戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性についてat HISTORY2
戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について - 暇つぶし2ch350:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 03:16:08.10 suKcuN0BO
ジャンプしてサボンを作れ釜次郎

351:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 16:50:56.85 +qXZgZuY0
>>349
前にその辺をNHKBSの番組でやっていたが
政治的なことを個人の感傷にスライドしてごまかして終わってよくわからなかったな
まあその内に総合で再放送するだろう

352:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 16:53:55.02 R8HSsNrg0
>>349
会津の蝦夷地売却の件については、ビスマルクが列強との関係上宜しくないと
断ったって話じゃなかったっけ。
実際はその返事が来る前に会津が終わってたようだが。

353:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 13:46:54.27 nIwnoJ6n0
>>347
ウソばっかり書き込むな!

354:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 13:56:03.08 /bsMUlJN0
>>352
んでケリが付けばいいものを余計なことをしてプロイセン商人に結局6万ドルをふんだくられたのだから
函館府も蝦夷共和国もアホとしか言い用がない

355:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 13:57:56.91 /bsMUlJN0
函館府をアホみたいな公家なんかに任せたから99年租借なんかホイホイ認めちゃうんだよな。
長州藩が彦島租借を断固阻止したのと対照的だ。本当に公家は・・・・

356:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/05 14:28:56.89 H+//NYuO0
>>355
>本当に公家は・・・・


昭和天皇がマッカーサーに沖縄占領を長く続けてくれるように
頼んだのをおもいだした。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 06:47:10.79 Zu10m+9H0
>何故なら幕府は金がカラケツで、

関税収入が、順調で幕府の税収は確保され、財政破綻はしていない。
従来の貨幣改鋳収入もまだそれなりに確保されているし、特に1867年以降は、
兵庫開港の関税収入は大きくなる。結果これらが、幕府が進める「慶応の改革」の資金源となる。

>旧態依然とした組織を潰す事も出来なかった。

大政奉還直前に幕藩体制から郡県制に移行する事を慶喜が表明している。
大政奉還後の朝廷新政府への政権一元化と合わせて、従来の幕藩統治機構は終了。

>幕府の改革は全て欧米からの借金が前提になっており、

薩摩藩のサボタージュで見事に失敗、代わりに徳川家が旗本領半分を収公してこれに当てる。
結果として、この方が良かった。

>鉄道などもみな敷設権を欧米に認めるというもの。

構想だけで、実現はしていない、外債の起債が失敗した時点でもうこの計画は危うくなっている。
もし徳川宗家の権力が維持されていた場合には、旗本領の残り半分を収公してそれに当てるしかないだろう。

>あれほどの巨額の融資をしてもらって、それを無事返済できるとは思えない。

だから「慶応の改革」は、外債の起債が失敗して、旗本の領地半分を使って費用を捻出したの!

358:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 19:14:15.26 X7IwqS7s0
江戸幕府がトーマス・グラバーの仲介で35門もの多数を発注したが、
グラバーが引き渡しを拒絶したために幕府の手には届かなかった件だが、

これはグラバーが薩長の関係を重視した為に幕府に引き渡さなかった、
と言われる事が多いが、それと同時にジャーディン・マセソン商会の意向もあった。
ジャーディン・マセソン商会はグラバー商会の元請であり、逆に言えばグラバー商会は、
ジャーディン・マセソン商会の日本の代理店に過ぎない。

この様な最新式の重火器35門と言う大量発注の際は、元請のジャーディン・マセソン商会の
意向を聞かないとグラバーだけの判断では動けない。やはりジャーディン・マセソン商会は、
慶喜治世下の徳川幕府を警戒していたと思う。

ジャーディン・マセソン商会を始めとする外国商社が幕府から距離を取り始めたのは、
1864年に幕府が横浜鎖港を表明した為だ。と言うのが一般的に言われる説だが、幕府は
横浜鎖港の代わりに兵庫と新潟の開港を約束している訳で、外国商社にとってそれほど
不利益ではない。

やはり慶喜が遂行した「慶応の改革」で、大砲や軍艦等の国産化を目指したり、
輸出入や全国の運送を一元的に行なう徳川家肝いりの大商社の設立構想などが、
ジャーディン・マセソンらの外国商社にとっては、利害に直接的に反する、
と判断したからだろう。

幕府が軍艦や重火器の国産化を成功させた場合、外国商社からの武器や艦船の買い付けは大幅に減ると思れる。
また大商社設立計画も外国商社との直接競合する為、その存在を嫌がる。
その為に慶応の改革を実行した幕府への薩長の討幕運動に外国商社も関与した。

幕府の倒壊には、外国商社の関与もよく検討すべき。

359:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 19:16:57.64 X7IwqS7s0
幕府が軍艦や重火器の国産化を成功させた場合、外国商社からの武器や艦船の買い付けは大幅に減ると思れる。
   ↓
   ×
幕府が軍艦や重火器の国産化を成功させた場合、外国商社からの武器や艦船の買い付けは大幅に減る。
   ↓
   ○

360:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/06 21:51:46.22 G17+9XSE0
慶應年間なんて崖っぷちの時期に改革なんてしても却って混乱しただけだったんじゃないの

361:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 12:01:46.50 +WlrMtf70
その崖っぷちの「慶応の改革」を見て、桂小五郎は…

「今や、関東の政令一新、兵馬の制、またすこぶる見るべきものあり、一橋の胆略決して侮るべからず。
 忠し、今にして朝政挽回の機を失い、幕府に先を制せらるる事あらば、実に家康の再生を見るが如し。」

と言って、慌てて討幕を始めますがね。

また、桂小五郎も長州五傑の1人でジャーディン・マセソン商会の資金で欧米に留学しています。
外国商社の息がかかっている人物とも言えます。

軍艦と兵器の国産化や輸出入や全国の運送を一元的に行なう大商社の設立構想等をもった幕府に
アームストロング砲を売って今より更に幕府の軍事力を高める事は、ジャーディン・マセソンや
彼らの代理店であるグラバー商会にとっては、迷惑極まり無い事なのでしょう。

362:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 12:20:59.58 j9MbpILl0
>>361
>また、桂小五郎も長州五傑の1人でジャーディン・マセソン商会の資金で欧米に留学しています。
この一文で台無しだよwwwなんちゅう適当な情報をw
桂が長州五傑として留学してたら818政変とか池田屋とか禁門に立ち会えないってのw当時新鮮グミが追っかけてたのは何者なんだw
加冶とかのトンデモ情報にしても時系列滅茶苦茶な捏造だなー、もっと考えて話作れよな。
欧米の留学費は大村益次郎が工面して長州から出してる。

アームストロング云々なら佐賀藩で自作していた事はどうなのかね。

363:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 12:42:12.04 5z8WbHfK0
正直そんなん気にしてないだろ。
日本初のドッグ建造を斡旋したのはグラバーだぞ。長崎の。

兵器を生産出来る技術と、それを大量生産する技術は異なる。
生産できる鋼鉄の質と量、工作機械の調達、大量生産に適した組織作りが必要。
少なくとも、横須賀製鉄所すら出来てない状態で警戒しても意味がない。しかも結局明治政府が受け継いでるし。
また、マセソン商会が売らなくとも、他の商社や最終的にはフランスって伝があるから
どの程度の効果を期待できたか疑問。

ぶっちゃけ、戦争を長期化させたいから圧倒的優勢に見える幕府軍の戦力強化を敬遠したか、
売掛金の回収に不安でも生じたかってとこではないだろうか。

あと、ジャーディン・マセソン商会の仲介でイギリス留学したのは、桂小五郎じゃなくて
伊藤や井上を含む長州五傑の間違いじゃないか?
彼らは工学・鉄道・造幣の技術を学んで帰り、明治にはそれらの分野の重鎮として活躍している。
恒久的に日本に兵器を売りつけたいなら、工業生産性を高める工学や鉄道技術を学ばせちゃダメでしょ。

364:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 12:54:32.22 JbZUnlE80
技術は結構簡単に盗めるもんだけど、
(事実、戦国時代末期、日本は世界一の鉄砲輸出国だった)
金が継続的にないと大量生産のための投資はできない。

365:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 13:52:34.09 0uZ6cU6Q0
英国へ留学した長州五傑は、
井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の
5名の長州藩士ですた。

>アームストロング云々なら佐賀藩で自作していた事はどうなのかね。

買っただけで、自作はしていない。

>ぶっちゃけ、戦争を長期化させたいから圧倒的優勢に見える幕府軍の戦力強化を敬遠したか、

自分の商売がらみとは言え、それも結構な薩長支援じゃね?

>恒久的に日本に兵器を売りつけたいなら、
>工業生産性を高める工学や鉄道技術を学ばせちゃダメでしょ。

黄色人種全般を馬鹿にしていて、技術を教えたところで、マサかドイツ並みの製造業を
日本が立ち上げるとは、この時点では予測していなかったんだろう。

だいぶ後の話になるが、ニクソン訪中の直前にキッシンジャーと周恩来が秘密交渉しているんだけど、
その時にキッシンジャーが
「日本がこれほど経済的に誇張するとは思わなかった。日本を大きくしすぎた事を反省している。」
って周恩来に言う場面がある。これって白人の本音じゃネーのかね?

周恩来も、これを受けて
「日本が台湾の独立運動を支援したり、自主防衛や核武装する事をアメリカは阻止して下さい。」と言い、
キッシンジャーも了解している。

バブルの頃は、FSXの国産を妨害されたし、NOと言える石原慎太郎が、米中両国から嫌われる理由はこの辺りかと。

366:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 15:14:55.04 5z8WbHfK0
>>365
幕府発注のアームストロング砲のその後については今一よく分からんが、
結局鳥羽伏見には間に合ってないんで、そこまで薩長支援って訳ではないのでは。
前年に入荷してるようだし、本当に支援したいならもっと早く渡してるんでないかと。

まぁアームストロング砲自体、特に活躍したと言われるのも上野戦争ぐらいで、
それも佐賀藩所有の6ポンド軽野戦砲らしいから、ぶっちゃけどの程度の価値があったか疑問でもある。
お前ら最新兵器って売り文句に飛びついたんちゃうんかとw
せめて何ポンド砲が発注されたのか分かればなぁ。

あと、技術の吸収力について甘く見てたとしても、最初は外国人技師に頼らざるを得ない訳で。
その辺の判断材料与えるのは、収奪目的としてはマイナスだと思うんだよね。
結局明治政府は、鉄道の経営権を海外に販売するのは禁止しちゃったし。
幕府から買ってた経営権まで無効宣告されたのはザマァだがw

367:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 16:00:02.55 T0ysT2wT0
>結局鳥羽伏見には間に合ってないんで、そこまで薩長支援って訳ではないのでは。
>前年に入荷してるようだし、本当に支援したいならもっと早く渡してるんでないかと。

鳥羽伏見の戦い時点でアームストロング砲を持っているのは、鍋島藩だけで、薩長は持っていない。
上野戦争や会津の攻城戦の時は、薩長は、鍋島藩から借りているだけ。

グラバーにしろジャーディン・マセソンにせよ、鍋島藩に売って、なんで幕府に売らないのよ?
って感じだ。その辺に外国商社の恣意性が感じられる。
まっ薩長にアームストロング砲を売っていないから、露骨な薩長支援はしていないのだろうが…

アームストロング砲を薩長にだけ売って幕府に売らなかったら、グラバーは幕府向けの商売出来なくなっていたかも、
下手したら、攘夷派の旗本に斬られるなw

>あと、技術の吸収力について甘く見てたとしても、最初は外国人技師に頼らざるを得ない訳で。
>その辺の判断材料与えるのは、収奪目的としてはマイナスだと思うんだよね。

清朝も徳川幕府も最初は買うばっかりだったけど、
数年したら、幕府の兵器廠?が炸裂弾を造り始めたり、小栗が“慶応の改革”でアジア最大の造船所を建設したり、
艦船の国産化を言い出したりして、外人たちも次第に幕府と清朝の違いが、判り始めたんじゃないかな?

日本は、国産と輸入の併用で出来れば国産という志向があったけど、清朝は、日清戦争の頃でも輸入ばっかり。

清朝と幕府の兵器輸入政策は、ホンの数年で違いが出ている感がある。

368:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 20:04:42.44 f55yfpz40
>>366
アームストロング砲は秋田戦争などでも活躍しているよ。

369:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 20:17:58.13 /TkvJhdJ0
アームストロング社製でも艦載重砲は破裂しまくりの欠陥品

370:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 20:36:54.07 yaNzQzIC0
「幕府に西郷や大久保の様な大人物居ねーから無理勝てねーから」by慶喜
これが全て

371:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 21:08:04.30 iz2H1qeR0
それは鳥羽・伏見の戦いで負けて帰ってきた上に、大阪城に籠もりましょ、と松平容保らが言い張るから
お前らは大軍を擁し、大見得切って飛び出しておいて、ここまで負けておいてそんな器か、という意味の言葉のあやなわけ。

勝てば問題はなかった。問題は会津ら旧幕府軍が惰弱だったこと。

372:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 21:36:44.31 9CwWlNfG0
為替で財政流出して改革費ねえだろ。北海道担保にしようとしてたぐらいだろ?







ちゃんと調べてないけどwww

373:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/08 08:39:29.78 5UOUDAVn0
>>349
あれは幕府政権下の箱館奉行が認めたものを
蝦夷共和国と明治政府がどちらも追認しただけ。
んで明治政府が莫大な違約金をとられた。
まあ榎本は確信犯だったかもしれないけど。

374:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/08 18:41:37.55 7NeYOYkC0
>>368
ああ、秋田戦争ね、成程。
そこまで記録に残ってるなら逆に、グラバーが引き渡し拒否ったアームストロング砲は
一体どこ行ったんだろうな。
薩長の手に渡ってたら、どっかの戦線で使ってその記録が残るだろうし。
可能性としては、新政府軍にも引き渡されなかったか、重砲クラスで
野戦での運用なんか出来ない代物だったか、ぐらいかなぁ。
>>367が正しそう。
ちなみに、清は洋務運動で、製鉄所や造船所作って武器製造を行ったりしてるぞ。
いかにもあっちの国らしい理由で失敗してるが。

375:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 13:13:58.31 6iI1qqv60
>>357
>関税収入が、順調で幕府の税収は確保され、財政破綻はしていない。

関税率が引き下げられたため、収入が大幅に悪化した。財政破綻している。
下関事件の賠償金も払えなかった。
また国内においても酷いもので、長州征伐の失敗で500万両以上を無駄に使い、
その費用は御用金で捻出しており、幕府の金ではない。

>大政奉還直前に幕藩体制から郡県制に移行する事を慶喜が表明している。

もう幕府がつぶれた時の話だろ、そしてそんなことが実行できるわけもなし。

>構想だけで、実現はしていない、外債の起債が失敗した時点でもうこの計画は危うくなっている。

この時点で売国奴の発想なんだが、そもそも郡県制は構想のみであったといい、
敷設権を与える事は構想のみだから問題ないというのはただのダブスタに過ぎない。
基本的に幕府の艦船購入や、製鉄所や港湾の建設などの費用は全部外国からの借款が前提であり、
それが無理なら、破綻するものでしかなかった。
フランスからの莫大な借款は、フランスの優先購入という生糸の独占を許すものとの交換条件であり、
フランスは相場の半額以下で日本から買い叩いていた。

さらに慶応の改革の問題点をあげれば、日本の流通などもフランスにかませるというものまであり、
正直幕府は自らが存在する為に、日本を切り売りしようとしていたとしか思えない。

ちなみに明治政府は外国人の起業なども厳しく制限していた。
そうやってまず日本国内の産業を守る事が必要な時代だったんだよ。


>だから「慶応の改革」は、外債の起債が失敗して、旗本の領地半分を使って費用を捻出したの!

違うだろ嘘つくな。
旗本の領地収入の半分を収めさせた収入で作り上げたのは、幕府歩兵隊だ。
軍制改革も確かに慶応の改革ではあるが、なんでこれと政治改革まで混同させるんだよ。


376:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 13:27:32.31 vKyzxWDR0
絹利権は大きいからねえ。
蚕種の品質改良をすすめた幕府や絹織の技術を持ち帰った博多の人とかは
もっと評価されてもいいとおもう。

377:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 13:32:26.56 vKyzxWDR0
ちなみに俺は長い間「越後のちりめん問屋のご隠居」の「ちりめん」を絹のことと知らず
シラス(ちりめんじゃこ)を連想していますた。

378:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 17:57:16.40 4esNBwgl0
改税約書だっけ。
当時の列強の常識とは言え酷いもんだ。

379:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 21:01:10.73 zhN/zpHj0
>>375

いろいろ言うけど、結局幕府はフランスから金借りる事に失敗してね?

380:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/09 21:53:10.03 hOKv4mDL0
>>379
この文は、>>357が嘘という趣旨で書かれたもので、別にその部分は否定していないと思う。

381:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/10 16:29:13.91 lyY2HQba0
>>380
この分は>>347が嘘という趣旨で書かれたもので、別にその部分は否定していないと思う。

382:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/10 17:13:01.02 RBiEtOsu0
>>381
>>347は正しいと思うが。
嘘だらけの論証なしの>>357を論じられるのが、そんなに嫌なのだろうか。

383:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 02:20:19.75 +ruQHGX0O

結局、大平洋戦争に続く!

あんな馬鹿な大平洋戦争は、政治経済問題と共に、幕末維新の幕府軍の末裔の意識の裏返しがある!



384:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 04:00:57.99 biUBvJjB0
三国干渉の頃までは物事を客観的に見て現実的な判断が下せたんだがな
メンツを捨てても国を守れた

日露戦争で勘違いしちゃったんだな

385:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 06:06:30.90 CWByOfz+0
現実的な判断が何かという話だけどね
物質で勝つ戦争すべきなのは至極当たり前だけどアメリカならともかく
他の国からしたらほぼ戦争理想論に近いし
当時の指導者立場からしたらあれが地に足ついた現実的判断なんだろう

386:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 11:20:49.54 Rljzyzwv0
>>385
日本語でおK

387:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 12:09:10.42 YY2SD3cI0
お前が理解できないからといって誰もが理解できないと思わないほうがいい

388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 12:16:37.25 Rljzyzwv0
意味不明だよw

389:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 12:24:58.02 Zw+1tyRC0
>>379
最初の借款は成功したが、追加借款は難航しており、交渉中に幕府が滅んだ。

390:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 17:33:07.87 asidz2/h0
>結局、大平洋戦争に続く!
>日露戦争で勘違いしちゃったんだな

幕末明治の戦争と太平洋戦争をつなげない方がいいよ。問題の質がまったく違う。

明治以前の戦争の主題は「いかに日本を守るか」だった。
そういう意味では、国防や国益をキチンと考えている。
昭和期の戦争は、ほとんどが軍閥の勢力拡大に端を発している。
政治家などの議会の方は、戦争なんかしたくなかったが、軍部や軍閥の方は戦争が起きた方が
自分達の権限や資金が集まる為、戦争を起こそうとして事件を起こした。
国或いは国益なんて考えてねぇもん。
日中戦争が特にそう。その日中戦争で中国側にたったのが米国などの連合国で、
太平洋戦争の原因は、日中戦争にある。


391:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 18:06:45.54 AEp7lCKt0
国益を考えてああなったんでわ
政治家などの議会は我が身の保身しか考えてなかった
アメリカはずっと満州利権狙ってたし

392:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 20:20:29.05 asidz2/h0
国益を考えてたら
”議会を通さず、参謀本部といった軍中央にも相談せず、ナントカ事変”なんて起こさないでしょ。
個人的利権や権力拡大の為にやったから”謀略的事件”になっとるわけで。


393:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/12 06:31:48.15 MHCPq+xf0
昭和のは全部既成事実と事後承諾の繰り返しの時点でどういう類のものだったかお察し


394:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/12 11:36:30.82 yG2/Trsc0
>>390
甘いよ議会というか議員さんのバックには財閥がいるわけで、
財閥は不況で消費が芳しくないから、戦争需要を当てにしているんだよ。
さらに満州に進出している企業はかなり多い。
そのうちの一つの満鉄の株だけで、東証の株価の一割はもっていた。
その株を保険屋や銀行がもっているわけで、ここが潰れると金融が連鎖倒産する恐れがあったんだよ。
だから彼らも満州の権益を手放すなんて出来ない。

日中戦争とは日本が権益をそのまま持とうとした事と、
それを奪還しようとした中国の戦いなのさ。

在日米軍基地に特攻しかけたようなもんだ。

395:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/12 13:48:33.54 ARr07uud0
まぁ戦前は国民感情的にも、満州放棄は無理だったと思うけどね。
ただ張作霖爆殺と満州事変ってやり方は……

396:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/14 00:15:06.63 IC8Xm1ay0
直ちに放棄しろとは言ってないんだな。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/14 07:59:23.51 a5///+6F0
政治家も内田外相の焦土演説が受け入れられたのを考えると満州国を肯定してたように思えるけど。
まあ犬養みたいに粛軍とリットン提言に近い線での満州処理を考えてた政治家もいるんで一概には言えんけどな。

398:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 02:11:36.79 xm3TMv5h0
生糸利権フランスに売り渡そうとした小栗の父祖伝来の領地が養蚕王国上州だったというのが
皮肉めいて面白いんだろ。歴史の妙な必然。
小栗の功績、横須賀ドックは軽工業(紡績)で数十年経験積んで、重工業に移行した時に
やっと役に立った。我が国唯一の資源、生糸利権売り渡してれば無駄。

399:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 02:48:44.96 vov+57J3O
>>397
満州国に関する犬養の答弁やインタビューはかなり苦しいけどなw

経済建て直しには新興財閥の更なる成長は不可欠な上に、予算を突っ込みたい化学・軍事関係は旧財閥より新興財閥の方が積極的。


もし満州放棄になればこの新興財閥が一気に離れ、経済も更に失速という。


ジレンマってやつだな

400:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 02:54:09.44 YM4H6hUN0
日明貿易を牛耳る大内氏が絹利権に目をつける

満田彦三郎が大内の手引きにより広州で修行し大陸の絹製法を持ち帰る

博多織や西陣織等絹織物が大きな利権となる

生糸の需要も高まり南蛮人が絹の転売で大儲けする

諸藩が蚕の改良に尽力する

生糸、絹織物ともに中国水準に迫る質を得る

養蚕製糸が殖産興業の主力になる

富岡から三河へ紡績が広まる

豊田佐吉が自動織機を作る

挙母町に自動車工場が設立される

人工繊維の開発で絹需要が激減

自動車産業全盛期へ

歴史って面白いですね。

401:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/17 14:28:08.49 lSbE5xg/0
つながってるからな

402:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/17 21:19:40.49 cZHAze0Z0
そろそろ話を幕末に近づけましょう。

戊辰戦争に勝利した新政府は、長州藩の大村一派と薩摩藩の海江田一派により
軍制の策定を巡って対立論争をし始めた。そしてついに海江田一派は長州藩の
大村益次郎を暗殺してしまう。

このような新政府内の混乱をよそに紀州藩(和歌山)が独自の徴兵制を敷いて
ドライゼ銃とクルップ砲で武装したプロイセン式農兵軍を組織し、地理的な優
位性と徳川宗家16代当主の田安亀之助が紀州徳川家の縁者である事などもあり
同藩は軍事的に台頭しつつあった。
また、この動きに、土佐藩が同調する動きも有った。

大村の後を継いだ長州奇兵隊出身の山縣有朋は、紀州藩の動きに危機感を覚え
て薩摩との協調に転じ、山縣の依頼を受けた西郷隆盛は、1871年(明治4年)
に中央政界に復帰して御親兵(後の近衛師団)に各藩の藩兵を拠出させて改組
し、これを中央軍とする体制が暫定的に発足し、この御親兵の軍事力を梃子に
して廃藩置県を新政府は断行した。

江戸城開城以後も薩長に軍事的に対抗する動きを見せた土佐藩や紀州藩の軍事
力を廃藩置県という大義名分の下に解散させた。

403:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 01:36:05.35 36O2hM9c0
16 名前:日本@名無史さん :03/02/10 03:22
行軍隊形に京都へ進軍したから。
旧幕府側はあの場で戦争するつもりはなかったから。
以上の原因から生ずる初日二日目の旧幕府軍敗北で旧幕府側は
後手後手にまわり、これと心中したくない土佐、淀、津各藩現場部隊は、
隠居や藩主の意向などおかまいなく錦の御旗にすがりつき、
旧幕府軍敗退に拍車をかけた。

404:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 22:13:45.37 QbVNpUxS0
淀藩、津藩はともかく土佐藩は、幕府軍を裏切ってはいない。

幕府軍が、鳥羽伏見の戦いに負けて大阪城に撤退した後も土佐藩は幕府や会津藩と連絡を取り、
京都への最進撃を要請してきている。

特に官軍の兵力と食料弾薬のの不足の情報を提供しており、再度の進撃が合った場合、
鳥羽伏見の防衛線で官軍は守りきれるか判らなかった。

405:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/20 02:23:23.47 eSGS9HJ50
>>404
土佐藩は四日には新政府側として参戦してるぞ。
しかも敗退した後に進撃とか、三分の一の数の薩長だけでも勝てなかったのに
日和見して裏切った淀藩や津藩だけではな無く、旧幕府側として出兵していた
小浜藩も新政府側に恭順しだした情勢では無謀だよ。
士気の面でもね。

406:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/22 14:33:49.86 keUABWZI0
幕府のまま近代化していたら朝廷の位置づけはどうなっていたのだろう。
ローマ教皇のようなものと説明するのだろうか?

407:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/22 15:37:09.59 iKEhZOg40
西南戦争終わるまで
一般市民のとっては天皇って地味だったろ

408:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/22 17:43:50.86 bwsBG1At0
庶民でも論語や孟子くらい読んでいた。
その中の「正名」という概念について学べば
武官の長にすぎない「将軍」と呼ばれる者が
「帝」と呼ばれる存在をさしおいて
実質上最高権力者の地位にいる事を奇異に思わないはずがない。
そういう議論は幕末までには庶民レベルまで相当浸透していた。
庶民というのは下級武士も含むからね。

409:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/22 18:04:15.44 keUABWZI0
易姓革命も辞さないという強い態度で臨んだらお公家さんはへたれ
だから、宗教上の指導者ということで祭り上げられるんじゃないか。

410:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/23 12:12:33.06 2t0iOnr30
下級武士は幕藩体制で固定化されている身分制度を打ち壊すために
勤皇を利用したって側面も大きいけどね。
要するに成り上がるには将軍すっ飛ばして天皇に直接ぶら下がるのがいいと考えた。

411:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/24 13:22:13.81 Z9JN689I0
光格天皇のとき、御所千度参りとかいうのがあったのを考えると、
少なくとも近畿では神社的な存在感はあったんじゃないか?w
あと庄屋とか豪農辺りだと教育受けて勤皇に走ったのもいるから結構知られてただろうし、
寺子屋の多かった辺りは農民でも知っていたかもしれない。
伊藤博文や山県有朋だって、元は中間だしね。

412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/24 21:33:46.75 lDTJ3fkS0
長州藩の場合は国内でも二番目の数の寺子屋があって、
けっこう教育に熱心な藩だったからねえ。
農民をある程度教育していたのは、岡山藩(寺子屋の数一位)と長州藩くらいのもの。
そしてだから勤皇藩に長州藩はなったといえる。

413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/24 22:33:41.76 mua/5ZeP0
勤皇の結果、神がかり対米戦争に突入だけどな。

414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/25 13:49:40.62 p/wwS9Zl0
外様の藩士なら特に勤王の論理に飛びついただろう

415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/25 14:41:15.08 2NVp0XRq0
一番物凄い勢いで飛びついたのは親藩の水戸だけどなw

416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/26 20:26:00.72 7cjsw/eS0
尊皇攘夷は当たり前の常識。
尊皇攘夷を政治実現化すると勤王になる、なぜ勤王か。
攘夷の為には上下左右の軋轢を廃し日本を一つにまとめる必要がある。
幕府は諸侯の中で大いなる盟主に過ぎないから、日本の旗になるのは不可能。
結局天皇以外なしとなる。

417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/26 23:57:49.93 4f2QJFrC0
天皇抜きに出来なかったのが当時の日本人の弱さだな。

418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/27 01:03:08.67 VqUUL52d0
権力を持たない権威という点で都合のいい
天皇家という中核がいたことが当時の日本の強みだな

民主主義はよほど成熟しないと権威と権力の分離が上手くいかない
共和制国家は統合の中核を欠き、
王政国家は権力の専横のリスクがある
だからフランスですら王政と共和制を行ったり来たり動揺していた


419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/27 06:54:21.36 U5t82uyw0
日本の場合幸い、天皇家は西洋における政教的役割も兼ねてる。
欧米の場合はナポレオン戦争や独立戦争の攻伐から、挙国攘夷体制の国民国家を作り出した。
その点日本は言語習慣風習が同じ単一国で、皆尊敬する天皇家という人工では作れない権威象徴がある。
皆尊王だったから大きな内乱なく、封建体制や身分制を廃し国民国家を成立できた。

420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 05:09:24.33 3O1HL39B0
>>405
土佐藩兵は、幕府軍とほとんど戦っていないのが現実。
>>410
それは、その通り、徳川将軍家のオールマイティーを打ち消す為に、皇室を持ち出した。
ある意味、明治天皇が徳川慶喜に成り代わって廃藩置県や富国強兵を行った。
>>417
今でも日本人には天皇家は欠かせない、必要ないのはブサヨとチョソとシナだけ。
民主党のデタラメぶりを見れば、出来れば天皇に拒否権ぐらい与えても良いくらいだ。
>>418
フランス革命政府は、ルイ16世のクビをちょん切ってから“理性の祭典”なんてのをやっている。

421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 06:37:30.13 AgXYJAVCO
きんのー

422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/04 09:40:44.84 0takiqB90
>420
リヒテンシュタインですか?

423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/04 16:09:06.65 AA2JbzZf0
フンガー

424:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/16 11:52:45.75 f4vVOKa/0
桃山時代には大砲を安宅丸に搭載した徳川水軍がいたのに
それらはどこにいった?

425:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/17 02:54:27.22 HV9jIlfm0
海軍は維持費が馬鹿高いので解体しました。
大船建造禁止令があるからいいじゃない。
商船利用しようにも、一本帆だから切り上がり性能が良くなくて風待ちは必須だし、
沿岸航海に特化してるから、大挙してやってくれば絶対どっかで見つかるし。
商船に偽装して建造しようにも、一本帆は大型船に向いてない。

426:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/15 10:25:45.00 L7rogHm/0
御三家の尾張、紀州はヘナチョコすぎた。

427:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/16 01:38:14.44 SApfssfw0
尾張は第一次長州征伐で幕府に面目潰されたのが大概だと思う。
紀州は第二次で頑張ってたし、鳥羽伏見じゃ出た頃には負け確だから
情状酌量の余地があると思うw

428:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/19 11:29:07.59 UZ07duQ10
諸国名産魚名尽し

尾州の川魚 大海の魚にはましり難たし
水戸の人魚 あるか無いかわからない
紀のごまめ 魚ノ数のみとるにたらず
備前 鮫  かまぼこより外しかたなし
因州 初かつを 皆人々好く
田安 池の魚 大海へでて、うつけばかり
安藤(信正) 南風(はえ)にあたった魚 腹わたが腐っている
久世広周 車海老 味あれども骨がたりない
薩州 鯨  動き出しては大騒ぎ
長州 ボラ 作り身にして鯛に続く
土州 かつお なくてはならぬ
肥州 鰐の子 成長の後恐るべし
芸州 馬鹿貝のむき身 魚の数にいらず
鍋嶋 鰐 呑みもはねもする恐るへき勢い

429:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/04 14:24:53.17 YKoNZWLK0
関東連合
URLリンク(ja.yourpedia.org)

430:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 14:40:11.65 xM1hbJYEO
>>427
尾張は幕末の悲劇が、ありましたからね。

紀州は独自の改革は、凄かった

431:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/17 09:21:15.13 dIKEvGtH0
指揮官が自分だけ逃走するが一番萎えるよな
小笠原壱岐守とか徳川慶喜とか

432:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 20:26:40.43 N5nwPYe70
>>431 現代では佐々淳行とか。

433:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 21:35:58.81 WT30XbD90
・・・

434:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 16:09:18.44 XVFmncb00
>>426-427
紀州藩は、戊辰戦争終結後も独自の兵力を誇り、薩長を牽制していますよ。
薩長は、徳川本家(天領)や東北地方を制圧しましたが、まだ土佐と紀州が組んで薩長に対峙しています。

東京で御親兵が急遽設立され、
廃藩置県が強行されたのも薩長が紀州藩や土佐藩の素早い武装解除を目論んだ面があります。

435:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 08:44:59.84 DjVPk6Cf0
1884年,藩士からの勲功華族(維新・戊辰・函館の功)

薩摩
侯爵:大久保。
伯爵:大山、川村、黒田、西郷従、寺島、松方。
子爵:伊東、樺山、高島、仁礼、野津。

長州
侯爵:木戸。
伯爵:伊藤、井上、広沢、山県、山田。
子爵:鳥尾、三浦、三好。

土佐
伯爵:佐々木。
子爵:谷、福岡。

肥前
伯爵:大木。
子爵:中牟田。

筑後
子爵:曾我。

436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 08:45:14.64 DjVPk6Cf0
1887年,藩士からの勲功華族(維新・戊辰・函館の功)

薩摩
子爵:岩下方平、森有礼、吉田清成。

長州
子爵:青木周蔵、杉孫七郎、野村靖、林友幸。

土佐
伯爵:板垣、後藤。
子爵:清岡公張、田中光顕。

肥前
伯爵:大隈。

その他
伯爵:勝安芳。
子爵:田中不二麿、香川敬三、福羽美静、渡辺昇。

437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 13:31:57.76 zs6bH/bY0
幕府のアームストロング砲35門の輸入計画。
何でジーディン・マセソンやグラバー商会は、邪魔するんだよ。


アームストロング砲35門が、江戸城や大阪城に配備されていれば、戊辰戦争は幕府の勝ちだろ。

幕府もアームストロング砲にばかり拘らずにクルップ砲の輸入も併行して行えば良かった。

幕府海軍旗艦「開陽丸」に搭載されているクルップ施条砲は、
デンマーク戦争で威力を発揮し欧州でクルップの名をとどろかせた。

「開陽丸」に搭載されているクルップ施条砲は、
海上試射距離3900メートルなどの高い試験結果を残し、アームストロング砲を上回る性能を示した。

この為にオランダ海軍軍人さえも「オランダ海軍にも開陽に勝る軍艦は無い」と言わしめている。

アームストロング砲35門が手に入らなければ、幕府も他の武器商人に手を回して、
クルップ施条砲をそれ以上に輸入して江戸城や大阪城、駿府城、甲府城に配備してやればよい。
官軍は、これらの城に近寄れなくなる。

スネル兄弟からも幕府はガトリング砲を数十門買うべきだった。

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 17:15:42.06 9/PSJq600
>>437
つか、普通に仲良かったフランスから買えば良かったんじゃね?と思うんだが
もう軍機でも何でもなかったから、迂回輸入でも出来たでしょ
アメリカにしても、たしか甲鉄の兵装とかアームストロング砲だったし

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 19:38:45.05 m8RUMRw+0
クルップ砲は、ドイツだからフランスからは買えない。
ガトリング砲も実用化しているのはアメリカだけだったはずだが、大政奉還以前なら幕府も大量に買えただろうな。

まあ幕府は、ジーディン・マセソンやグラバー商会だけじゃなくてスネル兄弟からも購入すべきだったね。



クルップ砲35門、ガトリング砲50門、あと甲鉄艦が手に入るまで幕府は、開戦すべきではなかった。

440: 忍法帖【Lv=3,xxxP】
11/12/22 19:40:54.82 DjVPk6Cf0
火器の発達
 1777年 (仏) 軍用燧石銃の決定版完成
 1848年 佐賀藩 火縄銃を廃し燧石ゲベール銃標準装備化
        戊辰戦争発生の20年前に火縄銃は廃棄していた
 1850年 佐賀藩 反射炉の製造着手
 1866年 (英) 前装銃を改良し後装銃としたものを正式銃とした

441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 12:16:08.56 FeH6Ecy/0
>1866年 (英) 前装銃を改良し後装銃としたものを正式銃とした

幕府の関口製造所では、この時期から、先込式エミニー銃を元込式に改造する事も始めている。

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/24 13:10:27.27 c4TASKh80
もし仮にアームストロング砲35門やガトリング砲多数を幕府が入手していれば、
慶喜は、鳥羽伏見の敗戦後も大阪城を逃げ出さず、籠城を続けた可能性が大きい。

そうなると幕府艦隊も、
大阪湾の埠頭やその近くから、大阪城を包囲する官軍に向けて艦砲射撃を行っていたかも。
クルップ砲なら4キロ近く砲弾が飛ぶからな。


443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/24 21:52:33.66 i/PLqfyI0
そうなると大阪町民に大被害が出るかも…

薩長軍は、5千人しか居ないし、
西郷が言うように補給が続かないので大阪市内で官軍による虐殺略奪行為が横行するかも。

会津若松市内でも薩長軍による町民への虐殺行為があったが、大阪で同じような事が、もっと大規模に起きていただろう。

444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 13:24:54.66 fmX+gaC30
>>443
官軍による大坂での略奪は実際にあった事だよ。幕府軍が逃げた後でね、
もっとも旧幕軍や会津兵が大坂城に放火して大坂から逃げ去る時に彼らも略奪しまくったがね。


445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 14:52:48.15 OhqX5F070
大阪の民衆が略奪しようとして
トラップに引っかかって大勢絶命したそうな

446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/26 01:11:02.01 MmZjdk2M0
>>444
大阪での略奪はそれほどの規模ではなかったのでは?
薩長も幕府軍が逃げたので、それほど殺気立っていないだろうし。


それに薩長軍が大阪城を包囲しても、土佐や越前、尾張などはあんまり幕府軍と戦いたがらないだろ。

下手すると土佐、越前、尾張は、大阪方の徳川に寝返るかも。

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/26 14:16:30.02 U9T5UPMS0
>>446
そこで寝返るぐらいなら、鳥羽伏見のとき寝返ってるでしょう。
大阪目指して東上してくる徳川軍vs新政府軍の天王山が終わるまで洞ヶ峠では。
尾張と越前は恐らく問題ないが、土佐は板垣などの急進派が上洛した後では
容堂公が寝返ろうとしても上手く行くか微妙。

>>439
初期のアームストロング砲みたいに輸出禁止の軍機扱いになってなけりゃ
どこの国でも買えるぞ。政治的横槍が入らなければ。
フランス経由が独仏関係で難しいならオランダ経由でもいい。
まぁ直接買えるツテが出来るならそれが一番いいんだが。
オランダ製の開陽丸のときはクルップ(前装砲)指定してるし。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 01:40:54.22 JDkuqNY00
鳥羽伏見の戦いの時は、土佐藩兵と幕府軍が出会い頭で勝ちあっているけど、
別に衝突もせず、土佐藩兵が迂回路を教えて幕府軍を誘導さえしている。
上からの命令で土佐藩兵は幕府軍との衝突を避けるように命令されている。

尾張と越前は、鳥羽伏見の戦いでは裏切ろうにも鳥羽伏見に出兵していない。
鳥羽伏見では、薩長vs幕府・会津・桑名・新撰組・新遊撃隊の戦い。

アームストロング砲は、ジャーディン・マセソンやグラバー商会の判断で幕府に売らなかった。

それに開陽丸のクルップ砲は、先込だったのか?かなりの最新式で飛距離もかなり飛んだらしいが。

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 12:05:46.70 G1GswB6b0
土佐って一番ずるがしこい立ち位置だったからなあ

450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 15:41:08.71 WkXzV4NmO
購入するだけの金がなかった

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 04:54:41.44 S2qTe1AU0
幕府には、アームストロング砲35門ぐらい買う金あるよ。
旗本領300万石からの貢租収入半分を幕府が押えた。

旗本はこれに怒っているけどね。


慶喜が、大阪城に篭城をきめたら朝廷は大阪に軍を進めたかどうかも判らない。
議定会議で尾張、越前、土佐が大阪進軍を拒否するだろうし、薩長も補給を
考えてイキナリは進軍しないかもしれない。

特に補給を考えると大阪湾に幕府艦隊が居るのは痛い。

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 08:26:36.19 sFwlfGUE0
>議定会議で尾張、越前、土佐が大阪進軍を拒否するだろうし、薩長も補給を
>考えてイキナリは進軍しないかもしれない。

どちらもありえない。


453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 08:30:44.78 kG8NZ9lU0
幕府は財政難でしたけど
戦費調達はどのようにおこなっていたのでしょうか?

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 09:00:32.23 sFwlfGUE0
>>453
御用金と商人からの借金と欧米からの借金
ついでに給料の支払いの遅延や停止。
長州征伐だけで数百万両の借金ができたので、このときの幕府はすっからかん。

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 19:15:35.05 +T/wIu820
鳥羽伏見で戦わずに大阪篭城だったら>>451の展開はありえただろうな。
三条実美あたりが妥協点を探って開戦を回避しようとしたかも。

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 22:01:38.15 pQWucJDK0
>>455
薩長より圧倒的な兵力を持っている状況で籠城?ありえねぇってw
そんな臆病な兵隊&指揮官なら最初から戦わずに降伏するってのw


457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 01:09:38.71 3b0h0qyK0
慶喜は、一月五日には、
大阪城の大広間に幕閣や諸隊長を集めて、篭城する旨の演説しているんだよ。

でも翌日6日には逃亡しちゃうので、大阪城の幕府軍の崩壊と逃亡が始まってしまう。

458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 08:30:52.86 62Z3BcNV0
>>454
サンクス
貧乏が憎いぜ

459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 15:34:23.83 89BUFD1Y0
>>457
何が篭城を困難にする情報が入ったのかねえ。
流言飛語も飛び交っているし。
当時の慶喜としては朝敵になって次々に機内の諸藩が裏切っていたから、
紀州などまで裏切るかもしれんと判断して早期に撤退を判断したかもしれん。
紀州まで裏切ったら完全に孤立するのでほぼ詰み。

佐幕派の中にはこういう当時の状況を正確に知れるわけがないのに。
後世の後知恵で逃げた事を批判する奴が多くてなあ。
紀州なんて鳥羽伏見の前からどっちつかずの微妙な態度とっていたわけで、
慶喜にそれを信じろというのは無理がある。
越前や尾張まで裏切っているしな。

460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 21:45:49.41 rJyJC6qt0
>>459
慶喜の回顧談や福井藩の松平春嶽、尾張藩の記録を総合すると、

①王政復古による大名議会制を意図する福井・土佐・芸州・尾張が、薩長ら倒幕派と組む。
 王政復古後、徳川家は一大名として政権に参加。その際は議長クラスか薩長(土芸福井尾張ら)と同列となる。
②この路線で、岩倉具視を説得し賛同を得た。結果として岩倉は薩長等倒幕派に京都警備以外の積極的な出撃を禁じ、警備しかさせなかった。
 この件で、大久保利通西郷隆盛が激怒して岩倉に文句を言ったが、岩倉は華麗にスルー。
③慶喜と朝廷との仲立ちに尾張藩主と土佐、福井藩が入り調整を行った。
④結果として、小御所会義の決定事項、徳川に対する辞官納地が有名無実化した。
⑤尾張藩福井藩から、慶喜を薩長と同格の参議として向かえるとの言質を取る。
⑥慶喜は、大坂城に居ながらにして徳川穏健論派の尾張や福井藩の活躍で、明治政府参議の資格で参加することが確定。
 ただし、岩倉が出した唯一の条件「普通の服装で(つまり武装せずに)参内し、これまでの失政を謝すること」があった。
 これが行われれば、徳川家の明治政府の参加が決定的となる。
⑦慶喜は尾張福井土佐藩等からその事を聞き、朝廷よりも参内の命令が届いた。
⑧慶喜は参内する意思を見せたものの、家臣達主戦派が武力進撃論で固まっており、迂闊に動けないと朝廷に返答。
⑨参内上洛の命令が朝廷から出たことを知った主戦派会津桑名藩は、上洛に護衛の兵が附屬する事は当然として出兵を開始。
⑩慶喜、サジを投げる。
⑪大久保西鄕、旧幕軍暴発を聞いて岩倉に錦の御旗を出せと要求。
⑫岩倉、薩長に錦旗を渡さず保留し、警備以外するなと厳命した後、尾張土佐福井藩に調停を依頼。
⑬福井藩松平春嶽、尾張福井藩兵で旧幕軍と薩長軍の間に入り、戦争を阻止しようとするも間に合わず。
⑭鳥羽伏見の戦い発生。旧幕軍まさかのボロ負け。土佐福井尾張藩の努力は水の泡となり、錦旗薩長に渡される。
⑮徳川家朝敵になる。
⑯慶喜、このまま戦えば勝ち、天皇を脅迫して幕府存続できると想像するも、その勝ち方は足利尊氏と同じであり、歴史上比類無き大悪人のレッテルが永遠に貼られる事を恐れる。
 (水戸学では、足利尊氏は毛虫扱いで、現代で喩えればオウム真理教の麻原教祖と同じ評価)
⑰慶喜、戦を止めたくも止められず。逆に戦う演説をした後、会津桑名藩主を連れて大坂城を脱出。
 慶喜の回顧談には、なぜ会津桑名両藩主を連れていったのか聞かれた慶喜は、「あれがいたら(戦争が)始まる」と答えた。
 つまり、大坂脱出は幕府首脳陣を部隊を引き離す事で戦争継続不能=停戦にさせる策だった。


461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 04:21:39.88 bWwDfwkU0
>>459
>紀州などまで裏切るかもしれんと判断して早期に撤退を判断したかもしれん。
>紀州なんて鳥羽伏見の前からどっちつかずの微妙な態度とっていたわけで

これ大間違い。
紀州藩は、どっちつかずではない。断固佐幕派だ。
龍馬が暗殺される少し前に、大垣藩と紀州藩は、在京老中に佐幕派クーデターを建白している。
この計画は、会津・桑名両藩や津、宮津などの畿内近辺の佐幕藩の支援も受けた計画。
朝廷の次期摂政や朝廷諸侯会議議長の就任のウワサが出ていた慶喜は、この計画を強引に辞めさせた。

東北での戦争が終わった後に紀州藩は、領内で徴兵を実施しドイツ式兵法で洋式軍隊を整備していた事から
土佐藩と組んで薩長と対峙する姿勢を見せている。その為に明治新政府は、故郷に帰り始め解散しつつある
官軍の中から御親兵を選抜し東京に設置、廃藩置県を断行して紀州藩と土佐藩を兵力を取り上げる政策を実施する。

紀州藩は16代将軍候補の田安亀之助を抱えていたので、慶喜の大政奉還ですた内心反対している。
さっさと亀之助に将軍職を繋げたい意向だ。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 04:28:51.24 oUWfWjYO0

欧米列強に見放された幕軍に勝利の見込みはないな
中途半端に混乱していれば30年後にロシアのバルチック艦隊が
押し寄せて完全に列強の分断植民地だよ
日本の薩長明治政府は英米の下請け間接支配を選んだんだ
それにより分断植民地を免れ近代化を進める許可を得たんだよ
まあ、列強のロシア対抗の英米下請け防波堤の役割

463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 17:43:25.96 BoL68/sA0
英米下請け防波堤

下請けが、いかに儲からないか、動きに自由が無いか、を知らないアホの発言だなw

下請けになっても何時切られるか判らないぞ、だったら自分で販路確保しろってこと。

464:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 19:19:34.64 nLBaLOnK0
>英米の下請け

そうか?むしろ日本が英米を利用しまくり、いらなくなったらポイ捨てしただろうにw

日露戦争時、ロシアに対し日本単独では勝てないから英国と同盟。英国は日本を利用してロシアの南下を止めた。
しかも、その仲裁役は米国で、戦いが長期化すれば日本が負けてたのに米国は仲裁してしまい日本の勝ちにw。
英国の望む通り日本が勝ったわけだが、その後はロシアと対等に戦える事実をもって英国を利用して不平等条約を撤廃。
しかも大陸にも進出して利権を確保し、英国を利用しまくりながら覇権を拡大。
英国がヤバいと思い、米国もヤバイと思えばこその軍縮条約で軍艦の制限を掛けられ、
英米が日本にひれ伏せと言わんばかりの外交を始めれば、日本は英米をポイ捨てして国連脱退。三国同盟締結でしょw。


465:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 06:52:28.24 iDzjunB/0
バカじゃねw

販路押えている方が、強い立場なのは分かりきった話だろ。

下請けは、販路持って無いからダメなんだよ。

とりあえず、自社のホームページから自社製品を販売出来る様にしとけよ。

自分が生産したものを直接エンドユーザーに販売出来れば、
元請はもとより、お店(小売店)すら要らないんだよ。

ユニクロは、中国やバングラディシュの生産工場と契約して
自社品を作ってもらい、それを売っている体制。だから儲かる。

しかもユニクロは、ネット販売にも力を入れ始めた。
今まで店10、ネット販売1の割合だったが、今では店5、ネット販売1の割合。


466:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/06 13:41:54.09 7nVK4eI30
>>448
開戦当初の土佐藩の動きは知ってるんだが、早々に参戦しようとして呼び戻された部隊もいたやん?
そんな場に、勝手に薩土密約結んじゃうような板垣が来た後では、容堂公が裏切りに動いても
下がどう動くか不安要素があるってこと。
ちなみに史実では、土佐に戻されてた板垣が鳥羽伏見の報を受けたのが1月8日、土佐進発が1月13日だから
そういうジレンマには陥ってないけどね。

あと一応、尾張や越前は鳥羽伏見の頃宮門警備を担当してる。
能動的に裏切りを働けるほどの兵力は無かっただろうけど。

467:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 22:03:05.21 RRE94CuV0
>>466
淀藩と津藩が裏切り、完全に旧幕軍が大阪に引き上げた6日の夜には
大阪の会津藩の陣営に土佐藩からの密使が来て、色々相談している。

その直後に土佐藩本陣に岩倉が来て、押さえ込みに着ているが。

土佐藩の上士の9割が佐幕派である状況から見て、慶喜が大阪城で抗戦
を続ける限り、豊信と後藤が旧幕府側に寝返るチャンスはあるよ。

6日の夜に大阪の会津藩の陣営に来た土佐藩からの密使も慶喜が江戸に帰る
事が無い様に念を押しに来ているし、むしろ再度京に進撃する事求めているくらい。



仮に官軍が、大阪城を包囲しても、
薩長はともかくその他の藩は、旧幕府軍と対峙し続けるか不明だ。

468:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 03:30:00.65 uhmOCSZZ0
長州藩は、ともかく
薩摩藩は、討幕戦争が長引いたら、国元が持たない。

薩摩は、もともと大政奉還以前から京に千数百名の藩士や軍勢を置いていた。
京の郊外に広大な演習場も整備し軍備を整え訓練を重ねていた。

しかし、この規模の軍の在京でも藩の財政が苦しいと言う事で、国元では批判が高かった。
しかも大政奉還で更に追加援軍3000名を上洛させる事を大久保と西郷が求めると
家老の関山礼が公然と批判の声をあげ、鹿児島藩では大騒ぎになってしまった。

結局、藩主の君命で何とか3000名を集めて、大政奉還後の新政府の幼帝の警護と
言う事で上洛を決定した。決して討幕戦争の事は、国元では一切明らかにせず、あく
までも天皇の警備と言う事しか明らかにしなかった。

その後更に鹿児島藩は、さらなる援軍を結成中だったが、当然討幕戦争の事は
一切明らかにせず、天皇警備の名の下での再援軍召集だった。このために大阪で
戊辰戦争が膠着した場合には、鹿児島藩の再援軍の畿内出兵はかなり厳しい事になる。

鹿児島藩の場合には、幕府海軍がおり海路での部隊運送も難しく、薩摩藩の場合、
3000名以上の兵力を畿内に集めるのは困難だと思われる。

その点、長州藩は、陸続きであり、2万人近い援軍が中国地方を通じて、
京に向けて進軍を続けていた。もし仮に大阪城での戦いが始まったら、
長州藩の追加派兵2万人も大阪城の戦いに参加していただろう。

469:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 12:31:11.01 kWXJLWA00
>長州藩の追加派兵2万人も大阪城の戦いに参加していただろう。

でもこいつ等は、スナイドル銃なんか持っていないから。

長州藩も先込式のエミニー銃が、
標準装備の部隊で、事実上幕府軍(特に伝習隊)よりも装備の面では貧弱。

あと長州や薩摩の本国が、幕府艦隊の艦砲射撃の的にもなる。

470:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 12:38:43.47 PTuO8Xs3O
>>469
薩摩には春日がありますから、どうでしょうか。

長州ですが榎本がいれば、第二次長州征伐でも、活躍していたでしょう。

土佐や佐賀はどうしますかね。

471:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 17:54:42.43 jg7fF74i0
慶喜も興奮して正月から戦争する事無いんだよ。

甲鉄艦とアームストロング砲35門が、手に入ってから開戦すればよかった。

アームストロング砲が十数門大阪城に配備されていれば、官軍は大阪城に近寄れない。
薩摩の春日も甲鉄艦に体当たりされて沈没する。

472:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 19:11:50.18 PTuO8Xs3O
>>471
そこは冷静になるべきでしたね

473:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 00:27:41.29 fUJQWsyK0
誰もがそう思ってるよ。諸藩抑えられなかったんだろ。

474:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 01:24:51.10 FC8PpZdQ0
えー、開陽とシャスポー装備の幕府陸軍、薩長の三倍もの兵力をもっていながら、
甲鉄とアームストロング砲数十門持った上に籠城するのか?w

幕府軍ヨワwwwそこまで弱けりゃ戦う前から降伏すんじゃねーのw。
天下の笑いものになるだろうよ大坂籠城戦w


475:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 03:07:45.89 EwT4yEuw0
慶喜が新政府に迎えられる段取りになってたから焦った薩摩が
戦争吹っかけたんでしょ

476:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 14:35:16.22 rTMdTSvg0
>>474
淀藩と津藩が裏切って、朝廷側についたから、兵力差は3倍も無い。

それに丹波でも、佐幕派諸藩の中心だった亀山藩が朝廷側についている。

大政奉還以後に畿内では12~3藩ぐらいが、
もう朝廷サイドに擦り寄っている事を考えると、大阪城篭城も悪くない選択。

仮に幕府側に甲鉄艦とアームストロング砲があれば、
官軍は、どんなに頑張っても大阪城は落とせないけどねw

大阪篭城戦が、長引けば、
土佐、越前、尾張、あたりがぶれ始めて幕府サイドと交渉し始める。

下手をすると土佐藩は、
公然と寝返り、大阪城を包囲している官軍を側面から攻撃しかねないよ。

477:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 17:08:52.77 osLWYMaH0
>>475
旧幕の瀧川が薩摩に「無理矢理通る」と喧嘩を吹っかけたはずですが?
武器持ってけんか腰でやって来たのだから、旧幕軍の方が戦争吹っかけてますよ。明らかにw。
旧幕軍の軍令書にも戦争するつもりで作戦が綴られている訳だし。

478:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 19:28:17.58 IJGIc0qt0
喧嘩を吹っかけたのは幕府軍、戦争を仕掛けたのが薩摩軍だろ。
細かいこと気にしなければ薩摩が吹っかけた戦争という判断で間違いない。

479:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 20:01:58.62 osLWYMaH0
>>478
馬鹿言えw。薩長軍は岩倉具視から京都警備を厳命され、開戦すべしと大久保西鄕コンビが怒鳴り込んでも許さず錦旗も渡さなかったよ。
同様に、岩倉は朝廷の命令として徳川家に普段着での上洛参内を命じた。
これに対し徳川家は普段着ではなく武装して大軍を上洛させた。
薩摩軍がストップをかけたのは正統な行為でしょw。
ついでに言うが、薩邸浪士が江戸で暴れた事をして戦争を仕掛けたというなら、
西鄕隆盛は薩邸浪士に「江戸撹乱中止命令」を王政復古の翌日に京都藩邸留守居役の吉井を通じて出してますよ。
だから薩摩藩は討幕の密勅時は戦争するつもりだったが、大政奉還王政復古時は戦争する気がないですなw。
大政奉還ですら、慶喜に実行すべしと説得したのは土佐の後藤坂本コンビではなく、薩摩の小松帯刀。
『大西郷全集』読めばわかるが、薩邸焼き討ち時の第一報が入った時の西鄕は大慌てし、徳川に先手を打たれたと悔しがってますw。
こうした経緯から、結果的に戦争を仕掛けたのは相楽総三ら一部の浪人達の暴走を真に受けた徳川側です。
さらに言えば薩邸焼き討ち時点時の朝廷、特に岩倉具視は薩摩と徳川の私闘と断じ、朝廷としては不問にしています。
しっかり史料に目を通してから大言壮語せいw。

480:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 20:36:55.81 IJGIc0qt0
>>479
分かってないな。
両者の戦争準備の差が大きすぎるだろ。
岩倉やら三条やらの公家側に対して薩摩が主戦論だったのは認めるんだよな。
封鎖場所に散兵して戦争準備を固めた状態で幕府軍が来るのを待ち構えてたわけだ。
一方で幕府軍は行軍態勢のまま交渉してるわけで、戦端を開く意思がどちらに強かったのかは明瞭でしょ。

481:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 22:47:14.45 fUJQWsyK0
初弾は薩軍だしな。

482:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 14:33:32.44 G7yI7QKp0
開戦したがってたのは薩摩だし、戦端開いたのも薩摩ってのは認めちゃっていんじゃね?
しかしまぁ優勢だった公武政体派がこの進軍のことを政治的に庇えなかったのは、慶喜の上洛命令が出てなかった or
上洛条件として「軽装で」ってのがあったのに一万五千の御先供を京へ進軍させちゃったという事が原因な訳で、
あれだけ親徳川だった春嶽公らも、「徳川と薩摩の私戦だよ」とは言えても「徳川は戦しないよ!」とまでは言えず、
徳川の辞官納地問題の時は味方してくれた諸侯も離れていってしまった訳で。
いつ干渉されず京に入れると錯覚した?というか、正直なとこ滝川&竹中あっめぇー!と思う。
まー勝てば問題なかったんだけどさ。

>>469
その質的にも数的にも優勢な幕府歩兵隊の殆どが出撃したのが鳥羽伏見の戦いで。
それが劣勢な新政府軍相手に連戦連敗したってのも、慶喜が大坂城退去した理由にあると思っている。
あと大坂城篭城してから通商破壊開始しても、敵の後方が動揺するまで持つかどうかが問題かな。
要所には砲台があるし。

483:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 23:18:49.97 bjPmjwod0
>>469
長州征伐では少数の長州艦隊に追い回される幕府海軍の姿が往々にして見られたという。
ていうか幕府海軍がまともなら、門司に渡航攻撃されてないわw

また篭城しても援軍の宛がないわけで、餓死するだけだろ。
引きこもっている間に尾張や越前が新政府ついているわけで、
この時点でもう幕府軍は孤立している。

484:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 23:29:43.11 Jq5pGHY00
>>483
高杉晋作が幕府側の準備完了直前に奇襲して物資を焼き払うために付近の漁師に進捗を偵察させたり
民間船に偽装して奇襲をしかけたる便衣兵的な戦術を多用しているので
対応が後手に回るのはやむをえないかと。

485:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 00:50:28.57 bxmbMWj60
対応できなかったのは別に民間人の犠牲を恐れてたからじゃないだろ
幕府軍の無能は長州のせいではない

486:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 08:07:33.13 NirJR2Qb0
大島口で住民のゲリラ行為に対応をした幕府歩兵隊や松山藩は
「住民虐殺を行った」と周辺諸藩に批判されてしまった。
そのあたりを考慮すると隠れ戦闘員への対処が奥手になってしまうのでは?

487:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 14:21:37.59 bxmbMWj60
大島で住民が幕府軍に反抗したのは、幕府軍が先に艦砲ぶちこんだり、村焼いたり、略奪暴行したからだろうが。
これをもって「ゲリラ行為に対応」とはよく言ったもんだなw

488:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 15:22:00.54 fhBERmZa0
>>486
>ゲリラ行為に対応

これは間違い。佐幕諸藩の記録を見ても、無抵抗の住民に幕府艦隊からの上陸兵が一方的に略奪暴行を行っている。
どうも、自分の兵に対して不当な高評価を下す傾向が、この佐幕派擁護の人には見える。

489:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 15:37:40.84 OsR9OErx0
殺害とかの件については、幕府歩兵隊は冤罪じゃなかったっけ?
遺棄された家屋や家具を勝手に使ったり、家畜や備蓄食料なんかを勝手に食ったりする程度の狼藉は
あの時代はどこの戦場でもあったことだし。
住民に暴行したり殺したりをやらかしたのは松山藩兵だったかと。
殺した人数もそう多くないと思うが、そりゃまぁそんなことしたら住民も命懸けになるよね。

>>484
便衣兵は主に逃げる連中だろw
あと船を民間船に見せたり他国船装ったりするのも割とよくあった。
宮古湾海戦で回天丸が接近に使った偽装も、19世紀欧州ではしばしばあった戦術。

>>483
榎本指揮の幕府海軍なら頑張れると思われ。蝦夷周りの海戦でも、劣勢でも逃げてないし。

490:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 22:31:38.95 kso7KosM0
>>482
野戦と大阪城のような天下普請の大城での篭城戦とでは、
まるで違のだけれでも、慶喜はチキンでその点の見分けが出来なかった可能性は確かにある。

ましてや大阪城にアームストロング砲が、配備されていれば、官軍の方が打ち崩されたであろう。

返す返す、幕府側は、甲鉄艦とアームストロング砲35門を入手してから、開戦すべきだった。

>>483
>また篭城しても援軍の宛がないわけで、餓死するだけだろ。
>引きこもっている間に尾張や越前が新政府ついているわけで

援軍のアテ有るだろ、関東から。
食料だって、武器・弾薬も含めて、
大阪天王寺に置いてあるから、それを突貫で大阪城内に移せばよいだけ。

尾張、越前は、大阪城の戦いが長期化したら、一番先に動揺するところ。
官軍サイドの一番弱い輪でもある。

491:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 04:03:41.28 64YQR5mc0
>>489
広島でもやらかしているから冤罪とはいえんな。
大島みたいに住民を真っ先に襲ってはいないが。
略奪、住居の占拠、撤退するときには敵に利用されないように焼くのは当たり前。
まあ長州のほうも最初はガンガン火をつけて焦土にして、敵の拠点にされないようにしているけどな。
最も長州はその後浅野からナニカ言われたのか、占領地の村長あたりからナニカ言われたのか、
途中からはそういう行為はやめて、住民に炊き出しとかまでしているが。

492:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 18:14:57.93 +z4IeHsC0
>>490
野戦と篭城戦は確かにまるで違うが、実は野戦より篭城戦のが遥かに難しいんだわ。これが。
もちろん局所戦などにおいては篭城側が防御設備のある分かなり有利になるんだが、
篭城は能動的な行動をかなり採り辛いため、士気の維持が最も重要で最も至難な要件になる。
士気が落ちれば内応して助かろうという輩が出てくるし、古来内応を許して落ちなかった城は殆ど無いから。
しかもこの場合、橋本の敗戦で壊走した直後で一部強硬派以外の士気が落ちてることと、淀藩や津藩の離反を
目の当たりにしてしまったという悪条件も重なっている。
また、包囲側は古来と同様、情報を遮断して城内の不安を煽ってくる。
こういう場合の旧幕府軍の弱点だが、全軍が幕府歩兵隊の様な慶喜直轄の軍ではない為、最悪の場合は歩兵隊や
会津以外の部隊が丸ごと内応することすら考えられる。
そして篭城戦が長引けば長引くほど士気は鬱屈し、逆に疑心暗鬼は蔓延する。
武器も兵糧も十分だった小田原城が落ちたのは、篭城特有のこの病症が限度を越えて進行したため。

そもそも篭城はそれそのものによって敵を撃退するのが目的ではなく、後巻などの援軍を得て敵を撃退するもので、
特にこの場合の様に篭城軍が多い場合、後巻と協同して包囲軍を挟撃するという必殺の作戦も夢ではないんだが、
1万5千の軍で勝てなかった軍を相手に勝利できる部隊がどこにあるかという重大な問題がある。
特に重要なのは、軍配表の通りこの1万5千には慶喜が鍛え上げた幕府陸軍の中でも最良の部隊の殆どが参加してること。
関東以東の諸侯軍は会津など以外無傷だが、これらの部隊に匹敵する装備や練度を持った軍などどこにもない。
しかも時間が経つほど薩長の軍は東上して来るし、仙台藩など東の大藩がこの時点では態度を決定していないというのも不安要素だった。
そして関東からの援軍が来なかったら或いは壊滅したら、本当に大坂城は落ちるのを待つだけになる。
強硬派が橋本からの敗走直後にも関わらず城外決戦を主張したのは、これらの事も考えていたからだと思われる。

そして城門の様な狭い所から打って出るぐらいなら、強硬派が主張した通り野戦で決戦を挑んだほうがいいんだが、
それにしたって何か名案がある訳でもなく。それで勝てるなら鳥羽伏見か橋本で勝ってただろうと。

正直、慶喜が大坂城を脱出して江戸に帰ったのも仕方ないと思うわ。

ちなみに、アームストロング砲と一口で言うが、アレにも色んな口径があってな。
小口径の野戦砲が活躍した記録はあるんだが、艦砲や要塞砲に使用される大口径砲の方は
薩英戦争での尾栓の不備で早々に破裂して以来、どっかで活躍したって記録もない。
野戦砲の方を大坂城に据え付けても、強襲を受けるまでは敵の砲兵戦力を打ち崩すぐらいしかやることないぞ。
強襲せず包囲だけなら土壁などの野戦築城でも被害はかなり軽減できる上に、篭城側の弾薬は有限という重要な問題がある。
もちろん、包囲軍が城を強襲するとなったら、十分な脅威となるだろうが。
砲だけで打ち崩すとか、野原に棒立ちの戦列歩兵相手でもないと難しいぞ。

493:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 19:18:36.44 64YQR5mc0
>>490
主力が大阪に閉じ込められている状況なら、
動揺するのは尾張や越前ではなくて、東海道や北陸の諸藩。
そして関東からどうやって送るんだよw
長州海軍にすら追いまわされる幕府海軍では、補給すらままならんぞ。


494:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 00:04:59.14 C3qEUnkA0
>全軍が幕府歩兵隊の様な慶喜直轄の軍ではない為、最悪の場合は歩兵隊や
>会津以外の部隊が丸ごと内応することすら考えられる。

流石にそれは無いと思う、徳川の旗本・御家人は彰義隊みたいに頑張るだろ。

>淀藩や津藩の離反を目の当たりにしてしまったという悪条件も重なっている。

それは、認める。
慶喜自身いじけているし、丹波の佐幕派の中心だった亀山藩も6日には官軍側に降伏している。
京周辺の軍事的拠点は、全て官軍サイドに落ちてしまった。

なので、大阪城から出ない方が良いのは、当然の判断。
大政奉還直後から大和郡山藩が、勤王藩なのも畿内の大藩なのでヤバイ、
だから大阪郊外の奈良街道に佐幕派の姫路藩兵数百人を配備して大和郡山藩を牽制している。

>仙台藩など東の大藩がこの時点では態度を決定していないというのも不安要素だった。

この時期、朝廷がしきりに「会津を攻撃しろ!」見たいな工作をやっていたはず。

確かにやばいから、幕府は、江戸詰の老中や大老を
仙台に急遽船で派遣してでも藩主伊達慶邦と直談判して徳川サイドに付けるしかない。

この時期の仙台藩は、軍事的にも大した事無くても、
100万石の実石があり、兵力も2万近いため、是非とも徳川サイドにつけないとダメだろな。

>強襲を受けるまでは敵の砲兵戦力を打ち崩すぐらいしかやることないぞ。

大阪城備え付けの大口径のアームストロング砲の第一の目的は、それだろ。
敵(官軍・薩長)への攻撃準備阻止砲撃。

495:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 19:22:12.91 cx6dXPIg0
正直な話いくら慶応の改革が成功してると言っても焼け石に水でしょうよ。
長州征伐だって第一次は成功したと言っても錦の御旗と薩摩の協力があっても
改易も転封も減封も出来ません。って状態。
長州一国ですらどうにもならないのに軍事的にどうにかなるわけない。
だから政治闘争に持ち込もうとしたけどそれも小御所会議で失敗したわけだし。
頼みの綱の非薩長の雄藩だって肥前は興味なさげだし、土佐は親幕府は藩主だけで
まともなのは福井藩しか残ってないからなあ。
そもそも上にもあったが喧嘩売ったのは幕府だけど戦争吹っかけたのは
薩摩なわけで負ける可能性があったら辞官納地が決定してる有利な状況で最初から仕掛けないっての。

496:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 21:38:54.06 P+8M3qPV0
>だから政治闘争に持ち込もうとしたけどそれも小御所会議で失敗したわけだし。

慶喜排除に失敗したのは、薩長な。
土佐、越前、尾張の斡旋で慶喜は、
議定どころか、その一つ上の位である副総裁「副関白(内大臣)」就任案も絶賛浮上中。

>土佐は親幕府は藩主だけで

執政の後藤も上士の9割も佐幕派ですよw

>喧嘩売ったのは幕府だけど戦争吹っかけたのは薩摩なわけで
>負ける可能性があったら辞官納地が決定してる有利な状況で最初から仕掛けないっての。

戦争吹っ掛けたのは、薩摩藩の在京藩士だけ、
国元は対幕府戦争には大反対、だから薩摩藩の増援はあんまり期待出来ないと思ったほうが良い。

それに薩摩藩は、別に最初から勝てるつもりでもないぞ。
西郷の戦争計画では、丹波街道を明治天皇担いで逃げ出す計画で、
事実5日には山陰道鎮撫隊を進撃させて丹波を通じた広島までの退路を確保しようとしている。

明治天皇を、広島城に移してそこから幕府軍と抗戦する予定だった。
その為に長州藩の応援部隊が、山陰から東進していた。

薩摩のテロ活動は、旧幕府が戦争始める前に、幕府陸軍を関東一円に治安出動させて
鎮圧しても良かったかも、幕府陸軍のちょうど良い演習に成るだろう。

西郷も戦争は4月ぐらいの積もりだし、慶喜も数ヶ月~半年待って
甲鉄艦とアームストロング砲35門を手に入れてから開戦すればよかった。

幕府の関口製作所では、慶応の改革により
先込式エミニー銃を元込式に改造する技術もこの頃に取得していたから、
幕府陸軍が所持する銃をもっと元込式に改造する処置もこの間に行うべきだろう。

497:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 22:52:42.07 eqhJI79E0
土佐の立ち回りがいまいち解せない
いつの間にか幕府を裏切っているんだよな

498:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 00:24:22.74 D/aQmKS50
>議定どころか、その一つ上の位である副総裁「副関白(内大臣)」就任案も絶賛浮上中。

無理 何故なら薩長が認めないから。

>それに薩摩藩は、別に最初から勝てるつもりでもないぞ。

そう、天皇拉致って独立するのが狙いだったのに、幕府軍があまりに脆すぎて圧勝してしまっただけ。
長州の主力はまだ状況してすらいない。長州の主力が到着したら幕府軍は終り。
勝てるわけがない。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 11:35:19.84 5vopdBDn0
>無理 何故なら薩長が認めないから。

そんな事無い。慶喜の山城一国(25万石)を朝廷直轄領として献上する案があり、
それ欲しさに皇族議定や公卿議定が、慶喜サイドに移行している。その為に岩倉
や三条が動揺し、薩長と組んでいるはずの広島藩も動揺し始めている。

岩倉なんかは、慶喜の新政権参加を認め、何だかんだで議定会議をサボり始めているぐらいヤバイ事態。
新政府に参加していないものの熊本藩・阿波藩・鍋島藩の薩長の独善的行動への抗議もあり、小御所会議では、薩長の方が孤立し始めている。

>長州の主力が到着したら幕府軍は終り。勝てるわけがない。

長州藩の主力が到着したら討幕派は当然有利だが、実は補給が続かない。
特に瀬戸内海や大阪湾は、幕府海軍に押えられている。
無理に長州藩の汽船や軍艦が通過しようとしたら、撃沈されてしまう。

もし甲鉄艦が、幕府の手の元にあったら、討幕派の艦隊・輸送船団は全滅する事になる。
慶喜は、甲鉄艦とアームストロング砲35門を手に入れてから開戦すべきだったね。

500:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 16:58:05.18 om/7zaxi0
>>499
>もし甲鉄艦が、幕府の手の元にあったら、討幕派の艦隊・輸送船団は全滅する事になる。

これは妄想。実際は旧幕府海軍には操船技術がない。
鳥羽伏見の時点では数字における戦力差は圧倒的だったのに、相手に命中させることも出来ずに逃がしている。

501:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 18:15:53.80 sM28UbUj0
海が荒れたり暗くなったりするだけで戦闘不能になる19世紀の海軍に過剰な期待は禁物かと。
あの規模の艦隊が瀬戸内海掌握するとか、レーダーとガスタービン機関でも備えてなきゃ不可能だろ。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 22:49:03.26 02Tglof40
しかし正月の徳島沖の海戦で薩摩藩の汽船や軍艦は、逃げ出している。

その後、大阪湾に再突入して薩摩藩の海軍は、勝てるんですか?
疑問ですね。

特に甲鉄艦が、あったら薩長双方の海軍は、幕府海軍に手も足も出ないでしょう。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 00:32:02.16 geAqyuSv0
むしろあれは取り逃がしている幕府の失態だと思うが。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 01:00:46.90 0+3D270r0
海路が駄目なら陸路を使えばいいじゃない

505:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 01:17:33.23 aBvgM7z20
一隻は、逃げ切れずと覚悟し自沈しているし、その後に薩摩藩の海軍が大阪湾に再突入出来るとは思えない。
長州藩の海軍と一緒でもね。

夜中に慶喜が、軍艦で逃げ帰った事を見ても、制海権は幕府海軍が握っていたと思うぞ。

大阪城に大口径の要塞用のアームストロング砲があれば、官軍は近寄れないし、
それ以外の大砲も大阪城に備え付けてある。それをかいくぐって大阪城の二の丸三の丸に
たどり着いても、城の石垣の土塀の銃口から伝習隊の元込式シャスポー銃で狙い撃ちされるだけだと思うぞ。

天下普請の大城の大阪城を攻める方が、断然不利だ。

後から長州藩の主力が来るとしても、当面は鳥羽伏見の戦いで使った5000名の薩長軍で大阪城を攻撃するしかない。
淀藩や津藩の藩兵を大阪城攻撃に向けても、また寝返るだけだぞw

506:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 08:22:57.39 g+12ImR7O
阿波沖海戦ですね。
春日と平運が相手でしたよ。

淀はまだしも津は攻撃したから、毒をくらわば皿までですから裏切らないでしょう。

板垣退助は薩長にくわわります

507:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 20:09:54.87 esJNSHy+0
土佐藩の上士9割が佐幕派。

板垣退助は上士に暗殺されます。

津藩が、大阪城を攻撃しても、大した戦果挙げられないでしょう。
逆に幕府軍に狙い撃ちにされるだけかも知れません。

津藩や淀藩は、もう当事者能力無いです。

それよりも大阪城を落とせず、長引いたら、
薩長の鳥羽伏見の戦いでの勝利の政治的意味がだいぶ無くなってしまいます。

そうなると新政府内の土佐、越前、尾張あたりが仲介に乗り出しますし、
新政府に参加していない、熊本藩・鍋島藩あたりも薩長主導の対幕府戦争に異議を言い出すでしょう。

広島藩ですら国元は、長州寄りですが、在京藩士は必ずしもそうではありませんから動揺し始めるでしょうね。

朝廷新政府内部でも12月中旬から三職会議では、皇族議定や公卿議定が、身分の低い藩士もいる
参与たちの積極的な発言や議事進行に不快の念を持ち、議定会議と参与会議に分ける建白書を三条総裁に提出。
そして、それが認められてしまい、藩士中心の参与の力が押えられてしまう。
鳥羽伏見の戦い直前には、議定会議は“上院”と呼ばれ、参与会議は“下院”と呼ばれ始めていたと言う。

これ以降、皇族議定の支持を受けた土佐、越前、尾張らの藩主議定による巻き返しが始まるのであり、
慶喜は、鳥羽伏見で負けた後も大阪城で篭城抗戦を続けて薩長の朝廷新政府内の政治的発言力を弱め、
議定会議における土佐、越前、尾張らの藩主議定の発言力の回復を促せばよい。

大阪城をすぐにでも落とせないと、薩長は軍事的にも政治的にも苦しくなる。
特に薩摩藩の更なる援軍は望めない。

508:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 20:37:44.13 geAqyuSv0
>>505
だから無理だってば。
長州征伐の幕府海軍の体たらくをみればわかるように、
幕府海軍では制海権を握るなんて無理。
阿波沖の海戦にしても、薩摩に寄港する途中に襲い掛かったけど、
そのまま帰られている。そして逃げ切れずに自沈したんじゃなくて、
座礁して動けなくなったので自分で焼いたわけ。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 22:52:47.21 SbyItMw60
まあ結局は政治闘争なら旧幕府が有利、戦争なら薩長が有利という状況で
上手い事幕府軍と戦闘状態に持ち込んだ西郷大久保の戦略勝ちって事で良いんじゃね?

510:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 12:11:21.44 r+jvNVRyO
春日は15ノットと最速ですから、淡路島より西から攻めたらまだしも追い付くのは、無理でしょうね。

511:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 12:26:16.32 oTURk2q3O
どんなに性能が良くとも幕府じゃ使いこなせなかったんだから関係ないよねw

512:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 21:22:19.46 fW4fwJ0T0
政争でも別に有利でも何でもないが。
領土を返還するなら、一つくらい席あげてもいいくらいで、
薩長などの雄藩を牽制したい勢力が都合よく利用しようとしたに過ぎないし。
そして押していた藩が何を言おうと、薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

513:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 23:22:42.41 t8Tw523W0
>>508
座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。
逃げ切れたのなら、座礁なんかしなかったはず。

>薩長がうんと言わなければどうせまとまらないわけなんだがら意味ないね。

薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。
むしろ薩長の方が孤立気味だった。それなのに幕府軍が鳥羽伏見に進軍してきた。

薩摩藩の関東でのテロ活動やテロ支援活動の報を聞いて、
幕臣が頭に来てそれを慶喜が押えられなかった為に幕府軍が鳥羽伏見に進撃してきた。

12月12日に慶喜は二条城から撤退、14日には東西二箇所ある京都町奉行所が朝廷の命令で急に廃止。

その為に両京都町奉行所の与力・同心だった武士と見廻組は、新遊撃隊に再編され、
伏見奉行所の武士と共に同奉行所に配備された。大目付の永井尚志に従って下坂し
北野天満宮に陣取っていた新撰組だが、伏見鎮撫を命ぜられ、伏見奉行所に合流、
年末ぐらいまでは、京付近の幕府側の兵力はこの程度で、基本的には幕府軍は大阪に居た。

伏見では幕府の奉行所があるので、そこが鳥羽伏見の戦いの時も幕府側の拠点となったが、
奉行所は本来軍事施設ではなく、行政分署であり、幕府側もこの程度しか軍事拠点がなかった。

だから年末に大軍をそろえて大阪から出陣する事が無ければ、幕府と朝廷の武力衝突は避けられた。

伏見奉行所近辺で、見廻組や新撰組、新遊撃隊(旧京都町奉行所詰の武士で構成)あたりが
示威行為を盛んにしていた為に討幕派と小規模な衝突や狙撃事件は多発していた。
現にこの時期に伏見街道で近藤勇が伊東甲子太郎暗殺の報復として御陵衛士に狙撃され
被弾し大阪城で治療を受ける程の銃傷を負う。 その後、御陵衛士は解散状態になり
薩摩藩邸に逃込み戊辰戦争では赤報隊に加わっている。

この様に幕府や諸藩の藩兵は出動しておらず、年末に幕府軍と譜代佐幕派諸藩の藩兵が、
大挙鳥羽伏見に進軍しなければ、正規軍同士の大規模な戦闘は起きなかったであろう。

ただ、新撰組やら見廻組は、伏見奉行所付近で討幕派の諸組織との小競り合いを続けるだけ。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 10:32:33.37 guWhcFWpO
>>511
操艦技術をみにつけるためにオランダに榎本らを派遣したが、開陽や千代田形の有様をみれば、あなたの意見もわかりますよ。

限度があるが時間や金をかけてでも、開陽を鉄製にしたり装備を強化すべきでした

515:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 17:09:44.78 BliqPv8xO
京都から大阪に移転する際、
会津と桑名に帰国命令を出していた方が、
結局は徳川慶喜にとっては有利だった。
会津と桑名の暴発が敗北の原因。

516:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 18:08:11.90 guWhcFWpO
>>515
ききますかね

517:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:23:51.34 CHJ+jHLT0
客観的に言えば、
・鳥羽伏見の戦いにあたって第一の好戦主義が松平容保
・戦闘し敗北した後も、「大阪城に籠もって交戦」と主張し、徳川慶喜に敗戦責任を問われ叱責を受けたのが松平容保
というわけで、会津や桑名が徳川慶喜の命令で帰国するとは考えにくい。

しかし、松平容保を愛護する作家などは
・容保候は地位にこだわらず逆に辞職を主張し、長州赦免問題などへの会議への出席を頑なに拒むお方であった

などと主張しているので、彼らの見解なら帰国してくれるかもしれない。
でもあの欠席って、長州赦免とか自らの辞職とかを拒否するための欠席だったと思うんだけど。
彼らの主張は筋が通らない。

518:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:26:54.45 CHJ+jHLT0
他の問題を討議する際は、辞意表明で欠席。
辞職帰国を勧告された際は絶対拒否、が松平容保の当時の姿勢なので、
まず、徳川慶喜の命令を受けても松平容保は帰国することはないと思われます。

519:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:34:53.13 fdMEKBGP0
12月12日夜に二条城から大阪城に慶喜は撤退したが、
その時に会津藩兵は、藩主ごと軍艦や輸送船に乗せて江戸に返しておくべきだった。

会津藩の兵力は3500名と言われるが、ちょうどその時期には、江戸市中では、
薩摩藩のテロ支援活動が活発化し、武蔵、相模では騒乱状態も始まっていた。

だったら慶喜は、会津藩に江戸や関東での治安維持活動の任務を与えて、返して置けばよかった。

会津藩士が出動すれば、関東で暴れている一揆勢を鎮圧するのも楽だっただろうし、薩摩藩邸焼討
も三田の上屋敷だけじゃなくて近くの蔵屋敷や日比谷の中屋敷、品川の下屋敷も全部攻撃出来たんじゃね?

天領内部での騒乱状態の鎮圧なら大政奉還した後でも問題ないし、そこで薩摩藩の
テロ支援活動の証拠を掴んだら、逆にそれを朝廷に提出し土佐、越前、尾張、熊本
の各藩主や藩士に議定会議や参与会議で取り上げてもらい薩摩のテロ工作を朝廷新
政府の三職会議で糾弾してもらえば良い。

朝廷新政府内部での薩摩藩の立場が悪くなるばかりだし、元々国元は対幕府戦争には反対の声が強い。
あまりにも露骨で酷い工作だったとなると、薩長に近かった広島藩も離反し始めるかもw

幕府や佐幕派は、薩長にとってジャンジャン不利な情報を朝廷新政府に上申し、薩長を朝廷新政府内部で孤立させる事が重要かと。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 20:51:48.32 if40wbhz0
でも思うのは鳥羽伏見が無かったとして慶喜の政権参画はあったとしても
首班ってのは無理だと思うんだよね。首班って言うと平たく言えば
今の総理ポストって事だろ?良くて今の衆議院議長悪けりゃ内大臣待遇の
一議定に留め置かれる気がする。しかもそれも数年限定みたいな感じで。
薩長土肥の殿様連中の維新後の扱い見てると(特に久光)とても慶喜が
実権握れたとは思えん。

521:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:06:24.09 fdMEKBGP0
薩摩藩は大阪に藩邸を三ヶ所持っていた。

土佐堀2丁目に「上屋敷」、江戸堀5丁目に「中屋敷」、
立売堀西之町に「下屋敷」があり、蔵屋敷と称されていた。

この薩摩藩上屋敷は、鳥羽・伏見の戦いの時に自焼したとの事ですが、
むしろ鳥羽伏見に進撃する前にこちらを幕府軍や佐幕派諸藩で攻撃しておくべきだったのでは?

江戸薩摩上屋敷焼討ちの報が入ったら、大阪の三つの薩摩藩邸も攻撃した方が良かったのでは?

522:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:17:03.84 5evt6bdt0
>>513
>座礁したのは幕府艦隊の砲撃や追撃を逃れる為なんだから、結局逃げ切れなかったという事。

座礁は操船技術の問題に過ぎない。当時の砲撃力で船を沈めるのは難しい。輸送船とはいえね。

>薩長抜きでまとまりそうだったよ慶喜の新政権参加問題は。

ありえません。その場合は薩長が自派の公卿使って潰すだけ。
そういう事態にならなかったし、そもそも薩長は武力で追い出すつもりだったのでする必要がなかっただけ。
それをもって新政権参加できたというのは薩長が何もしなかったらという過程に過ぎない。
もし失敗しても天皇拉致って広島かどっかに遷都だから問題なし。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 21:22:19.50 if40wbhz0
>>522既に慶喜の辞官納地は骨抜きにされてたし、状況的には慶喜の
新政権参画は内定していた状況だった。
まあ俺は参画しても>>520だったと思うけど。

524:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 22:43:36.11 TQKICkfI0
>>513
>>522

燃料投下してんのか?w

525:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 00:24:07.96 +b8D6jN/0
福井や土佐が頑張って薩長の思惑を骨抜きにしようとしていたのに
どこがまずかったのだろう?

526:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 01:51:29.56 kXrnd26i0
会津桑名の暴発進軍が致命傷

527:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 03:21:07.61 KXDXH7r60
>>520>>523
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり、
その下に藩主と皇族、公卿が構成員の議定がおり、その下に公家と藩士クラスの参与がいる。

大久保利通も議定ではなく、参与でしかない。

大久保辺りが三職会議で、
かなり積極的に発言し三職会議を仕切ろうとした為に逆に皇族議定に嫌われてしまう。

下っ端の田舎侍が、参与となり朝廷の身分秩序をわきまえず
ギャーギャー騒ぐのを見て、これではいずれ朝廷の特権を剥奪されると皇族議定は思ったらしい。

しかし、これはある意味致命的な失敗だったかもしれない。
三職会議の議長は、総裁だが、皇族なんだよ。有栖川宮で和宮の元婚約者だ。
皇族議定には、仁和寺宮と山階宮がいる。有栖川宮が和宮の元婚約者なので大久保も大丈夫だと思い
積極的発言を繰り返していたのかも知れないが、どうも総裁の有栖川宮にも嫌われてしまった感あり。

こういう皇族議定の参与に対する反発が出てきたので、土佐、越前、尾張が、三職会議を議定会議と
参与会議に分割し別々に開催する体制に誘導する事に成功してしまう。さらに総裁と議定の間に副総裁職
(内大臣職)を設置し会議の運営を円滑にしましょう。副総裁(内大臣)は慶喜公に就いて頂き
大久保、西郷や岩倉を押えてもらいましょう。って事になった。

これを見ると大久保らは、慶喜の辞官納地の実現に躍起になり
三職会議での積極的発言になったが、それが逆にあだになった様に見える。

岩倉も当初は、議定でなく参与として三職会議に参加している。
岩倉は公家としては身分は中堅で公卿程ではないし、皇族議定が大久保や岩倉に反発しているのを見て
議定の中山忠能と中御門経之が揺れ始めてしまう。そうなると当初議定の定員は10名なので優に半数
以上の議定が、慶喜の辞官納地に反対!と言う事になってしまう。

議定会議は、上院と呼ばれ始めていたし、参与会議は下院と呼ばれ始めていたから、
下院の参与会議でいくら威勢のよい議決がされても上院の議定会議でハネられると、
手も足も出なくなる。副総裁(内大臣)として議定会議を上手く慶喜がまとめれば、
下の参与会議を押さえ込める。

それに慶喜には、奥の手もある。江戸城の和宮だ。
和宮を上京か上阪させて、有栖川宮と密会させて和宮から「慶喜公をよろしく」と言わせてば良い。
そうなれば有栖川宮も元婚約者の願いと成れば無下には出来ないし、薩長も皇族の和宮には手を出し難い。

慶喜は、和宮からみで有栖川宮をいじる事も可能で、
有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制で朝廷新政府を運営出来ると思う。

528:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 03:23:54.68 KXDXH7r60
土佐、越前、尾張が工作していた内容は、三職のトップは総裁(皇族)であり←×

土佐、越前、尾張が工作していたが、三職のトップは総裁(皇族)であり←○


529:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 01:21:34.07 vVaEAQeV0
長州征伐や戊辰戦争での捕虜について質問。
捕虜交換など取引はおこなわれていたのでしょうか?

530:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 04:11:05.71 VhSS9ywj0
7/8 中野剛志x柴山桂太 2011.12.22  (4分37秒ぐらいの会話)
URLリンク(www.youtube.com)

中野 だいたいね~維新とかね、幕末維新のアナロジーを使う奴って碌な奴いないですよね。
    坂本龍馬に憧れてる奴で面白い奴見た事無い!碌な奴がいない!


坂本龍馬に憧れている現在の有名な財界人って言うのは、ソフトバンクの孫正義の事だなw
反TPP官僚(今は京大出向中)の中野さんは、禿の事をボロクソに言ってんだろうなww


徳川幕府=NTT   薩摩藩=KDDI   長州藩=ソフトバンク  って感じかな?

531:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 17:12:06.45 srYscJwv0
さすが中野さん、アジのある面白い事言うなw


NTT(持株会社)=徳川宗家

NTT社長=将軍

東西会社=幕府

ドコモ=尾張藩

コミュ=越前藩

KDDI=長州藩

SB=薩摩藩

禿=大久保

SB社長室長=小松

ティーガイア=坂本龍馬

総務省=朝廷

辞官納地=NTT分割

532:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 17:23:42.98 bSeJrYfEO
会津と桑名と庄内で御用盗を、ぶちのめせ(怒)。
もちろん処刑しか選択肢は、存在しませんよ。

幕府陸軍も加えたら、訓練になってよいでしょう。

533:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 18:18:41.44 srYscJwv0
400万石と幕府陸海軍を持ったまま、有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が
出来たら、改訂版徳川政権だワナw  事実上の新しい中央政権と言っても良い。

有栖川宮総裁-慶喜副総裁(内大臣)体制が出来たら、
慶喜が次にやることは、朝廷新政府の行政組織の乗っ取りである。

大政奉還を受けて、五摂家の連中が慶喜や諸大名に将来の政権構想を提出させ、
さらに自分達も太政官八省再興案を朝廷に提出した。これは王政復古のクーデター
まで朝廷を牛耳っていた二条摂政と中川宮が、慶喜に大政再委任や後任の摂政任官
を検討していた。それに対抗する為に薩摩に近い近衛家や一条家が、他に鷹司家を
巻き込んでニ条-中川宮ラインに対抗する意味で太政官八省再興案を朝廷に提出した。

この五摂家の太政官八省再興案は、王政復古のクーデター以後は俄然意味のある提案
となり、旧幕府の行政組織に換わる朝廷新政府の執行機関の創設の意味が出てきた。

三職会議の下に太政官八省を再興し、朝廷新政府の形作りを始める必要があるが、
もし慶喜が、慶喜副総裁(内大臣)に任官できていたのなら、旧幕府の幕閣や中堅官僚
を太政官八省の幹部に次々任命し事実上太政官八省の要職を旧幕府の人間で固める事が
出来るであろう。そうすれば旧幕府の人材で太政官八省の行政組織を乗っ取る事が出来る。

そうなれば、朝廷新政府は、完全なる改訂版徳川政権となり、徳川宗家の影響力は、朝廷
新政府内部でも残せる。特に問題になるのは、兵部省と大蔵省の人事だろうが、兵部省の
幹部には幕府陸海軍の要職を任命すればよいし、大蔵省ならモロに旧幕の勘定奉行の組織を
そっくり大蔵省に移して、小栗を大蔵大臣か大蔵卿に任命すればよい。

徳川宗家による富国強兵もこれで執行できる。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 21:25:45.52 x/3tkWLw0
>>533
だからありえねーって。
薩長が認めない政権がその時に樹立できるわけがない。
またそんなのは越前や土佐なども認めない。
小御所会議で幕府を庇っていたのは、あくまで薩長の発言力がこれ以上高くなると困るからであって、
幕府を復権させたいわけじゃないんだよ。

535:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 04:51:21.84 9eepN4a90
>>534
バカじゃネーの?

慶喜副総裁(内大臣)案で多数派工作していたのは、土佐、越前、尾張なんだよ!
皇族議定が岩倉や大久保に反発して、それを認め始めていた。
議定の中山忠能と中御門経之ですら揺れ始めていた。

慶喜は、正月に進撃を開始しないで、もう少し我慢していれば良かった。

とりあえず江戸での薩摩藩邸焼討ちの報が入ったら、
鳥羽伏見に進撃するのではなく、大阪市内の三つの薩摩藩邸を攻撃していれば良かった。

536:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 04:56:08.64 9eepN4a90
慶喜副総裁(内大臣)任官=徳川幕府復権  では無いんだよ。

もう幕藩体制は終りで、
朝廷一元化した新政府で郡県制の中央集権国家を作る事になっていた。

その朝廷新政府に幕閣や幕府の中堅官僚が、移る事を狙っていた。

時間が経過すればするほど幕府側が有利。

537:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 05:41:47.43 9eepN4a90
鳥羽伏見の戦いで勝つまで、大久保と西郷は朝廷ではダッカのごとく嫌われていた。

大久保と西郷が、朝廷に参内すると公家や女官達が
遠巻きにしてチラチラ見たりコソコソささやき合ったりして、完全に煙たがられていた。

大久保も西郷も鳥羽伏見の戦いで勝つまでは、あんまり気分良くなかったらしい。

鳥羽伏見の戦いで買った後の状態が王政復古のクーデターから続いていた
なんて思わない方が良い。はっきり言って鳥羽伏見の戦いに勝つまでは
大久保と西郷は、針のむしろでむしろ徳川と仲介出来る立場の土佐・越前・尾張
の方が立場的には強かったし、12月中旬以降は彼らの主導で議定会議は運営されていた。

三職会議は、当初は、薩長の軍事力で発足し議定と参与の議論して話しを議事を進める
事になっていたが、次第に内部では以前からの粛然たる身分の差が出てきた。公卿議定と
大名議定の詰まる部屋が違うし、大名議定が立ち入り禁止の場所も多かった。
下級藩士出身の参与ならなお更であり、三職会議の身分的な差が次第に出てきた事も、
西郷や大久保の力を抑える方向に動いている。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 07:10:06.92 sychixQ00
官位任官でふとおもったのですが
明治以降はどこの家も爵位が用いられていましたが、
旧大名家の武家官位は全部取り上げられたのでしょうか?

539:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 07:54:35.98 Rq2+uYcy0
岩倉は日和ったし大久保も日記に水泡画餅とか泣き言みたいな事
書いてるからなw


540:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 10:16:47.58 4+6n4uCy0
もしかしてダカツをダッカと言っているのか

541:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 16:15:40.42 3wG98y3d0
原発村を潰す為には平和的な手段では潰されるだけだ

暴動、ネガキャン、何でも良いから戦うしかない。


薩摩も平和的な路線で維新を進めていたら慶喜を始めとする公武合体派に潰されたことだろう。

542:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 16:54:15.83 /RRxE/hP0
>>3
>>18

そうんなんだよ、どうして無警戒のまま進軍して待ち伏せを受けたんだよ

何故ナゼなぜ・・・

>>20
中間指揮官・現場指揮官が足りないのが理由じゃないかい?

つまり、例えば、大鳥圭介のようなの軍政畑がいる一方で
土方歳三のような現場指揮官が足りなかったと

無用な突撃が問題であって、突撃しなければ勝てるというもんじゃないなぁ

543:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:02:05.87 DatIwioz0
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:04:28.77 DatIwioz0
>>535
馬鹿はおめえだ。
小御所会議というか新政府の総裁は有栖川宮熾仁親王
長州藩と縁戚で、長州藩の国学者に学び、婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
薩長が気に入らないものが成立する事はないんだよ。
薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。
だからそういう事が成立する事は絶対にない。

545:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 20:38:33.15 DatIwioz0
>>537
そもそも徳川は必要とされていない。
薩長の影響力が非常に強かったので、それを嫌った諸侯派が抑える為に引っ張ってきたのがもう終わった徳川。
だが朝廷では尊号一件いらい幕府嫌いが非常に多かったわけで、むしろそれらを押す大名も嫌われて、
幕府が暴発したのを理由で、諸侯も追い出される結果となった。


546:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 22:20:01.10 6AIoIHhy0
>婚約者を徳川に取られた。筋金入りの人物がやっているんだよ。
>薩摩藩主や中山、三条をはじめとして薩長の代弁者がいるわけ。

自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

薩長の思い通りと、思って有栖川宮を総裁に人選したが、大久保や西郷などの藩士参与が
身分差を無視して三職会議で騒ぐモンで有栖川宮を始め皇族議定が怒り出しアテがはずれw

有栖川宮も自分が得になる範囲しか薩長に協力しない。
皇族も公卿も見返り無く、朝廷内の特権を手放す訳無い。

その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

>そもそも徳川は必要とされていない。

薩長は邪魔でも、土佐、越前、尾張には必要。

皇族議定や公卿議定も何だかんだで徳川頼り、五摂家が二条摂政や中川宮に対抗して
提出した太政官八省再興案も、現実には、王政復古のクーデター以後も全く三職会議
の議題の遡上にも出なかった。

ようやく議題として三職会議に出てきたのは鳥羽伏見の戦い以後のこと。


慶喜は、江戸薩摩藩邸焼討ち事件の報を聞いても出兵すべきではなかった。
大阪の三つの薩摩藩邸を攻撃して強硬派幕臣の矛先をそちらに向けるべきだった。

薩摩藩は、参与会議でも議定会議でも、幕府の藩邸攻撃を材料に幕府に対する制裁を
求めるだろうが、土佐、越前、尾張の三藩に関東での薩摩藩のテロ支援活動の情報と
証拠を手渡して逆に薩摩藩を追い詰めればよい。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 00:37:55.01 hj3KW27I0
>自分の都合の良い事ばかり信じる基地外がいるので、あまり相手にしたくも無いが…

hhhhhhhhhhwwwwwwwwwww面白いギャクだなw
センスあるよ君。

>その点を判っているから慶喜は山城一国25万石を丸ごと朝廷直轄領として献上するハラだった。

ぜんぜん足りんな。幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。
なんで山城程度で妥協するんだよアフォかw
そもそも大名連中も明治天皇を幼帝だからと馬鹿にして皇族や公卿から反発買いまくって、
下級藩士と同じように嫌われたってのにお前の脳内ではなかったことになっているようだなw
大名と公卿では歴然とした格差があったのに。朝廷序列もわきまえずでかい口叩くから、
むっちゃ嫌われていたのに。

548:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 01:29:14.84 8Gvt9K/10
今更だけど、スレタイの旧幕府軍のくくりはどこまで?

549:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 05:10:46.35 OFSvhqRm0
>>547
全部、妄想なw

>幕府領全部献上して官位をかえして、やっと罪を免除だよ。

特にこれ。

薩長と岩倉が最初にこれで押していたんだけど、土佐、越前、尾張が、皇族議定を
巻き込んでこの案もを封じてしまい、納地の件は、豊信候の全大名石高割案も棚上
げになり、いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。
この納地継続審議案は、議定の中山、中御門も飲んでしまった。

三条議定と参与の岩倉は、慶喜による自主的納地案を提出したが、
土佐、越前、尾張、皇族議定、中山、中御門らが、納地継続審議案を飲んでしまった為
この案で議定会議の大勢を制してしまった。

その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。


それに下級藩士がデカイ口たたいたら、大名より下級藩士の方が叩かれるに決まってだろうが。
下級藩士は、大名よりさらに下の身分なんだけどw

550:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 08:08:08.00 OrZLe8fi0
だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。
鳥羽伏見の前段階では確かに辞官納地は骨抜きにされてたから
慶喜が会津と庄内を押さえこんでいれば慶喜の政権参加は可能だった。
というよりあの時点ではほとんど決定事項だったと言ってもいいかもしれない。
ただ慶喜の政権参加を主張してた中心人物の越尾土の殿様達は
あくまで薩長への牽制としての慶喜の政権参加を主張していただけに
過ぎないから一度慶喜の議定もしくは副総裁就任が決まったとしたら
今度は慶喜主導の政権作りに協力したか?と言われるとそれはそれで微妙だし
上にも書いてる人がいたが維新後の薩長土肥の殿様や明治天皇以外の皇族
岩倉以外の公卿の扱いを見ると普通に考えれば慶喜の扱いは
有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。
まあ小栗や大鳥榎本なんかは最初から新政府に関与できてた可能性はあるから
人事の面では多少変わった可能性はあるが大きな流れが変わったとは思えんな。

551:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 10:37:18.46 l/CbYno80
>だからさ幕府厨も薩長厨も議論のレベルが低過ぎるから噛みあわないんだよ。

失礼な!
レベルが低いのは、薩長ビイキのアホの方だ!

>有栖川宮とか三条とか久光みたいな名誉職的な扱いしかしてもらえんだろう。

鳥羽伏見の戦い後に副総裁に就いた岩倉は、事実上三職会議を主導している。
有栖川宮は、あまり前面に出る人でもなかったし、江戸城総攻撃やら江戸城接収で
京に居なかったので、岩倉が事実上三職会議の首班となってしまう。

慶喜が、副総裁に就けば、彼の能力と四百万石の天領、徳川の陸海軍などの存在もあり
三職会議の首班は慶喜になるだろう。出来れば和宮から有栖川宮に「慶喜に任せるべき」
と言わせても良い。

豊信や慶勝、慶永にそれだけの能力と軍事力と領地があるか、と言う問題になる。

552:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 13:32:01.47 lK/18nrMO
大阪城を拠点に海上閉鎖

京都の薩長は補給路を絶たれ敗戦必至

553:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 18:40:56.80 hj3KW27I0
>>549
>いずれ「天下の公論をもって御確定遊ばさる…」と継続審議になってしまった。

これただの誰にとってもいいように聞こえる玉虫色の解釈に過ぎないよ。
薩長がどうせ認めないのだから、領土を全て献上するしかないのは明白。

>慶喜の官位は前内大臣と称する事になり、軽武装での上洛も決定している。

「前」ね。もう官職にはいないことの証。

>その直後の12月28日に岩倉は議定に昇格したが、納地継続審議案は揺らいでいない。
それ幕府が返上する方針のことだろ。

554:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:12:48.04 vyBqn20K0
>>552
そういう事なんですよ。
西郷も「大阪城を包囲したら一ヶ月で薩摩の兵が死んでしまう。」と言っている。

大阪と西宮を幕府陸軍海軍に押えられたら、補給路も断たれるし
だいいち天皇を逃がす経路も遮断されてしまう。

陸路で長州から運ぶとなると大変だし量も運ぶ種類も制限されるし。

薩摩江戸藩邸焼討ちの報が、入ったら、大阪の三つの藩邸を攻撃するのと同時に
幕府艦隊を使って大阪湾を封鎖するのが効果的ですね。

京を包囲している間に幕府は、アームストロング砲35門とストーンウォール号の入手を急ぎ、
更に幕府陸軍の全軍“後装式”銃兵化の処置もあわせて急ぐべきでしょう。
幕府の関口製作所をフル稼働させ、横須賀製鉄所も稼動を始めれば、エミニー銃の後装式への
改造も進展する。

>>553
はいはい、症状が悪化していますよ、処方されているトランキライザー飲んでくださいね。

555:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:54:15.78 hj3KW27I0
>>552
無理。長州征伐でも長州の渡航の阻止ができなかったのに。
幕府海軍が薩長の補給路を断つことは出来ない。
そもそも市場から買えばいいだけだったりする。
そもそも長州は山陰のほうから来てる。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 20:59:07.59 vyBqn20K0
ID:hj3KW27I0は、大至急入院して下さい。


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