【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】at HISTORY2
【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】 - 暇つぶし2ch165:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/27 01:23:27.31 fDM/nf6f0
月刊WiLLは素晴らしい。
雑誌も捨てたもんじゃないな。
腐れ左翼に成り下がった文芸春秋とは大違い。

166:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/28 18:58:57.17 ziqdFExa0
>>128 半藤は御存知かな?
半藤の舎弟、大和ミュージアム館長戸高一成は元オカルトライター

URLリンク(homepage2.nifty.com)

しかも解説した本の出版元の社長は、麻原彰晃を売り出した人間

URLリンク(www.hachiman.com)

おまけに戸高は、半藤が「妄想戦記」と読んでいた5流娯楽小説を、
「日向仁」というペンネームで執筆していたらしい

また戸高のパシリで、戸高の紹介で半藤に帯を書いてもらった
“フォト・ジャーナリスト”神立尚紀のブログは自分と戸高擁護で暴走開始

167:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/28 23:32:49.41 5mYQNbNg0
ところで著作権とかそういうの大丈夫?

168:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 00:47:40.38 auXs8jyB0
>>165 その種の娯楽戦記を好きな友人に聞いたところこういう関係らしい

―――――荒巻 義雄――檜山 良昭
|           |       |
|           |       |
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| 半藤 一利――戸高 一成――武田 崇元――※
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|                   |      
|                   |
―――――――――佐治 芳彦

武田崇元という人は元ブント活動家
オカルト系右翼に転じて現在八幡書店社長、
オカルト雑誌「ムー」編集顧問(元編集長が現在妄想戦記の編集長)
1980年代に流行った伝奇小説ブームの仕掛け人でもあるらしい
不思議なことに、戸高一成が経営参画していたという今日の話題社という
出版社が八幡書店に吸収されている
また今日の話題社から出ていた戦記ものが文春から文庫化されている

※のところには麻原彰晃、太田龍(北海道庁爆破教唆で逮捕)の名などが入る

武田と檜山、佐治、戸高は30年以上前から親交があり、
荒巻のブレーンを務めていたのが戸高らしい

この種の妄想戦記と偽史関係者とは密接につながっている
「純粋な娯楽小説」ではなく、「偽史を広めるツール」だったとしたら、
とんでもないことだな

戸高を重用している半藤もこの事実を知っているのか?
にしても武田と戸高との接点を見つけたヤツは凄いな

169:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:28:21.11 2/Lt8kf70
半藤一利『昭和史』徹底批判3  半藤一利『昭和史』は紙芝居だ  月刊WiLL2010年7月号

評論家・西尾幹二 
高知大学名誉教授・福地惇 
大阪青山短期大学准教授・福井雄三 
情報史研究家・柏原竜一

※本文にあるカッコ<>内の文は半藤一利氏の著書『昭和史』からの引用です


西尾
「当現代史研究会は本誌5月号、6月号と半藤一利氏の『昭和史』の徹底批判を行いました。
6月号で指摘し、タイトルにもなった「半藤氏は紙芝居屋さん」はからかっているのではなく、
身勝手なテーマの転換や通俗的な解釈が多すぎるという歴史本質論を述べたまでです。
この指摘に対して、編集部には賛同の声が多数寄せられたと聞いております。
そこで、前回同様、自由討論の形式をとり半藤一利『昭和史』徹底批判を再論し、完結させたいと思います。
福地さんお願いいたします」

福地
「半藤さんの論の展開は、好戦的な日独などの「悪い勢力」と平和を愛好する英米ソなどの「善い勢力」とのせめぎ合いが、
戦前「昭和史」の主旋律だったとの主張なんです。国際的な視野を持たない短絡的な主張です。
アメリカの対日戦争意思は、1939年(昭和14年)の日米通商航海条約の破棄通告に明確に表れています」

柏原
「その理由を述べないんですよね」

福地
「翌年の在米日本資産凍結や対日石油輸出禁止、屑鉄と鋼鉄の対日輸出禁止といった措置も、
独ソ戦の日付の後に次々と実施されている。それが開戦の昭和16年よりも前、1年半以上前から起きているんです。
満洲事変が起きた当座から、アメリカは本誌6月号で申し上げたスチムソン・ドクトリンも、
日本は悪だから叩くぞということなんです。そう言い始めているんです。そこから始まっている。
日本は必死になって東亜の安定を模索すればするほど、在米日本資産凍結などで叩かれた。
事実上の宣戦布告を突き付けたのは、1939年(昭和14年)の通商航海条約破棄通告ですよ。
日本は日米通商航海条約を破棄されても、戦争をする意思はなく、きわめて紳士的に対応しました。
そのような日本の対応に対して、半藤さんは意図的に無視しています」

西尾
「日本は戦争をしたくなかったんですよ。それは対中戦争についても同じです。
日本は一貫して戦争をしたくなかったのに、中国側が戦争をしたくて仕方がなかった。
特に都市の中国人がその意思を強く持っていた。最近の北村稔・林思雲『日中戦争』(PHP)にもそう書かれています」

170:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:29:32.20 2/Lt8kf70
福井
「アメリカの参戦理由が未だに謎に包まれている。第一次大戦もそうです。
結局、第一次大戦、第二次大戦におけるアメリカの参戦は世界を混乱させてしまっただけなんですね。
アメリカはなぜ参戦したのか。考えれば考えるほど謎は深まるばかりです。
最終的には軍事産業が潤い、世界大恐慌は克服しましたが、これは結果論であり、
それが参戦の目的であったとみることは大雑把な議論です。アメリカは何を得たのかということです。
アメリカの日米戦争における当初の目的は、シナ大陸における門戸開放と機会均等でした」

西尾
「一応、最初はそう主張していましたね」

福井
「ところが、それを達成できたのかは甚だ疑問です。むしろ逆でしょう。
さらにヨーロッパ戦線においても、当初アメリカはドイツの大部分を占領したにも関わらず、
後でソ連にそれを譲り渡している。そんなことをする必要がどこにあったのかと。
あの当時のソ連は満身創痍の傷だらけで、アメリカの援助でやっとドイツを倒したわけですが、
アメリカから見たら吹けば飛ぶような状態だったにも関わらず、
まるで腫れ物にでも触るかのように、アメリカはソ連に貢物を差し出した感じで・・・」

西尾
「戦争が続いている間はそうでした。
戦争が終わった後の1949年(昭和24年)のソ連の原爆開発がすべてを逆転したんですよ。
イギリスはソ連を恐れていたので、あの時まで対ソ強硬策を言っていた。
ところが原爆の実験が起こったので、アメリカは、はっと目を覚まし、対ソ弱腰をやめ、
イギリスは逆に恐怖に直面し、ソ連に弱腰になるんです」

福井
「あれで一挙にソ連はどうにもできなくなってしまったんですけど、結局ルーズベルトは何を考えていたのか。
当時のアメリカの力をもってすれば、東ヨーロッパを解放することができたはずです」

西尾
「戦争終結時のアメリカの油断と、戦中の対ソ政策の失敗がもたらした東ヨーロッパの不幸と苦難ですね」

福井
「それと、アメリカは中国も野放しにしました。途中から毛沢東賛美に回った。
このため極東の膨大な地域と東ヨーロッパ、合計で十数億人に共産主義の恐怖政治という地獄の苦しみを味わわせたわけです」

西尾
「しかも、結構大胆に手出しをしておきながら、アメリカは最後までやらないんですよね。
ベトナムしかり、イラクしかり、中東しかり、そしてソマリアでも一度そういう無責任なことをやりました。
北朝鮮しかりです。「悪の枢軸」などと言って、寝た子を起こしたのはアメリカですから」

171:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:30:40.89 2/Lt8kf70
福井
「アメリカの国家意思とは一体どういったものなのか。イギリスやフランスといった列強諸国は老獪でずる賢いんですが、
現実的な利害関係で動いていますので、まだ相手にしやすいんです」

西尾
「リットン報告書のそれなりの合理性と、アメリカの同じ時代の門戸開放からハル・ノートに突き進む行動との違いなんですよ」

福井
「アメリカだけが例外なんですね。その背後にあるアメリカの国家意思というものが。
20世紀のアメリカの外交政策を見ていると、一種の神権政治、宗教国家のように若干感じるんですよね」

西尾
「宗教国家であると同時に、アメリカの正義に酔っている神権国家なんですよ。
背後には次のようなことがあるのではないでしょうか。
ヨーロッパのアジア植民地主義は、下層労働というものを常に求めており、それによって成り立たせている。
それは、自国の外に奴隷を持つということで社会を成り立たせていた。
奴隷がない限り資本主義が成立しないという矛盾を孕んでいるんです。
ですから、第二次大戦が終わった後もイギリス、フランス、オランダはアジアを再占領することを意図していたわけですが、
アメリカは1941年の大西洋憲章で、きれいごとを言ってます。植民地はやめると宣言した。
要するに下層労働力というものを絶えず必要としていた欧州諸国に対して、アメリカだけが必要としないでやっていけたのは、
国内に黒人がいたことにすべて起因するのではないでしょうか。
国内の黒人労働力に依存していたが故に、アメリカはきれいごとを言えた。

さらにそれは、アメリカは中世を持っていなかったということに関係があるのではないでしょうか。
中世の時期に古代奴隷制はなくなります。ヨーロッパには奴隷がいなくなったため、アジアに奴隷を求めたのが
近代ヨーロッパの一連の動きですけれども、中世を持たなかったアメリカは国内に奴隷を抱えていたために、
少なくとも第二次大戦後から半世紀ぐらいまでは、国内経済は成り立っていた。
ところが、それがもう一度不可能になったために、13億人の民という中国の下層労働に依存し始めたんです。
現在起こっている状況がそれではないでしょうか。そのように眺めてみると、疑問は全部解けるのではないでしょうか」

福井
「アメリカは資本主義原理たる奴隷労働力を持っていた。説得力がある論理ですね」

西尾
「世界中に下層労働力が必要であり、それが利用できるところが強いという歴史の流れがあった。
昨今のアメリカはそれも利用できなくなったわけですよ。そこでそれを中国に求めた。昨日まで陥っていた状況がこれです。
ですから、アメリカが陥っている現在の困難は、
その中国が再び簡単に利用できなくなったことに起因しているのではないでしょうか」

172:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:31:45.13 2/Lt8kf70
福井
「アメリカはヨーロッパ以上にキリスト教が根強く、大事にする国ですね」

西尾
「根強いんですが、そのキリスト教はカトリックを経ていないため、合理的ではないんです。
カトリック教会は秩序を大事にしますから、意外と合理的なんです」

福地
「アメリカと宗教は非常に大事なテーマですね。
そこで半藤昭和史にひきつけて言わせていただくと、半藤さんはアメリカが全然見えていない。
『昭和史』には1932年(昭和7年)頃まで
<アメリカは日本に好意的でした。国際連盟がガタガタしだした時も、アメリカは日本たたきの先頭になることはなく、
日本の立場が自衛戦争であるかには若干首をかしげるところもあったとは思いますが>とありますね。
これはアメリカの転換点でもあるんです。この時期は。

ウッドロー・ウィルソンからフランクリン・ルーズベルトまで、三期大統領(ハーディング、クーリッジ、フーバー)がいて、
その中にはフーバーもいるわけです。彼らはアメリカ・ナショナリスト、つまり孤立主義者なんです。
一方で、ウィルソンとルーズベルトは国際主義者で、つまりは対日戦争に賛成の立場です。
この違いは大きく、大統領がフーバーからルーズベルトに代わった途端、対日姿勢が急に強硬になるんです。
そして、その時の国務長官が太平洋戦争時の陸軍長官を務めたスチムソンでした。
スチムソンは、一貫して日本叩きの急先鋒でした。つまり日本が悪いから変わったわけではなく、アメリカが急変したのです。
そのことを半藤さんは理解できていません。まさに「欠陥だらけの昭和史」です」

西尾
「外国と戦争したわけですから、外国の歴史を考えないで、自国史は語れない。
私が昭和史を論ずる人達にいつも言いたいことは、
半藤さんだけではなく、秦郁彦さんにしても、保阪正康さんにしてもそうですが、
相手があっての話なんだということが分かっていないということです」

福井
「思考の座標軸が日本史だけの狭い座標軸で、小さなコップの中で水が波騒ぐように旋廻して空回りしているんです」

173:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:33:03.97 2/Lt8kf70
西尾
「今の時代にはどういうわけだか、「昭和史」というものが流行っていて、
半藤さんだけではなく秦郁彦さんや保阪正康さんや東京大学教授の北岡伸一さん、
それに東京大学教授の加藤陽子さんが新たに昭和史を論じていますが、
不思議なことに昭和史というと1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)、
あるいは1931年(昭和6年)からの15年戦争をひとつの大きなタイムスパンと捉え、
問題を国内的に絞って書くというのが基本的傾向です。

半藤さんの『昭和史』も、1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件から始まっています。
この事件から日本は暗黒時代に入った、そして1931年(昭和6年)の満洲事変から日本は没落したという捉え方です。
これは紋切り型で、高校の歴史教科書にも載っており、ありとあらゆる書物にも書かれていますが、
完全にGHQの宣伝工作にのせられている考え方なんです。

1928年(昭和3年)は不戦条約の年です。
不戦条約違反が侵略戦争であるとするニュルンベルク裁判において、
ジャクソン検事はドイツを侵略国家として裁くためにパリ不戦条約を使おうとしました。
その方針がそのまま東京裁判のキーナン検事に受け継がれる。
ところが今に至るまで、侵略戦争の概念は依然として確定されておらず、
パリ不戦条約は長い間、侵略戦争の規定に関する国際法規としてはみなされませんでした。
国家が戦争を起こしても犯罪にはならなかったんですから」

福井
「1928年(昭和3年)のパリ不戦条約では、自衛戦争かどうかは当の国家でしか判断できないとしていますね」

西尾
「ニュルンベルク裁判で改めて罪を裁く際、事後法であるということを避けるためにも、
パリ不戦条約に違反したことにしたかったんですよ。最初に無理なこじつけがあるわけです。
不戦条約違反が侵略戦争であるとするのは一部の意見にすぎないのですが、にもかかわらず、
そのようなものの言い方がニュルンベルク裁判で押し通され、東京裁判に継承されたため、
1928年(昭和3年)の日付が起訴状の基本となっているんです。
そこへ、まるで符節を合わせるかのように「昭和史」が張作霖爆殺事件から描かれる。

これまでみなさんが空間的視野の広がりの必要性を述べられましたが、時間的視野の広がりも必要なんですね。
歴史を短く切ることなどできないわけで、歴史を何年から何年までが暗黒時代だったと短く区切るとすれば、
そこには政治的意図があります。占領軍が日本史にそれを求めてきたのは東京裁判の要請からくるだけでなく、
16世紀からの西欧のアジア侵略を視野に入れさせないためでもあることをしっかり認識する必要があります。

さらに中国大陸のことを考えるならば、実は非常に長い時期から中国大陸は混乱の極にあるところへ
日本が入り込んでいったわけで、満洲事変以降という短い時間尺度で考えるべきではなく、
清朝の時代から中国とはどのような歴史の国だったのかということをよく考える必要があるんです。
中国史のなかでは清朝は比較的良い方の時代で、明がひどかったわけです。
それでも内乱や疫病、森林の消滅、水害、イナゴの害などで、
数千万単位の餓死者を出し続ける不幸な国土で、また匪賊が跋扈していた。
ですから、日本のような幕府の治世の中で法治国家を生きてきた日本人には手に負えないような世界だった」

福井
「19世紀の太平天国の乱は、1億4千万人も死んでいるんですよ」

西尾
「私は8千万と聞いていますが、内乱というものは中国史のいわば常態で、よく考えてみると文化大革命も内乱の一つです。
今も内乱を続けているんですよ。年間20万件も暴動があるということはつまり、中国はそもそも国家ではないわけですよね。
そのような中国に日本が一時的に巻き込まれてしまったということが、諸先生の『昭和史』の中には書かれていないんですね」

174:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:34:07.94 2/Lt8kf70
福地
「中国をまともな国家のように書いている。混沌状況のシナ大陸だったのにです。
蒋介石を背後から強力に支援して抗日戦争をさせていたのが英米で、
毛沢東を直接的に指導したのはソ連とコミンテルンという案配です」

西尾
「まるで主権国家のように扱っている。いくつもの政府があった中国は、一つの主権下の国家ではなかった。
外交交渉だって複数の政府相手だから簡単ではなかった。
たしかに、日本人がそのような中国人をバカにしたのは事実だと思います。
当時の中国では、農民を徴兵に取り立てるなどめちゃくちゃで、歩いている人を引っ張ってくるようなやり方だったようです」

福地
「奴隷以下ですよね」

西尾
「鉄砲の撃ち方も知らないで前線に出す。一説では銃の撃ち方は戦場で学ぶ。
日本の飛行機が飛んできても、よくわからないものだから「あっあっ」と指さして突っ立っていて
そのまま撃たれてしまったといったレベルで、そのような軍を相手にしていたわけですから、
たしかに日本軍はバカにしたところがあったと思いますよ。

それから、逆に日本の中国学者がいけなかったと思います。
内藤湖南や吉川幸次郎や宮崎市定など、日本に誤解を与えるような中国観を教えていた中国学者が悪い。
中国の実態を知らせず、文化的に尊敬する面ばかりを教え、一般の日本人が現場の中国人を実際に見ると、
これがあまりにもバカバカしいので軽蔑する心とがごちゃごちゃになる。
それがたしかに傲慢な日本人を生んだであろうし、チャンコロ扱いする不幸な事態を生んだかもしれないのですが、
半藤さんはじめ諸先生はそのような中国だったということをもっと書かなければ、あの時代の歴史は書けないということを言いたい。
大事な問題ですが、歴史は長い時間尺を見なければならないので、
清朝末から考えなければ、中華民国の歴史は分からないということです」

福地
「欧米の文明から見れば日本は異質すぎるから、国民国家を作れとか自由貿易をしなければいけないとか
キリスト教に改宗しろ、などと様々な教導をして、自分たちの文明に色を染め変えようとした。
これに逆らえばどういう運命が待ち構えているか、近代日本は正に大変な危機に遭遇させられて、
防御対応に並々ならぬ努力を重ねたのです」

175:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 02:34:41.59 2/Lt8kf70
西尾
「半藤さんは永井荷風の『断腸亭日乗』の一節を引用して
<日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。
政党の腐敗も軍人の暴行も、これを要するに一般国民の自覚の乏しきに起因するなり。
個人の覚醒せざるがために起こることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於いてもこれは到底望むべからざる事なるべし>
と叙述します。
この文章の「軍人」を「マスコミ」に置き換えると現在の日本の状況にぴったり一致します。
またこの一節をそっくりそのまま「マスコミ」の寵児である半藤さんに差し上げたいですね。
このようなことを助長しているのは半藤さんあなた自身ですよ、と。

さらに半藤さんは、荷風以外にも『昭和史』のむすびの章において、
昭和史がどういう教訓を私たちに示したかについて五つの観点を挙げます。

<第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない>
<二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない>
その通りです。半藤さんにそのまま差し上げます。

<三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある>
リベラリズムに流されている大手マスコミにそのまま申し上げます。
今の日本のマスコミは、世界から見ると全体がタコツボです。

<四番目に、(中略)国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握していなかった>
半藤さん、あなたこそ客観的に把握して下さいとお返しします。

<五番目として、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想>
今の民主党政権がやっていることです。
半藤さんはたしか「九条の会」でしたね。
特定のイデオロギーで戦争や平和の歴史をお話しになるのは、決して日本のためにも平和のためにもなりません」

176:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/29 23:39:39.47 eOV4gqfd0
毎度乙!
似非保守 晒しあげw


177:あぼーん
あぼーん
あぼーん

178:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/04 01:47:41.43 +OpqDn9QO
マルクス主義とは何だったのか

179:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/15 22:30:14.55 jlBMyegX0
「昭和史」ではわからない「日本人の誇り」  『歴史通』2011年7月号

藤原正彦 数学者・お茶の水女子大学名誉教授


・なぜ共産主義を語らない

歴史、とくに近現代史について書くことは、自分の見識から人間性まで露わにすることにほかなりません。
ですから本当は、できれば誰か権威ある歴史学者におまかせしたいところなのですが、
専門の歴史学者は用心深くて、史料がすべて完全に公になってからでなければ、何ごとも語ろうとはしない。
暗号などの発達により高度化した謀略が盛んに行われた昭和の戦争では、
解読資料などが公開され、真実が明るみに出るまで長い場合は数十年から数百年以上もかかります。
この間、歴史学者は最重要な史実を無視したまま歴史を語ることになります。

たとえば近現代史に与えた共産主義の影響の大きさについて、
現在、歴史学の主流派に属する学者たちは語ろうとしないだけでなく、その重要さにまったくきづいていないようにも思えます。
きちんとした証拠がまだ十分に出そろっていないからやむをえないとも言えますが、
世界の共産化を図ったコミンテルンを抜きにして近現代史を語ることはできません。
日本でいえば大正末期、ソ連が誕生した1922年くらいから、共産主義は世界を席巻し、学界、政界にも浸透しました。
かつて私が研究と教育に従事したイギリスのケンブリッジ大学など、共産主義者の巣窟でした。

大戦中のソ連の暗号文を米英協力で解読してみると(ヴェノナ文書)、
米英の政府にも軍部にもコミンテルンのスパイや共産主義者がはびこっていたことがわかったのです。

ルーズベルト政権内だけでも三百人もいました。
マッカーシー上院議員による共産主義者追放、いわゆる「マッカージズム」がアメリカで起こりましたが、
これは、つい最近まで右翼反動、または民衆の敵のように言われていました。
「魔女狩り」に掛けて「アカ狩り」と呼ばれていたくらいです。
しかし、それが正しかったことが解読文書で証明されてきています。マッカーシーは大功労者でした。

マッカーサー元帥にしても、昭和二十五年に朝鮮戦争が起こって初めて、日本は大変なことをしていたのだとわかった。
二十年にもわたって日本は共産主義の脅威と戦っていたことがわかったのです。
日本をたたきつぶしたら、とたんに防波堤がなくなって共産主義が押し寄せてきた。
それで急いで警察予備隊をつくらせたりしたのですが、
そのころになってようやく、「日本の戦争は自衛戦争であった。日本軍が満州にいた意味がわかった」
なんて言ったって、十年遅い。アメリカはよほど頭の血のめぐりが悪いのでしょう。

180:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/15 22:33:17.84 jlBMyegX0
結局、アメリカとイギリスは共産主義者に敗北したのです。だから共産主義を抜きにしてあの戦争は語れない。
にもかかわらず、歴史学者がそれに気づかない、あるいは気づいていても無視している。
不思議でたまりません。私のような数学者から見るとそれこそ理解不可能です。

ペリー来航の一八五三年からサンフランシスコ講和条約発効の一九五二年までの百年におよぶ戦い、
つまり「百年戦争」は、日本の涙ぐましい独立自尊のための戦いでした。
一九世紀半ばの頃、欧米の帝国主義下にあって、アジア、アフリカ、南米と、
どこを見わたしても、日本以外に独立自尊のために立ち上がった国は一国としてなかった。
有色人種は強力な武器を持つ西欧列強の前にひれ伏すだけでした。
中国人や朝鮮人のように、無駄な抵抗をするより白人の言いなりになって、
自分だけ貿易や賄賂でうまく儲ければいいとは、日本人は誰一人思わなかった。

開国派と攘夷(じょうい)派の争いはありましたが、これは順序が違うだけで、同じことです。
まず開国をして国力を蓄えて軍備を整え、それから攘夷しようということですから、開国イコール攘夷なのです。
変節したわけではありません。
絶対に植民地にはならないということでは、すべての日本人は一致していました。
このように、日本の戦いは独立戦争という観点から、百年単位でみなければわかりません。

満州事変あたりから敗戦までをひとくくりにした「昭和史」という言葉があります。
しかし、E・H・カーが『歴史とは何か』(岩波新書)で言うように、歴史はすべて因果関係で結ばれているものですから、
その一部分だけを切り取って論ずるのは歴史学に反するやりかたです。
ヒトラーの狂気が第二次大戦を起こしたのではないのです。
「昭和史」と言って昭和だけを切り取るということは、四世紀もの長きにわたる欧米列強の横暴や酷薄を免罪し、
日本だけを貶め、「東京裁判史観を認める」ことになりかねないのです。

それまで欧米諸国は二、三百年間、アジア、南米、アフリカを侵略し、有色人種を支配して植民地化してきました。
昭和になってからは、ほぼ侵略を終えて一段落していたのです。

しかし、日本は江戸末期以来、独立を守るために戦ったのであって、西洋列強のように植民地を拡大するためではありませんでした。
にもかかわらず、昭和だけを切り取ってそこに焦点を当てれば、いかにも日本だけが侵略しているように見えます。
その前の伏線はすべて無視される。
百年戦争の「昭和」の部分だけ取って、日本を断罪するなどというのは意図的であるとしか思えない。

つまり、「昭和史」という言葉自体、とんでもないイデオロギーなのです。
私はその言葉を否定します。「昭和史」と言うだけで、東京裁判史観を認めるのとほぼ同じことになるからです。

181:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/16 00:56:12.80 ymeFn7J40
『歴史通』2011年1月号

渡部昇一 上智大学名誉教授
若狭和朋 元九州大学大学院客員教授

『固くて使えない3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)』


若狭
『以前、テレビで田原総一朗氏が、「満洲事変以後の戦争は日本の侵略戦争」と言っているのを聞いて、
気が萎えたのを覚えています。でも、本気でそう信じ込んでいる人が多い。
満洲は満洲人の故郷であって、シナ人には立ち入り禁止の「封禁の地」でした。
清朝の末期に、李鴻章たちが清朝を裏切り、満洲をロシアに売り、満洲全土はロシアの支配下になっています。
そして日露戦争に敗れたロシアは北満洲に去るのです。その後、日本が満洲国を建国する。
日本は中国に対して「侵略戦争」を仕掛けたと主張する人たちは、この議論の前提さえわかっていません』

渡部
『満洲の件は、国際連盟からリットン調査団が来ます。リットンというのはイギリス人で、
あとの調査員はドイツ、フランス、イタリア、アメリカの計五ヵ国から来ている。
そして数ヶ月調べて、「簡単に侵略戦争とは言えない」という結論を出した。
それまでの日清・日露戦争の経緯がありますからね。

張作霖爆殺事件についても、「あれは神秘的な事件だ」としました。
最近公開された史料によると、張作霖を爆死させたときの爆薬がソ連製だということを、
当時のイギリス諜報部は掴んでいた、ということです。
日本を批判するための使節団ではありますが、やはりイギリス諜報部の情報は知っていたはずです。
「張作霖を殺したのは日本ではない」とまでは言わないけれど、「神秘的な事件だ」としたのは、
リットンのぎりぎりの良心だったのでしょう』

若狭
『イギリス陸軍の情報部極東課MI2cが、四ヶ月かけて詳しく調査しています。
そして主役はソ連であるということを、文書に残しています。
文書番号は【WO105・5750・MI2c Note Oct 1928】
これは、すでにイギリス情報部が情報公開している』

渡部
『例えば、あの田母神航空幕僚長更迭問題のとき(2008年10月)、
田母神さんが「張作霖爆殺事件でも、日本側がやったという意見とは違う意見も出ている」と言っただけで、
日本中が大騒ぎをした。その時、声高に騒いだのは、戦史研究家とか昭和史研究家とよばれる人たちでした。
彼らは、新しい事実に基づいて、張作霖爆殺の黒幕を当然知っていなければならない人たちです。
ところが、従来の通説に固執していた。不勉強のそしりは免れません。

これから言えることは、「張作霖爆殺は日本の陰謀」という説を採っている人たちが、
近・現代史を解釈する重要なポストにいて、「歴史は確定している」などといって安閑としていたということです。
これまで長い間、開示されていない秘密文書が公開されてきていることに、無関心なんですね。

僕が最もおかしいと思うのは、戦後の昭和史を書いている人たちが、「東條英機の宣誓供述書」
(東京裁判において、東條英機が語ったものを、主任弁護人の清瀬一郎が書き起こしたもの)を引用した人がいないことです。
「それはおかしい」と、僕がしきりに書いていたらば、最近になってそうした人たちも口にし始めた。遅いんですよ(笑)。

仮に、ヒトラーが裁判にかけられたとして、彼の口述書が残っていたとしたら、それを使わない西洋現代史はありえない。
つまり日本は、「東條英機の宣誓供述書」を完全に無視していたんです。
「東條はウソばかり言っている」と当時は捉えられたのでしょうが、
しかし「東條英機の宣誓供述書」は裁判文書ですから、事実のウソは言えないんです。
検事から追及されますからね。「事実の解釈」にそれぞれ違いはあっても、「事実」は動かせないんですよ。
だから、その供述書を無視して昭和史を書こうなんて、大胆すぎますよね』

182:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/16 00:57:18.05 ymeFn7J40
若狭
『河本大作は昭和28年、中国大陸の太原収容所で、事実上処刑だと思いますけど、獄死しているんです。
そして義弟と称する作家の平野零児が、昭和29年に「オレが張作霖を殺した」との
"河本談話"なるものを、中央公論に発表します。
その後、昭和31年に平野零児は日本に帰ってくる。これは面妖至極です』

渡部
『東京裁判のときに、河本自身を証人として出せばよかったんですよ。
しかし、出さなかった。「出さなかった」ということは、「出せない」ということです。
捕まえていたのだから、いつでも証人として出せたにも拘わらず、です』

若狭
『河本は、張作霖爆殺の真相を知っていたわけです』

渡部
『そして、今でも昭和史の「専門家」は、第一級の史料のように平野零児の発言を振り回している。
我々「素人」が、その「常識」を壊さないといけないというのは、情けない話です』

若狭
『私は高校で歴史を教えていましたが、専門家と違って一次史料に当れるチャンスが、そんなにあるわけではない。
「先生、これはどうして?」と生徒に聞かれたときに、できるだけ努力して原典を読んで採ってきました。
かつて、田母神さんの講演の前座を務めたことがありますが、その時にこんなことを言いました。
「3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)とよばれている昭和史の研究家の方々がおられますが、
3Hなんていう鉛筆は硬くて使い物にならない」と(笑)』

渡部
『3Hさんたちは、戦後昭和史を一生懸命調べたんですよ。ふつうの人が知らない情報もいっぱい持っておられる。
でも「一番肝心なこと」が抜けている。それは、「その時、外国は何をやっていたのか」という視点・論点です。
まさに、「その時、外国は何をやっていたのか」に最初に言及した人は、東條英機です。
前述した「東條英機の宣誓供述書」なんですよ。

東條さんは、「支那事変以来、日本はずっと『受け身』であった」と言っている。
「何かをされるから、それに応えてやらざるを得なかった」と証言している。
それは、当時の人間も知っていたことです。
しかし、戦後の昭和史研究の人たちは、一生懸命調べたけれども、「東京裁判史観」に結びつくような結論にしか至らない』

183:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/17 00:32:57.92 QsnLX5G80
引用乙!
そろそろ日本人は真面目に昭和史を検証すべきだな。


184:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/17 02:00:25.69 RY5iTYep0
>>122
アメリカが一神教で、日本にサタンを見たというよりむしろ
アメリカ政府はサタニスト集団であるから、神聖国家が許せない

こっちの方がシックリくるだろ?



185:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 23:47:06.89 b9dCc0vEO
半藤氏は南京事件三万人説だからバリバリの右翼……になるんだろうか左翼の人から見れば

186:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 18:45:23.27 eRrE0eBb0
『半藤一利批判』
URLリンク(www.nishiokanji.jp)

柏原 竜一
インテリジェンス研究家


人様の歴史観を批判すると言うことは、ある意味で恐ろしいことだと思います。
批判というのは、両刃の剣で自らにも降りかかるものだからです。
ですから、歴史を語るにあたっては、細心の注意が求められているといえるでしょう。

例えば、戦前の日本はいいこともした、
台湾ではダムを造り、はげ山だらけだった朝鮮半島に植林を行なったといった事績は有名ですが、
こうした日本の光の側面ばかりを取り上げていても、それは保守による一つのイデオロギーへと堕落してしまいます。
我々が気をつけなければならないのは、日本人はすばらしい、日本の伝統は素晴らしいといってふんぞり返ってしまうことなのです。
自らの正しさに酔っては、歴史には永遠に手が届かないのです。
かといって、半藤さんのような一連の昭和史家皆さんと同じように、
軍部の暴走で日本は悲惨な戦争に巻き込まれたとする通俗的解釈も、また別のイデオロギーと堕落することでしょう。
というか、その腐敗の最たるものが、半藤さんの一連の著作であるといってかまわないでしょう。

歴史を語ると言うことは、光と闇の狭間の薄暗い道を、心細く歩んでいく孤独な旅に喩えることができるでしょう。
ある説が正しいと思っていても、それと反する証拠(あるいはその証拠に見えるもの)も同じように見いだされるからです。
ですから、歴史家は、多くの史実を、自分の良心に忠実に再構成しなければなりません。

とはいえ、この「良心」こそが厄介なのかもしれません。
というのも、自分の良心に基づいて事前に決定した結論をひたすら展開するという良心もあり得るからです。
しかし、歴史学という営為から考えてみれば、こうした良心はなんとも歪んだ良心でしかありません。
結論を事前に設定できる良心とは、傲慢もしくは独善の仮の姿ではないでしょうか。
自分のわずかな資産にしがみつく小市民的心性といっても良いでしょう。
歴史家にとっての良心とは、経験主義の垢にまみれた小市民のそれであってはならず、
なによりも事前の予断を抜きにして史実を眺め、再構成する必要があるのです。

しかし!事前の予断を持たない人間というのもこれまた存在しません。それは歴史家といえど例外ではないのです。
ですから歴史を学ぶものにとって、傲慢や独善の誘惑から自らをいかにして遠ざけるかが根本問題なのです。
歴史を語るものの自己に対する批判意識の鋭さが、提示される歴史の、
ある意味での真実味(あえて真実とは言いません)を保障しているといえるでしょう。
傲慢に陥らないためには、幾つかの心構えが必要です。まず第一に、新たな資料には常に注意をはらうことでしょう。

例えば、西尾幹二先生は「焚書図書開封」という本を出版されていますが、
江藤淳の「閉された言語空間」とならんで、戦後流布した歴史観のいかがわしさを明らかにしています。
問題は、焚書された書物が半藤さんの主張する歴史観と真っ正面から完全に矛盾していることでしょう。
可能性は二つしかありません。
半藤さんの主張する歴史観が正しく、焚書された書物が「間違っている」のか、
あるいは焚書された書物が正しく、半藤さんの主張する歴史観が「間違っている」のか?
答えは言わずともわかりますね(笑)。

問題は、半藤さんの歴史観が誤っているか否かという点よりもむしろ、
半藤さんが「焚書図書開封」という書物に前向きに対応できたかという点なのです。
しかし、寡聞にして、半藤さんが衝撃を受けたという話は聞かないわけです。
本来であれば半藤さんは、それこそ良心があれば、過去の著作全てを絶版しなければならないはずです。
しかし実際には、ますますお盛んに著作を怒濤の勢いで刊行なさっています。
西尾先生の著作も、保守反動のパンフレット程度にしか考えておられないのかもしれません。
しかし、ここで私が問題にしたいのは、自分の見解を批判する資料に対して反応しない、
あるいは反応できない半藤さんの精神の、信じがたい、そして救いがたい硬直性なのです。

187:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 18:46:23.79 eRrE0eBb0
これと似た光景を我々は最近目にしました。それが一昨年前の「諸君!」紙上での西尾・秦対談でした。
私が問題だと思ったのは、秦氏が、自分の見解に矛盾する資料は全力で否定しながら、
自分の主張が崩されている、もしくは崩されているかもしれないと言うことを、知って知らずか、遮二無二否定していた事実でした。

私は、改めて読者の皆様に伺いたいと思います。
秦氏は、張作霖暗殺事件で、中西輝政先生が示された英国情報部の見解の是非には答えられませんでした。
これは、秦さんの論争の敗北を意味しているのではないですか?
私が見る限りでは、あの論争は秦さんの一方的な敗北でした。
実際、デクスター・ホワイトのアメリカ政府内部での働きに関しても何もご存じないのです。
歴史家にしては、無知が過ぎると思いました。ある見解を否定するためには、その見解を知らなければなりません。
しかし秦さんには、「信じられない」の一言で終わりです。これって、アリですか(笑)?
あの場で提示された議論に反論するためには、何らかの新資料を秦さんは提示しなければならないはずです。
しかし、秦さんにはそれだけの気力も能力もないようです。
秦さんは、この対談で言論人としての生命を終えられたのだと私は思いました。

秦さんといい半藤さんといい、なぜ新たに発見された資料を貪欲に自分の思索の中に取り入れられないのでしょうか。
なぜ自分の読んだ資料や自分が人から聞いた話だけが真実だと思えるのでしょうか。
この視野の偏狭さ、そして自分の見解だけが正当であるとして譲らない、
腐敗しきった精神の傲慢さの醸し出す”すえた臭い”に、ご本人方はどうして無自覚のままいられるのでしょうか?
理由は簡単で、あの年代特有の名誉心を満足させたいからでもあり、自分の過去の精神的傷を正当化したいからでもあるでしょう。
あるいは、単に内容よりも本を売りたいという経済的動機が重要なのかもしれません。
さらに付け加えるならば、困ったことに、こうした人ほど「自分こそは良心の固まりである」と信じ切っているものなのです。
おそらくは、これら全てが鼻持ちならない傲慢の原因なのでしょう。
しかし、自己への批判意識のない精神の産物は、社会に害毒しかもたらしません。
日本の言論界の貧困があるとすれば、こうした思考の硬直性、鈍感、傲慢にあるのではないでしょうか。

興味深いことに、思考の硬直性、鈍感、傲慢といった一連の悪口は、半藤さんが旧日本軍に投げかけている悪口と全く同じなのです。
これもある意味では当然のことなのかもしれません。
自らの視点を絶対視するあまり、そして、自己に対する批判意識の欠如から、
半藤さんは「昭和史」をかたっていながら、実は自らを語っているに過ぎないのですから。

188:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 18:46:54.19 eRrE0eBb0
もう一つ付け加えておかねばならないのは、歴史観それ自身が歴史的産物であるという論点です。
時代が移れば、歴史観も代わります。
フランス革命の評価も約60年ほどの時代が立つと、全く逆転したこともよく知られています。
歴史とは、固定的なものではなく、歴史が編み出され、そして読まれる時代とともに変動していくものなのです。
その理由は簡単で、我々が歴史書を読むときに、歴史的事実を読むと同時に、
その歴史を通じて、かならず今生きる現在を考えているものだからです。
あるいは、歴史的事実に流れ込んだ現在を我々は歴史書の中に発見しているという言い方もできるでしょう。

つまり、我々は歴史を通じて未来を予感しているのです。
過去と現在は決して分離しているのではなく、二重に重なって存在しているものなのです。
現在が変化すれば、過去のあり方が変わるのは当然の道理です。
現在の条件が変われば、予見される未来も、その経路となる歴史観も移り変わります。
むしろ、それが社会としての活力であるとも言えるでしょう。

冷戦が終結して20年が経ちました。従来の歴史観が新たな歴史観に移り変わっていくのは、むしろ当然のことでしょう。
逆に従来の歴史観に固執することは、日本という国家の沈滞、長期的没落を招くということになります。
昭和の平和だった時代を懐かしみ、ただ昭和の時代のように過ごせばよいのだというのは、
昭和に生まれて平成に生きる人間にありがちの誤りです。
そこには、未来への意欲も、自ら運命を切り開く覚悟も欠如しているからです。

半藤さんは、陸軍のように野心的になってはいけない、外の動きには目を閉ざし、
平和におとなしく暮らしていけばよいのだという自分の価値観を読者に押し売りしているだけです。
残念なことに、自分のことはわからない半藤さんですから、念仏平和主義という自分の歴史観の害毒には徹底的に無自覚です。

ここで一つ例を挙げましょう。
私は占領終結後もっと早い時期に日本は憲法を改正し、国軍を備えるべきであったと考えています。
しかし、残念ながらそれはかないませんでした。半藤さんにしてみれば、まさに喜ぶべき時代であったといえるでしょう。
しかし、憲法を改正し、自ら軍事力を整備できなかったツケは、日本を徐々に蝕んでいきました。
竹島の不法占領を初め、東シナ海における油田の帰属問題、そして北朝鮮による日本人拉致問題です。
日本政府に、国民を守る覚悟があれば、このような事件が次々と生じることはなかったはずです。
横田めぐみさんこそ、こうした念仏平和主義の犠牲者なのではないですか?
北朝鮮に拉致されている日本人の皆さんは、半藤さんの本質的に反知性的な念仏平和主義の犠牲者なのです。

189:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 18:58:59.81 eRrE0eBb0
『救いようのない昭和史家たち』
URLリンク(www.nishiokanji.jp)

柏原 竜一
インテリジェンス研究家


2011年の驚きは、加藤康男氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』の刊行でした。
この書物によって、張作霖爆殺事件の犯人に関する、秦郁彦氏の河本大作説に大きな疑問が投げかけられることになったからです。
いや、より正確に言うならば、秦郁彦氏は、この問題に関する限り
土俵際ぎりぎりにまで追い込まれていると言った方がよいでしょう。
私は改めて歴史研究の無情さを感じずにはいられませんでした。
何年も資料を読み込んで築き上げた歴史像が、ある日、新資料が発見されたことによって、完全に覆されてしまうのです。
 
しかし、歴史の評価が半世紀もたてば全く変わってしまうこともまた真実なのです。
これは張作霖爆殺事件に関しても例外ではなかったということでしかありません。
ですから、問題は長年の研究の成果発見された成果よりも、むしろその探求の過程が、
そして探求する側の人間が問題ということになります。どれだけ誠実に歴史に直面したのかこそが問われねばならないのです。
 
その点で、興味深いエピソードを紹介したい衝動に駆られます。
ここは、自分に正直に公表することにしましょう。
そのエピソードとは、『謎解き「張作霖爆殺事件」』の山本七平賞奨励賞受賞に際して、
秦郁彦氏が出版社に激しく抗議したというものです。
その気持ちはわかるのですが、もし抗議するぐらいならば、
加藤康男氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』に対する批判を著作として世に問うべきでしょう。
それが、秦氏においては出版社への陰湿な抗議となりはてるのです。

これだから、いわゆる昭和史家というのは救いようがないなあと、しみじみ思うのです。
まだ世間のことを知らない高校生を相手に胡適というファシストを絶賛してやまない加藤陽子東大教授に始まり、
米外交官マクマレーの文章を意図的に誤読して史料を捏造する北岡伸一東大教授、
一知半解の「昭和史」をてんで恥じることのない半藤一利氏、
それに出版社に不当な圧力をかける秦郁彦氏と、
学者や識者としてより以前に人間としてどこか大きな問題を抱えておられるような方があまりに多いのです。

ですから、歴史研究の無情を見せつけられるといっても、秦氏には同情の念はわかないのです。
というか、秦氏の学問上の方法論に決定的な瑕疵があるのです。
それは、秦氏が、もっぱら日本の史料しか用いておらず、
海外の史料、特にロシア語の史料にはほとんど触れてもいないという点です。
加藤氏はロシア語だけでなく、ブルガリア語の史料も用いて検証しています。
一つの歴史的事件であっても、様々な国の史料は公式文書を存分に用いなければ、真相が明らかになったとは言えないのです。
残念ながら、加藤氏の今回の著作ではGRU(赤軍情報部)の一次史料にまではたどりつくことはできませんでした。
それにも関わらず、様々な傍証から、張作霖爆殺事件の真犯人がGRUであったことが、かなりの精度で論証がなされています。
はっきりと言えるのは、これを覆すのは難しそうだと言うことです。

これは従来の、たこつぼ型の歴史研究には限界があるということでもあります。
一つの分野をいくら細かく調べても、歴史がわかったことにはならないのです。
歴史的事象を扱うためには、比較対照という手法が欠かせません。
用いる史料を、一国の史料に限らず、信頼できる様々な国の一次史料を用いる必要があります。
特に20世紀のプロパガンダと欺瞞工作に関わる(あるいはその可能性がある)歴史的事象には、
それこそ細心の注意が要求されるのです。

190:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 21:12:59.34 yKQEXlJC0
半藤一利は東京裁判史観(陸軍悪玉、海軍善玉)を
聖書のごとく妄信した信者で、ひたすらそれを流布しているだけの
カルト以外の何者でもない。

だからこんな人物は、他の見解の側からの批判を
聞く耳は無い。
信者に事実を解明しようなどと言う意欲が、あるわけがないのだからw



191:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 22:36:08.86 9Em1uT/G0
>>190
海軍反省会の本を出したばかりですが…

192:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/19 22:46:02.88 0f80Jmmu0
>>191
悪いのは軍令部と第一委員会で
連合艦隊と山本五十六は、清い善人だったとか大嘘こいてるやつだろwww
事実は逆なのにw

193:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 07:52:14.33 UaAsfDEa0
『「秦郁彦vs西尾幹二論争」を決着するために』  傲慢な昭和史研究家たち
URLリンク(www.nishiokanji.jp)


柏原 竜一
インテリジェンス研究家


リチャード・オルドリッチは「序論 情報史家とその敵」の冒頭部分で次のように述べています。
 
『現代の情報機関の物語が提示しているのは明白な警告である。
政府は相当の秘密を隠すと同時に注意深く詰め込まれた過去を提示するのだ。
第二次大戦後すぐに、情報機関に関するくどくどしい話が現れた。
それらはしばしば英国の戦時破壊工作組織であった特殊作戦局(Special Operations Executives: SOE)に関するものだった。
これは、もはや戦争が終わったのだから、秘密活動に関する物語も語ることができたということを暗示していた。
SOEで働いた、もしくはアメリカの姉妹組織であった戦略事務局(Office of Strategic Services: OSS)で働いた
多くの人物が落ち着いて手記を執筆したのである。これは誤解を招く可能性があった。
なぜならドイツとの戦いの重要な局面の幾つかは隠されていたからである。
終戦から30年が経た1970年代になって初めて、
ウルトラとブレッチリー・パークの物語-ドイツのエニグマ暗号機を解読した努力-が世界を驚かせることとなったのだ。
その後、第二次大戦の戦略史が大きく書き換えられた。
その中でも最も重要だったのは、枢軸国の意図が丸見えだったということが
30年もの間、歴史文書から隠されていたということだったのである。』


SOEとかOSSは、一般には、いわゆる戦争映画の特殊部隊の活動のようなものとして考えていただいてまあ間違いはありません。
こうしたどうでもいいような派手は話が第二次大戦の情報機関の物語として一般に流布するのです。
それから何十年もたって「枢軸国の意図が丸見えだった」という事実が明らかになったのです。
たとえ民主的な政府であっても、英国も米国も情報を長期間隠し続けるのです。

ウィキリークスのようなことでもない限り、外交公電が人口に膾炙することはないのです。
敢えて付け加えるならば、ここでエニグマの情報が開示されたのは、
ケンブリッジ・ファイブ(キム・フィルビーなどのソビエトのエージェントが英国政府内に紛れ込んでいた事件)の暴露という
当時の英国情報機関の失態による権威の失墜を埋め合わせるためのものでした。
ですから、こうした失態がなければ、公開はもっと遅れていたことでしょう。
「枢軸国の意図が丸見えだった」ということは、第二次大戦の戦略史は根底から見直さなければならなかったということです。
 
これは、恐ろしいことではないでしょうか。
昨日まで真実であると考えられていたことが、新たな資料公開によって解釈が根本的に変わってしまうのです。
それまでの研究成果が、一瞬にして無になるということですから、まじめにこつこつと史料を集めて分析されて、
一定の成果を上げた歴史家の方々にとって、これは致命的な痛手と感じられるのかもしれません。

ですが、インテリジェンスという微妙な問題を扱うときには、常に見られる現象なのです。
ですから、なおさらのこと、歴史を研究するという志を持つ限りは、このどんでん返しにつねに身構えていなければなりませんし、
心の準備ができていなければならないのです。思考の柔軟性が必要なのです。
また、歴史家は既存の史料の裏をかく必要も出てくるわけです。そのときに導きの糸となるのが、歴史的想像力なのです。
ですから、その史料の背後に何があるのか、推理するという精神的な態度が歴史研究には常に要求されているのです。

194:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 07:52:49.20 UaAsfDEa0
ここで、「西尾幹二のブログ論壇」に収められた「西尾VS秦」対談には、次のようにあります。


『こういうもの(田母神論文)は日米関係にも決してよい影響は与えません。
一部の人々のあいだで、田母神氏が英雄扱いされているのは、論文自体ではなく、
おそらく彼のお笑いタレント的な要素が受けたからでしょう。本人も「笑いをとる」のを心がけていると語っています。』

西尾
『日米関係に悪影響云々は政治家が言うべき言葉で、歴史家の言葉ではありません。
田母神さんを侮辱するのはやめていただきたい。軍人には名誉が大事なのです。
彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね。』


『やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨を全く逆に取り違えている。
一事が万事この調子です。西尾さんも著述家だから、誤引用される不愉快さはおわかりでしょう。
プロのもの書きではないとはいえ、自衛隊空幕長は大きな社会的責任を負う立場です。
なんでも言いたい放題というわけにはいかない。・・・』


「日米関係にも決してよい影響は与えません」というのは、もう語るに落ちた言葉だと思ったのは私だけでしょうか。
現在の政治関係を、歴史に当てはめるから、日本の「昭和史」研究は、見るに堪えない惨状になっている、
というのが一読者としての私の正直な感想です。
歴史から何かを学ぼうとするのではなく、現在の日米関係がこれこれこうだから、
この種の発言は控えましょう、というのであれば、それは単なる第二次大戦の戦勝国への太鼓持ちではないですか。
中国への太鼓持ちが「日中共同歴史研究」の本質でした。日本の歴史研究は、太鼓持ちエセ学問でおわるのでしょうか。
少なくとも秦氏の姿勢からは、政治で歴史を断罪することを了としているとしか思えないのです。
 
まあ、西尾先生の「彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」という発言も、
聞く人が聞けば卒倒する内容なのでしょう。「細かいことはどうでもいいんでね」等といわれてしまうと、
もうそれだけで、従来の歴史学の全面的な否定に見えてしまう人もいるようです。
文学的な説得力というのがいやならば、文学的な想像力と言ってもよいのでしょうが、
その想像力抜きでなにか歴史研究が可能なのでしょうか。
 
想像されたものが、歴史ではないのは自明です。しかし、その想像力抜きに、歴史を研究することができるのでしょうか。
というのも、想像力の有無は調査能力に直結しているからです。
ここらへんのアーカイブにはこれこれの情報があるはず、とすると、あそこのアーカイブのこれと照合すれば、
かくかくの結論が導けるかもしれない、と考えるのは、通常の歴史研究では当たり前のことです。
あり得たかもしれない現実を、自分の頭の中で再構成し、現実の史料とつきあわせて、
事実を探るというのが歴史学という学問の営為ではなかったでしょうか。

ですから、秦氏が自分の学問を誇るのであれば、
「やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨を全く逆に取り違えている。
一事が万事この調子です」というのであれば、どの文のどこが誤りなのかを、具体的に明示するべきでしょう。
出された主張に対して、ひたすらその主張の信頼性を否定するというのであれば、これはもはや学問とは言えないでしょう。
史料に対しては史料で対抗しなければなりません。
しかし、秦氏には徹頭徹尾そうした誠実な姿勢に欠けているのです。秦氏はひたすら逃げ回っているのです。
日本の「昭和史」を研究されている皆様は、この秦氏の無様な逃げっぷりを哀れだとは思わないのでしょうか。
「細かいことはどうでもいいんでね」といわれて、脊髄反射しているようでは、
日本の「昭和史」研究の夜明けは遠いといわねばなりません。
「細かいことはどうでもいいんでね」といっているのは、むしろ秦氏の方ではないのでしょうか。

195:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 07:53:22.38 UaAsfDEa0
たとえば、次のようなやりとりを読むと、あきれるというのを通り越して、無気力になります。

西尾
『・・・ルーズベルト政権が、コミンテルンの謀略に影響されていたことは、日米戦争の発端における大きな不幸のひとつで、
これを度外視してあの戦争の歴史は書けないと、私は考えますが、同じ前提に立つ田母神論文について、
秦さんは、「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」(『週刊新潮』2008年11月13日号)と一蹴しています。』


『いまでもその考えは変わりません。工作員が、実際、どれだけ歴史の流れに影響を与えられるか、という問題もあります。』


これを読んでいて、つくづく思うのは、「じゃあ、秦さんは、ヴェノナについてどれほど知っているの?」という素朴な疑問です。
秦さんの論文を読まれたことがある方ならご存じでしょうが、英米の文献はほとんど引用されていません。
私も、秦さんの張作霖爆殺に関する論文を見せていただいたことがありますが、ほぼ日本の文献しか用いられていませんでした。
これでは史料が日本側に偏りすぎており、信用できないのではと思ったほどです。
近代の国際関係というのは、相手があってのことなのですから、相手国のアーカイブと比較検討して初めて、結論が出せるのです。

「工作員が、実際、どれだけ歴史の流れに影響を与えられるか、という問題もあります」
などと、牧歌的な発言を平気で宣う秦氏には、インテリジェンスは永遠に理解できないでしょう。
相手国のアーカイブ(たとえば中国やロシアのアーカイブ)との比較対照という手続きを踏んで居られない秦氏が、
なぜ、「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」といった、けなし文句を吐けるのでしょうか。
これは、昭和史研究家と称される方々につきものの、一種の腐臭です。秦氏はなぜ学問的な反論ができないのでしょうか。
インテリジェンスにはまるで無知な人物の語る内容が、どうして碩学の判断として通用してしまうのでしょうか。

秦氏の尻馬に乗って西尾先生を批判する人は、
当時のインテリジェンスについて記された書物を2,3冊なりとも通読されたことがあるのでしょうか。
戦間期において、日本と全く関わりのないところで、インテリジェンスがどれほどの規模で行われていたのか、
それを知らずに「秦先生のおっしゃるとおりだわ」といったところで、
それは知性の欠如、教条主義の虜以外の何ものでもありません。

また、次のようなやりとりもあります。

西尾
『ホワイトらに関して、ご覧のように大河のごとく文献が溢れているのに、今さら否定は出来ないでしょう。
日本語が読めるとか読めないの話は関係ない。重要なのはハル・ノートの原案を巧妙に示し、ソ連側の意向を伝えていたことです。』


『だが、ルーズベルト政権には日本勤務の経験もあり、日本語が読め、日本の各界に人脈を持つ国務省の外交官が何人もいる。
バランタインもジョン・エマーソンもそうです。ホワイトという素人に対日問題を任せなければならぬ理由はないのです。・・・』


ほんとに脱力しますね。「ホワイトという素人に対日問題を任せなければならぬ理由」は、ちゃんとあるのです。
それは、当時の国務省が対独戦の準備に忙しかったため、財務省のモーゲンソーとホワイトに、おはちが回ってきたということです。
正直、これを読んだときは、秦氏は、当時のアメリカ政界の有様も知らずに議論していたのかと腰を抜かすほど驚きました。
そのぐらい海外のことを知らない、そんな人が歴史を論じるのです。これはかなり恐ろしい話ではないですか。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 07:54:06.07 UaAsfDEa0
あとは、脱力シーンの連続です。

西尾
『ホワイトの隠密行動は一貫してソ連の利益のためにあった。自身がどういう役割を果たしたかは謎ですけれども、
これだけ書かれていますからね、何もなかったということはいえない。
申し上げたいのは、無罪であったとは断定できないということですよ。』


『いや、歴史学の専門家的見地からいえばですね、その程度の推測はほとんど価値がないんですよ。』


「ほとんど価値がない」という前に、秦氏は、
おそらくは対談の時に、目の前に置かれていた文献を読んでいなければならなかったのではないでしょうか。
ジョン・アール・ヘインズとハーベイ・クレアの『ヴェノナ』についても、
この著者らは当初はソビエトの情報活動には否定的だったのです。
しかし、明らかな証拠が出てきたので、彼らは転向してこの本を書いたというのが本当のところです。
秦氏とジョン・アール・ヘインズやハーベイ・クレアのどちらが歴史学者として誠実な姿勢なのでしょうか。
「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」といって、
新たな見解をこき下ろす暇があれば、まず、それらの文献のどこが誤りなのか、
はっきりと、海外も含む様々なアーカイブの様々な公文書から指摘するべきではないでしょうか。
その手間を省いて、ひたすら下品な悪口を言い続けるというのは、
その悪口がいずれ自分に返るということを、まるでご存じではないような雰囲気です。

文献を批判するには、まずその文献を読まなければならない。
そして、その上でその文献の持つ根拠の弱さを議論できるだけの実力がなければなりません。
秦氏にそれだけの実力があるのですか。実際には、その実力がないのに、
「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」という表現に逃げ込んでいるだけではないのですか。
 
まずきちんと入手できる限りのあらゆる史料を読み、そこから確実性の高い史実を構成する、
そこから更に、他のアーカイブでもチェックし、史実を確定していく。
そこには、政治的配慮は無縁でしょう。

197:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 07:54:27.83 UaAsfDEa0
オルドリッチは先の章の終わりに、次のように述べています。

『冷戦の終了以降、モスクワや北京で機密解除された歴史的宝物と、
それらが冷戦に投げかけた新たな光に関して多くの話を耳にした。しかし最大の秘密は西側の公文書館の中に眠っている。
そして冷戦初期の劇的な時代における米英の政策が実際どのようなものだったのかは、我々にはわからない。
ここでまた膨大な量の公文書が我々を待ちかまえている。そして新たな発見は始まったばかりなのだ。
この複雑なモザイクを完成させ、そして西側がいかにして冷戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、
攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、
本当の秘密などは存在せず、存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。』


「冷戦初期の劇的な時代における米英の政策が実際どのようなものだったのかは、我々にはわからない」
というオルドリッチの一言に、私は、冗談ではなく、胸を射貫かれてしまいました。
秦氏の「いや、歴史学の専門家的見地からいえばですね、その程度の推測はほとんど価値がないんですよ」
という発言と比較すれば、いうのもはばかられますが、オルドリッチが英国を代表する横綱級の情報史家といえるのに対し、
秦氏は三下にもなれないありさまといえるでしょう。
オルドリッチ氏は、知りすぎているからこそ、謙虚であり、秦氏は、知らなさすぎるからこそ、傲慢なのです。

「この複雑なモザイクを完成させ、そして西側がいかにして冷戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、
攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、本当の秘密などは存在せず、
存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。」と、ここまで言い切れるオルドリッチは凄いと思いませんか。
これは、オルドリッチが自分に課している十字架です。
これはそのまま、「この複雑なモザイクを完成させ、
そして日本がいかにして第二次大戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、
攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、
本当の秘密などは存在せず、存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。」とも言い換えられるでしょう。

先の話に戻りますが、西尾先生は既に『隠された手』を、部分的にせよご存じなのです。
それが、実はこの対談にも淡いグラデーションのように反映しています。
現在、WiLL誌上で西尾幹二先生、福地惇先生、それに福井雄三先生の末席に加えていたゞいて、
一連の昭和史家の批判を行っている最中ですが、その昭和史批判に対して、
いわゆる昭和史家の方々に反論してもらいたいと願うのですが、何も言ってきません。
何も言えないのでしょうか。
もし彼らが反論されるならば、せめてこのオルドリッチの『隠された手』(Richard J. Aldrich, The Hidden Hand Britain,
America, and Cold War Secret Service, (NewYork: THE OVERLOOK PRESS, 2001))
ぐらいは全部通読してからにして欲しいと、心から希望する次第です。
そうすれば、現在の日本の「昭和史」の水準が、どれほど低いかがわかるでしょうから。

198:あぼーん
あぼーん
あぼーん

199:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/21 21:19:00.17 Y+MjSB+L0
総理大臣の靖国神社参拝を妨害する意図で突如出された富田メモなる怪文書によって謀略工作をした半藤一利、秦郁彦の正体


さるさる日記 - クライン孝子の日記
2008/06/30 (月)
富田メモの富田家の正体とは?
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

<<とうとう、富田メモの富田氏の孫、富田晋が逮捕されました。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
高校も中退して、働いた事も無く中核派で養ってもらいながらで[労働者を守れ」はないでしょう。
逮捕の理由は、2千人の前で「東京に火をつけろ」と演説したことから騒乱したそうで、なんとも間抜けな話です>>

上記のようなテロ容疑人間の取締り対策は、日本国家の
名誉に掛けても厳重にお願いしたいもの。

ーーーーーー
富田メモで一時、日本は騒然としたことがありましたね。
その正体とは下記の通りです。

当時、富田家にまんまと「してやられた」この一件ですが、その正体とは?
親しい友人からの報告です。

<<富田家の秘密。それは、富田メモを公開した富田未亡人その人が反権力者で
「イラク自衛隊派遣反対!小泉許せん!」と怒っていた人ですし、
その子供は中核派一家で、そのまた子供、つまり富田晋は高校中退してからというもの
流れ流れて沖縄で、中核派の活動家として組織から給料貰って食べさせてもらっている気楽なご身分。

富田晋の妻は、人間の盾としてイラクに行った人物で
当時は最年少の現役女子高生としてテレビに出演していました。

ちなみに晋の姉は、世田谷区の中核派のアンテナショップで店長をしています.
富田晋は逮捕された以上、色々書かれてもしょうがないのですが、ザマーミロです。>>

これで、なぜ、あのメモが公になったか、そのウラ事情とは、一体なんだったのか、
皆さんご理解いただけたと思います。

要するに彼らは強かなのです。(宮内庁にも、かなり怪しい人物が入り込んでいるのではないかなあ。)

ところで、その富田メモとは1988年当時の宮内庁長官、富田朝彦が、
昭和天皇の側近として、天皇と会話した内容や天皇自身の発言を几帳面にメモとして記録していたというもので、
日本経済新聞社が遺族から入手したとして、日本史研究家である秦郁彦、半藤一利の両氏に分析を依頼し、
2006年7月20日の日本経済新聞朝刊第一面トップでメモの内容を報じたもの。

靖国神社についての発言もあり、その中で、
昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したという内容があり、
かんかんがくがく、物議になりました。

そういえば、富田メモについては保守といわれる人たちでさえ何人か著名な評論家が意味不明、
かつ不可解なコメントを出していましたよね。

くわばら、くわばら。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/21 21:21:26.04 Y+MjSB+L0
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成20年(2008年)7月5日(土曜日)
通巻第2242号 (7月4日発行)
URLリンク(melma.com)


(読者の声1)天皇陛下が神社に行かれるとき、伊勢神宮のように天皇家のご先祖様が祀られている神社の場合は参拝され、
これを「親拝」(シンパイ)あるいは「ご親拝」といい、靖国神社のように天皇家のご先祖様以外の方が祀られている場合は、
行幸といい、拝礼せず会釈される、と書かれていました。
新聞記者の方で、行幸と行啓の意味の違いの分かっている方なら当然ご存知のはずです。
富田元宮内庁長官も当然知っていたはずです。
それなら、いわゆる富田メモの中にある、
「私はあれ以来参拝していない」の中の「私」が昭和天皇ではないことは100%確実です。

また、いわゆる昭和天皇独白録も小室直樹氏が指摘しているとおり、宮中のルールに反してありえない発言があります。
内容は毒にも薬にもならないものですが、あれを第一級の資料などという歴史学者がいることにはびっくりします。
自身が第六級以下のロクデモナイ歴史学者であることを告白したようなものです。
どんなに内容がもっともらしくても、西郷隆盛から幼友達への手紙が東北弁で書かれていたら偽物に決まっています。
あの独白録は木戸幸一氏が天皇陛下が訴追された場合の弁護資料として、寺崎英正氏に書かせたものです。
寺崎氏が宮中儀礼に詳しくなかったためのああいうものが出来上がったのです。


(宮崎正弘のコメント)富田メモは偽造とか、改竄ではなくて主語が不確かなページのみを編集し、
都合のわるいページを破って、左翼解釈が通じるように編成し直した? という疑惑が残りますね。後味はいまも悪いままです。

201:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/21 21:46:25.05 Y+MjSB+L0
メモの富田家の崩壊 平井修一
URLリンク(blog.kajika.net)

富田メモの富田家のことを思っている。このメモを残した富田朝彦は第3代宮内庁長官で、海軍主計大尉で敗戦を迎えた。
内務官僚系で、後藤田正晴の子分、中曽根の友だ。
この3人は同じ穴の狢である。後藤田は労働組合の委員長を務めたこともあったせいか容共左派である。

朝彦の孫、広士の子どもは富田晋で、3代目ですっかり自他共に認める共産主義者・反日屋の中核派活動家になった。
中核派のサイトから。

<「サミット粉砕!6・29全国労働者総決起集会」に全国から2150人が集まった。
集会後、デモに出た参加者はサミット厳戒体制をガタガタに粉砕し、渋谷を解放区にする戦闘的大デモを打ち抜いた。
辺野古で闘う青年労働者は「革命の火薬庫=沖縄から東京に火を付けにきたぞ!」と檄(げき)を発した>

「東京に火を付けにきた」のは富田晋で、沖縄で「北朝鮮バッシングとパトリオットミサイル配備阻止行動に対するジュゴンの家」という活動をしている。


富田晋のサイトから。

<この政府は間違っています。多くの人々を資本主義の名の下に殺しています。
人を物か金の価値としてしか扱わず、民営化と共に大量のリストラをし、戦争のために軍備を強化し、
自衛隊をイラクに送り込み、「強い国」「愛国心」などと偽って私腹を肥やしています。

拉致はいかんよー。けど、戦争したら元も子もないさーね。
それからおじさんも知っていると思うけど、日本はもっとひどいことを第2次世界大戦の時にしているよ。
日本にいる在日朝鮮の人々はそのほとんどが拉致被害者さ。
朝鮮から強制連行されて強制労働から慰安婦までさせられて、絶対に許されないことをしているのはこの日本さ>


中核派の兵隊の気の毒さは、反米と言いながら占領軍の自虐史観しか知らないことである。

───

このブログ主は元中核派らしいですが、そんな人から見ても富田メモ一家の一人、富田晋は奇異に映るようで最後にこんな言葉で締めくくっている。

「元中核派として10年以上を過ごした小生は、戦後教育の落とし児としての富田晋を半分気の毒と思うが、
昨年生まれた彼の子どもは確実にアルカイダになるだろうと危惧している。」

202:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/21 21:53:00.44 Y+MjSB+L0
以上をまとめると、

半藤一利という男は
>>168にあるように武田崇元なる「元ブント活動家」と繋がっており、
半藤自身は「九条の会」に関係しており、
さらに富田晋という「中核派テロリスト」とも繋がりを持っていることになる。


こんな奴を「保守」だと思わせようと情報工作した奴はどこの誰だ?

203:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/22 02:16:04.62 QnwRn3EJ0
富田メモの実態は、中国での商売を優先する経済界が中心となり
小泉首相の靖国参拝を阻止しようと画策したのが事実だろう。

中国で金儲けしたいのはわかるが
そのために天皇を利用して、戦犯とされた故人を貶める
こんなふざけた策略が通用するわけがない。
日本人はそれほどバカではない。

富田メモによって、保守ズラしていたが
実は汚い金儲け主義者だったことがバレた
中曽根、ナベツネ、半藤一利、保阪、立花
こういうバカの汚さが浮き彫りになった。

204:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/24 15:20:20.79 78qdWM3W0
半藤一利原作の映画「山本五十六」について


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 通巻第3512号
URLリンク(melma.com)

(読者の声3)12月4日封切りの映画(山本五十六)と書きましたが、翌日の産経新聞では12月下旬となっていました。

(宮崎正弘のコメント)この映画、半藤一利原作ですね。用語も「太平洋戦争」。
最初から史観が誤っていて、原作があのバカときたら、見る気力がおきませんが。。。。。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 通巻第3552号
URLリンク(melma.com)

(読者の声1)山本五十六元帥の映画は半藤一利の監修という事で、どうせくだらぬ内容であろうと思いまして見ておりません。

(宮崎正弘のコメント)小生も二十年ほど前に長岡市に講演のおり、市内にぽつんと設置された「山本公園」をみて、
標識だけに唖然。地元でもまったく評価されていないんだと思っていたのですが、
数年前にブーゲンビリアから墜落機の翼を運び込んで長岡市には山本五十六記念館が開館。
これも数年ほど前にやっぱり長岡へ講演旅行の折、見に行きました。
地元の評価? 河井継之助と同様に賛否両論、多彩です。河井記念館とて市内に設置されたのは数年前ですから。
長岡はかの田中真紀子の地盤でもあります。

205:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/24 15:21:28.18 78qdWM3W0
半藤一利原作の映画「山本五十六」について2


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 通巻第3550号
URLリンク(melma.com)

(読者の声2)映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』を観て先週末出張先で少し時間があったので、上記映画を観た。
以下その感想である。
率直な感想として、従来の多くの同種の映画と同様海軍善玉論、
米内光政、山本五十六、井上成美の海軍トリオ賛美論に立脚していて正直つまらない筋書きであった。
半藤一利の監修だからむべなるかな。

これまでに大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、山村聡といったスター俳優が山本五十六を演じてきたが、
役所広司の山本五十六はまあまあの出来。
柳葉敏郎扮する井上成美はよく雰囲気が出ていたが、日独伊三国同盟に反対したことばかり強調してすこし美化しすぎ。

私の岳父は井上中将が大東亜戦緒戦で司令長官をつとめた第四艦隊の水雷戦隊(駆逐艦部隊)で戦ったが、
ウェーキ島攻略戦や珊瑚海海戦で見せた井上長官の拙劣な指揮を痛烈に批判していた。
井上成美提督は軍政家や教育家としては一流だっただろうが、指揮官としては全く駄目だった。
命を預ける部下将兵から見て指揮官が戦上手かどうか大問題である。

またこの映画では山本五十六の愛人であった河合千代子の存在がすっかり無視されている。
映画では山本五十六が恩賜の銀時計を原田美枝子扮する妻に与える場面があるが、事実は河合千代子に与えたのである。
別に愛人がいたからとて本人の価値が落ちるわけでもなし。またそこに山本五十六の人間性が感じられると思うのだが。

あと映画ではおかしな場面が沢山あった。日本の戦争映画は年々ひどくなってきているとの思いである。
たとえば距離を言うのに「○○海里」という台詞がありますが、あれは昔も今も「海里」ではなくて「マイル」である。
ミッドウエー海戦で、南雲長官が魚雷への換装を命令する場面があるが、
事実はミッドウェー攻撃部隊を出した後残りの飛行機には次に予想される米空母攻撃用に対艦徹甲爆弾と魚雷が搭載されていたのだが、
「第二次攻撃の要あり」との第一次攻撃隊からの意見具申電に陸用爆弾に換装し、
そこで「敵機動部隊発見」の報で再度換装を図って貴重な時間を失い大惨敗を招いた。

しかしこれは南雲中将の判断ではなく源田實航空参謀の意見具申によるもので、
ミッドウェー敗北の最大の原因は源田参謀の判断ミスであった。
因みに南雲機動部隊は当時別名「源田艦隊」とさえ揶揄されていた。映画ではここがすっかり抜け落ちている。
あと時代考証の間違いだが、真珠湾攻撃のときの「赤城」艦橋における南雲司令部の幕僚達が
白い二本線の入った第一種艦内帽を被っているが、当時はまだ士官、下士官、兵を区別する線は存在せず、
昭和17年春以降に線入りの艦内帽が制定されたのである。
この点はかつての東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年)や「太平洋の嵐」(昭和35年)の描写が正確である。

空母「飛龍」が沈むとき、阿部寛扮する山口多門二航戦司令官が艦と運命をともにする感動的な場面があるが、
実際には「飛龍」艦長の加来止男大佐も一緒に運命をともにしている。加来艦長のご遺族が映画を観たらどう思われるだろうか。
かなりいい加減な筋書き設定と感じた。

また終戦の玉音放送の場面だが、霞ヶ関の海軍省や江田島の海軍兵学校で将兵が純白の第二種軍装姿で整列していたが、
当時は皆第三種軍装(褐青色、開襟ネクタイ着用)を着用していた。その他おかしな描写が多く目についたが、以下省略する。
戦後多くの作家、評論家が山本五十六を美化する作品を書いてきたが、そろそろもっと客観的な評価をすべきときではないか。
そうでないと歴史の本当の総括がなされぬまま、後世の人間は謝った歴史観を抱いてしまう。ちなみに小生は山本五十六をそれほど評価しない。
ミッドウェーの敗北やその後のソロモン大消耗戦で航空兵力をすり潰した責任は山本にあると考える。
(武蔵国杉並住人)

206:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/24 15:22:26.36 78qdWM3W0
(宮崎正弘のコメント)当該映画を見ておりませんので、なんとも言えませんが、
あの「正真正銘のバカ」の半藤一利が原作ですから、出来映えもさもありなん。


ちなみにご投稿を掲載前に若手の軍事評論家三氏に見て貰って意見を聞いたところ、次の回答がありました。
甲氏曰く。
「ご指摘のすべてについて同意です。
終戦時、陸軍は3長官が会同して「今次敗戦の責任は陸軍が負おう」と合意したので陸軍は一切言い訳をしなかったのに対し、
海軍は戦後「今次大戦、我が海軍はアメリカに負けてよかった、陸軍に負けなくてよかった」と放言したと伝わっています。
また、阿川弘之らが礼賛論をまくしたててため海軍善玉、陸軍悪玉が定着したようです。
歴史は真実を伝えなければなりません。私たちの世代で是正する義務があると思います」

乙氏曰く。
「東京裁判をアメリカはニュルンベルク裁判のドサ回り公演と位置づけ、ドイツのナチスに相当するのは、陸軍だと決めたそうですね。
陸軍悪玉論は、ここでも、でっち上げられたのです。ちなみに海軍軍令部の生き残り参謀たちも、山本を全く高く評価していません。
ある参謀は不道徳なギャンブラーと評していました」

丙氏曰く。
「我が国では、あまり知られていませんが、そもそもヒトラーが三国同盟で何を日本に期待したかというと、
日本の海軍にアメリカを牽制して貰い、戦争に参戦して来ないようにすることでした。
それが、真珠湾によって、アメリカに戦争に参戦する口実を与え、正反対の結果になってしまいました。
三国同盟はお互い参戦義務はないのに、義理固いヒトラーは参戦に踏切ました。
ヒトラーにとって、独ソ戦に参加しない時点で日本を利用するメリットは全く無くなったのです。
しかし、ヒトラーは彼の政治的遺書にもある通り、最期まで、日本を高く評価しています。
人種論で日本を馬鹿にしていたというのは、イギリス諜報部の日独離間謀略であって、
最たるはヒトラーがシンガポール陥落時にドイツ軍を差し向け救出したいと言ったというデマです」

207:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/24 16:55:17.96 usxbL2ey0
ああ、土足がやっとヒトラーからアメリカに宣戦布告したことを認めたか。

208:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/24 20:39:45.49 78qdWM3W0
土足って何?

209:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/02 23:51:23.57 ZbjX+soY0
このスレの過疎ぶりからして、半藤の本がベストセラーなどというのがウソであることが分かる。
韓国人歌手のCDを韓国当局が大人買いしてベストセラーを捏造しているように、
また、日本の財政破綻本を書けばスポンサーである証券会社が数万部も買ってくれるように、
アメリカのエージェントである半藤の本も同じ手口で買われているのだろう。
だから半藤らの3Hその他はスポンサー様(アメリカ)にとって都合の悪い史実は決して書かない。
日本にマトモな軍事力を持たせず、米軍がいつまでも日本を占領し続けられるように、
半藤が九条の会で日本封じ込めの目的で活動しているのもそのため。
そんな奴の書いたアメリカのプロパガンダ本なんかを日本人がわざわざ金を出して読むわけがない。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/03 12:02:30.88 ubESC4NS0
まだいたのか
携帯中卒親父は

ことしで五年目の無職生活かww

211:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/06 22:25:08.02 uaZogpCR0
>>209
最近はそうかもしれないね。そのせいか知らんが、半藤の本の内容の劣化が
著しい。
10年前は違ったぞ。ドキュメント太平洋戦争への道なんて、多方面から分析した
名著中の名著だったし、ノモンハンの夏、ソ連が満州に侵攻した夏なんてのも
不朽の名作だ。

半藤がおかしくなったのは昭和史から。それまで否定していた田中隆吉の証言
を突然信じ始めたり、あれは従来の半藤ファンからすれば全く受け入れ難いもの
だった。老化して判断がおかしくなったか、誰か変な奴に影響されたかどっちかだろう。

212:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/07 04:10:21.50 ZjhmVY6g0
幕末史もかなりおかしい本だった。
会津は正義とイデオロギー色を前面に立て、当時の状況を恣意的に紹介している点が不愉快。

213:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/13 23:00:21.57 62XBpnGr0
>>203
>中曽根、ナベツネ、半藤一利、保阪、立花

彼らこそ真の愛国者なんだけどね。本当に日本を代表する立派な人物
ばかりではないか。

214:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/13 23:04:44.39 Yog1zIeY0
>>213
アメリカの国益を第一に考えるアメリカの愛国者という意味ですね。わかります

215:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/14 03:54:21.33 DSsx3xiRO
海軍善玉論の親玉か?
個々の戦闘だけ見て、よくやった的な評論をよく見るが、
無意味な戦闘誉めても仕方ないような…。

216:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/14 08:32:41.71 4/cwtES80
半藤に関しては権力も半端じゃない。自分を批判した潮匡人を廃業に
追い込み、保阪、ナベツネと組んで安倍総理を退陣に追い込んだ。
事実上の「日本国王」ナベツネほどではないが、田原総一郎などの
ように今の日本を動かす大きな力を有しているのは確か。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/17 03:44:18.05 0ieqdVLwO
嘘~ん。
それが作った映画があれ?

218:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 06:58:08.40 8Lbh4zhG0
半藤一利著「山本五十六」平凡社ライブラリー2011年と「海軍悪玉論」1
URLリンク(pub.ne.jp)


雑誌「正論」に潮匡人氏が「虚構と捏造の映画『山本五十六』」を書いている。
この映画の原作は半藤一利著「聯合艦隊司令長官 山本五十六」と言うことで、
潮氏は従来型の海軍良識派の善玉とそれ以外の陸軍を含めた悪玉論で作られていたと述べている。
ここで潮氏は親族でもある当時の草鹿参謀長の草鹿評を史実ではない虚構と訴えている。
小生は映画を見ていないので何とも言えないが、
種々の山本五十六擁護論を読んでいると何となくこんなものだろうと言う想像がつく。
それで想像だけでは何も書けないので半藤一利著「山本五十六」を読んでみた。

この本には「あとがき」が二つある。
それは2007年11月の日付のものと「平凡社ライブラリー版」2011年5月1日版である。
この平凡社版に著書「山本五十六」の来歴がある。
それによれば元本というのは
「山本五十六の無念」恒文社・1986
改訂、改題版として
「山本五十六」平凡社2007年
「山本五十六」平凡社ライブラリー2011年
こんな具合である。
ここの2007年版の「あとがき」では、「山本を凡将視、いやそれ以上ら愚将視する声も高くなっているそうな。」
「真珠湾攻撃はかえって日本帝国を不利に追い込んだやらずもがなの作戦であった。」「ミッドウェー作戦の失敗‥‥」
という山本五十六批判にたいしての反証として「山本五十六」の話に乗ったと書いてある。
確かに2008年に是元信義著「誰もいわなかった海軍の失敗」という元海上自衛隊総幹部防衛部長(海将補)の著書は、
半藤氏の山本五十六擁護論も簡単に吹き飛ぶ。

そしてもう一方の「平凡社ライブラリー版のあとがき」には、
「山本五十六贔屓の心情は確定したと言っていい。」と書く。
ところが帝国海軍の研究が進むにつれて阿川弘之氏の「海軍善玉論」は論破されて「海軍悪玉論」と言う情勢に変わった。
この平凡社ライブラリーが出る直前の3月、別宮暖朗著「帝国海軍の勝利と滅亡」の
「第6章 山本五十六が海軍を滅ぼした」で山本五十六の真の姿の分析がなされてしまっている。
実はここで勝負あったなのだが、半藤氏は懲りもせず「『海軍悪玉論』なる新解釈(?)も世に流行している。
自慢しているわけではないが、その角度から見た海軍論のハシリはこの本であった、‥‥」と嘯いている。
又昭和15年12月12日に海相の認可を得て、海軍中央に「海軍国防政策委員会」が作られ
その中の軍務局第二課長の石川信吾大佐の戦争「引き金」論を展開している。
要するに、海軍が米・英国との戦争に消極的だった陸軍を引きずり込もうとしたという事実を肯定している。

しかし、半藤氏はこの著書「山本五十六」の中で、昭和17年(1942年)11月30日夜のルンガ沖海戦について言及していない。
半藤氏は戦後になって、司令官の田中頼三少将に取材しているのに
この日本海軍最後の大勝利「ルンガ沖海戦」について書かないのは解せない。
---海軍甲事件(昭和18年4月18日)の五十六戦死。

なぜなら山本五十六にとってその本性を曝した大戦果であって、
五十六贔屓の半藤氏が(都合の悪い史実であるルンガ沖夜戦を)書くわけにはいかなかった、ということにつきる。

今では米国との戦いに引きずり込んだのは帝国海軍というのははっきりしている。
しかし、阿川弘之著「井上成美」の中で井上成美は、
「日本を亡ぼした者は陸軍と一部の海軍。
海軍を亡ぼした者は東郷さんをはじめとした一部の海軍軍人」と半藤氏の言葉と同じようなことが書いてある。

こういうことから米軍に人的な痛手を負わせた陸軍に対して、たいして痛みも被らずに全滅できた海軍という構図をみると、
何となく半藤氏などのリベラル人士の戦争観が良く分かる。
半藤氏などは、米国の反日プログラムの刷り込みにまんまと乗せられて洗脳されたのにそれに気づかない人たちと言うことである。

次回は、その著書の欺瞞について解剖する。

219:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 07:10:36.44 8Lbh4zhG0
半藤一利著「山本五十六」平凡社ライブラリー2011年 2


阿川弘之著「山本五十六」というのはいつ頃の作かと思ったら1965年とあった。
小生が読んだのはいつ頃だったのかは確(しか)と覚えていないのだが、文庫版ではなく分厚い単行本だった様に記憶する。
いずれにせよこの本が出た頃は、海軍善、陸軍悪という様な雰囲気が定着していたと思う。
しかし、史実として伝えられるエピソードの数々と阿川弘之氏などが主張することの整合性というものはかみ合っていなかった。

半藤一利著「山本五十六」の冒頭「序章」は、総論としての「山本五十六」賛美に終始して冗談は止せと言いたくなるものである。
書かれたのが昭和60~61年というのはバブル経済が始まる直前とは言うものの、海軍善玉論華やかりし頃であったのは間違いない。
こう言う戯れ言に関しては同じく戯れ言で反論したい。

戯れ言で考えると日本海海戦の頃の聯合艦隊と昭和の聯合艦隊との比較である。
是元信義氏は「聯合艦隊の存立目的を艦隊決戦に特化」と述べているのだが、実は似ても似つかなことが多い。
日本海海戦の時、東郷司令長官は先頭艦の戦艦三笠の露天艦橋にいて直接命令を出していたのに
山本司令官は、日本国内の戦艦「長門」の中にいた。
日本海海戦の時は、小説「坂の上の雲」で有名な秋山真之参謀がいた。
しかし、昭和の聯合艦隊には海軍大学で教えた秋山の教え子は聯合艦隊参謀としては存在していないという。
そもそも日本海海戦というのは、朝鮮半島又は中国本土に軍事物資を運ぶ通商破壊を防ぐ目的があった。
海軍本来の用法の一つというのは、この通商破壊をさせないために敵の戦闘艦を殲滅すると言うもの。
是元信義著「誰も言わなかった海軍の失敗 」にはこう述べられている。
「海軍存立の理由は海上からの国土、国益の防衛でその方策は『制海(Sea Control)』の獲得である。」
(日本海海戦の呪縛・存立目的を艦隊決戦に特化してしまった)

昭和の聯合艦隊というのは、海軍本来の目的を離れて「艦隊決戦」のみを行う目的で行動していたことが分かれば
あの栗田艦隊の「謎の反転」というのも理解がつく。

山本五十六擁護に忙しく、史実として負け戦続き、不祥事続きだった海軍の
ある一方のみ断罪する(山本五十六の罪を一部の海軍関係者に押し付けている)半藤一利著「山本五十六」。
これに対する結論は、学校秀才ばかりの「指揮官の無能無策」これ以外にしかない。
しかも作戦に失敗すれば司令官は責任を取らされるのは大昔から
そして、古今東西常識なのだが責任を取らなかったのが海軍の将軍達。
責任を取らないためには、失敗の検証もせず、誤魔化しの大戦果を報告しその実態は陸軍にも知らせない。
それがフィリピン防衛の「倢(しょう)一号作戦」の失敗になる。(是元信義著「誰も言わなかった海軍の失敗 」)

半藤氏の「山本五十六」では出身地の新潟県長岡の歴史として、「山本を育てた雪国・長岡」の戊辰戦争を紹介する。
それは、山本が元々高野家という長岡藩の家禄120石の士族(上士)出身であることから話しが来ている。

当然長岡藩を窮地に陥らせた河井継之助の話に言及する。
実はかなり河井継之助を持ち上げ最後に
「一藩の存亡の責任を負うものとして、一個の凶器のような、危険な政治家であったのである」
と後半の山本姓を復活させることに持ち込む。
戊辰戦争の逸話としては、河井継之助が非常に珍しかったガットリング機関砲2門を購入すると共に、
先込式のミニェール銃約2000丁を大量に購入して戦う準備をしていたという話は有名である。

半藤氏がこの河井継之助の話をなぜ小説に入れたのかは定かではない。
そうではあるが状況から見て山本五十六と河井継之助の行動パターンというのはよく似ている。

河井継之助は、恭順派、非戦派の重臣を罷免して北越戦争へ突入する。
これも武器と訓練された強力な藩兵がいたからに過ぎないし、河井継之助も作戦途中で重症を負い戦死。

この河井継之助というのは、戦略や状況判断を誤った人物として評価が低い話もある。
そして、確かに当時の新政府軍というのは勝ち戦に乗じて無理難題を吹きかけている。
しかし、敵か味方かを分ける戦争をしているときに中立というのはあり得ないというのは常識で、
戦後の非武装中立論を論じる無謀さと言うのも感じざるをえない。

220:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 08:39:41.77 8Lbh4zhG0
>>216
半藤一利は政治的な言動が異様に多くてなぜか影響力もある。
富田メモなどに見られるように昭和天皇を政治利用し続けている点も気になる。

>事実上の「日本国王」ナベツネほどではないが、田原総一郎などの
ように今の日本を動かす大きな力を有しているのは確か。


半藤一利のその権力の源泉は何か、を考えると、これは私の単なる思いつきだから
話半分で読んで欲しいのだが、「半藤一利フリーメイソン説」を採ってみたい。

半藤一利が擁護し続けている山本五十六や米内光政がフリーメイソン会員だったという説は
歴史や陰謀論に興味のある人なら聞いたことはあると思う。
私は、それ自体どうとも思ってなかったし、それをもって半藤一利をフリーメイソンに繋げる発想はなかった。
しかし、月刊WiLL2008年10月号に元文藝春秋編集長の堤堯(つつみ・ぎょう)氏が
フリーメイソンに勧誘された際のエピソードを書いているのを見て、「もしかして半藤も?」とピーンときました。
半藤一利とはご存知のように堤氏よりも前に文藝春秋の編集長だった人物です。
つまり、半藤、堤両人は文藝春秋の先輩後輩の関係なのです。
堤氏はWiLLでこのように書いています。

『(前略)余談になるが、横浜事件の当事者に会ったことがある。
当方が『文藝春秋』編集長に就いてしばらく、Kという男が来社した。
元『中央公論』の編集者と名乗った。来意を聞けば、
「堤さん、フリーメイソンを知ってますか」
「もちろん知ってますよ」
フリーメイソンは中世西洋の石工組合に発し、以後、西洋史の地下水脈を為す秘密結社と目されている。
秘密結社とはいえ、歴代アメリカ大統領のうち9人がフリーメイソンの会員で、
中にはそれと名乗って大統領に就いた者もいる。占領総督マッカーサーも会員だ。
「そのフリーメイソンに入りませんか。会員になれば、何かと有利ですよ」
即座に断ったが、実に不思議な感じを覚えた。
有るようでもあり、無いようでもある、そんな組織に誘われる不思議だ。
しかし現に、勧誘者は目の前にいる。会話が進んで、聞けば横浜事件に連坐、いや被害者だという。
むしろそちらに興味を覚えて、拷問の話も含めてアレコレと訊いた(後略)』 月刊WiLL2008年10月号 288~289頁

221:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 08:40:06.11 8Lbh4zhG0
文藝春秋の編集長ともなれば各界の人士達との交流も盛んであるからフリーメイソンの勧誘があっても不思議ではない。
ということは、同じく文藝春秋の編集長であった半藤一利に対してもフリーメイソンへの勧誘があったとしてもおかしくはない。
山本五十六、米内光政がフリーメイソン会員だったとするならば、
山本に惚れ込んでいる半藤がフリーメイソンに誘われたなら喜んで入会したであろう。
むしろ、半藤はフリーメイソン会員になったからこそ会員仲間である山本五十六、米内光政を露骨に擁護しだしたのかもしれない。
勧誘に成功した実例があったから、同じく文藝春秋の編集長である堤氏にも勧誘の誘いが来たのではないのか。

さらに気になるのは先ほどの勧誘者が口にした「会員になれば、何かと有利ですよ」という発言だ。
「何かと有利」とは一体何を意味するのか。
私はフリーメイソンなるものがどういう組織なのかといえば、創価学会が巨大になったもの、ぐらいの感覚で捉えている。
創価学会に入信した芸能人が、本やCDを出すと、学会が資金力でマスコミを通じて大いに宣伝してくれる上に、
さらに信者達が組織的に購入してくれるから、本来の実力とはかけ離れた売上を記録することはよく知られている。
売上が好調であれば、本屋やCDショップは目立つ位置に置いてくれるから、さらに相乗効果で売れ行きが良くなる。
そして、学会員が選挙に出馬すれば信者達が組織票を投じてくれるから当選が容易になる。
「フリーメイソンの会員になれば、何かと有利」という「何かと有利」とはそのような意味合いではないのか。
創価学会はフリーメイソンの手法を模倣しているだけだともいえる。

話を戻すと、>>131で渡部昇一さんが
「今の『文藝春秋』が半藤一利氏の色が強いのは確かです。
半藤氏は辞めてからの方が『文藝春秋』に影響力を持っているらしいのはなぜか、不思議です」
「半藤氏は特別に部数を伸ばした編集長でもないのに、それがどうして今の『文藝春秋』に影響力を持っているのかは謎ですね」
と述べておられるが、その半藤一利が謎の影響力を持っている秘密は、フリーメイソンの後ろ盾があったからでないか。
フリーメイソンの理念とは啓蒙思想である。啓蒙思想とは革命思想である。革命思想とは革新思想である。
革新思想とは左翼思想である。
半藤一利が左翼達とつるんで憲法九条を守る「九条の会」で活動しているのも、中国との商売や政治的関係を過度に慮り
日本人のナショナリズムを抑えるために総理大臣の靖国参拝を妨害する挙に出た数々の言動の背景も啓蒙思想にあるのではないか。

222:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/10 04:23:24.85 ighGE4vT0
秦郁彦が新潮から「陰謀史観」って出したが、まったくすげえよな
>>168でも指摘されているが、
半藤とのトリオで活動している戸高一成の友人である武田崇元って元ブント活動家が、
日本で陰謀論を仕切っている人物の一人なのに

戸高が経営参画していた「今日の話題社」の経営権が、
武田の持ち会社である「八幡書店」に移っただけでも怪しいのに、
「今日の話題社」から刊行されていた戦記が、文春から再刊されているのも不気味だ。
契約によっては、文春から「八幡書店」=悪名高いオカルト出版社に金が流れていることになる

↓今日の話題社wiki

URLリンク(ja.wikipedia.org)

また秦は『太平洋戦争のif[イフ]』って本を編をしているけどさ、
半藤の序文に
「巷にあふれる仮想戦記のような自らに都合のよい『if』は極力切り捨てて客観に徹している」
と賞賛してもらっているが、
それら「巷にあふれる仮想戦記」を仕切っていたのは、目の前にいる戸高なんだがな

半藤も秦も、危機管理能力がなさ過ぎる

223:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/11 01:26:41.78 C9ES/JqN0
半藤さん、秦さん、こんなのと付き合ってて大丈夫?
また呉市も、こんなヤツに博物館を任せて大丈夫なのかな?

URLリンク(hachiman.com)

天空の地図

木村鷹太郎『星座とその神話』復刻に寄せて

戸高一成

全天を覆う雄大な星辰の輝きは、暦学、天文学を生み、数学を生んだ。
その科学の根源であった星々は、いつのころからか神話を題材とした星座にまとめられ、いくつかの星には固有名さえつけられるようになったのである。
今日、天文学、宇宙科学の最先端の場面においても、「オリオン座のアルファ、牡牛座のベータ」などと表現されている。
しかし、今日にいたるも、全天八十八の星座が表す形態の必然性に関して問題意識をもった人物はほとんどいない。
おおかたの学者は「古代人が、天空の星を適当につないで星座を作った」として、「なぜその形である必要があったか」を問わないのである。
しかし、冷静に星座の形態を観察するとき、そこには理解しがたい矛盾が溢れていることに気づかなければならない。
第一にその形の不自然さである。牡牛、ペガサスはなぜ下半身が無いのか。ヘラクレス、ケフェウスはなぜ転倒しているのか。
星の無い空間まで詳細に書かれた星座図は何を意味するのか。また、星座の形は、必ずしも付近の目だつ星を中心に作られているわけでもない。
第二に、星の名前の不自然さである。星座図を見ると、必ずしも大きな星ばかり名前がついているわけではない。また、その語源が必ずしも明快ではない。
これらの疑問に唯一明快な解答を与えたのが、本書『星座とその神話』なのである。

224:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/11 01:30:46.05 C9ES/JqN0
>>223の続き

著者・木村鷹太郎は、自ら「新史学」と名づけた驚異の歴史学をうち立て、明治から昭和初期にかけて、日本歴史学界の異端児として一部の信奉者の支持を受けていたが、世に受け入れられることなく、昭和七年にこの世を去った。
木村については、八幡書店で復刻した「日本太古史」(品切)の解説で筆者が小伝を加えているので、ここでは省くが、木村の日本史に対する基本概念は、日本民族ギリシャ渡来説に集約される。
しかし、木村の新史学は、単なる一つの学説に終わらないのである。新史学の奥行きは無限に深く、その奥には、人類史を全て書き換えずにはおかないエネルギーが秘められているのである。
その大まかな構想は、中央アフリカに生まれた文明が、エジプト、中東を経て、ギリシャ、インドに拡散し、世界に広がったとする。
そして、その多くの伝承が、諸国の神話伝承に保存されている、というものである。
これだけならば、さして奇矯とは思えないが、木村の新史学は、「これら世界の歴史は全て日本の古文献の中に残されている」、言うなれば、世界の古代史は日本の古代史である、というのである。
この研究の中で、木村がもっとも力をいれた分野に「神話地理学」があるが、これは神話の多くを地理神話として読み込むことによって、神話の「本原地」を明らかにしていったものである。
すなわち、木村は「高天原とは小亜細亜のアルメニヤであり、スカンジナヴィヤの『エッダ』の所謂アスガルドの神国も亦此地である。
そして二神が天降り玉うた地は今のバルキスタンで、其地のマクランが古典に所謂淤能碁呂島である。
希臘神話の人間の祖と云はれて居るデューカリオーンの船の地も実は此地である(希臘ではない)。
此男女二神は此地で『国生み』『神生み』なるものを為し給うた。其国生みなるものは国土の経営を謂ひ、神生みとは其等国土の経営者を定め玉うたものと解せられる。
今、新研究に拠って其等の国土を研究すると、亜細亜西部一帯、亜拉比亜、阿弗利加、欧羅巴全部に亘るもので、其等の地名は極めて明確に古典に記してあり、
太古に知られて居た丈けの凡ての世界を包含したもので、其等は凡て高天原の神政統治の下に在ったのである。
然らば、日本古典に拠ると、全世界は高天原神国の開拓統治に属するものと謂はねばならぬ」(『日本民族祖先の雄図』大正六年)
との論を展開していったのである。この研究の一環として完成した本書『星座とその神話』は、木村の研究の中でも高く位置づけられるものであり、今後更に研究の必要の有るテーマであろう。
ここで木村は、星座は、その星座が示す神話テーマの舞台となった国あるいは地方の「地図を天に上げたものであり、星の名は、地図上の古代都市の名に当っているのである」との結論を出したのである。
これを理解することによって、初めて、先に記した多くの星座図に見られる形態の矛盾が氷解するのであり、また、逆に星座図上の星の名から「現在忘れ去られている古代都市の概略の位置を推定する」ことさえ可能なのである。
本書はまさに新史学の秘鍵の一つであり、この秘鍵は、他の多くの封印された歴史の扉を開く鍵ともなるものなのである。

ちなみに本書原本は大正十二年七月十五日発行、紺クロスにガニメデス星座を空押しした瀟洒な装丁の本であった。
しかし、不運にも出版直後に関東大震災に遭い、紙型、在庫ともにほとんどが消滅してしまったために、木村の著作の中でも数の少ないものである。
木村は生前特に本書の再刊を希望していたが、遂に果たされなかった。
また、新史学を志す後進の国松文雄氏に、「古代人は星を見ながら世界を航海したのだよ。それは星座が世界地図だったからだよ」と語っている。
まさに本書は世界の地理学史、航海術史、文明移動史を覆すものなのである。
今回、八幡書店の努力によって、本書が再び日の目を見ることができたことは、真に喜ばしいことといわねばならない。

225:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/11 01:34:02.70 C9ES/JqN0
>人類史を全て書き換えずにはおかないエネルギーが秘められているのである。

>まさに本書は世界の地理学史、航海術史、文明移動史を覆すものなのである。

>今回、八幡書店の努力によって、本書が再び日の目を見ることができたことは、真に喜ばしいことといわねばならない。

大丈夫か、呉大和ミュージアム?
戸高一成って、本当はキ××イじゃないのか?

226:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/12 19:32:03.80 WTLW+9WZ0
>>222
if本斬りもif本があるから成り立つ商売であって、それも戸高は判っているよ。
一見敵対しているように見えて、見事な共存共栄だ。少しは考えろよな。

227:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/13 01:46:02.80 FsXuwn8o0
>>226
文章読める?眼科いってる?
半藤、秦は、戸高が「IF本」に関与していることを知ってるのか?ってこと
知っていたとしたら、自分の本のお客さんにウソをついていることになる
知らなかったとしたら、何を見てたの?になる

お前こそ「少しは考えろよな」

228:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/13 02:05:43.80 FsXuwn8o0
>>226
字読める?
共存共栄=住み分ける共存によって、争わない利益を享受して、共に栄えようという思想。
奪い合いよりも全体の利益拡大を重視する。

「if本斬りもif本があるから成り立つ商売」というけど、争う関係なんだよね?
ならば住み分けも、共に栄えることもできないから、共存共栄にはならないんだよ

IF本の読者みたいだけど、まともな基礎教養も欠落しているようだね

229:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/13 02:10:20.81 FsXuwn8o0
>>223-224
>この秘鍵は、他の多くの封印された歴史の扉を開く鍵ともなるものなのである。
本気でこういう文章を書いてるんだったら、戸高って人は病人だな
まともな海軍史を編纂できるとはとても思えない

半藤、秦はなにを見てるんだろうか?

230:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/13 10:11:23.49 3pSOP0tr0
>>228-229
アホか?if文に関与していることを知っているからこそ、秦先生、半藤先生に
叩いてもらうことがif文作家自体が結果的に自分の作品の宣伝になるし(何せ
昭和史の権威が自分の本に振り向いてくれること自体、凄い光栄なことなん
だよ)、秦、半藤もif文という市場に乗っかって商売できるから、両方特になる
んだよ。

一見争っているようにみえて、結果的に互いに宣伝しあって、両方が得をする。
if文作家も、秦先生も半藤先生も、筆を折る覚悟でやってはいねぇよ。

これでもまだ判らない?

231:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/13 13:07:59.77 Lgv8L8lN0
>>230 キミは馬鹿以前だね

>if文に関与していることを知っているからこそ
半藤、秦が「関与を知っている」って証拠はどこにある?
まずそこを提示してよ
「知らなかった」って可能性だって考えられる

>叩いてもらうことが
「共存共栄」は、「相互に争わない」のが大前提なんだよ
成句の意味も知らなかったんだね

>結果的に自分の作品の宣伝になるし
「荒唐無稽」と書かれて、宣伝になってるのかい?

仮に「半藤、秦が戸高のIF本への関与を知っていた」のだとしたら、
半藤、秦が自分の読者を騙したことになる(読者は「関与がない」と信じている)
これは商売的に成功でも、倫理的に如何なものかってこと
反対に「戸高の関与を知らなかった」場合なら、半藤、秦に人を見る目がなかったことになる
半藤の文脈から推測すると、「知らなかった」と考えるのが妥当だろう
つまり「半藤、秦は戸高が自分たちを騙していた」のにも気が付いてなかった
この程度のことも見破れない人が昭和史の編纂したところで、
怪しい学説に惑わされてる率も高そうだ

これでもまだ判らない?
わからないよね、「共存共栄」の意味も知らないんだから

232:あぼーん
あぼーん
あぼーん

233:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/13 17:12:04.57 DMEdhZGq0
>>231
>「共存共栄」は、「相互に争わない」のが大前提なんだよ
>成句の意味も知らなかったんだね

本物のバカなんだね。両方が栄えれば、どういう形であろうと共存共栄
と言うんだよ。例え喧嘩しあっても、両方が儲かれば何ら問題ない。
共存共栄に反するとは、片方が商売を成り立たなくする、すなわち存在
そのものを潰すことを意味するんだよ。具体例を挙げよう。半藤はナベツネ、
保阪と組んで安倍政権を潰して、福田内閣っを作ったけど、こういう行為
こそが共存共栄に反すると言うんだよ。あと、安倍政権を潰す力を有する
半藤を甘く見ないように。

>仮に「半藤、秦が戸高のIF本への関与を知っていた」のだとしたら、
>半藤、秦が自分の読者を騙したことになる(読者は「関与がない」と信じている)

これも原理主義的。IF本の元締めと関係があっても、自分がIF本の内容に関係して
いなければいいだけ。諸君は全盛期は左翼、右翼の論争が見られたが、同じ場で
そういうことをしてはいけないと言っているのと同様。全く頓珍漢。

234:名無しさん@お腹いっぱい
12/05/13 20:38:10.21 Lgv8L8lN0
常軌を逸した馬鹿だな
>両方が栄えれば、どういう形であろうと共存共栄
>と言うんだよ。例え喧嘩しあっても、両方が儲かれば何ら問題ない。
それはあんたの脳味噌のなかだけの話
一般的に、そういうことに「共存共栄」という言葉は使わない
(せめて「プロレス的なシナリオ」という言葉でも使えよ)

そもそも半藤や秦の読者が、わざわざ批判しているIF本を買うと思うのか?
反対に、IF本の読者が批判している本を買おうとするのか?
まともな人だったら、買わないと思うがな
「儲からな」いんだったら、共存共栄にはならないんだよな?
トンチンカンとは、あんたのことね

>IF本の元締めと関係があっても、自分がIF本の内容に関係して
>いなければいいだけ。
ほら、問題を逸らした
「関与を知っていた」とする証拠はどこなんだって?
あげて御覧といってるんだ

二人とも戸高が関与しているとは「知らなかった」からこそ、
「IF本批判」に戸高を使ったという可能性のほうが高そうだぞ

>安倍政権を潰す力を有する 半藤を甘く見ないように。
オウムと関与している可能性が高い戸高と付き合っている半藤に、
文句を垂れるなってことかい?
下手したら、戸高を起点に半藤まで潰れかねないんだがw

235:あぼーん
あぼーん
あぼーん

236:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/14 01:12:57.65 bfCPdK+y0

■似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H


日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の

戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し

ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって

感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い

金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H

が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw





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