戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性についてat HISTORY2
戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について - 暇つぶし2ch500:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 16:58:05.18 om/7zaxi0
>>499
>もし甲鉄艦が、幕府の手の元にあったら、討幕派の艦隊・輸送船団は全滅する事になる。

これは妄想。実際は旧幕府海軍には操船技術がない。
鳥羽伏見の時点では数字における戦力差は圧倒的だったのに、相手に命中させることも出来ずに逃がしている。

501:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 18:15:53.80 sM28UbUj0
海が荒れたり暗くなったりするだけで戦闘不能になる19世紀の海軍に過剰な期待は禁物かと。
あの規模の艦隊が瀬戸内海掌握するとか、レーダーとガスタービン機関でも備えてなきゃ不可能だろ。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 22:49:03.26 02Tglof40
しかし正月の徳島沖の海戦で薩摩藩の汽船や軍艦は、逃げ出している。

その後、大阪湾に再突入して薩摩藩の海軍は、勝てるんですか?
疑問ですね。

特に甲鉄艦が、あったら薩長双方の海軍は、幕府海軍に手も足も出ないでしょう。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 00:32:02.16 geAqyuSv0
むしろあれは取り逃がしている幕府の失態だと思うが。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 01:00:46.90 0+3D270r0
海路が駄目なら陸路を使えばいいじゃない

505:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 01:17:33.23 aBvgM7z20
一隻は、逃げ切れずと覚悟し自沈しているし、その後に薩摩藩の海軍が大阪湾に再突入出来るとは思えない。
長州藩の海軍と一緒でもね。

夜中に慶喜が、軍艦で逃げ帰った事を見ても、制海権は幕府海軍が握っていたと思うぞ。

大阪城に大口径の要塞用のアームストロング砲があれば、官軍は近寄れないし、
それ以外の大砲も大阪城に備え付けてある。それをかいくぐって大阪城の二の丸三の丸に
たどり着いても、城の石垣の土塀の銃口から伝習隊の元込式シャスポー銃で狙い撃ちされるだけだと思うぞ。

天下普請の大城の大阪城を攻める方が、断然不利だ。

後から長州藩の主力が来るとしても、当面は鳥羽伏見の戦いで使った5000名の薩長軍で大阪城を攻撃するしかない。
淀藩や津藩の藩兵を大阪城攻撃に向けても、また寝返るだけだぞw

506:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 08:22:57.39 g+12ImR7O
阿波沖海戦ですね。
春日と平運が相手でしたよ。

淀はまだしも津は攻撃したから、毒をくらわば皿までですから裏切らないでしょう。

板垣退助は薩長にくわわります

507:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 20:09:54.87 esJNSHy+0
土佐藩の上士9割が佐幕派。

板垣退助は上士に暗殺されます。

津藩が、大阪城を攻撃しても、大した戦果挙げられないでしょう。
逆に幕府軍に狙い撃ちにされるだけかも知れません。

津藩や淀藩は、もう当事者能力無いです。

それよりも大阪城を落とせず、長引いたら、
薩長の鳥羽伏見の戦いでの勝利の政治的意味がだいぶ無くなってしまいます。

そうなると新政府内の土佐、越前、尾張あたりが仲介に乗り出しますし、
新政府に参加していない、熊本藩・鍋島藩あたりも薩長主導の対幕府戦争に異議を言い出すでしょう。

広島藩ですら国元は、長州寄りですが、在京藩士は必ずしもそうではありませんから動揺し始めるでしょうね。

朝廷新政府内部でも12月中旬から三職会議では、皇族議定や公卿議定が、身分の低い藩士もいる
参与たちの積極的な発言や議事進行に不快の念を持ち、議定会議と参与会議に分ける建白書を三条総裁に提出。
そして、それが認められてしまい、藩士中心の参与の力が押えられてしまう。
鳥羽伏見の戦い直前には、議定会議は“上院”と呼ばれ、参与会議は“下院”と呼ばれ始めていたと言う。

これ以降、皇族議定の支持を受けた土佐、越前、尾張らの藩主議定による巻き返しが始まるのであり、
慶喜は、鳥羽伏見で負けた後も大阪城で篭城抗戦を続けて薩長の朝廷新政府内の政治的発言力を弱め、
議定会議における土佐、越前、尾張らの藩主議定の発言力の回復を促せばよい。

大阪城をすぐにでも落とせないと、薩長は軍事的にも政治的にも苦しくなる。
特に薩摩藩の更なる援軍は望めない。

508:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 20:37:44.13 geAqyuSv0
>>505
だから無理だってば。
長州征伐の幕府海軍の体たらくをみればわかるように、
幕府海軍では制海権を握るなんて無理。
阿波沖の海戦にしても、薩摩に寄港する途中に襲い掛かったけど、
そのまま帰られている。そして逃げ切れずに自沈したんじゃなくて、
座礁して動けなくなったので自分で焼いたわけ。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 22:52:47.21 SbyItMw60
まあ結局は政治闘争なら旧幕府が有利、戦争なら薩長が有利という状況で
上手い事幕府軍と戦闘状態に持ち込んだ西郷大久保の戦略勝ちって事で良いんじゃね?

510:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 12:11:21.44 r+jvNVRyO
春日は15ノットと最速ですから、淡路島より西から攻めたらまだしも追い付くのは、無理でしょうね。

511:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 12:26:16.32 oTURk2q3O
どんなに性能が良くとも幕府じゃ使いこなせなかったんだから関係ないよねw

512:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 21:22:19.46 fW4fwJ0T0
政争でも別に有利でも何でもないが。
領土を返還するなら、一つくらい席あげてもいいくらいで、
薩長などの雄藩を牽制したい勢力が都合よく利用しようとしたに過ぎないし。
そして押していた藩が何を言おうと、薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

513:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 23:22:42.41 t8Tw523W0
>>508
座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。
逃げ切れたのなら、座礁なんかしなかったはず。

>薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。
むしろ薩長の方が孤立気味だった。それなのに幕府軍が鳥羽伏見に進軍してきた。

薩摩藩の関東でのテロ活動やテロ支援活動の報を聞いて、
幕臣が頭に来てそれを慶喜が押えられなかった為に幕府軍が鳥羽伏見に進撃してきた。

12月12日に慶喜は二条城から撤退、14日には東西二箇所ある京都町奉行所が朝廷の命令で急に廃止。

その為に両京都町奉行所の与力・同心だった武士と見廻組は、新遊撃隊に再編され、
伏見奉行所の武士と共に同奉行所に配備された。大目付の永井尚志に従って下坂し
北野天満宮に陣取っていた新撰組だが、伏見鎮撫を命ぜられ、伏見奉行所に合流、
年末ぐらいまでは、京付近の幕府側の兵力はこの程度で、基本的には幕府軍は大阪に居た。

伏見では幕府の奉行所があるので、そこが鳥羽伏見の戦いの時も幕府側の拠点となったが、
奉行所は本来軍事施設ではなく、行政分署であり、幕府側もこの程度しか軍事拠点がなかった。

だから年末に大軍をそろえて大阪から出陣する事が無ければ、幕府と朝廷の武力衝突は避けられた。

伏見奉行所近辺で、見廻組や新撰組、新遊撃隊(旧京都町奉行所詰の武士で構成)あたりが
示威行為を盛んにしていた為に討幕派と小規模な衝突や狙撃事件は多発していた。
現にこの時期に伏見街道で近藤勇が伊東甲子太郎暗殺の報復として御陵衛士に狙撃され
被弾し大阪城で治療を受ける程の銃傷を負う。 その後、御陵衛士は解散状態になり
薩摩藩邸に逃込み戊辰戦争では赤報隊に加わっている。

この様に幕府や諸藩の藩兵は出動しておらず、年末に幕府軍と譜代佐幕派諸藩の藩兵が、
大挙鳥羽伏見に進軍しなければ、正規軍同士の大規模な戦闘は起きなかったであろう。

ただ、新撰組やら見廻組は、伏見奉行所付近で討幕派の諸組織との小競り合いを続けるだけ。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 10:32:33.37 guWhcFWpO
>>511
操艦技術をみにつけるためにオランダに榎本らを派遣したが、開陽や千代田形の有様をみれば、あなたの意見もわかりますよ。

限度があるが時間や金をかけてでも、開陽を鉄製にしたり装備を強化すべきでした

515:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 17:09:44.78 BliqPv8xO
京都から大阪に移転する際、
会津と桑名に帰国命令を出していた方が、
結局は徳川慶喜にとっては有利だった。
会津と桑名の暴発が敗北の原因。

516:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 18:08:11.90 guWhcFWpO
>>515
ききますかね

517:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:23:51.34 CHJ+jHLT0
客観的に言えば、
・鳥羽伏見の戦いにあたって第一の好戦主義が松平容保
・戦闘し敗北した後も、「大阪城に籠もって交戦」と主張し、徳川慶喜に敗戦責任を問われ叱責を受けたのが松平容保
というわけで、会津や桑名が徳川慶喜の命令で帰国するとは考えにくい。

しかし、松平容保を愛護する作家などは
・容保候は地位にこだわらず逆に辞職を主張し、長州赦免問題などへの会議への出席を頑なに拒むお方であった

などと主張しているので、彼らの見解なら帰国してくれるかもしれない。
でもあの欠席って、長州赦免とか自らの辞職とかを拒否するための欠席だったと思うんだけど。
彼らの主張は筋が通らない。

518:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:26:54.45 CHJ+jHLT0
他の問題を討議する際は、辞意表明で欠席。
辞職帰国を勧告された際は絶対拒否、が松平容保の当時の姿勢なので、
まず、徳川慶喜の命令を受けても松平容保は帰国することはないと思われます。

519:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:34:53.13 fdMEKBGP0
12月12日夜に二条城から大阪城に慶喜は撤退したが、
その時に会津藩兵は、藩主ごと軍艦や輸送船に乗せて江戸に返しておくべきだった。

会津藩の兵力は3500名と言われるが、ちょうどその時期には、江戸市中では、
薩摩藩のテロ支援活動が活発化し、武蔵、相模では騒乱状態も始まっていた。

だったら慶喜は、会津藩に江戸や関東での治安維持活動の任務を与えて、返して置けばよかった。

会津藩士が出動すれば、関東で暴れている一揆勢を鎮圧するのも楽だっただろうし、薩摩藩邸焼討
も三田の上屋敷だけじゃなくて近くの蔵屋敷や日比谷の中屋敷、品川の下屋敷も全部攻撃出来たんじゃね?

天領内部での騒乱状態の鎮圧なら大政奉還した後でも問題ないし、そこで薩摩藩の
テロ支援活動の証拠を掴んだら、逆にそれを朝廷に提出し土佐、越前、尾張、熊本
の各藩主や藩士に議定会議や参与会議で取り上げてもらい薩摩のテロ工作を朝廷新
政府の三職会議で糾弾してもらえば良い。

朝廷新政府内部での薩摩藩の立場が悪くなるばかりだし、元々国元は対幕府戦争には反対の声が強い。
あまりにも露骨で酷い工作だったとなると、薩長に近かった広島藩も離反し始めるかもw

幕府や佐幕派は、薩長にとってジャンジャン不利な情報を朝廷新政府に上申し、薩長を朝廷新政府内部で孤立させる事が重要かと。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:51:48.32 if40wbhz0
でも思うのは鳥羽伏見が無かったとして慶喜の政権参画はあったとしても
首班ってのは無理だと思うんだよね。首班って言うと平たく言えば
今の総理ポストって事だろ?良くて今の衆議院議長悪けりゃ内大臣待遇の
一議定に留め置かれる気がする。しかもそれも数年限定みたいな感じで。
薩長土肥の殿様連中の維新後の扱い見てると(特に久光)とても慶喜が
実権握れたとは思えん。

521:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:06:24.09 fdMEKBGP0
薩摩藩は大阪に藩邸を三ヶ所持っていた。

土佐堀2丁目に「上屋敷」、江戸堀5丁目に「中屋敷」、
立売堀西之町に「下屋敷」があり、蔵屋敷と称されていた。

この薩摩藩上屋敷は、鳥羽・伏見の戦いの時に自焼したとの事ですが、
むしろ鳥羽伏見に進撃する前にこちらを幕府軍や佐幕派諸藩で攻撃しておくべきだったのでは?

江戸薩摩上屋敷焼討ちの報が入ったら、大阪の三つの薩摩藩邸も攻撃した方が良かったのでは?

522:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:17:03.84 5evt6bdt0
>>513
>座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。

座礁は操船技術の問題に過ぎない。当時の砲撃力で船を沈めるのは難しい。輸送船とはいえね。

>薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。

ありえません。その場合は薩長が自派の公卿使って潰すだけ。
そういう事態にならなかったし、そもそも薩長は武力で追い出すつもりだったのでする必要がなかっただけ。
それをもって新政権参加できたというのは薩長が何もしなかったらという過程に過ぎない。
もし失敗しても天皇拉致って広島かどっかに遷都だから問題なし。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:22:19.50 if40wbhz0
>>522既に慶喜の辞官納地は骨抜きにされてたし、状況的には慶喜の
新政権参画は内定していた状況だった。
まあ俺は参画しても>>520だったと思うけど。

524:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 22:43:36.11 TQKICkfI0
>>513
>>522

燃料投下してんのか?w

525:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 00:24:07.96 +b8D6jN/0
福井や土佐が頑張って薩長の思惑を骨抜きにしようとしていたのに
どこがまずかったのだろう?

526:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 01:51:29.56 kXrnd26i0
会津桑名の暴発進軍が致命傷

527:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 03:21:07.61 KXDXH7r60
>>520>>523
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり、
その下に藩主と皇族、公卿が構成員の議定がおり、その下に公家と藩士クラスの参与がいる。

大久保利通も議定ではなく、参与でしかない。

大久保辺りが三職会議で、
かなり積極的に発言し三職会議を仕切ろうとした為に逆に皇族議定に嫌われてしまう。

下っ端の田舎侍が、参与となり朝廷の身分秩序をわきまえず
ギャーギャー騒ぐのを見て、これではいずれ朝廷の特権を剥奪されると皇族議定は思ったらしい。

しかし、これはある意味致命的な失敗だったかもしれない。
三職会議の議長は、総裁だが、皇族なんだよ。有栖川宮で和宮の元婚約者だ。
皇族議定には、仁和寺宮と山階宮がいる。有栖川宮が和宮の元婚約者なので大久保も大丈夫だと思い
積極的発言を繰り返していたのかも知れないが、どうも総裁の有栖川宮にも嫌われてしまった感あり。

こういう皇族議定の参与に対する反発が出てきたので、土佐、越前、尾張が、三職会議を議定会議と
参与会議に分割し別々に開催する体制に誘導する事に成功してしまう。さらに総裁と議定の間に副総裁職
(内大臣職)を設置し会議の運営を円滑にしましょう。副総裁(内大臣)は慶喜公に就いて頂き
大久保、西郷や岩倉を押えてもらいましょう。って事になった。

これを見ると大久保らは、慶喜の辞官納地の実現に躍起になり
三職会議での積極的発言になったが、それが逆にあだになった様に見える。

岩倉も当初は、議定でなく参与として三職会議に参加している。
岩倉は公家としては身分は中堅で公卿程ではないし、皇族議定が大久保や岩倉に反発しているのを見て
議定の中山忠能と中御門経之が揺れ始めてしまう。そうなると当初議定の定員は10名なので優に半数
以上の議定が、慶喜の辞官納地に反対!と言う事になってしまう。

議定会議は、上院と呼ばれ始めていたし、参与会議は下院と呼ばれ始めていたから、
下院の参与会議でいくら威勢のよい議決がされても上院の議定会議でハネられると、
手も足も出なくなる。副総裁(内大臣)として議定会議を上手く慶喜がまとめれば、
下の参与会議を押さえ込める。

それに慶喜には、奥の手もある。江戸城の和宮だ。
和宮を上京か上阪させて、有栖川宮と密会させて和宮から「慶喜公をよろしく」と言わせてば良い。
そうなれば有栖川宮も元婚約者の願いと成れば無下には出来ないし、薩長も皇族の和宮には手を出し難い。

慶喜は、和宮からみで有栖川宮をいじる事も可能で、
有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制で朝廷新政府を運営出来ると思う。

528:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 03:23:54.68 KXDXH7r60
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり←×

土佐、越前、尾張が工作していたが、三職のトップは総裁(皇族)であり←○


529:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 01:21:34.07 vVaEAQeV0
長州征伐や戊辰戦争での捕虜について質問。
捕虜交換など取引はおこなわれていたのでしょうか?

530:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 04:11:05.71 VhSS9ywj0
7/8 中野剛志x柴山桂太 2011.12.22  (4分37秒ぐらいの会話)
URLリンク(www.youtube.com)

中野 だいたいね~維新とかね、幕末維新のアナロジーを使う奴って碌な奴いないですよね。
    坂本龍馬に憧れてる奴で面白い奴見た事無い!碌な奴がいない!


坂本龍馬に憧れている現在の有名な財界人って言うのは、ソフトバンクの孫正義の事だなw
反TPP官僚(今は京大出向中)の中野さんは、禿の事をボロクソに言ってんだろうなww


徳川幕府=NTT   薩摩藩=KDDI   長州藩=ソフトバンク  って感じかな?

531:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 17:12:06.45 srYscJwv0
さすが中野さん、アジのある面白い事言うなw


NTT(持株会社)=徳川宗家

NTT社長=将軍

東西会社=幕府

ドコモ=尾張藩

コミュ=越前藩

KDDI=長州藩

SB=薩摩藩

禿=大久保

SB社長室長=小松

ティーガイア=坂本龍馬

総務省=朝廷

辞官納地=NTT分割

532:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 17:23:42.98 bSeJrYfEO
会津と桑名と庄内で御用盗を、ぶちのめせ(怒)。
もちろん処刑しか選択肢は、存在しませんよ。

幕府陸軍も加えたら、訓練になってよいでしょう。

533:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 18:18:41.44 srYscJwv0
400万石と幕府陸海軍を持ったまま、有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が
出来たら、改訂版徳川政権だワナw  事実上の新しい中央政権と言っても良い。

有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が出来たら、
慶喜が次にやることは、朝廷新政府の行政組織の乗っ取りである。

大政奉還を受けて、五摂家の連中が慶喜や諸大名に将来の政権構想を提出させ、
さらに自分達も太政官八省再興案を朝廷に提出した。これは王政復古のクーデター
まで朝廷を牛耳っていた二条摂政と中川宮が、慶喜に大政再委任や後任の摂政任官
を検討していた。それに対抗する為に薩摩に近い近衛家や一条家が、他に鷹司家を
巻き込んでニ条-中川宮ラインに対抗する意味で太政官八省再興案を朝廷に提出した。

この五摂家の太政官八省再興案は、王政復古のクーデター以後は俄然意味のある提案
となり、旧幕府の行政組織に換わる朝廷新政府の執行機関の創設の意味が出てきた。

三職会議の下に太政官八省を再興し、朝廷新政府の形作りを始める必要があるが、
もし慶喜が、慶喜副総裁(内大臣)に任官できていたのなら、旧幕府の幕閣や中堅官僚
を太政官八省の幹部に次々任命し事実上太政官八省の要職を旧幕府の人間で固める事が
出来るであろう。そうすれば旧幕府の人材で太政官八省の行政組織を乗っ取る事が出来る。

そうなれば、朝廷新政府は、完全なる改訂版徳川政権となり、徳川宗家の影響力は、朝廷
新政府内部でも残せる。特に問題になるのは、兵部省と大蔵省の人事だろうが、兵部省の
幹部には幕府陸海軍の要職を任命すればよいし、大蔵省ならモロに旧幕の勘定奉行の組織を
そっくり大蔵省に移して、小栗を大蔵大臣か大蔵卿に任命すればよい。

徳川宗家による富国強兵もこれで執行できる。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 21:25:45.52 x/3tkWLw0
>>533
だからありえねーって。
薩長が認めない政権がその時に樹立できるわけがない。
またそんなのは越前や土佐なども認めない。
小御所会議で幕府を庇っていたのは、あくまで薩長の発言力がこれ以上高くなると困るからであって、
幕府を復権させたいわけじゃないんだよ。

535:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 04:51:21.84 9eepN4a90
>>534
バカじゃネーの?

慶喜副総裁(内大臣)案で多数派工作していたのは、土佐、越前、尾張なんだよ!
皇族議定が岩倉や大久保に反発して、それを認め始めていた。
議定の中山忠能と中御門経之ですら揺れ始めていた。

慶喜は、正月に進撃を開始しないで、もう少し我慢していれば良かった。

とりあえず江戸での薩摩藩邸焼討ちの報が入ったら、
鳥羽伏見に進撃するのではなく、大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃していれば良かった。

536:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 04:56:08.64 9eepN4a90
慶喜副総裁(内大臣)任官=徳川幕府復権  では無いんだよ。

もう幕藩体制は終りで、
朝廷一元化した新政府で郡県制の中央集権国家を作る事になっていた。

その朝廷新政府に幕閣や幕府の中堅官僚が、移る事を狙っていた。

時間が経過すればするほど幕府側が有利。

537:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 05:41:47.43 9eepN4a90
鳥羽伏見の戦いで勝つまで、大久保と西郷は朝廷ではダッカのごとく嫌われていた。

大久保と西郷が、朝廷に参内すると公家や女官達が
遠巻きにしてチラチラ見たりコソコソささやき合ったりして、完全に煙たがられていた。

大久保も西郷も鳥羽伏見の戦いで勝つまでは、あんまり気分良くなかったらしい。

鳥羽伏見の戦いで買った後の状態が王政復古のクーデターから続いていた
なんて思わない方が良い。はっきり言って鳥羽伏見の戦いに勝つまでは
大久保と西郷は、針のむしろでむしろ徳川と仲介出来る立場の土佐・越前・尾張
の方が立場的には強かったし、12月中旬以降は彼らの主導で議定会議は運営されていた。

三職会議は、当初は、薩長の軍事力で発足し議定と参与の議論して話しを議事を進める
事になっていたが、次第に内部では以前からの粛然たる身分の差が出てきた。公卿議定と
大名議定の詰まる部屋が違うし、大名議定が立ち入り禁止の場所も多かった。
下級藩士出身の参与ならなお更であり、三職会議の身分的な差が次第に出てきた事も、
西郷や大久保の力を抑える方向に動いている。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 07:10:06.92 sychixQ00
官位任官でふとおもったのですが
明治以降はどこの家も爵位が用いられていましたが、
旧大名家の武家官位は全部取り上げられたのでしょうか?

539:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 07:54:35.98 Rq2+uYcy0
岩倉は日和ったし大久保も日記に水泡画餅とか泣き言みたいな事
書いてるからなw


540:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 10:16:47.58 4+6n4uCy0
もしかしてダカツをダッカと言っているのか

541:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 16:15:40.42 3wG98y3d0
原発村を潰す為には平和的な手段では潰されるだけだ

暴動、ネガキャン、何でも良いから戦うしかない。


薩摩も平和的な路線で維新を進めていたら慶喜を始めとする公武合体派に潰されたことだろう。

542:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 16:54:15.83 /RRxE/hP0
>>3
>>18

そうんなんだよ、どうして無警戒のまま進軍して待ち伏せを受けたんだよ

何故ナゼなぜ・・・

>>20
中間指揮官・現場指揮官が足りないのが理由じゃないかい?

つまり、例えば、大鳥圭介のようなの軍政畑がいる一方で
土方歳三のような現場指揮官が足りなかったと

無用な突撃が問題であって、突撃しなければ勝てるというもんじゃないなぁ

543:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:02:05.87 DatIwioz0
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:04:28.77 DatIwioz0
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。

545:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:38:33.15 DatIwioz0
>>537
そもそも徳川は必要とされていない。
薩長の影響力が非常に強かったので、それを嫌った諸侯派が抑える為に引っ張ってきたのがもう終わった徳川。
だが朝廷では尊号一件いらい幕府嫌いが非常に多かったわけで、むしろそれらを押す大名も嫌われて、
幕府が暴発したのを理由で、諸侯も追い出される結果となった。


546:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 22:20:01.10 6AIoIHhy0
>婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
>薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。

自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

薩長の思い通りと、思って有栖川宮を総裁に人選したが、大久保や西郷などの藩士参与が
身分差を無視して三職会議で騒ぐモンで有栖川宮を始め皇族議定が怒り出しアテがはずれw

有栖川宮も自分が得になる範囲しか薩長に協力しない。
皇族も公卿も見返り無く、朝廷内の特権を手放す訳無い。

その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

>そもそも徳川は必要とされていない。

薩長は邪魔でも、土佐、越前、尾張には必要。

皇族議定や公卿議定も何だかんだで徳川頼り、五摂家が二条摂政や中川宮に対抗して
提出した太政官八省再興案も、現実には、王政復古のクーデター以後も全く三職会議
の議題の遡上にも出なかった。

ようやく議題として三職会議に出てきたのは鳥羽伏見の戦い以後のこと。


慶喜は、江戸薩摩藩邸焼討ち事件の報を聞いても出兵すべきではなかった。
大阪の三つの薩摩藩邸を攻撃して強硬派幕臣の矛先をそちらに向けるべきだった。

薩摩藩は、参与会議でも議定会議でも、幕府の藩邸攻撃を材料に幕府に対する制裁を
求めるだろうが、土佐、越前、尾張の三藩に関東での薩摩藩のテロ支援活動の情報と
証拠を手渡して逆に薩摩藩を追い詰めればよい。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 00:37:55.01 hj3KW27I0
>自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

hhhhhhhhhhwwwwwwwwwww面白いギャクだなw
センスあるよ君。

>その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

ぜんぜん足りんな。幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。
なんで山城程度で妥協するんだよアフォかw
そもそも大名連中も明治天皇を幼帝だからと馬鹿にして皇族や公卿から反発買いまくって、
下級藩士と同じように嫌われたってのにお前の脳内ではなかったことになっているようだなw
大名と公卿では歴然とした格差があったのに。朝廷序列もわきまえずでかい口叩くから、
むっちゃ嫌われていたのに。

548:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 01:29:14.84 8Gvt9K/10
今更だけど、スレタイの旧幕府軍のくくりはどこまで?

549:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 05:10:46.35 OFSvhqRm0
>>547
全部、妄想なw

>幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。

特にこれ。

薩長と岩倉が最初にこれで押していたんだけど、土佐、越前、尾張が、皇族議定を
巻き込んでこの案もを封じてしまい、納地の件は、豊信候の全大名石高割案も棚上
げになり、いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。
この納地継続審議案は、議定の中山、中御門も飲んでしまった。

三条議定と参与の岩倉は、慶喜による自主的納地案を提出したが、
土佐、越前、尾張、皇族議定、中山、中御門らが、納地継続審議案を飲んでしまった為
この案で議定会議の大勢を制してしまった。

その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。


それに下級藩士がデカイ口たたいたら、大名より下級藩士の方が叩かれるに決まってだろうが。
下級藩士は、大名よりさらに下の身分なんだけどw

550:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 08:08:08.00 OrZLe8fi0
だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。
鳥羽伏見の前段階では確かに辞官納地は骨抜きにされてたから
慶喜が会津と庄内を押さえこんでいれば慶喜の政権参加は可能だった。
というよりあの時点ではほとんど決定事項だったと言ってもいいかもしれない。
ただ慶喜の政権参加を主張してた中心人物の越尾土の殿様達は
あくまで薩長への牽制としての慶喜の政権参加を主張していただけに
過ぎないから一度慶喜の議定もしくは副総裁就任が決まったとしたら
今度は慶喜主導の政権作りに協力したか?と言われるとそれはそれで微妙だし
上にも書いてる人がいたが維新後の薩長土肥の殿様や明治天皇以外の皇族
岩倉以外の公卿の扱いを見ると普通に考えれば慶喜の扱いは
有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。
まあ小栗や大鳥榎本なんかは最初から新政府に関与できてた可能性はあるから
人事の面では多少変わった可能性はあるが大きな流れが変わったとは思えんな。

551:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 10:37:18.46 l/CbYno80
>だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。

失礼な!
レベルが低いのは、薩長ビイキのアホの方だ!

>有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。

鳥羽伏見の戦い後に副総裁に就いた岩倉は、事実上三職会議を主導している。
有栖川宮は、あまり前面に出る人でもなかったし、江戸城総攻撃やら江戸城接収で
京に居なかったので、岩倉が事実上三職会議の首班となってしまう。

慶喜が、副総裁に就けば、彼の能力と四百万石の天領、徳川の陸海軍などの存在もあり
三職会議の首班は慶喜になるだろう。出来れば和宮から有栖川宮に「慶喜に任せるべき」
と言わせても良い。

豊信や慶勝、慶永にそれだけの能力と軍事力と領地があるか、と言う問題になる。

552:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 13:32:01.47 lK/18nrMO
大阪城を拠点に海上閉鎖

京都の薩長は補給路を絶たれ敗戦必至

553:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 18:40:56.80 hj3KW27I0
>>549
>いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

これただの誰にとってもいいように聞こえる玉虫色の解釈に過ぎないよ。
薩長がどうせ認めないのだから、領土を全て献上するしかないのは明白。

>慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。

「前」ね。もう官職にはいないことの証。

>その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。
それ幕府が返上する方針のことだろ。

554:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:12:48.04 vyBqn20K0
>>552
そういう事なんですよ。
西郷も「大阪城を包囲したら一ヶ月で薩摩の兵が死んでしまう。」と言っている。

大阪と西宮を幕府陸軍海軍に押えられたら、補給路も断たれるし
だいいち天皇を逃がす経路も遮断されてしまう。

陸路で長州から運ぶとなると大変だし量も運ぶ種類も制限されるし。

薩摩江戸藩邸焼討ちの報が、入ったら、大阪の三つの藩邸を攻撃するのと同時に
幕府艦隊を使って大阪湾を封鎖するのが効果的ですね。

京を包囲している間に幕府は、アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手を急ぎ、
更に幕府陸軍の全軍“後装式”銃兵化の処置もあわせて急ぐべきでしょう。
幕府の関口製作所をフル稼働させ、横須賀製鉄所も稼動を始めれば、エミニー銃の後装式への
改造も進展する。

>>553
はいはい、症状が悪化していますよ、処方されているトランキライザー飲んでくださいね。

555:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:54:15.78 hj3KW27I0
>>552
無理。長州征伐でも長州の渡航の阻止ができなかったのに。
幕府海軍が薩長の補給路を断つことは出来ない。
そもそも市場から買えばいいだけだったりする。
そもそも長州は山陰のほうから来てる。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:59:07.59 vyBqn20K0
ID:hj3KW27I0は、大至急入院して下さい。

557:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 21:32:54.09 hj3KW27I0
>>554
長州の兵が万単位でくるから問題ないです。
大阪と西宮を押さえても無意味。元々の計画では山陰を通る予定。
実際鳥羽伏見の戦いの最中に山陰鎮撫の軍をだして平定している。
ちゃんと退路を確保しているんだよ。

558:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 21:43:22.93 hj3KW27I0
>>554
内戦状態になっているのに旧幕府に武器売るとかないから。
そもそも支払いすらも出来ない状況だったし。
あと旧幕府軍が勝てない雑魚部隊だった最大の原因は兵器じゃなくて、兵士だから。

559:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 21:49:28.32 UxENOkuF0
>>556
君の方が論理がおかしい。
徳川が勝つ要素が乏しい朝廷内の会議も、全て慶喜大勝利と断定しており、
しかも中国筋を押さえている薩長へ、幕府海軍があるから旧幕府大勝利、では話が通じない。

560:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 21:52:17.69 K0IpsFcNO
確かに兵器の充実によって戦況が左右されるなら、
そもそも鳥羽伏見で、装備も数も下の薩長に負けるわけが無いわな

561:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 22:08:09.59 hj3KW27I0
そもそも諸侯派がある程度盛り返せたのは慶喜は穏健派です!
ここで強気にでて強硬派を暴発させたら戦争になります。
慶喜は自主的に土地と官位を返還します。
とかいって公卿連中をだま蔵かしたからに過ぎないんだよ。
返さなければ当然揉める。そもそも薩長の影響下にある新政府がんなの認めるわけがない。
そして薩長の影響下になければその後幕府追討令などでない。

562:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 22:18:53.95 K0IpsFcNO
幕府厨くんは相当ゲーム脳だなあw
まあifを語る時点でゲームっぽくなるのは仕方ないけどさ

563:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 23:28:43.25 rXATDuAm0
久々にのぞいたら大荒れ?でワロタw
>>542です。最近に遅いながらも手にした『幕府歩兵隊』が面白っくてww

>>562
if歴史は同時代感覚の図上演習やらケーススタディになって
面白いというのはあるよなぁ

564:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 01:59:22.54 pCaIaAyV0
どうでも良いけど、特定の奴が書き込んでいるだけだぞw

>徳川が勝つ要素が乏しい朝廷内の会議も、全て慶喜大勝利と断定しており、
>しかも中国筋を押さえている薩長へ、幕府海軍があるから旧幕府大勝利、では話が通じない。

話合い工作でも戦闘でも徳川有利だよ。

鳥羽伏見の戦いは、まさかの敗退だった。
普通は負けない戦で負けてしまったのが旧幕府軍。

ただし洋上では、幕府海軍の勝ち。

565:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 02:32:53.47 pCaIaAyV0
>そして薩長の影響下になければその後幕府追討令などでない。

コレもおかしい。

幕府追討令でなくて徳川慶喜追討令だろ。

それに慶喜追討令が出たのは、鳥羽伏見に旧幕府側の大軍が押し寄せてきたからに他ならない。
しかも広島藩も土佐藩も出兵を拒否しているし、尾張と越前は議定の辞表を提出している。

正式に慶喜追討令が発令されたのは、大阪城を逃げ出した後の7日だぞ。
鳥羽伏見の戦いが完全に官軍サイドの勝利で決まった後だ。

それ以前にも薩摩藩が慶喜追討令を朝廷に提出していたのだが、反対多数で否決される。

伏見奉行所には12月中旬から新撰組、見廻組、京都町奉行所と伏見奉行所の与力と同心たちが
集結し、示威活動と偵察を兼ねて討幕側の諸隊諸組織と衝突しているが、別に朝廷はこの時点で伏見に
出動命令を出してはいない。近藤勇もこの時期に伏見奉行の近くで御陵衛士の残党に狙撃されている。

慶喜追討令は、薩長の朝廷支配とは全く関係なく、鳥羽伏見の戦闘の勝利の結果である。

566:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 06:21:51.05 cBGb2k6j0
>正式に慶喜追討令が発令されたのは、大阪城を逃げ出した後の7日だぞ。
決着が付く前の翌日には官軍になっている。むしろ四日には官軍だ。
この日には錦の御旗と皇族が総大将として討伐に当たっている。
当然戦争の決着など付いていない。

567:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 07:09:42.75 cBGb2k6j0
どうもわかってない奴がいるけど、慶喜が戦争を避けるために自主的に領地を返して、
官位も返すというのを主張する連中がいたわけ。
だからこのままいけば戦争もなく新政府を作れると主張したんだよ。
越前や尾張の藩主などもそれだが(まあ薩長の独裁を危険視したのもあるけど)
決して旧幕府の復権の手伝いをしたわけじゃない。内戦を恐れたに過ぎない。
佐幕派にはそれが幕府を庇っているように見えるようだがなW

568:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 07:21:57.17 aiMgLMx+O
まさかの敗退と言ってるが、
天狗党を止められず第二次長州征伐はどの方面からも一歩も長州に攻め込めず、
更に鳥羽伏見の敗北だからなあ

大阪で篭城戦やったらすぐ内通者が出て内側から崩壊しそう

569:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 07:59:26.50 pCaIaAyV0
>>566
>むしろ四日には官軍だ。 この日には錦の御旗と皇族が総大将として討伐に当たっている。

話がずれている。話しは慶喜追討令の事だ。官軍やら錦の御旗やら皇族総大将やらは別件。

>慶喜が戦争を避けるために自主的に領地を返して、官位も返すというのを主張する連中がいたわけ。

その話しすら、土佐、越前、尾張が皇族議定と結んだ時に押え込められている。

当初の薩長の過激な辞官納地論は全然通らないし、中途半端な自主的辞官納地論も
土佐、越前、尾張と皇族議定が潰し、豊信候の全大名石高割案も棚上げになり、
最終的には「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」という継続審議案で辞官納地
は、議論そのものがウヤムヤになった。

>大阪で篭城戦やったらすぐ内通者が出て内側から崩壊しそう

だからアームストロング砲35門やストーンウォール号が手に入るまでは、開戦しない方が良かった。
アームストロング砲が、十数門大阪城に配備されていたら、官軍は近づけなかっただろう。

また、野戦よりも篭城戦の方が有利だし、薩長でも天下普請の大阪城はなかなか落とせない。
伝習隊が、土塀の銃口から元込式シャスポー銃で狙撃してくるので、官軍の大阪城攻めも大変
と言うか長期化し、官軍の方が不利になりかねない。
大阪城の包囲が長引いたら、官軍サイドの土佐、越前、尾張の各藩が離反し裏切らないとも限らない。
さらに紀州藩のプロイセン式農民徴兵部隊が、南から援軍としてやって来る。

そうなると大阪城の幕府軍と紀州藩兵の両方を薩長が相手にするのは大変だろう。
大阪湾はどの道幕府海軍の制圧下にあるので、官軍も下手に西宮や大阪城を迂回
して大阪市内に入ると幕府海軍から砲撃される可能性もある。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 09:06:19.10 cBGb2k6j0
>話がずれている。話しは慶喜追討令の事だ。官軍やら錦の御旗やら皇族総大将やらは別件。

一緒、新政府がもうすでに薩長の思い通りに動くことの証左だからね。諸侯は相手にされてない。

>最終的には「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」

薩長が領地返上を取り下げることはないので、確定するのは領地がなくなることだけ。諸侯がなに言っても無駄。


571:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 09:10:53.46 cBGb2k6j0
>だからアームストロング砲35門やストーンウォール号が手に入るまでは、開戦しない方が良かった。

そのころには薩長の武装と兵士の数が増えているから幕府は勝てないよ。
鳥羽伏見は薩長の先遣隊に過ぎない。それにすら勝てなかっただけなんだから。
長州征伐で戦った長州の主力と戦って勝てるわけないだろ。薩摩も戊辰には7000もの大軍送っているし。

>大阪城の包囲が長引いたら、官軍サイドの土佐、越前、尾張の各藩が離反し裏切らないとも限らない。
むしろ西日本、東海道や北陸の諸藩次々に下っているのが史実なんだが。
紀藩すらも裏切る可能性のほうが高い、また裏切るかも知れない状況下で篭城などできない。

572:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 09:13:35.08 cBGb2k6j0
>大阪市内に入ると幕府海軍から砲撃される可能性もある。

長州征伐の広島方面は長州が海軍回す余裕なかったから、自由に砲撃できたけど、
長州軍にはさっぱり勝てなかったんだが。兵数は10分の一以下で。
それどころか逆に進行される始末。どうやって幕府軍が勝つんだよ。
お前自分の都合のいいように考えすぎ。篭城している間に紀州が裏切ったらどうするつもりなんだよW

573:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 15:51:04.14 JQfTk1AZ0
俺も紀州が慶喜方として参戦することは無いと思う
鳥羽伏見にすら出兵していないのに、それより状況が悪化している状態で
不利な方に参戦するのは都合がよすぎるよ。
それに、家茂死亡時には慶喜が家茂を暗殺したという怪文書が回るぐらい
慶喜は旧幕府勢力から信頼を得てないわけだし。

574:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 18:31:50.57 qvmeFPx00
じゃあ仮に田安亀之助は15代将軍になってたらどういう展開になってたと思う?

575:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 19:00:33.80 KNy7AAZv0
徳川慶喜が朝廷から制東大将軍に任命されて進軍して、会津桑名が江戸放火占領だね。

576:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 19:12:28.80 KNy7AAZv0
征東大将軍の誤りか。

徳川慶喜及び会津・桑名が幕末の土壇場で朝廷側から幕府へ立場を変えたのは、
対立していた14代将軍家茂の急死と、征夷大将軍位の相続が原因だ。

つまり、家茂の遺言の通りに田安亀之助が15代将軍に選ばれた場合は、
一会桑の幕府への態度は冷淡なものとなっていたと思われる。

諸侯としても、幕府から自らへ、外交権や政治に参加する権利を奪おうとする際、
徳川慶喜を中心に幕府へ対抗してゆく、という形式になるだろう。

となれば徳川慶喜の軍として先鋒は会津。目標は江戸幕府。
そして会津の関係した戦闘は放火が恒例。松平容保の指揮の下、江戸は炎上するだろう。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 20:08:41.26 aiMgLMx+O
>>569
アームストロング砲ってそんなに脅威なの?
威力はあっても精度は低いというし、
上野戦争と違って市街地に向けると街が焼けるといったリスクがあるし、
実際に上野戦争では着弾付近に関わらず突っ込むほど薩摩兵は強靭な訳で、
そんな相手に対して威圧効果があるかなあ

…そういや京都を焼き尽くした慶喜&会津なら大坂の街炎上の可能性なぞリスクでもないか

578:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 20:22:05.84 9GK3f0Ct0
鳥羽伏見の戦い以降は、朝廷の薩長支配が強まるのは事実。
でもそれ以前は、薩長の方が、少数派で煙たがられているのが現実。
慶応3年12月に何を薩長が言っても相手にされない。鳥羽伏見以後と以前では薩長の力は全然別。

鳥羽伏見の戦い以前に、薩長が徳川宗家の辞官納地を言っても負け犬の遠咆状態。
圧倒的少数派で特に議定会議では、否決されるだけ、参与会議でも微妙。

時間が経てば経つほど、薩長軍が畿内に集結する、と言う話しだが、それも長州だけ。
薩摩藩は、家老の関山糺筆頭に薩長同盟と対幕府戦争には反対の声ばかり、既に1000人
以上の京駐在の薩摩藩士が居て、それに加勢する先遣隊の3000名を出すのにも大政奉還
で幼い天皇を警備する、と言う名目で半ば国元を騙しての出兵だった。もうこれ以上の
出兵は薩摩は無理。来るのは長州だけ、しかも瀬戸内海や大阪湾は下手をすると幕府海軍
からの攻撃がある状況下での進撃となる。

紀州藩は裏切らない。15代と16代将軍候補を抱えており、紀州藩は、11月に畿内周辺の
佐幕派諸藩と共に佐幕派クーデターを計画している。当然会津と桑名も入っている。
さらに同じ時期には江戸の紀尾井町の藩邸を根城に譜代大名に朝廷への官位の返上と
上洛令の拒絶、慶喜の江戸帰還を工作し前者2つに関しては成功している。
もし慶喜が、朝廷新政府の摂政や副総裁に選ばれるなら、紀州藩は後任に田安亀之助を
という話になるだろうし、紀州は戊辰戦争終了後も土佐藩と組んで薩長や東京の新政府
と対峙する姿勢を見せている。それが御親兵結成の理由の一つにもなっている。

それに家茂の遺言書には後任には田安亀之助、幼年でそれがダメなら紀州藩主の徳川茂承
と言う事になっていた。しかし幕閣と幕府中堅官僚が慶喜を支持し家茂遺言書をひっくり
返している。晩年の孝明天皇の意思でもある。それでも大奥と一部旗本の抵抗があり、
慶喜は徳川宗家相続は認めたが将軍職は中々就かなかった。その内に岩倉が宮将軍構想で
朝廷内をかき回し始めた事もあり、長州との戦争の後始末や薩摩の討幕姿勢を見て大奥も
次期将軍に亀之助と言う条件で慶喜の将軍任官を認めた。
岩倉の宮将軍工作と薩摩藩の討幕姿勢の明確化が、慶喜と幕権派(幕府近代化・集権派)
の結合を強め慶喜将軍任官を早めてしまう。この様に討幕派の政治的攻勢の中で慶喜以外
の選択肢は有り得ない。亀之助はまだ子供だし、徳川茂承は慶喜ほど頭良くない。

579:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 21:33:52.99 cBGb2k6j0
鳥羽伏見前は薩長が少数派って時点でわかってないわあ。
総裁である有栖川からして長州ととても懇意にしている人物だぞ。
縁戚であり思想的にも長州の人から学んでいる。彼が薩長を裏切る事はないよ。
そもそもそんな事しても後ろ盾をなくすだけ。
鳥羽伏見の時に薩長になんで錦の御旗が降りたのかほんと分かってないね。
その前有利だったように言っているけど、あれは有利じゃなくて慶喜と旧幕府は穏健派です。
そのうち自主的に返還します。強気に出たら強硬派を勢いつかせて駄目になる。
と諸侯派の主張に理解を示していたからであって、従来の方針を変えたわけじゃないんだよ。


580:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 22:06:57.32 cBGb2k6j0
そして長州がというかその長州に諸藩総出で勝てなかったのが幕府なんだけど。
それに幕府海軍が、と狂ったように主張しているけど、
幕府海軍なんて長州征伐から戊辰戦争にいたるまでいいとこなしじゃん。
少なくとも安定した戦力として期待できるものじゃないよ。運用できる人員も少ないし。

581:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 22:14:16.96 WzH9WVh50
幕府側に西郷に匹敵するものがいたか?大久保のほどのものがいたか?吉井に拮抗しうるものがいたか?
いなきゃ勝てないし朝敵になるだけだよ。

582:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 00:49:27.51 M6gdUYgc0
>縁戚であり思想的にも長州の人から学んでいる。彼が薩長を裏切る事はないよ。

それが、裏目に出ているんだな。

西郷や大久保らが騒ぐので、皇族議定は、反発して土佐、越前、尾張に組している。
長州系だと思い、大久保と西郷がヤリタイ放題していたら、皇族や公卿の特権を剥奪
されると思い、皇族議定は辞官納地反対に回ってしまった。

>従来の方針を変えたわけじゃないんだよ。

辞官納地の実行案は、変えマクリだよ。

①即時の辞官納地実行案

②自主的辞官納地案(しかも200万石で良くなっている)

③豊信の全大名割高案

④辞官納地、継続審議案

>少なくとも安定した戦力として期待できるものじゃないよ。運用できる人員も少ないし。

鳥羽伏見の時は、大阪湾を押えましたし、江戸から脱出する時は3000名近くの人員を乗せています。
幕府艦隊の江戸脱出は、官軍では止められませんでした。

>>581
色々居たでしょう。
小栗なんて蔵相は当たり前で、総理も出来たでしょう。

583:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 00:54:15.56 M6gdUYgc0
辞官納地の実行案をコレだけ変えまくると言う事は、実行不可能だという事。
朝廷は、直轄領として山城一国をもらい、慶喜が副総裁任官へ。

584:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 01:41:24.56 5KXzDebMO
>>582
581が言ってるのは朝廷工作の手腕や人望や軍事力や権謀術数に長けた人材と言う意味であって、
おぐりんはどれも勝てないと思うよ

実務者としてなら大久保や吉井より遥かに優れているけど、
その小栗を持ち上げてる大隈とか、江藤とか大村とか、
後は幕府や西日本諸藩の海外留学生たちもわらわらいるので別に抜きん出てる訳でもないだろう

585:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 07:58:05.73 NSd7O+LO0
春嶽に「百の才知はあっても一つの胆力もない」って
言われた慶喜の責任逃れの妄言なんか真に受けなくてもいいのにw



586:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 11:03:10.69 M6gdUYgc0
慶喜の政治力は、凄いけどね。

薩長は散々徳川宗家をやっつける事やったが全部失敗し、
結局、高等戦術では慶喜に歯が立たず、最後に戦争に持ち込むには、テロ活動しか方法が無かった。

その点を判っているから、紀州藩主徳川茂承は、15代将軍を辞退したんでしょうね。


江戸からの薩摩藩邸焼討ちの報を聞いて鳥羽伏見に進撃したのが間違いでした。
アームストロング砲35門とウォールストーン号を手に入れてから、薩長と開戦すべきでした。
(それと全軍後装式銃兵化の進展やガトリング砲も手に入れるべきかと)

鳥羽伏見ではなく大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃し、
大阪湾内(西宮も含めて)の薩摩や長州の軍艦汽船を攻撃すべきでした。

また、紀州藩の出兵も待つべきでした。

587:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 20:55:18.64 ORpuflPh0
>紀州藩は裏切らない。15代と16代将軍候補を抱えており、紀州藩は、11月に畿内周辺の

だから慶喜を嫌っていた。自分のところから出せると思っていたのに下位の水戸藩からだからな。
そして実際幕府につくか朝廷につくかで相当揉めている。
そしてさっさと朝廷に下っている。慶喜が篭城しようと下るのは変わらないよ。


588:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 23:47:00.13 +OCn8hkx0
>だから慶喜を嫌っていた。

は~?
徳川茂承は、慶喜と張り合った訳じゃないよw
家茂の遺言やら大奥から押されたけども、自ら15代将軍を辞退しているんだよ。

何言っているの?

戊辰戦争後も、紀州藩は、土佐藩と組んで薩長や東京新政府と対峙しているし、
徳川が勝たないと田安亀之助を将軍や朝廷新政府の首班格に出来ないじゃないか!



慶喜の将軍任官を嫌って譜代の佐幕派が討幕派に寝返ったのは彦根藩だろ、むしろ。


589:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 01:33:40.01 k4CKYfKm0
>>582
小栗なんかダメだね。
あいつが勘定奉行として上州の商人の言うことを聞いて蚕種紙改印なんていうのをやったせいで
武州や信達で世直しだなんだっていって一揆がおきたじゃないか。
しかも朝廷から将軍後見職に加増しろって話が出た時にあいつは邪魔してきたんだ。朝廷もあいつを嫌ってるよ。
>>584
原市之進が生きてればそういうことを任せられたんだけどなあ。
>>585
間違っているとは言えないがあいつも似たようなもんだろう。
それに彼を知り己を知って状況を判断することこそ大将の責任だ。
無責任なのは板倉の方だよ。

590:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 06:40:30.57 S1+rOqnm0
>しかも朝廷から将軍後見職に加増しろって話が出た時にあいつは
>邪魔してきたんだ。朝廷もあいつを嫌ってるよ。

朝廷の言う事ハイハイ聞く訳無いだろw まったく。


王政復古でさっさと大阪城まで撤退し、
会津も江戸に戻して、薩摩藩のテロ活動鎮圧に使うべき、
大阪城には紀州藩の兵力を集めて使うべきだったな、慶喜は。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 07:12:14.00 S1+rOqnm0
>小栗なんかダメだね。

お前の下らないケチのつけ方をしても、
横須賀製鉄所の建設と増築、武器や軍艦の国産化、郡県制の導入などの功績をみれば余りある。

誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!

592:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 13:13:58.01 2b0FB9+S0
郡県制の導入って結局何もできてないじゃない。
武器や軍艦の国産化のできて無いし、横須賀製鉄所も借款だし
財政問題が解決できてないのに近代化を推し進めても、エジプトやオスマン帝国の
二の舞になるだけだよ。
それに小栗が薩摩藩邸襲撃しなければ、在坂の強硬派が
進撃する事も無かっただろうに。

593:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 21:09:16.31 Pw4dt7aU0
>>582
>皇族議定は辞官納地反対に回ってしまった。

反対などしていません。嘘言わないように。
慶喜に自主的に返還させるか、命令で取り上げるかで揉めていただけ。
薩長は強引に命令して取り上げればよい、断れば戦争すればいいというもので。
諸侯派は今内戦するのは不味い、寛大な処置をすれば慶喜が強硬派を抑えて領地を返すだろう。
という二つの意見があっただけ。

>鳥羽伏見の時は、大阪湾を押えましたし、江戸から脱出する時は3000名近くの人員を乗せています。

何の役にも立ってないな。逃げる時だけは早いが。

594:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 21:13:35.76 Pw4dt7aU0
つまりどちらの意見でも慶喜に領地を返させて、官位を返上させるという基本方針に変更は一切ないんだよ。
北風と太陽の違いに過ぎない。そして北風が正しかったという事。
>>584
そもそも大隈が持ち上げたのは新政府から追い出されてからだしな。
実際小栗なんて借金作っただけの無能宰相。
民主党とかわらんわ。

595:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 21:25:51.65 Pw4dt7aU0
>>586
そもそも紀州ごときが来ても大阪の勝敗は変わらない、大阪城の周りの死体が増えるだけ。
そして紀州も馬鹿じゃないので慶喜を見捨てるだけ。
実際戊辰戦争でもすぐに幕府を裏切って、逆に新政府に金を献上して兵士もだしている。
慶喜が篭城してもこれはかわらんよ。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:22:10.95 2RowhAQy0
アームストロング砲やガトリング砲を手に入れてからの方が更に有利だが、
史実の慶喜の大阪城篭城でも薩長は中々落とせないぞ。

篭城論は、慶喜ではなく家臣からの意見でもあるし、
天下普請の城に砲兵隊や元込式銃を持った伝習隊も居るので、薩長も城を攻撃しても中々落とせない。

アームストロング砲があれば、そもそも薩長は近づけなかっただろう。

官軍が抗戦意欲のある旧幕軍が篭城する大阪城を包囲しても、
田安亀之助を抱える紀州は、すんなり官軍サイドにはなびかない。

史実では紀州藩の兵が大阪に到着する前に、旧幕府軍が出動してしまっただけだし、
もし会津藩の換わりに大阪城に兵を出していれば紀州藩兵も篭城する事になる。


大阪城で抗戦中の旧幕府軍が居た場合、紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。

下手をすると、佐幕派として官軍が大阪城を包囲している後を攻撃しかねない。
そうなると大阪城の旧幕軍と紀州藩兵力で官軍は挟み撃ちにされる。

大阪城の後背地である紀州藩が、佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、
官軍は、下手に大阪城を包囲出来ず、鳥羽伏見から旧幕府軍を追い払った時点で膠着状態。

下手をすると土佐、越前、尾張が裏切りかねない。

>反対などしていません。嘘言わないように。

辞官納地は、継続審議に成ったって事は、当初の即時実行案はもとより、
自主的辞官納地も全大名石高割案も無くなり、今後開かれる諸侯会議が
この三職会議で再度話し合いましょうって事。

年末の時点で辞官納地は、即時実行案も自主的辞官納地も全大名石高割案も採用されませんでした。

だから継続審議案になったんです。

597:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:33:27.92 2RowhAQy0
>>592
>郡県制の導入って結局何もできてないじゃない。

先の話だから。

>財政問題が解決できてないのに近代化を推し進めても、
>エジプトやオスマン帝国の二の舞になるだけだよ。

エジプトやオスマン・トルコほど幕府財政が切迫していませんから。

>それに小栗が薩摩藩邸襲撃しなければ、

薩摩藩邸を攻撃しなかったら、薩摩藩のテロ攻撃は終了しなかったでしょう。
攻撃そのものが問題なのではなく、それを聞いた強硬派幕臣が鳥羽伏見に進撃
したのが間違いなのであり、江戸の薩摩藩邸攻撃の報を聞いても鳥羽伏見に進撃
しなければ良かっただけ。

大阪市内の3つの薩摩藩邸を攻撃するとか、大阪湾の薩摩海軍を攻撃するとか、
むしろ会津藩を大阪城から江戸に戻して江戸に四つある薩摩藩邸全部を攻撃すべきでした。

598:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 05:39:02.42 2RowhAQy0
小栗の外債起債計画も薩摩の妨害で失敗し、
旗本の貢租収入半分を事実上幕府が接収してそれを武器や工場整備に当てている。

この様に幕府は、外国からの借入金を無制限に入れている訳でもない。

薩摩も幕府債券が、パリやロンドンで発売される事を嫌がっているのは、
幕府の軍事力増大を気にしているからでしょうね。

599:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 07:40:19.38 kHkq4FQ5O
慶喜が籠城しなかったのはもう勝てないと悟ったからだよ。
朝敵になったら勝てない。諸藩も次々に降伏軍は連戦連敗

600:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:26:21.10 ljzJx3lnO
>>555
海上閉鎖してる大阪湾に薩長の海軍が突撃出来る訳がありません

海軍でも幕軍圧倒的有利

尊王やらの宗教的思想が存在しなければ薩長に勝ち目はありません

601:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:30:51.66 ljzJx3lnO
>>599
朝敵に成ったらでは無く、『朝敵に成りたくない』だから

そもそも兵力で圧倒的に劣る京都の薩長軍では大阪城包囲など非現実的であり不可能
つまり籠城では無く、大阪城は拠点です

602:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 10:40:23.43 ljzJx3lnO
幕末は兵力やら軍事力だけで戦局を推し測るのはナンセンス
『尊王』の思想の下に成り立ち、極論を言えば『尊王』の下に帝の意志が正当化されたら一人で数万の敵をも撤退だって可能
長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕軍が負けたのは極地戦だけで本来なら大局には影響されない部分

真珠湾にキリストが居て、日本海軍が正当な理由で身柄を確保出来てれば太平洋戦争も日本は十字軍となり勝てたかもしれません

603:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 18:32:49.01 2i7C0CTy0
>>602
長州征伐で勝ったのは賊軍たる長州で、負けたのは官軍たる幕府軍なんだけど。

>>597
小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。

604:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 19:29:37.94 2RowhAQy0
>小栗は在坂の軍が進撃することを見越して薩摩藩邸を攻撃したんだよ。

いいや、慶喜が江戸に逃げ帰ってくるまで、
鳥羽伏見で薩長と戦闘になっている事や負け戦だった事も江戸の幕閣は、知らなかった。



605:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:23:31.28 1tWl6m+a0
>>596
万単位の兵士が今日明日篭城しましょと決めて篭城できるわけないだろ。
食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。
そもそも篭城なんてのはどこかから援軍が来る見込みがあってやるもの。
引きこもってて状況が良くなるなんて事はないんだよ。西日本と機内東海道の諸藩が次々に降伏してるのに。

606:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:28:45.37 6WUL1iWj0
>>604
明治以降、江戸の幕臣の証言に「薩摩藩邸焼き討ちは、京都の旧幕府軍を決起させるための行動だった」というものがある。

607:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:48:33.57 1tWl6m+a0
>紀州藩はそう簡単には官軍サイドには行けない。

根拠がない。機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。
紀州はほぼ完全に孤立している。西日本でもほぼ全ての藩が下っている。
ここで抵抗しても紀州に勝ち目はない。


608:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:52:58.97 1tWl6m+a0
>佐幕派として参戦したら逆に官軍の負けであり、

負けることはありえない。紀州藩が参加した長州征伐の結果は酷いもんだったよ。
紀州がきても結果が覆るわけがない。そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。
また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない、尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている。

609:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 20:57:09.59 1tWl6m+a0
>だから継続審議案になったんです。

つまり辞官と領地の返上の方針は変わらなかったという事ですよ。
これからは皇族議定が反対したなどと嘘を言わないようにね。彼等が反対したのは即時領土の返納だけだよ。
領地を返させるという基本方針になんら変更はない。


610:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 21:00:04.07 1tWl6m+a0
>>597
>郡県制 具体的な構想も何もない、実現性も皆無の妄想。
>幕府財政が切迫していませんから。
幕府は金に困って外国から数百万ドルの借款を申し込んでいる。
下関の賠償金も払えなくなっている、国内の商人からも莫大な御用金を取り立てて、
さらに借金までしている。破綻寸前だよ。

611:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 21:11:17.41 2i7C0CTy0
>>604
朝比奈昌弘の回顧で、小栗ら強硬派が京都で今動かなければ時を逸する。在京の士は臆病だ
こちら兵を動かせば、向こうも進撃すると論じた記録がある

612:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 22:50:58.61 2RowhAQy0
>機内の諸藩は殆ど下っている。機内の諸藩は朝廷との付き合いが深いからな。
>嫁が皇族の紀州が朝敵になってまで反抗する事は考え難い。

機内じゃなくて畿内だろ。

それに鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっている畿内の藩は12~3藩でしかない。
その後の鳥羽伏見の戦いで官軍に寝返ったのは淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。

畿内の藩は、それほど勤王派にはなっていない。
雪崩を打って勤王派になるのは、大阪城を脱出した事が判り始めてからで、順序が逆。

九州なので各地の奉行が逃げ出すのは、慶応4年の一月中旬ぐらい。
慶喜が大阪城で抗戦していたら、どうなっていたか判らない。

>そして紀州は朝廷が討伐に動くと即座に土下座外交と、
>上納金と兵士まで差し出した所、幕府に付くほうがおかしいだろう。

それも慶喜が大阪城を逃げ出して、大阪の旧幕府軍が解体してしまった後の話。

>尾張などは佐幕派を全員切腹させてまで忠誠をあらわしている

青松葉事件は、一月下旬の話。慶喜が江戸で抗戦の姿勢を表さない事を見定めた上での藩主の行動。

>また土佐やら尾張やらが幕府に着くこともない

土佐藩は裏切る気満々だからw 会津藩と土佐藩と話合いしている。

>領地を返させるという基本方針になんら変更はない。

継続審議なんだから、単にまた後に話し合うって事だけを決めている。

>破綻寸前だよ。

関税収入が、かなり潤っている。

>611
それは結果論だ!

613:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 00:25:57.90 B/Gy7C9nO
>>608
芸州口の紀州+幕府歩兵隊は西洋化してるだけあって、なかなか頑張ってるよ
彦根フルボッコの後は一進一退で膠着してるもの


まあ、5分の1以下の規模の相手にだけどねw

614:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 07:54:52.45 0BZDGldX0
>食料と武器弾薬の備蓄が必要なんだから。

大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
そこにある武器弾薬、食料と突貫で大阪城に搬入すればよい事。

>在京の士は臆病だ

これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。

それに月末、年末では、幕府の外国事務局は、神戸開港、新潟海市、横須賀鎖港の
対応で追われていた。そこに更に王政復古のクーデターで6ヶ国公使と大坂城で会談
となり、そのセッティングなどもあり色々忙しかった。特に神戸開港は、幕府への
関税収入への足しが大きくなる事などから慶喜側近で12月以降の対薩長強硬策の提
唱者でもある永井尚志を担当者に当てるなど、慶喜政権ではかなり重要視されていた。

江戸でも慶応の改革の施策は、続けられており、全軍銃兵化や先込式銃への転換、
フランス将校による幕府軍の訓練、新兵募集の継続や横須賀製鉄所の拡大、鋼鉄製
軍艦の買付など幕軍改革の仕掛過程の業務が沢山あり、その一方で薩摩のテロ活動
への対策も打たなくてはならない等江戸の陸軍局、海軍局、会計局(勘定奉行)は
結構忙しかった。
更に江戸の陸軍局、海軍局、外国事務局は、大政奉還や王政復古で朝廷新政府の三
職会議の決議内容次第では今後の日本の軍制度が決まるのでそれに対する準備まで
している。
67年5月以降は、幕府従来の奉行制や老中合議制は廃止し、西洋型の事務局制とその
トップに担当老中を当てる事実上の内閣制に移行している。
この様に個別政策に関しては担当部署以外の人間の発言では動かなくなり始めている。
また、それ以外の慶応の改革の施策でも忙しい。

この様に大政奉還~王政復古時期の幕府上層部は、中々忙しくて、はっきり言って
京での討幕派への対応策や朝廷でのロビー活動まで頭に入っていない状態。フラン
ス大使のロッシュでさえも慶応の改革では部局ごとの改革の進捗度が違ったり、横
の連絡が取れていなかったりで、ロッシュの目には改革の進展は捗々しい物ではなかった。
その為に慶喜が江戸に帰還して自ら慶応の改革の先頭に立つように要請している位。

しかし京では、薩長の王政復古のクーデターなどがり、その対応策や畿内諸藩の動向、
朝廷新政府への内部工作等の難問が山積しており、とてもじゃないけど江戸に帰れる状況
でもなかったが、江戸では慶応の改革の途中であり、京への政変への対応工作よりも
幕府自らの改革作業や朝廷新政府への合流準備の方が忙しくて、幕閣はあまり京への政変
対応策まで目が行っていないのが実情。だから鳥羽伏見の戦い後にイキナリ慶喜が江戸に
軍艦で戻って来た事にも江戸での幕閣が驚いている。一々江戸の幕閣が薩長相手の施策ま
で判断していた訳でもない。

615:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:13:26.46 AQ6obydZ0
>>612
>淀藩、津藩、亀山藩ぐらいなモノ。
もう殆ど下っているじゃないか。
機内の雄藩なんて津、淀、亀山、郡山、宮津、膳所、桑名、姫路くらいしかないぞ。
宮津とか速攻で降っているし、敵対したのって姫路と桑名くらいのものだし。
藩主が抵抗しただけで、留守居役は速攻で降伏。

616:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:15:05.20 0BZDGldX0
だいたい薩長が、王政復古のクーデターを仕組んだり関東でのテロを仕組んでいるのは、
幕府の慶応の改革が進展するのを嫌がっているからこそ、そうやって改革作業を妨害している。

慶応の改革が進展すれば、薩長はもう幕府には手が出せず第三次長州征伐や第一次薩摩征伐
が日程に入ってくる。最終的には幕府による廃藩置県と郡県制の導入であり、慶喜大君制に
よる征韓論、植民地獲得論となる。

そうならないうちに、慶応の改革が進展しないうちに、幕府を倒そうというのが薩長の決定。
長州の木戸あたりが慶喜の慶応の改革を物凄く警戒しており、むしろ慶応の改革の実行が、
薩長の急進的な討幕姿勢を呼び寄せた面がある。

617:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:15:10.95 nEyxZKxz0
>>614
>これは、12月12日に慶喜が大阪城に撤退する前の話で、月末、年末の話ではないね。
根拠がありません。不可。

618:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:18:32.11 0BZDGldX0
>>617
>在京の士は臆病だ

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

619:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:19:53.93 0BZDGldX0
>>617
>根拠がありません。不可。

12月12日以降は、大阪城に撤退して幕府の人間は京には居ないんですけどwww

>>618は訂正。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:27:52.21 AQ6obydZ0
>それも慶喜が大阪城を逃げ出して、
違う撫順隊がきたら速攻で降伏が流れ、朝敵にはみななりたくなかっただけ。
機内の藩は朝廷>幕府だから。九州とか中国とかでも速攻で降伏。
篭城してても彼等を助けに行けるわけがないから、降伏の流れは代わらない。
そして尾張は藩主が朝廷に忠誠を誓う為に起こしたことであって、慶喜が抵抗していても流れは代わらない。

621:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:32:04.21 AQ6obydZ0
>土佐藩は裏切る気満々だから
ありえんな、そもそもそんな事したら藩主が隠居させられるだけ。藩士は付いてこない。
>継続審議なんだから、
つまり方針は変わらなかったッてことだろ。何時何処で辞官納地が辞めになったんだよ。
>関税収入が、かなり潤っている。
幕府の借金に比べれば微々たるものだよ。余裕があるなら賠償金を支払えないで兵庫を開港したり、
借金の返済の待ってもらう為に、関税率を20%から5%に下げられる事もないよ。

622:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 08:37:29.50 AQ6obydZ0
>>613
いや10分の一くらいだろwあの方面は長州は1500程度だし。
紀州の洋式の武器もった連中だけで6000くらいはいる。
けど複数の街道や山などに分散しているから実際は数百程度の長州に数千で襲い掛かって返り討ち。
さらに海からは艦砲射撃もしているのにねw
>大阪天王寺が、幕府軍の補給基地になっていて、
篭城してんのにどうやってそんな事するんだよ。場外にいる作業中の連中なんて敵でもないぞ。

623:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 09:08:36.67 0GBC1DgJ0
>>591
>誰も知らん細かい例持ち出して、あーだ、こーだグチグチ言うんじゃないよ、ボケナス!
やっぱり小栗ヲタってこういうこと全然知らないんだな。
普通は小栗なんかよりも世直し一揆のほうが有名なのに。
だから大村とかのリップサービスを真に受ける事になる。
財政的な意味でもフランスとの提携という点でも
当時の小栗の要になっていたのは養蚕業だったのにそれを敵に回したんだから細かい例ですむわけないだろ。
しかも小栗は結局上州での世直し一揆勢に襲撃され
それを銃で撃退したことが上州の草莽に報告されて殺されてるんだよ。

624:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:19:18.74 0LnulJL1O
>>603
結局は薩長が勝つって当たり前だったって考えてる奴は馬鹿しかいない

第2次長州征伐では勅命は下りてないから幕軍は官軍ではありません
また第2長州征伐然り鳥羽伏見然り
幕府が弱いから負けたのでは無く、大将の気移りと言う想定不可能な理由での敗戦
戦局だけを見れば幕軍に負ける要素は皆無

625:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:22:25.32 0LnulJL1O
結果だけを見て『薩長勝って当たり前』って考える輩が、無謀な太平洋戦争をおっ始めたのは明らか


626:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 11:31:04.81 AQ6obydZ0
戊辰戦争で幕府が負けた理由を大将の移り気とか言っている時点でお前ダメだわw
その前の戦争で負けているんだよ。だから大将はもう勝てないと悟っただけの話。
そして薩長に勝てるとかありえん妄想を抱いている奴等が、アメリカにも勝てるとか変な妄想抱いて戦争始めただけの話。
幕府が薩長に勝てる可能性こそありえない。実際どの戦闘でも勝ったためしがない。

627:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 12:24:52.78 B/Gy7C9nO
>>624
いやいや勅命下りてるよ
大久保の「非義勅命は勅命にあらず」って結構有名だと思うんだか知らないの?
薩長同盟における坂本の動きを語る上でも必ず言及される

第二次長州征伐も鳥羽伏見もどうみても幕府が弱すぎるから負けたんだろ
薩長が強いから勝てたなんて誰も思ってないよ
小笠原が逃げたのは圧倒的に戦力が上の幕府海軍がやすやすと長州を小倉に3回も上陸させてしまった後、
慶喜が逃げたのは鳥羽伏見で3倍以上の戦力の旧幕府兵が薩長に撃退され撤退した後だ

628:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 13:33:15.53 0BZDGldX0
>>612
相変わらず、機内って書いているなw
バカだなww

鳥羽伏見の戦い以前に勤王派になっていた畿内とその近辺の藩は、

(近江)
彦根藩、西大路藩、膳所藩

(大和)
郡山藩、柳生藩、高取藩、小泉藩

(河内)
狭山藩

(摂津)
三田藩

(丹波)
園部藩、柏原藩、綾部藩

ぐらいなもの。

629:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 13:35:06.19 0BZDGldX0
>>628
>>615に修正。

630:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 14:35:28.22 2HtiYk7U0
>>614>>618
薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

>>624
慶応元年9月21日に出てるよ

631:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 15:54:25.99 0BZDGldX0
>薩摩藩邸焼き討ちの直前の話だよ

その頃なら、京には幕府の人間居ない。

二条城は、水戸藩尊攘派に預けているし、
京都町奉行所は14日付で朝廷新政府の命令で廃止になっている。

伏見奉行所に新撰組と見廻組、
それに新遊撃隊「京都町奉行(東西二箇所)と伏見奉行の与力、同心で結成」が居るだけ。

632:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 16:34:47.83 AQ6obydZ0
>>628
石高で見れば残りの機内の諸藩など俺があげたもの以外は、自衛すらままならない小藩のみ。
機内で10万石を超えている藩で抵抗していた藩なんて、姫路と桑名くらいのもんで。
そこも即座に降伏。それが史実というもの。

633:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 16:55:30.33 B/Gy7C9nO
>>632
姫路は岡山に形だけ一発大砲打たせて即降伏だもんなw

しかし漢字は直してくれよ、畿くらいすぐ出るだろう

634:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 17:57:13.97 Zb0DR1030
明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令

 明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書=26日午後、高知市
 薩摩と長州に討幕の密勅が出された直後の慶応4(1868)年1月11日に、明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)
高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書が見つかり、26日、高知市の歴史研究会が発表した。

 所有していた高知県の男性が研究会に鑑定を依頼。鑑定した歴史研究家の松岡司さん(68)は「土佐藩にとって、明治維新の最重要文書。残っているとは驚きだ」と話している。
 書状は縦22センチ、横110センチの切り紙。文書の内容は山内家がまとめた資料集などで知られていたが、原本は所在が分からなくなっていた。
URLリンク(town.sanyo.oni.co.jp)
URLリンク(www.sanyo.oni.co.jp)

635:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 00:18:11.32 n8rZl4380
中国地方・山陰地方は、西から長州藩の軍勢が来ているので勤王藩が増えているが、
畿内では鳥羽伏見の戦いで負けた時点で尚且つ慶喜逃亡以前に勤王派に寝返った藩は、
淀、津、亀山、高槻などの諸藩で、それ以外は形勢を見ている。
大阪城のすぐ近くの尼崎藩や麻田藩などは、慶喜逃亡の報を聞くまで動きを取れなかった。

雪崩を打って勤王派になるのは慶喜の大阪城逃亡が公然化し、大阪の幕府軍の溶解が始まった以後。
慶喜が大阪城で抗戦を続ければ、畿内やその付近の藩は動けない。

鳥羽伏見の戦い以前に大和の四つの藩が、勤王藩に傾斜しているが、これもかなりリスキーな行動だった。
紀州藩が、佐幕派として参戦したら攻撃されかねない行動だった。丹波でも3つの外様が勤王藩に成っているが
これは西から長州が来るのでまだ判るが、近江や大和ので鳥羽伏見の戦い以前に勤王藩に傾斜していたのは、
かなりリスキーだったと思われる。

慶喜が大阪城で抗戦を続けた場合は、これら鳥羽伏見の戦い以前に勤王派に成っている藩や
鳥羽伏見の戦いで勤王派に寝返った藩は、旧幕軍の攻撃の対象にされるだろう。

636:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 00:38:09.40 b5IyGMNq0
夜逃げ逃亡が全てよ
あれで新政府内の親慶喜の諸侯派は沈黙せざるを得なくなったし
日和見の藩は全て薩長についた
慶喜からしたら戦わないのがベストだったけど開戦に及んだんだから
腹くくって勝負すべきだった
春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」
は的を射ているわ

637:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 01:47:47.40 HabBhD41O
慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

638:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 08:58:37.71 /7d6agsB0
もう慶喜厨は荒らしの領域に入り込んでる気がするがそれはさておき
客観的事実として一度決定した辞官納地は既に骨抜きにされていた事
慶喜の新政府参画は既に内定していた事は事実なので
会津庄内をもし慶喜が押さえられていたら鳥羽伏見のあった日に慶喜は
御所に参内して悪くても平議定普通に考えれば議定筆頭くらいにはなってたと思う。
ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。
ただ薩長土肥の維新後の扱いそれはお飾りの左大臣にされた久光に
代表される殿様個人の扱いもあるし、版籍奉還、廃藩置県に代表される藩としての
扱いもあるがそれを見るに三職制から太政官制に移行すれば慶喜が政治的実権を
有する可能性は零に等しい。
ただ太政官制下の参議のポストは史実では薩長土肥が独占していたが
この場合だと小栗榎本大鳥勝あたりの旧幕臣連中と由利公正に代表される
越前藩の連中あと状況によっては尾張宇和島水戸の連中も参議入りして
人事の面では大幅に変わって来る可能性は多少ある。
まあこれについても結局10年ちょっとで土佐肥前の連中は新政府から
追い出されたのでやっぱり史実通りだった可能性も高いがね。
ただ榎本や大鳥があんだけ活躍できたわけで小栗が新政府に参画すれば
全く違う展開になってたかもしれんとは思う。

639:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 11:02:41.29 49LoPbpLO
>>638
戊辰戦争が起こらなければ廃藩置県で各方面からの反発が大きそうだなあ
西南戦争までいかなくとも士族反乱が早い段階で各地で起こるやも
もしくは緩やかに移行させて史実よりずっと後に実施するか

640:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 11:52:23.77 JcBLBNwx0
>>636
>春嶽の慶喜評「百の才知があっても一つの胆力もなかった」

 それを書いた春嶽の回顧談では、「水戸の徳川斉昭は幕府を乗っ取って天下を取ろうとしていた」と断言しているのだが、
信じてるの?慶喜の評はその延長上に書かれたものだしw。これ信じてるなら、君はかなりイタいぞw。


641:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 12:09:10.11 /7d6agsB0
>>639 その場合は多少遅れていた可能性はあるが要は史実の戊辰戦争の
替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?
内乱はもちろんあったでしょうが不平士族の反乱とは別物だと思う。

642:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 14:37:50.68 JcBLBNwx0
>>638
慶喜には上洛を、会津桑名両藩には帰国命令が朝廷から出ていたから、
会津桑名が慶喜と一緒に参内する事はありえん。
そういう意味では、朝廷の役は貰えまい。というか最初から彼らは幕府の役だけで朝廷から何らかの役目貰ってたわけじゃないし。

>>641
廃藩置県戦争で済めばまだ御の字だな。
自由民権思想が諸外国から流入するのは時間の問題な訳で、こちらが先なら市民革命戦争になる。
そうなれば武士階級どころか天皇や公家までも庶民の手でギロチンだ。


643:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 15:18:28.31 4IjpVV060
>ただ副総裁までは越尾土の連中も協力はしない(容堂は微妙だが)だろう。

土佐も越前も尾張も副総裁の線で工作しているんだがね。

>慶喜がどんなに抵抗しようが、越前尾張が朝廷についているから畿内の藩が幕府に付くことはないよ。

開戦時に土佐も越前も尾張も議定の辞表出している。

>史実の戊辰戦争の替わりが廃藩置県戦争になってただけじゃないかな?

それも含めて慶喜は朝廷の摂政や新政府の副総裁になるつもりだったんだろう。
天皇の権威と徳川の西洋化した軍事力で諸藩を圧倒して実行する心算ではなかったのか?

それには第三次長州征伐や薩摩征伐での幕軍勝利が必要だった。

644:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 15:46:50.36 Cng1tb9N0
>>643
第三次長州征伐や薩摩征伐をするには、何を口実に
しますか?

645:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 16:37:14.73 EvjDgfvs0
>>631
正確に言えば「大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者なるが故なり、関東より端を
開きて其眼を覚まさしむるに若かず」だから焼き討ち直前だよ。

646:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/29 22:57:05.13 JcBLBNwx0
>>643
慶喜は新政権の樹立に向かっていたが、幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。
慶喜の思惑がどうであれ、徳川が二派に割れるから戦争になっても第二次同様に全力は出せまい。

647:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/30 11:08:15.50 k3/HQaoxO
>>627
10万石削減&藩主隠居
これが勅命

武力討伐の勅命は皆無

648:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 07:26:15.01 edZfXRIrO
>>646
その場合、新政府+旧幕臣の一部対旧幕府+会津桑名その他、の戊辰戦争が始まるかもな
そうなると江戸が焼けるのは不可避か…
長州は復権さえ出来たら新政府側に付くだろうからしばらくは征伐の心配は無さそうだが、
薩摩はどうなるか

649:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 16:18:14.25 NEALSGZ30
>焼き討ち直前だよ。

なおさら京には幕府の人間居ないって。

>幕臣の多くは幕府の継続を望み朝廷を中心とする新政府発足に反対しとるよ。

史実では慶喜が説得して何とか納得させています。小栗も含めてね。

650:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/31 19:43:48.53 EfD1cL9D0
>>638
小栗は会庄と同じカテゴリーであって新政府入りは無理。
小栗が慶喜に罷免された時に大久保一翁は越前に幕府の旧弊を改める好機と書状を送っているくらいで
越前・大久保・勝らと小栗では別だ。
榎本や大鳥は幕府が解体された後に登用されたんだし話が違う。

651:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 09:29:07.35 DrVHxZR90
徳川家の私財を投じて国家運営しているようなもので
全国徴税の仕組みをつくらないと勝ってもいずれ息詰まるだろ。

652:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 10:35:28.99 HfsHslIP0
>>651
勝たなければ何も始まらないですね。

第2次長州征伐に成功していれば余裕をもって、
幕政改革ができましたが・・・・・・。

紀州よりも長州のほうが武器の性能や能力が
すぐれていますから、撃退されて当然です。

653:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 11:53:35.99 G5xw8Pop0
Ifを言うなら、慶喜が第14代将軍になってれば大分歴史が変わったんじゃないかな。
安政の大獄も起きないし。

>>650
小栗と共に慶応の改革に従事し、また勝海舟を蛇蝎の如く嫌ってた
栗本鋤雲のとこにも新政府から出仕の誘いが来た(けど断った)らしいから、
本人にやる気があれば不可能でもなかったんじゃないかな?
小栗のことだから、出仕の誘いが来ても断るだろうけど。
どちらにせよ、小栗も函館まで行けば良かったんだが。

654:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 12:26:23.83 O5gfzL6mO
>>652
第二次長州征伐の時なら紀州の武器の性能は長州と同じくらいかむしろ上
そして芸州口における兵の数は紀州の方が圧倒的に上

しかし一歩も長州の地に攻めこめなかった
武器の性能のではなく組織体制や士気の問題だろう

655:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 12:34:21.17 QaAM1X4U0
散兵戦術と戦列歩兵じゃなあ。
戦術が50年か100年は違うんじゃね?

656:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 15:56:15.32 UBlypi6E0
芸州口に限れば、紀州藩兵の士気は高かったんじゃなかったっけ
総督が徳川茂承だし、支藩主が自ら出兵してたりもするし
粘り強く戦ってたと長州側の記録にもあった……気がするw
数で勝ってるのに苦戦した理由は、戦術か戦略、あと地形辺りじゃないかな

657:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 17:06:49.79 PPrmiFUlO
だ・か・ら

幕軍1万5千で大阪城拠点に陸路閉鎖

海軍で海上閉鎖
京都の薩長軍5千はどうやって補給路作るの?
武器が優れてても弾薬切れたら鉄屑だよ


658:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 19:33:28.24 HfsHslIP0
>>654
紀州は独自にプロシアから軍事顧問を、
招聘していましたからね。

組織体制や士気の問題でしょうね。

659:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 20:21:35.65 X1kU/9TE0
紀州藩がプロイセンから軍事顧問を招いたのは、明治維新後だったと思われ

>>657
鳥羽伏見前ならそんなことせずに傍観してりゃ政治的に勝てるし、
強硬派は衆を恃んで余裕ブチかましてるから封鎖とか消極的な作戦は眼中にない

鳥羽伏見後だとしたら、その1万5千で惨敗したのに更に封鎖の為に分散させるとか正気なの?って
言いたくなるだろうな、慶喜の立場ならw
しかも橋本の戦いで幕府軍が壊走した後は、新政府軍内で軍需品の鹵獲競争が起きてる
あと当然ながら援軍も来るわけで、慶応4年1月9日には長州軍が備後福山藩を降伏させている

660:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 21:54:38.34 OGKLdaud0
慶喜は、江戸から薩摩藩邸焼討ちの報が入った後は、
強硬派幕臣を鳥羽伏見に進撃させるのではなく、
大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃する事で誤魔化すしかないね。

あと大阪湾で薩摩や長州の軍艦や船を攻撃するとか。

史実でも伏見奉行所に詰めている新撰組や見廻組、新遊撃隊が
それなりに示威行為で暴れてはいるのだが、西郷と大久保がこの事を
批判しているものの議定会議で土佐、越前、尾張が工作して伏見奉行所
への出兵話は無くなっている。
薩長への鳥羽伏見への出動命令は、あくまでも幕府軍接近の報があってから。

関東各地で行った薩摩藩のテロ活動の方がはるかに大規模で酷かった。
一揆や騒乱状態まで発展し伊豆代官の江川家は、伊豆で徴兵した農民兵を治安出動させている。

661:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/01 22:26:25.77 HfsHslIP0
テロリストは打ち殺せ。

寛大なる処置に感謝している庄内はおかしい。

>>659
そうでしたか?

662:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 12:15:48.46 W0R8qFx/0
幕府は、元込式銃に転換し始めた直後に大政奉還やら王政復古やらだから
もう少し時間があれば、武器の近代化をもっと整備できただろう。
幕府軍が大阪の幕府軍5000人だけでも先に元込式銃兵化を完了してから
鳥羽伏見の戦いを始めるべきだった。

しかし、ま~ジャーディン・マセソンが、アームストロング砲を幕府に売却しなかった
背景を知りたいね、誰かが幕府軍の強化を邪魔している訳だ。長州の木戸も慶応の改革
の進展を気にしている訳だし。

結局、薩長は、慶応の改革を進めさせたくなかったんだろう。
ある意味、慶応の改革は「富国強兵」の第一歩と言っても良い。

663:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 13:22:12.76 PJQTfopbO
>>659
惨敗?
初戦で敗走はしたが、大阪城及び港を押さえてる以上戦局は幕軍有利は変わってないよ


664:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 13:25:36.13 PJQTfopbO
>>662
武器マニアは痛々しい…

初戦敗走は錦の御旗による物

大将に戦意が有れば3日で京都の薩長は追い詰められてたよ

665:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 15:53:34.59 oz1Cygyc0
そういう心構えがないから負けたんだし政治を任せられなくなった

666:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 18:08:09.20 OH8u1PZH0
>>656
他の幕府歩兵とかと一緒になって10分の一以下の長州軍に攻め込まれて、
一歩も長州の土地を踏めずに負けた。
>>663
薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

667:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 18:17:49.28 abgta0mF0
指揮官を家柄で選んでる限り勝てないだろうね

668:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 20:49:11.99 1/4dPMM80
>>664
慶喜は、土佐、越前、尾張の三藩の朝廷工作にかけていて、それは上手く行きかけていたのだから、
戦意が無いのは当たり前。むしろ伏見奉行所での挑発行為と徳島沖での海戦、関東での薩摩藩邸
焼討ちや関東各地への治安出動、大阪市内の薩摩藩邸への攻撃ぐらいで止めておくべき。

会津藩などは、東帰させて江戸での警備や関東各地への治安出動をさせておいた方が良かった。

薩摩藩邸焼討ちで薩摩藩が三職会議で文句を言って来ても関東でのテロ活動の件を逆に批判出来る。
この時点での戦意は、はっきり言って無駄な効率の悪い戦意。もっと開戦は先延ばしにするべき。
アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手、元込式銃兵化の進展、この三つが揃ってからの開戦でも遅くない。

>薩長に攻め込まれたらどうせ守れないよ。戊辰で一度でも薩長に勝った事あったっけ?

徳島沖海戦では、薩摩藩海軍は見事に負けていますけどねw
天下普請の大阪城は一寸やそっとでは落とせない。アームストロング砲が十数門配備されていれば
官軍は近づく事も出来ない。下手に大阪市内に突入したら幕府海軍の艦砲射撃の的になるだけ。

669:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 21:15:44.34 OH8u1PZH0
阿波沖の海戦は兵士の輸送が終わって薩摩に帰る途中の船を襲ったもの。
そして薩摩は輸送船が一隻座礁しただけで、無事任務を全うして帰っている。
幕府は船二隻すら沈められない体たらくなんだが。
長州征伐でも少数の長州海軍にボコボコにまけて、関門海峡も制海権は長州が握っていた。

670:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 22:17:28.95 7LN0TxSp0
北越戦争では薩長側が寡兵の旧幕側に局地戦では度々負けてるな

671:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:01:24.74 OH8u1PZH0
負けたのは薩長の兵じゃないけどなそれ。

672:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:28:22.69 X0Ouact10
>>668
アームストロング砲を過大評価しすぎだろ。幕末時はまだ不安定ですぐ壊れるので
そんな超兵器と言われるほどの威力は無いぞ。
当時の英軍ですら四苦八苦していたのに、幕府軍に満足に運用できるとは思えん。

673:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 23:34:56.70 kKDp5FPXO
>>668
何度も何度も同じこと書いてるようだけど、
つまりはあのタイミングで鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね

674:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 00:52:18.72 Q7frZP2R0
>何度も何度も同じこと書いてるようだけど

それが事実だから。

>鳥羽伏見の戦いを起こしてしまった時点で幕府の負けは覆せないってことね

慶喜は、それが判っているから二条城から撤退したし、
土佐、越前、尾張の三藩に朝廷工作を任せている。

それに幕府軍を鳥羽伏見に進撃さえさせなければ、朝廷は慶喜を朝敵にはしなかった。
江戸や大阪の薩摩藩邸や関東の一揆勢を鎮圧して、時間を稼いでいれば良かったのだ。

その間にアームストロング砲35門やウォールストーン号の入手、幕府陸軍の元込式銃兵化
を推進していればよかった。木戸が言う様に慶応の改革が進めば進むほど幕府軍は強くなる。

一度戦いを起こしたなら大阪城に篭城して抗戦を続けるべきだろう。
大阪の戦いが長期化すれば、薩長の力が弱まり、土佐、越前、尾張が仲介に乗り出すなり、
土佐が裏切るなりするだろう。

675:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 01:38:37.10 kOsU2UkM0
それ無理。何故なら幕府には金がない。
下関の賠償金も払えなかったのが幕府。
だからフランスから追加借款を申し込んでいたけど、もう領土でも担保にしないと無理な状況になっている。

676:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 07:18:49.83 jalfgSLtO
>>674
アームストロング砲だろうがストーンウォール号だろうが銃兵を鍛えようが、
指揮官が硬直した身分人事な時点でただの鉄屑だよ無理矢理


逆に、鳥羽伏見の指揮官を大鳥にするくらいの実力に促した人事が出来てたら、
(そして一番難しいことだが頑迷な会津兵らもその指揮官にちゃんと従ってたら)
幕府軍は勝ってたと思うよ
武器の性能と兵力なら勝ってたんだから

677:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 08:06:43.07 kOsU2UkM0
んー違うなあ。指揮官も大事だが一番大切なのは戦術と士気だからね。
薩摩の立ち撃ち、長州の寝撃ち、土佐の膝撃ちというが。
この三藩はある程度散兵戦術を駆使して戦える。
薩摩や土佐の場合は敵が近づいたら即座に近接戦闘に切り替えて突撃する胆力を持つ。
長州はそこまでの胆力は持たないが、まず崩れる事がなく最後まで持ち場を死守する忍耐力を持つ。
幕府は散兵戦術が取れない。何故ならそうしたら軍が崩壊する。
かといって密集して攻撃しても的である。結果どうやっても勝てない。

678:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 10:45:38.11 MhrNBbmxO
>>666
痛々しい

679:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 10:50:18.91 MhrNBbmxO
>>668
いったい何の話を?
幕軍が戊辰戦争で勝つ可能性の話

つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

一々さかのぼってたら『参勤交代を廃止しなければ良かった』って結論に成っちゃうがな

680:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 12:39:16.51 I7lbfCNO0
「鳥羽伏見の戦い」(幕府の命運を決した四日間)の著作者の野口武彦は、
慶喜のチキンぶりと大阪城放棄が最大の敗因では有るが、戦闘現場では、
連絡将校(采図役)の絶対数の不足と訓練不足が、敗因だ、としている。

また、一部元込式銃兵化を行っていた伝習隊は、総崩れの幕軍の中でも比較的
踏み止まって良く戦っており、薩長も伝習隊との対戦では苦戦している事を記している。

薩長の戦闘記録でも伝習隊は他の部隊とは異なって、
反撃が激しく、伝習隊の射撃で味方に被害が出ている事を記している。

681:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 12:48:14.72 I7lbfCNO0
>つまり鳥羽伏見開戦以前の話は論外

頭悪くない?
開戦し無い事が有利なら、それも検討すべき。

また正月の段階で開戦しないでも、どのみち年内中旬には開戦している可能性が大きい。

それに開戦して大阪城を薩長が中々落とせなかったら、
土佐、越前、尾張はどちらに転ぶか判らない。特に土佐は裏切る気満々。

682:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 16:11:35.08 MhrNBbmxO
>>681
開戦回避はスレ違い
スレタイ100回嫁

683:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 16:13:59.09 2zNVRlA40
通りすがりだけど、戦わずして勝つとか言うし
もしくはまた別のいくさの準備なのかもしれんし

684:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 17:18:50.54 jalfgSLtO
>>681
>>683
戊辰戦争において旧幕府軍の勝利を考察するスレだから、
戦わないという選択肢はスレ違い
鳥羽伏見が起こらなかった場合の、
後々戊辰の年に起こりうる別の戦争に関してもスレ違い
鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

685:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 19:27:25.40 9wecEBnA0
なあちょっとスレ違いかもしれんけど奥羽越列藩同盟の他にもう一つ
列藩同盟ってあったよね?
俺の記憶違いかな?ぐぐっても出てこない。

686:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 21:46:06.83 Irbqc2WS0
戊辰戦争は、年の事ではなく、幕朝戦争の意味を表している。
その勝利の為に開戦時期を見合わせるのは、ありうる事だ。

4月になればストーンウォール号も徳川家の手に入るしな。

西郷だって3~4ヵ月後での
開戦だと思っていた位だから、正月開戦はむしろ偶発的要素が大きい。
ま~正月に開戦しないでも戊辰の年内には、どのみち戦争の可能性が大きいが。

長州藩だって本国から山陰を通って援軍を京へ登らせようとしている。
長州藩の援軍が入京したら、どのみち戦争だよ。

もっとも幕府vs朝廷の構図ではなく、
朝廷内部の“副総裁vs議定”の戦いになるのかも知れないが。

慶喜も開戦するなら、準備万端で開戦すべきなんだ。
慶応の改革の途中で開戦する方がおかしい。

>鳥羽伏見後に大阪城に篭城したら、はここで語るべき内容

結局、薩長では落とせません。
ハイ終了。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 21:57:33.70 9wecEBnA0
>>686やたら慶喜副総裁就任を推すが議定にはなれても副総裁になるのは
無理だと思うぞ。総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。
薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

688:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 22:24:01.00 cftt1l5v0
ところで幕府軍の戦術の拙さ(散兵戦術vs戦列歩兵)を指摘する
声がいくつかあるんでふと思ったんだけど

・松平定信(林子平の「海国兵談」発禁処分)
・鳥居耀蔵(高島秋帆を謀略で排除)

↑これが幕府(や佐幕派の藩)の兵制改革の遅れの原因の一つになってる
気がするんだけどどうだろう?

689:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/03 22:31:48.25 Irbqc2WS0
>総裁が皇族なのに副総裁を慶喜にしたら新体制も
>事実上徳川中心でやっていきますよって言ってるのに等しい。

土佐、越前、尾張は、慶喜副総裁の線で工作し、かなりの賛同を得ている。

辞官納地が継続審議で事実上棚上げ状態で、しばらくは徳川家は400万石
を維持しそうだし、しかも旧幕の陸軍や軍艦、全国各地の城や奉行所、陣屋
などを考えると、行政執行は徳川宗家がやるしかない。

まあ~議定になった岩倉や薩摩、それに慶喜の副総裁就任と同時に長州も
議定に任命されるだろうから、これら三者が、慶喜副総裁に反抗するんだろうな。

慶喜も議定会議で薩摩の関東でのテロ活動の件を持ち出して批判するだろうから、
そうなると結局年内に徳川宗家vs薩長で戦争になるかもな。

>薩長はもとより公家連中だってそんな話簡単にOKするわけないと思う。

皇族議定は了解済み、
皇族が了解しているのに、公卿が断るのは難しい。

鳥羽伏見の戦い直前には、
中山と中御門はもとより、岩倉でさえ動揺しまくっているが。

690:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 01:31:30.62 1Nqew55cO
嘘も百編言えばなんとやらだな、諸侯が期待したのは薩長の牽制で合って慶喜の復権ではない。

691:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:30:50.86 CFpwL5PG0
薩長の牽制=慶喜の復権=慶喜の副総裁任官

692:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:35:01.13 t98Zzaug0
>>688
松平定信の時期に幕府の財政は急激に悪化しているので、
その意味で、幕末に幕府に余裕がない原因を作った無能政治家であることは確か。

また、政敵を抹殺するにあたり、政敵の行政的な業績を踏みにじるために
意図的に経済を困窮させ、政敵に罪をかぶせた傾向も否めない。

これは新井白石にも伊東正義にも見られる。
正義を名乗る人間はよほど気をつけないと、そいつが悪と名指しする人間よりも数段邪悪であることが多い。


鳥居耀蔵もろくな人間ではないが、奴というよりはその上の水野忠邦が評価できない。幕府を混乱させただけだった。



軍制に関しては、高島秋帆の時代はゲベール銃による集団突撃戦法で、当に鳥羽伏見の旧幕府軍の戦法そのものであった。

これが近代散兵術に取って代わるのが大砲の発達で、これによって、密集歩兵の中心を砲撃することが可能になったため、
歩兵の密集突撃戦術は急速に廃れていった。鳥羽伏見でも瀧川の馬が最初に吹っ飛んだね。

これと同時に銃の進化、ライフルと元込めによる長距離狙撃が可能になり、司令官の前線指揮は目立つことを避けるようになってゆく。
鳥羽伏見ではこの状況を考えずに旧幕府歩兵は突撃を繰り返し、司令官を多数失うことになる。

693:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 02:38:22.08 t98Zzaug0
>>691
それはおかしい。
慶喜の完全な復権を諸侯は望んでいない。
諸侯が望んでいたのは、京都に幕府に代わる自らの意見の通る政権を立てること。

慶喜が領土も権威も完全に復権しては、諸侯の願いは果たせない。
将来の領地差出と官位制限は当然残る。

694:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 06:45:29.82 fC57686Y0
>>663
大坂城は戦略的には重要だし、鳥羽伏見前は慶喜がまさにそれを最大限活用して
京都の政局に無言の圧力を掛けていたわけだが、戦局として考えるなら
旧幕府軍が鳥羽伏見から敗走してきた後である以上、とても有利とは言えないよ。

まず新政府軍は少なくとも橋本まで進出してるから、これと山陽道を上る最中にある
増援軍を遮断するには大坂城から淀川の北へ進出する必要がある。
だがそちらへ進出したらしたで、その両軍を止められるかっつーと、そこで止められるんなら
少なくとも橋本の戦いでは負けてないんじゃねーのって話だわな。
しかも敵軍の数が増える分不利になってるし。
更に籠城策を取るには、すでに裏切った藩が二つ出たという事実が重い。
また、港も保持するなら大坂城とは別に堺などの港へも軍を割かなければならないが、
まともに対抗できる幕府歩兵隊をそんなんに割り振っていいのか?

戦局を考えるなら、慶喜がこれは無理だと判断しても頷けるよ。

695:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 07:00:00.64 fC57686Y0
>>677
いやいや、指揮は古今東西、戦術と兵器に勝るとも劣らず重要だよ。
鳥羽伏見での幕府陸軍は戦術・兵器ともに薩長と互角かそれ以上だったし、
軍の数では幕府歩兵隊だけでも薩長の軍より多く、また粘り強く戦った。
もちろんそれ以外には装備が旧式、近代戦を知らないで役に立たない連中も
居たが、そいつらを後方に回してもまだ数では勝ってる。
それでも勝てなかったのは、上層司令部に戦略性が欠如してたから。

緒戦の鳥羽伏見からの撤退は仕方ないとしても、伏見奉行所から脱出した軍が
その後の命令すら受けられず、一晩経ってから三々五々自主的に撤退した様に、
敗北後の兵力の収容と再編って基本的なことすら出来てないから、その後もグダグダと負け続けたんだよ。
だから総兵力では勝っているにも関わらず、戦略的な迂回攻撃どころか富ノ森で勝った後の追撃も行えずに
敗走後の敵軍に再編の余裕を与えてしまった。
軍の指揮官としては評価されてない観のある山縣有朋ですら、長岡城で河井の奇襲を受けて敗走した時は
後方陣地への集結と収容指示、軍の再編ぐらいは迅速に行ってるぞ。

司令級の人材についても門地石高に囚われず、大鳥のような下から伸びてきた人材を充てられていれば、
鳥羽伏見での旧幕府軍の勝利も十分あり得たと考えられる。

696:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 08:11:35.49 60R9618k0
>>695
幕府陸軍は戦列歩兵の訓練を受けていたから、散兵戦術をとってくる相手には対処できてないよ。
幕府の中には伝習隊のように同等の武器を持っていた隊もいたけど、
戦術がさっぱりだったのは変わらない。
砲や射程と命中力の高いライフルが出てくると、戦列歩兵は的でしかない。
だから勝てない。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 11:09:38.01 4yKeWqO8O
>>694
ん?
私の意見は鳥羽伏見に於いて大阪城拠点に陸路と海路閉鎖

京都の薩長軍は補給路を絶たれ敗戦必至

尊王なんて宗教的思想が無ければ幕軍に負ける要素は皆無

故に武器がなんちゃらとか言ってる輩も論外だと思ってます



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