12/01/26 21:25:51.65 Pw4dt7aU0
>>586
そもそも紀州ごときが来ても大阪の勝敗は変わらない、大阪城の周りの死体が増えるだけ。
そして紀州も馬鹿じゃないので慶喜を見捨てるだけ。
実際戊辰戦争でもすぐに幕府を裏切って、逆に新政府に金を献上して兵士もだしている。
慶喜が篭城してもこれはかわらんよ。
596:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:22:10.95 2RowhAQy0
アームストロング砲やガトリング砲を手に入れてからの方が更に有利だが、
史実の慶喜の大阪城篭城でも薩長は中々落とせないぞ。
篭城論は、慶喜ではなく家臣からの意見でもあるし、
天下普請の城に砲兵隊や元込式銃を持った伝習隊も居るので、薩長も城を攻撃しても中々落とせない。
アームストロング砲があれば、そもそも薩長は近づけなかっただろう。
官軍が抗戦意欲のある旧幕軍が篭城する大阪城を包囲しても、
田安亀之助を抱える紀州は、すんなり官軍サイドにはなびかない。
史実では紀州藩の兵が大阪に到着する前に、旧幕府軍が出動してしまっただけだし、
もし会津藩の換わりに大阪城に兵を出していれば紀州藩兵も篭城する事になる。
大阪城で抗戦中の旧幕府軍が居た場合、紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。
下手をすると、佐幕派として官軍が大阪城を包囲している後を攻撃しかねない。
そうなると大阪城の旧幕軍と紀州藩兵力で官軍は挟み撃ちにされる。
大阪城の後背地である紀州藩が、佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、
官軍は、下手に大阪城を包囲出来ず、鳥羽伏見から旧幕府軍を追い払った時点で膠着状態。
下手をすると土佐、越前、尾張が裏切りかねない。
>反対などしていません。嘘言わないように。
辞官納地は、継続審議に成ったって事は、当初の即時実行案はもとより、
自主的辞官納地も全大名石高割案も無くなり、今後開かれる諸侯会議が
この三職会議で再度話し合いましょうって事。
年末の時点で辞官納地は、即時実行案も自主的辞官納地も全大名石高割案も採用されませんでした。
だから継続審議案になったんです。
597:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:33:27.92 2RowhAQy0
>>592
>郡県制の導入って結局何もできてないじゃない。
先の話だから。
>財政問題が解決できてないのに近代化を推し進めても、
>エジプトやオスマン帝国の二の舞になるだけだよ。
エジプトやオスマン・トルコほど幕府財政が切迫していませんから。
>それに小栗が薩摩藩邸襲撃しなければ、
薩摩藩邸を攻撃しなかったら、薩摩藩のテロ攻撃は終了しなかったでしょう。
攻撃そのものが問題なのではなく、それを聞いた強硬派幕臣が鳥羽伏見に進撃
したのが間違いなのであり、江戸の薩摩藩邸攻撃の報を聞いても鳥羽伏見に進撃
しなければ良かっただけ。
大阪市内の3つの薩摩藩邸を攻撃するとか、大阪湾の薩摩海軍を攻撃するとか、
むしろ会津藩を大阪城から江戸に戻して江戸に四つある薩摩藩邸全部を攻撃すべきでした。
598:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:39:02.42 2RowhAQy0
小栗の外債起債計画も薩摩の妨害で失敗し、
旗本の貢租収入半分を事実上幕府が接収してそれを武器や工場整備に当てている。
この様に幕府は、外国からの借入金を無制限に入れている訳でもない。
薩摩も幕府債券が、パリやロンドンで発売される事を嫌がっているのは、
幕府の軍事力増大を気にしているからでしょうね。
599:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 07:40:19.38 kHkq4FQ5O
慶喜が籠城しなかったのはもう勝てないと悟ったからだよ。
朝敵になったら勝てない。諸藩も次々に降伏軍は連戦連敗
600:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:26:21.10 ljzJx3lnO
>>555
海上閉鎖してる大阪湾に薩長の海軍が突撃出来る訳がありません
海軍でも幕軍圧倒的有利
尊王やらの宗教的思想が存在しなければ薩長に勝ち目はありません
601:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:30:51.66 ljzJx3lnO
>>599
朝敵に成ったらでは無く、『朝敵に成りたくない』だから
そもそも兵力で圧倒的に劣る京都の薩長軍では大阪城包囲など非現実的であり不可能
つまり籠城では無く、大阪城は拠点です
602:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:40:23.43 ljzJx3lnO
幕末は兵力やら軍事力だけで戦局を推し測るのはナンセンス
『尊王』の思想の下に成り立ち、極論を言えば『尊王』の下に帝の意志が正当化されたら一人で数万の敵をも撤退だって可能
長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕軍が負けたのは極地戦だけで本来なら大局には影響されない部分
真珠湾にキリストが居て、日本海軍が正当な理由で身柄を確保出来てれば太平洋戦争も日本は十字軍となり勝てたかもしれません
603:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 18:32:49.01 2i7C0CTy0
>>602
長州征伐で勝ったのは賊軍たる長州で、負けたのは官軍たる幕府軍なんだけど。
>>597
小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。
604:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 19:29:37.94 2RowhAQy0
>小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。
いいや、慶喜が江戸に逃げ帰ってくるまで、
鳥羽伏見で薩長と戦闘になっている事や負け戦だった事も江戸の幕閣は、知らなかった。
605:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:23:31.28 1tWl6m+a0
>>596
万単位の兵士が今日明日篭城しましょと決めて篭城できるわけないだろ。
食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。
そもそも篭城なんてのはどこかから援軍が来る見込みがあってやるもの。
引きこもってて状況が良くなるなんて事はないんだよ。西日本と機内東海道の諸藩が次々に降伏してるのに。
606:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:28:45.37 6WUL1iWj0
>>604
明治以降、江戸の幕臣の証言に「薩摩藩邸焼き討ちは、京都の旧幕府軍を決起させるための行動だった」というものがある。
607:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:48:33.57 1tWl6m+a0
>紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。
根拠がない。機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。
紀州はほぼ完全に孤立している。西日本でもほぼ全ての藩が下っている。
ここで抵抗しても紀州に勝ち目はない。
608:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:52:58.97 1tWl6m+a0
>佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、
負けることはありえない。紀州藩が参加した長州征伐の結果は酷いもんだったよ。
紀州がきても結果が覆るわけがない。そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。
また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない、尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている。
609:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:57:09.59 1tWl6m+a0
>だから継続審議案になったんです。
つまり辞官と領地の返上の方針は変わらなかったという事ですよ。
これからは皇族議定が反対したなどと嘘を言わないようにね。彼等が反対したのは即時領土の返納だけだよ。
領地を返させるという基本方針になんら変更はない。
610:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 21:00:04.07 1tWl6m+a0
>>597
>郡県制 具体的な構想も何もない、実現性も皆無の妄想。
>幕府財政が切迫していませんから。
幕府は金に困って外国から数百万ドルの借款を申し込んでいる。
下関の賠償金も払えなくなっている、国内の商人からも莫大な御用金を取り立てて、
さらに借金までしている。破綻寸前だよ。
611:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 21:11:17.41 2i7C0CTy0
>>604
朝比奈昌弘の回顧で、小栗ら強硬派が京都で今動かなければ時を逸する。在京の士は臆病だ
こちら兵を動かせば、向こうも進撃すると論じた記録がある
612:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 22:50:58.61 2RowhAQy0
>機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
>嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。
機内じゃなくて畿内だろ。
それに鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっている畿内の藩は12~3藩でしかない。
その後の鳥羽伏見の戦いで官軍に寝返ったのは淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。
畿内の藩は、それほど勤王派にはなっていない。
雪崩を打って勤王派になるのは、大阪城を脱出した事が判り始めてからで、順序が逆。
九州なので各地の奉行が逃げ出すのは、慶応4年の一月中旬ぐらい。
慶喜が大阪城で抗戦していたら、どうなっていたか判らない。
>そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
>上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。
それも慶喜が大阪城を逃げ出して、大阪の旧幕府軍が解体してしまった後の話。
>尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている
青松葉事件は、一月下旬の話。慶喜が江戸で抗戦の姿勢を表さない事を見定めた上での藩主の行動。
>また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない
土佐藩は裏切る気満々だからw 会津藩と土佐藩と話合いしている。
>領地を返させるという基本方針になんら変更はない。
継続審議なんだから、単にまた後に話し合うって事だけを決めている。
>破綻寸前だよ。
関税収入が、かなり潤っている。
>611
それは結果論だ!
613:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 00:25:57.90 B/Gy7C9nO
>>608
芸州口の紀州+幕府歩兵隊は西洋化してるだけあって、なかなか頑張ってるよ
彦根フルボッコの後は一進一退で膠着してるもの
まあ、5分の1以下の規模の相手にだけどねw
614:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 07:54:52.45 0BZDGldX0
>食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。
大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
そこにある武器弾薬、食料と突貫で大阪城に搬入すればよい事。
>在京の士は臆病だ
これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。
それに月末、年末では、幕府の外国事務局は、神戸開港、新潟海市、横須賀鎖港の
対応で追われていた。そこに更に王政復古のクーデターで6ヶ国公使と大坂城で会談
となり、そのセッティングなどもあり色々忙しかった。特に神戸開港は、幕府への
関税収入への足しが大きくなる事などから慶喜側近で12月以降の対薩長強硬策の提
唱者でもある永井尚志を担当者に当てるなど、慶喜政権ではかなり重要視されていた。
江戸でも慶応の改革の施策は、続けられており、全軍銃兵化や先込式銃への転換、
フランス将校による幕府軍の訓練、新兵募集の継続や横須賀製鉄所の拡大、鋼鉄製
軍艦の買付など幕軍改革の仕掛過程の業務が沢山あり、その一方で薩摩のテロ活動
への対策も打たなくてはならない等江戸の陸軍局、海軍局、会計局(勘定奉行)は
結構忙しかった。
更に江戸の陸軍局、海軍局、外国事務局は、大政奉還や王政復古で朝廷新政府の三
職会議の決議内容次第では今後の日本の軍制度が決まるのでそれに対する準備まで
している。
67年5月以降は、幕府従来の奉行制や老中合議制は廃止し、西洋型の事務局制とその
トップに担当老中を当てる事実上の内閣制に移行している。
この様に個別政策に関しては担当部署以外の人間の発言では動かなくなり始めている。
また、それ以外の慶応の改革の施策でも忙しい。
この様に大政奉還~王政復古時期の幕府上層部は、中々忙しくて、はっきり言って
京での討幕派への対応策や朝廷でのロビー活動まで頭に入っていない状態。フラン
ス大使のロッシュでさえも慶応の改革では部局ごとの改革の進捗度が違ったり、横
の連絡が取れていなかったりで、ロッシュの目には改革の進展は捗々しい物ではなかった。
その為に慶喜が江戸に帰還して自ら慶応の改革の先頭に立つように要請している位。
しかし京では、薩長の王政復古のクーデターなどがり、その対応策や畿内諸藩の動向、
朝廷新政府への内部工作等の難問が山積しており、とてもじゃないけど江戸に帰れる状況
でもなかったが、江戸では慶応の改革の途中であり、京への政変への対応工作よりも
幕府自らの改革作業や朝廷新政府への合流準備の方が忙しくて、幕閣はあまり京への政変
対応策まで目が行っていないのが実情。だから鳥羽伏見の戦い後にイキナリ慶喜が江戸に
軍艦で戻って来た事にも江戸での幕閣が驚いている。一々江戸の幕閣が薩長相手の施策ま
で判断していた訳でもない。
615:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:13:26.46 AQ6obydZ0
>>612
>淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。
もう殆ど下っているじゃないか。
機内の雄藩なんて津、淀、亀山、郡山、宮津、膳所、桑名、姫路くらいしかないぞ。
宮津とか速攻で降っているし、敵対したのって姫路と桑名くらいのものだし。
藩主が抵抗しただけで、留守居役は速攻で降伏。
616:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:15:05.20 0BZDGldX0
だいたい薩長が、王政復古のクーデターを仕組んだり関東でのテロを仕組んでいるのは、
幕府の慶応の改革が進展するのを嫌がっているからこそ、そうやって改革作業を妨害している。
慶応の改革が進展すれば、薩長はもう幕府には手が出せず第三次長州征伐や第一次薩摩征伐
が日程に入ってくる。最終的には幕府による廃藩置県と郡県制の導入であり、慶喜大君制に
よる征韓論、植民地獲得論となる。
そうならないうちに、慶応の改革が進展しないうちに、幕府を倒そうというのが薩長の決定。
長州の木戸あたりが慶喜の慶応の改革を物凄く警戒しており、むしろ慶応の改革の実行が、
薩長の急進的な討幕姿勢を呼び寄せた面がある。
617:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:15:10.95 nEyxZKxz0
>>614
>これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。
根拠がありません。不可。
618:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:18:32.11 0BZDGldX0
>>617
>在京の士は臆病だ
12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww
619:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:19:53.93 0BZDGldX0
>>617
>根拠がありません。不可。
12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww
>>618は訂正。
620:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:27:52.21 AQ6obydZ0
>それも慶喜が大阪城を逃げ出して、
違う撫順隊がきたら速攻で降伏が流れ、朝敵にはみななりたくなかっただけ。
機内の藩は朝廷>幕府だから。九州とか中国とかでも速攻で降伏。
篭城してても彼等を助けに行けるわけがないから、降伏の流れは代わらない。
そして尾張は藩主が朝廷に忠誠を誓う為に起こしたことであって、慶喜が抵抗していても流れは代わらない。
621:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:32:04.21 AQ6obydZ0
>土佐藩は裏切る気満々だから
ありえんな、そもそもそんな事したら藩主が隠居させられるだけ。藩士は付いてこない。
>継続審議なんだから、
つまり方針は変わらなかったッてことだろ。何時何処で辞官納地が辞めになったんだよ。
>関税収入が、かなり潤っている。
幕府の借金に比べれば微々たるものだよ。余裕があるなら賠償金を支払えないで兵庫を開港したり、
借金の返済の待ってもらう為に、関税率を20%から5%に下げられる事もないよ。
622:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:37:29.50 AQ6obydZ0
>>613
いや10分の一くらいだろwあの方面は長州は1500程度だし。
紀州の洋式の武器もった連中だけで6000くらいはいる。
けど複数の街道や山などに分散しているから実際は数百程度の長州に数千で襲い掛かって返り討ち。
さらに海からは艦砲射撃もしているのにねw
>大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
篭城してんのにどうやってそんな事するんだよ。場外にいる作業中の連中なんて敵でもないぞ。
623:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 09:08:36.67 0GBC1DgJ0
>>591
>誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!
やっぱり小栗ヲタってこういうこと全然知らないんだな。
普通は小栗なんかよりも世直し一揆のほうが有名なのに。
だから大村とかのリップサービスを真に受ける事になる。
財政的な意味でもフランスとの提携という点でも
当時の小栗の要になっていたのは養蚕業だったのにそれを敵に回したんだから細かい例ですむわけないだろ。
しかも小栗は結局上州での世直し一揆勢に襲撃され
それを銃で撃退したことが上州の草莽に報告されて殺されてるんだよ。
624:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:19:18.74 0LnulJL1O
>>603
結局は薩長が勝つって当たり前だったって考えてる奴は馬鹿しかいない
第2次長州征伐では勅命は下りてないから幕軍は官軍ではありません
また第2長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕府が弱いから負けたのでは無く、大将の気移りと言う想定不可能な理由での敗戦
戦局だけを見れば幕軍に負ける要素は皆無
625:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:22:25.32 0LnulJL1O
結果だけを見て『薩長勝って当たり前』って考える輩が、無謀な太平洋戦争をおっ始めたのは明らか
626:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:31:04.81 AQ6obydZ0
戊辰戦争で幕府が負けた理由を大将の移り気とか言っている時点でお前ダメだわw
その前の戦争で負けているんだよ。だから大将はもう勝てないと悟っただけの話。
そして薩長に勝てるとかありえん妄想を抱いている奴等が、アメリカにも勝てるとか変な妄想抱いて戦争始めただけの話。
幕府が薩長に勝てる可能性こそありえない。実際どの戦闘でも勝ったためしがない。
627:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 12:24:52.78 B/Gy7C9nO
>>624
いやいや勅命下りてるよ
大久保の「非義勅命は勅命にあらず」って結構有名だと思うんだか知らないの?
薩長同盟における坂本の動きを語る上でも必ず言及される
第二次長州征伐も鳥羽伏見もどうみても幕府が弱すぎるから負けたんだろ
薩長が強いから勝てたなんて誰も思ってないよ
小笠原が逃げたのは圧倒的に戦力が上の幕府海軍がやすやすと長州を小倉に3回も上陸させてしまった後、
慶喜が逃げたのは鳥羽伏見で3倍以上の戦力の旧幕府兵が薩長に撃退され撤退した後だ
628:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 13:33:15.53 0BZDGldX0
>>612
相変わらず、機内って書いているなw
バカだなww
鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっていた畿内とその近辺の藩は、
(近江)
彦根藩、西大路藩、膳所藩
(大和)
郡山藩、柳生藩、高取藩、小泉藩
(河内)
狭山藩
(摂津)
三田藩
(丹波)
園部藩、柏原藩、綾部藩
ぐらいなもの。
629:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 13:35:06.19 0BZDGldX0
>>628
>>615に修正。
630:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 14:35:28.22 2HtiYk7U0
>>614>>618
薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ
>>624
慶応元年9月21日に出てるよ
631:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 15:54:25.99 0BZDGldX0
>薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ
その頃なら、京には幕府の人間居ない。
二条城は、水戸藩尊攘派に預けているし、
京都町奉行所は14日付で朝廷新政府の命令で廃止になっている。
伏見奉行所に新撰組と見廻組、
それに新遊撃隊「京都町奉行(東西二箇所)と伏見奉行の与力、同心で結成」が居るだけ。
632:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 16:34:47.83 AQ6obydZ0
>>628
石高で見れば残りの機内の諸藩など俺があげたもの以外は、自衛すらままならない小藩のみ。
機内で10万石を超えている藩で抵抗していた藩なんて、姫路と桑名くらいのもんで。
そこも即座に降伏。それが史実というもの。
633:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 16:55:30.33 B/Gy7C9nO
>>632
姫路は岡山に形だけ一発大砲打たせて即降伏だもんなw
しかし漢字は直してくれよ、畿くらいすぐ出るだろう
634:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 17:57:13.97 Zb0DR1030
明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令
明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書=26日午後、高知市
薩摩と長州に討幕の密勅が出された直後の慶応4(1868)年1月11日に、明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)
高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書が見つかり、26日、高知市の歴史研究会が発表した。
所有していた高知県の男性が研究会に鑑定を依頼。鑑定した歴史研究家の松岡司さん(68)は「土佐藩にとって、明治維新の最重要文書。残っているとは驚きだ」と話している。
書状は縦22センチ、横110センチの切り紙。文書の内容は山内家がまとめた資料集などで知られていたが、原本は所在が分からなくなっていた。
URLリンク(town.sanyo.oni.co.jp)
URLリンク(www.sanyo.oni.co.jp)
635:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 00:18:11.32 n8rZl4380
中国地方・山陰地方は、西から長州藩の軍勢が来ているので勤王藩が増えているが、
畿内では鳥羽伏見の戦いで負けた時点で尚且つ慶喜逃亡以前に勤王派に寝返った藩は、
淀、津、亀山、高槻などの諸藩で、それ以外は形勢を見ている。
大阪城のすぐ近くの尼崎藩や麻田藩などは、慶喜逃亡の報を聞くまで動きを取れなかった。
雪崩を打って勤王派になるのは慶喜の大阪城逃亡が公然化し、大阪の幕府軍の溶解が始まった以後。
慶喜が大阪城で抗戦を続ければ、畿内やその付近の藩は動けない。
鳥羽伏見の戦い以前に大和の四つの藩が、勤王藩に傾斜しているが、これもかなりリスキーな行動だった。
紀州藩が、佐幕派として参戦したら攻撃されかねない行動だった。丹波でも3つの外様が勤王藩に成っているが
これは西から長州が来るのでまだ判るが、近江や大和ので鳥羽伏見の戦い以前に勤王藩に傾斜していたのは、
かなりリスキーだったと思われる。
慶喜が大阪城で抗戦を続けた場合は、これら鳥羽伏見の戦い以前に勤王派に成っている藩や
鳥羽伏見の戦いで勤王派に寝返った藩は、旧幕軍の攻撃の対象にされるだろう。
636:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 00:38:09.40 b5IyGMNq0
夜逃げ逃亡が全てよ
あれで新政府内の親慶喜の諸侯派は沈黙せざるを得なくなったし
日和見の藩は全て薩長についた
慶喜からしたら戦わないのがベストだったけど開戦に及んだんだから
腹くくって勝負すべきだった
春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」
は的を射ているわ
637:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 01:47:47.40 HabBhD41O
慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。
638:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 08:58:37.71 /7d6agsB0
もう慶喜厨は荒らしの領域に入り込んでる気がするがそれはさておき
客観的事実として一度決定した辞官納地は既に骨抜きにされていた事
慶喜の新政府参画は既に内定していた事は事実なので
会津庄内をもし慶喜が押さえられていたら鳥羽伏見のあった日に慶喜は
御所に参内して悪くても平議定普通に考えれば議定筆頭くらいにはなってたと思う。
ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。
ただ薩長土肥の維新後の扱いそれはお飾りの左大臣にされた久光に
代表される殿様個人の扱いもあるし、版籍奉還、廃藩置県に代表される藩としての
扱いもあるがそれを見るに三職制から太政官制に移行すれば慶喜が政治的実権を
有する可能性は零に等しい。
ただ太政官制下の参議のポストは史実では薩長土肥が独占していたが
この場合だと小栗榎本大鳥勝あたりの旧幕臣連中と由利公正に代表される
越前藩の連中あと状況によっては尾張宇和島水戸の連中も参議入りして
人事の面では大幅に変わって来る可能性は多少ある。
まあこれについても結局10年ちょっとで土佐肥前の連中は新政府から
追い出されたのでやっぱり史実通りだった可能性も高いがね。
ただ榎本や大鳥があんだけ活躍できたわけで小栗が新政府に参画すれば
全く違う展開になってたかもしれんとは思う。
639:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 11:02:41.29 49LoPbpLO
>>638
戊辰戦争が起こらなければ廃藩置県で各方面からの反発が大きそうだなあ
西南戦争までいかなくとも士族反乱が早い段階で各地で起こるやも
もしくは緩やかに移行させて史実よりずっと後に実施するか
640:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 11:52:23.77 JcBLBNwx0
>>636
>春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」
それを書いた春嶽の回顧談では、「水戸の徳川斉昭は幕府を乗っ取って天下を取ろうとしていた」と断言しているのだが、
信じてるの?慶喜の評はその延長上に書かれたものだしw。これ信じてるなら、君はかなりイタいぞw。
641:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 12:09:10.11 /7d6agsB0
>>639 その場合は多少遅れていた可能性はあるが要は史実の戊辰戦争の
替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?
内乱はもちろんあったでしょうが不平士族の反乱とは別物だと思う。
642:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 14:37:50.68 JcBLBNwx0
>>638
慶喜には上洛を、会津桑名両藩には帰国命令が朝廷から出ていたから、
会津桑名が慶喜と一緒に参内する事はありえん。
そういう意味では、朝廷の役は貰えまい。というか最初から彼らは幕府の役だけで朝廷から何らかの役目貰ってたわけじゃないし。
>>641
廃藩置県戦争で済めばまだ御の字だな。
自由民権思想が諸外国から流入するのは時間の問題な訳で、こちらが先なら市民革命戦争になる。
そうなれば武士階級どころか天皇や公家までも庶民の手でギロチンだ。
643:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 15:18:28.31 4IjpVV060
>ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。
土佐も越前も尾張も副総裁の線で工作しているんだがね。
>慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。
開戦時に土佐も越前も尾張も議定の辞表出している。
>史実の戊辰戦争の替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?
それも含めて慶喜は朝廷の摂政や新政府の副総裁になるつもりだったんだろう。
天皇の権威と徳川の西洋化した軍事力で諸藩を圧倒して実行する心算ではなかったのか?
それには第三次長州征伐や薩摩征伐での幕軍勝利が必要だった。
644:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 15:46:50.36 Cng1tb9N0
>>643
第三次長州征伐や薩摩征伐をするには、何を口実に
しますか?
645:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 16:37:14.73 EvjDgfvs0
>>631
正確に言えば「大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者なるが故なり、関東より端を
開きて其眼を覚まさしむるに若かず」だから焼き討ち直前だよ。
646:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 22:57:05.13 JcBLBNwx0
>>643
慶喜は新政権の樹立に向かっていたが、幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。
慶喜の思惑がどうであれ、徳川が二派に割れるから戦争になっても第二次同様に全力は出せまい。
647:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/30 11:08:15.50 k3/HQaoxO
>>627
10万石削減&藩主隠居
これが勅命
武力討伐の勅命は皆無
648:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 07:26:15.01 edZfXRIrO
>>646
その場合、新政府+旧幕臣の一部対旧幕府+会津桑名その他、の戊辰戦争が始まるかもな
そうなると江戸が焼けるのは不可避か…
長州は復権さえ出来たら新政府側に付くだろうからしばらくは征伐の心配は無さそうだが、
薩摩はどうなるか
649:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 16:18:14.25 NEALSGZ30
>焼き討ち直前だよ。
なおさら京には幕府の人間居ないって。
>幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。
史実では慶喜が説得して何とか納得させています。小栗も含めてね。
650:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 19:43:48.53 EfD1cL9D0
>>638
小栗は会庄と同じカテゴリーであって新政府入りは無理。
小栗が慶喜に罷免された時に大久保一翁は越前に幕府の旧弊を改める好機と書状を送っているくらいで
越前・大久保・勝らと小栗では別だ。
榎本や大鳥は幕府が解体された後に登用されたんだし話が違う。
651:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 09:29:07.35 DrVHxZR90
徳川家の私財を投じて国家運営しているようなもので
全国徴税の仕組みをつくらないと勝ってもいずれ息詰まるだろ。
652:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 10:35:28.99 HfsHslIP0
>>651
勝たなければ何も始まらないですね。
第2次長州征伐に成功していれば余裕をもって、
幕政改革ができましたが・・・・・・。
紀州よりも長州のほうが武器の性能や能力が
すぐれていますから、撃退されて当然です。
653:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 11:53:35.99 G5xw8Pop0
Ifを言うなら、慶喜が第14代将軍になってれば大分歴史が変わったんじゃないかな。
安政の大獄も起きないし。
>>650
小栗と共に慶応の改革に従事し、また勝海舟を蛇蝎の如く嫌ってた
栗本鋤雲のとこにも新政府から出仕の誘いが来た(けど断った)らしいから、
本人にやる気があれば不可能でもなかったんじゃないかな?
小栗のことだから、出仕の誘いが来ても断るだろうけど。
どちらにせよ、小栗も函館まで行けば良かったんだが。
654:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 12:26:23.83 O5gfzL6mO
>>652
第二次長州征伐の時なら紀州の武器の性能は長州と同じくらいかむしろ上
そして芸州口における兵の数は紀州の方が圧倒的に上
しかし一歩も長州の地に攻めこめなかった
武器の性能のではなく組織体制や士気の問題だろう
655:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 12:34:21.17 QaAM1X4U0
散兵戦術と戦列歩兵じゃなあ。
戦術が50年か100年は違うんじゃね?
656:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 15:56:15.32 UBlypi6E0
芸州口に限れば、紀州藩兵の士気は高かったんじゃなかったっけ
総督が徳川茂承だし、支藩主が自ら出兵してたりもするし
粘り強く戦ってたと長州側の記録にもあった……気がするw
数で勝ってるのに苦戦した理由は、戦術か戦略、あと地形辺りじゃないかな
657:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 17:06:49.79 PPrmiFUlO
だ・か・ら
幕軍1万5千で大阪城拠点に陸路閉鎖
海軍で海上閉鎖
京都の薩長軍5千はどうやって補給路作るの?
武器が優れてても弾薬切れたら鉄屑だよ
658:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 19:33:28.24 HfsHslIP0
>>654
紀州は独自にプロシアから軍事顧問を、
招聘していましたからね。
組織体制や士気の問題でしょうね。
659:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 20:21:35.65 X1kU/9TE0
紀州藩がプロイセンから軍事顧問を招いたのは、明治維新後だったと思われ
>>657
鳥羽伏見前ならそんなことせずに傍観してりゃ政治的に勝てるし、
強硬派は衆を恃んで余裕ブチかましてるから封鎖とか消極的な作戦は眼中にない
鳥羽伏見後だとしたら、その1万5千で惨敗したのに更に封鎖の為に分散させるとか正気なの?って
言いたくなるだろうな、慶喜の立場ならw
しかも橋本の戦いで幕府軍が壊走した後は、新政府軍内で軍需品の鹵獲競争が起きてる
あと当然ながら援軍も来るわけで、慶応4年1月9日には長州軍が備後福山藩を降伏させている
660:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 21:54:38.34 OGKLdaud0
慶喜は、江戸から薩摩藩邸焼討ちの報が入った後は、
強硬派幕臣を鳥羽伏見に進撃させるのではなく、
大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃する事で誤魔化すしかないね。
あと大阪湾で薩摩や長州の軍艦や船を攻撃するとか。
史実でも伏見奉行所に詰めている新撰組や見廻組、新遊撃隊が
それなりに示威行為で暴れてはいるのだが、西郷と大久保がこの事を
批判しているものの議定会議で土佐、越前、尾張が工作して伏見奉行所
への出兵話は無くなっている。
薩長への鳥羽伏見への出動命令は、あくまでも幕府軍接近の報があってから。
関東各地で行った薩摩藩のテロ活動の方がはるかに大規模で酷かった。
一揆や騒乱状態まで発展し伊豆代官の江川家は、伊豆で徴兵した農民兵を治安出動させている。
661:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 22:26:25.77 HfsHslIP0
テロリストは打ち殺せ。
寛大なる処置に感謝している庄内はおかしい。
>>659
そうでしたか?
662:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 12:15:48.46 W0R8qFx/0
幕府は、元込式銃に転換し始めた直後に大政奉還やら王政復古やらだから
もう少し時間があれば、武器の近代化をもっと整備できただろう。
幕府軍が大阪の幕府軍5000人だけでも先に元込式銃兵化を完了してから
鳥羽伏見の戦いを始めるべきだった。
しかし、ま~ジャーディン・マセソンが、アームストロング砲を幕府に売却しなかった
背景を知りたいね、誰かが幕府軍の強化を邪魔している訳だ。長州の木戸も慶応の改革
の進展を気にしている訳だし。
結局、薩長は、慶応の改革を進めさせたくなかったんだろう。
ある意味、慶応の改革は「富国強兵」の第一歩と言っても良い。
663:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 13:22:12.76 PJQTfopbO
>>659
惨敗?
初戦で敗走はしたが、大阪城及び港を押さえてる以上戦局は幕軍有利は変わってないよ
664:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 13:25:36.13 PJQTfopbO
>>662
武器マニアは痛々しい…
初戦敗走は錦の御旗による物
大将に戦意が有れば3日で京都の薩長は追い詰められてたよ
665:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 15:53:34.59 oz1Cygyc0
そういう心構えがないから負けたんだし政治を任せられなくなった
666:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 18:08:09.20 OH8u1PZH0
>>656
他の幕府歩兵とかと一緒になって10分の一以下の長州軍に攻め込まれて、
一歩も長州の土地を踏めずに負けた。
>>663
薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?
667:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 18:17:49.28 abgta0mF0
指揮官を家柄で選んでる限り勝てないだろうね
668:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 20:49:11.99 1/4dPMM80
>>664
慶喜は、土佐、越前、尾張の三藩の朝廷工作にかけていて、それは上手く行きかけていたのだから、
戦意が無いのは当たり前。むしろ伏見奉行所での挑発行為と徳島沖での海戦、関東での薩摩藩邸
焼討ちや関東各地への治安出動、大阪市内の薩摩藩邸への攻撃ぐらいで止めておくべき。
会津藩などは、東帰させて江戸での警備や関東各地への治安出動をさせておいた方が良かった。
薩摩藩邸焼討ちで薩摩藩が三職会議で文句を言って来ても関東でのテロ活動の件を逆に批判出来る。
この時点での戦意は、はっきり言って無駄な効率の悪い戦意。もっと開戦は先延ばしにするべき。
アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手、元込式銃兵化の進展、この三つが揃ってからの開戦でも遅くない。
>薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?
徳島沖海戦では、薩摩藩海軍は見事に負けていますけどねw
天下普請の大阪城は一寸やそっとでは落とせない。アームストロング砲が十数門配備されていれば
官軍は近づく事も出来ない。下手に大阪市内に突入したら幕府海軍の艦砲射撃の的になるだけ。
669:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 21:15:44.34 OH8u1PZH0
阿波沖の海戦は兵士の輸送が終わって薩摩に帰る途中の船を襲ったもの。
そして薩摩は輸送船が一隻座礁しただけで、無事任務を全うして帰っている。
幕府は船二隻すら沈められない体たらくなんだが。
長州征伐でも少数の長州海軍にボコボコにまけて、関門海峡も制海権は長州が握っていた。
670:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 22:17:28.95 7LN0TxSp0
北越戦争では薩長側が寡兵の旧幕側に局地戦では度々負けてるな
671:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:01:24.74 OH8u1PZH0
負けたのは薩長の兵じゃないけどなそれ。
672:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:28:22.69 X0Ouact10
>>668
アームストロング砲を過大評価しすぎだろ。幕末時はまだ不安定ですぐ壊れるので
そんな超兵器と言われるほどの威力は無いぞ。
当時の英軍ですら四苦八苦していたのに、幕府軍に満足に運用できるとは思えん。
673:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:34:56.70 kKDp5FPXO
>>668
何度も何度も同じこと書いてるようだけど、
つまりはあのタイミングで鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね
674:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 00:52:18.72 Q7frZP2R0
>何度も何度も同じこと書いてるようだけど
それが事実だから。
>鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね
慶喜は、それが判っているから二条城から撤退したし、
土佐、越前、尾張の三藩に朝廷工作を任せている。
それに幕府軍を鳥羽伏見に進撃さえさせなければ、朝廷は慶喜を朝敵にはしなかった。
江戸や大阪の薩摩藩邸や関東の一揆勢を鎮圧して、時間を稼いでいれば良かったのだ。
その間にアームストロング砲35門やウォールストーン号の入手、幕府陸軍の元込式銃兵化
を推進していればよかった。木戸が言う様に慶応の改革が進めば進むほど幕府軍は強くなる。
一度戦いを起こしたなら大阪城に篭城して抗戦を続けるべきだろう。
大阪の戦いが長期化すれば、薩長の力が弱まり、土佐、越前、尾張が仲介に乗り出すなり、
土佐が裏切るなりするだろう。
675:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 01:38:37.10 kOsU2UkM0
それ無理。何故なら幕府には金がない。
下関の賠償金も払えなかったのが幕府。
だからフランスから追加借款を申し込んでいたけど、もう領土でも担保にしないと無理な状況になっている。
676:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 07:18:49.83 jalfgSLtO
>>674
アームストロング砲だろうがストーンウォール号だろうが銃兵を鍛えようが、
指揮官が硬直した身分人事な時点でただの鉄屑だよ無理矢理
逆に、鳥羽伏見の指揮官を大鳥にするくらいの実力に促した人事が出来てたら、
(そして一番難しいことだが頑迷な会津兵らもその指揮官にちゃんと従ってたら)
幕府軍は勝ってたと思うよ
武器の性能と兵力なら勝ってたんだから
677:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 08:06:43.07 kOsU2UkM0
んー違うなあ。指揮官も大事だが一番大切なのは戦術と士気だからね。
薩摩の立ち撃ち、長州の寝撃ち、土佐の膝撃ちというが。
この三藩はある程度散兵戦術を駆使して戦える。
薩摩や土佐の場合は敵が近づいたら即座に近接戦闘に切り替えて突撃する胆力を持つ。
長州はそこまでの胆力は持たないが、まず崩れる事がなく最後まで持ち場を死守する忍耐力を持つ。
幕府は散兵戦術が取れない。何故ならそうしたら軍が崩壊する。
かといって密集して攻撃しても的である。結果どうやっても勝てない。
678:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 10:45:38.11 MhrNBbmxO
>>666
痛々しい
679:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 10:50:18.91 MhrNBbmxO
>>668
いったい何の話を?
幕軍が戊辰戦争で勝つ可能性の話
つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外
一々さかのぼってたら『参勤交代を廃止しなければ良かった』って結論に成っちゃうがな
680:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 12:39:16.51 I7lbfCNO0
「鳥羽伏見の戦い」(幕府の命運を決した四日間)の著作者の野口武彦は、
慶喜のチキンぶりと大阪城放棄が最大の敗因では有るが、戦闘現場では、
連絡将校(采図役)の絶対数の不足と訓練不足が、敗因だ、としている。
また、一部元込式銃兵化を行っていた伝習隊は、総崩れの幕軍の中でも比較的
踏み止まって良く戦っており、薩長も伝習隊との対戦では苦戦している事を記している。
薩長の戦闘記録でも伝習隊は他の部隊とは異なって、
反撃が激しく、伝習隊の射撃で味方に被害が出ている事を記している。
681:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 12:48:14.72 I7lbfCNO0
>つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外
頭悪くない?
開戦し無い事が有利なら、それも検討すべき。
また正月の段階で開戦しないでも、どのみち年内中旬には開戦している可能性が大きい。
それに開戦して大阪城を薩長が中々落とせなかったら、
土佐、越前、尾張はどちらに転ぶか判らない。特に土佐は裏切る気満々。
682:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 16:11:35.08 MhrNBbmxO
>>681
開戦回避はスレ違い
スレタイ100回嫁
683:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 16:13:59.09 2zNVRlA40
通りすがりだけど、戦わずして勝つとか言うし
もしくはまた別のいくさの準備なのかもしれんし
684:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 17:18:50.54 jalfgSLtO
>>681
>>683
戊辰戦争において旧幕府軍の勝利を考察するスレだから、
戦わないという選択肢はスレ違い
鳥羽伏見が起こらなかった場合の、
後々戊辰の年に起こりうる別の戦争に関してもスレ違い
鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容
685:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 19:27:25.40 9wecEBnA0
なあちょっとスレ違いかもしれんけど奥羽越列藩同盟の他にもう一つ
列藩同盟ってあったよね?
俺の記憶違いかな?ぐぐっても出てこない。
686:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 21:46:06.83 Irbqc2WS0
戊辰戦争は、年の事ではなく、幕朝戦争の意味を表している。
その勝利の為に開戦時期を見合わせるのは、ありうる事だ。
4月になればストーンウォール号も徳川家の手に入るしな。
西郷だって3~4ヵ月後での
開戦だと思っていた位だから、正月開戦はむしろ偶発的要素が大きい。
ま~正月に開戦しないでも戊辰の年内には、どのみち戦争の可能性が大きいが。
長州藩だって本国から山陰を通って援軍を京へ登らせようとしている。
長州藩の援軍が入京したら、どのみち戦争だよ。
もっとも幕府vs朝廷の構図ではなく、
朝廷内部の“副総裁vs議定”の戦いになるのかも知れないが。
慶喜も開戦するなら、準備万端で開戦すべきなんだ。
慶応の改革の途中で開戦する方がおかしい。
>鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容
結局、薩長では落とせません。
ハイ終了。
687:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 21:57:33.70 9wecEBnA0
>>686やたら慶喜副総裁就任を推すが議定にはなれても副総裁になるのは
無理だと思うぞ。総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。
薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。
688:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 22:24:01.00 cftt1l5v0
ところで幕府軍の戦術の拙さ(散兵戦術vs戦列歩兵)を指摘する
声がいくつかあるんでふと思ったんだけど
・松平定信(林子平の「海国兵談」発禁処分)
・鳥居耀蔵(高島秋帆を謀略で排除)
↑これが幕府(や佐幕派の藩)の兵制改革の遅れの原因の一つになってる
気がするんだけどどうだろう?
689:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 22:31:48.25 Irbqc2WS0
>総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
>事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。
土佐、越前、尾張は、慶喜副総裁の線で工作し、かなりの賛同を得ている。
辞官納地が継続審議で事実上棚上げ状態で、しばらくは徳川家は400万石
を維持しそうだし、しかも旧幕の陸軍や軍艦、全国各地の城や奉行所、陣屋
などを考えると、行政執行は徳川宗家がやるしかない。
まあ~議定になった岩倉や薩摩、それに慶喜の副総裁就任と同時に長州も
議定に任命されるだろうから、これら三者が、慶喜副総裁に反抗するんだろうな。
慶喜も議定会議で薩摩の関東でのテロ活動の件を持ち出して批判するだろうから、
そうなると結局年内に徳川宗家vs薩長で戦争になるかもな。
>薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。
皇族議定は了解済み、
皇族が了解しているのに、公卿が断るのは難しい。
鳥羽伏見の戦い直前には、
中山と中御門はもとより、岩倉でさえ動揺しまくっているが。
690:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 01:31:30.62 1Nqew55cO
嘘も百編言えばなんとやらだな、諸侯が期待したのは薩長の牽制で合って慶喜の復権ではない。
691:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:30:50.86 CFpwL5PG0
薩長の牽制=慶喜の復権=慶喜の副総裁任官
692:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:35:01.13 t98Zzaug0
>>688
松平定信の時期に幕府の財政は急激に悪化しているので、
その意味で、幕末に幕府に余裕がない原因を作った無能政治家であることは確か。
また、政敵を抹殺するにあたり、政敵の行政的な業績を踏みにじるために
意図的に経済を困窮させ、政敵に罪をかぶせた傾向も否めない。
これは新井白石にも伊東正義にも見られる。
正義を名乗る人間はよほど気をつけないと、そいつが悪と名指しする人間よりも数段邪悪であることが多い。
鳥居耀蔵もろくな人間ではないが、奴というよりはその上の水野忠邦が評価できない。幕府を混乱させただけだった。
軍制に関しては、高島秋帆の時代はゲベール銃による集団突撃戦法で、当に鳥羽伏見の旧幕府軍の戦法そのものであった。
これが近代散兵術に取って代わるのが大砲の発達で、これによって、密集歩兵の中心を砲撃することが可能になったため、
歩兵の密集突撃戦術は急速に廃れていった。鳥羽伏見でも瀧川の馬が最初に吹っ飛んだね。
これと同時に銃の進化、ライフルと元込めによる長距離狙撃が可能になり、司令官の前線指揮は目立つことを避けるようになってゆく。
鳥羽伏見ではこの状況を考えずに旧幕府歩兵は突撃を繰り返し、司令官を多数失うことになる。
693:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:38:22.08 t98Zzaug0
>>691
それはおかしい。
慶喜の完全な復権を諸侯は望んでいない。
諸侯が望んでいたのは、京都に幕府に代わる自らの意見の通る政権を立てること。
慶喜が領土も権威も完全に復権しては、諸侯の願いは果たせない。
将来の領地差出と官位制限は当然残る。
694:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 06:45:29.82 fC57686Y0
>>663
大坂城は戦略的には重要だし、鳥羽伏見前は慶喜がまさにそれを最大限活用して
京都の政局に無言の圧力を掛けていたわけだが、戦局として考えるなら
旧幕府軍が鳥羽伏見から敗走してきた後である以上、とても有利とは言えないよ。
まず新政府軍は少なくとも橋本まで進出してるから、これと山陽道を上る最中にある
増援軍を遮断するには大坂城から淀川の北へ進出する必要がある。
だがそちらへ進出したらしたで、その両軍を止められるかっつーと、そこで止められるんなら
少なくとも橋本の戦いでは負けてないんじゃねーのって話だわな。
しかも敵軍の数が増える分不利になってるし。
更に籠城策を取るには、すでに裏切った藩が二つ出たという事実が重い。
また、港も保持するなら大坂城とは別に堺などの港へも軍を割かなければならないが、
まともに対抗できる幕府歩兵隊をそんなんに割り振っていいのか?
戦局を考えるなら、慶喜がこれは無理だと判断しても頷けるよ。
695:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 07:00:00.64 fC57686Y0
>>677
いやいや、指揮は古今東西、戦術と兵器に勝るとも劣らず重要だよ。
鳥羽伏見での幕府陸軍は戦術・兵器ともに薩長と互角かそれ以上だったし、
軍の数では幕府歩兵隊だけでも薩長の軍より多く、また粘り強く戦った。
もちろんそれ以外には装備が旧式、近代戦を知らないで役に立たない連中も
居たが、そいつらを後方に回してもまだ数では勝ってる。
それでも勝てなかったのは、上層司令部に戦略性が欠如してたから。
緒戦の鳥羽伏見からの撤退は仕方ないとしても、伏見奉行所から脱出した軍が
その後の命令すら受けられず、一晩経ってから三々五々自主的に撤退した様に、
敗北後の兵力の収容と再編って基本的なことすら出来てないから、その後もグダグダと負け続けたんだよ。
だから総兵力では勝っているにも関わらず、戦略的な迂回攻撃どころか富ノ森で勝った後の追撃も行えずに
敗走後の敵軍に再編の余裕を与えてしまった。
軍の指揮官としては評価されてない観のある山縣有朋ですら、長岡城で河井の奇襲を受けて敗走した時は
後方陣地への集結と収容指示、軍の再編ぐらいは迅速に行ってるぞ。
司令級の人材についても門地石高に囚われず、大鳥のような下から伸びてきた人材を充てられていれば、
鳥羽伏見での旧幕府軍の勝利も十分あり得たと考えられる。
696:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 08:11:35.49 60R9618k0
>>695
幕府陸軍は戦列歩兵の訓練を受けていたから、散兵戦術をとってくる相手には対処できてないよ。
幕府の中には伝習隊のように同等の武器を持っていた隊もいたけど、
戦術がさっぱりだったのは変わらない。
砲や射程と命中力の高いライフルが出てくると、戦列歩兵は的でしかない。
だから勝てない。
697:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 11:09:38.01 4yKeWqO8O
>>694
ん?
私の意見は鳥羽伏見に於いて大阪城拠点に陸路と海路閉鎖
京都の薩長軍は補給路を絶たれ敗戦必至
尊王なんて宗教的思想が無ければ幕軍に負ける要素は皆無
故に武器がなんちゃらとか言ってる輩も論外だと思ってます
698:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 11:19:42.51 0yHOIxFzO
>>697
陸路も海路も幕府軍にゃ閉鎖は到底無理
長州からは援軍
ハイ終了。
699:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 11:25:22.22 OC3j9ACn0
クラウゼヴィッツは「戦争は違った形で行う外交であり政治だ」という。
思想無き政治はなく、故に思想無き戦争もありえん。
「尊王なんて宗教的思想が無ければ……」
故にこの論理は非常識に過ぎるだろう。
そもそも天皇の家臣たる征夷大将軍たる徳川幕府の正当性は尊王思想に根座しているのだから。
700:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 03:36:57.87 Ir6T2/DL0
とりあえずアームストロング砲35門とストーンウォール号を手に入れてから開戦だ。
701:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 04:04:56.67 dVMdHo050
>>696
素人なんだけどさ、自然発生的に散兵戦術を体得する可能性ってある?
本職じゃないから分からないけど
702:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 09:07:24.24 bmyY18Rf0
>>696
鳥羽の緒戦では竹林とかに散開して交戦してるよ幕府歩兵
戦列歩兵なら散開なんてせずに、戦列を維持するか後方に引いて戦列を再構築するよね。
それに大鳥が指揮を執るようになってからは積極的に散兵戦術を活用してるが、
たった2,3ヶ月で習得したってことになるが
まー幕府歩兵隊の全軍が散兵戦術を使えたとは限らないし、そもそもフランスの歩兵操典が
戦列と散兵を併用するナポレオン時代引き摺ってた可能性はあると思うが
富ノ森などでの野戦築城などを見ると、南北戦争の教訓は既に取り入れられているようだが
703:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 10:15:26.90 lLZqxcON0
>>702
結果脱走兵逃亡兵がでまくり
704:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 13:15:03.65 oAkTzHCl0
その意味で、方言だらけで言葉も聞き取りにくい薩摩歩兵は逃亡が無かった。
逃亡したら即孤立だから。
705:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 13:46:45.93 ZIA3MOwG0
散兵って下手すると逃亡する兵がでてくるんだっけ?
706:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 16:15:30.21 S8s/oPK+0
散兵戦術とは、単にバラバラになっている状態じゃないぞ
散開し、かつ離れた位置から統一指揮され、部隊として射撃戦闘を行う。
指揮官と離れているだけに、一人で逃げ出そうと思えば簡単にできるし、
轟音響く戦場で、指揮官の合図や信号を見て指揮される訳だから、事前に訓練していなけりゃ無理。
自然に覚えることはありえんよ。
707:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/06 16:57:18.40 ohfRF4Wj0
そらまぁ逃げるチャンスは無限にできるからなw
でも幕府歩兵隊ですら散兵戦術を使えないなら、>>697の言う陸路封鎖なんて
夢のまた夢じゃね?
>>703
負け戦だし当然逃亡兵が出たことは考えられるが、
しかしそんなに凄い数の逃亡兵が出たん?
708:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 16:31:42.13 LvuNnUYgO
>>698
全く論理的でないですね
言った者勝ちですか?
709:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 16:36:25.45 LvuNnUYgO
>>699
『尊王なんて宗教的思想がなければ』
ってのは、戦力的にも戦局的にもマトモにぶつかれば幕軍が負ける戦では無いって意味
つまり武器がなんちゃら…第二次長州征伐がなんちゃら…
全て論外って事
710:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 16:56:28.55 LvuNnUYgO
因みに第二次長州征伐を持ち出して、『幕軍ヘタレやら』『洋式軍隊』云々を語る輩も無知
何れの局面も国力・軍事力で圧倒してたのは幕府である。
にもかかわらず結果だけを見て『第二次長州征伐の結果』に固執する輩は無知
第二次世界大戦の、開戦当初の快進撃や米軍の逃走劇を持ち上げて『米軍はヘタレ』とでも言うのかな?
明治維新と第二次世界大戦の違いは『相手に菊の紋章が通用するか否か?』であり、大局を見れば国力・軍事力で圧倒していた幕軍が勝って当たり前の筈ですよ
711:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 17:02:22.60 LvuNnUYgO
>>707
幕軍1万5千
薩長5千
錦旗の登場により逃走者は出たが、大阪城拠点にした幕軍を京の薩長が退けて補給路確保など不可能
そもそも肝心要の港が幕府海軍に占拠されてる以上、京の薩長が陸戦を戦うメリットは皆無
薩長は港を奪還しない限り、何も出来ません
712:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 19:03:59.81 3WCcgwu50
西国街道無視かよ
713:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 19:08:58.67 iQJQFntM0
薩摩は兵が優秀で指揮官の伊地知正治が平凡
長州は兵が平凡で指揮官の大村益次郎が優秀
薩摩はともかく、大村不在の長州兵はそれほど脅威ではないはず
714:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 20:24:57.52 3WCcgwu50
伊地知が平凡って
白河口の戦いを知らんのか
715:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 22:44:23.27 8UEQBVcH0
>>713
兵が平凡ってw幕末で最も強力な兵士だぞ。
>>710
長州征伐鳥羽伏見戊辰と幕府軍にはいいところは一つもないぞ。
716:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 01:01:12.41 EuWvo9cwO
>>713
小倉口とか芸州口とか鳥羽伏見など、
大村不在で脅威ではない長州兵にさえ負けるほど
幕府は弱いということですか
717:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 10:22:34.81 qmKxMm+RO
>>715
ミッドウェイ開戦まで米軍も良いとこ無しでしたよね
勿論『米軍=幕軍』なんて言うつもりは更々ありません
んが、国力・軍事力…ましてや海軍なんか赤子と大人ぐらいの差がありました
『第二次長州征伐では〇〇〇だったから』なんて非論理的な見解は盲目的過ぎます
タラレバスレなのでタラレバを言うなら
大将に戦意があれば・尊王なんて宗教的思想が無ければ幕府に負ける要素は皆無です
718:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 10:23:38.47 2XejkhC70
>>716
小倉は高杉の指揮も大きいのでは?いなくなったら小倉のゲリラに苦戦しているじゃん
719:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 11:38:54.82 EuWvo9cwO
>>717
なんかこの人って、本土決戦に持ち込んで、
かつソ連が攻めてこなければ日本は負けなかった!
て言ってるのと同じだね
>>718
高杉不在も大きいかもしれんが、
対ゲリラ戦になったからこそ苦戦したんだろう
720:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 14:58:27.40 USKkeUEHO
少ない数で白河城を陥落させたり、会津若松城を攻略したのは、伊地知の功績ですからね。
板垣は自由民権運動に転身したとはいえ、どうして軍職につかなかったのでしょうか。
721:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 15:19:05.95 NGaXglCe0
尊王思想がなかったらとか、そこまで前提を無視していいならもう幕末日本が舞台じゃなくても良くないか?
幕府軍とか薩長軍じゃなくて甲軍、乙軍でいいじゃん。
722:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 19:23:15.88 k+mg6OLs0
>>718
兵力が少ないしからな。それにゲリラ兵に対処する為に、
村ごと焼き尽くすわけにもいかんだろ。
潜伏する長州兵を追い出すために、京都を火の海にした幕府じゃあるまいし。
723:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 22:42:53.39 Dy4coSDa0
>>713
大村益次郎が異常なだけで伊地知正治は平凡ではない
アインシュタインと比較すれば
どの大学の教授や天才だって平凡になってしまうのと同じ
724:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 03:06:40.20 easOgyJa0
NTT持株=徳川宗家
NTT社長=慶喜
東西会社=幕府
ドコモ=尾張藩
コミュ=越前藩
データ=土佐藩
KDDI=長州藩
SBM=薩摩藩
禿=大久保
SB社長室長=西郷
ティーガイア=坂本龍馬
総務省=朝廷
辞官納地=NTT分割
725:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 14:09:02.28 8BQaiP08O
>>719
屁理屈で絡むなよ
726:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 14:15:03.85 8BQaiP08O
>>721
言いたい事の意味が解らんらしいな
第二次長州征伐やら最新式武器やら
幕府ヘタレやら
マトモにぶつかっても薩長が勝って至って盲目的な輩が多いから、それを否定する為の意見
てか先にも書いたがタラレバスレ
『幕軍敗戦』って揺るぎ無い歴史がある以上『勝ってた可能性』を語るにはタラレバしかありませんから
史実通りにナゾって行けば『幕軍敗戦』って結論にしかなりませんよ
727:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 15:29:54.48 N6TZkI7B0
国力や正面戦力だけを比較して、数字が上だから「こっちが勝つ」とするのが論理的で、
史実を基に各勢力の政治的な立場や、兵や指揮官の質、武装や戦術を比較して「こっちが勝つ」とするのは非論理的ということか?
歴史では非論理的なことがよく起こりますなぁ
728:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 17:23:36.76 8BQaiP08O
>>727
全て過密した上で国力・軍事力共に幕府が圧倒的有利なのは揺るぎ無いですよね?
2ちゃん脳に侵された方は屁理屈並べて反論の為の反論をしてくるから話にならない…
勝手に2択に摩り替えるなっつーの
大阪城拠点に陸路閉鎖
海軍を持って港閉鎖
補給路を絶たれ京の薩長軍が如何にして勝つのか?
未だに具体的な策すら出てきてませんよ
729:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 17:31:03.80 xTEO1dvM0
大阪城拠点で陸路封鎖しても山陰ががら空きなんて問題なし。
そもそも長州の増援はそっちからくるし。官軍は鳥羽伏見と同時に撫順隊をだして降伏させている。
んで当時の幕府海軍で海上封鎖とか閉港とか無理だから。長州征伐でも無理だった。
また長州海軍に追い回されて逃げ回るのが落ち。むしろ幕府が海上封鎖を受けかねない状況。
730:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 18:37:40.12 N6TZkI7B0
どうも幕府軍の実力評価にいかんともしがたい差異があるっぽい。
俺は史実をかんがみるに、大阪城を拠点とした機動防御や海軍を有効に利用できる指揮官が、当時の在阪幕府軍には居ないと思ってるんだが、
728は大所帯の幕府軍の圧倒的戦力を完全に掌握し、士気を保ち、縦横に采配しうる、家柄も実力も兼ね備えたスーパー指揮官がいると思ってるんだろ?
そんな奴いたらそもそも鳥羽伏見で負けないんじゃないの?とは思うが、過去の戦いを持ち出すのは非論理的らしいし・・・
731:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 21:31:47.96 Em1OpsIR0
質問。
戊辰戦争後期になって佐幕勢力でめざましい活躍をした庄内藩や長岡藩は
鳥羽伏見ではなにをしていたのでしょうか?
732:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 23:05:07.89 AsfBiJ4BO
庄内は江戸警備
寛大なる処置に感謝とは、テロに屈した。
733:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/09 23:22:43.34 JhK1agZ70
>>728
史実でも鳥羽伏見直後の長州の援軍は姫路経由で着てるし
大阪城に篭るなら西国街道封鎖できないし
734:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 00:04:54.58 TYIlEcR70
>>731 長岡は河合継介が過大評価され過ぎてる。
確かに長岡城奪回は戦術的には奇跡的な勝利だったがそれ以外は
勝ったり負けたりで小藩にしては頑張ったねって感じ。
庄内はほとんど新政府軍とは戦わずに主に戦ったのは気候の関係で飢饉が
頻発して破綻寸前しかも周囲敵だらけの秋田藩と自分とこの半分以下の
図体しかない新庄藩であまりにも会津と仙台の両藩が弱過ぎたんで
クローズアップされるだけでじゃあ薩長とやりあえるか?と言われると
疑問符が付く。
735:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 01:38:45.18 JDAVJyr00
ソフトバンクの禿、“大政奉還”の意味取り違えてない?
◆禿「NTTは大政奉還すべき」 光回線の分社主張◆
URLリンク(logsoku.com)
1 : なまはげ君(東京都) : 2010/11/10(水) 20:08:34.40 ID:kSAER+xx0● BE:1138423436-PLT(12000) ポイント特典 [1/1回発言]
孫社長「NTTは大政奉還すべき」 光回線の分社主張 2010/11/10 17:33
ソフトバンクの孫正義社長は10日午後、民主党の情報通信議員連盟総会で講演した。
2015年までにブロードバンド通信の完全普及を目指す「光の道」構想について、
NTTの光ファイバー回線接続事業を分社化する案の優位性を改めて示し「いまこそ大政奉還をすべきだ」と強調した。
NTT東西が一体管理・運営する案と比べ「普及する時期が早く、税金を1円も使わずに成長できる」と訴えた。
NTT側がソフトバンクの提案に対して「収支試算が間違っており、非現実的だ」と批判していることに関しては
「(試算をやり直しても)結論は変わらない。成功するのは小学生でも分かることだ」と反論した。
世界有数のIT(情報技術)先進国を目指すために、教育機関での電子教科書の導入や、
医療機関向けに電子カルテの展開を急ぐべきだとの政策提案も示した。
総会の冒頭あいさつで、会長の原口一博前総務相は
「日本の成長に向けて、最後の望みをかけるのはここ(光の道構想)しかない」と語った。〔日経QUICKニュース〕
URLリンク(www.nikkei.com)
736:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 10:37:24.92 gC0Edj4rO
>>729
長州は陸路で援軍に向かう準備なんかしてないよ
>>730 も同じだが一方の穴だけを見つけるだけで大局をみれないのが問題
指揮官云々を見つけだすのは良いが、んじゃ薩長はどんな優秀な指揮官の下に、どんな艦隊で幕府海軍を蹴散らすのよ?
薩長にはマトモな軍艦は皆無
幕府海軍と薩長海軍とでは歴然たる火力の差があるのだよ
737:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 10:45:09.71 gC0Edj4rO
>>733
陸路閉鎖&海路閉鎖は兵糧攻めではないから
端的な話だ。大阪城拠点に海路を使える幕軍
と君が言う姫路経由やら西国街道やらの陸路しか使えない薩長
どちらが有利ですか?
君も大局を考えられない輩みたいだね
大阪城拠点に陸路&海路閉鎖された時点で薩長の負けは確定
幼帝を連れて逃走するしか術はありません
738:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 11:21:12.52 gC0Edj4rO
>>730
それと過去の戦の一部だけを持ち出して『〇〇でも勝ったからココでも勝つ』ってのが非論理的だと言ってんだよ
本当に読解力ないね…
第二次長州征伐だって地の利を生かした長州が局地戦で勝ったに過ぎず、鳥羽伏見に当て嵌まる部分は皆無
結果だけを見て『幕軍ヘタレ』『薩長無敵』的思考が多すぎ
第二次長州征伐で〇〇だっから幕府海軍は弱いって思考も然り
真珠湾は成功したからミッドウェイもって盲目的な思考と同じ
くどいようだが薩長が勝ったのは尊王って宗教的思想を上手く利用したからで、軍事力では明らかに劣っていた
つまり政治の部分で幕府が出し抜かれたのであり、慶喜はそれに見事に嵌まった
これまたシツコイが、このスレはタラレバスレ
故にタラレバの結論を言えば慶喜に戦意が有レバ負ける戦では無い
739:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 11:40:26.20 1nISeWQ30
軍事的に薩長>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>幕府というのが基礎なんだよ。
だから幕府がどう足掻こうが幕府は負けるんだよ。
つまり何をどうやっても負けるわけ。それを認めたくないだけだろ。
一度も勝っておらず装備的にもゴミ、貧弱戦術的にも無能。兵士はクズ、指揮官はアホ。司令官はチキン。
勝てるわけねーだろw
740:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 11:42:49.13 1nISeWQ30
薩長は運や偶然で勝ったわけではない、勝つべきして勝っただけであり、
幕府は負けるべくして負けただけ、海上封鎖は必ず失敗して、幕府海軍は壊滅するし、
大阪城はあっさり陥落する。IFなど一切起きない。慶喜が何をどうやろうと歴史は変わらないんだよ。
その事をいい加減認めろ、理解していないのはお前だけだ。
741:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 13:04:32.67 TYIlEcR70
>>740 慶喜厨を擁護するわけじゃないがあの時点ではまだ幕府は勝てないが
強硬派を抑えれば議定には慣れてたわけでそれでしばらく時間を稼いで
慶應の改革の完成を待つっていう選択肢もなかったわけではない。
742:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 14:18:18.43 5cFFS+DI0
>>740
運や偶然はあった。
長州征伐の大島口の松山藩なんかたまたま水浴びしてて敗走しているし
家茂の病死も運では?
743:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 14:36:23.52 TYIlEcR70
>>742 家茂将軍だったら大政奉還してなくてそのまま朝敵になってオワタ
じゃないの?
744:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 16:20:03.02 xoCK58nyO
家茂死去の報がなくても小笠原は既に逃げてたし、
浜田は落ちてるし、芸州は膠着してるし、
家茂生きてても第二次長州征伐の幕府不利は変わらないだろう
むしろ死んだおかげで慶喜の改革が進んだんじゃないか?
745:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 16:46:07.41 gC0Edj4rO
>>740←根拠が無い代表的な書き込み
746:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 16:49:17.34 gC0Edj4rO
>>744
幕軍10万
長州2500だっけ?
不利なのは長州だよ
電撃作戦で勝利しても全く無意味
747:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 17:04:35.89 TYIlEcR70
いや慶喜は政治家としては失格だが官僚としては優秀だった。
14代が慶喜なら幕政改革もっと早く終わって薩長とも普通にやりあえた
可能性はある。
ただ清の洋務運動みたいになってた可能性もあるけど。
748:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 17:52:33.48 1nISeWQ30
>>742
家茂が生きてても全方面大敗という結果は何一つ変わらない。
そして幕府には金が一切ない。戦争継続は出来ない結果は何一つ変わらない。
>>746
それを覆せる戦力があったから結果は変わらないと言っている。
749:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 19:07:39.90 TYIlEcR70
まあ取り敢えずやれる事はやっぱり鳥羽伏見の起こった日に
会津桑名の連中に京じゃなく大阪の薩長拠点を叩かせて自分は御所に参内して
議定になる事。交渉次第で前内大臣の議定筆頭を目指す。
その状況でできるだけ時間を稼いで早急に慶応の改革を
完成させる事。史実でも一応譜代大名の雄藩である大垣藩長岡藩庄内藩との
連携を深める事。
譜代ではないが一応薩長よりは幕府よりである越前藩宇和島藩土佐藩を
きっちり幕府側に引き込む事。御三家も同様。
これくらいかな?
750:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 19:35:07.47 TYIlEcR70
幕府は慶喜が戦意なくしたからあれだけど雄藩同士で戦争したらどうなると思う?
具体的には薩長対宇和島土佐肥前越前大垣長岡庄内みたいな感じで。
国力とか戦力とかで考えてみてくれ。
751:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 21:10:56.76 kalxMG9xO
薩長と肥前が潰し合いを始めたら幕府としては願ったり叶ったりだろうが
そういう「夷をもって夷を制す」が機能しなくなって幕末の情勢を作りだしたわけで
どうやってそのシチュエーションまでもっていくのかが難しい
752:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 21:45:58.86 TYIlEcR70
>>751 潰し合うというより薩長対幕府肥前越前宇和島土佐という構図に
持ってく方法ですね。
753:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 22:19:47.58 TYIlEcR70
連レスになるけど鍋島や宇和島伊達、山内や松平慶永辺りも
このまま薩長の思惑通りになるならまだ慶喜の方がマシだとも
思ってるだろうし、薩長除外した方が自分たちの政治力が上がるという条件で
彼らを連れば味方になってくれる可能性は高いと思うんですけど。
あと慶應の改革の完成までの期間とか。
754:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 22:29:20.88 3P1fHlBm0
>鍋島や宇和伊達、山内
この辺りの大名と組むとしても
外様ごときと轡を並べて戦えるか、なんて言いだしそうな連中が親藩譜代に多すぎな感がある
755:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 22:45:29.29 TYIlEcR70
というわけで俺はいつもの慶喜厨じゃないけど
旧幕府勝利のシナリオだけどまず鳥羽伏見の起こった日に
会津桑名の藩兵に大阪の薩長拠点を叩くよう命令する。
両藩の蔵屋敷を襲って米を接収するとかね。その隙に必要最低限の軍備で
上洛する。すでにこの時点で朝廷では慶喜の新政権参加は決まっている。
これは史実。恐らく最低でも議定だ。ただし副総裁はおそらく無理。
前内大臣待遇という事だから多分武家議定筆頭みたいな地位だと思う。
岩倉が副総裁だったから公家議定筆頭が三条みたいな感じになると思うの。
就任したら今度は全力で時間を稼ぐ。最悪薩長に頭を下げてでもね。
最低1年。できれば2年欲しい。その間に慶応の改革を全力で進める。
もう一つは雄藩を味方に引き込む事。
最低やらねばならないのが御三家。尾張は会津藩主と桑名藩主に。
紀伊は藩主に徳川宗家の家督の座。水戸は実家だから慶喜が自分でどうにかする。
あとは新政府参与に就任してる小原鉄心。これも譜代大名だし最低条件だね。
あとは当然越前の慶永これも親藩だ必要最低条件。
ここまでは難しくはない。
問題は山内容堂と宇和島藩だ。彼らはどちかというと親幕府だから
出来れば味方にしたい。
佐賀鍋島は中立に近いのでできればで良い。
広島辺りは無理だろうから最初から諦める。
この状況で薩長との戦争に持ち込む。動機は征韓論か版籍奉還。
これでどうだ?
756:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 22:55:04.42 TYIlEcR70
あと味方に出来そうなのは熊本藩くらいか。
徳島藩は中立だから佐賀藩同様敵に行かないようにすればいい。
岡山藩辺りはまあ薩長側だろうなあ。
ただこれなら勝率50パーセントは超えると思うが俺だけか?
757:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 23:01:23.72 WZsb5O+E0
>>737
その程度の有利は大した差にならないのは
史実の鳥羽伏見が証明してるじゃない
758:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 23:15:26.04 TYIlEcR70
俺の意見が完璧なんでこれで決着がついたらしいなw
759:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 00:30:27.68 FTBTKWAD0
希望的観測によって立てられた戦略は必ず失敗することは、
古今東西の戦史から明らか。鳥羽伏見の戦いからして然り。
故に>>758の意見は見るべき価値なし。
760:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 00:54:35.76 qRjPaFuT0
>>755
>会津桑名の藩兵に大阪の薩長拠点を叩くよう命令する。
意味なし。というか鳥羽伏見の緒戦を本当に鳥羽・伏見だと勘違いしている。
実際は、大阪湾内に停泊していた薩摩船を中立とされていた港内に退却させ、
大阪の薩摩藩邸を焼き払ってから旧幕府軍は京都へ進軍を始めている。
鳥羽・伏見での問答と阿波沖海戦はその後のお話。
つまり、旧幕府軍は在大阪薩摩藩邸を焼き払っておきながら鳥羽伏見では通行入京できると考えていたわけで
酷い誤認をしたものだと思う。
>その隙に必要最低限の軍備で
>上洛する。すでにこの時点で朝廷では慶喜の新政権参加は決まっている。
上記の史実から考えると、大阪で開戦した時点で、慶喜朝敵論で尾張・越前・土佐なども一致せざるを得ない。
>これは史実。恐らく最低でも議定だ。ただし副総裁はおそらく無理。
>前内大臣待遇という事だから多分武家議定筆頭みたいな地位だと思う。
妄想お疲れ様。
残りは妄想に妄想を重ねるだけで意味なし。
761:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 01:54:40.61 e0QJxdWG0
たとえば幕府軍の上洛する経路を鳥羽伏見だけでなくもっと分散させるだけでも、
史実とは大分違う展開になったんじゃないかと思うけどねぇ。
>>737
1.大坂城を拠点にしてるから負けないという論理が不明。
大坂城を落とすなら時間はかかるが、山陽道を遮断するには大坂城から出て淀川の北へ進出する必要がある。
大坂城から出ても負けないと考えるのであれば、なぜ鳥羽伏見から橋本の戦いで負けたのか理由が不明。
ちなみに、当時は陸路で糧食を補給するのは困難だが、弾薬については当時の陸路のみでも十分可能。
白河口で半孤立状態だった官軍が連日の攻撃を退けながら、なぜ弾薬欠乏に陥らなかったか考えるべき。
2.また食糧の補給については当時は現地調達が基本だが、その駐屯地だけでなく、その周辺地域全てから
徴収するのが当然だが基本。
有力な勤皇藩である岡山や畿内の帰順した藩から大坂近郊までの補給を行う場合は、陸路としても短距離であり、
街道も整備されており、また新政府軍も小規模であることから何を以って不可能と断じているのかが不明。
3.港=大坂城ではないので、大坂城が保持できれば港も保持できるという論理が不明。
港を保持するためには大坂城から兵を割く必要があり、また保持すべき港も一つではない。
たとえば幕府海軍は、完全な海上封鎖を目指す場合は大坂・兵庫から岡山までの広範な海域を監視しつづける必要がある一方、
輸送を試みる側は、陸上から制圧している沿岸の小規模水運を使用することができる。
ナポレオン戦争の頃も、海上封鎖中のイギリス海軍はフランス~スペイン沿岸のこうした水運の遮断に骨を折っている。
蒸気機関は特に内海であることから大きなイニシアチブを発揮できるだろうが、それには石炭の補給が必要になることも考慮してしかるべき。
>>736
1月9日には備後福山藩が長州軍に降伏しているのだが、何を以って援軍の準備がないとしているのかが不明。
そもそも鳥羽伏見に参加した長州軍は朝敵解除後に急ぎ上洛してきた先兵に過ぎず、自前の砲すら持って来ていない。
762:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 01:56:52.55 e0QJxdWG0
また追記だが、補給路の遮断については山陰道も考慮すべき。
763:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 02:30:54.12 SvtXBHGv0
天皇家公家関係者を全員確保して殺害して簒奪し、
擁立する対象をなくしてしまうというのは無理?
764:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 04:30:35.91 VmrmYJJmO
それはまずいことになるでしょうね
765:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 08:29:12.52 kYG+OZA90
>>760
>大阪の薩摩藩邸を焼き払ってから旧幕府軍は京都へ進軍を始めている。
ウソつくな!
大阪の三つの薩摩藩屋敷は、鳥羽伏見の戦い直前に薩摩藩の役人が自分で
藩邸に火をつけたんだ。幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。
>>761
>1月9日には備後福山藩が長州軍に降伏しているのだが
先に上京して鳥羽伏見の戦いに参加した長州藩兵は約1500人。
薩摩藩兵は鳥羽伏見の戦いの為に3000人を上京させたが、以前より京には約1000人近い薩摩藩兵が居る。
鳥羽伏見の後に来るとされている長州藩の援軍はどの程度の援軍なのか不明。
766:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 13:46:26.08 qRjPaFuT0
>>765
>ウソつくな!
調べたところ、君の方が嘘つきじゃないか。
>幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。
これも嘘判明。旧幕府は大阪薩摩藩邸を焼き払ってから進軍している。
767:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 13:51:50.34 qRjPaFuT0
>>765
>自分で 藩邸に火をつけたんだ。幕府軍は大阪では薩摩藩邸の焼討ちはしていない。
これは誤りで、徳川慶喜は、薩摩藩と戦闘に至ったと条約諸国に通知し大阪薩摩藩邸に夜襲を行っている。
この際の炎上であり、焼き討ちといえる。
768:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 18:04:28.94 mafoaD9G0
大阪薩摩藩邸は、薩摩藩士(役人)による自焼。
769:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/11 21:20:25.85 yOp9R2+80
つーか大坂城に籠城して幕府海軍が援護射撃すれば勝つる、って作戦は
薩長軍の司令官が城と艦隊の両方の砲撃の的になるようなところに
布陣するような無能でないと成り立たないと思うけど
仮にそうだとして今度は幕府艦隊の背後から来るであろう薩長艦隊を
ノーマークにするわけにもいかず攻城部隊と艦隊に火線を振り分ける
必要があるわけで
幕府艦隊にハープーンSSMでもあれば交戦状態になる前に
薩長艦隊一掃も可能だろうけど・・
770:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 04:16:22.85 7oCWcijV0
>>768
旧幕府軍の夜襲の結果です。
771:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 08:38:46.10 xIIx196n0
夜襲の前にそれをキャッチして薩摩藩邸に火を付けている。
自焼だよ。
772:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 09:57:17.60 ZtspQbo90
なんたって不手際で鷹司邸だけでなく京都一帯を焼いた慶喜だからなあ
薩摩藩邸だけで済んだってことは慶喜の仕業じゃないとおもうね
慶喜なら大阪一帯が焼けているはずだ
773:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 19:02:53.93 xIIx196n0
会津藩が攻撃予定だったらしいけど、大阪の薩摩藩邸には
当直の藩士しか居らず、とても防ぎ切れないので自ら藩邸に火をつけた。
個人的には地上戦は、江戸と大阪の薩摩藩邸焼討ちだけして、
後は様子を見ながら、議定会議に任せておくべきだと思うけどね。
大阪湾や瀬戸内海、徳島沖では幕府海軍に好きにやらせておいても良いけど。
774:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 20:09:52.84 IpNaQ7vu0
>>772
潜伏している長州藩士を燻りだす為なら、京都が火の海になって10万人くらい被害者がでても気にしない連中だからな。
会津史家は長州藩邸からの火で京都が火の海になったと主張するのが笑えるw
775:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 21:24:16.55 wrRm9GmrO
>>761
①他の街道を使って何をするのですか?京都から遠く離れた長州からの陸路補給vs海路補給の幕府
どちらが有利?
②幕軍の1/3の軍勢で長期戦を戦うメリットは?君が言う補給路は長いですよ
③港は既に幕府海軍が占拠してますよ。
閉鎖云々は海路を閉鎖では無く、港閉鎖。
幕府海軍を如何にして追い払うの?
てか君の意見読んでも結局具体的な打開策は皆無
〇〇街道やら〇〇の補給やら…
具体的大阪城拠点にした幕軍及び海軍を如何にして打ち負かすと言うのかな?
粗探ししてるだけで全く大局に影響しない事ばかり
776:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 21:28:42.22 wrRm9GmrO
>>769
布陣しない
つまり薩長は勝てないのだよ
大阪城拠点にした幕軍に手も足も出せない
故に幼帝を連れて陸路逃走しか術はありません
777:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 21:29:33.34 wrRm9GmrO
>>769
薩長艦隊どはどんな艦隊?
ありもしない艦隊を持ち出さないでね
778:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/12 22:35:20.25 ZtspQbo90
>>774
本当に長州が原因なら民衆に恨まれるはずなのに依然として長州びいきの声が高かった。
当時の民衆は火災が誰のせいなのかわかっていたんだな。
779:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 02:54:55.60 fHtfziSJ0
せめて妄想の中では勝たせてあげたいという気持ちは分かる
780:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 17:53:24.29 4oJsfh4F0
>>775
①当時の弾薬消費量は激戦地でも機関砲登場以後ほど多くないんですよ。
消費量のデータについては日本では乏しいですが、ほぼ同時期の普仏戦争などのものが
補給戦という本にあるので参考にして頂きたい。
また、旧幕府軍が薩長軍を弾薬欠乏に陥らせるためには、積極的に野戦を行う必要があるのですが。
イニシアチブを攻城側に与えたままだと、いつまで経っても欠乏してはくれませんよ。
②旧幕府軍を大坂城まで押し戻しましたし、援軍も東上中です。
数は多くとも野戦では恐れるに足らず、むしろ退く要素がありませんが。
旧幕府軍は確かに大軍ですが、だからこそ淀城や橋本で何が起こったのか考えた方がいいでしょう。
大軍だからこそ、相互の信頼や士気の維持が難しいんです。籠城戦で内応が起きたら一巻の終わりですよ。
慶喜公はその点も勘案して、大坂城を脱出されたのでしょう。
③旧幕府軍はそれぞれの港を”維持”する必要があるということですよ。
まぁ旧幕府艦隊が洋上にある以上、新政府軍がそれらを使用することは非常に困難ですが。
岡山から隙を見て兵庫などに運ぶ程度でしょう。
>>776
アームストロング砲でも射程は5km程度、しかも丘陵や山林に遮蔽されている位置に布陣されたら手を出せませんよ。
メクラ撃ちでもいいなら別ですが。
781:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 19:54:09.03 BrOJ7OEI0
>>775
そもそも長州はいざとなれば天皇拉致ってかえるつもりで前もって山陰の方面を制圧している。
なのでそっち方面ががら空き。
また補給なんて当時は武器と弾薬くらいのもので、(武器弾薬も買える場合がある)
それ以外は現地調達が基本なので、補給路とか関係ないんだよ。水や食料を後方から送って戦争なんてしないんだよ。
782:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 21:35:06.69 BrOJ7OEI0
>>775
港を幕府が維持できないと幕府軍は孤立して戦闘にもならないんだが。
そして戦闘で勝てるわけがないので、幕府は港を維持できない。
沖合いに船がいても問題なし。
783:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/13 23:23:34.74 2uzbnz9U0
>アームストロング砲でも射程は5km程度、しかも丘陵や山林に
>遮蔽されている位置に布陣されたら手を出せませんよ。
当時の大砲の技術で5キロも飛ぶのは凄い事で、
城を包囲する兵站や陣地は、城から5キロも離れていないですよ。
それに5キロも射程距離があるなら丘陵や山越えの砲撃も可能なので、
命中率はともかく、大阪城にアームストロング砲が十数門有れば、大阪城を
包囲している官軍の後方の補給路まで砲撃範囲内になりますよ。
>>782
江戸城開城に反発した脱走兵を見ると、
鳥羽伏見の戦い以後の方が全然近代的な戦闘になれている。
旧幕府軍は、むしろ鳥羽伏見の戦いで負けた事で、強くなっている。
784:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 00:33:13.14 uTahQzUF0
滝川播磨や竹中丹後を解任して大鳥圭介を歩兵奉行に就任させていればということか。
つーか滝川は薩摩藩邸焼き討ちの報を伝えて大坂の兵を激高させて、
京都に進撃して拙い指揮で敗北って戦犯筆頭だろ。
785:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 05:05:53.14 /wdeapz70
>>783
五キロとか戦国時代でもありえんくらい間近に陣地作るわけないし、
五キロとか走ったら何分で付くよ、そんなところ作って奇襲されたらどうするんだよ。
ましてや後方の補給路とかw馬鹿じゃないのw
そして強くなったってwその後も連戦連敗だろ。
786:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 10:27:30.70 ZLpL9vGv0
長岡藩てそれなりに近代化された兵力があって西軍に被害も与えたけど戦略的には全く役に立ちそうにないんだよな
トップの性格が難点か
787:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 10:48:46.21 xZ1u7TW3O
>>780
①無理に弾薬を減らす必要は皆無
補給線が長い薩長はじり貧。
なにか勘違いしてませんか?
薩長に取って鳥羽伏見で大事なのは『帝を奪還されない事』
戦で敵を崩壊させる事でも、京都を守る事でもありませんから
②野戦で恐れるに足らず?これまた根拠が皆無
③なんか補給路を全く理解してない
貴方は根本的に鳥羽伏見の戦いを理解されて無い
双方に取って何の為の戦か?
何度も書きますが補給線の長い薩長に取って長期戦を行うメリットは皆無
幼帝を連れて逃走がベストです
788:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 10:56:06.76 xZ1u7TW3O
>>781
貴方の補給線軽視は 牟田口中将クラスですね
数で劣り補給線も長い薩長に勝機はありません
以前にも書きましたが海路が使える幕軍と陸路しか使えない薩長
貴方は薩長の補給路ばかり拘ってますが、長期戦なら幕軍だって援軍&補給はするのですよ
789:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 10:56:51.04 xZ1u7TW3O
>>782
どんな理由で維持ができなくてなるのよ?
790:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 10:58:56.71 xZ1u7TW3O
因みに鳥羽伏見と同時期に安房沖開戦で幕府海軍は圧勝してますから
791:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 11:02:07.09 xZ1u7TW3O
因みに薩長が使う陸路は平坦では無く山道
792:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 14:33:31.66 DrTxLMz90
>>781
山陰といえば山陰の雄である鳥取藩池田家がやけにやけに長州に肩入れしていますが
禁門の変から長州征伐までは別として、
鳥取藩が長州に味方していたのはなにか理由があるのでしょうか?
793:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 17:00:03.77 W4i86LbO0
>>785
長篠の戦いでは、勝頼が敵からす数百メートルに陣取っていた。
794:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/14 20:36:43.12 /wdeapz70
>>787
戦闘は現地調達が基本だよ。後方から輸送するものなんて兵士くらいのもの。
補給線が長いからってのはほんとお前が戦争を理解していない事の証。
後方から前線まで食料とか全部輸送するとか思ってないか?
消費地に陣取って、市場から買うのが軍隊の基本。
795:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 02:28:23.92 UI1yuL82O
>>792
へー、そうなんだ
安藝の何とかという家老が長州を裏から支援する算段に加わってから中国地方は比較的薩長支援の姿勢になってたみたいだが
796:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 06:43:57.47 UbZyNKwqO
>>792
因州藩は斉昭の子を藩主として迎えたことからガチガチの尊皇派
だから長州が朝敵になるまでは何かと協力してた
ついでに中国地方は岡山藩も浜田藩も斉昭の子だね
797:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 10:38:57.33 flhTOMEMO
>>794
言ったもの勝ちみたいだねw
798:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 10:51:01.00 BQ3lW5p60
>>794
三十年戦争の傭兵とかならまぁそうなんだが、この内戦ではどうなんだい?
799:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/15 22:10:32.58 etWdVtMF0
>>798
戦争しているなら現地調達だよ。
長州征伐でも広島では長州の軍と幕府軍が現地調達やっている。
現地調達でも略奪か対価を払うという違いはあるがね。
奥羽列藩同盟も現地調達。会津軍は長岡で略奪と徴用(村人とかを強制的に働かせる)
させている。新政府軍の場合は基本対価を払うが相手が断れば強制徴収だろう。
戦争で補給が大事とか言うのは、フィクションの読みすぎだな。
戦争は綺麗事じゃない。現地調達が不可能なジャングルの奥地に行くとか以外は現地でまかなうんだよ。
800:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 08:50:02.92 AuiXn6tP0
>>796
徳川斉昭の兼ね合いなんですね。
同じ兄弟の徳川慶喜が不憫だなあ。
801:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 12:57:11.15 EIuMPzpdO
>>799
現地調達など最低限の補給であり、現地調達だけで戦線維持など不可能
ましてや港閉鎖で京都には物資が入りません
兵力で圧倒的に劣る薩長は、幕軍より有効的な補給路が無ければ絶望的
幼帝を連れて逃走しか術はありませんから
貴方は大局を無失して一点の打開策ばかり掲げてますが、無謀な現地調達を繰り返してまで薩長が戦線維持をする理由ありますか?
802:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 13:17:09.06 tZdmulus0
>>799
幕末、後先考えないで見栄はって超貧乏だった会津とは違い
長岡藩は財テクの神様がいたから豊かだったのだよ
(ただこの神様が近代兵器スキーだったせいでエラい目にもあった)
米百俵が美談にされてるけど実際そこまで飢えてなかったのも事実
戊辰直後に優秀な人材をどんどん慶應義塾に送り込んでるくらい
803:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 19:18:08.24 D2cufj3n0
>>801
逆現地調達が殆どなんだよ。後方からいちいち食料とか送ることはない。
現地で調達できない武器や弾薬のみ後方から送られる。
日中戦争でも軍の食料を本土から送っていたとでも思っているのか?
当然幕府軍や新政府軍も同じ事をしている。長州征伐の為に大阪に滞在していたわけだが。
その結果大阪の穀物が高騰したのは何でだと思っているんだよ。
804:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 20:05:39.08 yaxE9EMcO
>>802
河合継之助
805:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 20:54:49.34 yvzVkTsL0
やっぱ兵員と銃砲弾薬は現地調達ムリだな
日中戦争と太平洋戦争にかけて軍票を刷りまくったから占領地でヒンシュクかったなw
806:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 20:58:17.06 /S0kQwR60
>>804
ガトリング撃ちまくりはさぞ楽しかっただろう
戦争にはやっぱりこういう変人がいないとなあ
807:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 21:56:45.06 yaxE9EMcO
>>806
会津に向けて打っていた可能性が、ありました
808:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 23:06:24.35 8bPmu2rU0
長岡人は戊辰戦争はやりきった感があって
終わったら「はい次、次」て感じだったんだよなあ
その辺は河合のキャラの影響も大きかったんだろう
河合って真面目で古臭い会津人とは致命的に合わなさそうな気がする
809:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 10:41:42.09 9UsEdo2zO
>>803
日中戦争ってw
メイン補強は勿論本土&満州ですよ
正し、中国って資源豊富で広大な土地と京都って土地を一緒にしないでね
海上閉鎖され庶民への物資すら入らない京都で、5000の兵が現地調達だけで戦線維持など不可能
てかそれを行うメリットは薩長に皆無
810:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 10:44:12.18 9UsEdo2zO
>>803
やっぱり君は牟田口中将ばりだね
資源が無い土地でも補給路無失して現地調達とか言いそう
日中戦争を持ち出すなら、ガダルカナルも現地調達で戦線維持出来たのですか?
811:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 12:32:09.04 zXvCSlmgO
幕府軍は現地調達が基本だが?それで会津は長岡で略奪暴行しまくった
812:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 13:12:47.34 +Z/ankXJ0
会津は邪魔だった
長岡だけで戦いたかった by河合
813:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 13:32:10.65 rp8wQxxn0
長岡は会津の佐川官兵衛に陥れられたという説もあるしなあ
814:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 14:13:12.19 vlQoENT+0
>>809
民間の物資まで封鎖とかやったら確実に反幕府で暴動が起こるな。
薩長は弄せず人心を掌握する。
数十万の人間が生活する大都市で5000人が養えないわけがないと。
>>810
ガダルカナルが中国にあったとは知らなかったなw
815:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 15:16:58.35 N+NoQPdbO
>>812
長岡は戦いたくなかった
会津が旗を落として新政府を騙し、長岡を無理矢理巻き込んだ
816:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 16:20:29.32 9UsEdo2zO
>>814
んで?
817:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 16:23:51.80 9UsEdo2zO
>>811
全く異なる事例ばかり上げて意味あるの?
薩長が略奪してまで鳥羽伏見で戦線維持するメリットはなによ?
818:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 16:31:28.99 vlQoENT+0
>>817
薩長がする事は米問屋にいって米を買うだけ。
819:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 22:07:27.92 pT05vIGO0
>>788,809,810
中国はむしろ村落の間隔が日本に比べて広く、日本軍は現地調達に苦労したのですが……
他のスレで御持論を披露される前に、まず上でも紹介しましたマーチン・ヴァン・クレヴェルトの補給戦を一度お読みになられては如何でしょうか。
欧州戦史に偏ってはいますが、詳細なデータを元に兵站史とその現実を分析を施した佳作です。
まずこれはよく勘違いされていることですが、WW2においても、食料を含めた完璧な補給を常に行えたのはアメリカ軍だけです。
日本軍は元より、ドイツ軍、ソ連軍においても補給を行うための兵站能力が不足しており、食糧の不足分は現地調達で補っています。
現地調達ですが、これは最前線よりその後背地で主に行われます。
旧日本軍は東南アジアや中国で軍票を濫発していましたが、これこそが現地調達の対価として使用されたものです。
ではなぜ牟田口中将が当時から現在に至るまで非難されているかといいますと、食糧の現地調達は現地で人が生産活動を行っていなければ不可能だからです。
人が居なければ当然食糧の備蓄などあろう筈がなく、略奪も市場による調達もできません。
また、現地における街、村、集落が軍の規模に比して小さすぎれば、当然ながら早々に調達すべき食糧は尽きるでしょう。
ビルマ-インド国境は、あえて言うまでもなく、生産性の著しく劣るジャングルと山岳に隔てられた人口過疎地域でした。
それに対して牟田口中将は、牛で部隊を編成し連れて行くという斜め上な方策を考案し、案の定失敗したため、今でも非難されている訳です。
上のレスで名前の挙がっているガダルカナルでの失敗も、上記の要因によるものです。
ちなみに、ドイツ軍においても鉄道網から現地へ輸送するための自動車が足りず、旧態依然とした馬匹まで使用しています
これらを踏まえて、幕末に戻ります。
まず京都-大坂ですが、上記の”人の生産活動が行われていない、或いは小規模な地域”に当然ながら当てはまりません。
また、畿内および中国地方東部には大小の藩があり、これらが全く兵糧米の備蓄を行っていないとはまず考えられません。
兵站線についても、山陽道の他に、越前藩が大阪へ米を輸出していた際に使用していた琵琶湖-淀川の水運とその周辺地域が利用可能です。
例えば、早々に新政府軍に転向していた彦根藩などはこれを即座に活用することが十分可能でしょう。
確かに大阪湾に旧幕府海軍がいることは新政府軍にとって大きな阻害要因となりますが、それを以って食糧の補給が不可能ということは非論理的です。
三十年戦争でもそうであったように、長期に渡る大規模な軍の駐屯は地域を疲弊させ、いずれ食糧の欠乏を招きます。
しかし、食糧を調達する後背地が広ければ広い程、そこでの生産活動が活発であればあるほど、その破局に至るまでの期間は伸ばせます。
糧食の調達において本国からの補給というのは、その『食糧を調達する後背地を広げ』かつ安定させるという行為であるという認識が必要です。
ちなみに、軍の兵員数はそのまま養う口の数に直結するため兵站にとっても重要な要素ですが、幕末と徴兵制採用後ではこれが大きく違います。
鳥羽伏見においては、多く見積もっても旧幕府軍15,000名、新政府軍5,000名です。
一方帝国陸軍ですが、1個師団で25,000名から15,000名になります。
たとえばお気に入りの牟田口中将によるインパール作戦を例にとりますと、参加兵力は第15軍3個師団を中心に約86,000名に上ります。
幕末の兵員規模と比較すれば、1日当たりで必要となる食糧の量が全く違うということがご理解頂けると思います。
これを欧州の戦史上で比較しますと、三十年戦争でのリュッツェンの戦いは、スウェーデン軍16,000名、皇帝軍26,000名です。
ちなみにこの時皇帝軍を率いたヴァレンシュタインは、皇帝の勅許の下、街や村に軍税として金銭および食糧の調達を義務付け
現地調達を効率的に行うシステムを構築しています。
820:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/17 22:27:10.19 pT05vIGO0
>>817
新政府の威信を維持し、彦根藩や淀藩などの勤皇諸藩を見捨てないというのは非常に大きな政治的メリットですが……
そもそも、大坂城の放棄を発見してそのまま受け渡し交渉を行ったのは、敵情視察に来た長州軍の一部隊なのですが。
京都から撤退するつもりならそんな無駄なことはせず、旧幕府軍が体制を立て直す前に京へ引き上げ、山陰へ撤退すべきでは?
821:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 00:00:54.68 3jEpYdD20
>>815
でもやっぱガトリング砲は使いたかったんだよね
買ってから皆wktkだったし by河合
822:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 00:51:01.99 Hs64hZOzO
官軍と朝敵の違いで目に見えるぞw
823:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 10:54:12.96 aszav88aO
>>819 結果的に線では無く、点で占領したんだろ
だからなんだ?鳥羽伏見に何か類似する点が日中戦争にあるのか?
824:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 11:05:05.81 aszav88aO
>>820
全く論外
幕府が大政奉還してる以上、政権が朝廷にあることは承知の事実
薩長がすべき事はその朝廷を徳川に渡さない事
何度も書く
幕軍15000対薩長5000
補給路も薩長は長く険しい
つまり増援だって武器弾薬や食料調達も全て幕軍有利
この現状で薩長が戦うメリットを考えろ
不利な状況で戦って朝廷失う可能性と、朝廷を従えて山口へ帰還
どちらが薩長に取ってベストか?
君はこれまた何度も書くが大局を見れず一点だけしか見れないから支離滅裂する
薩長の補給路の話しをしたら、補給路の事しか見えてない
兵力で劣り補給路でも幕軍に負けている薩長
この客観的事実を踏まえて考えてください
でないと堂々巡りだよ
825:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 13:06:02.32 IFG5sDbdO
幕軍が勝ってるのは穀潰し兵の数だけ
826:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 13:36:56.64 HC0m8+Xy0
>>825
数は大事
特に近代戦ではとっても大事
827:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 13:43:08.63 k7who6/mO
薩長軍千と幕府軍一万でやっと五分なので戦力で負けているのは幕府軍。補給も大阪の幕府軍を追い出せばいいだけなので問題ない。
828:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 14:03:35.59 Gj1x/a+g0
近代になればなるほど数より質のほうが重要になると思うが
829:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 15:36:07.41 CnxkfVjJ0
>>824
西国街道を封鎖できない以上補給は薩長に不利ではない。
むしろ幕軍の方がその大軍を維持するのに膨大な費用、具体的に一日に8000両以上かかって
補給を圧迫してる。
830:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 20:04:20.78 wE0TIpJrO
費用が圧迫するから、薩長と妥協すべきですね。
831:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 21:24:41.42 mLpyjgoN0
>>826
>>828
戦闘やその方法にも依るよね。
832:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 09:16:12.61 EdT0gcVcO
>>829
なんか勘違いしてるね
戦争とは相手合っての物
補給路も含め相手より優れてなければ不利になるのだよ
可能か不可能か?の問題では無いから
んで困った時のお約束の財政問題(笑)
幕府に維持費が掛かるなら当然薩長にも掛かりますよ
国力でも徳川の天領の方が薩長よりも圧倒的に多く国力も幕府が圧勝
何れにしろ、大阪城を拠点に海路&陸路閉鎖された時点で薩長は帝を従えて撤退
早期決着ですから