【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】at HISTORY2
【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】 - 暇つぶし2ch95:あぼーん
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97:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/04 02:05:38.87 Z0UcQDCF0

■海軍の三バカ愚将

①山本五十六
海軍関係者の反対を押し切って米国本国であるハワイを攻撃し、日米を全面戦争に突入させた張本人。
国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)では、米国との和平を視野に入れていたが、
ハワイ攻撃(東条首相らは知らされていなかった)によってそれは絶望となった。

②米内光政
日中戦争を勃発、泥沼化させた張本人。第一次近衛内閣の海相として、中国に対する武力行使を強力に進言。
近衛内閣で上海派兵を要求、南京攻略を要求。
都市無差別空爆を敢行。
「頑迷不戻な支那軍を膺懲する」と、支那への宣戦布告とも見倣し得るラジオ演説。
閑院宮参謀総長らによるトラウトマン和平工作を妨害。

小磯首相の終戦工作を妨害。
陸海軍統合案を妨害。
鈴木内閣では豊田、大西の主戦派を軍令部に登用して終戦を妨害。
海軍の省益と組織防衛しか考えていなかった人物。

③井上成美
重慶無差別空爆を敢行。
何の警戒もせずにガダルカナルに飛行場を建設し、完成と同時に米軍に奪われる。
ポートモレスビー攻略を失敗し、その任を陸軍に丸投げ。




98:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/04 09:49:44.68 U7N+SCzgO
ナチにスペクタクル(インチキ)な党大会へ連日招待され宿に帰ればべっぴんの金髪お姉ちゃんあてがわれ
「ナチは最初8人からはじまったんだよ、それは自分等にだって可能である!」
と第一委員会創立時に意気込む中堅強硬派の若頭、
石川信吾の欧州視察を推薦したのは米内光政


99:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 13:46:21.57 yd/TfFOC0
半藤の太鼓持ちである戸高一成には、いろいろ書かれているな

URLリンク(asyura2.com)

麻原彰晃を売り出した八幡書店社長、武田崇元とはマブダチ
戸高が実質的経営行っていた今日の話題社は、八幡書店が吸収合併
その今日の話題社の本が、文春から文庫化……

半藤の歴史観以上に、人を見る目が問題

100:あぼーん
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101:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 19:22:37.32 DxRqQ6bd0
今まで山本五十六や米内光政、井上成美は優秀な軍人だと思っていたよ。
うちの婆ちゃんも海軍贔屓で事あるごとに山本長官を持ち上げる。
曰く「山本長官は、『これからは飛行機の時代だ』って言っていた」とか(気づいていた、だったかな?)

阿川弘之の本も読んでいたし、海軍賛美(美化)は阿川氏あたりから始まったんじゃ・・・

米内光政は、かわぐちかいじの『ジパング』でも良い人物として描かれていた。


102:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 00:35:17.36 8iFDwGqW0
この人の戦艦とか太平洋戦争の諸作戦談義は割りと読んでて楽しいけどね
扶桑の艦橋ありえねーとか

103: 【東電 84.7 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/13 18:06:04.29 HMVO+vPx0
ごめんください
この板初めてなのですが、彼と澤地久枝と戸髙一成で岩波文庫から出版されている
「日本海軍はなぜ過ったか」という著書が朝日新聞の夕刊一面の下にデカデカと宣伝してあったので
これについてどのような反響があったか教えて頂ければ幸いです

よろしくお願いします

…出版社から「自虐的戦争論なんじゃないか」とは予想できますが…

104:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/15 18:26:31.62 vj/QndG70
>>103
基本的にはなにバカな作戦計画立ててんだよwだの
この人事ねーわwとかそういう与太話を延々語ってると思いねぇ

105: 【東電 85.8 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/15 19:18:32.74 lbl5I7l30
>>104
どうもありがとうございます
…ああ、戦略とか戦術にいちゃもんつけてgdgdくっちゃべっているだけですか
買わないで良かった
てか岩波書店もやるなら徹底的に自虐的な歴史史観とかやればいいのにw
酔っ払いの与太話クラスのハードカバーなんて読んでいても意味が無い

106:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 02:30:03.12 ccA0JYE40
>>103
そんなもの読まなくても内容はわかる。
第一委員会の岡と石川が暴走したとか
書いてあるんだろ。
そんな話し大嘘w

107:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 02:31:17.14 ccA0JYE40

【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】

スレリンク(history2板)l50

108:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 18:25:39.53 p+1NpMAu0

■■■ 海軍第一委員会は、山本五十六に脅されていた。

週刊新潮8月30日掲載の「A級戦犯」遺族の告白(後編)p.58~ 
A級戦犯の佐藤賢了氏三男の巌氏の話による賢了氏の戦後述懐

「御前会議で、開戦になった場合に戦争続行が可能かどうか議論になった際、
海軍は艦船などの消耗量の数字を示し、戦えると答えたそうです。
しかし実際に開戦してみると、消耗量は海軍の予想以上に激しかった。

この日岡さん(敬純氏 A級戦犯 海軍省軍務局長)が持ってきた資料は、本来、御前会議に提出されるべきものでした。
それを見ると、とてもじゃないが戦争は無理だと判断せざるをえない。

そこで父(賢了氏)が事情を尋ねると、『山本五十六さんが数字を書き換えた資料を提出してしまった』と答えたそうです。

『どうして反対しなかったんだ!』と父は問い詰めたそうですが、
海軍の中では誰も山本さんに楯突くことはできません。という旨の答えしか返せなかった。
『山本は許せん』と父(賢了氏)は戦後も言っておりました」




109:あぼーん
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110:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 13:22:51.90 r1BGriRL0

■似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H


日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の

戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し

ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって

感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い

金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H

が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw




111:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/04 03:19:27.98 4290Itqq0
>>110
3Hが「諸君!」をぶっ潰したという説もある

半藤の舎弟、戸高一成のオカルト・ビリーバー疑惑か
戸高が経営参画していた今日の話題社は、オカルト出版社の八幡書店に吸収合併
八幡書店と米極右団体はつながっており、マルコポーロとも連携しそうな悪寒

112:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/05 21:15:07.73 9afcz6Cu0
>>110
秦は今でも結構公平なことで評価されているけどね。

半藤は昭和時代の著作は秀逸なものが多いよ。ノモンハンの夏は
歴史に残る名作だといわれている。元々は海軍にも厳しかった。
昭和史あたりからおかしいと感じ、読まなくなったけどね。

保阪はあまり印象にないね。この人の本は秦、半藤ほど読んで
いないのもある。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/06 19:32:27.59 66KjL7fyO
GHQごり押しDVDがうざい。

114:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 01:23:45.48 arh5VknxO
CMうざい
金儲けばかりか

115:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/08 14:46:03.81 eDLIKG4A0
>>111 秦と関係のあった防衛庁の元関係者から直接聞いたが、
「あれだけ腹黒い男も世の中にはそういない」
んだとか
具体的な話まで聞いているが、その人物が特定される恐れがあるから公表できん

その関係者と半藤とは面識はないらしいが、
「秦と付き合っている段階で、人を見る目がないんだろう」
とまで言い切っていた

116:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:00:02.67 TTJUkJxV0
 この馬鹿馬鹿しくて、だれた世の中に号砲一発、保守論壇も揺さぶる
 西尾式爆発力をともなった問題提議、史観の再確立を呼びかける問題作

西尾幹二『天皇と原爆』(新潮社)

 いきなり近代史の総括的整理を西尾氏は次のように叙する。

 西安事件から廬講橋事件、そして「スペインの内戦から第二次上海事変(1937年8月)まで歴史を動かしていたのはコミンテルンとユダヤ金融資本です。突如として英ソが手を結んだ欧州情勢はヒットラーの憎々しさだけでは説明できません。
当時アメリカ大統領がコミンテルンの思想に犯されていたことは判明しましたが、英仏の政治中枢も同様であったかもしれません。
スペインの赤化政府を応援し人民戦線に簡単に味方した欧米の知識人、アンドレ・マルロォやヘミングウェイ等の動きはやはり簡単には理解できない謎です。
あの時代を神秘的に蔽ったコミンテルンの影響史と、それを裏から手を握った金融財閥の影を決定的要因と見ない歴史叙述は、やはり現実を反映しないフィクションにすぎない」


117:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:02:20.47 TTJUkJxV0
 そうだ。スペイン内戦になぜマルロォは飛んでいって『希望』を書き、ヘミングウェイは『誰がために鐘は鳴る』を書いたのか、不思議でならなかった。
名状しがたいムードに流されたか、あるいは日本でもマルクス主義が猛威を振るったように流行現象、知識人にもっとも伝染しやすい病気であったのか?
本書は日本の空疎な論壇やアホな「政治ごっこ」に明け暮れるぼんくら政治家、それを許容している大半の日本人にしかけられた凄まじい破壊力をもつ爆弾である。

 しかし多作で多彩なテーマを追う西尾さんが、またまた瞠目すべき題名の本書を書かれたわけだけれど、いったい何時、このような新作を構想され、準備し、執筆されているのかと訝しんだ。
傍らで全集を出されている時期にもあたり、執筆の時間がよくおありになったなぁ、と。
本書の「あとがき」から先に読んで納得、これは二年がかりでテレビのシリーズで論じられた草稿に手を加え、TPPも話題の中にでてくるほどに時宜を得た政治的哲学的な装飾を施した新刊なのである。


118:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:06:00.63 TTJUkJxV0
読み始めて評者(宮崎)はなぜか脈絡なく歴史家ポール・ケネディの『大国の興亡』という仮説を類推し、ついでポールの息子と日本に滞在中になした会話を思い出した(息子は日本に一年ほど研修できていた)。
そのとき、評者は或るラジオ番組をもっていたので、かれに出演を促し、英国人としての意見を聞いたことがある。
ちょうどパパ・ブッシュの湾岸戦争が米国の大勝利に終わって、ブッシュ政権は「ニュー・ワールド・オーダー」(世界新秩序)なる新戦略を盛んに吹聴していた。
後にもイラク戦争に大勝利したブッシュ・ジュニアのときにネオコンが「リバイアサンの復活」を獅子吼したような戦捷の雰囲気があった。
しかし中東と南アジアでの米軍の結末はどうだろう。米国の栄光はすぐにペシャンコになり、イラクはシーア派にもぎ取られる勢い、アフガニスタンは宿敵ビン・ラディンを殺害した途端に撤退を始める。
連続する無惨なる敗北、あのベトナム戦争のときの精神的トラウマが米国の輿論を覆い尽くし、イランが核武装するのを拱手傍観、経済制裁でお茶を濁しつつ、ホンネではイスラエルの空爆奇襲を待望しながらも、
表向きは「イスラエルの空襲には協力しない」などと綺麗事を言いつのる。


119:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:09:50.01 TTJUkJxV0
しかし中東と南アジアでの米軍の結末はどうだろう。米国の栄光はすぐにペシャンコになり、イラクはシーア派にもぎ取られる勢い、アフガニスタンは宿敵ビン・ラディンを殺害した途端に撤退を始める。
連続する無惨なる敗北、あのベトナム戦争のときの精神的トラウマが米国の輿論を覆い尽くし、イランが核武装するのを拱手傍観、経済制裁でお茶を濁しつつ、
ホンネではイスラエルの空爆奇襲を待望しながらも、表向きは「イスラエルの空襲には協力しない」などと綺麗事を言いつのる。
やけっぱちの米国は口舌の徒=オバマを選んだ。彼の外交は素人であり、敗北主義であり、猪突猛進の米国が内向期の循環をむかえたかのようだ。
そのことはともかくとして、湾岸戦争の勝利直後、ポール・ケネディの息子に「世界新秩序なんて聞いて、どう思うか?」と尋ねると、
「いやな感じですね。なんだかヒトラーみたい(に米国は傲岸である)」。



120:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:13:14.31 TTJUkJxV0
 さて本書で西尾さんが力点をいれて論じるテーマのキー・ワードは「闇の宗教」(米国)と「神の国」(日本)である。
米国は「マニフェスト・ディスティニィ」などという呪術的な闇の信仰にとりつかれて奴隷解放の名の下の南北戦争以後、西へ西へとインディアンを撲滅しつつ西海岸から太平洋に進出し、
その際に最大の障害だったスペインに戦争を仕掛けてプエルトリコを奪い、キューバにスペイン艦隊を追い込んで殲滅し、運河を建設するためにパナマを奪い、ハワイを巧妙に謀略で合併し、
そしてサモアの半分を奪い、フィリピンを奪い、その果てしなき侵略性を剥き出しにしつつ日本との戦争を準備したのだ。
日米戦争は始めから終わりまで米国が仕掛け、日本にとってみれば理由の分からないまま、米国の横暴に挑戦した。やむにやまれぬ大和魂の発露でもあった。
米国は最終的にシナの権益を確保するために満州を奪おうとして、日露戦争では日本を便宜的に支援したものの、日本が満州を先取りするや、
猛烈に日本に攻撃を仕掛け、つまり『太平洋戦争』なるものは、米国の謀略で日本を巻き込んだ結末にほかならない。


121:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:21:35.23 TTJUkJxV0
米国が「正義、フェア」などと表面的には綺麗事を並べるが、その基本にある潜在意識は闇の宗教、やってきたことは正反対、おぞましいばかりの殺戮と侵略と世界覇権だった。
 この文脈から推論すれば次なるシナリオとは、米国に楯突く中国といずれ米国は対決せざる得なくなり、その準備のために在日米軍の効率的再編を行い、日中離間をはかっていることになる。
 こうした歴史観からすれば、対米戦争は日本が悪かったとか、シナへは侵略戦争だったとか、正邪が逆転している、いまの日本を蔽う自虐史観がいかに視野狭窄で政治的謀略に基づく利敵行為であるかが理解できる。
 本書で西尾さんは「懇切丁寧」ともいえるほど平明で、しかし執拗に半藤一利らに代表される左翼似非(えせ)史観を糾弾しつつづける。
 評者にとっては半藤とか、丸山真男とかは「正真正銘のバカ」という一言で、詳しく論ずるのも馬鹿馬鹿しいと思っている。「正真正銘のバカ」というのは「たらちねの母」のように枕詞である。
しかし西尾さんは、これらの似非歴史家への批判を通じて、わかりやすい、正しい歴史観を説明されるのである。加藤某女史への適切にして舌鋒鋭き批判の展開も、国学の復活と視座からパラレルに揶揄される。


122:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:25:00.20 TTJUkJxV0
加藤某女史への適切にして舌鋒鋭き批判の展開も、国学の復活と視座からパラレルに揶揄される。

 西尾さんはこうも言われる。
 「まだ国家が生まれていない十三、四世紀のヨーロッパ世界において、教会が『神の国』であったのと似た意味で、この列島で意識されていた『神の国』とは、一貫して天皇だった」、
日本では「儒仏神という三つの宗教があって織りなす糸のように混じり合い絡み合い、とりわけ神仏が二つに切り離せないほどに一体化してしまったところに儒教が出てきて、
仏教に支配されていた神道を救い出すというドラマもおこ」った。これが「江戸末期の水戸学、『国体論』の出現でした」

 ともかく一神教の「神の国」である米国は、「日本にサタンを見て、この国の宗教をたたきつぶそうと意識していたんですよ。ためらわずに原爆まで落とすくらいに。
こっちは『菊と刀』みたいなことは全然考えてなくて、(当時の日本の論客らの総括では)アメリカは統計と映画の国と書いてあるだけ」で、「そんなことで勝てっこない」
 だから言い訳がましくも強弁を張る米国の政治家とて、原爆投下は後ろめたいのであり、日本は米国に執拗にそのことを糾弾すべきであると西尾さんは言う。

123:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/10 20:27:27.60 TTJUkJxV0
だから言い訳がましくも強弁を張る米国の政治家とて、原爆投下は後ろめたいのであり、日本は米国に執拗にそのことを糾弾すべきであると西尾さんは言う。
しかも米国は日本に復讐されると恐れるがゆえに日本の核武装を防ぐために核拡散防止条約を押しつけ、NPT体制の構築でひとまず安心、しかしインド、パキスタンに続いて北朝鮮の核武装で「核の傘」が破れ傘になるや、
日本が米国の核の傘は信用できないと言えば、おどろき慌てて「核の傘は保障する」とだけを言いにライス国務長官が日本へ飛んできたこともある。
 西尾さんは本書の掉尾を藤田東湖の『正気の歌』を掲げて筆を擱いているが、本書を通読したあとだけに理由が深く頷ける。


124:あぼーん
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125:あぼーん
あぼーん
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126:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/16 23:25:01.49 mPtwN1+b0

賊軍の東北閥が昭和の日本軍を支配し、無謀な戦争へ引きずり込んだ

■陸軍
板垣征四郎(岩手・盛岡藩)陸軍大臣
東條英機(岩手・盛岡藩)総理大臣・陸軍大臣・参謀総長
畑 俊六(福島・会津藩)陸軍大臣
小磯國昭(山形・新庄藩)総理大臣
石原莞爾(山形・庄内藩)

■海軍
米内光政(岩手・盛岡藩)総理大臣・連合艦隊司令長官・海軍大臣
及川古志郎(岩手・盛岡藩)海軍大臣・軍令部総長
山本五十六(新潟・長岡藩)連合艦隊司令長官
南雲忠一(山形・米沢藩)
嶋田繁太郎(東京・幕臣)海軍大臣・軍令部総長
井上成美(宮城・仙台藩)



127:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 01:01:33.66 pKFZIlLZ0
>>99
最近戸高の身辺が火消しに必死になっているらしいw
もはやここまで来ると哀れだね

戸高と八幡書店社長、武田崇元との関係が暴露されたら、
半藤氏も立場がないだろうに

128:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 03:14:08.92 pKFZIlLZ0
戸高一成という男もよくわからん
戦史研究家、大和ミュージアム館長という「表の顔」と
オカルトライター、史料調査会の資料盗難疑惑などといった「裏の顔」が
あまりにも違いすぎるな

こういう男を重用している半藤一利氏は、よほど人を見る目がないんだろう

129:あぼーん
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130:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 23:23:05.69 ydBeZeJ20
半藤一利は日本人を抑え込むためのビンの蓋である

『文藝春秋』は腹がすわっていない 評論家・西尾幹二
月刊WiLL2009年3月号 31~32頁

文藝春秋の社内のある幹部の方から、
「半藤一利、保阪正康、立花隆氏などを起用するのは『文藝春秋』のビンの蓋だからだ」ということを私は聞きました。
うまい言葉だ、と思ったものです。文藝春秋の社内からの発言ですから、
社内の体制に疑問を持っている人がいるということを物語っていて、その点まだ救われた思いがしています。

「ビンの蓋」というのはご存知のように1990年3月スタックポール在沖縄アメリカ海兵隊司令官が
「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える『ビンの蓋』だ」と使った言葉です。
ですから、『文藝春秋』が際立つ保守系雑誌にならないための「ビンの蓋」、
つまり『文藝春秋』は朝日新聞のサイドに立ちますよという宣言のために
半藤一利、保阪正康、立花隆氏らをしきりに起用しているというわけです。

131:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/18 23:24:07.95 ydBeZeJ20
『諸君!』休刊 敗北史観に陥った言論界 上智大学名誉教授・渡部昇一 評論家・西尾幹二
月刊WiLL2009年5月号 35頁

西尾
「『文藝春秋』は今や、何かに遠慮するような言論しか掲載していません。
ビクビクしていて中性的、公論的な、言い換えれば衛生無害な雑誌でしかない。
三島由紀夫は日本を指して「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の」と表現しましたが、
それは朝日新聞やNHKでもあります。敗戦国文化なのですね。

『諸君!』にしても『WiLL』にしても『正論』にしても敵がいないわけではない。
敵ははっきりといるのですよ。日本国家を自立させるという目的の邪魔になるものは敵です。
日本はある意味でまだ属国ですから、「独立」という目的を掲げて、反米でもなければ反中でもなく、
親日だという筋を一貫して通すスタンス、主張は厳としてあるのです」

渡部
「その対立構図の見えなくなった人が、『文藝春秋』の主流になったのではないか、という印象を受けます」

西尾
「その通り」

渡部
「今の『文藝春秋』が半藤一利氏の色が強いのは確かです。
半藤氏は辞めてからの方が『文藝春秋』に影響力を持っているらしいのはなぜか、不思議です」

西尾
「私はそれを「『文藝春秋』のビンの蓋」と言いました(笑)」

渡部
「(笑)。半藤氏は特別に部数を伸ばした編集長でもないのに、
それがどうして今の『文藝春秋』に影響力を持っているのかは謎ですね」

西尾
「そうですね。私は『WiLL』2009年4月号に、我々が戦わなければならない今の時代の
”典型的進歩的文化人”は半藤一利、保阪正康、秦郁彦、五百旗頭真らの諸氏であると宣言しました」

渡部
「3Hプラス1ですね(笑)」

132:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 09:37:24.33 87C4lOtc0
>>130-131
狡兎死して走狗煮らる、か。、秦、半藤は冷戦時代に保守言論を
守った功労者なのにね。発言力が大きいのは、功の大きさからして
当然のこと。冷戦時代に沈黙していた西尾はともかく、渡部昇一には
心底失望したね。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 09:42:14.61 87C4lOtc0
ついでに、西尾が非難する立花隆は、日本共産党の研究で、戦前の
共産主義の化けの皮を剥いだという、保守側にとってきわめて大きな
功績がある大功労者であることも言っておく。立花、秦、半藤、保阪
らの方が、西尾や渡部よりも保守側にとって功績はでかいんだよ。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 12:28:44.27 vRvthPSH0

エセ保守・四馬鹿
ホラ吹き詐話師(半藤、保阪、秦、立花)=通称3H+T


日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の

戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し

ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって

感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い

金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師カルテット(半藤、保阪、秦、立花)= 通称3H+T

が関わった幼児向け童話・昭和史に、
史実など微塵も無いwww



135:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 12:37:57.57 vRvthPSH0

エセ保守・四馬鹿
ホラ吹き詐話師(半藤、保阪、秦、立花)=通称3H+T
の主張

・張作霖爆殺は河本大作の犯行

・昭和天皇独白録と富田メモは本物

・靖国神社からA級戦犯を排除せよ

・辻政信が太平洋戦争の絶対悪

・満州事変と関東軍の暴走が太平洋戦争の原因

・軍令部の第一委員会が対米戦争を強行した。連合艦隊は悪くない

・山本五十六と米内光政は平和主義者で名将

・とにかく長州は悪い

・東北人、会津人は平和主義者



136:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/19 19:43:35.09 QIEqrNdW0
>>135
>・張作霖爆殺は河本大作の犯行
ほぼ決着が着いていますが。ロシアが何をわめこうと、日本人の
歴史学者が自分たちがやったと言っているのだから、相手にされ
ない。

>・靖国神社からA級戦犯を排除せよ
これは秦の著作にあるが、最初は排除されていて、途中から入れた
から混乱が起きたと非難している。そこまで書かないと不公平。

>・辻政信が太平洋戦争の絶対悪
何か間違っている?暴虐、陰湿、卑怯と、おおよそ人間のクズその
ものなんだが。むしろ、加賀市の銅像をぶち壊せと言いたい。

>・満州事変と関東軍の暴走が太平洋戦争の原因
事実でしょ。満州事変がなければ、太平洋戦争もなかった。もっと
突っ込むと、満州事変後の対応も最悪だった。関東軍も外務省もね。

>・とにかく長州は悪い
誰が言ってる?秦や壮年までの半藤はそんなことは言わないね、
絶対に。

137:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/20 00:11:46.13 FmE+P3sl0

 【山本五十六こそが日本を破滅に導いたA級戦犯】

■日中戦争 勃発、泥沼化 (海軍の予算拡大が目的)

海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の予算獲得のため大量の爆撃機配備をもくろみ
その宣伝のため脅威をあおり中国空爆を計画した。

海軍の南京爆撃は盧溝橋事件以前から準備していた、中国に対する計画的な侵略戦争。
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、直ぐに都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。

山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争泥沼化)
そしてこれこそが全中国人を反日で団結させ、世界を敵にまわす結果を招く。戦略的な効果は殆ど無く日本の被害は増大。

ルーズベルト大統領は海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。(隔離演説)
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を批判したことは一度も無かった。)

■対米開戦

米英不可分論によって対米戦争を主張し、対米脅威論を流布し海軍全体を強行に対米開戦に決意をさせた。
皆の反対を押し切って米国本国であるハワイ、西海岸を奇襲。
戦争に参戦しないというルーズベルトの公約は反故にされ、日本支持だった共和党までが対日、対独全面参戦を支持。
米国世論は反戦から参戦支持に豹変し、アメリカを総力戦に無理やり突入させた。

国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)では、米国との和平を視野に入れていたが、
海軍のハワイ奇襲(東条首相ら政府は知らされていなかった)によってそれは絶望となった。

■その他疑惑
海軍の外務省に対する無通告による真珠湾奇襲の要求は、山本五十六が圧力をかけたのではないかという疑惑がある。
野村大使と海軍の不正な関係も疑いがある。偽りの外交による騙し討ちは、山本五十六が主導した可能性が濃厚。

138:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/20 12:14:40.69 2Ru++P7H0
>>132-133
あなたは貴重な材料を与えてくれました。
まさにあなたのような認識を持った人を渡部、西尾両氏は批判しているのですよ。

どういうことか。それは反共=保守という尺度でしか人を判断できないからそのような的外れな批判が出てくるのです。
つまり自身に日本についての確固たる信念や思想があってソ連や中共を批判していた人と
中身が空っぽでも反共という役回りを演じているだけの人の区別を付けずに
十把一絡げに「保守」とカテゴライズしている過ちに気づきましょうよ、ということです。

あなたが半藤氏や立花氏らのことを「昔は凄かったんだぞ。だから批判するな」と擁護するのは自由ですが
それは冷戦というゲームが行われていた時代の話です。
その頃は日本とアメリカの国益が一致する事が多かったので反共さえ唱えていればそれで良かったのでしょうが
ソ連は崩壊し、中国は共産主義を放棄して冷戦はとっくに終わりました。
そして今や日米の国益がぶつかり合う時代になっています。

その事に気がついてこれからは東京裁判史観の枠内で言論活動をするのかそれを打破するのかという
対立軸で現在の日本の言論界を見ているのが渡部、西尾両氏です。
ですから東京裁判史観という閉された言語空間に留まっている立花、秦、半藤、保阪各氏らについて
「かつては反共で頑張ってた」と言った所で渡部、西尾両氏は現在の話をしているのでその擁護論もまた的外れですね。
冷戦が終わってTPP問題などに見られるように親米保守派と言われた人達の化けの皮が剥がれているのが現状です。

それに冷戦時代から現在に至るまでの半藤氏やロッキード事件での立花氏などの言動を追っていくと
彼らは日本の為ではなくアメリカの国益に適ったことしかやってませんね。

139:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:16:16.50 rSQDhsH30
半藤一利『昭和史』徹底批判  月刊WiLL2010年5月号
評論家・西尾幹二 高知大学名誉教授・福地惇 大阪青山短期大学准教授・福井雄三 情報史研究家・柏原竜一
※本文にあるカッコ<>内の文は半藤一利氏の著書『昭和史』からの引用です

西尾
「さて、本誌ではこの数年、書店の店頭に高く積まれた半藤一利氏のベストセラー『昭和史』(平凡社)の「徹底批判」を試み、
同書の歴史書としての存在資格を問いただします。そこでまず、福地先生にお願いいたします。
半藤さんの歴史観を分かりやすく具体的に説明してもらえますか」

福地
「半藤史観の下敷きは「太平洋戦争史観」(米英支ソが善で日本は悪という至極ご都合主義の史観)だということです。
半藤さんの史観の特徴は、19、20世紀の国際政治、軍事、経済への大局的な視野の欠落です。
半藤さんは、陸軍内部で有力だった「支那一撃論」を必要以上に強調して、日本の軍部が推進した侵略戦争だと言い切る。
支那一撃論とは、シナのわが国に対する「反日・侮日・日貨排斥」運動や「反日教育」、そして在留邦人に対する悪質なテロ行為、
挑発、嫌がらせがあまりにも執拗だったがゆえに、この悪い流れを「一撃」で断ち切りたいとの思いから出てきている。
侵略目的の「一撃」ではないのです。
半藤さんは、敵対諸国を信頼しているが、明治国家体制と軍部、あるいは毅然とした政治家は絶対に許せないようです。
日本民族を信頼していない。ベストセラー『昭和史』は、英米が日本を永遠に従属国に釘付けにする工作として制作した
「太平洋戦争史観」の受け売りだから、日本人のための「昭和史」ではない」

140:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:17:19.48 rSQDhsH30
西尾
「続いて柏原先生お願いいたします」

柏原
「半藤さんの『昭和史』を通読して感じるのは、日本が明治維新以降、国際社会の中で占めていた存在感が
まるで伝わってこないということです。
ここでは、導入として日清戦争における三国干渉にまで話を戻して、私が感じている違和感を説明できればと思います。

三国干渉にドイツが加わった動機は、三国同盟の一方の同盟国であるオーストリアとの関係を悪化させることなく、
ロシアとの関係改善を図れるチャンスでもあったということなんですね。
フランスはロシアに膨大な資金を提供し、その資金を元手にロシアは清朝における鉄道建設に乗り出します。
そしてロシアは満洲を起点として北から南に、フランスはインドシナを起点として南から北に、
他の列強勢力を中国から閉め出すために鉄道建設に乗り出すのです。
しかし、これにはさすがに英国やドイツも反対します。
ですから日本が三国干渉で譲歩すると、ロシア、フランス、ドイツという極東における枠組みは消え去るのです。
このように1890年代の終わりまで、ドイツは英国と露仏同盟の狭間で漂うのです。
重要なのは、ドイツが3B政策(ベルリン・ビザンチン・バグダッド)に代表される積極的な対外進出政策に乗り出すのは、
三国干渉でのロシアとの関係改善に失敗した後であるということです。
三国干渉は日本外交にとっては一つの挫折でした。しかし、ドイツにとっても外交政策の転換点だったのです。

こうした文脈を頭に入れておくと、日英同盟も、南アフリカでボーア戦争に多くの資源を投入せざるを得なかった英国が、
露仏同盟、特にロシアへの対処に苦慮した結果生まれたものであることが分かる。
英国とロシアはクリミア戦争以降、ユーラシア大陸周辺部で、とりわけインド北西部で対立する関係にありました。
いわゆるグレートゲームです。
日露戦争の結果、日本がぎりぎりの所で勝利を収めると、英国はインドを確保できたために安心したわけですし、
ドイツやオーストリアはといえば、弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を一層強めていくことになります。
その帰結が、英仏露と独墺とが雌雄を決した第一次大戦でした。
このように、日本はすでに日露戦争以前の日清戦争の時代から、国際秩序に大きな影響を与えていました」

西尾
「日本だけが、ぽつんと孤立して自己運動をしていたわけではないということですね」

141:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:17:48.65 rSQDhsH30
柏原
「こうした日本の存在感は、半藤さんの『昭和史』からは全く感じられません。
加えて当時の列強の激しい植民地、利権獲得競争にもほとんど言及がありません。
当時の日本が置かれていた国際環境に言及して初めて、当時の日本の対外進出の意義も明らかになるのではないでしょうか。
こうした国際環境への視線のなさが、半藤さんの歴史叙述を大きく損なっているわけですが、
あえて言えば次の二つの点に集約できるように思います。

まず第一にロシアに成立した共産主義政権の活動を軽視している点です。
『昭和史』の第6章では、西安事件に対して
<中国のナショナリズムが一つになって誕生する、まさに対日抗戦を可能にする歴史の転換点>
と述べられておられますが、中国共産党の背後にソビエト・ロシアがいたことを忘れておられるようです。
加えて、ゾルゲ事件、満鉄調査部事件、企画院事件といった共産主義勢力によるスパイ事件にも言及がありません。
とくに、ゾルゲや尾崎秀実の活動は近衛内閣にも深く食い込んでおり、そのインナーサークルで
南進論を強硬に主張していたのはまさに尾崎秀実でした。
しかし、半藤さんはこうした重要な事件を故意に無視しています。

最後にもう一点あげるとすれば、日米戦争に至るまでの過程で、
半藤さんはフランクリン・ルーズベルト大統領の対日敵意を半ば正当なものとして、議論の前提にしてしまっている点です。
はじめから日本は悪者扱いです。そのために記述にかなりの無理が見えるのです。
とくに、仏印進駐を扱った10章ですね。
この部分を読んでも、なぜ仏印進駐が<日本の戦闘意識を世界的に感じさせた>のかがはっきりしません。
当時のインドシナはヴィシー政権のもとにあり、そのヴィシー政権は日本の同盟国であるナチス・ドイツの管理下にあった。
その目的も、援蒋ルートの遮断にあったことが明らかでした。
東南アジアに広大な植民地を所有する英国が脅威を感じるのは十分理解できますが、
アメリカが北部仏印進駐に激怒する理由はないのです。
対米交渉において、日本側がアメリカとの和平を重視していたのですから、植民地フィリピンへの脅威も考えられないでしょう。
むしろ、援蒋ルート封鎖に態度を硬化させたのだとすれば、アメリカの方に下心があったことになります。

それに先立つ1939年(昭和14年)1月の、日米通商航海条約破棄の理由が述べられていないのが気になります。
翌年の在米日本資産凍結、対日石油輸出禁止といった措置も、
独ソ戦の日付の後に次々と実施されていることに注目すべきだと思います。
フライングタイガーズなどの中国への支援を受け持っていた事務方は、
第二次大戦中にソ連側に情報を流していた大統領補佐官のロークリン・カリーですし、
ハル・ノートの原案を作成したのは、ソ連情報機関のエージェントであった財務次官補のデクスター・ホワイトでした。

こうしてみると、アメリカの蒋介石国民党の支援は、アメリカ側の将来の中国市場への野望と、独ソ戦開始のために
風前の灯火であったソビエトを救うための米国政府内のソビエト・スパイによる必死の努力の賜物であったといえるでしょう。
ルーズベルトは、中国と日本、そしてアメリカと日本の戦争を望んでいたのです。
半藤さんの言うように、軍部の愚かしさだけに先の大戦の原因を求めることは相当の無理があると思います」

142:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:19:32.28 rSQDhsH30
西尾
「それでは福井先生」

福井
「昭和史に対する半藤さんの歴史観は、二つの大きなトーンをベースに構成されています。
一つは陸軍悪玉、海軍善玉という善悪二元論であり、もう一つは日清・日露戦争までの明治を栄光の時代と捉え、
昭和前期の歴史を暗黒と破滅の時代と捉える、これもまた明治善玉、昭和悪玉の善悪二元論です。
この二つのトーンは表裏一体でからみあっているのですが、半藤さんのあらゆる歴史作品は、
このあまりにも単純極まりないずさんな固定観念をバックボーンにして、最終結論にもっていくべく構成されている。
つまり「最初に結論ありき」で、ある一つの決まった結果、結論をもとに、過去の歴史を裁いているのです。

半藤さんがいわゆる司馬史観の系譜を受け継ぐ一人であることは周知の事実です。
ノモンハン事件は司馬さんが書こうとして果たせなかった最大のライフワークのテーマです。
司馬さんの死後、半藤さんがその遺志を受け継ぐかのように書いたのが『ノモンハンの夏』(文藝春秋)であり、
また『昭和史』の第7章に書かれている「ノモンハンの悲劇」という項目です。

半藤さんの文章表現には甚だしい特徴があるのですが、それは形容詞が異様に多いということです。
たとえば、陸軍の参謀たちを評して「愚劣、無責任、無謀、独善、泥縄、手前勝手でいい調子、
おぞけをふるう巨悪、夜郎自大、いい気なものよ」こういった表現のオンパレードなんです。
ところが、ノモンハン事件は司馬さんや半藤さんの解釈と違って、実は日本軍の大勝利だったことが
最近の研究と史料公開によって明らかになりつつある。
ですが、半藤さんにすれば「ノモンハン事件は、陸軍の愚かしさと昭和の破滅の象徴である」という司馬史観の最後の到達点を、
石にかじりついてでも守り抜こうとしている。最初に結論が決まっているから、その線に沿って書くしかないんです」

西尾
「半藤さんはよほど陸軍に恨みがあるのでしょうか(笑)」

福井
「同じことは海軍に対する評価についてもいえるんです。半藤さんの抱いている海軍善玉説、これはやはり日露戦争で
バルチック艦隊を撃破した明治海軍はすごいが、それにひきかえ昭和の陸軍はだめだということなんでしょう。
ところが昭和の戦史を緻密にチェックしていくと、海軍善玉などということはとてもいえません。
とりわけ、太平洋戦争などは開戦責任も含めて、あのような悲惨な結末をもたらした原因は、むしろ海軍の責任のほうが大きい。
太平洋戦争は海軍の戦争だったんです。日本の陸軍の伝統的戦略方針は対ソ戦、北進論を中心とするものでした。
陸軍としては、北方のソ連の脅威とシナ問題をいかにうまく処理するか、ということが最大の関心事であって、
アメリカとの戦争など陸軍は最初から考えていなかった。

それに対して、日露戦争以降の海軍の仮想敵国はずっとアメリカでした。
西太平洋の覇権をめぐって、日米はライバル関係になっていたんです。
満洲事変のときの第一次上海事変も、日華事変のときの第二次上海事変も、出兵を強硬に主張したのはむしろ海軍です。
海軍の戦略は伝統的には南進論ですが、南進の果てにはアメリカとの衝突が待ち受けている。
そして仮にアメリカと衝突したとしても、あのような悲惨な敗戦を回避できる方法はいくつかあったのです。
しかし、山本五十六の滅茶苦茶な作戦のせいで、日本は一挙に破滅へ転がり落ちてしまった。

ところが海軍はそれをひた隠しにし、大勝利と偽って報告し、山本の責任も問われなかった。
東條英機が敗戦直前に至るまで、ミッドウェーの大敗北を知らされていなかったというのは、有名な話です。
しかし、半藤さんは『昭和史』でも『山本五十六』(平凡社)でもそうですが、山本をまるで悲劇の英雄であるかのように美化し、
日本海軍の犯した戦略の誤りについては分析のメスを入れていない。これは非常におかしな話です」

福地
「半藤さんは山本五十六と同じ新潟県、越後の国のご出身でしたね。県人会的親近感が強いのでしょうか(笑)」

143:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:22:01.25 rSQDhsH30
福井
「太平洋における戦闘の記録を見ていると、海軍は果たして本当にまともに戦争する気をもって戦っていたのかどうか、
それすら疑わしくなってくる場面が多々あります。
補給線を無視し、戦線をどんどん拡大していって、南方の島々に陸軍を置き去りにしてしまった。
その結果、世界最強とうたわれた日本陸軍が補給を断たれ、
その実力を発揮できぬまま、南方の孤島で飢えと病気のために次々に命を落としていったのです」

144:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:23:42.94 rSQDhsH30
西尾
「この本はページをめくるたびに至る処、疑問ばかりです。第一次大戦についてこう言います。
<日本は、関与せず知らん顔していればできたのですが、あとになって分け前が欲しくなって突然参加>したそうです。
欧州戦線へ向かうオーストラリア・ニュージーランド連合軍を海路守った日本海軍の苦労も書いてないし、
地中海で商船を守るために自爆し、マルタ島に今でも眠る日本軍人のことも書いてありません。
満洲建国は半藤さんによると、
日本が<いきなり植民地にするのは無理なので、(中略)独立国のかたちにしてやって、その後に領有する>
下心がすべてだったんだそうです。実際に戦後満洲を「領有」したのは中共ですが、
満洲はもともと中国(漢民族)とは別の国だという認識がこの本の著者にはまったくありません。
<いち早く国際連盟が動くとか、中国の大部隊が満州に入り込んでいれば、日本もそう簡単に占領できなかったのですが・・・>
当時、蒋介石は<肝心要の日本を主敵とするという気持ちがまったくない>といかにも残念そうで、
私はいったいどこの国の立場でものを言ってるの?と聞きたくなりました。

義和団事件で日本の駐屯軍の人数は最初少なかったのだけれど、
<どさくさ紛れに日本はどんどん増やし・・・>という言い方です。
あの時、ボーア戦争でイギリスは兵が割けず、日本に急に派兵を頼んできた。
日本軍は規律正しく、現地の良民は日本軍駐屯地に逃げこんだのです。

盧溝橋事件だけは、最初の発砲が中国軍側であったことは、さすがにこの人も認めざるを得ません。
しかも、二度目の挑発までが中国側からあったことも書いているのに、
損害もないのだから放っておけばよかったのだと言います。
そして、牟田口連隊長という悪いやつがいて、彼がことを荒立ててしまったために戦争が始まったと言います。
しかも、彼は「左遷」されていたので
<当時48歳、何か殊勲を上げて、飛ばされた無念を晴らしたいという思いがまだあったのではないでしょうか>
などと、どんなこじつけも見逃さず、中国が先に手を出したのに、何でも日本側が悪いという方へもっていきます。
<軍人というのは困ったことに、戦争をして勲章をもらわないとなかなか出世しません>
こういうものの言い方が何度も出てきます。
ノモンハン事件も、「勲章欲しさもあり」戦争を起こしたのだそうです。日本兵の略奪の記録をわざわざ持ち出していますが、
匪賊(強盗団のこと)の跋扈する中国大陸で何百年にもわたり自民族に対する略奪、放火、強姦、民間人殺戮は
中国兵のいわば「慣行」であり、「属性」であったことには触れられていません。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/21 08:24:32.15 rSQDhsH30
西尾
「むかし、「正義の味方・黄金バット」という子供向きのテレビドラマがありました。
悪者がはびこる地上に、いよいよになると黄金バットが登場して懲らしめてくれるのです。
悪者はそれが出てくるのを恐れているのですが、分かっていてつい悪いことをしてしまう。
半藤さんのこの本で、悪者は日本軍で黄金バットはいうまでもなくアメリカです。

1932年(昭和7年)頃まで
<アメリカは日本に好意的でした。国際連盟がガタガタしだした時も、アメリカは日本たたきの先頭になることはなく、
日本の立場が自衛戦争であるかには若干首をかしげるところもあったとは思いますが、
少なくとも、意図的な侵略戦争とはとらなかったのです。が、ついに錦州は占領する、山海関へも出て行くとなりますと・・・>
日本は犯罪国家になりだした、とアメリカという「正義の国」が世界史を裁く大審問官となって厳かに宣告を下した、
という筋書きです。
これは戦後アメリカが持ち出した聖戦物語で、
私たちの世代が子供の時からさんざん聞かされたいわばGHQの作り話にすぎません。
半藤さんはあれから60年も経って、アメリカの動機の裏もすっかり見えている今の時代に、
GHQに洗脳されっぱなしというのは一体どういうことなのでしょうか。

今まで多くの日本人は、なぜ日本はアメリカのような巨大な国と戦争をしたのかと問うてきました。
半藤さんのこの本もその意味での日本人の失敗、あるいは愚行を問責しているといえます。
けれども、私はむしろこう問いたい。アメリカはなぜ日本を相手に戦争をしたのか、と。
何の必要があって、また何の利益や目的があってやったのか、と。今はむしろそういう問いを立てるべき時代です。
パトリック・ブキャナンという有名なアメリカの評論家が、不必要な戦争であったというようなことを言い出しています。
不必要などころかアメリカの参戦が世界の災いをむしろ拡大した、という見方をです。

人種問題は20世紀政治史の根底にありますが、半藤さんの念頭にはありません。
白人たちは夷をもって夷を制する方策を立てて、日中を争わせました。
ソ連はこれにより日本の北進を防ぎ、イギリスはアメリカの参戦を誘い、欧州の対独戦争にこれを利用したのでした。
なぜアメリカは日本と戦争をしたのでしょうか。日本の大陸での努力を不必要に妨害したのはなぜでしょうか。
もしアメリカに大陸にこだわる理由や目的があったのなら、なぜ国民党を見捨てて、
毛沢東にすべてをくれてやるようなばかな不始末をしでかしたのでしょうか。
日本がなぜアメリカと戦争したかというよりも、もっと大きな謎です」

146:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/22 02:24:26.69 X4wRGFt20
ID:rSQDhsH30乙!

147:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:17:39.74 Cd8gqhMb0
>>146
ありがとうございます。
本を見ながらキーボードを打つのは意外とシンドイもんですねw
「半藤一利『昭和史』徹底批判」は続編がありますのでそちらもアップします。

148:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:21:43.64 Cd8gqhMb0
半藤一利『昭和史』徹底批判2  半藤一利『昭和史』は紙芝居だ  月刊WiLL2010年6月号

評論家・西尾幹二 
高知大学名誉教授・福地惇 
大阪青山短期大学准教授・福井雄三 
情報史研究家・柏原竜一

※本文にあるカッコ<>内の文は半藤一利氏の著書『昭和史』からの引用です

西尾
「本誌5月号における「半藤一利『昭和史』徹底批判」は読者の方々から大きな反響をいただきました。
「半藤氏の歴史観は、どこかおかしいと思っていた。また、そのことをどのメディアも取り上げようとしないことに
憤りを感じていた。よくぞ、言ってくださった」との共感の声を多数いただきました。
そこで、今回は自由討論の形式をとり、半藤一利『昭和史』徹底批判を、多角度から、より深めていきたいと思います。
まず前回の続きから入ります。
日露戦争後のアメリカの対日政策の急転回、日本仮想敵国視のはじまりは重い問題でした。
この点に関して、柏原さんお願いします」

柏原
「アメリカの20世紀(戦間期)における不可思議な対応に対して、言及したいと思います。
まずアメリカとロシアとの関係をみる必要があります。
当時はコミンテルンの勢いが猛威をふるっていました。
それが西側諸国に大きな影響力を誇っていたことはご承知の通りです。
とくにドイツです。ドイツは常に革命が起こる中心地と目されており、
それ以外にフランスなどに大きな影響力を奮っていました。
たとえば、フランスであれば30年代の空軍大臣にピエール・コーがいるんですが、コーは共産主義者でした。
ことほどさように、西側諸国への共産主義者の浸透は著しかったわけです。

ここで強調したいのは、アメリカに対する共産主義勢力の浸透が早い段階から始まっていたということです。
実際には1917年(大正6年)のロシア革命と同時期、かなり早い段階から進んでいた。
この時期からニューヨークのウォールストリートの支援のもとに、ソビエトの情報活動が始まっていました。
たとえば、ソ連の政治家トロツキーはロシア革命勃発時にはどこにいたか。ニューヨークだったんです。
ニューヨークで本当はお金もなにもないはずなのに、かなり豪勢な生活を送っていたことが知られています。
しかも革命勃発後、本国に帰国する際には一万ドルの資金を手にしていたことが明らかになっています。
ウォールストリートの中にロシア革命を支援するものがいたということは、
アンソニー・サットンの『ロシア革命とボルシェビキ革命』という本にも詳細に書かれています」

西尾
「ロシア革命を支援する金融資本家がいたということですね」

柏原
「そうです。それで活動がはじまるわけですが、
問題は、なぜウォールストリートがロシア革命を支援したのか、ということです。
当時、ロシアはフランスの主要な資本輸出先でした。それは露仏同盟の効果です。
したがって、ロシアに革命が起きるということは、
アメリカやあるいはイギリスのシティの資本家にとっては、一つのビジネスチャンスだったんです」

149:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:22:55.78 Cd8gqhMb0
西尾
「資本家は、金になれば何にでも見境なく群がるんですね。フランスはどうしたんですか?」

柏原
「フランスにとっては、ロシアにおける既得権益が脅かされることになります。
ロシア革命は既存の利権構造を消滅させてしまいました。そこに、西側の多くの企業や起業家がつめかけたのです。
ただ個々の企業のレベルでは、フランスの企業が英国の企業を出し抜くという事例もみられましたので、
フランスだけが馬鹿を見たというわけではありませんでした。

表向きは、イギリス政府もアメリカ政府もロシア革命には強硬な対応をとっていました。
その一方で、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック社)といった大企業から、
アーマンド・ハンマーといった共産主義者のベンチャー企業家までが
ロシア政府と個々に契約を結び、そこから利益を受けていたんです。
米政府内部でも、ロシア革命政権に否定的な国務省と、
積極的に対ソ貿易を推進しようとする商務省との間で矛盾した対応が見られました。
一見険悪な当時の米ソ関係は、経済面からすれば、外見とは逆に蜜月だったのです。それがまず第一点です」

西尾
「中国大陸で国民党政権を応援すると称しながら毛沢東に領土を明け渡したり、
東ヨーロッパで第二次大戦直後ほとんどアメリカが占領しておきながらソ連に明け渡したりしたことも、
柏原さんがおっしゃるアメリカ中枢における共産主義勢力への甘い期待や協力意思があってのことで、
それが後の時代にも遠く働いたということですか」

柏原
「ここで私が念頭に置いているのは、戦間期ですね。ですから、ここでの議論は大恐慌前後の時期です。
かつて、「共産主義とは何か?それは電化である」というスローガンがありました。
実際には、電化を担っていたのはアメリカやドイツの企業だったんです」

西尾
「シベリア出兵に対して、アメリカが日本の軍隊よりも赤軍の方に好意的だったという背景もその辺にあるのでしょうか」

柏原
「シベリアには、アメリカの企業に多くの利権が用意されていました。
アメリカ側に鉱山資源の開発権を認めたのは、実際上はソビエトの国家承認のための賄賂でした」

西尾
「では、他に後代のどんなところに影響が出てくるのでしょうか」

柏原
「表面的な対立とは裏腹に、実務ベースでの経済関係の深化によって、
アメリカの中の反共勢力(国務省・FBI)が容共勢力(商務省・企業)に押されていくわけです。
ルーズベルト政権での国交回復は、一つのピークでした。
これ以降、ロシアの影響力が加速度をつけてアメリカに浸透していくことになります。
ですから、昭和史の議論をする際には、日本だけではなく日本の背後にいた国々やその経済関係に着目する必要があるのです」

150:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:24:22.04 Cd8gqhMb0
福地
「スターリンの五ヵ年計画は、日本の政治家や軍人たちに相当な威圧を与えました。
誰がスターリンに資金提供をしたのか。ロシアは自力ではできないはずなんです。柏原さんどうですか」

柏原
「そうです。ノーマン・サウルの『友人か敵か』等の研究書からもわかるように、
第一次五ヵ年計画には多くの西側企業が関わっていました。
現実には、西側の技術や資本に依拠していた五ヵ年計画を、我々は共産主義の偉大さと誤解してきたのです。
ですから日本の政治家が悪かったのではなく、背後に経済的な利益目的から悪魔とでも手を結ぶ勢力があったのです。
そこが本当は問われなければならないところです」

西尾
「日本にもそのような勢力がいたのですか」

柏原
「その代理人はいました」

福地
「はっきり確認されているのはゾルゲとつるんだ尾崎秀実ですね。
近衛のブレーンとして、経済もかなり牛耳ります」

福井
「今の柏原さんの説は斬新ですね。
1920年代から30年代の革命後のソ連は、鉄のカーテンで孤軍奮闘だったと思われていますが、
西側から企業グループが入り、ビジネスを行っていたんですね」

柏原
「ひとつの例を挙げると、自動車会社のフォードは戦間期にロシアに工場を作っており、
その際にはアメリカ人がロシアに移住しているんです。戦後、日本が北朝鮮を理想の国として帰還運動をしたように」

西尾
「いかに共産主義への幻想があったかということですね」

柏原
「そうです。冷戦に入り米ソ間があやしくなると、彼らはパスポートも取り上げられた。
ロシアに対して、棄民のような扱いとして残る」

西尾
「アメリカ政府が棄民としたわけですね。どのぐらいの数ですか」

柏原
「一万人以上といわれています」

西尾
「収容所群島という奴隷労働といわれるものがありますが、それとアメリカの棄民がどう繋がっているんですか」

柏原
「彼らは30年代初頭、ソビエトで大歓迎を受けるのです。
しかし、スターリンの大粛清によって収容所送りになってしまう。
ルーズベルト政権の下で国交も確立されるのですが、彼らのことは忘れ去られるのです。
冷戦の背後に隠れた悲劇ですね」

151:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:26:14.26 Cd8gqhMb0
柏原
「ついでに、ドイツとロシアの関係をご紹介します。
1922年(大正11年)、ドイツとロシアの関係でもラッパロの秘密協定が結ばれていました。
これは一応軍事的な協定で、ドイツ軍の軍人がロシア共産軍の訓練を肩代わりする代わりに、
ロシア側が実験施設等を提供するという協定です。ただ、関係は軍だけには留まらず、
ドイツの財界、ドイツの軍事産業といってもいいですが、軍事産業といった財界がそこで利益を得ようとしたのです」

西尾
「ラッパロ秘密協定は、ドイツが英仏によって忌避されたために、ロシアと結んだ協定でしたね」

柏原
「当時、ドイツとしては進出の余地がある場所であれば、どこにでも出ていくという勢いでした。
それで、ロシアの革命政権とも親密な関係を築いており、コミンテルンの一大拠点ともなり得たのです」

西尾
「日本はぼんやりと、イギリスとだけ付き合っていたわけですか。
共産主義のイデオロギーがドイツ中枢に入っていたというのに」

柏原
「ドイツとロシアの壁はなかったわけです」

福地
「戦争の時代になるとルーズベルトという男が大統領としてアメリカを代表するわけですが、国民は全然違った考えをしていた」

柏原
「当時の米ソの経済関係を媒介していたのは、多くのフロント企業でした。
有名なところだと、アムトルグが知られています。これは通商機関であり、貿易会社でした。
ソビエトはこのアムトルグを根城にして、情報活動を行っていたのです。
他にもソビエトの息のかかったフロント企業は世界中に分布していましたから、
コミンテルンなどの共産主義活動は、経済のネットワークに依拠して世界中と結びついていたわけです」

152:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:27:18.52 Cd8gqhMb0
柏原
「二点目が、当時のアメリカを考える上で重要なことが、アメリカとイギリスの関係です。
その前提となるのがルーズベルトの失敗です。
アメリカのルーズベルト大統領が二期目に入ってもニューディール政策は一向に機能せず、
むしろ、当時ナチスドイツが政権をとっていたヒトラーのほうが経済政策では大成功を収めていた。
つまりアメリカの失敗、ドイツの成功といった図式が見えていました」

西尾
「それは何年頃ですか」

柏原
「30年代中盤です。ドイツはアウトバーンをどんどん作って、大恐慌からいち早く脱しようとしていました」

福地
「アメリカ大統領ルーズベルトは、ニューディールに失敗していた」

柏原
「ルーズベルトとしては焦りがあったんだろうと思います。
このままでは失敗した大統領として終わるということを考えていたと推理できます。
一方で、当時のイギリスは第二次大戦に突入していました。39年のドイツのポーランド侵攻に始まり、
オランダ、ベルギーを経由してフランスもナチスの手に落ちると、ドイツと直接対決をするという状況に入っていきます。
大陸をヒトラーに押さえられたイギリスは、ヨーロッパから孤立していた。
当時の首相のチャーチルは、英国存続のためにはアメリカの協力が不可欠だと考えます。
ルーズベルトはもう一期やって、第三期目の大統領に就任してなんとか汚名を晴らす必要がありました。
そこで、彼らの交流というものが大きくクローズアップされていくわけです」

西尾
「双方の思惑が重なり合っていたわけですね」

柏原
「そこで設立されたのが、カナダ人のビジネスマンであるスティーブンソンがトップのBSC(イギリス安全保障調整局)です。
BSCはイギリスのアメリカにおける情報機関で、ルーズベルト三選を成功させるため、
そして第一次大戦以降、参戦に反対してきたアメリカの世論を変えるべく行動していきます。
アメリカの孤立主義を主張する者に対して悪質な中傷を流し、世論調査を改竄し、
究極的にはアメリカの大統領選に介入していくわけです。
有名な例として知られていますが、民主党に属していたウェンデル・ルイス・ウィルキーを共和党から擁立させ、
アメリカを戦争に巻き込まないため尽力した共和党のフーバー大統領を党大会で妨害工作をした。
その代償として、レンドリース法(武器貸与法)を使って、
イギリスに対しては積極的に武器の援助を図っていくプロセスがありました。
ですから、英米の特殊な関係とよく言われますが、ルーズベルトとチャーチルの「特殊な関係」を抜きにして
日本の大東亜戦争(太平洋戦争)は記述できないのです」

西尾
「おっしゃる通りですね」

柏原
「アメリカの非合理な行動は、たしかに日本人の眼からみると不可思議ですが、アメリカから見ると非常に合理的でした。
金儲けをしたいという動機がアメリカにはすごくありますから、蒋介石政府に近づき、武器をせっせと売ったりしたわけです」

153:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:27:57.24 Cd8gqhMb0
西尾
「半藤さんの『昭和史』では、まるで日本一国が閉じ込められており、世界史の中では生きていないように感じられます。
そして、アメリカが第二次大戦にはなばなしく勝利し、ドイツが没落していったという
今日の結論からすべてを導いており、いわば結果論だけの記述です。
ところがあの時代を考えてみると、ドイツはアメリカをも凌ぐ経済成長を遂げ、アメリカは焦っていた。
アメリカが勝利をおさめ、現在のような超大国が出現するなど、確たることは誰にもわからなかった。
イギリスも勝利するかどうかはわからなかった。イギリスはヨーロッパから追い落とされるのではないかと思われていた。
ドイツに勝つとは考えられていなかったんです。アメリカの行方も不安に蔽われていた。
世界中にソ連に対する幻想もあった。もちろん、アメリカにも。
共産主義が没落している今の時点から物事を見てもダメなんですよね。

ですから、日独伊三国同盟というものを結んだからといって、アメリカと戦争になる愚かな選択だったかどうかなど、
その時点では分からなかったわけですよ。アメリカの参戦意思は突如として起こるわけですから。
そしてまた突如として暴力的になるわけで、
そのようなことが起こる前の我が国が置かれていた立場ははっきりとは見えなかった。
ナショナル・エコノミー(国民経済)が成功していたのは日独伊なんですよ」

福井
「ファシズムのですね」

西尾
「三国が、経済的に結びつく必然性が当然あった。我々はその時代に即して考えなければならないんです。
今の時代の結果から書いたんでは、歴史叙述にならないんですよ」

154:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:28:43.78 Cd8gqhMb0
福井
「半藤さんの場合は最初に結論ありきで、自分の思い込みと独断を前提に議論を進めていくため、
その後の論理展開が間違った方向にずれてしまっているんです。
典型的な例を一つあげると、『ノモンハンの夏』(文春文庫)でおかした誤りを、
半藤さんは『昭和史』でそっくりそのまま繰り返しています。
まず、半藤さんは『ノモンハンの夏』で徹頭徹尾、日本軍の頑迷固陋ぶりを強調し、
愚かしい組織がいかに滅んでいくかの、絶好の見本として描いています。
ところが、末尾の部分にわれわれは、思わず「おや」と首をかしげるような意外な記述を発見する。

半藤さんはソ連の最新情報公開の資料を借りながら、最終第7章で
<ソ連軍の死傷者も、最近の秘密指定解除によって、惨たる数字が公開されている(中略)
全損耗は2万4492人となるという。圧倒的な戦力を持ちながらソ蒙軍はこれだけの犠牲をださねばならなかった>
と、ソ連の方が日本よりも多くの犠牲を出したという事実をそっと示唆しているんです。
これは全体の末尾の部分にさりげなく挿入されているので、本をほとんど読み終えて頁を閉じかけようとしている読者は
その重大性に気づかず、見落としてしまいがちですが、絶対に見過ごすことのできぬ重大なポイントです。

彼が『ノモンハンの夏』を出版したのは、ソ連崩壊後の情報公開で、
ノモンハン事件の真相が次々に公開され始めた時期に当たります。
おそらく半藤さん自身、この"小説"を書き終える頃になって、
さすがに「私はこの旧ソ連公開の最新情報を知りませんでしたでは済まされなくなる」という危惧の念を抱いたのでしょう。
あらかじめ予防線を張っておく意味でも、末尾の部分に目立たぬようにそっとつけ加えたんです。
だが、この記述がいかに重大な爆弾のような意味を秘めているか。
彼は自分の作品全体を構成している前提条件が、すべて根底から覆されてしまうことをみずから認めていることになります。
半藤さんは最後の土壇場で、「ノモンハン事件は実は日本軍の勝利でした」と一言だけそっと示唆して、
読者にどんでん返しを食わせ、煙に巻いているんです。しかも、それに対する説明はいっさいなされていない。
半藤さんはこのように、一見面白いストーリーを構成し語っていながら、
最も本質的な重要なテーマの部分にさしかかると、うやむやに焦点をぼかして説明を回避してしまう。

そして、『昭和史』では、
<ソ連軍も蒙古軍を含めるとたいへんな死傷者を出していて、2万4992人といいますから日本よりも多いんです。
それで近頃、うわついた評論家など「ノモンハンは日本が勝ったのだ」という人が少なくありません。
そりゃ死傷者数だけみれば、日本の兵隊さんが本気になってよくぞ戦ったというところもありますが、
結果として国境線は相手の言う通りになったのです。(中略)日本軍が勝ったなどとても言えません>
と論じるのですが、これは完全な本末転倒です。

従来、司馬さんや半藤さんの強調したノモンハン論議は、「高度に近代化されたソ連の機械化部隊に対し、
貧弱な装備の日本軍が肉弾戦を挑んで、一方的になぶり殺しにされた悲惨な戦闘になった」
という、戦闘内容の評価に関するものでした。
そして、これは科学技術の軽視と非合理主義が近代日本の悲劇であったとする、司馬・半藤史観の原点でもありました。
ノモンハンの戦闘内容の真相が明らかとなった今、半藤史観は完全に破綻しているのです。
結果的に外交交渉のまずさで相手の要求に押し切られたからといって、
それは半藤さんがこれまで展開してきたノモンハン論議の本質とはなんの関係もない。
単に自らの誤りを認めたくないという負け惜しみの言い訳に過ぎません。

多少なりとも歴史の専門知識を持つ者から見れば、そのような語り口の背後に潜む矛盾と落とし穴にすぐ気づく。
ところが、一般の読者のほとんどがそこまで注意しながら彼の本を読まないので、
まるで落語を聞いているような心地よい、半藤節の語り口にいともやすやすと誘導されてしまうんです」

西尾
「考えてみれば、これは恐ろしいことですよね」

155:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:29:30.22 Cd8gqhMb0
福井
「もう一つ例を挙げましょう。半藤さんは、山本五十六を徹底的に美化して描いています。
劇的な戦死を遂げた悲劇の英雄として描かれ、海軍善玉の象徴的人物にされています。
たしかに山本五十六は戦争が始まるまでは親米的で、アメリカとの戦争には反対でした。
だがこれは山本だけではなく、当時の良識ある人なら誰でもそうでした。
問題は開戦以降の彼の行動です。
海軍が、長年にわたってその頭脳を総力結集して練り上げた漸減邀撃作戦を無視し、艦隊決戦にこだわった。
そして本来ならば、日本が長年にわたる持久戦法により、優勢のうちに展開することができたはずの日米戦争で、
虎の子の連合艦隊主力を一挙に失い、日本を破滅に追いやってしまったんです。
連合艦隊よりも海軍軍令部の方が立場は上ですが、彼は軍令部の作戦を無視し、
自分の辞任をちらつかせて横車を押し通し、おのれの独断で作戦を強行して大敗を喫した。

山本のこのような軍人としての戦略ミスに対してこそ、徹底的な分析と批判のメスを入れねばならぬのに、全く無視されている。
このように、いざ肝心要の最も重要な部分にさしかかると、彼の筆は突如として形容詞の美辞麗句が踊りだし、
読者はいつのまにか煙に巻かれてしまうのです。

『山本五十六』(平凡社)からいくつかの例を挙げましょう。
<名をも命も惜しまざらなむ>
<この愚劣きわまる戦いでは名をも捨てた。敗者の矜持も顧みない>
<この戦は、俺の流儀で戦ってやる、他の批判も後世の検証も恐れない、という捨て鉢な決意を固めた>
<山本は敢えてやれといわれるなら"自分の戦争"をやるまでだと決心し、それに固執した。
大本営が考える"南方要地を確保して敵の来攻を待つ長期不敗の構想"など、彼にあっては愚の骨頂なのである>

まるで、源義経かあるいは赤穂浪士の浪曲をうなっているかのような語り口です。
この結果が、日本にいかなる悲劇を及ぼしたかという点こそ、徹底的に議論され検証されなければならないのに、
半藤さんはそれをしない。自分の都合の悪い事になると一切説明を省いて、焦点をうやむやにぼかしてしまうんです」

西尾
「山本五十六については、『昭和史』を読んでいても、平和主義者として何度も記述し、
海軍の平和への志の高さを述べておきながら、突如として
<山本五十六連合艦隊司令長官が「対米戦争はもはや避けられないのであろうか。
やむを得ん。いざとなったら真珠湾を攻撃しよう」と考え出したのはこの時でした。
言い換えれば「いざとなったら伝統の戦術などかなぐり捨てて、俺流の乾坤一擲の戦法でいく」ということです。
戦争への道を突き進む海軍中央の動きを止める手段がまったくないとみた
彼の苦悩の選択ではなかったかと思えないでもありません>
と記述します。

コロッとひっくり返るんですよ。これは、今まで彼がいっていることと正反対の明らかに矛盾した記述です。
これじゃあまるで、「さあ見ていらっしゃい、聞いていらっしゃい」という紙芝居屋さんですよ」

156:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 08:31:48.00 Cd8gqhMb0
福井
「それともう一つ半藤さんの特徴を挙げると、彼は世論に非常に敏感であるというのか、
アンテナを張りめぐらせて、大勢の変化をキャッチしながら風見鶏のように即座に対応できる人なんです。
2004年に、『中央公論』が「日露戦争百年と司馬遼太郎」という特集を組んだときも、
私は司馬史観徹底批判の立場で執筆しました。
それと相前後して、読売新聞が「司馬史観見なおし」の一大キャンペーンを行い、
このような潮流が生じると見るや、彼の論調も微妙に変化するんですね。
その直後、半藤さんは『諸君!』で司馬史観の中核である乃木希典愚将説に異議をとなえています。
これは、司馬史観の受け売りに近かったそれまでの半藤さんの立場と明らかに矛盾します。
私は、半藤さんの弁明を求める必要があると判断し、
2006年に『中央公論』誌上で半藤さんに公開論戦を申し込んだのですが、案の定、だんまりを決め込まれました」

157:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 20:33:11.73 8qcUUlH00
>>147
膨大な書き込みに感謝。
多数が納得しうるこのような正論が厳然と存在することを知り
多くの人が安堵することでしょう。


158:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 23:53:08.93 Cd8gqhMb0
>>157
そう言っていただけると書き込んだ甲斐があったというもんです。
6月号分の156の内容からはまだ続きが少し残っているのでそれも載せておきます。

159:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 23:55:56.89 Cd8gqhMb0
西尾
「半藤さんの矛盾した記述について、他の例でも挙げましょう。
米内光政が信頼する部下の高木惣吉の言葉を引用して、
<英国も日英同盟をアメリカに売ったし、ドイツが防共協定をソ連に売ったからといって、さまで驚くにあたらないであろう。
ソ連でもまた独ソ不可侵条約をいつ英米に売らないとは保証できない>と記述します。
これはその通りになりますし、この高木惣吉の考えは卓見であり、当時の国際情勢を冷静に捉えた発言です。
したがって、半藤さんも
<これが冷静な見方だと思います。条約なんていうのは、いつだって、まずくなれば売り渡してしまうものであって、
これは現代もそう変わらないんですね。国際信義など下手すれば国家的利害のためだけにあるのかもしれません>
と述べています。これは正論なんです。

であるならば、いよいよそのときが来て、1941年(昭和16年)に日ソ中立条約を締結した松岡洋右外務大臣が、
ソ連による独ソ不可侵条約の破棄と、ドイツのソ連侵攻という由々しき事態を受けて、
<断固としていま、ソ連を攻撃しよう>と言ったことについて、
<無責任な外務大臣ですね。いまになるとまことに滑稽としかいいようがない>
と、何のためらいもなく簡単に批判していることは、
半藤さんの単なる「松岡憎し、松岡を悪者として描きたい」という、それだけの単純な動機を認めざるを得ません」

福井
「断固としてソ連攻撃を主張した松岡の行動は、非常に現実的で合理的な判断でしたね。
条約などというものはその場しのぎの単なる時間かせぎで、自国にとって機が有利に熟せばいつでも平然と破り捨てる。
これが当時の列強諸国の常識だったのです。
ヒトラーもそれを熟知していたからこそ、先手をとってソ連を攻めたのだともいえる」

160:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/23 23:57:38.67 Cd8gqhMb0
西尾
「松岡は非常にリアルな判断をします。ドイツのソ連侵攻という由々しき事態が発生し、情勢が急変した。
その時、松岡大臣は断固として、今ソ連を攻撃しようと言い出した。これは私に言わせれば正しい判断です。
この段階で反転してソ連を討つ、つまり今までソ連と契約を結んできた松岡が、にもかかわらず、
事ここに至ったら今度は米英側に立ちソ連を攻撃していれば、アメリカは対日参戦はもとより、
あるいはドイツとも戦争をする口実を失う可能性があったんですよ。

つまり共産主義を倒すということが英米の最初からの目的にあるわけですから、
そうなれば世界の歴史が変わり、共産主義の問題はかたがついて、ソ連包囲網が世界中に敷かれ、
日本もその勢いにのることが可能だったと松岡は見抜いて、今こそ転じようと言った。
しかし、近衛文麿をはじめ当時の政府重鎮には通じなかった。
外交戦略としてみれば、松岡の判断は決して間違っていなかったんです。

そこで言いたいのは、半藤さんが高木惣吉の意見に賛同しておきながら、松岡の意見を罵ることはおかしいことです。
松岡を悪者に描きたかっただけで、その点の矛盾にまったく気がついていない。
これは歴史を結果から、結果の善悪から描いて、しかもその善悪判断は半藤さんの個人的感情に基づくだけなんです。
戦争がいよいよ近づくとなると、アメリカの対日参戦の意思は強い、たとえば・・・」

福地
「満洲事変のときのスチムソン・ドクトリンに、強い意思が表れていますよ。
あの時すでにアメリカは戦争をやるぞと。ところが、半藤さんはそうではないという解釈をしている」

西尾
「アメリカの意思が非常に強いということでいえば、たとえば、天皇に対して杉山参謀総長が、日米関係はと聞かれて、
陛下に日米関係は病人に例えると手術をするしかないところにきていると、危険ではあるけれども
そうすれば助かる望みはないわけではない、思い切って手術をしなければならんと存じますと、そう言っている。
これは1941年(昭和16年)7月ですね。もうギリギリのところへきてそう言っている。
これを、半藤さんは無責任でキチガイのように書いているんですよ。
しかし、この時の杉山参謀の言っていることは私には当然な表現だと思います。

それから少し経って、東條英機がとてもアメリカが要求するような条件をのむことはできない、
これは近衛・ルーズベルト会談をしたいと思いながら
松岡が帰ってくるのを待っていたためにチャンスを逸した、というくだりがありますね。
そこで、ルーズベルトから頂上会談はできないと断られると近衛内閣は愕然とするわけですが、
ルーズベルトから要求された条件はとても受け入れられるわけにはいかない、中国からの撤兵ですから、
そこでこんなものは交渉でも外交でもない、降伏要求ですという言葉がありますね。

読んでいてこれは当然だと思うんですが、半藤さんは、なんて無責任でアホなことを言うと書くわけです。
これも東條憎しの感情論です。しかし、歴史の流れから言うと東條英機の言っている通りなんですよ。
あのとき、アメリカの開戦意思は非常に明確で、
<山本は最後の最後まで、交渉の妥結を願っていたのです。
しかしながら、ハル国務長官のほうは、返事を引き延ばして、提出された乙案も読みもしない。
アメリカ外交の現在にも通じる頑固さです。自分が正しいとして、それを押し通し、柔軟性の「ジュ」の字も示さない>
と、アメリカの明確な意思というものを記述しているんですよ。

それならば、日本側が開戦を強いられたのは仕方がないではないですか。アメリカが悪いんですよ。
だとしたら、開戦の責任はアメリカにあり、日本にはないではないですか。
それは明らかです。よしんば山本五十六のやり方が酷くてもですよ。
開戦の意思はアメリカ側にはっきりと最初からあることを、半藤さんは明確に記述しているんです。
アメリカの強大な意思をかなり前からご自分で言っているのに、アメリカの悪ということについては決して見ようとしない。
アメリカを運命のごとく、神のごとく見ているんです。神の怒りなんです。半藤さんにとってアメリカは。
ですから、私は「正義の味方・黄金バット」と言ったんです。
つまり半藤さんはアメリカに責任があるということを事実上書いているにも関わらず、アメリカの「悪」については記述しない。
アメリカの強大な意思を見ようとしない。アメリカはすべて「善」、「正義の味方」なのです」

161:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/25 20:52:05.13 ELw0IpnV0

【独裁者】山本五十六【暴走】5

スレリンク(army板)


162:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/26 06:32:32.08 16TtDT1A0
ID:Cd8gqhMb011乙
いい仕事してるよp

163:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/26 12:37:46.07 lt1OnFxC0

エセ保守・四馬鹿
ホラ吹き詐話師(半藤、保阪、秦、立花)=通称3H+T


日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の

戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し

ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって

感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い

金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師カルテット(半藤、保阪、秦、立花)= 通称3H+T

が関わった幼児向け童話・昭和史に、
史実など微塵も無いwww




164:あぼーん
あぼーん
あぼーん

165:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/27 01:23:27.31 fDM/nf6f0
月刊WiLLは素晴らしい。
雑誌も捨てたもんじゃないな。
腐れ左翼に成り下がった文芸春秋とは大違い。

166:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/28 18:58:57.17 ziqdFExa0
>>128 半藤は御存知かな?
半藤の舎弟、大和ミュージアム館長戸高一成は元オカルトライター

URLリンク(homepage2.nifty.com)

しかも解説した本の出版元の社長は、麻原彰晃を売り出した人間

URLリンク(www.hachiman.com)

おまけに戸高は、半藤が「妄想戦記」と読んでいた5流娯楽小説を、
「日向仁」というペンネームで執筆していたらしい

また戸高のパシリで、戸高の紹介で半藤に帯を書いてもらった
“フォト・ジャーナリスト”神立尚紀のブログは自分と戸高擁護で暴走開始

167:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/28 23:32:49.41 5mYQNbNg0
ところで著作権とかそういうの大丈夫?

168:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 00:47:40.38 auXs8jyB0
>>165 その種の娯楽戦記を好きな友人に聞いたところこういう関係らしい

―――――荒巻 義雄――檜山 良昭
|           |       |
|           |       |
|           |       |
| 半藤 一利――戸高 一成――武田 崇元――※
|                   |       
|                   |      
|                   |
―――――――――佐治 芳彦

武田崇元という人は元ブント活動家
オカルト系右翼に転じて現在八幡書店社長、
オカルト雑誌「ムー」編集顧問(元編集長が現在妄想戦記の編集長)
1980年代に流行った伝奇小説ブームの仕掛け人でもあるらしい
不思議なことに、戸高一成が経営参画していたという今日の話題社という
出版社が八幡書店に吸収されている
また今日の話題社から出ていた戦記ものが文春から文庫化されている

※のところには麻原彰晃、太田龍(北海道庁爆破教唆で逮捕)の名などが入る

武田と檜山、佐治、戸高は30年以上前から親交があり、
荒巻のブレーンを務めていたのが戸高らしい

この種の妄想戦記と偽史関係者とは密接につながっている
「純粋な娯楽小説」ではなく、「偽史を広めるツール」だったとしたら、
とんでもないことだな

戸高を重用している半藤もこの事実を知っているのか?
にしても武田と戸高との接点を見つけたヤツは凄いな

169:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:28:21.11 2/Lt8kf70
半藤一利『昭和史』徹底批判3  半藤一利『昭和史』は紙芝居だ  月刊WiLL2010年7月号

評論家・西尾幹二 
高知大学名誉教授・福地惇 
大阪青山短期大学准教授・福井雄三 
情報史研究家・柏原竜一

※本文にあるカッコ<>内の文は半藤一利氏の著書『昭和史』からの引用です


西尾
「当現代史研究会は本誌5月号、6月号と半藤一利氏の『昭和史』の徹底批判を行いました。
6月号で指摘し、タイトルにもなった「半藤氏は紙芝居屋さん」はからかっているのではなく、
身勝手なテーマの転換や通俗的な解釈が多すぎるという歴史本質論を述べたまでです。
この指摘に対して、編集部には賛同の声が多数寄せられたと聞いております。
そこで、前回同様、自由討論の形式をとり半藤一利『昭和史』徹底批判を再論し、完結させたいと思います。
福地さんお願いいたします」

福地
「半藤さんの論の展開は、好戦的な日独などの「悪い勢力」と平和を愛好する英米ソなどの「善い勢力」とのせめぎ合いが、
戦前「昭和史」の主旋律だったとの主張なんです。国際的な視野を持たない短絡的な主張です。
アメリカの対日戦争意思は、1939年(昭和14年)の日米通商航海条約の破棄通告に明確に表れています」

柏原
「その理由を述べないんですよね」

福地
「翌年の在米日本資産凍結や対日石油輸出禁止、屑鉄と鋼鉄の対日輸出禁止といった措置も、
独ソ戦の日付の後に次々と実施されている。それが開戦の昭和16年よりも前、1年半以上前から起きているんです。
満洲事変が起きた当座から、アメリカは本誌6月号で申し上げたスチムソン・ドクトリンも、
日本は悪だから叩くぞということなんです。そう言い始めているんです。そこから始まっている。
日本は必死になって東亜の安定を模索すればするほど、在米日本資産凍結などで叩かれた。
事実上の宣戦布告を突き付けたのは、1939年(昭和14年)の通商航海条約破棄通告ですよ。
日本は日米通商航海条約を破棄されても、戦争をする意思はなく、きわめて紳士的に対応しました。
そのような日本の対応に対して、半藤さんは意図的に無視しています」

西尾
「日本は戦争をしたくなかったんですよ。それは対中戦争についても同じです。
日本は一貫して戦争をしたくなかったのに、中国側が戦争をしたくて仕方がなかった。
特に都市の中国人がその意思を強く持っていた。最近の北村稔・林思雲『日中戦争』(PHP)にもそう書かれています」

170:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:29:32.20 2/Lt8kf70
福井
「アメリカの参戦理由が未だに謎に包まれている。第一次大戦もそうです。
結局、第一次大戦、第二次大戦におけるアメリカの参戦は世界を混乱させてしまっただけなんですね。
アメリカはなぜ参戦したのか。考えれば考えるほど謎は深まるばかりです。
最終的には軍事産業が潤い、世界大恐慌は克服しましたが、これは結果論であり、
それが参戦の目的であったとみることは大雑把な議論です。アメリカは何を得たのかということです。
アメリカの日米戦争における当初の目的は、シナ大陸における門戸開放と機会均等でした」

西尾
「一応、最初はそう主張していましたね」

福井
「ところが、それを達成できたのかは甚だ疑問です。むしろ逆でしょう。
さらにヨーロッパ戦線においても、当初アメリカはドイツの大部分を占領したにも関わらず、
後でソ連にそれを譲り渡している。そんなことをする必要がどこにあったのかと。
あの当時のソ連は満身創痍の傷だらけで、アメリカの援助でやっとドイツを倒したわけですが、
アメリカから見たら吹けば飛ぶような状態だったにも関わらず、
まるで腫れ物にでも触るかのように、アメリカはソ連に貢物を差し出した感じで・・・」

西尾
「戦争が続いている間はそうでした。
戦争が終わった後の1949年(昭和24年)のソ連の原爆開発がすべてを逆転したんですよ。
イギリスはソ連を恐れていたので、あの時まで対ソ強硬策を言っていた。
ところが原爆の実験が起こったので、アメリカは、はっと目を覚まし、対ソ弱腰をやめ、
イギリスは逆に恐怖に直面し、ソ連に弱腰になるんです」

福井
「あれで一挙にソ連はどうにもできなくなってしまったんですけど、結局ルーズベルトは何を考えていたのか。
当時のアメリカの力をもってすれば、東ヨーロッパを解放することができたはずです」

西尾
「戦争終結時のアメリカの油断と、戦中の対ソ政策の失敗がもたらした東ヨーロッパの不幸と苦難ですね」

福井
「それと、アメリカは中国も野放しにしました。途中から毛沢東賛美に回った。
このため極東の膨大な地域と東ヨーロッパ、合計で十数億人に共産主義の恐怖政治という地獄の苦しみを味わわせたわけです」

西尾
「しかも、結構大胆に手出しをしておきながら、アメリカは最後までやらないんですよね。
ベトナムしかり、イラクしかり、中東しかり、そしてソマリアでも一度そういう無責任なことをやりました。
北朝鮮しかりです。「悪の枢軸」などと言って、寝た子を起こしたのはアメリカですから」

171:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:30:40.89 2/Lt8kf70
福井
「アメリカの国家意思とは一体どういったものなのか。イギリスやフランスといった列強諸国は老獪でずる賢いんですが、
現実的な利害関係で動いていますので、まだ相手にしやすいんです」

西尾
「リットン報告書のそれなりの合理性と、アメリカの同じ時代の門戸開放からハル・ノートに突き進む行動との違いなんですよ」

福井
「アメリカだけが例外なんですね。その背後にあるアメリカの国家意思というものが。
20世紀のアメリカの外交政策を見ていると、一種の神権政治、宗教国家のように若干感じるんですよね」

西尾
「宗教国家であると同時に、アメリカの正義に酔っている神権国家なんですよ。
背後には次のようなことがあるのではないでしょうか。
ヨーロッパのアジア植民地主義は、下層労働というものを常に求めており、それによって成り立たせている。
それは、自国の外に奴隷を持つということで社会を成り立たせていた。
奴隷がない限り資本主義が成立しないという矛盾を孕んでいるんです。
ですから、第二次大戦が終わった後もイギリス、フランス、オランダはアジアを再占領することを意図していたわけですが、
アメリカは1941年の大西洋憲章で、きれいごとを言ってます。植民地はやめると宣言した。
要するに下層労働力というものを絶えず必要としていた欧州諸国に対して、アメリカだけが必要としないでやっていけたのは、
国内に黒人がいたことにすべて起因するのではないでしょうか。
国内の黒人労働力に依存していたが故に、アメリカはきれいごとを言えた。

さらにそれは、アメリカは中世を持っていなかったということに関係があるのではないでしょうか。
中世の時期に古代奴隷制はなくなります。ヨーロッパには奴隷がいなくなったため、アジアに奴隷を求めたのが
近代ヨーロッパの一連の動きですけれども、中世を持たなかったアメリカは国内に奴隷を抱えていたために、
少なくとも第二次大戦後から半世紀ぐらいまでは、国内経済は成り立っていた。
ところが、それがもう一度不可能になったために、13億人の民という中国の下層労働に依存し始めたんです。
現在起こっている状況がそれではないでしょうか。そのように眺めてみると、疑問は全部解けるのではないでしょうか」

福井
「アメリカは資本主義原理たる奴隷労働力を持っていた。説得力がある論理ですね」

西尾
「世界中に下層労働力が必要であり、それが利用できるところが強いという歴史の流れがあった。
昨今のアメリカはそれも利用できなくなったわけですよ。そこでそれを中国に求めた。昨日まで陥っていた状況がこれです。
ですから、アメリカが陥っている現在の困難は、
その中国が再び簡単に利用できなくなったことに起因しているのではないでしょうか」

172:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:31:45.13 2/Lt8kf70
福井
「アメリカはヨーロッパ以上にキリスト教が根強く、大事にする国ですね」

西尾
「根強いんですが、そのキリスト教はカトリックを経ていないため、合理的ではないんです。
カトリック教会は秩序を大事にしますから、意外と合理的なんです」

福地
「アメリカと宗教は非常に大事なテーマですね。
そこで半藤昭和史にひきつけて言わせていただくと、半藤さんはアメリカが全然見えていない。
『昭和史』には1932年(昭和7年)頃まで
<アメリカは日本に好意的でした。国際連盟がガタガタしだした時も、アメリカは日本たたきの先頭になることはなく、
日本の立場が自衛戦争であるかには若干首をかしげるところもあったとは思いますが>とありますね。
これはアメリカの転換点でもあるんです。この時期は。

ウッドロー・ウィルソンからフランクリン・ルーズベルトまで、三期大統領(ハーディング、クーリッジ、フーバー)がいて、
その中にはフーバーもいるわけです。彼らはアメリカ・ナショナリスト、つまり孤立主義者なんです。
一方で、ウィルソンとルーズベルトは国際主義者で、つまりは対日戦争に賛成の立場です。
この違いは大きく、大統領がフーバーからルーズベルトに代わった途端、対日姿勢が急に強硬になるんです。
そして、その時の国務長官が太平洋戦争時の陸軍長官を務めたスチムソンでした。
スチムソンは、一貫して日本叩きの急先鋒でした。つまり日本が悪いから変わったわけではなく、アメリカが急変したのです。
そのことを半藤さんは理解できていません。まさに「欠陥だらけの昭和史」です」

西尾
「外国と戦争したわけですから、外国の歴史を考えないで、自国史は語れない。
私が昭和史を論ずる人達にいつも言いたいことは、
半藤さんだけではなく、秦郁彦さんにしても、保阪正康さんにしてもそうですが、
相手があっての話なんだということが分かっていないということです」

福井
「思考の座標軸が日本史だけの狭い座標軸で、小さなコップの中で水が波騒ぐように旋廻して空回りしているんです」

173:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:33:03.97 2/Lt8kf70
西尾
「今の時代にはどういうわけだか、「昭和史」というものが流行っていて、
半藤さんだけではなく秦郁彦さんや保阪正康さんや東京大学教授の北岡伸一さん、
それに東京大学教授の加藤陽子さんが新たに昭和史を論じていますが、
不思議なことに昭和史というと1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)、
あるいは1931年(昭和6年)からの15年戦争をひとつの大きなタイムスパンと捉え、
問題を国内的に絞って書くというのが基本的傾向です。

半藤さんの『昭和史』も、1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件から始まっています。
この事件から日本は暗黒時代に入った、そして1931年(昭和6年)の満洲事変から日本は没落したという捉え方です。
これは紋切り型で、高校の歴史教科書にも載っており、ありとあらゆる書物にも書かれていますが、
完全にGHQの宣伝工作にのせられている考え方なんです。

1928年(昭和3年)は不戦条約の年です。
不戦条約違反が侵略戦争であるとするニュルンベルク裁判において、
ジャクソン検事はドイツを侵略国家として裁くためにパリ不戦条約を使おうとしました。
その方針がそのまま東京裁判のキーナン検事に受け継がれる。
ところが今に至るまで、侵略戦争の概念は依然として確定されておらず、
パリ不戦条約は長い間、侵略戦争の規定に関する国際法規としてはみなされませんでした。
国家が戦争を起こしても犯罪にはならなかったんですから」

福井
「1928年(昭和3年)のパリ不戦条約では、自衛戦争かどうかは当の国家でしか判断できないとしていますね」

西尾
「ニュルンベルク裁判で改めて罪を裁く際、事後法であるということを避けるためにも、
パリ不戦条約に違反したことにしたかったんですよ。最初に無理なこじつけがあるわけです。
不戦条約違反が侵略戦争であるとするのは一部の意見にすぎないのですが、にもかかわらず、
そのようなものの言い方がニュルンベルク裁判で押し通され、東京裁判に継承されたため、
1928年(昭和3年)の日付が起訴状の基本となっているんです。
そこへ、まるで符節を合わせるかのように「昭和史」が張作霖爆殺事件から描かれる。

これまでみなさんが空間的視野の広がりの必要性を述べられましたが、時間的視野の広がりも必要なんですね。
歴史を短く切ることなどできないわけで、歴史を何年から何年までが暗黒時代だったと短く区切るとすれば、
そこには政治的意図があります。占領軍が日本史にそれを求めてきたのは東京裁判の要請からくるだけでなく、
16世紀からの西欧のアジア侵略を視野に入れさせないためでもあることをしっかり認識する必要があります。

さらに中国大陸のことを考えるならば、実は非常に長い時期から中国大陸は混乱の極にあるところへ
日本が入り込んでいったわけで、満洲事変以降という短い時間尺度で考えるべきではなく、
清朝の時代から中国とはどのような歴史の国だったのかということをよく考える必要があるんです。
中国史のなかでは清朝は比較的良い方の時代で、明がひどかったわけです。
それでも内乱や疫病、森林の消滅、水害、イナゴの害などで、
数千万単位の餓死者を出し続ける不幸な国土で、また匪賊が跋扈していた。
ですから、日本のような幕府の治世の中で法治国家を生きてきた日本人には手に負えないような世界だった」

福井
「19世紀の太平天国の乱は、1億4千万人も死んでいるんですよ」

西尾
「私は8千万と聞いていますが、内乱というものは中国史のいわば常態で、よく考えてみると文化大革命も内乱の一つです。
今も内乱を続けているんですよ。年間20万件も暴動があるということはつまり、中国はそもそも国家ではないわけですよね。
そのような中国に日本が一時的に巻き込まれてしまったということが、諸先生の『昭和史』の中には書かれていないんですね」

174:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:34:07.94 2/Lt8kf70
福地
「中国をまともな国家のように書いている。混沌状況のシナ大陸だったのにです。
蒋介石を背後から強力に支援して抗日戦争をさせていたのが英米で、
毛沢東を直接的に指導したのはソ連とコミンテルンという案配です」

西尾
「まるで主権国家のように扱っている。いくつもの政府があった中国は、一つの主権下の国家ではなかった。
外交交渉だって複数の政府相手だから簡単ではなかった。
たしかに、日本人がそのような中国人をバカにしたのは事実だと思います。
当時の中国では、農民を徴兵に取り立てるなどめちゃくちゃで、歩いている人を引っ張ってくるようなやり方だったようです」

福地
「奴隷以下ですよね」

西尾
「鉄砲の撃ち方も知らないで前線に出す。一説では銃の撃ち方は戦場で学ぶ。
日本の飛行機が飛んできても、よくわからないものだから「あっあっ」と指さして突っ立っていて
そのまま撃たれてしまったといったレベルで、そのような軍を相手にしていたわけですから、
たしかに日本軍はバカにしたところがあったと思いますよ。

それから、逆に日本の中国学者がいけなかったと思います。
内藤湖南や吉川幸次郎や宮崎市定など、日本に誤解を与えるような中国観を教えていた中国学者が悪い。
中国の実態を知らせず、文化的に尊敬する面ばかりを教え、一般の日本人が現場の中国人を実際に見ると、
これがあまりにもバカバカしいので軽蔑する心とがごちゃごちゃになる。
それがたしかに傲慢な日本人を生んだであろうし、チャンコロ扱いする不幸な事態を生んだかもしれないのですが、
半藤さんはじめ諸先生はそのような中国だったということをもっと書かなければ、あの時代の歴史は書けないということを言いたい。
大事な問題ですが、歴史は長い時間尺を見なければならないので、
清朝末から考えなければ、中華民国の歴史は分からないということです」

福地
「欧米の文明から見れば日本は異質すぎるから、国民国家を作れとか自由貿易をしなければいけないとか
キリスト教に改宗しろ、などと様々な教導をして、自分たちの文明に色を染め変えようとした。
これに逆らえばどういう運命が待ち構えているか、近代日本は正に大変な危機に遭遇させられて、
防御対応に並々ならぬ努力を重ねたのです」

175:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:34:41.59 2/Lt8kf70
西尾
「半藤さんは永井荷風の『断腸亭日乗』の一節を引用して
<日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。
政党の腐敗も軍人の暴行も、これを要するに一般国民の自覚の乏しきに起因するなり。
個人の覚醒せざるがために起こることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於いてもこれは到底望むべからざる事なるべし>
と叙述します。
この文章の「軍人」を「マスコミ」に置き換えると現在の日本の状況にぴったり一致します。
またこの一節をそっくりそのまま「マスコミ」の寵児である半藤さんに差し上げたいですね。
このようなことを助長しているのは半藤さんあなた自身ですよ、と。

さらに半藤さんは、荷風以外にも『昭和史』のむすびの章において、
昭和史がどういう教訓を私たちに示したかについて五つの観点を挙げます。

<第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない>
<二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない>
その通りです。半藤さんにそのまま差し上げます。

<三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある>
リベラリズムに流されている大手マスコミにそのまま申し上げます。
今の日本のマスコミは、世界から見ると全体がタコツボです。

<四番目に、(中略)国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握していなかった>
半藤さん、あなたこそ客観的に把握して下さいとお返しします。

<五番目として、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想>
今の民主党政権がやっていることです。
半藤さんはたしか「九条の会」でしたね。
特定のイデオロギーで戦争や平和の歴史をお話しになるのは、決して日本のためにも平和のためにもなりません」

176:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 23:39:39.47 eOV4gqfd0
毎度乙!
似非保守 晒しあげw


177:あぼーん
あぼーん
あぼーん

178:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/04 01:47:41.43 +OpqDn9QO
マルクス主義とは何だったのか

179:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/15 22:30:14.55 jlBMyegX0
「昭和史」ではわからない「日本人の誇り」  『歴史通』2011年7月号

藤原正彦 数学者・お茶の水女子大学名誉教授


・なぜ共産主義を語らない

歴史、とくに近現代史について書くことは、自分の見識から人間性まで露わにすることにほかなりません。
ですから本当は、できれば誰か権威ある歴史学者におまかせしたいところなのですが、
専門の歴史学者は用心深くて、史料がすべて完全に公になってからでなければ、何ごとも語ろうとはしない。
暗号などの発達により高度化した謀略が盛んに行われた昭和の戦争では、
解読資料などが公開され、真実が明るみに出るまで長い場合は数十年から数百年以上もかかります。
この間、歴史学者は最重要な史実を無視したまま歴史を語ることになります。

たとえば近現代史に与えた共産主義の影響の大きさについて、
現在、歴史学の主流派に属する学者たちは語ろうとしないだけでなく、その重要さにまったくきづいていないようにも思えます。
きちんとした証拠がまだ十分に出そろっていないからやむをえないとも言えますが、
世界の共産化を図ったコミンテルンを抜きにして近現代史を語ることはできません。
日本でいえば大正末期、ソ連が誕生した1922年くらいから、共産主義は世界を席巻し、学界、政界にも浸透しました。
かつて私が研究と教育に従事したイギリスのケンブリッジ大学など、共産主義者の巣窟でした。

大戦中のソ連の暗号文を米英協力で解読してみると(ヴェノナ文書)、
米英の政府にも軍部にもコミンテルンのスパイや共産主義者がはびこっていたことがわかったのです。

ルーズベルト政権内だけでも三百人もいました。
マッカーシー上院議員による共産主義者追放、いわゆる「マッカージズム」がアメリカで起こりましたが、
これは、つい最近まで右翼反動、または民衆の敵のように言われていました。
「魔女狩り」に掛けて「アカ狩り」と呼ばれていたくらいです。
しかし、それが正しかったことが解読文書で証明されてきています。マッカーシーは大功労者でした。

マッカーサー元帥にしても、昭和二十五年に朝鮮戦争が起こって初めて、日本は大変なことをしていたのだとわかった。
二十年にもわたって日本は共産主義の脅威と戦っていたことがわかったのです。
日本をたたきつぶしたら、とたんに防波堤がなくなって共産主義が押し寄せてきた。
それで急いで警察予備隊をつくらせたりしたのですが、
そのころになってようやく、「日本の戦争は自衛戦争であった。日本軍が満州にいた意味がわかった」
なんて言ったって、十年遅い。アメリカはよほど頭の血のめぐりが悪いのでしょう。

180:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/15 22:33:17.84 jlBMyegX0
結局、アメリカとイギリスは共産主義者に敗北したのです。だから共産主義を抜きにしてあの戦争は語れない。
にもかかわらず、歴史学者がそれに気づかない、あるいは気づいていても無視している。
不思議でたまりません。私のような数学者から見るとそれこそ理解不可能です。

ペリー来航の一八五三年からサンフランシスコ講和条約発効の一九五二年までの百年におよぶ戦い、
つまり「百年戦争」は、日本の涙ぐましい独立自尊のための戦いでした。
一九世紀半ばの頃、欧米の帝国主義下にあって、アジア、アフリカ、南米と、
どこを見わたしても、日本以外に独立自尊のために立ち上がった国は一国としてなかった。
有色人種は強力な武器を持つ西欧列強の前にひれ伏すだけでした。
中国人や朝鮮人のように、無駄な抵抗をするより白人の言いなりになって、
自分だけ貿易や賄賂でうまく儲ければいいとは、日本人は誰一人思わなかった。

開国派と攘夷(じょうい)派の争いはありましたが、これは順序が違うだけで、同じことです。
まず開国をして国力を蓄えて軍備を整え、それから攘夷しようということですから、開国イコール攘夷なのです。
変節したわけではありません。
絶対に植民地にはならないということでは、すべての日本人は一致していました。
このように、日本の戦いは独立戦争という観点から、百年単位でみなければわかりません。

満州事変あたりから敗戦までをひとくくりにした「昭和史」という言葉があります。
しかし、E・H・カーが『歴史とは何か』(岩波新書)で言うように、歴史はすべて因果関係で結ばれているものですから、
その一部分だけを切り取って論ずるのは歴史学に反するやりかたです。
ヒトラーの狂気が第二次大戦を起こしたのではないのです。
「昭和史」と言って昭和だけを切り取るということは、四世紀もの長きにわたる欧米列強の横暴や酷薄を免罪し、
日本だけを貶め、「東京裁判史観を認める」ことになりかねないのです。

それまで欧米諸国は二、三百年間、アジア、南米、アフリカを侵略し、有色人種を支配して植民地化してきました。
昭和になってからは、ほぼ侵略を終えて一段落していたのです。

しかし、日本は江戸末期以来、独立を守るために戦ったのであって、西洋列強のように植民地を拡大するためではありませんでした。
にもかかわらず、昭和だけを切り取ってそこに焦点を当てれば、いかにも日本だけが侵略しているように見えます。
その前の伏線はすべて無視される。
百年戦争の「昭和」の部分だけ取って、日本を断罪するなどというのは意図的であるとしか思えない。

つまり、「昭和史」という言葉自体、とんでもないイデオロギーなのです。
私はその言葉を否定します。「昭和史」と言うだけで、東京裁判史観を認めるのとほぼ同じことになるからです。

181:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/16 00:56:12.80 ymeFn7J40
『歴史通』2011年1月号

渡部昇一 上智大学名誉教授
若狭和朋 元九州大学大学院客員教授

『固くて使えない3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)』


若狭
『以前、テレビで田原総一朗氏が、「満洲事変以後の戦争は日本の侵略戦争」と言っているのを聞いて、
気が萎えたのを覚えています。でも、本気でそう信じ込んでいる人が多い。
満洲は満洲人の故郷であって、シナ人には立ち入り禁止の「封禁の地」でした。
清朝の末期に、李鴻章たちが清朝を裏切り、満洲をロシアに売り、満洲全土はロシアの支配下になっています。
そして日露戦争に敗れたロシアは北満洲に去るのです。その後、日本が満洲国を建国する。
日本は中国に対して「侵略戦争」を仕掛けたと主張する人たちは、この議論の前提さえわかっていません』

渡部
『満洲の件は、国際連盟からリットン調査団が来ます。リットンというのはイギリス人で、
あとの調査員はドイツ、フランス、イタリア、アメリカの計五ヵ国から来ている。
そして数ヶ月調べて、「簡単に侵略戦争とは言えない」という結論を出した。
それまでの日清・日露戦争の経緯がありますからね。

張作霖爆殺事件についても、「あれは神秘的な事件だ」としました。
最近公開された史料によると、張作霖を爆死させたときの爆薬がソ連製だということを、
当時のイギリス諜報部は掴んでいた、ということです。
日本を批判するための使節団ではありますが、やはりイギリス諜報部の情報は知っていたはずです。
「張作霖を殺したのは日本ではない」とまでは言わないけれど、「神秘的な事件だ」としたのは、
リットンのぎりぎりの良心だったのでしょう』

若狭
『イギリス陸軍の情報部極東課MI2cが、四ヶ月かけて詳しく調査しています。
そして主役はソ連であるということを、文書に残しています。
文書番号は【WO105・5750・MI2c Note Oct 1928】
これは、すでにイギリス情報部が情報公開している』

渡部
『例えば、あの田母神航空幕僚長更迭問題のとき(2008年10月)、
田母神さんが「張作霖爆殺事件でも、日本側がやったという意見とは違う意見も出ている」と言っただけで、
日本中が大騒ぎをした。その時、声高に騒いだのは、戦史研究家とか昭和史研究家とよばれる人たちでした。
彼らは、新しい事実に基づいて、張作霖爆殺の黒幕を当然知っていなければならない人たちです。
ところが、従来の通説に固執していた。不勉強のそしりは免れません。

これから言えることは、「張作霖爆殺は日本の陰謀」という説を採っている人たちが、
近・現代史を解釈する重要なポストにいて、「歴史は確定している」などといって安閑としていたということです。
これまで長い間、開示されていない秘密文書が公開されてきていることに、無関心なんですね。

僕が最もおかしいと思うのは、戦後の昭和史を書いている人たちが、「東條英機の宣誓供述書」
(東京裁判において、東條英機が語ったものを、主任弁護人の清瀬一郎が書き起こしたもの)を引用した人がいないことです。
「それはおかしい」と、僕がしきりに書いていたらば、最近になってそうした人たちも口にし始めた。遅いんですよ(笑)。

仮に、ヒトラーが裁判にかけられたとして、彼の口述書が残っていたとしたら、それを使わない西洋現代史はありえない。
つまり日本は、「東條英機の宣誓供述書」を完全に無視していたんです。
「東條はウソばかり言っている」と当時は捉えられたのでしょうが、
しかし「東條英機の宣誓供述書」は裁判文書ですから、事実のウソは言えないんです。
検事から追及されますからね。「事実の解釈」にそれぞれ違いはあっても、「事実」は動かせないんですよ。
だから、その供述書を無視して昭和史を書こうなんて、大胆すぎますよね』

182:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/16 00:57:18.05 ymeFn7J40
若狭
『河本大作は昭和28年、中国大陸の太原収容所で、事実上処刑だと思いますけど、獄死しているんです。
そして義弟と称する作家の平野零児が、昭和29年に「オレが張作霖を殺した」との
"河本談話"なるものを、中央公論に発表します。
その後、昭和31年に平野零児は日本に帰ってくる。これは面妖至極です』

渡部
『東京裁判のときに、河本自身を証人として出せばよかったんですよ。
しかし、出さなかった。「出さなかった」ということは、「出せない」ということです。
捕まえていたのだから、いつでも証人として出せたにも拘わらず、です』

若狭
『河本は、張作霖爆殺の真相を知っていたわけです』

渡部
『そして、今でも昭和史の「専門家」は、第一級の史料のように平野零児の発言を振り回している。
我々「素人」が、その「常識」を壊さないといけないというのは、情けない話です』

若狭
『私は高校で歴史を教えていましたが、専門家と違って一次史料に当れるチャンスが、そんなにあるわけではない。
「先生、これはどうして?」と生徒に聞かれたときに、できるだけ努力して原典を読んで採ってきました。
かつて、田母神さんの講演の前座を務めたことがありますが、その時にこんなことを言いました。
「3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)とよばれている昭和史の研究家の方々がおられますが、
3Hなんていう鉛筆は硬くて使い物にならない」と(笑)』

渡部
『3Hさんたちは、戦後昭和史を一生懸命調べたんですよ。ふつうの人が知らない情報もいっぱい持っておられる。
でも「一番肝心なこと」が抜けている。それは、「その時、外国は何をやっていたのか」という視点・論点です。
まさに、「その時、外国は何をやっていたのか」に最初に言及した人は、東條英機です。
前述した「東條英機の宣誓供述書」なんですよ。

東條さんは、「支那事変以来、日本はずっと『受け身』であった」と言っている。
「何かをされるから、それに応えてやらざるを得なかった」と証言している。
それは、当時の人間も知っていたことです。
しかし、戦後の昭和史研究の人たちは、一生懸命調べたけれども、「東京裁判史観」に結びつくような結論にしか至らない』

183:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/17 00:32:57.92 QsnLX5G80
引用乙!
そろそろ日本人は真面目に昭和史を検証すべきだな。


184:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/17 02:00:25.69 RY5iTYep0
>>122
アメリカが一神教で、日本にサタンを見たというよりむしろ
アメリカ政府はサタニスト集団であるから、神聖国家が許せない

こっちの方がシックリくるだろ?



185:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 23:47:06.89 b9dCc0vEO
半藤氏は南京事件三万人説だからバリバリの右翼……になるんだろうか左翼の人から見れば

186:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 18:45:23.27 eRrE0eBb0
『半藤一利批判』
URLリンク(www.nishiokanji.jp)

柏原 竜一
インテリジェンス研究家


人様の歴史観を批判すると言うことは、ある意味で恐ろしいことだと思います。
批判というのは、両刃の剣で自らにも降りかかるものだからです。
ですから、歴史を語るにあたっては、細心の注意が求められているといえるでしょう。

例えば、戦前の日本はいいこともした、
台湾ではダムを造り、はげ山だらけだった朝鮮半島に植林を行なったといった事績は有名ですが、
こうした日本の光の側面ばかりを取り上げていても、それは保守による一つのイデオロギーへと堕落してしまいます。
我々が気をつけなければならないのは、日本人はすばらしい、日本の伝統は素晴らしいといってふんぞり返ってしまうことなのです。
自らの正しさに酔っては、歴史には永遠に手が届かないのです。
かといって、半藤さんのような一連の昭和史家皆さんと同じように、
軍部の暴走で日本は悲惨な戦争に巻き込まれたとする通俗的解釈も、また別のイデオロギーと堕落することでしょう。
というか、その腐敗の最たるものが、半藤さんの一連の著作であるといってかまわないでしょう。

歴史を語ると言うことは、光と闇の狭間の薄暗い道を、心細く歩んでいく孤独な旅に喩えることができるでしょう。
ある説が正しいと思っていても、それと反する証拠(あるいはその証拠に見えるもの)も同じように見いだされるからです。
ですから、歴史家は、多くの史実を、自分の良心に忠実に再構成しなければなりません。

とはいえ、この「良心」こそが厄介なのかもしれません。
というのも、自分の良心に基づいて事前に決定した結論をひたすら展開するという良心もあり得るからです。
しかし、歴史学という営為から考えてみれば、こうした良心はなんとも歪んだ良心でしかありません。
結論を事前に設定できる良心とは、傲慢もしくは独善の仮の姿ではないでしょうか。
自分のわずかな資産にしがみつく小市民的心性といっても良いでしょう。
歴史家にとっての良心とは、経験主義の垢にまみれた小市民のそれであってはならず、
なによりも事前の予断を抜きにして史実を眺め、再構成する必要があるのです。

しかし!事前の予断を持たない人間というのもこれまた存在しません。それは歴史家といえど例外ではないのです。
ですから歴史を学ぶものにとって、傲慢や独善の誘惑から自らをいかにして遠ざけるかが根本問題なのです。
歴史を語るものの自己に対する批判意識の鋭さが、提示される歴史の、
ある意味での真実味(あえて真実とは言いません)を保障しているといえるでしょう。
傲慢に陥らないためには、幾つかの心構えが必要です。まず第一に、新たな資料には常に注意をはらうことでしょう。

例えば、西尾幹二先生は「焚書図書開封」という本を出版されていますが、
江藤淳の「閉された言語空間」とならんで、戦後流布した歴史観のいかがわしさを明らかにしています。
問題は、焚書された書物が半藤さんの主張する歴史観と真っ正面から完全に矛盾していることでしょう。
可能性は二つしかありません。
半藤さんの主張する歴史観が正しく、焚書された書物が「間違っている」のか、
あるいは焚書された書物が正しく、半藤さんの主張する歴史観が「間違っている」のか?
答えは言わずともわかりますね(笑)。

問題は、半藤さんの歴史観が誤っているか否かという点よりもむしろ、
半藤さんが「焚書図書開封」という書物に前向きに対応できたかという点なのです。
しかし、寡聞にして、半藤さんが衝撃を受けたという話は聞かないわけです。
本来であれば半藤さんは、それこそ良心があれば、過去の著作全てを絶版しなければならないはずです。
しかし実際には、ますますお盛んに著作を怒濤の勢いで刊行なさっています。
西尾先生の著作も、保守反動のパンフレット程度にしか考えておられないのかもしれません。
しかし、ここで私が問題にしたいのは、自分の見解を批判する資料に対して反応しない、
あるいは反応できない半藤さんの精神の、信じがたい、そして救いがたい硬直性なのです。


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