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歩兵奉行が行政組織上の位置付けとして勘定奉行よりも格上だったとしても、
それがイコール幕府内での権力を振るえたかどうかとは別問題なんじゃないかなぁ。
勘定奉行は「勘定所」という実働部隊を下部において、行政組織としての財政やら法整備やらの
権限を一手に握っていたから、組織図上の位置よりもはるかにハバをきかせてたし。
幕府は本来的には「軍事組織」という建前があるから、武官系の方が組織図の上では優遇されてるけど、
江戸の中期以降は、実際には国政を担当する「行政組織」としての性格の方が強くなっちゃっていたから、
具足奉行やら鉄砲奉行やらの軍事系の職階よりも、勘定系や大目付・目付といった事務系職の方が、
実質的な権限を握っていたみたいだよ。
そもそも、幕末に編制された鉄砲を主とする歩兵隊は、刀槍をメインの武器として位置づけていた
江戸幕府の軍事組織の中では「足軽・雑兵」みたいなイメージで見られる場合が多くって、
そんなに大事にされてなかったし。
歩兵隊の重要さに本当に気がついたのは、第二次長州征伐以降のことだし、それだって本当に
理解していたのは慶喜とその側近だけで、会桑や幕府首脳は心の底からは理解していなかったから
鳥羽伏見で負けを喫しちゃったわけだしね。