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地名学者の鏡味完二氏によれば、さらに広範囲で考えると九州が海の方へ怡土(いと)、志摩とあるのを、近畿では伊勢、志摩とあり、山の方へは耳納、日田、熊とあるのを近畿では美濃、飛騨、熊野と類似している。
さらに九州の金印出土地、志賀の島と近畿の滋賀も共に北方にあることを指摘している。
こうした地名の一致は「民団が移住する場合には、その地名がもって選ばれた」とする折口信夫氏の説を紹介し、北九州と近畿の間に大きな集団の移住があったことを示しているとした。(『日本地名学 科学編』)
こうした九州と近畿地方の地名類似について安本美典氏は、『記紀』にある天の安川や天の香山に一致する地名の残る甘木市周辺を高天原のモデル地としており、この地にあった集団がやがて畿内に東征して大和朝廷につながったとしている。
ただし安本氏は、邪馬台国の勢力が3世紀の後半に日向地方に移動し、これが天孫降臨のもとになったとし、南九州一帯に広がった邪馬台国勢力が3世紀末に畿内に東征したとする説を主張し、
天孫降臨から日向三代にあたる神話をほぼ史実に基づいたものとして、南九州にあるその痕跡を詳しく検証している。(『邪馬台国はその後どうなったか』廣済堂)
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