくまで義勇兵的な存在に過ぎず武士だけの藩正規軍ではなかったので、
藩庁に対し『自分たち諸隊を藩正規軍と同様に扱い、自分たちが命をかけて藩に貢献したことに対して正当に報いろ!』
と労働争議的な・民事訴訟的な反乱を起こす事態になってしまう。
そして、藩庁に対する軍事的反乱という性格も持っていたため、藩正規軍によって鎮圧されてしまう。

よって、長州藩のほとんどの諸隊は、義勇兵で始まり、維新後に御親兵や陸軍・海軍に入った者以外は極めて純粋に義勇兵で終わっている。

新撰組が会津藩お抱えとなり江戸幕府の旗本・御家人に全的に取り立てられたのとは全くの好対照。

曲がりなりにも尊王攘夷を唱えていた新選組の最大の矛盾(失敗?)は、
尊王攘夷とは真逆の屈辱外交を無理やり推し進めていた元凶が自分たちが擁護していた江戸幕府だったという点だな。

163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 12:48:59 Zdd3LAP10
ここは佐幕側の諸隊が話題ではなく、
長州の諸隊が最後まで義勇兵だったか、途中からその性格を失ったか論じるスレですか。
だったら勝手にやっててくださいませな。

164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 12:52:45 Zdd3LAP10
>尊王攘夷とは真逆の屈辱外交を無理やり推し進めていた元凶が自分たちが擁護していた江戸幕府だったという点だな。

馬関条約で事実上降伏して藩論を転換し、下関を勝手に自由港化したほうがよっぽど屈辱的だったと思うよ。
屈辱的だから秘密にしたんでしょ
孝明天皇の攘夷意思に最初に背いたのが長州藩だと言ってもいいだろう。
幕府は国内市場の保護こそポイントであることを最初から理解して、開港の際には条件闘争をやってるからね。

165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 13:22:49 ZQTyXU680
>>163
同意。
全国規模で有志結合組織を考える際に、長州諸隊の話が出るのは構わないし当然だと思う。
しかし、近世の統制社会的性質を完全無視で、長州諸隊が終始「己の思うままに活動していた」みたいな段階を何段も飛び越した答えに持ってくのは乱暴すぎる。
この手の問題は、江戸時代の都市・村落史に少しでも理解が無ければ理解が難しいところ。舞台が整った段階の「幕末」を上辺だけで見ても限界がある。
ここは下手に話を広げず、素直にスレタイ通り佐幕派諸隊の動向に話題を絞るのが無難だべな。

166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/14 21:35:07 wGvuMy8UO
自分の好きなものを語るよりも自分の嫌いなものを叩く事に熱心になる人ってどこにでもいるんだな

167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 10:53:26 slGrpSiu0
義務教育で洗脳されなければ悪いのは薩長だとわかる
アルカイダやタリバンだろ薩長って
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 16:09:48 j4bjk4caO
>>167義務教育のどんな洗脳?具体的に。

169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 17:47:32 HJoKpUi10
長州と薩摩はやり方が汚いテロリスト集団

170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 20:31:33 O/yH3Ap80
>>167
ん?日教組に洗脳されたの? 無知なの?

アルカイダとは違って、幕府勢力に勝利し、新国家の建設の中心になった
ことでまったく違うだろう。
会津戦争の方がタリバンだw

171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 20:53:22 hmgl9Go9O
簡単にテロリストだタリバンだなんだと簡単に例えてしまうから支離滅裂な議論になる。
先ず140年前の幕藩体制崩壊期における内憂外患を整理・把握して基本的時代像を掴めてたらそうは言い切れない。
会津がタリバンでなけりゃ薩長もタリバンじゃない。ことを無理に単純化するより深く考察するべきでは?


172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/15 21:15:25 Au07FS5f0
>>164
低脳国賊にしても悪意が過ぎるね。さっさと氏んだほうがいい。

薩長は遅くとも斉彬や松陰の頃から攘夷のための開国派。
肥前や高野長英はそれ以前から攘夷のための開国派。
彼らは攘夷のために海外との交流を必要不可欠と考えていた。

攘夷は「破約攘夷」・屈辱外交拒否・植民地化拒否という意味だけ。鎖港・鎖国までは意味していない。
鎖港・鎖国なんてしてたら、海外の文明・技術を輸入できず、攘夷もできなくなってしまうだけだから。

とにかく「鎖港」「鎖国」を「攘夷」と勘違いするのは低脳丸出しで無知にも程がある。歴史改竄の悪意が異常過ぎる。

例えば、屈服開港していた幕府を擁護しつつ「攘夷」を標榜していた新選組・会津藩の立場なんか全くなくなってしまう。



173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 01:31:45 VtJo6BBOO
>>172
というか、近世の所謂「鎖国・鎖港」に対する通説的認識自体が、研究者の間では大きく見直されて来てるな。
幕府の西欧列強に対する外国姿勢を「弱腰・無策」と一蹴することが常だった風潮も90~00年で変わった。
ま、話題の「龍馬伝」じゃ相変わらず右往左往する幕府と毅然とした薩長雄藩みたいなレトロな描写がされてるけどね。
あと、外圧問題だけがやたらクローズアップされる幕末史だが、これもここ変わりつつあるな。
考えてみれば何よりも先ず注目すべき18世紀後期~19世紀前期にかけて徐々に顕在化していった内憂に
あまり重きがおかれていなかったこと自体不思議っちゃ不思議な話しだけど。幾つか史料を追ってみると
幕府・薩長問わず武家が武家としての責務を果たせないほど弱体化し、民衆の台頭が顕著になってる。
ってなことが良く見えてくる。新撰組の起源も外圧だけではなく内憂にも求めるればなかなか面白くなるかも。

174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 01:51:53 bOXUrAAI0
外圧による開国とそれによる経済的混乱と騒擾はそんなに新しい見解だっけ

175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 02:22:01 VtJo6BBOO
>>174
外圧によりもたらされた経済混乱ってのは割に古くからあるね。
最近盛んなのは近世社会の柱である武威・仁政の崩壊無力化ってな視点からのアプローチ。主に近世史家から盛んに行われてる。
都市とか村落関係の新しめの本を当たれば確か新撰組に触れた研究も幾つかあったと思う。

176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 03:48:25 uhfYBPbI0
外国と組んで朝廷や幕府を壊す
テロ以外の何物でもないな
中国と組んで日本をぶっ壊す
民主党奇兵隊内閣と明治維新はそっくり

177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 04:02:14 pnUY/6M60
>>176
佐幕系の司馬遼太郎かぶれの菅直人がつくった内閣による屈服外交・経済失政はひどいだろ?

まさにそういう状態だった江戸幕府を倒してにほんこくを建て直したのが本物の奇兵隊であり薩長主体の明治政府。


これ、日本人の基本な。
どうやら、奥羽越・江戸などを出自とする佐幕系は、いまだに薩長に対する嫉妬と悪意と妄想に逃げ込みたくてしようがないらしいがp

明治政府のあと、原敬内閣以降、幕末の江戸幕府のようなファシズム状態に戻してしまったのが、これまた佐幕系の連中な。

田中角栄内閣以降、屈服外交と借金を山積し続けてきたのも、これまた佐幕系の連中な。



178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/16 13:56:14 VtJo6BBOO
>>177
先ず佐幕対倒幕って構図自体が学問的に限界あり。明治政府が鼻から薩長主体って事も通俗的骨董品的学説。
佐幕派の系譜だ本物の奇兵隊だなんだと時代劇じゃなし、それで近世から現代まで説明できたら研究職は存在しない。
現政権批判なんだか佐幕派批判なんだかぶれ過ぎ雑過ぎの不毛な論争まがいしてないで
いい加減スレタイ通りの進行に戻れや。

179:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 02:38:39 GPVFryjyO
小栗歩兵のように、幕府の大身の旗本の中には知行地から農兵を徴募した者もいたんだろうな。
手塚治虫の「陽だまりの樹」では、知行地ではないが、父が代官をしていた村で兵を募るシーンがあったが。
そういう私募もあったかも

実は、幕府歩兵は長州戦以前に天狗党とか、関東での治安出動が初陣だったんだよね

180:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 03:36:53 mOW6SQ5i0
知行地は知らないが、鳥羽伏見で戦死した連隊長の窪田鎮章も大身旗本だな。
父は鳥羽伏見、子は上野で戦死してるから、バリバリの一家だろう
同じく戦死した佐久間信久は、禄高は不明だけど、佐久間信盛子孫とも言われてる

幕府の大身旗本がダメだったというのも、意外とあてにならない気がする
家督を継いでいるのは、小栗も含めて養子が多いし、窪田家なんて譜代の忠臣でないと
あそこまでやる気にならないでしょ…

181:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 10:26:09 BeZ3dqkB0
なんかやる気のある下級指揮官から死にまくってる印象があるな。幕府軍。
上級指揮官は……大鳥頑張れ。

彰義隊に到っては、何がしたかったのか全く分からん。
寺を枕に討ち死にしたのなら、旗本の一分として理解できないでもないが。

182:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 13:42:19 NgeC2oDEO
まあ白虎隊は語る必要もないな。篭城してただけだし。

183:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/17 18:10:34 EzDl+QuD0
>>179
幕府の公的兵卒徴募制度としては、
旗本知行地から兵を徴発する「兵賦」、従者から徴発する「軍役銃卒」、江戸市中で徴募した「歩兵」などがあるね。
幕領の農兵隊だと、土方歳三義兄・日野宿名主の佐藤彦五郎が、代官江川太郎左衛門に願い出て編成した日野宿農兵隊が有名だな。
武州では19世紀に入って一揆・打ちこわしが先鋭化。混乱のなかで強盗・殺人を犯す無法者も増えていたし、彦五郎自身もそれで祖母を殺されてる。
が、従来型制度での武士の庇護は期待できない。幕府であろうと雄藩であろうと事情は同じ。
そこに、天然理心流のような武術や銃兵組織の需要があった。権力の影響だけでなく、民衆の「自らの手で郷土防衛をしてやる」って意識の高まりも、
農兵編成には大きく影響していたってわけだな。
とはいえ幕末期は兵農分離の原則云々が邪魔して幕府・藩といった個別的な軍制改革止まり。全国的統一軍創設と安定した体制確立には明治に入って
なお時間を有することになったが。

184:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/18 09:52:28 qL780LdgO
>>176明治政府は中国と戦争したんだがな。
オマエそろそろいい加減にしろよ。
明確な理由もないくせに、こじつけするな。

185:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/25 22:04:34 IzT11X730
天狗党の乱とか、関東各地で頻発していた無宿の連中に立ち向かった自警団的な例とかあるのかね。
その日野宿農兵隊は結構面白そうだが。

186:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/25 23:57:46 3tnmJ4KlO
>>185
奇兵隊だけが目立ってるけど、調べると民兵はどこの藩でも多かれ少なかれ結構早い時期から採用してるな。
地元のそういう組織を調べたら面白いかも。古い家だと案外先祖が所属してたとかありそうだ。

187:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/26 22:17:23 Ia8bDDpC0
大鳥も結構頑張ってるじゃん。ただ、負けるだけで。
土方と大鳥が逆の立場だったらうまくいかなかったんでは

188:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 11:29:44 1+OOBpBdO
>>187
現代風に言えば大鳥圭介はキャリア。土方歳三はノンキャリアって関係かな。
土方歳三は優秀な現場指揮官だけど、国外の情勢まで勘案できるほどの教養・経験はどう考えてもないし、
どうも強引というか高圧的な一面があって味方のなかにも毛嫌いする人がチラホラいたようだし。全軍束ねる大将の器ではないな。

189:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 12:00:39 q/IW3FMY0
大鳥はキャリアなのか?
むしろ譜代幕臣がキャリアで、一代限りで幕臣に取り立てられた大鳥もノンキャリだと思うけど


190:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 19:41:12 bhqvjoTV0
函館政権副総裁の松平太郎のポジションがいまいち分からない。
と言うか、旧幕軍の有名将星は基本的に幹部候補生ね…

191:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 20:32:01 buVn839u0
>>190
軍制改革により蕃書調所・講武所などの士官学校が創設され、新たに幕軍を担う幹部候補生が育成された。
それらの機関で学び、出世街道をひた走っていたのが大鳥圭介とか佐久間。
土方歳三はそんな然るべき学歴を積んだ人間ではなく、現場レベルの指揮官としては優秀だったが、
本来的には新撰組の副長か隊長で終わってたであろう人間。その関係をキャリア・ノンキャリアと見ることはできなくもないかな。

192:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/27 20:33:32 buVn839u0
間違えた、>>190>>189の誤りね。

193:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 00:23:08 uNyt4PWb0
>>187
大鳥は結構頑張ってるどころか、ボチボチ勝利を拾って幕府軍を支えていると思うが
大鳥のレベルで負けているなら土方はもっと負けてることになるんじゃね?

194:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 00:50:00 GAZrwnQ70
ところが、なぜか大鳥は低評価なんだよね。研究者も史家も、誰もよく言わないというか。
あれだけ転戦してめげずに図太くやれるってだけで、秀才型の幕府官僚の中では大したものだと思う。

ちなみに榎本と大鳥は後にともに公使をやるけど、榎本は穏健でそつのない解決を望み、
大鳥はわりとリスクを取るタイプなんだよね

195:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 01:46:57 BpIC7TyM0
明治以降新政府の役職に就いて、福沢諭吉あたりから手酷い難論を浴びせられているのは、
勝海舟も榎本武揚も大鳥圭介も同じなのだけど、

勝海舟は、静岡県開発支援、徳川慶喜の名誉回復に尽力した。
榎本武揚は、東京農大の創立が評価を高くしている。
東京農大に旧幕臣を多数雇用したので、彼等が榎本への悪口を言いにくくなった。

大鳥圭介は学習院とかの校長なので、旧幕臣にとっては明治新政府側に尻尾を振ってばかりの感じがするのだろう。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 02:52:50 2cjBpE0xO
>>194
大鳥に対する世間一般の低評価は司馬遼太郎作品の影響が大きいな。やっぱり。
加えて、史料批判のひの時も知らんような作家くずれの素人研究者がテレビでチンプンカンプンな歴史談義やらかすし。
勿論、世の中全部の人がそうではないけど、なかにはそういう出鱈目な情報を無条件に受け入れちゃうからなぁ。
俺は漫画自体は好きだが黒鉄ヒロシが朝の情報番組でどや顔でウザったく歴史語ってるの見ると何故だか萎えるわぁ・・・。
まぁ、まともな学者出すとその筋の人にしか面白みが伝わらないからテレビ的には妥当な配置なんだろうけどさ。

197:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 03:51:25 uNyt4PWb0
大鳥は蝦夷でも一番奮戦しているし、何度か官軍を押し返してる
最後まで戦い続けて、千代ヶ岱の味方を救う為に突撃したし
司馬の作品に出てくるような奴じゃないよねぇ司馬作品の中じゃ、大鳥というか伝習隊全員、土方に吸収されている感がある
本人が生きてこれを見ても笑って怒りはしないそうだけどw

陸軍出仕の話もあったみたいだね。
まあ大鳥みたいな逸材を軍人にするの勿体ないけど。工部省にいてくれてホントに良かった
工部大学校から日本を支えた人材を沢山輩出した

198:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 12:59:38 0zFQH+ur0
結論として、大鳥・榎本はじめ幕府海陸軍出身者や幕政の遺産が果たした役割は、幕末期・明治問わず大きかった、ということだな。
当然、政権トップは有力公卿や薩長土中心だったわけだが、土台の部分で引き続き多くの旧幕府系が活躍してたと。
元新選組なんかが警察畑でそこそこ出世してるのも、決して日蔭の人生を送ったとは言い難いというか、結果オーライな感じはしないでもない。

ところで幕府軍には統一的な階級とかは存在したのだろうか?あまり触れたものがなくて気になる。

199:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 17:21:35 GAZrwnQ70
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)

ブログ引っ張ってきていいのか分からないが、陸軍ならこれがまとまってるね。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 21:59:41 LhMur/900
>>199
ありがとう!!

201:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 22:11:29 sM967O3C0
新撰組も京都見廻組も時代についていけないジャガイモみたいな頭の連中です。
今でいう既得権益を守りたい役人に使われた暴力集団です。
多分、近藤勇等は洗脳された哀れな人たちなんでしょう。
その輩を英雄扱いしている人たちがいるけど、どうなんでしょう?
先日、日経新聞でも新撰組らを英雄扱いすることに異議を唱えている
社説がありましたね。

202:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/28 22:41:15 2cjBpE0xO
>>201
例によって歴史的経緯完全無視で、現代人視点の結果論的でおそまつな意見だなぁ。
まあ、一般の新撰組人気は龍馬やら戦国武将ブームと同じで漫画やゲームの人気の延長。社説ってのも歴オタ批判みたいな趣旨か。
歴史学的課題として興味のある人にとってはどうでもいいというか、あまり意味のある批判ではないな。


203:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 13:35:12 ApPROzUhO
新撰組に歴史的意義あったのって池田屋事件くらいだろ
あとは悲劇の○○大好きな層への講談的な需要があるだけ

204:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 16:29:45 6tqhS5Iy0
>>203
それは「歴史に影響を与えた事件」であって歴史的意義ではないぞw


205:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/29 17:36:48 mENrA2q80
>>203
毎回思うんだが、歴史的意義に触れるんだったら、最低限の研究史を把握してからもの言えよォ。
十年前よりも断然史的新撰組研究が進んでるし、探せば容易に好著も手に入れられるというに。
作家連中の書いた史料批判不徹底で上っ面しか見えてない本をなんぼ読んだって、
暇つぶしにはなっても学問的理解には繋がらないぞ。

206:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 01:47:45 rxPg2KeY0
>>201の言ってることは極めて重要。
新選組って昭和戦前の言論封殺・思想弾圧に狂ってた特高・警察みたいな存在だからな。


>>202は全く有害無益な意見。

207:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 03:21:23 h5TyeCpcO
>>206
その新選組が尊皇攘夷・朝幕融和を目指して幕府・諸侯に盛んに意見したり、政治運動展開してるのは無視しちゃうんか?
そもそも警察機能だけに特化してできた組織じゃなよね。治安組織の枠に括ってしまうと幕末史全体との整合性も欠いちゃうが・・・。
もっと多様な顔と歴史的意味のある組織だよ。その「多様な顔と歴史的意味」の研究が最近進んでるのは事実だし。

208:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 12:13:18 3sQ55qSF0
新撰組って
最近でこそ宮地正人や松浦玲といった研究者が新撰組関連の書籍を出し始めたが
それまで何故か取り上げられるのは土方や沖田ばっかで
近藤や伊東といった政治活動に熱心だった人らの研究が遅れてるって
松浦氏が嘆いてたな

209:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 18:04:07 XLGtQlBV0
剣豪集団的なとらえ方が多いから、教養系隊士と言われる人たちの位置づけや、
近藤の建白などが世間的に着目されず、徹底抗戦を貫いた土方がもてはやされる。
本来は志士の集団なんだから、そう言った研究はもっと進んでもいい。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 19:33:25 h5TyeCpcO
>>208
土方・沖田人気にしても司馬遼太郎作品はじめとした時代小説や漫画・テレビ・映画などの影響だしね。
従来研究はその延長線。執筆陣も大概大学院も出てないアマ。当然、新撰組研究は近世史・近代史の学問的水準を軽視して進行した。
だから「悲劇の青年剣士」だ!!否「時代を読めない人斬り」だ!!ってな議論を本気でやらかす馬鹿が出てくる。
「おいおい、注目すべきはそこじゃないだろ」と漸く重い腰を上げたプロの研究者が宮地氏松浦氏そして新進気鋭の若手研究者たち。
ま、従来研究は従来研究で、ここまで膨大なデータ揃えて世間一般に公表した功績など、評価すべき点も多いし、
これからも見識あるアマチュア研究者が根底の部分を支えていくことには変わりないだろうしね。

211:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 20:54:10 q/KDc1dT0
新撰組の意義を唱えてもNHKの龍馬伝を見ている一般大衆は、
しょうもない新撰組のイメージが出来上がっているでしょうな。
松浦氏が嘆いてもしょうがない。

212:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/30 23:31:11 3sQ55qSF0
土佐研究で有名だった平尾道雄の新撰組史ではなく
娯楽重視の子母沢寛の著作だけが有名になってしまったのが痛かったな
平尾氏が新撰組本を出すきっかけになったのは宮川家に残っていた
近藤の建白草案を土佐出身の田中光顕が読んで
「立場が違うだけで彼も自分達と同じ同志だったはずだ」とびっくりした
と話していたのを聞いてたかららしい
これがもっと有名になってたらまた話は違ってただろうな

213:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 00:53:31 RHhScFKY0
>>211
普通なら自然とドラマの描かれ方に影響を受けても無理は無いけどね。賢い人はドラマはドラマ、歴史学は歴史学と区別して物を考えられる。
ところが、一般大衆ならまだしも、歴史に対して責任のある歴史学徒のなかにすら、新撰組についてはその区別が徹底していない人がいる。
それが松浦・宮地が大問題としたこと。
「龍馬伝」にせよ「燃えよ剣」にせよ作品自体には何の咎もない。情報を受け取る側の問題。それははっきりしておきたいところだな。
でないと、>>206みたいなアホが歪曲して懲りずにギャーギャー騒ぎかねないし。

214:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 02:51:40 Bi1vZjq1O
真面目な研究者が頑張っていても
菊地明あたりの読者受けしか考えてない売文自称研究家がのさばってる時点で
まともな歴史認識など一般には浸透しないんだろうな

215:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 10:49:15 Voht7aK5O
まあ、菊地明・釣洋一・伊東成郎等々諸先生が活発に研究したから、ここまで深い議論も可能なことは忘れちゃいかんけどね。
一般に対して「魅せる」力があるのはやはり彼らだし、彼らが松浦先生などの提言に耳を貸して研究を進めていけば良し。
そうやって少しずつプロアマの現在の温度差みたいなものが縮まっていけばベストだと思うな。

216:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 11:34:45 MBvdb+zaO
史料や学術書は読まないからな、歴史ファンて。
書店で気軽に買える「本」を読んでその気になってるだけ。
特に会津・新撰組ファン。ちゃんと史料や学術書を読んでたら
会津や新撰組なんかのファンにはならない。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 12:52:40 Voht7aK5O
「歴史ファン」から一歩進んで研究書・史料をある程度読み込めて独自の解釈できるやつもいるだろうに。
ここ見てる限りじゃそう思うが。巷でいう歴史女みたいに世間的に目立ってないだけではないかな?
というかそもそも最初っから研究書やら史料読みできるスキルがあるやつが世の中にどれだけいるかって問題もある。
研究者でも初めはかたっくるしい研究書や難解な古文書以外の部分から興味を持ってるし、小説や漫画が
とっかかりの一角にあってもそれ自体は問題ではないだろうね。

218:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 16:31:53 EtKyj4HNO
>>209

剣豪でなくて剣客集団な


219:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 16:33:56 EtKyj4HNO
>>209

それと近藤の脳内は短絡的な単純攘夷
論ずるに値しない

220:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 17:36:13 LPaxN19h0
>>219
え~と・・・短絡的攘夷って何だ?
1863・10・10、会津・薩摩・土佐・肥後・久留米・他公武合体派諸藩が祇園一力で開催した会合に、
近藤勇も「報国有志代表」として出席し、会津・薩摩藩士たちから攘夷に対する意見を求められた。
その時、
熟愚行仕候処、只今迄薩長攘夷(四カ国艦隊砲撃事件・薩英戦争の意)有之候へども其国港(藩国家限定の意)攘夷にて、
海国(日本全国の意)攘夷とは被申間敷候。然上は第一公武合体専一致し、其上幕府におゐて断然攘夷被仰出候はば、
自然国内安全とも奉存候。素より外国事より如此天下囂然内乱を醸候哉と存候。乍恐政府を助け皇國一致致、
海岸防禦策略より外他有之間敷と相答候。(平尾道雄『定本新撰組史録』p74』)
ってな主張をしてる。平たく言えば、
現状としての足並みの揃わない個別的散発的な攘夷では何も解決しない。
先ずは朝幕融和を基礎にした国内情勢の安定化、その上での攘夷方針・海岸防御体制の構築が重要である。
と説いている。
これには参加者一同同意しているし、当時の世論にかなった堅実な将来設計の攘夷論であったことが分かる。
結果、会合では将軍家茂再上洛・幕府主導での纏まりある国政決定という基礎的路線が合意された。
近藤勇は翌年に至るまでその実現に向けて永井尚志などの要人の協力を得ながら活発に活動していく。

221:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 18:25:24 TWn/K3S+0
>>213
基本的には新選組は>>206>>201のいう言論弾圧組織(異分子粛正組織)にならざるを得ないだろう。

なにしろ近藤勇自身が山南敬助や伊東甲子太郎を謀殺しちゃってるんだから。

222:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 19:13:30 I4LgqwKE0
そんなに歴史的には池田屋以外重要ではないかもしれんが
俺は大好きだ。男としてこうありたいといつも思う。

223:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 20:02:36 LPaxN19h0
>>221
っちょ山南敬助・伊東甲子太郎殺したから「言論弾圧」はないない。
先ず山南敬助は脱走事情は現在不明だが、何れにせよ規律違反者でましてや規律作成者・執行者だったわけだから当然の処置が下されたまでのこと。
伊東甲子太郎は「立場上柔軟な対応がとりずらくなった近藤の協力・支持」を得て親長州派・在京諸勢力との交流を担当した秀才タイプの隊士。
ところが、長州征伐失敗・条約勅許問題などのなかで、なお諸藩の政治的介入を排除しながらを国家基盤を固めようという「一会桑勢力」を支持する近藤勇と、
いやいや「幕府孤立化回避」のためには薩長含めた外様諸藩も巻き込んだ、広い諸藩結集こそに必要だという伊東甲子太郎の間に溝ができてしまう。
これが御陵衛士分立に繋がる。
ただ、御陵衛士は全くの敵対関係ではなく、むしろ薩長ともパイプを持つ土佐藩陸援隊と新撰組の仲介役といった機関で双方とも連絡は緊密だった。
しかし、後の新撰組脱退者切腹事件や近江屋事件といった新撰組の関係が疑われた諸事件のなかで、その協力関係にも罅が入り互いに緊張感が一気に増す。
朝廷・幕府保護下の御陵の危機感は案外に薄いが、新撰組には御陵が博徒水野弥太郎配下数百を抱えているとの情報も入っていて武装蜂起も懸念される。
斎藤一から近藤暗殺計画なんて情報も入っている。先手を打たなければいけない要素は多分にあった。結果油小路となる。
これは「言論弾圧」を意図したものではなく、組織防衛を意図したものと考えた方が妥当な話題。

224:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 21:24:13 jc6v2A+s0
新選組の局中法度も、実態とかなりかけ離れて広がってしまってるね。
普通に脱退して留学した人もいたんじゃなかったか。

御陵衛士との分裂は慶応3年3月だが、この頃の幕薩関係ってどんな感じだっけ?
四候会議の招集段階で、分裂が決定的になる前だよね。
でも兵庫開港問題で慶喜がリーダーシップをとりだした時期にもあたる…

225:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 23:04:12 78MXUw0t0
四候会議当時の徳川慶喜

・孝明天皇崩御に伴い、孝明天皇の攘夷政策を幕府に強要し一会桑の存在感を誇示してきた姿勢を停止
・急死した徳川家茂の次の将軍就任は固辞していたが、急に受諾
・既に老中が諸外国と結んでいながら孝明天皇が拒否し、一会桑も拒絶していた兵庫開港を一転して次代将軍として推進開始

先の参預会議時に、開港堅持及び諸外国との条約遵守を主張していた松平春嶽・島津久光・伊達宗城・山内容堂らは、
再鎖国を主張していた孝明天皇及び一会桑の間で合意に至らず、参預会議は散会していた。

今回の四候会議で松平春嶽・島津久光・伊達宗城は、長幕戦争の決着としての長州への正式終戦手続き及び朝敵認定の解除、
(実はこの時に既に薩長同盟は成立しており、薩摩は長州への朝敵認定解除を含む名誉回復に努力する責任があった)
孝明天皇の遺志としての兵庫開港延期を求め、長州への戦闘状態解除には消極的な一会桑との間で、
兵庫開港の是非をめぐった応酬が続いた。(山内容堂は四候会議ではすぐ出席しなくなってしまった)

明治天皇の摂政である二条は、孝明天皇が明らかな攘夷論者であったことを鑑み、兵庫開港へは否定的な見解であったが
再三の徳川慶喜の請願が通り、兵庫開港が正式に承認される。


四候会議の結果

結果としては、幕府から離れたところで自らの権力を確立しつつあった一会桑は、徳川家茂及び孝明天皇の相次ぐ死によって、
幕府を支配する権限を有することになり、孝明天皇との共同で攘夷を推進してきた過去の姿勢からも自由になった。
(一会桑の佐幕化)

また、参預会議・四候会議で連続して徳川慶喜との政争に敗れた島津久光は、
自身の公武合体路線では久光が中央政治に参加することは不可能であり、
徳川慶喜を排除することでしか自らの政治参加はできないと考えるに至る。
既に西郷隆盛は薩長同盟を締結しており、久光自身の公武合体路線放棄によって薩摩藩上層部は討幕路線で統一される。
(薩摩内部での公武合体路線放棄・討幕への藩論統合)

226:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/01 23:18:57 v+KA8JiQ0
伊東はよく薩摩の手下みたいな言い方されちゃってるけど
実際は薩長が討幕の準備をしていることを会津藩に報告したり
本当のところは薩長とも幕府とも距離を置いてたんじゃないかな
上の人が書いているように伊東の大政奉還後のプランは
かなり独自路線で薩長系の志士とはまた違うんだよな
伊東の建白書は結構面白いと思う

227:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:05:12 ETqg4HMZO
>>224
慶喜の卓越した政治手腕で薩摩など雄藩との兵庫開港・長州処分勅許問題を巡る議論に勝利したまではよかった。
しかし、この場合、不幸にも慶喜が政治を直接執れるワンマン将軍だったのが仇となって、批判の矛先が従来の幕閣から将軍に向いた。
即ち諸侯から幕府・将軍権力そのものに対する批判が集まってしまいその後、幕府周辺情勢の悪化が進んでいく。
諸侯参加の公議体制確立を望む伊東がそうしたタイミングで幕臣化目前の新撰組から分離したことは無理無い話だね。
もっとも近藤勇にしてもまだまだ伊東甲子太郎に対する信頼感・互恵関係の見込みはあるわけで分立を支持してる。
因みに海外留学あるいは学問修行を理由に円満脱退したのは司馬良策・藤沢竹城だね。前者は維新後に官庁の役人、
後者は新政府軍の兵隊やってたはず。正当な理由があれば基本的に脱退できたのが現状で、首脳部と意見対立する人でも、
武田観柳斎みたいに京都退去を条件として許可だしてたようだし。少しでも脱退の気を表せば絶対粛清というわけではないね。

228:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:13:11 oSt6x0sl0
除隊も結構あったみたいだね
臆病だからいらないという理由で除隊されたり
病気で除隊になった尾関兄のようなのもいる
たぶん谷万太郎も除隊じゃないかな

229:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 00:20:00 ETqg4HMZO
>>228
谷万太郎は除隊だろうね。少なくとも脱走とかではない。そのまま大阪で道場やってるし。弟は新撰組残留してるし。
ただ新撰組との密な関係は切れたみたい。何故だか御稜衛士とは関係が続いてるが此方も目立って関与はしてない。
元々町人や木っ端役人相手の町道場経営が本業で新撰組隊士はアルバイトみたいなもんだったのかも。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 08:07:54 h1kWfCs90
文字通り血の掟で縛られた新撰組が除隊みたいな甘い事を認めてくれるの?

231:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:37:30 KhWb/FWxO
>>220

近藤個人の思想とでも?
ありえね~www
それだけ政治的な視野がある人物なら100万石の大名なんて話しを真に受けないだろwww
近藤は多摩出身って既成概念から成る佐幕
神の国云々って既成概念から成る攘夷
明確な思想は皆無だす

232:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:41:45 ETqg4HMZO
>>230
他の有志隊と同じく新撰組にも同志の誓いである所謂「局中法度(禁令)」・軍律である「軍中法度」といった厳しい掟がある。
この新撰組隊士に求められる根幹的モラルを逸脱することは大罪であり違背者には当然切腹・殺害が適用されることになっていた。
一会桑が京都警備体制を固めて脱走者追跡も容易になった元治年間以降は徐々にその厳正化も進んでいった。
一方「御暇」という除隊制度もあった。重病人や文武劣等で実務に耐えないと判断された人物、旧主家から帰参要請がきた人物、
家業従事・親の介護など家庭的な事情を抱えた人物、特に脱退に不都合な要素が無いと判断された人物など、
新撰組側が一方的に脱退を申し渡した隊士、都合上問題のない脱退申請者は所謂リストラ・依願退職者として「御暇」となった。
また、同じ掟違反者でも正規隊士で大人しく縛につけば屯営に連行して切腹となり同志として葬儀し墓を立てて貰えたが、
下手に抵抗すれば殺害され打ち捨てられた。処刑方法・死後の扱いの違いは罪を認めたか認めないかの問題だな。
未熟者の仮隊士は死による償いまで行かずに「追放処分」で済まされた。

233:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:42:34 KhWb/FWxO
>>223
近藤を長とした組織の維持な
自分達の地位を守る為に同志を暗殺してた
言論弾圧は外に対しての物だから山南云々は確かに関係ないね

234:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:44:21 KhWb/FWxO
>>224
薩摩藩士は取り締まり対象外
推してしるべし

235:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:49:06 KhWb/FWxO
毎度毎度新撰組スレはコピペ大杉

236:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:49:07 ETqg4HMZO
>>231
どんな本読んだらそういう説明になるのか不思議だな。
近藤勇が100万石につられて云々は多分に講談的要素が強いこと、近藤勇の政治活動の意義は既に多くの研究者が指摘しているよ。
後半部分の既成概念云々の下りは普通に理解不能。

237:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 10:59:51 KhWb/FWxO
>>236

> 近藤勇が100万石につられて云々は多分に講談的要素が強いこと、近藤勇の政治活動の意義は既に多くの研究者が指摘しているよ。



全く説得力が無い…


238:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:01:44 KhWb/FWxO
>>237

そもそも研究家ってwww

誰でも名乗れる肩書に振り回されたらアカンでぇ

239:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:16:50 ocfOLxm10
久々に覗いたらこれかいな。KhWb/FWxO必死過ぎwww
暫くどこでも相手にされなったのに相手してもらったから嬉しいんだろうな。
>>232
そういや、松本良順が近藤勇の招きで新撰組屯所に健康診断しにいってみたら、重病人がちらほらいたらしいからな。
確か特に重いのが肺結核一人と心臓病が一人だか。そりゃ隊に置いててもしょうがないわな。

240:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:42:18 KhWb/FWxO
久々
必死
IDコピー

電波が好んで使うキーワード満載\(^ー^)/

241:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 11:45:49 ETqg4HMZO
>>237
その言葉そっくりお返ししますよっ。
ってか真っ昼間から2ちゃんやるより卒論書かなきゃアカンかったの忘れてたっ。現実逃避してますたぁ。
研究テーマ新撰組じゃないけど新撰組は好きなんでまた相手して下さいな。じゃあね~。

242:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 14:09:01 oSt6x0sl0
正直ここで近藤の思想について語ってるKhWb/FWxOは
龍馬暗殺黒幕スレで暴れてる薩摩黒幕連呼厨の論破に行って欲しい

>>239
心臓病は尾関兄説が出てるな
確かその年に除隊してすぐに病死してる

243:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 15:14:42 ocfOLxm10
見事なあしらわれっぷりだなっ!!KhWb/FWxO!!
>>242
勘定方の尾關彌四郎か。弟尾關雅次郎は旗役で函館まで戦った人。
旗といえば他の佐幕派諸隊の旗ってどんなデザインだったんだろうか。
そういうの網羅した本とかあるんだろうか。

244:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/02 19:16:00 mhE+VvCNO
新撰組も白虎隊も創作の美化だからな所詮。

245:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 01:00:54 irSIFOb5O
まあどちらも歴史的意義のある存在ではないね

246:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 03:10:40 Y3A2Mxy9O
なんだか、盛り上がっちゃってる人いるみたいだけど、
大した興味もない場所にわざわざやってきて馬鹿にしたり否定したりすることでしか楽しめない残念な暇人よりも、
自分が興味あること分かってて、それを色々調べて熱く語ってる暇人のほうが断然周囲から支持をえるのはハッキリしてるよね。
そっちのほうが、お酒一緒に飲んでて楽しいタイプの子だし、世間様じゃ可愛がって貰えてるよ。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 10:21:12 EAYGQkTUO
>>246

アニメ・小説・ドラマで美化された部分だけを語りたいなら他に行きなよ
( ̄・・ ̄)

248:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 12:20:14 IC0WYoNT0
宮地氏や家近氏や松浦氏の研究に沿って語りたいやつだっているだろう
後は会津出身の山本覚馬についてとか
山本覚馬は会津可哀想、会津こそ武士とか言ってるお馬鹿な層が
幅利かせてるせいであまり知られてないよな

249:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 17:35:54 PLGYPkdB0
山本覚馬は超有名人物。会津藩に興味を持つ人間で知らない人間はいない。
たとえドラマしか見ない層でも、嫌でも覚えることになる。

250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 18:24:55 NkJ1qPL00
人気がある分野だし色々意見はあるだろうけど、
最低限、何かから情報引っ張ってきた個所には≪引用資料の情報≫(著者名・書名・出版社名・出版年・該当頁)ぐらいつけようよ・・・。
仮にも史実だとか歴史的意義だとか言ってるならなおさらのこと重要でしょ。
その作業を欠くと、どこからが独自の意見で、どこからが資料を参考にした部分なのかさっぱり分からない。
幾ら熱く語られても、歴史学に沿った批評も、意見の有効性も、建設的議論も全く成立しない。
正当な論文や研究書でその点に無配慮な場合、著作権違反で訴えられるくらい、些細だけど重要な問題だぞ。

論を組みたてる素材の「史料」があって、それを「史実」「創作」「どちらともつかない史料」にきっちり分析・区別して論を組み立てていく。
そういう「史料に基づく学問」って根幹部分は忘れちゃいけない。
これは新撰組がどうだとか会津がどうだとかじゃなく、歴史学の常識という話で、そのまま社会一般にも通用する内容。
会社の企画会議で論拠も明示せず「この商品を知らない人間はいない」「CM見なくても嫌でも覚える」なんぞといって新商品売り出そうなんて馬鹿社員がいたら邪魔なだけだろ。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 20:49:13 irSIFOb5O
>>250
ごもっとも
ただその歴史学の基本を実践すると
新撰組やら白虎隊やらの面白おかしい話はほぼ出来んだろう
何せまともな史料がほとんどないので「ハイそれ創作~ハイそれ根拠がな~い」
の総ツッコミ大会になってしまう
新撰組関連の著作はそんなのが多いね
まぎらわしいから本の前書きに史料批判についてワンコラム入れとけばいいのに

>>222
他人の妾をレイプするわ女を買う金の為に横領して罪を部下になすりつけ腹切らすわ
偽名で投降したら粛清しまくった隊員の身内が敵方にいて顔バレ→斬首になるわで
近藤はゲスくてあんまり好きになれん

252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 00:02:19 xergHaW+0
>>251
確かに厳密な歴史学の実践は一般的な「面白おかしい話」を期待する人にはつまらないというか難解だろうな。
そこに研究書・史料タイプの人間と漫画・小説タイプの人間の温度差というか、埋めがたい溝があるのも事実。
一般的モラルとは違ったモラルが通用しているネットの世界で、その溝が原因で変な議論が変なテンションで展開してしまうのも、
避けては通れないことなのかも。水と油というか、馬の耳に念仏というか。

但し「何せまともな史料がほとんどない」とうのはどうだろう。この先入観を解きほぐすことこそが史料批判の役割といえるわけだし。

例えば、「錯誤が多い」として研究者から捏造書の如く扱われてきた永倉新八『新撰組顛末記』(新人物往来社・1998)にしても、
宮地正人が『歴史のなかの新選組』(岩波書店・2004年)で史料の性格を随所で再検証し、錯誤の原因を明らかにしたことで、再度利用価値を見出された。
やはり妙な先入観で顧みられてこなかった「近藤勇書簡」にしても、松浦玲が『新選組』(岩波新書・2003年)で一躍基礎史料としての価値を見出している。
さらには『新選組の論じ方-新選組史料フォーラムから』(宮地正人・伊藤克司・小林丈広他・マツノ書店・2009年)に寄せられた新進気鋭の研究者たちによる、
史料発掘・研究史更新の現状報告から、新撰組研究の深さ・広さが確認できる。

何にしても、「総ツッコミ大会(事実関係の確認)」は料理の下ごしらえのようなもの。肝要なのは「独自の問題意識・解釈をもって」巧みに新撰組なら新撰組という課題を調理していけるか否か。
とことん取り組んだ結果、満足いく一定の答えに至れたやつが本当に「歴史を理解」したことになるんだよなぁ・・・。新撰組に限らず色々と論文に目を通したり講演会参加してると、つくづくそう思うね。

因みに、近藤勇が女を買う金の為に云々の逸話については、1865年時点の諸士調役の雑記帳『取調日記』(現在は日野市市政図書館でコピー可)や、一京都町人の視点から綴られた1866年の史料「新選組金談一件」(『三井文庫論叢37号』・財団法人三井文庫・2003年)
でもって、否定できるので興味があったら目を通してほしい。あまり一般書籍では紹介されていないようなので、単純に新鮮というか興味深い内容だと思う。
流山での振る舞いについては詳しくないから何とも言えないが、確かに宮地氏や松浦氏もその頃の近藤の対応については京都時代とは一転したお粗末さというように書いていたと記憶するな。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 04:32:01 CeOog02O0
>>246
ここはID出る。カテゴリ学問・文系の。日本近代史板なんだから、基本的には史料に沿って語る場所だし
例え酒が入っていても、史料に沿って喧々囂々語り合うのが楽しい連中の集まりであり、そういう奴らが可愛がって貰える空間です
>>1が創作込みでワイワイ語りたいってスレタイやレスで明記してない限りは


254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 09:31:30 khOiyi8S0
>>251
こうしてみると嫌い人も随分子母澤の小説や司馬の小説の情報
を信じきってるんだな
谷三十郎や武田も斎藤が惨殺したとか信じてる人多そう

255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 12:07:34 A0VIt8j+O
>>248
確かに山本覚馬や広沢安任は会津好きより薩長好きの人の方が詳しく知ってそうだな
幕末から活躍してるのにな

256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 12:39:39 cCPA1CquO
>>254
子母澤の新撰組3部作ってあれ小説?

ここ詳しそうな人多いね~
良ければお勧めの著者&これはやめとけって著者をリストアップして欲しい
ググッた範囲では菊地明がダメそうなのは分かった

257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 17:37:42 Ee/Bn+Ma0
>>255
本当は会津好きとか薩長好きとかの枠を超えた、幕末維新好き&歴史好きが「詳しい人」なんだ思うけどね。
>>226
幕末維新期の動向・研究史は、
・藤野保『江戸幕府崩壊論』(塙書房・2008年)
・家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』(文春新書・2002年)
・坂野潤治・大野健一『明治維新1858-1881』(講談社現代新書・2010年)
新撰組の動向・研究史は、
・宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店・2004年)
・松浦玲『新選組』(岩波新書・2003年)
を読んでおけばいいんじゃないかな。新撰組を歴史的存在として再検討するのに欠かせない知識や視点が得られるしね。
少なくとも「幕末維新期は薩長(勤王)対幕府(佐幕)の戦いであり、その後も官軍・賊軍という関係が日本史に影響を与えている」
なんていう了見の狭い、使い物にならない意見を歴史に持ち込むことの、愚かしさ無意味さは分かると思う。

また近代史家に留まらず、民衆運動の視点からみた近世史家の研究も最近盛んになってきているね。
その点では平川新『開国への道-全集日本の歴史12-』(小学館・2008年)や深谷克己『江戸時代の身分願望』(吉川弘文館・2006年)もお薦め。
上記の諸書で得たポイントを踏まえておけば、賛否両論の菊池明氏はじめ従来の「新撰組研究者」の著作も深く読み込んで、彼らの研究成果も上手く活用できるはず。
巷で批判されているからといって、無視してしまうことほど勿体ないことはないし、何も本人が唱えるとおりに史料や解釈を活用する必要もない。
使える情報は使っていかなきゃね。

新撰組のデータベースとしては揃えておきたいのは、
・新人物往来社編『新選組大事典(コンパクト版)』(1995年)
・菊池明・伊東成郎・山村竜也『新選組日誌』(新人物往来社・1996年)
・新人物往来社編『新選組史料集』(正は1993年、続は2006年)
・古賀茂作・鈴木亨編『新撰組全隊士録』(講談社・2003年)
あたりかな。高いし絶版状態のものばかりだけど。
新人物往来社系で90年代の情報というのは色々賛否もあろうけど、普通にあれこれ調べる分には十分活躍するし重宝される。
誤植・誤訳は指摘されている通り間々あるので、記載史料の原籍が知りたいならば、巻末の参考資料一覧などを参考に辿っていけば、ある程度は書店・図書館で入手可能。
また、最近では『日野市新選組のふるさと歴史館叢書』既刊六刊(2006~)として、宮地氏監修のもと新発見史料が翻刻・解説・写真つきで発表されていて、こちらも要確認。
中には最後の隊長相馬主計の日記なんてものもある。
将来的に「山崎烝取調日記」の一般販売や「近藤勇書簡集」などの刊行が実現すれば、申分ないんだけどね・・・。

あと、当り前だがネット情報はあくまで参考までに。今のところは直接細々と情報あつめて実際に本を読むしかまともな情報は得られないかと思う。

258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/04 22:20:20 nbBu4bj70
新選組はともかく、日野市(の歴史関係者)の態度が気にくわねぇ

ちょっと前まで、菊池明らを「先生!」とヨイショしチヤホヤしてたのに、
宮地や松浦の著書が出た途端に、菊池らをエセ研究者と攻撃、大学の先生方こそ真の専業研究者(大学の先生だけがプロだ)とチヤホヤ。
結局、てめぇら”観光客や金儲け”だけじゃねーかと言いたいね。
宮地先生の正しさは誰しも認める所だが、これに乗り替えるならば、日野市はまず「間違った歴史を蔓延させた片棒を担いでいた事実」を認め謝罪してからだろうに。
まだ、間違った歴史を突き進み続ける会津若松市の方がマシだ。

まぁ、両方とも間違っているのは変わらんのだけれどw


259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 01:58:30 hnh3v2w80
>>258
どうだろうか。
「歴史のプロ」と世間で公言できるのは大学で史学を専攻して、
学部から大学院に進み、卒業後に国・都道府県・市町村・大学の各機関に就職し、
研究職としてちゃんと給料を貰ってる人たちだけ。
また、幾ら出版活動やサークル活動などで有名で、評価に値する一定の実績があるアマ研究者がいたとしても、
情報発信に責任のある行政関係の博物館・図書館としては、プロに指導を仰ごうというのが当然の心理でしょ。
チヤホヤしてるかどうかは個人の見方だけど、行政の対応としては当然の対応だな。
それに、アマ研究者や彼らと関係を深めていた(いる)観光行政側が我々に対して謝罪する道理は全く無いだろ。
というか、謝罪すれば何か進歩する話でもないし。そもそも誰が「犯人」なのか探し回り糾弾すりゃいいような問題じゃない。
2ちゃんの一部のように、問題を歪曲したり、大袈裟に吹聴したり、敵味方に区別して処理したって話が前進することは無い。
ましてや、何の目的や意味があるのか一切不明な会津や長州といった漠然とした対象に対する、漠然とした誹謗中傷などは現実では「批判」のうちには入らないし、
真面目な議論で通用するわけもない。ここの反応みててもそう思うが、精々うざったく思われる程度で、「両方間違ってる」なんて何の伸びしろも見いだせていない答えしか出せない。
ましてや「観光客や金儲け」目的で行政が動くのは至極現実的に妥当な話。国家・自治体・企業で観光が重要な産業の一つに数えられてるのに非難されるようなことじゃない。
我々に情報を発信する立場の人々が、各自納得のいく研究成果なりサービスを提供する、そういう態度で表してくれれば、よりよい方向性に向かっていく問題だよ。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 07:48:30 1IYCQFBsO
>>259まあまあ。ここで現実社会で通用している一般常識や、本当に勉強してたら理解できるような史学の基礎を幾ら諭しても、
会津や長州の存在を借りた幼稚な喧嘩口論・討論ごっこに何がなんでももっていきたい愚者はどうやったって湧いてくるよ。
いうだけ無駄。連中にとって会津や長州なんて本当は関係ない。それにかこつけて何かに対して悪口いって心が落ちつくやつら。
そんな寂しい連中だから何かを話しあって新しい知識を得ようとかいうつもりの連中とは根本が違う。永遠に分かり合えない。
帰ってくる答えも所詮「~は悪い」とか「~は間違ってる」くらいじゃん。無視しとけや。面倒くさい。

261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 08:19:44 p+yqMOzT0
なるほどね。
大学の史学科を卒業し、政府研究施設に入って給料貰っている人だけがプロですかw

今時”学歴エリート”意識丸見えのご意見ですね。
学歴社会になる前は、プロアマ関係無く「実績と優れた研究」をする者が尊敬されたものですが、
今でも「結果ではなく学歴だ」なんて事を臆面も無く言う人がいるとは思わなかったよw


262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 12:33:17 0+FECdCPO
>>257
詳しくありがとう。

永倉新八の本は後年の自伝てことでそれ単品でソースにするのはどうだろうって本だね。
この手の本はどうしても正確性に不備があるから史料として採用しない研究者もいる。

>>261
エリート云々じゃなく
史料批判の概念と時代背景の体系的な知識があるかどうかが問題。

歴史ファンから入った自称研究者は自分の好きな人物だけに変に詳しくて
通史的な知識が無く面白おかしく無責任な事を書き立てる人が多い。

菊地明は根拠もなく土方&沖田親密説を打ち立てたり
沖田の俳句(動かねば 闇にへだつや花と水だっけ?)を創作したり
作家業と研究の分別が無いところが顰蹙買ってるんじゃない。

263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 22:39:01 1IYCQFBsO
>>261
学歴とかじゃなくて、そういう過程を経なけりゃ研究職即ちプロの学者にはなれないってことをいったまで。
いくら独学で勉強してサークルや執筆活動を熱心にやっても、作家としてはプロでも研究者としてはアマだよ。

264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/05 22:44:17 1IYCQFBsO
>>259
君もこんなところに固執せんと、どこか相応しい場所にいかれよ。馬鹿がうつるで。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 01:20:40 lhmYYXTBO
難癖は会津観光史学だからな。
会津観光史学洗脳者が歴史の話が出来ないのは
様々なスレで証明されている。

266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 11:00:22 +rsHpl09O
変に波風たてることにしか機能しない『会津観光史学』という単語に意味なぞ無い。皮肉にもそれに対する数々の非難から、
それは明かされたね。勿論、科学としての歴史において捏造主義的態度は断固非難されて然るべき存在であるのは間違い無い。
それは会津好きであろうが会津嫌いであろうが関係なく糾弾されるべき。但し糾弾する側にまともな知恵が無いとどうなるか。
>>261のような書き込みから一目瞭然だが、非難する相手も分からず、自身がとんでもなく愚かなことをただ宣伝して歩く。
意見されりゃ駄々こねる。だったら最初っからそんな話題振るなよといいたいが、脳みそがたりないから、
猿のオナニーのように何度も繰り返す。ここ最近の流れをみると利口なやつらに踊らされてるようにしか見えない。

267:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 12:12:01 tRK7Xyqv0
イギリスと組んだ長州の暴走テロを肯定するような工作がされているから
史実が後世にきちんと伝わっていない

268:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 18:05:02 +rsHpl09O
>>267
歴史を正しくみようと努める態度には賛同したいが「長州の暴走テロを肯定するような工作」とかいう表現は余計でしょ。
それだと長州藩は「悪」というニュアンスで受け取られるが、「暴走」を止められなかった幕府は可哀想な「善」だというのか。
問題はそんなとこには無いし、そういう研究史が厚い部分を短絡的な風で書くから『会津観光史学』なんぞという言葉を使いたい
基地外連中を呼び込む。まして、それを狙ってやってんならなおさらたちが悪い。何れにせよ普通に語りたいやつには迷惑な話し。
どっちが「正しい」「正しくない」なんてことに拘ってる限りそりゃ変な虫は湧いてきても文句はいえない。
ま、それが他ならぬ『会津観光史学』基地外の「擁護派」を装った自演ならば話も違ってくるけどな・・・。

269:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/06 18:46:17 Ry2QMpJOO
>>267
マルチ乙
よそのスレで順次論破されては聞きかじりの知識?で
また別のスレにレスしてるのか。
この手のアホは極めて断片的な知識しかない様だが、薩長叩きのコピペを
貼る手間は惜しまない割に幕末通史の本一冊読むのも困難な人種らしい。

>>258
まあ菊地明はエセ研究者のステレオタイプだからなw
まともな研究者の本と読み比べたら史料検証も出典の引用も
極めていい加減だってちょっと考えれば気付きそうなもんだ、
日野市の人も恥ずかしくなったんだろ。

270:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 01:53:53 GTlBR2h80
菊地氏は新選組研究が文学的性格から歴史学的性格へ移行期する時代に活躍したアマ研究者と評価するのが妥当ではなかろうか。
彼が活躍し始める1990年代より以前の「新選組研究」を振り返ってみると、殆ど時代小説のネタ探しでしかなかった観は否めない。
そもそも、求めているものが「自分好みの情報の入手」であり「史実の究明」に置かれていない。
実質文学的研究でしか需要がなく、細かい事実は二の次だった。

その弱点を菊地氏やその同志は『新選組史料集』『新選組大事典』『新選組日誌』などで克服して見せた。
彼らが史実重視のマニアックな研究を精力的に展開し、整理してみせたことで関心を抱く人間に「史実」を意識する気風が定着した。
そして、どうにか新選組研究は宮地正人氏や松浦玲氏など本職の研究者たちに関心を持ってもらえ、活用してもらえるだけの情報の蓄積を達成した。
ここで漸く歴史学的課題としての新選組研究が軌道に乗った。というか新カテゴリーとして誕生した。

無論、ここまで何一つ無駄な研究などなかった。むしろ小説的偶像の流布によって関心が高まり、
大量の文学的研究以上歴史学的研究未満の民間研究者が登場し、結果膨大な情報が蓄積されたことは幸運だったんじゃないかな。
そういう過程を考えると、菊地氏らをむやみやたらに嘘つき呼ばわりして非難するのも可哀想過ぎるし、見当違いの行為といえる。

よって新選組研究は文学的分野、歴史学的研究、両者の中間的分野という三つのカテゴリーが並立する。>>269がいうように「ちょっと考えてみれば気付」けるし、
見抜ける違い。新選組にしても白虎隊にしても京都見廻組にしても彰義隊にしても、先ず自分がどの分野の立場から語っているのかはっきりしてくれないと、受け取る側の反応もスッキリしないチグハグなものになる。

271:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 06:24:13 oKE0oLsz0
史学の一事象に好きだ嫌いだと私的感情を挟むのもナンセンスだが
悪だ正義だの言いがかりはこのスレでは丸っきりお門違い。特に>>268

272:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 16:14:29 sjH/jRgkO
とりあえず歴史を正しくみたいという真っ当な意志の持ち主はここにもちゃんと存在していることは伝わってきた。
>>270のように、2ちゃんにありがちな極端な非難に陥らないでバランスよく見れてるやつもいるようだし。いいんじゃないか。
アホな荒らし相手ならともかく>>268によせ>>271にせよ態度としては完全に共通しているし、細かい表現の受け止め方の違いで、
変に諍いあう必要もないだろうよ。というか、いつの間にかアホ荒らしの入る隙間は無くなってる。
歴史学云々のことはこれ以上言い聞かせてやる必要もないと思うが。相手逃げ出しちゃうばっかだし。

273:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 19:35:40 dta24kdWO
たしかに菊地明は新撰組ファンの裾野を広げるのに貢献したんだろうけど
読者はこういうのに飛びつくだろうという書き方優先で
研究に対する真摯さが感じられないし
どうも時代背景の知識が足りないのか結論の出し方が妙で読んでてハァ?となる。

悪貨は良貨を駆逐するというけど、
誤った歴史認識を広めるのにも貢献してるし
それが改まる様子もないから怒りを感じる歴史ファンもいるんじゃないかな。

最近また龍馬暗殺の謎うんぬんを面白おかしく書いた記事を雑誌に書いてたし
大河便乗で岡田以蔵の本出してたけど、これまたいつも通りの低クオリティだった。

この人歴史研究界隈を胡散臭いものにしてる自覚はあるのかね。

274:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/07 21:53:03 sjH/jRgkO
>>273
流石に菊地さんの考えそのものは本人と直接対話するほか分からないべぇ。気持ちは凄い分かるが。
>>270の菊地さん評は間違ってはいないと思う。歴史学と文学の狭間にある第3の研究ジャンルと割り切るほかしょうがない。
仮に「中途半端なもの書かないでください」と菊地さんにいっても馬の耳に念仏だろうなぁ・・・。
菊地さん以外にもアマは沢山いるし、御稜衛士研究で有名な市居浩一さんのように歴史学タイプの堅実な研究する人も多い。
そういう人々は大いに支持したいというか、まぜてもらって色々情報を入手したいくらい好感が持てる。
今の様子からじゃ心配しなくてもアマ研究者のうち市居さん系統は生き残り菊地さん系統は自然と消滅していく運命だろうよ。

275:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 05:20:00 csnaIzhlO
京都見廻組ファンとしては、菊地氏の本くらいしか纏まった研究本が出回ってないので重宝しとりやすよと。
最初は定員の400人にも満たなかったけど最後あたりには600人はいたらしいから、関係者の未発見記録はかなり多そう。
そりゃ近江屋事件や戊辰戦争で目立った佐々木只三郎と今井信雄くらいしか有名隊士がいないから地道だけどさ・・・。

276:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 11:25:28 ScGOI3PxO
ファンだなんだと言ってる時点で歴史を正しくみていなあwww
気がつけよwww

277:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 12:39:54 csnaIzhlO
>>276
いや、別に「ファン」ってのは単純に関心があるって意味で使ったまでだが・・・。
ってか別に論文こうとか思ってるわけでもないし。そこまでギャーギャーいわれてもねぇ。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 13:13:12 jPN2wJLSO
>>277
関心があるにしては無知だな。
今井信雄じゃなくて今井信郎だぞ。
興味ない俺でも知ってるのに知ったかぶりはよせ。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 13:43:36 Lmjxy9lY0
肩の力抜けよ
2chで誤字ごときに目くじら立てるのはバカらしいぞ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 14:30:37 /NXaWtf8O
以蔵にしろ見廻組にしろ、幕末マニアの間にのみ知名度の高いマイナーな題材。
まともな研究者がこれらの題材をなぜ相手にしないかというと、
信頼度の高い史料が乏しく、このネタで本を一冊仕上げようとすると
出典の怪しい史料や憶測、講談をソースに引用する羽目になるから。
菊地はその手の無責任な本を大量に出版しといて
いっぱしの歴史研究者ヅラしてるのが気に食わない。

281:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 14:46:30 csnaIzhlO
>>280
史料論的話は出尽くしたしもうその手の話は繰り返しでしかねーべよ。他に話題ないの?

282:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 16:19:29 QeMqlfbm0
>>280
信頼に乏しい史料しかないんじゃなくて、単に注目されるかたちで世間に出まわってないだけっしょ。
全国各地の博物館や大学の刊行物漁れば教授から学生レベルまで論文や史料紹介はかなり出てくる。
そもそも信頼に乏しい史料しかないのが現状なら、その発掘につとめるのが研究者の仕事だし、
手元にそれしかないならストレートに関係はしなくても、信頼に足る史料や研究成果で補完していくのが歴史じゃん。
ちゃんと調べりゃ見廻組も新撰組と同じく『続徳川実紀』のような公式記録から『藤岡屋日記』のような風説書の類まで沢山載ってんじゃんか。
むしろ公式的記録は断然多いし、その周縁を成す史料は新撰組の例からしても、まだまだ相当数眠ってると思うが。
偉そうにゴチャゴチャぬかしとるが研究者ヅラすなや。新手の嵐か?

283:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/08 18:37:40 /NXaWtf8O
>>282
素人目にも本の書き方に不審な点があるから指摘してるだけだが?

菊地に関してはまず参考文献として挙げてる本を読み込んでるのかすら
怪しい描写がしばしば出てくるのがいただけない。
ネットの孫引きで語ってんじゃないのかアレってレベル。

○○にはこう書いてました、○○にはこう書いてありますが自分はこう思います
という語りに終始し史料の信憑性に踏み込む知識がないから
同テーマの研究者に誤記が多いと評判の本を平気でメイン史料にしたりもする。
まともな研究者との刊行ペースの違いを見てみろ。いい加減な仕事しやがって。

284:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 03:17:04 6YyWUp4nO
大概菊地氏の如き研究者は新撰組に限らずともそういうものだ。そんなに何度もリピートする必要は無いし、何を今更感がある。
そこまで菊地氏個人への強い不満があるんだったら、こんな本人の見えないところでコソコソ愚痴言ってないで、
直接コンタクトをとり意見するぐらいして欲しい。俺なんかにしたら活用できる著作を多々残している菊地氏より、
非難すべきは『続新選組史料集』のような値ばかり張り内容が無い悪書を出版するようになった新人物往来社、
殆ど適当な仕事しかしてこずネットを徘徊して自分の批判探しにばかり必死な伊藤哲也氏のような連中だろ、と思う。
菊地氏・伊東成郎氏・山村竜也氏などの盛んな活動は率直な「歴史の楽しさ」や知的好奇心の刺激を与えてくれるが、
伊藤氏他にはそれが殆ど無く会津観光史学だなんだと非難されても仕方ない捏造根性が強く感じられるよ。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 12:43:15 3Rq8c59zO
菊地明って漢文の文献は読めないんじゃないの
とか昔から突っ込まれてたからねえ。

>>275
絶版だけど「佐々木只三郎伝」があるね。
結構貴重な情報も書いてるみたいで面白そう、一度読んでみたい。

286:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 15:58:32 Jdb9EETU0
>>285
貴重な京都見廻組情報感謝!!現在手元にある関連図書といえば、

1『京都見廻組史録』(菊池明・新人物往来社・2007年)
2『坂本龍馬を斬った男ー幕臣今井信郎の証言―』(今井幸彦・新人物文庫・2009年)

くらいしかないから本当に助かる。取りあえず図書館などを当たってみるよ。
見廻組は新撰組みたいに下手に目立っていない分、ミステリアスで調べがいがあって面白い。

287:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 21:07:18 Cg0RY3jj0
庄内藩スレの旧住人はいない?あそこの農兵も面白そうなんだけど

288:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 21:14:13 6G1ifvti0
資料から出来るだけ事実に近い記述を探る流れに反して感覚的な書き込みで悪いが、
土方歳三と永倉新八の男が男に惚れるような色気はガチだ。
ちなみに性的な意味ではない。

289:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 23:13:00 6YyWUp4nO
>>287
旧住人ではないが幕末の庄内藩や付属の新徴組・新整組(大砲組)に興味あるなぁ。京都警衛の会津藩・江戸警衛の庄内藩!!
地味だといわれる東北諸藩も実は幕末史にかなり絡んでるんだよね。坂下門外で襲われた安藤信正も福島の大名だったり。
最新式兵器で武装した農兵組織も結構多いし戊辰で大活躍する。新徴組や新整組も単なる警察隊じゃなく、
近代的軍隊としての性格がある。但し廃藩に至るまでの明治以後の末路は新撰組とは違った意味で悲惨だけど。

290:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/09 23:37:25 CNqiXY6k0
【志々雄に】和月氏が参考にした文書が信憑性ありと判明。和月氏「史実だと思ってなかった」【モデルあり】
スレリンク(news7板)

291:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 00:43:08 YFHoa9FA0
>>290
底意地の悪いことはするなよw

292:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 16:01:43 D/RzKlHmO
新撰組を結成して仙石幕府を守ろう!!

293:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/10 16:56:54 iEPWn/TEO
>>286
兄の手代木家の子孫の回顧譚と各種関係文書を史伝研究所の高橋一雄が編纂した本だな。
最近の佐幕派本のノリに比べるとフェアーな書き方で参考になった。

かなり古い本だが読みやすく、身内から見た人物像も載ってるのでぜひ読んでみて欲しい。
清河・龍馬暗殺の件もその手際良さをもって功績的な書かれ方をしている。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/11 12:09:19 8EQGz+YX0
上野彰義隊って幾ら寄せ集めつっても3000~5000人もいたんだし、
寺院こもってないで江戸城なり官軍の屯営なりに殴りこみかければ、
あんなヘボい終わり方しなかったんじゃないだろうか。
まあ、実際そうもいかない事情は多いだろうし、実現しても何より練磨された軍隊じゃないから、
圧勝とはいかないだろうけど。

295:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 01:35:59 NrRj8hA60
そんな気概があったら、上野戦争でももっと善戦してたんじゃね?
善戦でふと思ったが、鴉組の不遇さは半端ないなw

296:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 01:59:37 hTCFcx4F0
ああ、鴉組(衝撃隊)もあったなw 仙台藩て正規藩兵じゃなくて、変なので面白い隊が多い
細谷十太夫クラスなら、博徒との接点も分かるんだけど、
大身の旗本、上士や一橋家当主までが博徒と親しかったというのも面白い

衝撃隊のほかに、博徒を組織的に動員した例はあるんだろうか

297:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 03:53:46 9qvJ3SEhO
>>296
旧仙台藩領出身だけに非常に気になる話だな。
博徒が動員された部隊といえば佐幕じゃないが赤報隊があるな。
美濃の大博徒水野弥太郎が旧新撰組御用達でその縁から赤報隊幹部になってた旧新撰組士が協力を要請し、
黒駒親分なんかも呼んできて数百人の博徒を抱えていたとか。各地での強盗・強姦が絶えない蛮軍だったからあの粛清に至った。

298:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 11:38:52 gKCn1wVyO
慶応4年(1868年)2月27日、松平容保(34歳)は会津藩士に徹底抗戦を通告。
西郷頼母は恭順を勧めるが、容保はじめ藩士たちから猛反発され徹底抗戦へ。

慶応4年(1868年)5月1日、白河城陥落。西郷頼母は再び恭順を勧めるが
会津藩士の多くが聞き入れず徹底抗戦を主張。頼母は登城差し止めとなる。

慶応4年(1868年)8月26日、西郷頼母は西軍と砲火を交えている評議中
「この窮地に陥ったのは余の献策をいれないためだ」と厳しく批判。
そのため「西郷斬るべし」の声が起こり容保の命で伝令され
息子吉十郎と共に城を出る。その後は榎本武揚の軍に投じて函館で戦った。

299:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 11:41:40 gKCn1wVyO
慶応四年に始まった戊辰戦争は塩原温泉をも巻き込んだ。
旧幕府軍の形勢が不利になると、会津藩や凌霜隊などが塩原を焼き払おうとした。
この時焼き払われた民家は149戸といわれる。
妙雲寺も焼き払われるところだったが、住民の渡辺新五左衛門が会津に嘆願したため
妙雲寺の天井に描かれた菊の御紋に×印をつけることで焼失を免れた。

松楓楼松屋の歴史

300:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/12 12:10:36 9qvJ3SEhO
そろそろシーズンだし史跡観光の帰りがてらに温泉でのんびりしたいな。

301:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/13 09:41:46 IxQckO3XO
旧幕府軍の退路には有名な温泉町がけっこうあるのです。

302:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/13 09:54:04 LZwofDV9O
温泉で怨念パワーを養うのかな?ワラ

303:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/13 20:41:07 IxQckO3XO
いや、普通に考えて家族とか友人と疲れを癒やしに旅行にいくとかだろ・・・。
なんだよ怨念って・・・。・・・冗談にしては寒すぎだろ。

304:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 00:05:23 5WUMu7Jg0
幕府陸軍は、巨大な兵力を運用できるだけの人材獲得ができなかったのが、敗因。
鳥羽伏見にしても、上野戦争にしても、例えば土方歳三のような戦術家が早く力を
発揮できていれば、歴史地図も大きく変わっていたはず。
函館で陸軍奉行になっていたが、おそすぎた。

305:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 02:12:28 GdTmZKCe0
土方さん(笑)

306:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 02:49:24 sBKQUfDS0
細谷がらすと16ささげですね。小倉藩も、棚倉藩も、
ゲリラ戦になると地元の地理を知ってるせいか意外と活躍してるのね

>>304
上野の彰義隊の場合、輪王寺宮を奉じているのが大きかったから、
強力な指導者が現れない限り、上野に居座って邪魔者になってるだけで充分だった
鳥羽伏見の次に重要な戦争は上野戦争だったと思ってるよ。
あれ以上放置はできなかったと思うが、逆にもっと早く仕掛けてたらどうなったかと言うifはあるけど。

307:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 04:36:51 xAlkotQvO
>>304
土方歳三にしてもそうだが大鳥圭介・古屋佐久左衛門など新進気鋭の将校が大活躍し始めるのは江戸開城前後からなんだもんね。
やっと自由に戦争ができる機会を得たりと思ったら、既に守るべき徳川自体が戦争のやる気を失ってましたってのは悲劇だな。
土方は北関東戦争で急に参謀まで上りつめてるが、ありゃ小説じゃ新選組評判や経験値からってな単純な解釈されてるけど、
実際の就任理由はなんだったんだろう。なんでも京都時代から新選組の洋式軍隊化・幕府陸軍吸収は進んでたみたいだし、
その過程で築いた幕府軍内部のコネクションでもあったんだろうか。

308:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 04:46:58 Fp3/Y+ku0
>>307
その通り名前と経験じゃないの?
いざ火急のときはコネクション使えるようなのは引くんじゃないか?
なまじ頭が良いだけに。
まぁ、その時期は新撰組ブランドもあれば、コネクションも出来てるだろうけど

309:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 05:02:22 AWkfavEC0
明治維新で日本の庶民の生活レベルが著しく下がったのは紛れも無い事実
やっぱ新撰組や彰義隊には正義がある

310:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 06:38:05 8KkakrCr0
明治維新は日本を近代化した偉大な変革ではない。
半封建的絶対主義天皇制の下で国民を抑圧搾取し、
アジア侵略殖民支配する端緒となったクーデターに過ぎない。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 07:15:25 Mxu4uHrN0
>>304
鳥羽伏見は一人じゃどうにもならんだろう。
訓練受けた現場指揮官クラスがポンポン死んでくんだから。
しかも戦略級の話になると、仕切ってたのは陸軍奉行とか老中クラスだし。

312:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 10:15:46 xAlkotQvO
>>309
正義とかいう話ではないだろ。庶民が時に権力による理不尽な圧力で苦しんだのは江戸時代も明治時代も一緒じゃんか。
明治以後の生活レベルは時間をかけながらも右肩上がりで良くなる。それが崩壊するのは大東亜戦争突入後から戦後の一時期。
現実には時代を教科書的に大政奉還~戊辰戦争で区切れるものじゃないし、むしろ富国・強兵・憲法・議会といった近代化に
不可欠な壮大な課題に対し、19世紀から20世紀の日本人が如何に取り組んだかという視点から連続的時代観で把握すべきでしょ。
幕末維新期の事象は本来ならば正義か悪かとかいうレベルで矮小化したり偉大な改革だなんだと極端に賛美したり非難して
語れるほど軽いテーマではない。坂野潤治氏と大野健一氏が『明治維新1858-1881』で上手く歴史を解きほぐしているから
参考に一読を薦める。

313:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 18:02:10 I6qk1PiZ0
君主制を打倒せず、地主制を廃止しなかった明治維新は
近代革命としては失格だな。明治維新を賛美するのは
"自由主義史観"に洗脳されたアホウだけだ。歴史をまともに
勉強した者は明治維新の封建制、不徹底さ、反動性を知ってる。

314:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 18:03:22 sBKQUfDS0
難しい話はおいといて、

上野にもう少し早く攻撃をかけるという選択肢は、あり得なかったんですか?
もしもう少し早く攻撃をかけていたらどうなっていたのかそのあたり詳しい人…

315:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 19:13:22 b2CNKe8d0
自由主義史観wwwww

>>314
大して変わらんと思うが……
大村益次郎が居なければ、事前の切り崩しやら追撃は史実よりは不徹底だったかもね。

316:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 20:16:04 yIGx8tOTO
>>313
自慰史観の判官贔屓おつw

317:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/14 21:06:44 CI4SF2hY0
>>313
洗脳搾取虎の巻ィ~♪洗脳搾取虎の巻ィ~♪
そりゃ現代人視点からすりゃ全部不徹底に見えるわ!!大体一口に明治維新つっても段階つーものがあるわけで。
「ハイ昨日までこうでしたが今日からこうです」と一昼夜ですんなり社会全体が変わるわけなかろうが。
「その時代に何ができて何ができなかったか」を段階毎にちゃんと把握しりゃ、そんな大雑把でぶっ飛んだ意見は出てこない。

318:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/15 21:18:32 +Ukhp+wtO
戦争反対!!暴力反対!!

319:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 04:07:41 7Lo9zmDg0
暴力肯定の狂暴な連中を取り締まるのは相当大変だろうな
捕まるのが嫌で刀や拳銃で襲い掛かってくるんだろ
新撰組/京都見廻組/彰義隊は命が幾つあっても足り無そうだ


320:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 13:35:33 doTk9y6U0
だからこそ常に大袈裟に見えるような厳重な装備と作戦を練って検挙に臨んだろうな。
それを「卑怯だ」なんて平気でいっちゃう連中は考えが甘過ぎる。
秋葉の事件みても分かるがショボイ刃物持った格闘の素人一人逮捕すんのでも難儀なこと。
覚悟を決めた刀やら槍もった武道の達人相手ならなおさら難しい。
実際、私的な決闘ならいざ知らず幕末の闘争劇で「正々堂々一対一で尋常に勝負」なんてケースは稀少だしね。

321:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 16:46:49 BFyJn0UO0
「新選組」は、慶応3年に正式に幕臣に取り立てられてからは「幕臣」でいいと思うんだけど、
会津藩お抱えだったそれまでは、身分的にはどう言えばいいの?

「会津藩お抱え」の浪人衆?

322:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 18:09:51 IOoWug5fO
>>321
会津藩が幕府から「御預かりした浪士」。「御」は幕府に対するものね。つまりは正規の管理者は幕府。
会津藩は京都守護職という役職上新撰組を指揮下に置いてるだけ。制度上は単なる監督役。
給金も幕府が出し会津藩を介して新撰組に渡った。兄弟分の新徴組・新整組は早い内に幕臣化され江戸警備責任者庄内藩付属から、
再編成で正式な庄内藩士になった。或いは新撰組も将来的に会津藩士ということになっていたかも知れない。

323:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 18:16:13 IOoWug5fO
ちなみに「浪士」は従来の社会組織に組み込まれている「浪人」とは別な意味で考えないといけないとか云々。

324:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 20:50:57 u/XZFG3/0
庄内と言えば、松平権十郎、菅秀実、あとは酒井玄蕃。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 21:31:23 c0DuuhD/0
鳥羽・伏見の戦いで
新撰組はどの位損傷したの?

326:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 21:59:59 bUxQgeBl0
死者が約20人とされるな。
特に千両松付近での戦いで最も多くの死者を出した。
その他、村上清のように重傷を苦に自害するやつ、
山崎烝のように撤退はしたが戦傷により死んだやつもいた。
開戦直前で148人だったが江戸に帰還したのは約100人。

327:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:05:03 c0DuuhD/0
>>326
同士討ちってあったの?

328:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:19:12 bUxQgeBl0
そこまでは分からんね。
永倉新八・島田魁・相馬主計等の日記を読むと初戦は銃撃戦だったが、
後半になるにつれて接近戦も増えたようなので、恐らくはあったかもしれない。
大坂力士との喧嘩で永倉が島田の振るった刀で傷ついたりしてるから、
混戦となれば間々そういうことはあったかもしれない。
合印といっても袖章くらいなものだったろうし。

329:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:34:15 c0DuuhD/0
>>328
実はさっき、新撰組のコスプレイベントに参加するための服を親に見られて
アニメ好きなのはかまわないけど、新撰組だけはやめてくれ
ってじいちゃんまででてきて止められたんだよ

理由が先祖に新撰組が居て、鳥羽・伏見の戦いで劣勢になった時に
仲間の隊士を7人斬り殺して逃げたから

っとか言われてさ、デマだよね?

330:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:36:04 c0DuuhD/0
当時の新撰組の名簿みたいな奴ってどこかでみれますか?

331:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:44:18 bUxQgeBl0
>>329
まじかっっ!確かに消息不明な人間も多いからもしかして・・・。

サイトでは幕末新選組とか壬生浪士新選組とかいうとこで見れたような、
原文というわけじゃないし内容端折ってるからあんまり参考にはらならなかった記憶がある。
本だと『新選組組長列伝』にあらかたの名簿が写真付きで掲載されてた。
今じゃ古書でしか手に入らないと思うけどAmazonあたりで簡単に購入できると思うよ。

332:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:46:23 c0DuuhD/0
>>331
新選組組長列伝、買ってみます。
ご相談にのっていただきありがとうございます。

333:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:50:48 bUxQgeBl0
どういたしまして。

334:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 22:59:04 Kyw3NdzT0
>>329
まぁ戦場に脱走は付き物だが……
七人斬って逃げるって相当強いなw

335:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 23:11:39 IOoWug5fO
新撰組最強の男・・・だと?

336:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/16 23:15:43 IOoWug5fO
るろ剣の刃衛を思い出した。
寝る。

337:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/17 00:16:54 F3bx/ajR0
同僚7人に刀を振り回して逃げた、の誤りなんじゃないかな?

338:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/17 11:22:13 C89afeLXO
>>320

いやいや武士として考えれば卑怯だよ
>>319そもそも江戸時代に暴力否定集団なんかいるのかねwww
勝てば官軍負ければ賊軍
佐幕派は鳥羽伏見まで勝ち組だったから、新撰組やら見廻り組の行いが正当化されてるだけ
やってる事は暴力による政治的弾圧
現代の言葉を使うならテロリズムです

339:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/17 15:50:05 8kxt2cmk0
江戸時代の学者によって体系化されて大まかな形を成した「武士道」はあくまでも「平時における武士身分の理想的姿」を説いたものね。
戦争が無い時代でこそ意味を持つ倫理観で、それを物差しにして「非常之時」に生きた幕末の武士や志士を評価することに大した意味は無い。

桜田門外之変を契機に尊攘派浪士による各地でのテロが盛んになり時代はいよいよ「非常之時」に突入した。
京都でテロリズムが横行した頃、ちょうど新撰組も登場した。
政治的対立に起因する内乱である天狗党之乱、天誅組之乱、禁門之変、幕長戦争は勿論、
一揆・打壊にも農民だけでなく浪士などの参加が目立つようになり政治的武装蜂起に変貌した。
これを押さえる義務があるのは、当然ながら幕府や全国の藩だったが、
既に武士層の軍人としての資質は全体的に低下しており、軍制改革の流れで農兵銃隊が編成される。
「平民同士の戦争」の時代が到来する。

農兵銃隊の代表的存在の一つが新撰組結成の約2年前に編成された土方歳三義兄佐藤彦五郎率いる日野宿農兵隊。
日野宿のある多摩は一揆が過激化し始めた天保頃から自警意識が強まり剣術が隆盛。近藤・土方が剣の修練に励んだのもそこに由来する。
そういう意味では新撰組の活動を農兵隊のそれの延長線上とみて研究している学者もちらほら存在する。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 07:13:11 MCGazvVl0
>>329
それ本当の話っぽいな。
仲間斬って逃亡だから、アナタの家の武勇伝にはならないし。
例えば会津戦争で薩長兵七人斬ったなら武勇伝になるから捏造の可能性もあるが。

嫌ならしなくてもいいが、ここは詳しい人もいるから詳細を教えてほしい

341:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 08:55:27 tM2OWtl20
新撰組最強はやっぱり斉藤だろ

342:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 10:42:15 3IOS20NeO
>>341
最年長隊士の斎藤一諾斎老人のことですか?

343:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 10:42:32 crKYOF9ZO
相変わらずダラダラと引用を張り付けるだけの輩が多いねwww


344:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 11:34:05 j+HNxtuA0
馬鹿な短文並べて荒らすことしか能がない糞人形よりも、
引用でもなんでも詳しく書いてる人間のほうが有益です。

345:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 11:34:43 GOyy86yX0
服部武雄だよ

346:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/18 17:36:26 3IOS20NeO
服部武雄が武術の達人ってのは分かるが「新撰組随一の使い手」と言い出したのは旧御稜衛士だって部分は考慮しないとな。
戦士として史上に残る活躍といえば油小路事件くらいだけど、その一件だけで並々ならぬ使い手なのは分かるが。

347:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 00:27:43 Os0FpinjO
>>344

> 馬鹿な短文並べて荒らすことしか能がない糞人形よりも、


自己紹介乙

348:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 10:23:30 kUPHtCOuO
>>343-344-347の流れからは昔ここの常連さんだった会津観光史学ネタ大好き連中の典型的テンションを感じるんだが・・・。
そもそも豊富な史料や学説引用することで歴史が成立するのにそれを否定的態度で扱って一体何求めてるんだ?
何でもいいから否定だけすりゃ形になるだろってな幼稚な根性で書き込みされても周囲は不快になるだけだし止めろって。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 20:39:04 QhyGMQgEO
史料や学説なんて机上の空論で何の証拠にもならんよ
証明したきゃ直接見てこい

350:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 21:52:34 +6soWlJJO
>>349
つまり何ら根拠のない妄想話だけしたいと?

351:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 23:39:01 QhyGMQgEO
昔の事なんだから、根拠があったところで確かめようもなかろう。

学会を見てみろ。学者が史料を持ち出してさも偉そうに学説唱えてるが、肝心の断定は出来ずに遠回しな見解を述べるだけ。

結局は奴等も史実の断定については自信が無いのよ。いくら調べたところで無駄じゃい。

352:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 00:37:28 qNqnWXViO
>>351
当前のことだが人間は過去に戻り各人が現在直面している課題の解決に必要とされる情報を確認することは不可能なんだね。
だから数多の先人が受け継いできた史料と各時代の学者が導き出してきた学説を基に自身の正しいと思う意見を構築し主張する。
その歴史学の研究成果がさらに各時代の多分野の学問や社会とリンクし、より広範で複雑な意味を持つことになり、

時に人間社会に進歩をもたらすこともあれば破滅をもたらすことにもなる。
次世代の学者はその前例の結果を受けてより進歩するための方策、或いは過ちの防止に必要な提言に繋がるような研究をする。

これ大学の史学部(科)でちゃんと勉強した連中なら基礎の基礎だが歴史学は事実関係の確認だけが目的ではないんだよ。
ってか本当に学会やら論文の意味を理解してるのか?そうとは思えない雰囲気だなぁ・・・もしかして学会って違う学会かね?
それとも学会・学者ときけば目を背け胡散臭いと一言で片付けたがる勉強アレルギーかテレビやら漫画の世界感で語っちゃう人?
学者嫌いとかは間々いるもんだけど、せめて歴史学というか科学全体についてもう少し理解してから色々言えよ。
そういう次元の話しは家の茶の間でするならまだしもわざわざ学問的話題を扱ってるここでする必要ないだろ。場違いだよ。

353:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 11:36:18 /24qh9McO
>>351

> 昔の事なんだから、根拠があったところで確かめようもなかろう。


君には史学を学ぶ資格ないよ

どんな史料でもそれを裏付ける根拠が示せないなら論外だから



354:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 16:50:59 Ze9MGNLaO
史学を学ぶ資格はないか…

確かにそうかもな。
俺自身、子供の頃から人一倍日本史が好きで研究者目指して独学で色々と調べてきたが、大学に入ってみると授業で聞く事は自分の知ってる事ばかりで拍子抜けだったな。
色々と史料解読手伝ったりもしたが、教授が史料を元に語るんだが、自分が実際に見てきたかの如く偉そうに断定して語るんだよな。ああいうのを見てるうちに、歴史研究家ってのが嫌になったんだよ。
自分が歴史を学ぶ時期が早すぎた影響もあると思うが、素人に大して歴史家が得意げに語る姿を自分に置き換えたら虚しくなっちまってな…

それ以来、歴史家目指すのは辞めたな。今は某公共団体の職員だが、歴史は自分の趣味の世界で良いと思ってるよ。
、歴史を研究する事は悪いとは言わんが、趣味の範囲で良いと思ってる時点で俺は史学を学ぶ資格は無いと思えるな。

355:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 19:26:01 V04f3gzLO
自分語りはチラシの裏にでも書いとけばいいのに

>>286
「龍馬暗殺の謎」木村幸比古
が半分くらい見廻組についての記述だった。
佐々木の悲惨な最後についてとか「佐々木只三郎伝」からの引用も何カ所かあったよ。

356:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 19:50:24 4Oyy2IZs0
>>354
遠まわしにグダグダ書いてるがざらにいるボンクラ学生の言いわけにしか聞こえない。

通常、史学科を設けてる四年制大学・短期大学では史料解読の手伝い程度なら演習で学部一年のうちから実施する。
また前半の講義も素人でも分かるような単純明快な概説に大半の時間を割いて進行する。
高校の勉強ができてたり元々マニアックな学生ならこの時点では「なんだ簡単じゃん」と拍子抜けするやつも多いようだ。
但し段々講義内容が専門的で小難しくなってくると「あの教授うぜー」「あんな大人になりたくない」っというような、
学生お決まりというか、ガキ丸出しの言いわけで逃げに走る連中もまた多くなる。まあ大体そういうもんだけど。

とっつきにくい教授もなかには確かにいる。だが教授なんて本質が教育畑ではなく研究畑の人間なんだよ。
猛烈な熱弁を聞いて「お前が見てきたんかいっ」って突っ込みたくなるような瞬間もあるかも知れんが、
熱く自信満々に語るということはそれだけ自身の研究・知識に誇りがあるという証拠でもある。
逆に誇りのない教授なんか何処の大学でも必要とはされない。案外単なる自慢話のように聞こえても何気に凄いこと言ってることもある。

そもそも「人間的には合わないがあいつの言ってることはこの部分で一理ある」とか「絶対学者になってあいつを超えてやるっ」
ってくらいの気概と、徹夜でも集中力切らさず論文書いたり史料漁れるような体力・知力のあるやつしか本職の歴史家なんかにはなれない。
結局は教授の善し悪しじゃなくて本人の努力・資質の問題。歴史家になれなかったのは誰のせいでもなく自分のせい。

過去を後悔するのは勝手だが「俺がこんなことになったのはあいつが原因」なんて考えは絶対に駄目だろ。
そんなこと言ってたら歴史が好きだ嫌いだ云々以前に社会人としても信用得られないんじゃない?
例え大学いかんでも趣味の範囲で熱心に活動して本職の研究の大きな支えになってる人々も多くいるのに、
「趣味の範囲で良いと思ってる時点で俺は史学を学ぶ資格は無いと思えるな」ってのも失礼過ぎる主張だろ。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 23:02:23 Ze9MGNLaO
レベルが上がってきたから嫌になったとかそういう事は無いな。
日本史自体俺にはレベルが低すぎた。
入試の時も満点合格だったし、そもそも元々独学で勉強してたから入試対策は一週間前に始めただけだけどな。
家庭教師もやってたけど、日本史なんてのは人に教えてもらったから出来るようになるもんじゃない。
単に暗記すれば良い世界だから、暗記力さえあれば馬鹿でも高得点が取れる。そんな日本史に自信持ってても社会じゃ通用しないって思ったから目標を変えたまで。
日本史が社会でどれぐらい重要視されてるかは世間を見れば分かる通り、活用の場は殆ど無い。まさに趣味の世界で充分だ。

日本史研究したから自分は良く知ってるよなんてのはホント自己満に過ぎん。


358:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 00:15:52 X2eNK9EM0
>>322
サンクス

慶応3年までの新選組を「幕士見習い」と表現するのはOKってことですね。

359:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 00:19:23 IlFgc6Iu0
ヴァカじゃないの
知識があれば日本史極めたことになるのかよ
あんたは大学は知識を学ぶところではなくみずから研究する方法を学ぶところだということに
気づきもせずに終わったというだけだろw


360:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 01:04:28 5ZNDZDfoO
>>357
真性の大馬鹿野郎だな。きいてもいないのに妙に学歴や職業晒すとことかも何か怪しいんだが、本当に歴史学勉強したのか?
そりゃ高校の「日本史科目」は予め教科書に載ってる情報を暗記して回答の穴を埋める単純な作業をすりゃいいだろうに。
そういう高校で「教えられる」歴史科目と大学で「学ぶ」歴史学は全くの別物なんだが・・・。そんなんでは歴史家にはなれんわな。
歴史的課題の解決のためには史料を精査し独自視点から理論を組み立てる必要がある。その専門的知識・技術を習得するのが大学。
その集大成が卒業論文。史学研究と歴史用語暗記は全くの別物。大袈裟な話、暗記なんか役に立たないし自慢の種にもならない。
一々暗記せんでも辞書を座右において確認すりゃいい。求められるのは独創的発想・理論的思考・情報処理能力など別の教養。
社会を見渡せば歴史学のスキルをフルに発揮できる環境は限られるが発想力・思考力・情報処理力等は他分野でも十分役立つ。
深い教養はコミュニケーションの鍵にもなる。というか歴史学も含め社会で不必要な学問などない。直接的に見えるか否か
それだけで無くてもいい存在と判断するほど幼稚でナンセンスなことはない。君のいう言説に従えば、
全ての学問は「趣味」として処理されかねないな。学問一本それだけで直接的に食っていける環境なんぞ世の中に殆どない。
それは分かりきった話。そもそも学問の価値をそういう物差しではかることに何の意味もない。そういう馬鹿晒すのやめろよ。
明らかに語るに落ちてるだけだぞ。ってかこんなこともわざわざ指摘されなきゃ分からんのか?

361:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 01:20:25 86AoCopDO
暗記力もない馬鹿は研究家にすらなれん

362:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 01:26:42 5ZNDZDfoO
>>355
いやはや情報感謝する。見廻組をダイレクトに扱った図書は本当に貴重だから有り難いです。
>>358
そういうことでいいかと思う。因みに幕臣取立時の新撰組は形式上は京都見廻組に吸収合併された。
勿論実質的には別組織だけど見廻組が新遊撃隊を名乗ると同時に新撰組も新遊撃隊御雇を拝命したので、
今思えば会津藩士化よりも京都見廻組に完全合併→幕府陸軍編入?のほうが将来的流れとしては妥当かも知れないな。

363:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 02:13:36 5ZNDZDfoO
>>361
歴史学で暗記は根幹的要素ではない。
結局、否が応でも山のような辞書やら文献を引くんだし自然と必要性の高い情報は覚える。
一々暗記してたら研究どころじゃないし言葉の意味を理解したのではなく言葉の名称を覚えただけでは何の意味もない。
ってことを大概の講義で懇切丁寧に教授が説明するんだが。それも理解できないから「日本史自体俺にはレベルが低すぎた」って、
恥知らずな発言を飛ばす。本当は「レベルが高すぎた」の間違いだろ・・・。入試で満点採った歴史検定で満点採った大いに結構。
でもそれと歴史学を極めたことを一緒にしてハシャぐなよみっともない。

364:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 10:45:04 l7gSnMdXO
>>362
見廻り組は旗本
新撰組が幕臣となったから形式上見廻り組に組み込まれただけ
新撰組の将来なんて皆無
成り上がっても幕府にとっては単なる使い捨ての有象無象集団に過ぎません


365:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 16:18:44 5ZNDZDfoO
>>364
見廻組は組頭数人意外の組士数百人は全て御家人か部屋住な。
注目すべきは時代劇じみた使いて云々の話じゃなき文久3年以来の全国的軍事体制再編成との関連じゃね?

366:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 16:51:17 l7gSnMdXO
>>365

見廻り組は旗本と御家人さん
てか使い捨て云々の何処が時代劇じみてるのかと…
新撰組って母体に未来なんか無いから
そもそも尊王攘夷の為に脱藩して新撰組隊士となった輩には徳川体制に組み込まれる事なんか望んでいないから

367:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 19:30:09 fkP6cPKQ0
>>366
何がいいたいんだかはっきりしろ。
最終的に見廻組登用の事実関係の真否に結論を出したいのか。
それとも、
全共闘運動・内ゲバ騒ぎ真っただ中の時代に、戦後民主主義者たちが歴史学的考察は二の次で、
政治的意図を前面に押し出して盛んにやったような、
例えば永井路子が1974年に「維新史をにらむ」でやったような骨董品級の新撰組否定論を語りたいだけなのか。

「尊皇攘夷の為に脱藩して云々」というのも、主観的というか時代の段階的把握を完全に欠いているというか。
何故に「彼らは使い捨ての武士です」「可哀想。あっ晴れ最後の武士だな」「いや、詰らん人斬りだ」
ってな非歴史学的議論に終始した、子母澤や司馬が絶賛された70~90年代の新選組観・研究レベルに後退する必要があるのか。

368:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 20:51:42 fkP6cPKQ0
今読み返してみたが・・・昨日酷いことなってたんだな。
>>366みたいなのは精々新撰組関心ある連中にウザがられるだけで、場合によっては話の広げようもある。
ついつい反論したくなるが嫌いではない。
が、>>354みたいなのは完全にうけつけないというか、人間的にいらつくレベルだな・・・。
会津観光史学がなんだかんだと荒らすやつより性質が悪い。
ここで挫折したおっさんの寒い自慢と独白を延々たれられてもね。ネットとはいえよく恥ずかしく無いもんだ。

369:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/22 18:54:40 gW6YaPG6O
ああいう連中は関心あるわけでもなしに否定することで快感を得てるようなアホやから無視しとけ。

370:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 09:56:25 pgA/FEbb0 BE:884417235-2BP(10)
役に立たない、ただ人形が短い愚かな破壊を配置よりたわごと
私は詳細には何の恩恵をより多くの人々を書いています。

371:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 13:36:23 GI9Z9qzXO
>>367

> ってな非歴史学的議論に終始した、子母澤や司馬が絶賛された70~90年代の新選組観・研究レベルに後退する必要があるのか。


2ちゃんねるで最先端の議論をどうぞwww
学者気取りの新撰組ヲタwww

372:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 13:52:29 GI9Z9qzXO
>>367

それと新撰組批判なんかする気は無いから

客観的に書くと新撰組を正義のヒーローと勘違いした輩がアンチ認定してくるだけ
新撰組は尊王攘夷の志しの下に集まった集団
その志しを利用し、自らの立身出世の為だけに動いたのが近藤であり土方
尊王攘夷を時代錯誤云々と言うが、新撰組隊士の多くが時代錯誤と認識していたとでも言うのかね…
新撰組は徳川幕府を守る為の部隊ではないから
あくまでも徳川幕府と朝廷が中心の攘夷
現に鳥羽伏見以前には脱走者が多数出ている


373:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 14:28:33 xXGCQG1X0
大政奉還後、鳥羽伏見戦前の新撰組って存在意義を失って当り散らし
水戸や土佐、薩摩に好き勝手喧嘩売るわ
デリケートな情勢を理解しない誰にも益がない厄介者っぷりが凄いよな

小説家の皆さんは上手いことスルーして一気に戦場で負けるとこに持っていくけど

374:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 14:39:22 LDWDhyXJ0
いやいや、三条辻の土佐藩士狼藉事件では、
旧幕府に当面暫定的に政権続行の権利があった(これを失うのは、明治天皇による親政開始=王政復古の時)が、
新撰組は土佐藩士が相手だと判明すると、即座に釈放している。

この時点で一方的にけしかけていたのは主に会津・桑名の藩士だった。会津藩士が土佐藩士に言いがかりをつけて襲った記録も見られる。
両藩は大政奉還自体に反対していたので、徳川慶喜の考える、諸侯を取り込んだ公儀政権構想は潰したかったのだろう。

375:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 16:55:17 bdJjMJik0
>>371-372
なんでい、また新撰組オタか。

376:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 18:37:24 tTqLunF4O
>>371
絵に書いたような負け犬の遠吠えだな。

377:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 19:11:54 nSuOgE0F0
>>373
新撰組そのものは近江屋龍馬暗殺事件直後に解散させられてたんだっけ。

>>374
会津藩士が土佐藩士に言いがかりをつけて襲った記録ってどれのことだ?

378:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/25 19:25:26 EWj5eS1Q0
三条辻の制札事件は明保野亭事件と同じ種類の処分と考えていいんじゃないの?
土佐の行動に対して会津藩士が苛立つのも組織的行動とは思わないけどね

会津・桑名も、もともと江戸の幕権派からは疎まれていたはずだが、
なぜ大政奉還に反対したんだろう。会津も第二次長州戦争の前段階では帰国を考えていたしね
大政奉還それ自体と言うより、長州藩の復権で
主敵としてクローズアップされるのが分かってたからじゃないの

379:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/26 01:30:09 Vdabq/7p0
新撰組=アインザッツグルッペン
白虎隊=ヒトラー・ユーゲント
京都見廻組=ゲシュタポ
彰義隊=武装親衛隊
会津=ナチ

380:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/26 03:57:37 h3qCz6eHO
>>378
同じ幕府勢とはいえ江戸の将軍譜代結合派は大概あっさりと新政府を受け入れたのに対して、
最後の数年間、新たなかたちの一政権を成立させ威を振るった京都の旧一会桑派はかつての政敵長州復権は承服しかねたわな。
長州復権後速攻で立場逆転して糾弾されるなんてことは非現実的にせよ自分たちが築いてきた政権はおじゃんになるわけで、
動き辛くなるのは確実だ。折から藩の財政事情や藩士感情の問題て藩内部でも帰国を希望する意見は強い。
幕末になってから蝦夷地や江戸湾の警備に加え京都守護職なんぞという役目を負わされ恒常的赤字財政に苦しんでるし、
元々政治の表舞台にたつような藩じゃないし殿様はいざ知らず「面倒なことからは早く手を引きたい」ってのが藩士の本心。
さらに専制的権利を振るった京都の公用局連中と国本や江戸詰の連中の間でも温度差があって度々ゴタゴタしている。
機会を見つければここぞとばかりに「面倒ごとからは身を引いて通常運転に復帰しよう」って話しが持ち上がっても不思議
ではない状況は常に存在した。政治的理由もさることながら、先ず第一に経済的理由が行動の相当部分に影響を与えるな。


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