■■司馬遼太郎症候群について語るvol.2at HISTORY
■■司馬遼太郎症候群について語るvol.2 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
12/11/01 23:39:24.24
とりあえず、徳川家康は秀吉死んだ途端汚い戦略で豊臣滅ぼした簒奪者
っていう世間はおろか物書きの間や歴史教育漫画にすら
浸透しちゃってるねじ曲がった史観を訂正するところから始めないとな。
実際には関ヶ原も大阪の陣もどう見ても正当性があったのは家康の方だし。

3:日本@名無史さん
12/11/02 09:11:07.64
なんだお

待ちに待った2げっとが誤爆かお、、、

4:日本@名無史さん
12/11/02 19:38:22.57
>>2
それって司馬遼太郎の家康は過小評価され過ぎスレッドでやれば?

5:日本@名無史さん
12/11/03 06:12:07.96
>>2 は山岡荘八症候群

6:日本@名無史さん
12/11/03 08:26:10.55
>>2
ここは、司馬小説洗脳者をからかって遊んだり、
実社会でみた司馬信者の言動について語り合ったりするスレだ。

そういう工作は他でやってくれ。

7:日本@名無史さん
12/11/03 09:58:01.06
日本史すれには「司馬遼太郎の家康過小評価は異常」というスレがあるので
2は誤爆したんだと思ふ

8:日本@名無史さん
12/11/03 10:19:56.81
学生時代の友人にいたな。龍馬カブレが過ぎて人生狂ったやつ。
いつも高揚してて、仕切りたがりで、大学の中を肩で風を切って歩いていた。
本名書かなくてもいいようなところでは、必ず「才谷梅太郎」って署名したり名乗ったり。
自主映画製作の発起人になって騒いでいたが不発。
土方のバイトやって負傷して入院。それが自慢らしかった。
三年のとき、おとなしくてブスの彼女が出来、どこへでも連れて歩いていた。
人前で女に向かって「いいか、俺はお前と絶対結婚するからな」などと喚いていた。
その後ゼミの教授と喧嘩してやめた。ゼミで知り合ったでその後のことはあまり知らない。
卒業して数年後、国債買えって電話が来た。三流の証券会社に勤めていた。
彼女とは卒業のときに別れたということだった。彼女は県庁に受かったらしい。
そら別れるわな。勉強コツコツするか伝統あるサークルで頑張ったやつが勝ち。
小説にかぶれて浮かれててもな。


9:日本@名無史さん
12/11/03 11:40:45.36
>>8
典型的な司馬信者ですね。

たかがラノベを読んだだけで大物になったような気になって奇抜な行動を繰り返すけど、
端から見たら痛々しく空回りしてるだけで、仕事も私生活も結果はお粗末っていう。

それでも本人は、自分は早すぎた天才だから凡人には理解されないって思ってたりするんだけど。

10:日本@名無史さん
12/11/03 17:20:04.57
学生時代、それまで歴史とかに興味ない人間が、『今度高知』行こう思んだけどって言い出して、理由をきいたら龍馬に興味あるって言い出した。
話し合わせるつもりで、司馬遼太郎の竜馬がいくは名作だよねって話したら、武田鉄也原作漫画の(おーい竜馬)だった。
司馬遼太郎の孫ファンまでいる始末。

11:日本@名無史さん
12/11/03 17:34:51.34
誤字スマン
『今度高知行こうと思うんだけど』って言い出して.

12:日本@名無史さん
12/11/07 20:44:43.24
司馬遼ファンから一言。作品の文中、公家・武家の官位や補任や家格などに
結構間違いが多い。一度全集を全部調べてみようと思っているが、
小さなディテールに間違いがあると、他はどうかと興ざめしてしまう。
たまたま自分はその方面に興味があったために間違いに気付いたが、
他の方面にも専門知識を持った人が読むとおかしいと思う点が多々あるかもね。
見る者を圧倒する記念館のあの膨大な蔵書を有効に利用すれば、
何でも無いと思うのだが、あれだけ売れれば、そんな時間は無いか。
官位など公卿補任(国史大系に入っている日本史の基本資料のひとつ)を見れば
すぐに分かるのに。

13:日本@名無史さん
12/11/07 21:19:36.59
官位どころか、史料と正反対のことを書いて平気な作家ですから
あまり真に受けるのはよくありません。

14:日本@名無史さん
12/11/08 07:33:26.85
公家・武家の官位や補任や家格はよう分からんが、幕末の志士の出自を
武士のように書いてるのが多いな。
坂本龍馬の家は商人で、郷士の株を金で買った家らしい。
まるっきりの商人なわけだが、剣術を習ったり武士の子のように水練をしたり、
家に帰ると武芸十八般の乙女姉さんが剣術の稽古のおさらいをしてくれるとか。
小説にあったかは忘れたが、龍馬は土佐藩を「脱藩」して、裏街道を出奔したこと
になってる。家臣でもないのに脱藩はないだろう。

15:日本@名無史さん
12/11/08 13:07:11.49
龍馬の前の代から郷士の株は持っていたから、龍馬への教育は武士へのものであった。
そして土佐藩の郷士だから出るときは脱藩で間違いない。

どうも、君は坂本龍馬を不当に貶めようと書いている。

16:日本@名無史さん
12/11/08 14:38:09.59
>>14
坂本竜馬は郷士(下士)とは言え土佐藩士であり、無断で国を抜けると脱藩だ。
後に勝海舟(だったと思うが)が山内容堂に竜馬の脱藩の罪の免責を依頼
しているのを見ても分かる。
坂本家が郷士株を得るのに金が動いたかどうかは別として、
長曽我部系の土着郷士の子孫に商人がいても不思議ではない。
戦乱収束の後、全国にはその様な例はたくさんあったし、
ある程度の身分の上昇・下降による流動性は、封建体制下において
ガス抜きの役目を果たしていたのではないかと思う。
だいいち勝海舟も、その曽祖父が越後の盲目の貧農で、江戸で高利貸しとして成功し、
検校となり、長男の忠之丞に男谷家の御家人株を買ってやったのが始まりだ。
その小吉、海舟と続くのであって、誰も勝海舟を幕臣ではないなんて言わないだろう。

17:日本@名無史さん
12/11/08 15:03:20.68
だから、司馬遼太郎は天才だと、何度言えばわかるんだ
このスレには、司馬の才能に嫉妬する野暮どもが集う

18:日本@名無史さん
12/11/08 15:30:19.78
どっちにしても、歴史作家ってハードルの高い物書きではあるわな。
物語が面白くても、細かい史実誤認で叩かれたりするしな。

19:日本@名無史さん
12/11/08 16:49:11.19
>>18
だってここって司馬遼太郎のファンを叩くスレだもん。
まぁ司馬の間違いを直接叩くのも違うと思うけど。
あと、龍馬がらみは幸福の科学いる事あるから気をつけて下さい。絡むと面倒くさいですよ。

20:日本@名無史さん
12/11/08 16:51:13.31
そのスレを見る限り、君の方が有害に見えるのだが

21:日本@名無史さん
12/11/08 16:56:11.98
>>1
を読む限り、司馬を叩く人を誘導すら文だが?

22:日本@名無史さん
12/11/08 17:00:07.45
司馬は晩年狂人となり、清貧を振りかざし日本経済を破壊するよう扇動しては自らを正義と称した。
信者が未だに清貧を倫理として信仰しているとするなら、それはとても不幸なことだ。

23:日本@名無史さん
12/11/08 17:11:03.36
>>19
司馬信者じゃないから別に叩かれても痛くはないんだけど、
歴史作家志望なんで、これだけの文才と勉強家であっても、
細かいところで叩かれるってなると、大変だなと。
ラノベのが楽だなって。

24:日本@名無史さん
12/11/08 17:34:56.89
小説家としての才能は俺も認めてるよ。
ただこのスレが日本史スレにあるだ。
作家スレならば作家としての資質を肯定でる訳だか、作家スレじゃないから史実関連のみの話題にしかならない。
作家として司馬の話したいなら作家スレをオススメするよ。

25:日本@名無史さん
12/11/08 18:39:32.28
司馬は偏見が強いから勉強など意味をなさないんだろう。
司馬の書いたことを真に受ける人は勉強すらしたことがない。

26:日本@名無史さん
12/11/08 19:29:36.93
真に受けようが、そんなことはどうでもいいし、
司馬の作品は歴史を題材とする文学作品として圧巻だ

27:日本@名無史さん
12/11/08 20:14:35.17
>>24
アイアイ・サー (・・)ゞ

28:日本@名無史さん
12/11/08 21:37:40.73
文学だと思うなら司馬小説片手に歴史語るなよ

29:日本@名無史さん
12/11/09 07:28:08.94
板違いの批判ではあるが、文学としても大した出来ではないよなw

30:日本@名無史さん
12/11/09 07:39:05.99
確かに今でこそ凡百のラノベだが、敗戦でうちひしがれ諸外国からも白眼視されていた
昭和中期の国民がアイデンティティを修復するには格好の材料だったんだろう。

「本当は俺たちは悪くない!戦争当時の指導者がたまたま馬鹿揃いだっただけ!」
「日本の伝統文化は素晴らしくて、全世界の尊厳を受けてるんだ!」
みたいな司馬小説のノリは。

31:日本@名無史さん
12/11/09 09:13:45.93
>16
幕府の御家人の株を買うのと田舎大名の郷士の株を買うのとでは違うよ。
武士として扱われなかった同心や郷士の株を買っても別に何の得もない。
苗字を名乗れること、公の席に出るときに刀を差せること、町方役人の差配を受けなくなること、と
いった形の上のことで、金持ちの見栄のためのものだった。
たとえば千人同心といわれた八王子同心の株などは価値が低く安かったため頻繁に売り買いされた。
明治になったときに元々の千人同心の家は一軒もなかったといわれる。
千人同心の株を誰が買ったかといえば、八王子や日野の旦那衆だ。
絹で一儲けした商人が争って買ったのだ。
そもそも何故株を売るかといえば、それは基本的に食っていけないからで、大久保の百人同心など
サツキの盆栽の内職で有名で、明治になったとき残ったのは借金証文だけだったといわれる。
百人同心になりたくてなる奴なんかいないわけだ。欲しいのは身分という形の上のことだけ。
ただ百人同心は貧乏くさいので、ここの株は人気が無かった。
八丁堀同心はそこそこ人気があった。

龍馬の家が買った郷士株は、藩財政の逼迫のため、金持ちに大量に販売したものだ。
こういう株を買っても生活には何の変化もない。
幕府の御家人株を買って、売り主の生活の面倒を見、その親戚に目通りして一族になるのとは違う。

32:日本@名無史さん
12/11/09 09:21:57.74
>>29
それ司馬以前の日本の歴史小説家と比べるとすごく違うよ。
吉川英治とか読んだことある?
書かれた当時は知らんけど、宮本武蔵なんて、司馬小説とくらべると、今読むだけてしんどいぞ?

33:日本@名無史さん
12/11/09 09:24:00.91
それとは関係はない。
坂本龍馬は武士として養育された。むしろ一般武士よりも殊更に武士らしくあれと教育された。
泣き虫だったという周囲の述懐の割には、地元でも稽古をつけるよう紹介があったり、江戸の武道道場にまで行かされた。

その結果、実家の財力で徒党を組み、幕藩体制自体を憎み倒すことを求めるようになった。

34:日本@名無史さん
12/11/09 09:45:48.61
「司馬遼太郎と藤沢周平」や「藤沢周平と山本周五郎」で徹底的に
司馬遼太郎をこき下ろしている佐高信が「藤沢周平と山本周五郎」の
巻末付録時代小説20選に司馬の「梟の城」を選んでいる。
「この初期の作品は読める」だって!やはり司馬は凄いのか?

35:日本@名無史さん
12/11/09 10:09:40.24
>>31
>>16>>14が「坂本家は郷士株を買っても、もと商人の出だから
竜馬が国抜けをしても脱藩にはならない」と言ったのに対しての答えだし、
勝の事もその論の延長線上にあるんじゃない?
株を買えば、幕臣であろうと藩士であろうと侍の身分になると言う意味だろう。
株の違いを論じても仕方ないよ。

36:日本@名無史さん
12/11/09 10:56:43.70
そう16は、家臣でもないのに脱藩にしかならないの反論で、論点がずれていってますね。
ちなみ藩の中の陪臣でも脱藩て使われてますよね。

37:日本@名無史さん
12/11/09 13:37:51.43
>16
龍馬の家は元は農民。質屋を手始めに商売を広げて大商人になった。
曾祖父の時に金納郷士になった。
じゃ、その時から武家としての生活を始めたのか?
質屋や酒屋や呉服商という商売をしているわけだが、頭は武家風のまげを結い、大小を
差し、「左様でござる」などと喋ってたのか?
そんな商人があるわけないだろ。
田舎に行くと、うちは士族だなどと言っている家があるが、そういう家はたいがいが
同心などの株を買った商人や豪農の家だ。龍馬の家もその類。
だいたい、商人なら商売であっちこっち行かなきゃならない。たとえば龍馬の親父とか
兄貴が大阪に商売の話で行くとして、行ったら「脱藩」になるのか?

あと、勝海舟の家は旗本だ(男谷、勝両家とも)。親父の勝小吉の自伝「無酔独言」に
子供のときに家出した話がある。ある侍の家に世話になっているとき馬に乗り、
「侍の子だろう」とズバリ当てられている。乗馬の稽古までさせられた子供だったのだ。
これは騎乗の武士としての訓練を受けていたことを意味する。
「無酔独言」では、小吉の家には庭に大きな池があったこともわかる。池泉式の庭園を
構える旗本屋敷だったのだ。

旗本の株を買うということは、具体的には養子に入ることだ。莫大な持参金付きの養子。
養子になることによって現役の旗本になる。だからどういう家の出身かが大事であり、
いくら金を積んでも商人などは駄目。勝海舟の曾祖父は検校という盲人最高の地位にあり、
これは大きな宗派の大僧正ぐらいの地位だった。その息子が養子に入るということだから
養家の親戚も納得したのである。

38:日本@名無史さん
12/11/09 14:07:32.93
>>37
>>だいたい、商人なら商売であっちこっち行かなきゃならない。たとえば龍馬の親>>父とか兄貴が大阪に商売の話で行くとして、行ったら「脱藩」になるのか?

あなたの言い分では藩からでるのが、脱藩になるのか?
それなら江戸での剣術修行も、参勤交代のお供も脱藩になるんでは?

無許可で藩を抜ける。藩な支配を抜けて浪人になるのが脱藩でしょう。

39:日本@名無史さん
12/11/09 15:31:57.31
坂本龍馬を貶めるにしても、言い掛かりがちっとも論理的じゃない。

まるで商業に関係したこと自体が武士にあるまじき罪のような前提が主張の中にあり、
そういう思考のない人間には文章への理解すら困難だ。
鳥居耀蔵の文章を読んでいるみたいで目眩がする。

40:日本@名無史さん
12/11/09 16:46:16.48
>>37
>>16がそんな事を言ってる?分かりにくい文章だし、内容も変だよ。
「竜馬がゆく」によると、坂本家は明智光春の子孫だという伝承があり、
土佐にのがれて長岡郡才谷村に住み、長曽我部家の一領具足になった。
その後酒造業などで代々栄え、七代直海が家業を弟に譲り、郷士株を買って
もとの武士に戻ったとある。
つまり、家業を譲られた直海の弟は才谷屋として商いを続け、
屋敷も才谷屋と坂本家は隣接していたはず。
だから、郷士となった坂本家は武士としての生活をしていたし、
父親も兄も商売はしていない。商売は本家の才谷屋の方だ。分かった?
それに、勝の曽祖父も検校で、商人なんて言ってないだろう。
男谷家は旗本だと思うが、小吉が養子に行った勝家は御家人だろう。

41:日本@名無史さん
12/11/09 17:23:55.69
>>40
おいおい、「竜馬がゆく」って小説だろがw
そういえば、ここは司馬小説を真に受けちゃう人を語るスレだったな。

42:日本@名無史さん
12/11/09 17:33:54.70
>>41
小説馬鹿を馬鹿にするスレだが、司馬の小説の中でもそのくだりは史料と合致する。
そして、どうも血統武士道とか家系朱子学とか、その手のもっと極悪な阿呆が現れている。

人間として>>14>>31>>37は不適合だ。人類としての法を逸脱している。

43:日本@名無史さん
12/11/09 18:06:26.71
だいたい、血統だか家系だか品位だかを鼻にかけた人間の主張にある、
同じ武士で、先祖代々武士だった人間は藩を離れると脱藩なのに、
先祖が商人だった武士は藩を離れても脱藩じゃないという話がわけがわからない。

そのような話は霞会館でも聞いた事がない。
よほど商工業を貶めたいのか、よほど武士家系の底辺にしがみ付いているのか、哀れなことだ。

44:日本@名無史さん
12/11/09 18:11:14.97
>>41
おいおい、小説だって100%フィクションじやないぜ。
その程度の竜馬の家系は基本事実として広く知られている。
第一、司馬遼も一滴事実を垂らす事によって、
司馬遼の小説は総て真実の歴史文学だ!と読者がころっと
騙されるぐらいは合点承知のすけよ。

45:日本@名無史さん
12/11/09 18:41:17.57
>>42
あんまり資料について俺はよく知らないんだが、wikiによれば龍馬本人は紀姓を自称していたらしいな。
ちなみに、wikiでは明智秀満の子孫説も記載されているが「後世の創作だろうとする声も強い。」とある。
少なくとも、史実と言い切れるほど信憑性が高いとは言えないのではないか?

46:日本@名無史さん
12/11/09 18:51:24.69
血統品位馬鹿が、また全く関係ない話を始める。

坂本龍馬は郷士といえども武士として養育され、むしろ実家の財力で江戸武者修行までしている。
藩の意思に逆らって出たのだから脱藩と記載されるのは当然。

幕府海軍操船所入門を黙認させたのも、大商人の実家があったからと考えてほぼ間違いないが、
そこでも坂本は土佐勤皇党や長州過激派との交友が止まず、

操船所廃校に伴い薩摩藩の貿易商社「亀山社中」に引き取られた坂本は、
一緒に来た旧操船所生徒と共に、亀山社中を尊王攘夷派の西洋式武器購入窓口へ変えてゆく。

47:日本@名無史さん
12/11/09 19:01:05.61
>>45
脱藩でここまで話し膨らんで、もう司馬がどうでもよくなってきてるね。

48:日本@名無史さん
12/11/09 19:07:06.38
司馬より悪い血統馬鹿出現というやつですよ

49:日本@名無史さん
12/11/09 21:49:41.73
自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ     ←いまココ
そんな感じじゃね?

50:日本@名無史さん
12/11/10 11:22:31.68
>40
>「竜馬がゆく」によると、坂本家は明智光春の子孫だという伝承があり、
>土佐にのがれて長岡郡才谷村に住み、長曽我部家の一領具足になった。
>その後酒造業などで代々栄え、七代直海が家業を弟に譲り、郷士株を買って
>もとの武士に戻ったとある。

ここは滅茶苦茶だな。
一領具足は武士ではない。武力した自作農民である。あえて侍というなら地侍というやつ。
長宗我部元親は、自分の家来と一領具足の意見が対立したとき、「一領具足の言いじょう最もなり」と
一領具足を立てた。一領具足を味方につけることにより土佐を統一した。
一領具足の集団は戦場において寄騎のような働きをしただけで、家来になったわけではない。
また郷士も武士ではない。

明智光春の子孫だという伝承があり、それで桔梗紋だというんだが、桔梗紋から遡った適当な先祖話だろう。
どこの家にもそういう類の話はある。
だいたい何で明智光春の子孫が一領具足になるんだ。一領具足は土佐土着の武装農民で、よそから来て
なるようなもんじゃないだろ。

封建的身分制度というのは今日の我々が想像するよりずっと厳しいもので、武士は武士、町人は町人、農民は
農民の格好が決まっていた。被り物や持ち物、歩き方まで違っていたのだ。
そういう規律が緩んだのは、幕末の江戸や京だけのことである。
商売をやりながら武士の格好、武士の生活なんてありえない。そもそもただの金納郷士だし。
父親も兄も商売はしていないというが、金納郷士なんてただの名誉だけのもの。録なんか貰えるはずもない。
どうやって食ってたんだ。

51:日本@名無史さん
12/11/10 13:18:03.50
>>50
私は40ではないが、完全に論点がずれてるよ

52:日本@名無史さん
12/11/10 13:35:11.98
スレリンク(history板)

53:日本@名無史さん
12/11/10 14:41:22.07
>>50
同じ事をぐだぐだ言うなよ。よく読めよ。
分かりにくい文章で頭が痛くなるわ。

54:日本@名無史さん
12/11/10 16:45:48.13
虚偽(武士は家系が品位)を主張するために関係のない事物を列挙する。
読む人をうんざりさせるのが目的。

55:日本@名無史さん
12/11/10 17:00:31.95
先祖話などというものは言ってる本人だって信じてないようないい加減なもの。
瀬戸内海の漁師はみんな村上水軍の末裔だと言うし、山の樵部落みたいな村の連中は
平家の落人だと言う。
土佐の一領具足もそう。土佐のお百姓さんは、先祖は一領具足だと言ったりすることも
あったろうが、それだけのこと。そんな他愛もない話にこだわる奴もいなかったと思う。
土佐藩の幕末の混乱(吉田東洋暗殺など)の背景に山内家の家臣と一領具足の子孫の対立
を持ってくるのは、司馬遼太郎が小説的効果を考えて作り出した舞台設定にすぎない。
実際のところは戦国時代の一領具足がどうのこうのなど関係ない。

56:日本@名無史さん
12/11/10 17:02:46.69
>38
>あなたの言い分では藩からでるのが、脱藩になるのか?
>それなら江戸での剣術修行も、参勤交代のお供も脱藩になるんでは?

家来として参勤交代についていくのが何で脱藩なんだ?
お殿様の家来が勝手に家来を辞めることを脱藩というんだろ。武士というのは基本的に
戦士として養われている。いざというときに戦って死ぬのが武士の役目だ。
そのために代々禄を与えているのに、勝手にやめられたのではたまったもんじゃない。
だから家来の方から家臣たることを辞めるということはできない。
(医術や学問習得のため大阪や江戸に遊学というようなことは可能だった。ただそれは
許可を得た場合で帰国することが前提。)
許可もなく勝手に飛び出せば脱藩だが、それは家来の話。
金納郷士なんて家臣じゃないんだから脱藩になどならない。
では自由かというと、当時は居住・移転の自由なんて無く手形が必要。
龍馬は商人の格好で、お坊ちゃんだから手代の一人も連れて江戸に向かったと思う。

57:日本@名無史さん
12/11/10 17:18:56.97
坂本龍馬を貶める目的が史料で反論されたので、今度は妄想だね。
土佐勤皇党に坂本龍馬は結成人の一人として参加しており、過激言動を増す彼らを坂本の実家は憂慮していた。
そして当時の記録として、久坂玄瑞による藩を横断した尊皇攘夷派連合の呼び掛けがあり、
山内家=土佐藩の枠組みに拘る土佐勤皇党内で、坂本は仲間数人と長州行きを目指す。

仲間数人というのが問題で、既に観光や商売ではない。だから脱藩なのさ。

58:日本@名無史さん
12/11/10 17:21:36.21
>>50
坂本家の領地は197石、録高は10石4斗と「竜馬がゆく」にある。
確か高知県の博物館か史料館に坂本家の領地状があるはず。

「郷士は武士ではない」と言うが、白札郷士であった武市半平太も武士ではないのか?
武市の活躍をいちいち書かないが、彼は山内容堂にも謁しており、意見も具申している。
これらの活動は郷士が武士であったと言う証明であり、そうでないなら武市は
一体どの様な身分の資格で活動したのか、明確に答えて欲しい。
それに武市が死を賜った時、古式通りの見事な切腹をしている。
死罪の場合、切腹は正式な武士に賜る名誉ある権利でもあったはず。
この一点からも郷士も武士(土佐藩士)であつた事は明白だ。

59:日本@名無史さん
12/11/10 17:45:17.38
>>56
坂本龍馬関連の史料も読まずに中傷を仕掛けるから、このように話が見当外れになる。
坂本龍馬が脱藩時に行こうとしたのは長州であり、仲間も数人いる。商売云々は笑止。

60:日本@名無史さん
12/11/10 17:53:54.59
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

なんだか分からんが、↑に「竜馬が行く」から抜粋したと思われる記述がある。
こういう文章を真に受ける奴もいるということだなW

197石云々が本当とするなら、領地じゃなくて自前の田んぼだよ。
江戸の後期には、大商人は大地主を兼ねていた。商人が農民に金を貸して農地を
取ってしまう。金融資本によって農村が疲弊したのは歴史の授業で教わったろう。
ただ、俺は本当ではないと思う。
金納して藩から郷士とされたときに貰ったもので、形だけのものだ。
領地というのは形だけのことが多々ある。
一番有名なのが福島正則が広島から改易され川中島一万石とされた例。
形の上で大名とされただけで、実際に領地を貰ったわけではない。

だいたいこんな数字を読んで疑問を感じないのはおかしい。
全く歴史感覚が無いといわなければならない。
録高は10石4斗とあるが、、、、

10石4斗で龍馬の家族が暮らせると思うのか?
貧しかったので有名な薩摩の中村半次郎でも20石とか25石。実質5石だったといわれる
が、実際額面より少ないのが当たり前だった。水戸藩などは籾殻付きでの給付だった。
百歩譲って実質5石の中村半次郎の家の倍の10石貰っていたとして、それで家族全員
裕福な暮らしをし、龍馬が江戸に留学できると思うのか?
坂本家は裕福な商人である。当時、かなりの高禄の武士でも生活は貧しく、とうてい
坂本家のような生活はできなかった。

61:日本@名無史さん
12/11/10 17:56:46.07
>59
それは小説だってば

62:日本@名無史さん
12/11/10 17:56:49.66
>>60
「私はうそをつきました、坂本龍馬は脱藩です、商人として出たんじゃありません、ごめんなさい」
とあなたが言うことを、あなた以外のだいたい全ての人間が期待しています。

63:日本@名無史さん
12/11/10 17:58:06.61
>>61
史料上でも仲間はいます。
名前も確認されています。

どうも小説と史料の区別が付かない人が「武士は血統」と叫んでいますが、
全く持っておかしい。

64:日本@名無史さん
12/11/10 19:06:15.63
>>37
が馬鹿すぎてww

65:日本@名無史さん
12/11/10 19:51:07.14
>>56

意味がわからなかったんですね
これは16の主張する、だいたい、商人なら商売であっちこっち行かなきゃならない。たとえば龍馬の親父とか兄貴が大阪に商売の話で行くとして、行ったら「脱藩」になるのか?
という主張を仮に正しいとするならば

藩からでるのが、脱藩になるのか?

それなら郷士が江戸での剣術修行も、郷士が参勤交代のお供も脱藩になるんでは?

という反証の為に書いたのだよ。

だから結論として
無許可で藩を抜ける。藩な支配を抜けて浪人になるのが脱藩でしょう。
と主張してるのだが。

私が参勤交代や剣術修行を脱藩だと主張しているわけではないよ。

理解できました?

66:日本@名無史さん
12/11/10 20:10:44.48
>>60
197石は「領地じゃなくて自前の田んぼだよ」との事ですが、
100石から500石ぐらいが江戸時代の平均的な村ですから、決して少なくありませんよ。
ただ坂本家は才谷屋の分家とは言え7代直海が家業を弟に譲り、真偽は別として、
侍だった本来の姿に戻った訳ですから、才谷屋からは莫大な財産分与があったでしょう。
以後竜馬の時代に至るまで両家は表裏一体の存在であり、商人と武士と言う互いの利点を
補完しあって栄えて来たのでしょう。
確かに「竜馬がゆく」を読んでも、武士と言うよりは町人の雰囲気の溢れる
自由な家風であったようですね。

67:日本@名無史さん
12/11/10 20:12:55.85
>>65
上、すいません間違い。16の部分は37の間違いでした。すいません。汗

68:日本@名無史さん
12/11/10 21:21:17.67
今のところ「武士=家系=品位なり、商人上がりの坂本は違うよーん」馬鹿が酷すぎて、その程度のことは全く気になりません。
なぜ武士が藩の命令に反して藩を抜けると脱藩なのに、郷士である坂本龍馬は脱藩じゃないと言えるのか皆目不明です。

当時の人物で坂本龍馬ほど、日刻みで行動が把握できる人間は少ないです。
この頃坂本龍馬は土佐勤王党の一員として、久坂玄瑞の提唱する尊王攘夷同盟の折衝に当たっており、
正月には藩の正式な許可を貰い、武市半平太の見解を持って長州を訪問しています。

武市は、自らが郷士から上士並み(白札)に昇進したことを恩義に感じている人で、
同盟結成は藩内の尊王攘夷派が藩命に必ずしも従わなくなるとして反対していました。

これが同盟結成をしようと約束してきた坂本龍馬の面目を失わせることとなり、3月下旬坂本は沢村惣之丞と長州へ脱藩を行います。
長州に入ると久坂は坂本を扱いかね、坂本は(実家が大店ですから)九州見物、8月には過去に武者修行をした江戸の千葉道場に転がり込みます。

12月に福井に行き松平春嶽と面会、ここで勝海舟への紹介状を書いてもらいます。年末に坂本らは勝海舟と面会し舎弟となります。
(娯楽小説では、暗殺を狙って勝海舟を襲おうとしたら説得されたとかありますが、そこまで劇画的なものではなかったようです。)

69:日本@名無史さん
12/11/10 21:47:29.28
    ,、    /7       ,-、
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    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
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     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
       ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′
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     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
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      >、<゜> <。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌 なら 見るな!フジテ~~!

70:日本@名無史さん
12/11/11 09:12:24.11
>今のところ「武士=家系=品位なり、商人上がりの坂本は違うよーん」馬鹿が酷すぎて

こういうところが悲しいよなぁ、、、。学問やったことのない人は反対説の処理の仕方を知らないからね。
自分と違う見解にに出会うと冷静に処理出来ず逆上したようになってしまう。
家系=品位など相手が言ってもいないことを持ち出す。真っ黒に塗って黒だ黒だと批判する。
こういうことが自分の馬鹿をさらけ出すだけのことだということが分からないんだね。
小説読み散らかしていっぱし知識人のような気になってる高卒おじさんかなw
あと論点の絞り方が下手。
なんで志士として活躍し始めてからの、しかも外交方のように藩に認められてからの時代を持ち出すかなあ。
龍馬の家は武士としての生活をしていたのか、龍馬は武士の子のように育てられたのか、金納郷士が領内
から出ると「脱藩」になるのか、これらに関する司馬の小説の叙述は正しいのか。
それが問題になってるんじゃないのか?
で、「脱藩」のことについてだが、脱藩については単に勝手に領内を抜け出すという意味に使われている場合が
多いようだ。だが脱藩とは家来の方から家臣であることを辞めること、という身分上の行為だ。もちろん辞めて
そのまま居られないだろうから他所へ去るという行為も含むだろうが、主君との主従関係を断ち切るということ
だから家来である者にしか成立しない。
大方が脱藩脱藩と騒いでいる長州行きは、ただの領内脱出。龍馬と澤村惣之丞に関しては脱藩は成立しない。
龍馬についてはもう述べた。澤村惣之丞は地下浪人の子だ。
土佐藩で地下浪人とは郷士株を売り渡してその身分を失った者。それ故、土佐藩とは何の身分関係もない。
ただの領民というだけだ。
しかし、ちょっとググってみても澤村惣之丞について「脱藩」「脱藩」と書いてある。
68に問うが、澤村惣之丞の行為も脱藩なのか。それとも龍馬は脱藩で、澤村惣之丞はただの領内脱出なのか?

71:日本@名無史さん
12/11/11 09:17:36.98
>確かに「竜馬がゆく」を読んでも、武士と言うよりは町人の雰囲気の溢れる
>自由な家風であったようですね。

そうですね。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」では自由な家風であったように書かれていますね。
家族みんな仲がいいですね。

72:日本@名無史さん
12/11/11 10:21:13.25
>>70
君の、「商人上がりは脱藩なんてない、武士は家系しか品位を作らない」説に誰もが辟易

73:日本@名無史さん
12/11/11 10:35:46.82
>>70
>>37で言ってますなあ、先祖代々の家系が品位を生むのであり、坂本などは武士じゃない、と。
あなたのような嘘つきは珍しい。そして両名共に脱藩。藩の許可を得ていない。

74:日本@名無史さん
12/11/11 11:32:40.34
まあ坂本龍馬に関しては持ち上げられ過ぎの反動で
やたら軽めに見る人も絶えないよねw
これも司馬史観が蔓延した弊害の一つかもしれない

75:日本@名無史さん
12/11/11 11:40:23.51
沢村は行政的には「抜け作」かもしれないけどね。でも脱藩にしないと本人が可哀相でしょ。
心は郷士です。現に土佐勤王党の一員ですし。

そして坂本龍馬とその仲間は勝海舟の舎弟として、勝が取り組んでいた幕府海軍操練所設立に関係することとなります。
ちなみに、この時の長州行きの脱藩は幕府役人という土佐藩が文句の付けられない身請け先が出来たので一旦帳消しとなりますが、

一旦帰国せよという命令を無視し翌年元治元年(1864年)正月には再び脱藩状態。この5月に幕府海軍操練所が発足。
しかし9月、幕府内の調査で勝海舟は不逞の輩を舎弟として飼っていると詰問を受け、10月下旬に勝は坂本らを西郷隆盛に預けて江戸へ召還。

慶応元年(1865年)3月に幕府海軍操練所は廃止。4月下旬に操練所の賛同者と共に大阪から出て長崎の亀山社中に入ることになります。


それにしても、坂本は脱藩じゃない説の根拠のなさよ。

76:日本@名無史さん
12/11/11 21:00:43.08
┏━━━━━━━┓
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┃  【YouTubeの動画垂れ流し】   ┃
┃     【やらせ・捏造】       ┃ <SEを被せる(ど~ん、どし~ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか~ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え~
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 SE:え~  SE:あははは  SE:へぇ~

77:日本@名無史さん
12/11/11 21:04:08.57
>沢村は行政的には「抜け作」かもしれないけどね。沢村は行政的には「抜け作」かもしれないけどね。でも脱藩にしないと本人が可哀相でしょ。
心は郷士です。現に土佐勤王党の一員ですし。
>心は郷士です。現に土佐勤王党の一員ですし。

行政的には、って何? だいたいあんた行政的ってどういう意味に使ってんの。
自分でも意味が分からないんじゃないかw
「でも脱藩にしないと本人が可哀相でしょ。 」って笑いを取ろうとしてるのか。
「心は郷士です。」  まあ、ここは受け狙いということで笑ってしまえばいいのかな。
頭のネジが緩んでるとしか思えない。この二行

勝は頭がいいので、何か自分が頭目のように祭り上げられるとまずいと見切りをつけ、自分を取り巻く
若い連中を切り捨てた(刀で斬ったということじゃない。念のため。)
このあたりのことは氷川清話に出てくる。西郷が担ぎ上げられて西南の役を起こした。
担ぎ上げられるとどうにもならなくなる、何かしてやりたくなるのだと、その心情に同感している。
そして俺はずるいから西郷のようにはならなかったと言っている。
一時期、勝に土佐の連中が近づき、岡本以蔵などボディガードのようになっていた。
そうした行動を幕閣が苦々しく思っていることを敏感に察知し、以後取り巻きの連中と距離を取るように
なった。
75が三行目以降に書いていることは、こうした事情のことだろうが、これは龍馬の脱藩がどうしたとかいう
こととは何の関係もないよ。
無理にこじつけをしては駄目だ。
脱藩とする説の根拠をちゃんと示せよ。
それと澤村が脱藩になるのかもちゃんと説明してみ。

78:日本@名無史さん
12/11/11 21:31:44.29
脱藩か脱藩じゃないか論でスレ伸びてるんだか…。
ちょっと詳しい方に質問ですが、司馬以前に脱藩という記述した人はいないの?

79:日本@名無史さん
12/11/11 21:39:13.16
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80:日本@名無史さん
12/11/11 22:01:09.05
明治から坂本龍馬といえば脱藩ですが、違う説の人は何か勘違いをしているものと思います。
それとも、よほど坂本龍馬を武士と認めたくないコンプレックスの持ち主の方なのかも。

81:日本@名無史さん
12/11/11 22:11:10.34
ずっと昔、早乙女貢という差別的な小説を書いていた人が、
「西南の武士なんか武士じゃない、あれは商人だ」と感情的に書き散らしていたことがある。

それを真に受けた人では無いかと思う。だから郷士が脱藩してもあれは商人だ、と不当に軽く言ってしまうのだろう。

82:日本@名無史さん
12/11/11 22:13:53.14
近時、龍馬が長州行きのために歩いた道が龍馬脱藩の道とか言って
沿道の貧乏部落が村起こし町起こしに利用できると喜んでいるところで
あります。脱藩じゃないとまずいすかやっぱり

83:日本@名無史さん
12/11/11 22:48:44.18
武士だなんだといっても、幕末頃は武士道なんざ廃れきってかけらも無かった。
士道が頽廃したというより、武士社会の風紀が糜爛していた。
地方ではましなところもあったが、徳川の旗本だの御家人だのはどうにもならなかった。
妻妾同居は当たり前。子弟教育など全くせず、読み書きできない旗本なんぞザラ。
娘は年頃になると男を作り、せがれは15ぐらいから酒びたり、岡場所通い。
きちんとしてたのは豪農とか大商人など。彼らは金力もあり道義心強く教養も高く、まさに
社会の中核だった。この階級の存在によって相当程度の社会資本や産業技術が蓄えられて
おり、またプロティスタンティズムに比すべき勤勉の精神があった。
それが明治維新を成功させた要因の一つと考えられている。
幕末には、一般に武士よりも豪農や商人階級の方が先見性があり、社会をリードする力があった。
土佐でいえば、まさに坂本龍馬の実家のような商人や豪農といった階級の人々が目覚め、古色蒼然
たる藩の上士階級と対立したのである。もちろん武士階級の中にも勤王や倒幕の志を持つ人は
いたろうが、藩士たる身分で自由な行動はとれなかった。それより、そもそも武士は経済的に困窮して
自前で活動する余裕などなかった。
龍馬は金持ちのボンボンであればこそ京や江戸その他あちこちで活動することができたのである。

俺は単純に武士が偉いだの、町人だからどうのこうのなど言っていない。
血統だの品位だの、脱藩フェチ親父が勝手に言ってることだ。
そういうレベルで議論をしたりレッテル貼りをしたらいかんよ。自分の品位にかかわることだからねW

84:日本@名無史さん
12/11/11 23:04:16.93
なにしろ、明治の流行小説にして「竜馬がゆく」の種本、「汗血千里駒」にして、
「土州藩士にして剣客坂本龍馬其人あり」
「まず吉田寅太郎宮地宜蔵の両人を三月上旬に脱走なさしめ・・・龍馬も上るべし」とかなっておりますので、
坂本龍馬が脱藩でないという意見の方が非常に珍しい。

よほど感情に任せて書いたか、上に書いてあるような偏見で口走ったものではなかろうかと思います。

85:日本@名無史さん
12/11/11 23:06:52.98
>>83
自分で書いておきながら他人のせいにするとは、この差別人間は責任もとる気がない。
>>37であなたは、商人などには品位がないと主張しております。あなたのような嘘つきこそ品位がないと私は思いますが。

86:日本@名無史さん
12/11/12 12:38:18.65
>>83
坂本家はもともと商家なんだよ
江戸時代半ばに土佐の豪商から郷士に取り立てられて坂本を名乗った
龍馬が京都潜伏中に使っていた偽名に「才谷梅太郎」というのがあるが
才谷というのが坂本家が呉服商だった頃に使ってた屋号

87:日本@名無史さん
12/11/12 12:43:29.50
>>86
それが脱藩と?

88:日本@名無史さん
12/11/12 13:29:02.53
武士だから脱藩で間違いない。
脱藩でないという人は、上に挙がっている早乙女貢の誹謗くらいのもの。

89:日本@名無史さん
12/11/12 14:03:54.92
                    Λ_Λ
                    < `∀´ > トンスル飲むニダヨ
                   \    /   
                    |⌒I │
                    (_) ノ
             ______ _..レ__    ___
            /r''''''i i'''''ヽ|`i i'''ヽ`'i  i'´r.⌒ヽ|
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90:日本@名無史さん
12/11/12 16:21:43.25
>>86
あんたこのスレ読んでるの?
坂本家が才谷屋(呉服屋?酒造業じゃなかった?)の分家だなんて
皆知ってるよ。呉服商だった頃に使っていた屋号って言うけど、才谷屋は
坂本家と切っても切れない関係を保ちつつ、幕末まで続いてるよ。
商人になる前に坂本家には明智光春の子孫伝説があると言う話。

91:日本@名無史さん
12/11/12 17:55:39.22
その伝説も、坂本家の「坂本」という明智光秀ゆかりの地と、坂本家の桔梗紋からきたもので確証はない。
「汗血千里駒」では強調してあるが、証明があるわけではない。

つまり、坂本の実家は土佐の豪商で、龍馬の数代前から郷士の資格を有していた。
そのため龍馬は、江戸武者修行など郷士として当時の破格の待遇で育った。

ただ、親戚の武市半平太は強烈な尊王攘夷思想で周囲に影響を与え、坂本龍馬も尊王攘夷に染まってゆく。
坂本龍馬の脱藩はこの過程で起こり、以後龍馬は全国を実家の金で行き来しながら仲間を増やし、
黒船を保有した尊王攘夷派向けの武器弾薬供給事業で名を知られることとなる。

脱藩じゃないだなんて、早乙女貢の相手を貶す与太話でしか聞いたことがない。
>>83は根っこから品位のない嘘つきだから、それで良いのかもしれないが。

92:日本@名無史さん
12/11/13 06:23:00.53
「汗血千里駒」とか「龍馬がゆく」とかの小説を鵜呑みにしちゃう人ってまだいるんだね。
活字だと何でも信じてしまう人って多いもんな。
そういう素朴で単純で純情な人たちって世の中に必要かも知れんな。
「君は将来我が社をしょって立つ幹部社員候補だ。」とかおだてられると、我が身も省みず
死にものぐるいで働くような人たち。そういう純朴な人間って貴重だよw

93:日本@名無史さん
12/11/13 06:34:11.50
その他に早乙女貢なんかの小説を読んでるのか。
下らねえなW

94:日本@名無史さん
12/11/13 13:31:25.32
>>92
そんなわかりきったことを自慢気に書き込む心情が理解できない

95:日本@名無史さん
12/11/13 13:56:11.13
脱藩じゃない説の人は小説と史料の区別もつかないということで、LA

96:日本@名無史さん
12/11/13 18:28:49.03
>94
いや、75とか91とか読むまで小説まともにとってしまう純朴な人がいるとは
思っていなかったものだから。
坂本龍馬は商家の子なんだから、当たり前に寺子屋に通い、読み書きそろばんを習って
いたんだよ。家には奉公人も大勢居て、にぎやかに育った人なのだろう。
青年期に入ってから勤王思想に影響され、志士の活動にあこがれるようになった。
その段階で剣術を習ったり、時に武士のような格好をするようになったのだと思う。
日本中にこういう青年は無数にいたはずだ。

97:日本@名無史さん
12/11/13 18:48:28.14
嘘つきが何を言ってももう遅い。

98:日本@名無史さん
12/11/13 20:54:57.09
2012/09/18(火) 株式会社ガーラバズ(電通バズリサーチ)の2ちゃんの工作が大々的にバレる



2012/09/28(金) 株式会社ガーラバズの汚名を打ち消すために株式会社ホットリンクに統合させて社名を消滅

■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社  ガーラ バズ   )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.4
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■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社   ホットリンク )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.5
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【話題】 AKB、虚像の人気★2
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やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その145
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99:日本@名無史さん
12/11/13 21:42:11.44
土佐勤王党の参加者は豪農層が多かった。
これは何故かというと参政吉田東洋の政治が農民に負担を課し、あるいは農民の権益を
奪うものだったからだ。具体的にはさまざまな物について専売制を敷き、本来農民が得る
べき収益を藩に吸収してしまったからだ。
農民の利益の代弁者である豪農層たちはこれに憤り、おりしも巻き起こってきた攘夷思想
や勤王思想の影響も受けて政治的に先鋭化した。
おそらく秘密の会合があちこちで開かれたに違いないが、そこに集う人々の服装はまちまち
であったろう。武士のような格好をした者は希だったのではないか。
龍馬は地元では商人の格好で活動していたと思われる。
ただ、剣術の関係の集まりなどでは剣道着に袴などを履き、その延長線上で武家じみた
格好をすることもあったかも知れない。
ただ、龍馬が土佐で剣術を稽古したという資料はない。
口碑では地元で剣術を学んだようなことが言われているが、その口碑自体小説家が作った
ものかも知れない。

100:日本@名無史さん
12/11/14 00:07:50.29
「~ないか」「~思われる」「~かも知れない」

全部想像じゃん
普通に長宗我部侍の郷士じゃないの?

101:日本@名無史さん
12/11/14 05:33:34.44
普通はそうなる。
しかしこの人の認識では、商業に手を触れた人が親戚にいれば無条件で下賤らしい。
おかしなことだ。

102:日本@名無史さん
12/11/14 08:04:03.80
>100
>普通に長宗我部侍の郷士じゃないの?

想像じゃんw


>101
商人を下賤とか言っちゃいけない。今時何を言ってるんだか。頭が150年ぐらい古い。
どっかの老人ホームから書き込んでるのかな?

103:日本@名無史さん
12/11/14 15:29:09.50
>>102
このように、自分の差別思想へは礼賛、他人の指摘には「その語を使うな」と主張するのが
「竜馬は商人」厨房だ。

嘘つきにも程がある。人殺しにも等しい。

104:日本@名無史さん
12/11/14 20:32:26.87
東スポ 「森光子は元気に退院!ダンスを踊り、スクワットも150回こなす」(11月14日16時)
スレリンク(news板)

【訃報】森光子さん心不全で死去
スレリンク(newsplus板)
東スポ・新潮とはいえ裏取りせず思いつきで記事書いてるのがよく判る
社内に頭おかしいのしかいないんじゃないか?

105:日本@名無史さん
12/11/15 07:35:53.50
土佐勤王党弾圧の時、武市半平太は藩の南会所(政務を執る役所のようなところ)に設けられた
牢に入れられた。はじめから牢がある建物ではないから、臨時に物置のような部屋を改装したの
だろう。監禁というより軟禁に近い状態だった。取り調べは厳しかったが、尋問のみで拷問は
行われなかった。これは士分に対する扱いである。切腹が許されたのも同じ。
半平太は完全に上士扱いであった。この点から推測したのだろうが、半平太の属する白札郷士
は上士扱いとする資料が多いようである。しかしそれは違う。
半平太は一時藩の留守居役(外交方)や京都留守居役を務めた。わずかの期間ではあるが、藩を
背負って外交の任にあたったのである。その間は当然上士格の扱いを受けたので、罪人とされた
後も上士としての扱いを受けることが出来たのである。
個人的な活動や経歴に着目しての扱いで、白札郷士だからということではない。
他の勤王党の活動家たちは山田牢に入れられ、拷問を受け、死罪とされた者は斬首されている。
岡田以蔵にいたっては獄門にかけられている。
半平太の実弟の田内衛吉(養家の田内家は郷士)は拷問に耐えかね、白状してしまうことを畏れ
獄中で服毒自殺した。
山田町の獄舎というのは百姓・町人を入れるための牢であり、武士は入獄させない。
士分に対しては拷問は行われない。また士分であれば死罪とされる場合でも切腹が許される。
これら武士の特権というべき扱いが一切なされていないことは、藩は勤王党員たちを全く士分と
認めていないことを意味する。勤王党のメンバーが属する階層は、主として郷士や商人、豪農
ないし庄屋であった。このうち郷士は別扱いかといえば、商人や農民といっしょくたであった。
そうだとすれば、郷士のうちでも金納郷士などは士分として扱われるはずもない。
郷士は百姓町人の中での見栄のためのものであって、上から見れば百姓町人であることに変わりは
ない。金を納めて郷士の格を拝領したからといって、その日から「武家でござる。」とふんぞり
返っているわけにはいかない。士分というものはそれほど重いものだったのである。

106:日本@名無史さん
12/11/15 11:51:06.78
>>105
京都留守居役ではなく留守居加役じゃないの?
留守居役は藩の外交官、言わば大使で重職だ。
武市が実権を握っていたかもしれないが、
上士格であっても白札である武市は留守居役にはなれないだろう。
今風に言うと補佐だな。

107:日本@名無史さん
12/11/15 13:05:39.41
郷士は武士と言いながら、でも郷士は武士でないと繋げる理由が不明だ。
嘘を糊塗したいだけの書き込みは迷惑行為だね。

108:日本@名無史さん
12/11/15 14:26:29.72
そんなに郷士である坂本龍馬が脱藩した事実を隠したいのか
不合理極まりない

109:日本@名無史さん
12/11/15 14:39:42.55
大体坂本龍馬の場合、曽祖父の代から武士だったわけだが。
そして土佐勤皇党は武市周辺の尊王攘夷に賛同する人々によって成立していた。

坂本だけは脱藩じゃありません、と主張する理由が>>105の差別心以外に見当たらない。

110:日本@名無史さん
12/11/15 22:03:52.85
>106
加役というのは兼任のことだよ。
補佐のことではない。
何か役職を持っていて(おそらく国元での留守居役)、さらに京都へ出張(?)して
そちらで京都留守居役を兼任したのだろう。

郷士は武士ではない。これは日本全国疑いのない事実ではないか。
郷士が武士だと思っている人がいるとは驚いた。嫌みでなく本当に意外だ。

111:日本@名無史さん
12/11/15 23:23:59.85
>>110
>郷士は武士ではない。これは日本全国疑いのない事実ではないか。
>郷士が武士だと思っている人がいるとは驚いた。嫌みでなく本当に意外だ。

酷い嘘つきもいたものだ。日本を知らないとは。

112:日本@名無史さん
12/11/15 23:47:46.64
wiki
郷士
郷士(ごうし)は、江戸時代の武士階級(士分)の下層に属した人々を指す。

113:日本@名無史さん
12/11/16 00:07:07.64
形式論でいえば士分だろう。「士」が付いてるんだから。
形式論だけで言えば江戸時代の身分は士農工商のみ。でも他にいろいろあったことは知ってるだろ。
それと同じだよ。実際のところは郷士というのはだいたいがお百姓さんだよ。
郷士が刀を二本差しして、武家風の髷を結い、ぶっさき羽織を着て袴を履き、「ござる」とか「左様」とか
話していたと思っているのかw
あと、wikiは何の権威も無い。誰が書いてるのか分からん。専門家とはいえない人が書いてるのが
大部分。論文書くのにwikiから引用する奴なんていないわけよ。wikiなんか引っ張ってきたって駄目。

114:日本@名無史さん
12/11/16 00:08:24.05
上バカだね

115:日本@名無史さん
12/11/16 00:11:19.16
日本史も知らない人間が武士道を標榜すると、このような主張を始めることになる。

悲惨な差別主義者が来たものだ。

116:日本@名無史さん
12/11/16 00:32:58.40
>114
>115

女が「ふん、何よ」ってウジウジ文句たれるみたいなことしてないで
反論してみれボケ

117:日本@名無史さん
12/11/16 00:38:24.14
本来司馬を叩くスレなのだが、司馬の域にも達していない生兵法者「差別武士道」が来襲中。
WIKI未満の馬鹿は>>112で十分。

実際のところ、郷士が兵農分離の際武士の側に属していることを説明しても、
また長文の最後に「・・・・・・で、差別は当然」と脈絡もなく関係ない文を付けて正当化を図るのだから。

118:日本@名無史さん
12/11/16 00:54:06.96
>>116
散々反論されてるのに、理解できないからでしょ。

119:日本@名無史さん
12/11/16 00:54:54.16
ぶっちゃけて言えば
「ここからが武士 ここからは町民」なんて分けられるものじゃないでしょ
郷士(呼び方は様々だが)の身分も藩によって違うし
土佐藩における郷士の境遇を地味に検証していくしか結論は出ないと思う

ただ「ござる」「左様」と言うかどうかなんて果てしなくどうでもいいとは思うけどw
そんなもん地方に行けば上級武士だって使わないし

120:日本@名無史さん
12/11/16 01:03:59.89
坂本龍馬の場合、その直前の長州行きの時には武市から藩へ保障推薦されて藩の許可が出ている。
しかし3月の際は許可を得た形跡がない。

これは、土佐藩内の尊王攘夷派の独立性を守りたかった武市半平太と、長州の尊王攘夷派との完全合併案をまとめてきた坂本龍馬との間に
齟齬があったと考えられており、坂本と武市はその後も接触はあるものの、坂本は武市の傘下に完全に戻ることもなく独自の道を進むこととなる。

一月の時に許可を貰わないと行けない所に、三月に許可を取らずに行った訳で、間違いなく脱藩とするしかないんだよ。
それを違うといってしまったからここまで粘着して誤魔化しを続けているわけで、可哀相な人だと思う。

121:日本@名無史さん
12/11/16 01:31:38.66
その前に、長州の久坂玄瑞による尊王攘夷派一致決起呼びかけがあったわけで、
武市半平太は、土佐勤皇党=土佐藩尊王攘夷派の意思を伝えるために坂本を一月に長州に送った。
坂本の脱藩は三月のこと。一致決起に参加することが目的だった。

自分で交渉をまとめたつもりだったので、破約となった後も自分ひとりでも約束を果たす義務を感じた結果の脱藩だったとされている。

122:日本@名無史さん
12/11/16 07:40:38.20
>120
>121
同じようなことばかり書いてるよな

123:日本@名無史さん
12/11/16 08:10:25.17
>119
確かにそうなんだ。郷士だけでなく、足軽とか同心の意味も藩によって異なる
場合が多い。その藩における、たとえば郷士がどのような地位だったのかは
多くの資料を集め、精密詳細に分析しなければ明確にはならないだろう。
ただ、おおまかなところは分かると思うよ。
社会構造が類似(ほぼ同一?)しており、そのため名称上の差異に過ぎない場合
が多いからだ。君の言うようなことでは単なる不可知論になってしまうよ。

>ただ「ござる」「左様」と言うかどうかなんて果てしなくどうでもいいとは思うけどw
これはただの揚げ足取りじゃないかな。自分でもそう思うだろ。
地方で言い方が違うのは当たり前だ。たとえば薩摩でそんな言葉を使うわけがない。
地方でどうのこうのといったら、枚挙的に日本中の方言を並べなければならなくなる。
「ござる」「左様」というのは、いわゆる武家言葉を使っていたのかということだ。
武士は百姓・町人とは明らかに違う言葉を使っていた。
女性の場合は発声まで違っていた。いわゆる「地声」でしゃべることははしたないと
され、高い声で話していたのだ。

郷士がその藩における武家言葉を使っていたかどうか、それを問うたわけだよ。
>40
みたいに
「だから、郷士となった坂本家は武士としての生活をしていたし、
父親も兄も商売はしていない。」

こんな風に考えてるわけか?

124:日本@名無史さん
12/11/16 09:31:04.79
>>123
いや少なくとも幕末になれば武士階級の境目も曖昧だったということ
そうなれば武家言葉を郷士が使う「秩序の乱れ」もあったでしょう
土佐藩がどうだったかまでは俺は知らない
ただあなたの言うことは江戸時代の一般論であって
それをもって坂本龍馬が商人階級であり
「脱藩」など有り得ないと断ずるのは言いすぎではないかということ
土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

125:日本@名無史さん
12/11/16 11:31:12.72
ちょっとすいませんがそんな一時文献あるのですか。
例えばどんなもの

126:日本@名無史さん
12/11/16 11:31:53.49
×一時
○一次


127:日本@名無史さん
12/11/16 12:36:03.72
>>123
意味もなく、脱藩という証拠へはかたくなに言及を避ける、あなたの姿勢が異常だ。

128:日本@名無史さん
12/11/16 13:13:59.49
>>123
もともと土豪や庄屋みたいな階級の人らは江戸時代になって身分制度を決める際
武士に入るのか農民に入るのか微妙だったんだよね
殿様へ献上品贈ったり士分の位を買ったりして武士に名を連ねる
ただし、同じ土地に住む農民と武士で言葉づかいまで違っていたかは何か証明ができる?
江戸時代には町人の娘でも将軍や大名の側室になれたんだ、ましてや
上流農家と下級武士で言葉づかいが違っていたとも思えんが

129:日本@名無史さん
12/11/16 13:28:03.32
>124
>幕末になれば武士階級の境目も曖昧だったということ

相対論で逃げ道を作っておき

>土佐藩がどうだったかまでは俺は知らない

と自分の立場は明確にせず

>土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

こう書いておけば反論を立てられまいと防衛の手段まで講じ

臆病な男だな。2ちゃんなんだから書きたいこと書きゃいい。へっぴり腰でなにやってんだか。
お前、包茎だろW

130:日本@名無史さん
12/11/16 14:51:25.87
大阪維新の会 大口後援者にマルハン(密入国)、ソフトバンク(帰化)、パソナ(竹中平蔵会長)
スレリンク(news板)
【政治】『大阪維新の会』の"大口後援者"にマルハン、ソフトバンク、パソナ [08/27]
スレリンク(bizplus板)


また騙されるのかB 層。学習しろ

131:日本@名無史さん
12/11/16 15:00:14.32
>>129
>>120を直視できないから、悪態をついて済ませようとする。
坂本龍馬が脱藩ということをそこまでして隠そうとする理由がわからない。

132:日本@名無史さん
12/11/17 01:22:21.53
>>129
急にキャラが変わったなw 別人かな
ともかく通説では坂本は土佐藩に属していたというものなんだから
それを覆すなら一次資料を当たるぐらいは当然するべきだと思う

133:日本@名無史さん
12/11/17 07:33:10.85
だからどういう一次資料なんだよ
そういう一次資料が本当にあるのか
お前が想像してるだけのことなのか
お前が当たれと言ってる資料はどこのどういう資料なんだ

きちんと答えろよ

134:日本@名無史さん
12/11/17 07:47:02.70
あ、それから124は「一次文献」、132は「一次資料」と言っている。

文献を調べろと言ってるの?
資料を調べるの?
意味分かって言ってるのかなぁ、、、
中学生かな。書いてるのは。厨房とか2ちゃん的な意味ではなく
リアル中学生、、、、

135:日本@名無史さん
12/11/17 08:12:37.14
>124
>「脱藩」など有り得ないと断ずるのは言いすぎではないかということ
>土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

「土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか」というのはどういう意味ですか?
名前をどう呼んでいるかということなの
それとも坂本の行動を脱藩と言っているかということ?

136:日本@名無史さん
12/11/17 11:52:35.06
郷士の竜馬が武士であるかどうか、
それが脱藩かどうかなんて、もうどうでもいいよ。
別の話題はないの?

137:日本@名無史さん
12/11/17 12:49:01.69
お前が出せばいいじゃん

138:日本@名無史さん
12/11/17 14:32:49.36
>>120
を覆す説が出ないので、坂本龍馬は脱藩とするしかない。
司馬以前の問題だよ。

139:日本@名無史さん
12/11/17 14:59:37.34
返事がないので書こう。
一次文献だの一次資料だの馬鹿じゃねえの

「脱藩」って言葉は明治以降に作られた言葉なんだよ

維新に命をかけていた志士の時代には「維新」という言葉はなかったのと同じ
明治新政府なって後その革命が維新と呼ばれるようになった。

明治になってから脱藩、脱藩と言い出した。
こんな変な言葉誰が作ったんだと言いたい。
「脱藩浪人」というような言葉が先に作られたんだろうな。勤王の志を持って京へ出てきた浪士のことを
指す言葉だったんだろう。小説あるいは講談が出所かもな。
ただ、「藩を脱する」という以上は藩士でなければならないはずで、殿様の家臣でないのに脱藩なんて
使うのはどうかしてる。司馬はおかしい。そういうのに影響されて龍馬が脱藩して、、なんて言ってる連中は
まさに「症候群」ではないか、と。そういう趣旨で書き込みしただけだ。

140:日本@名無史さん
12/11/17 15:17:59.62
間違いを公言し始めたら精神異常を疑うべき。
脱藩という単語は使わずとも、実際は藩の許可を取らずに藩外に出た藩士には死罪などの厳罰を科すのが原則であった。
そして、幕末の京都の花柳では尊皇攘夷派と付き合うのが粋とされ、
「脱一つもできない奴は駄目」と評判となった。

国を思う脱藩者が粋とされていた。

141:日本@名無史さん
12/11/17 15:51:15.82
>>139
郷士は武士であり藩士の中に入ります。
気に入らないからといって、史実の部分まで否定しては却っておかしい。

142:日本@名無史さん
12/11/17 16:27:11.81
藩士を昔は「家中」といいました。
郷士は家中ではありません。
家中と郷士は対置される概念です。
郷士は藩士ではありません。

143:日本@名無史さん
12/11/17 16:34:05.17
>>142
いいえ。郷士も藩士の中に入ります。
例えば薩摩の場合、郷士は城下町にいないというだけで法的な違いは全くありません。

144:日本@名無史さん
12/11/17 16:49:04.06
>>12ですが、私の書き込みに対して>>14さんが受け、
そこから竜馬の郷士&脱藩論がいっきに燎原の火のように広まりました。
面白いですね。

145:日本@名無史さん
12/11/17 17:22:00.85
薩摩藩の場合は特別で郷士は読んで字の如く、在郷の武士で上士です。
しかし、通常郷士と言う曖昧な存在は、藩の扱いやその家の出自によって違うはずです。
近世初頭身分を失い在地農民化した武士は、豪農などな場合は
いろいろな面で元武士の由緒を伝えおり、藩もまた庄屋にしたり、
苗字帯刀を許して郷士格を与えたりして、農村管理の末端に取り込んで行ったのでしょう。
そうして時代が下がるに従い、封建支配の弱体化のため金納郷士などが現れ、
郷士の種類が多様化し、益々その身分が曖昧になっていったのでしょう。
だから、一口に郷士と言っても薩摩藩と土佐藩や各藩によっても違うし、
郷士の出自によっても違うし、フラットに武士か武士でないかと論じられないと思います。

146:日本@名無史さん
12/11/17 17:22:40.36
>143
薩摩藩には郷(ごう)という軍団制度があった。
領内の各所に郷を単位に武士をすまわせ、戦時にはそのまま軍団になる。
中村半次郎で有名な吉野郷、島津最強を謳われた出水郷士のいた出水郷など。
郷に属する武士を郷士といった。
これに対して城下に住む武士が城下士(しろかち)。この関係で郷士は外下士とも呼ばれた。
あとは司馬読者なんだから知ってるだろ。
城下士と郷士の間には本来上下はない。それが長い間に田舎に住んでいるいう理由で
城下士から馬鹿にされ、下に見られるようになったと。
薩摩藩の郷士は武士だよ。薩摩藩は特別。
他藩はこれとは違います。
だって考えりゃ分かるだろ。
薩摩藩で町人が金を納めて郷士になるなんてこと考えられるか?

147:日本@名無史さん
12/11/17 17:37:45.27
全く変わらないと思うが。
土佐藩の場合も士分の中に入っていた。

148:日本@名無史さん
12/11/17 17:39:43.40
色々書いているが、郷士は武士じゃないといっている人は
>>120>>140に反論できないんだよね。

149:日本@名無史さん
12/11/17 17:44:58.56
>>148
変なチャチャ入れんな。
今いい流れで差別派が叩いてるから。

150:日本@名無史さん
12/11/17 17:46:10.88
差別派が叩かれてる
の間違い。上ね。

151:日本@名無史さん
12/11/17 17:55:28.52
>147
「士」がつくんだから士だろ。そりゃ
形式的には士になるんじゃなければ金出さないだろ。
大金出して身分は百姓のまま、町人のままなら誰が金出すんだ。
ただ士にもいろいろありまして、ということだな。

152:日本@名無史さん
12/11/17 18:00:48.93
>147
>全く変わらないと思うが。

だったら薩摩藩で町人が金出して郷士になれるのかよ。
薩摩藩というのは日本で一番苛政だったという藩。
武士の百姓町人に対する侮蔑意識はすごかった。百姓町人を侮蔑する意識が
反面薩摩武士の勇敢さやプライドを育てたというようなことを司馬も書いてるよな。
だから百姓や町人が郷士になるなんてありえない。
お前の言ってることは嘘

153:日本@名無史さん
12/11/17 18:01:06.81
坂本龍馬の場合、曽祖父から武士なんだよね。

そして薩摩の場合、郷士の次男以下は農民になってるが。
経済状態が向上しないかぎり無暗に武士は増やせない。実情は土佐と変わらないんだよ。

154:日本@名無史さん
12/11/17 18:09:08.26
>>152
薩摩武士を誤解しているからこのような文が書けるのだろう。
薩摩武士は確かに武道に年中明け暮れていたが、同時に金勘定にもうるさかった。

藩営事業に専売品の選定、大阪や蝦夷地、長崎での俵物買い付けと琉球への出荷、中国やその他諸国との輸出入、
そのためには藩内での専売品育成(砂糖・櫨・煙草など)とそのための農村への締め付けが強かった。

武道を威張って農村を締め付けていたわけではない。根本的に武士が多く、派手に全国的な活動をしていたので金が足りなかったのだ。

155:日本@名無史さん
12/11/17 18:17:59.50
調所笑左衛門の改革をちょっとだけ耳にしたか何かした人だなw
薩摩郷士の特殊性とは関係ないよ
頭のネジ締めろ

156:日本@名無史さん
12/11/17 18:20:39.84
>>152
坂本龍馬は武士じゃない説の人は、司馬遼太郎の食言をそのまま書き込む症候群患者か

157:日本@名無史さん
12/11/17 18:23:07.43
>>155
反論できないんですね。

158:日本@名無史さん
12/11/17 21:48:40.86
坂本龍馬が武士だなんて思ってる人は司馬チルドレンみたいなもんだろ。
「竜馬がゆく」が頭に焼き付いていて、それ以外のイメージを受け付けない司馬フェチだよな。
そういう純朴な人には、司馬の小説ではこうなってると説明してやれば納得できるんじゃないかと
親切心で書いてやったわけだ。
坂本家は武家の生活をしており、竜馬は武士の子弟としての教育を受けている。
乙女姉さんは武芸十八般。だよなw

159:日本@名無史さん
12/11/17 22:21:27.28
>157
反論って何だ?
148で反論とか言ってるが、120や140に反論しろということかな。
こんな半端な知識ふりまわしてる奴にまともに反論する奴いるかな。なんか恥ずかしい。
とりあえず
120で脱藩と考えるしかないと言っている。
140で藩の許可を取らずに藩外に出た藩士には死罪などの厳罰を科すのが原則と書いている。
すると、龍馬には厳罰が科されるんじゃないのか。
志士活動・勝との関係等宥恕すべき事情があり事後的に罰せられなかったとしても、厳罰を科される
ほどの罪であるならば、少なくとも藩外に出たことが藩庁に知れた時点で家族にお咎めがあるはずである。
しかし、そうしたことは全く無かった。

藩士が勝手に藩外に出たら、厳罰を科されるなんて悠長な話じゃないよ。
討手がかかる。主家を裏切って出て行こうとしたら追跡されるのは鎌倉時代からそうだ。
藩を脱走してから又ノコノコ帰ってくるやつもいないだろうしさ。厳罰を科されるはないだろ。
だから藩を抜けるときは家族全員を連れ、一族連れだって逃げる。
ただしそれは歴とした家来の話。
金納郷士なんてどうでもいい。金で買った地位なんだから、どうでもよくなりゃ無かったことにすれば
いいだけの話。おれは郷士だ郷士だ、と言ってるかぎり否定はされないというだけのことだ。
ただ、前に書いたけど、領民は勝手に藩外には出られないんだよ。それが封建時代というもの。
「封建」というのがどういう意味だか調べてみ、よく分かるから。
だから百姓だって町人だって届出と許可が必要。百姓が勝手に他所に行ってしまうことを逃散と言った。
学校で習ったろ。龍馬がやったことはこれと同じようなこと。脱藩じゃなくて無届けの藩外脱出。

160:日本@名無史さん
12/11/17 22:48:10.53
>>157
釣り過ぎ。
もうよくね?

161:日本@名無史さん
12/11/17 23:16:26.63
>>158,159
妄想を語られても、それが? しか返せません。
あなたは、かも、とか、かもしれない、しか語らない。

脱藩という事実を隠したいのは理解しましたが、あなたの話には論理がない。
覆したければ、証拠を持ってくるべきでしょう。

162:日本@名無史さん
12/11/17 23:51:46.67
龍馬は脱藩じゃない厨房の文は、長いだけで論証できない小説だよね。

163:日本@名無史さん
12/11/17 23:55:37.26
>>159
これは酷いw
教科書総動員して書いたみたいだ
幕末には土佐に限らず脱藩浪人など星の数ほどいたんだが
彼等は全員藩の追手から逃げまくっていたのか

どんな制度も時代や地域によって一概には語れない
それを「江戸時代はこう!」と決め付けて書いてる時点で説得力が無い

164:日本@名無史さん
12/11/17 23:57:56.23
>>159
「封建」とか「武士」とかわかりやすい言葉で一律に語ろうとしてる点が
皮肉にもまさに司馬症候群という感じ

165:日本@名無史さん
12/11/18 01:33:09.93
龍馬の場合は勝安房に弟子入り後、土佐藩から留学ということで脱藩ではないことにする、
代わりに一旦帰国するようにと書状が出てますね。(樋口真吉の日記、遣倦録という記録あり。文久三年二月二十六日付)

しかし坂本龍馬は勝安房の海軍学校創設に魅力を感じたのか帰国の意思がなく、
文久三年の暮れには帰国期限を過ぎて、また脱藩状態になってしまいます。

勝安房が土佐藩に、龍馬帰国延期の申し入れをした書簡まで残っているので、これを嘘と主張するのは困難と思われます。
土佐藩は脱藩の罪を帳消にする代わりに、坂本龍馬の一旦帰国を求めていました。

つまり先の龍馬の行為は間違いなく脱藩だったわけなのですが、「脱藩じゃない」さんはこれも誤魔化そうと試みるのでしょうか。

166:日本@名無史さん
12/11/18 01:53:34.10
おそらくここの龍馬は脱藩じゃない厨房さんは、司馬遼太郎症候群の中でも、
「竜馬が行く」ではなく、「王城の守護者」とか「燃えよ剣」で頭がキレちゃった人なんでしょう。

だから史料で確かめられること(龍馬脱藩など)を否定しにかかる。
おいおい、司馬のそれは小説だよ、と言ってあげたい。

167:日本@名無史さん
12/11/18 07:30:47.18
夜の11時過ぎから夜中の2時頃まで書き続けてるのかW
体に悪いぞ

168:日本@名無史さん
12/11/18 08:21:58.49
>165
江戸時代は、極論すれば領民は殿様の持ち物なんだよ。
領民が勝手に領外に出ていて、それを幕府の方であずかっているんだから
勝から土佐藩に挨拶があったり、土佐藩の方からいついつまでに帰って来い
というのは当たり前じゃないか。

>勝安房が土佐藩に、龍馬帰国延期の申し入れをした書簡まで残っているので、これを嘘と主張するのは困難と思われます。
>土佐藩は脱藩の罪を帳消にする代わりに、坂本龍馬の一旦帰国を求めていました。

仰々しく資料らしいものを挙げているが、じゃ、その資料とか書簡には「脱藩」と書いてあるの?

169:日本@名無史さん
12/11/18 09:48:08.15
龍馬は脱藩じゃない説の人は往生際が悪いです。
史料に妄想で挑まれても歴史は小説じゃないし。

170:日本@名無史さん
12/11/18 09:52:51.08
>>168
すぐ上で、藩士以外は誰が出ようが関係ないとあなたは主張していますが?
酷い嘘つきだな。

171:日本@名無史さん
12/11/18 11:01:25.64
結局「脱藩じゃないさん」は何が言いたいのかな?
・単に坂本龍馬が藩士ではないということを言いたいだけ
・藩士でもない坂本に出来ることは限られており
坂本の業績と(特に司馬小説で)されているものは再考が必要
・もしくは、藩とは縁の薄いところで活躍した坂本のバックボーンを見直すべき

どうなんだろう

172:日本@名無史さん
12/11/18 11:33:01.55
157と159は自演だな
それが分からず160が157を応援するつもりで余計なこと書いてる
脱藩はどうでもいいが脱藩派は頭はよくないな

173:日本@名無史さん
12/11/18 11:39:26.79
>>168
既に脱藩扱いしないと二月に書状を送っているのに、
その後の文書で、脱藩という間違いなく当時の犯罪者扱いする語は使わないでしょう。

あなたは文で嘘をつく。

174:日本@名無史さん
12/11/18 11:56:46.01
坂本龍馬ら、当時勝海舟の下にいた土佐藩士に土佐藩が罪を許す代わりに出頭命令を下したのは、
当時の土佐藩内における土佐勤皇党の情勢悪化が関係しています。

具体的に言えば、武市半平太ら土佐勤皇党はこの頃から年末にかけて土佐藩上層部に粛清されちゃったんですね。

坂本龍馬への脱藩を許すという書状も帰国が前提になっており、土佐藩の対応は、松平春嶽や勝海舟の許罪要望は考慮しながらも
帰国した時点で龍馬らは直ちに武市一派として粛清された可能性が高く、勝海舟は彼らを引き止め、龍馬も帰国しませんでした。

年末に期限が迫り、勝海舟は懸命に彼らの帰国延期を申し込んでいます。しかし土佐藩は受け入れず、龍馬らは再び脱藩藩士となります。

175:日本@名無史さん
12/11/18 12:01:04.37
つまり土佐藩は坂本龍馬を、どうでも良い出国してもよい存在とは全くみなしておらず、
龍馬は当時帰国すれば直ちに処刑を覚悟しないといけませんでした。

どこが脱藩じゃないのでしょう。「脱藩じゃない」さんは歴史も知らない。

176:日本@名無史さん
12/11/18 13:14:14.62
土佐に居っぱなしの人も粛正されちゃってるわけで

つまり、もし帰国すれば処刑というのは土佐勤王党だからでしょW

「その資料とか書簡には「脱藩」と書いてあるの?」というい突っ込みには答えられないから
目くらましの理屈を一生懸命考えたんだろうけど、結局こんなことかよ
マジで吹いたぞ

177:日本@名無史さん
12/11/18 13:50:48.37
>>176
書いてあるわけがない。
脱藩では無いことにするとその前に通知しているのだから。

このように、文章で嘘をついていながら他人のせいに仕立てようとする。
追い詰められた結果とはいえ、本性を出したな、この嘘つき、という印象。

坂本龍馬を脱藩でないと主張する人は、このような卑怯者の嘘つきです。

178:日本@名無史さん
12/11/18 13:59:21.71
脱藩じゃないさんの言動遍歴

・坂本龍馬は武士じゃないから出入り自由
→その前の長州行きの際は土佐藩の許可を取ってますが、三月の渡航の際には取ってません

・坂本龍馬を土佐藩が追うのは当然、でも武士じゃない
→前の発言と正反対ですが? しかも郷士は武士です

・薩摩の郷士は武士だが土佐の郷士は武士じゃない
→証明できません、この嘘つき

・脱藩という言葉があるなら見せてみろよ
→脱という言葉ならあります。藩を抜けるから後世で言う「脱藩」ですね

・土佐勤王党は全員粛清でしょ、坂本だけじゃないから坂本は脱藩じゃない
→帰国したら処刑されることを当時の坂本らは覚悟していました、どこが出入り自由なのでしょう?

脱藩じゃないさんの意見は嘘ばかり。

179:日本@名無史さん
12/11/18 14:52:55.84
なんだか、坂本龍馬は武士じゃないから出入り自由と最初に主張してしまった点が大嘘とばれて、
領民なら全員捕まえる対象と言い換えたり、

その後で坂本龍馬の帰国=処刑とされる状況だったと言及されると、土佐勤王党だったから当然と言い換えたり、
言っていることが二転三転する上に嘘が随所に見られる。

脱藩じゃない粘着は、坂本龍馬を脱藩浪士と認めたくないという陰湿な粘着意思があるだけで、言うことに筋が通っていない。

180:日本@名無史さん
12/11/18 15:54:05.22
勝海舟の記した「亡友帖」には1月15日付けで、勝海舟が山内容堂と面会し、坂本らの赦免を願い出た場面が記載されています。
これによると容堂は、「彼等の身事一に君に任ず」、と返答し、この時点で口頭上は坂本龍馬らは脱藩の罪から外れることとなりました。

この赦免は正式には2月25日に下ります。「維新土佐勤王史」によると島村寿之助及び望月清兵を京都に送った上で坂本龍馬を京都に呼び出し、
22日に龍馬が来ると、自首してきたことにしてそのまま3日間謹慎、譴責処分の上で別に藩命(操船学習)を下し、勝海舟の下で留学ということになります。

しかし一方この頃土佐では東洋暗殺の主犯として土佐勤王党が追求されており(主な追求者は後藤象二郎)、
8月18日の禁門の変を追い風に一気に尊王攘夷派粛清が開始されます。
坂本龍馬は藩から帰国を要求されていましたがこのような事情で帰れません。帰ったら処刑です。

神戸の海軍操船所も勝海舟が不穏分子(龍馬など)を匿ったかどで閉鎖となり、龍馬は勝海舟と面識のあった西郷隆盛の元に預けられることになります。
西郷や小松帯刀は、坂本らを西洋船操船術の技術者として自らの商社、亀山社中へ雇い入れます。

181:日本@名無史さん
12/11/18 17:19:49.25
そうか。
脱藩はもう問題なくなっていた。
勤王党粛正の嵐が吹きまくっていたから帰ったら処刑というわけね。
だとしたら175は阿保ということでok

182:日本@名無史さん
12/11/18 17:44:53.68
>>181
全然。龍馬脱藩の半月後には東洋暗殺です。
つまり龍馬脱藩と東洋暗殺はほぼ前後しており、土佐勤皇党への包囲網の一つとして龍馬帰国は仕掛けられていたわけですから。

183:日本@名無史さん
12/11/18 17:48:45.59
いよいよ龍馬は脱藩だったことで間違いないと史料から示唆されてくるのですが、
脱藩じゃないさんは今後、どう嘘をついて誤魔化そうとするのでしょう。

184:日本@名無史さん
12/11/18 18:08:08.73
>いよいよ龍馬は脱藩だったことで間違いないと史料から示唆されてくるのですが

で、その資料には脱藩という言葉は出てくるの?

185:日本@名無史さん
12/11/18 18:15:25.85
>>184
>>178参照のこと。反論も出来ずに同じ質問を重ねるあなたは、もはや荒らしでしかない。

186:日本@名無史さん
12/11/18 22:45:42.84
178に証明できません、嘘つきとか書いてあるけど、歴史学は歴史的事実を証明することだと
思っているのかな。この人は証明という言葉をどういう意味に使っているのだろう。
もしかして、子供のケンカで証拠あんのかよなどと言う、ああいうレベルで証明と言っている
のだろうか。
上の方で、文献と資料(史料)の違いが分かっていないことも明らかだし、概念規定という
イロハを抜きにして議論をしている様子だし。どうにもならんな。

187:日本@名無史さん
12/11/18 23:07:24.31
暴論の上にソースなしの「郷士は武士じゃない」論に、誰も賛成していないだけのこと。

188:日本@名無史さん
12/11/18 23:35:16.04
樋口真吉の遣倦録だの勝海舟の「亡友帖」だの必死こいて並べてるけど、脱藩論議に何の関係もないじゃん。
結局龍馬が帰国しないのは土佐勤王党のメンバーだからという藪蛇の結果を導いてしまっただけで、笑われて
おしまいじゃねーか。
ソースがどうしたこうしたとか聞いて呆れらぁ てのw
お前、ティムポに毛が生えて三年目ぐらいのリアル厨だろ
のろまのお母さんに口とんがらかしてわめくようなことすんな。升かいて寝ろボケ

189:日本@名無史さん
12/11/19 00:08:12.94
ますます脱藩という証拠を固められて泣いてますね。

190:日本@名無史さん
12/11/19 13:23:31.03
189は脱藩の証拠を挙げることができるのか。



  こりゃ見物だな

191:日本@名無史さん
12/11/19 14:36:09.37
往生際が悪い差別武士道だな
既に今挙がっているもので証明は済んでいる
反証がなければ脱藩じゃない説は放棄するしかない

192:日本@名無史さん
12/11/20 00:08:10.31
根本的に、藩と言う言葉は明治政府が藩知事を置いた時にできたものだから、江戸時代の文献に脱藩などと言う言葉が出てくるはずがないのである。
確かに「龍馬は脱藩者と書かれた文献はない」かもしれないが、その論調によれば日本に脱藩した武士はいなかったということになる。

193:日本@名無史さん
12/11/20 06:09:05.19


あ~あ、また「文献」なんて言ってる

江戸時代に脱藩について論じた文献があるのかよw

文献と資料(史料)の違いさえ分かっていない。

お前、もうちょっと自分の知識や能力を考えてみた方がいいよ。
いくら2ちゃんだってスレによっては多少の学力は要求されるんだよ

194:日本@名無史さん
12/11/20 06:50:40.83
もはや話も出来ずに中傷を並べるだけだね、脱藩じゃない厨房は。

195:日本@名無史さん
12/11/20 08:01:55.06
194は中傷なんて言ってないで少しは自省した方がいいと思う。
はずかしいよ君は。

196:192
12/11/20 08:06:20.87 BE:2718984285-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>193
いや、お前、日本語わかってる?
俺の書き込みって「龍馬は脱藩じゃないよ厨」をディスってるんだけど?

197:日本@名無史さん
12/11/20 18:03:07.69
>>195
恥ずかしいのは、自説を嘘っぱちと皆から指摘されている
脱藩じゃない厨房です、

198:日本@名無史さん
12/11/20 18:18:36.97
>>196
だから、193が厨本人。
脱藩という事実が明らかなので、言葉遣いを叩いて逃げようとするだけの状態。

199:日本@名無史さん
12/11/20 18:37:42.00
>191

歴史的事実の「証明」なんて・・・
なんという馬鹿なことを言うんだろう。すごいよ

191は証明は済んでるとか言ってるが、それらしきものは何一つなされていないじゃないか。
証明しろなんて言い出したのはお前だろ。
それなら証明というものをやってみせろよ。どうやってやるのか興味がある。

200:日本@名無史さん
12/11/20 19:05:36.74
脱藩じゃない厨房は反論も抗弁できず相手に粘着か。
反証できないのなら脱藩で確定なんですけど。

201:日本@名無史さん
12/11/20 19:41:53.83
>反証できないのなら脱藩で確定なんですけど

こんどは反証かよ。どこまで馬鹿晒せば気が済むんだW

教えてやってもいいのだが、お前みたいやつのために書くのは面倒だ。
いいのがあったから読んでみろや。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

お前は、歴史上の事実について証拠がありますとか証明がなされたとか簡単にできると
思っているみたいだが、そういうところが子供なんだよ。
証拠があります、ハイ証明されました、なんて具合にいくなら誰も苦労しない。
小学生みたいなこと言ってるんじゃないよ。

202:日本@名無史さん
12/11/20 19:57:25.19
また逃げた。
うそつきの脱藩じゃない厨は議論も出来ず、反証も挙げられないでただ粘着している。

203:日本@名無史さん
12/11/20 20:06:29.06
>>201
今までの議論で、君の坂本龍馬は脱藩でないという話は全て否定されている。
そして脱藩であるという話は十分確証が得られるところまで書かれていると思う。

君は敗北を認めるべきだと思う。

204:日本@名無史さん
12/11/20 21:09:41.00
>>201
あなたの相手にしてるのは、歴史スレで一部で有名な武士道への怨念を燃やす変態粘着女ですよ。
相手にしても何の意味もないですよ。
いつも論破されても勝手に勝利宣言するマジキチです。

205:日本@名無史さん
12/11/20 21:43:30.62
2009年
「小泉に騙された!言ってることはよくわからんが、民主党なら、この閉塞的な社会を打破してくれそう。」

2012年
「民主に騙された!言ってることはよくわからんが、橋下なら、この閉塞的な社会を打破してくそう。」

2016年
「維新に騙された!言ってることはよくわからんが、今度出来る新党なら、~~~」

2020年
「新党に騙された!言ってることはよくわからんが、今度の新・新党なら、~」

以下無限ループ

206:日本@名無史さん
12/11/20 21:58:40.49
他スレの荒らしかい
議論も出来ず荒らしを呼ぶようでは、「龍馬は脱藩じゃない」説はいよいよ嘘の塊と認定されることになる。

207:日本@名無史さん
12/11/22 11:50:28.02
結局、脱藩で決着
論拠なしの粘着(早乙女貢読者?)は迷惑であった

208:日本@名無史さん
12/11/25 07:49:13.24
勝手に勝利宣言馬鹿はまだ生きておったか

209:日本@名無史さん
12/11/25 11:43:24.47
嘘つき粘着が今更来ても無理

210:日本@名無史さん
12/11/25 11:54:34.49
>>209
よぉバブル君。208は俺じゃないぞw
俺はこのスレ書き込みしてないぞw
みんなお前の事覚えてんだよ馬鹿w
相変わらずツラれてんなww

211:日本@名無史さん
12/11/25 16:06:43.43
龍馬は脱藩じゃない武士じゃない論の馬鹿が何か話をしに来たかと思ったら、
別の荒らしか。

212:日本@名無史さん
12/11/25 17:49:11.21
脱藩した志士なんていねえよ。
高杉晋作も桂小五郎も脱藩なんかしていない。

213:日本@名無史さん
12/11/25 18:06:00.85
高杉晋作は時々発作的に他国に行っては藩に無かった事にしてもらっておりましたが。

214:日本@名無史さん
12/11/26 09:14:42.46
釣られてやんのW
メス犬見つけておっ立てたワンコロみたいだな
さっそく反応するなよ
そんなに構ってほしいのか


勝手に勝利宣言馬鹿はやっぱり馬鹿だなW

215:日本@名無史さん
12/11/26 09:27:51.80
                    _____________
                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その無所属は  . |
                    |l -―-               |
                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
                 ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ______|
                  /.::.::./.::.::.::.:j.::.::.:|.:ム;ヘ.::.:ハ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  ,'.::.::.::i.::.::.::.:/|.::.:: l/  `|.::./7
                :.::.::.::j:|.:!.:_:/´|_.::_」   くV <|
                   |:ハ_::_ル'´     /⌒丶 j//V|
               |:::::::::i x==ミ     _ 〈/.:|.::|
               |:::::::::i:'"     ´ ゙̄Y}!.::.l.::|
                 八:::::::圦   、' _   "/_ノ.::,'.::j
             /⌒ヽ::::ト{\   _,.ィ__/.::/l:./
               / 丶∧::| 丶 `ニ´ 彡// :厶|∧
            {/  丶ヘ|     ノ / |:/ (こ ハ
                /       }ヽ、 ∧ /  'x┴〈 }_ゝ、
           /         \∨ ∨  /  ニⅣ }  )

216:日本@名無史さん
12/11/27 07:05:16.40
龍馬どころか、幕末の志士の中で脱藩した奴なんているのか。
例えば高杉晋作は五回も六回も「脱藩」している。
しかし、脱藩とは藩を抜けること、すなわち藩主との主従関係を断ち切ることのはずだ。
会社員に例えれば、会社を辞めることだ。
一度会社を辞めた社員がまた会社に戻り、また辞めを五回も六回も繰り返すなんてことがあるか。
高杉晋作は脱藩して長州藩士でなくなり、長州に戻ってまた長州藩士になり、を何度も繰り返したのか。
高杉晋作は嫁を持ち、高杉家の当主だったはずだが、では脱藩したあと禄はどうなったのか。
家臣であることを辞めれば禄は貰えなくなるはずである。
また、武士の屋敷は社宅のようなものなのだから、脱藩すれば家族は住めなくなるはずである。
しかし、高杉晋作の家族が飢えたという話も、屋敷から出て行ったという話も聞いたことがない。
むしろ逆に「脱藩」が問題になったときは、家が取り潰されるのではないかと心配になり、自分から
のこのこ野山獄に出かけて行って入牢したりしている。
要するに高杉晋作は今日我々が言うような意味での脱藩はしていない。

「脱藩は」明治になってから出来た言葉で、幕末には脱藩浪人などというものは存在しなかった。
国事に奔走すべく郷里から無許可で出て行くことを当時は出奔とか逐電、あるいは国抜けとか言った。
そこには藩領内から外へ抜け出すというニュアンスしかない。
そもそも「藩」という言葉も使われていなかった。長州藩士、土佐藩士などという言葉も使われていなかった。
「脱藩」はあまりにいい加減な言葉である。

217:日本@名無史さん
12/11/27 09:38:59.51
>>216
現在の会社員はあまりにもドライすぎてたとえが悪いよ
たとえば戦前以前の徒弟制度は師を親、弟子を弟や子に例えた強い関係で
弟子が脱走しようが出奔しようが親である師のところに戻ってくることは可能だった
戦前以前の日本人はもっとウェットな関係だったってこと
伯父伯母甥姪いとこ大叔父大叔母といったこんにちでは完全別家計であまり交流のない人たちが
大家族制度で一緒に暮らしてた時代の話
あと、脱藩するのは協力者がいるためで尊王攘夷派の商人たちから軍資金を得たりしていた
海援隊立ち上げ前の龍馬もそうやって生活してる

218:日本@名無史さん
12/11/27 23:04:33.96
>>216
> しかし、脱藩とは藩を抜けること、すなわち藩主との主従関係を断ち切ることのはずだ。

違いますよ。
在郷義務違反のことですよ。
高杉晋作は罰せられるのを恐れていたけど、
死罪になったりお家取り潰しになるとは思わかなっただけの話。

「すなわち~」以下で極論を言っておいて、
それに基づく論理展開にしてるけど、それは詭弁だよ。

219:日本@名無史さん
12/11/28 13:50:50.02
違いますよ。
脱藩とは藩を抜けることなんだから藩士であることを辞めることでしょ。
家臣であることを辞めて自由な身になること。
家臣のままだと自由に行動できないから浪人になる。
明治以降の言葉だけれど、まちがいなくそういうニュアンスで使われていたはず。
脱藩と浪士(浪人)はセットで、脱藩浪士とか脱藩浪人とか使われていた。
でも幕末には実際にはそういう浪人とかはいないんじゃないかという疑問を呈している
わけだな。

高杉晋作は何度も長州に戻っていて身分上の変動はない。浪人になったわけではなく
長州藩士のまま。それなのに何で「脱藩」なんだ、ということだよ。
まあ言葉の意味だけの問題なんだけどね。
218が論理展開とか詭弁とか批判するのはおかしいよ。
全然論理の問題じゃない。
高杉晋作は藩士をやめたわけじゃなく、勝手に藩領を出て行っただけ、という理解は
一致してるわけだ。

220:日本@名無史さん
12/11/28 17:57:55.11
>>219
>脱藩とは藩を抜けることなんだから藩士であることを辞めることでしょ。

この考えがおかしい。当時、政治犯が藩の追及を避けるために藩外に出た場合も脱藩罪が適用されており、
武士が藩の許可なしに藩外に出たなら、それは脱藩となる。

221:日本@名無史さん
12/11/29 07:09:35.48
>脱藩罪が適用されており

脱藩罪???
変なこと言う人だな

222:日本@名無史さん
12/11/29 08:59:57.57
>>220
そこの部分だけ捉えておかしいというのは
普通に間違いでしょ?
部分定義として正しいだろ。

223:日本@名無史さん
12/11/29 09:18:42.92
脱藩とは藩の土地から無断で出ることです。

224:日本@名無史さん
12/11/29 12:44:16.89
単純に無断で出る事だけにはならんとおもうが、そこはケースバイケースでしょ。
藩を抜けて浪人にならなくても脱藩だと?

225:日本@名無史さん
12/11/29 17:30:27.25
吉田松陰の場合は、約束の期日を守るために過書手形を待たずに藩を出ましたが、
現代の用法では、この時点で脱藩と言われていると思います。
そして江戸に戻ってから、士籍剥奪、世禄没収になりました。
これで浪人になるわけですが、放逐されたわけではなくて、
その後、杉百合之助の育扱いになります。
そして十年の諸国遊学願いを出して許されます。
下田で捕まった後も、杉家に預かりになる。またしても放逐されてない。

> 藩主との主従関係を断ち切ることのはず

こういう杓子定規な関係ではありませんね。
いわゆる「武士道」に染まり過ぎでは?

226:日本@名無史さん
12/11/29 19:01:07.00
>>225
お前さぁ、222と224はこのスレの俺の初カキコなんだ?
このスレは2人でやり取りしてるスレなんか?
なんでいきなり武士道にそまり過ぎとか言い出すんだ?
意味わからんのでサイナラ

227:日本@名無史さん
12/11/29 19:06:17.58
225は、222にも224にもアンカーつけてないし、文章も引用してないようだが…

228:日本@名無史さん
12/11/29 19:20:54.62
>>227
じゃあつければ?個人批判するのになんでつけんの?

229:日本@名無史さん
12/11/29 19:22:47.24
ついでに、だから2人でやり取りしてのかって言ってんだバーカ
本当にさいなら

230:日本@名無史さん
12/11/29 21:02:56.44
ようバブル君。どこでも相変わらず人をみれば武士道扱いして叩かれてんなw
ほんと馬鹿だなw

231:日本@名無史さん
12/11/29 21:55:07.28
とつぜんヒステリー起こしたなw

232:日本@名無史さん
12/11/29 22:41:37.14
>>231
バブル君叩いてんのは脱藩論の人と別人ですよww

233:日本@名無史さん
12/11/29 22:52:10.24
病院いけよ。
統合失調症も前駆症状の時に薬飲めば助かるかもしれん。

234:日本@名無史さん
12/11/29 23:00:07.89
>>233
あなた前スレ知らんのね。

235:日本@名無史さん
12/11/30 00:15:56.93
脱藩じゃない説は話自体が成立していないのに、未だに粘着するんだよな

236:日本@名無史さん
12/11/30 07:33:53.06
>>235
あの226と224と228の書き込みは私ですが、ちなみに私は脱藩説ですよ。
脱藩じゃない説の人は多分昨日は書き込みしてないんでは?

237:日本@名無史さん
12/11/30 07:39:29.03
ついでに、私は脱藩説の人じょなく、普通に書き込みしたのにじゃない説の人扱いされたからキレたんだよ。
って230以降は私じゃないよ。

238:日本@名無史さん
12/11/30 09:50:28.99
維新の会は第二民主党+新自由主義の反日政党です(右翼{保守}を装う反日{革命}政党)

維新の公約
最低賃金の廃止(企業は時給1円で雇える←新自由主義の柱・セーフティネット無し)解雇規制緩和(時給1円が嫌なら首に出来る)
相続税100%・遺産全額徴収 消費税11%

橋下は人権擁護法案推進 (解同が作った団体役員に就任) 在日地方参政権賛成
・地方分権推進(在日に地方を乗っ取らせるため)
大口後援者 ・マルハン、電通、博報堂(カジノ利権目当て)・ソフトバンク(電力利権目当て)・パソナ ←在日朝鮮人の会社

・今井豊  (大坂維新の府幹事長)元自治労東大阪役員、元同和利権組織ティグレ生野所長
・井上哲也 (元社会党) 社会党副委員長で同和利権ボスの井上一成の甥
・谷畑孝  (元社会党・外国人参政権賛成) 同和利権組織ティグレの候補 部落解放同盟 ハンナンから支援
・小沢鋭仁 (元民主党・外国人参政権賛成) 小沢一郎支持★ 「脱原発して、韓国から電力の直接輸入を行う」
・松野頼久(元民主党) 小沢系★ 鳩山内閣のブレーン TPP反対(維新はTPP推進w)
・今井雅人 (元民主党・外国人参政権賛成) FX情報会社会長 芸名マット今井
・柳ケ瀬裕文 (元民主党) 東京都都議 「蓮舫」公設第一秘書
・石関貴史 (元民主党) 小沢系★ 習近平の特例会見を擁護 丸刈り白スーツ
・富山泰庸 (元吉本芸人)(株)アベブ(パチンコ店向け人材派遣会社)取締役

在日朝鮮人「我々は合法的に日本を侵略する」「どうせデモの1つもできやしない」
大阪人は頭空っぽだから、ドラマや映画を見る感覚で選挙に行く。
我々は、有権者が幾度と無く騙される事は既にあらゆる詐欺を通して実証済みである

239:日本@名無史さん
12/11/30 17:59:44.38
>>237
> 私は脱藩説の人じょなく、

そこで噛むなよ。どっちか分からんだろw

240:日本@名無史さん
12/11/30 18:12:00.76
w の人は荒らしくんで決定なのだけど

241:日本@名無史さん
12/12/01 14:22:44.98
しさしぶりにかきこ

武士というのは殿様のお側に控えていなけりゃならない。
そうでなければいざという時に役に立てない。
勝手に領地を出て行って好き勝手なことをする自由はない。
だから毛利家の家中(筋目の家臣)である武士が京や江戸で勤王活動し、それでも
罰せられなかったのは異例である。だが、それには特殊な理由がある。
毛利家が反徳川で固まっており、倒幕が藩是であったからだ。
勤王すなわち倒幕である。
若い武士が身命を挺してせっせと徳川を倒す活動をしているのに、それはいけないと
弾圧することは憚られたのだ。
ちょうど今の中国が反日一色で、日本を攻撃したり痛めつける活動なら何でも許される
のと同じである。愛国無罪。長州もこれと同じ。倒幕無罪。
尊皇派の家老がいたりしたのも長州藩の特色。
>216
だから216がウェットな関係だからというのはちょっと違うと思う。
封建体制というのは非情なものだ。差別と脅しの上に成り立っている。
土佐藩の勤王党弾圧みたいなやり方が普通だろう。長州藩は特殊だったのだ。
松陰は長州藩の感覚で政治活動したので、命を失う結果になった。

242:日本@名無史さん
12/12/01 14:24:14.26
吉田松陰の士籍剥奪というのは町人でいえば勘当ということじゃないの。
家人や親戚に迷惑がかからないよう、もううちの一族とは関係ありませんから、と
松陰の一族の方から藩に願い出ること。
これに対して父親の育みにせよ、というのはいわゆる温情判決で、家においても
いいということ。追放処分とかにならずにすんだわけだ。
家禄没収にはなってないだろ。だって松陰の実家はそのままでいられたわけだから。
家族が路頭に迷ったなどという話は聞いたことがない。
そもそも家禄没収なら父親の育みにするなどという処分もありえようがない。

243:日本@名無史さん
12/12/01 16:05:00.51 BE:1019619735-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>242
松陰は実家から吉田家に養子に出て家督を継いでた。
で、吉田家を取り潰された後、実父の育みになったの。

244:日本@名無史さん
12/12/01 16:13:48.93
>>241
江戸屋敷詰めで、殿が江戸にいなければ、お側に控えてないのが当たり前ですけど?

245:日本@名無史さん
12/12/01 23:35:06.74
だから吉田家を取り潰されていれば実家のはぐぐみに戻れるわけないの。
養子が養家を潰したら切腹。責任上生きていられない。
それを避けるために、とりあえず養家との養子関係を無かったことにしとけや、という扱い。
そうすれば類が養家に及ぶことはないから。
さらに十年の遊学を願い出るよう促され、ただちに許可が出ている。
とにかく周囲はほとぼりを冷ますことしか考えていない。
で、結局吉田家の養子のままになったんじゃないの。
なぜなら、吉田家は取り潰されていない。
藩としては松陰が大事というより吉田の家が大事だったんだろう。
「山田流軍学」という「芸」を伝える家だから。
松陰は死罪になるまで吉田寅二郎矩方と名乗っている。



244は下らなすぎる罠

246:日本@名無史さん
12/12/02 00:21:50.61 BE:679746825-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>245
松陰が吉田なのは当たり前。
家禄没収であって吉田の家が潰されたわけではない。
で、育みってのは赤の他人でも受け入れられるんだから、実家に身柄が帰っても、家制度的には吉田家の家長のまま。

だいたい、お前の主張は前半分と後ろ半分で真逆のことを言っとるぞ?

247:日本@名無史さん
12/12/02 00:54:20.82
>家禄没収であって吉田の家が潰されたわけではない

それはおかしいわ

248:日本@名無史さん
12/12/02 00:57:25.51
245の「山田流軍学」は「山鹿流軍学」の打ち間違い。
ここはうるせえからな

249:日本@名無史さん
12/12/02 14:23:32.77 BE:1223542692-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>247
>>245の言い方だと、「家を潰す」のはその家の人間皆殺しとか、苗字名乗るの禁止とかまでいかないと「潰す」じゃないって言いたそうだったので。
まぁ、戦国時代だとそういうケースもあるし。江戸時代でやった例をしらんが。
地味加藤さんとこの子供が家老の家にやろうとして減封食らった時ぐらいか?未遂だけど。

250:日本@名無史さん
12/12/02 23:31:13.15
吉田松陰は自分の信ずるところを敢然と貫く人物であったが、現実にはただの
トラブルメーカーであった。
宮部呈藏らと東北へ旅するにあたり藩の発行する過所手形が間に合わなかったが、
友との約束を重んじあえて手形なしで出発。結果、厳重な処分を受けた。
しかし、過所手形なんぞ旅に出た後で誰かに藩邸に取りに行ってもらい、預かって
もらえばそれでよかったのである。
松陰は友人との信義を貫いた一方、藩の決まりを破ったことについて馬鹿正直に
責めを負おうとした。黙っていれば問題にならないのに自訴したのである。
正面から本人がそう申告してくれば、藩としても処分を下さざるを得ない。
ともかく厳重な処分を下し、あとからおそらく藩の重役が苦慮した結果だろうが、
藩公の特別なはからいで事態は穏便に終息した。
松陰は気が済んだだろうが、周囲は大変な思いをした。
松陰のやったことは、免許証不携帯で東北をドライブしてきた人が、検問にも引っか
からず無事帰ってきてから、警察署へ自首するようなものである。
警察としてはこんな馬鹿に関わり合いになりたくないと思うだろう。しかし、本人が
免許不携帯で運転した事実を申告してきた以上黙って済ませるわけにはいかない。
松陰は後年密航を企てたときも、いくらでも誤魔化せるし、役人も穏便に済ませようと
しているのにあえて密航の意図打ち明けてしまった。その結果、事件に関連して
佐久間象山まで牢に入れられてしまった。老中暗殺計画にしても然り。
自分の行動の周囲への影響を全然考えられない人間なのである。
自分の主義を貫くのはいいが、まったく独りよがりで他人の迷惑を考えない。
岸田秀という心理学者は、こんな身勝手な人間が身近にいたらたまらない、と松陰を
こきおろしている。「ものぎさ精神分析」(中公文庫)

251:日本@名無史さん
12/12/02 23:35:24.97
>>250
ここまでくると完全なスレチだな

252:日本@名無史さん
12/12/03 01:05:12.69
まあ、坂本龍馬の脱藩に難癖をかけてきたら筋が通らないという指摘が多くて
以来、武士道は正義なり商業は行わないなりとか持ち出しては逃げているわけで。


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