■■司馬遼太郎症候群について語るvol.2at HISTORY
■■司馬遼太郎症候群について語るvol.2 - 暇つぶし2ch110:日本@名無史さん
12/11/15 22:03:52.85
>106
加役というのは兼任のことだよ。
補佐のことではない。
何か役職を持っていて(おそらく国元での留守居役)、さらに京都へ出張(?)して
そちらで京都留守居役を兼任したのだろう。

郷士は武士ではない。これは日本全国疑いのない事実ではないか。
郷士が武士だと思っている人がいるとは驚いた。嫌みでなく本当に意外だ。

111:日本@名無史さん
12/11/15 23:23:59.85
>>110
>郷士は武士ではない。これは日本全国疑いのない事実ではないか。
>郷士が武士だと思っている人がいるとは驚いた。嫌みでなく本当に意外だ。

酷い嘘つきもいたものだ。日本を知らないとは。

112:日本@名無史さん
12/11/15 23:47:46.64
wiki
郷士
郷士(ごうし)は、江戸時代の武士階級(士分)の下層に属した人々を指す。

113:日本@名無史さん
12/11/16 00:07:07.64
形式論でいえば士分だろう。「士」が付いてるんだから。
形式論だけで言えば江戸時代の身分は士農工商のみ。でも他にいろいろあったことは知ってるだろ。
それと同じだよ。実際のところは郷士というのはだいたいがお百姓さんだよ。
郷士が刀を二本差しして、武家風の髷を結い、ぶっさき羽織を着て袴を履き、「ござる」とか「左様」とか
話していたと思っているのかw
あと、wikiは何の権威も無い。誰が書いてるのか分からん。専門家とはいえない人が書いてるのが
大部分。論文書くのにwikiから引用する奴なんていないわけよ。wikiなんか引っ張ってきたって駄目。

114:日本@名無史さん
12/11/16 00:08:24.05
上バカだね

115:日本@名無史さん
12/11/16 00:11:19.16
日本史も知らない人間が武士道を標榜すると、このような主張を始めることになる。

悲惨な差別主義者が来たものだ。

116:日本@名無史さん
12/11/16 00:32:58.40
>114
>115

女が「ふん、何よ」ってウジウジ文句たれるみたいなことしてないで
反論してみれボケ

117:日本@名無史さん
12/11/16 00:38:24.14
本来司馬を叩くスレなのだが、司馬の域にも達していない生兵法者「差別武士道」が来襲中。
WIKI未満の馬鹿は>>112で十分。

実際のところ、郷士が兵農分離の際武士の側に属していることを説明しても、
また長文の最後に「・・・・・・で、差別は当然」と脈絡もなく関係ない文を付けて正当化を図るのだから。

118:日本@名無史さん
12/11/16 00:54:06.96
>>116
散々反論されてるのに、理解できないからでしょ。

119:日本@名無史さん
12/11/16 00:54:54.16
ぶっちゃけて言えば
「ここからが武士 ここからは町民」なんて分けられるものじゃないでしょ
郷士(呼び方は様々だが)の身分も藩によって違うし
土佐藩における郷士の境遇を地味に検証していくしか結論は出ないと思う

ただ「ござる」「左様」と言うかどうかなんて果てしなくどうでもいいとは思うけどw
そんなもん地方に行けば上級武士だって使わないし

120:日本@名無史さん
12/11/16 01:03:59.89
坂本龍馬の場合、その直前の長州行きの時には武市から藩へ保障推薦されて藩の許可が出ている。
しかし3月の際は許可を得た形跡がない。

これは、土佐藩内の尊王攘夷派の独立性を守りたかった武市半平太と、長州の尊王攘夷派との完全合併案をまとめてきた坂本龍馬との間に
齟齬があったと考えられており、坂本と武市はその後も接触はあるものの、坂本は武市の傘下に完全に戻ることもなく独自の道を進むこととなる。

一月の時に許可を貰わないと行けない所に、三月に許可を取らずに行った訳で、間違いなく脱藩とするしかないんだよ。
それを違うといってしまったからここまで粘着して誤魔化しを続けているわけで、可哀相な人だと思う。

121:日本@名無史さん
12/11/16 01:31:38.66
その前に、長州の久坂玄瑞による尊王攘夷派一致決起呼びかけがあったわけで、
武市半平太は、土佐勤皇党=土佐藩尊王攘夷派の意思を伝えるために坂本を一月に長州に送った。
坂本の脱藩は三月のこと。一致決起に参加することが目的だった。

自分で交渉をまとめたつもりだったので、破約となった後も自分ひとりでも約束を果たす義務を感じた結果の脱藩だったとされている。

122:日本@名無史さん
12/11/16 07:40:38.20
>120
>121
同じようなことばかり書いてるよな

123:日本@名無史さん
12/11/16 08:10:25.17
>119
確かにそうなんだ。郷士だけでなく、足軽とか同心の意味も藩によって異なる
場合が多い。その藩における、たとえば郷士がどのような地位だったのかは
多くの資料を集め、精密詳細に分析しなければ明確にはならないだろう。
ただ、おおまかなところは分かると思うよ。
社会構造が類似(ほぼ同一?)しており、そのため名称上の差異に過ぎない場合
が多いからだ。君の言うようなことでは単なる不可知論になってしまうよ。

>ただ「ござる」「左様」と言うかどうかなんて果てしなくどうでもいいとは思うけどw
これはただの揚げ足取りじゃないかな。自分でもそう思うだろ。
地方で言い方が違うのは当たり前だ。たとえば薩摩でそんな言葉を使うわけがない。
地方でどうのこうのといったら、枚挙的に日本中の方言を並べなければならなくなる。
「ござる」「左様」というのは、いわゆる武家言葉を使っていたのかということだ。
武士は百姓・町人とは明らかに違う言葉を使っていた。
女性の場合は発声まで違っていた。いわゆる「地声」でしゃべることははしたないと
され、高い声で話していたのだ。

郷士がその藩における武家言葉を使っていたかどうか、それを問うたわけだよ。
>40
みたいに
「だから、郷士となった坂本家は武士としての生活をしていたし、
父親も兄も商売はしていない。」

こんな風に考えてるわけか?

124:日本@名無史さん
12/11/16 09:31:04.79
>>123
いや少なくとも幕末になれば武士階級の境目も曖昧だったということ
そうなれば武家言葉を郷士が使う「秩序の乱れ」もあったでしょう
土佐藩がどうだったかまでは俺は知らない
ただあなたの言うことは江戸時代の一般論であって
それをもって坂本龍馬が商人階級であり
「脱藩」など有り得ないと断ずるのは言いすぎではないかということ
土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

125:日本@名無史さん
12/11/16 11:31:12.72
ちょっとすいませんがそんな一時文献あるのですか。
例えばどんなもの

126:日本@名無史さん
12/11/16 11:31:53.49
×一時
○一次


127:日本@名無史さん
12/11/16 12:36:03.72
>>123
意味もなく、脱藩という証拠へはかたくなに言及を避ける、あなたの姿勢が異常だ。

128:日本@名無史さん
12/11/16 13:13:59.49
>>123
もともと土豪や庄屋みたいな階級の人らは江戸時代になって身分制度を決める際
武士に入るのか農民に入るのか微妙だったんだよね
殿様へ献上品贈ったり士分の位を買ったりして武士に名を連ねる
ただし、同じ土地に住む農民と武士で言葉づかいまで違っていたかは何か証明ができる?
江戸時代には町人の娘でも将軍や大名の側室になれたんだ、ましてや
上流農家と下級武士で言葉づかいが違っていたとも思えんが

129:日本@名無史さん
12/11/16 13:28:03.32
>124
>幕末になれば武士階級の境目も曖昧だったということ

相対論で逃げ道を作っておき

>土佐藩がどうだったかまでは俺は知らない

と自分の立場は明確にせず

>土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

こう書いておけば反論を立てられまいと防衛の手段まで講じ

臆病な男だな。2ちゃんなんだから書きたいこと書きゃいい。へっぴり腰でなにやってんだか。
お前、包茎だろW

130:日本@名無史さん
12/11/16 14:51:25.87
大阪維新の会 大口後援者にマルハン(密入国)、ソフトバンク(帰化)、パソナ(竹中平蔵会長)
スレリンク(news板)
【政治】『大阪維新の会』の"大口後援者"にマルハン、ソフトバンク、パソナ [08/27]
スレリンク(bizplus板)


また騙されるのかB 層。学習しろ

131:日本@名無史さん
12/11/16 15:00:14.32
>>129
>>120を直視できないから、悪態をついて済ませようとする。
坂本龍馬が脱藩ということをそこまでして隠そうとする理由がわからない。

132:日本@名無史さん
12/11/17 01:22:21.53
>>129
急にキャラが変わったなw 別人かな
ともかく通説では坂本は土佐藩に属していたというものなんだから
それを覆すなら一次資料を当たるぐらいは当然するべきだと思う

133:日本@名無史さん
12/11/17 07:33:10.85
だからどういう一次資料なんだよ
そういう一次資料が本当にあるのか
お前が想像してるだけのことなのか
お前が当たれと言ってる資料はどこのどういう資料なんだ

きちんと答えろよ

134:日本@名無史さん
12/11/17 07:47:02.70
あ、それから124は「一次文献」、132は「一次資料」と言っている。

文献を調べろと言ってるの?
資料を調べるの?
意味分かって言ってるのかなぁ、、、
中学生かな。書いてるのは。厨房とか2ちゃん的な意味ではなく
リアル中学生、、、、

135:日本@名無史さん
12/11/17 08:12:37.14
>124
>「脱藩」など有り得ないと断ずるのは言いすぎではないかということ
>土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか一次文献まで調べたんですか?

「土佐藩が坂本をどう呼んでいるとか」というのはどういう意味ですか?
名前をどう呼んでいるかということなの
それとも坂本の行動を脱藩と言っているかということ?

136:日本@名無史さん
12/11/17 11:52:35.06
郷士の竜馬が武士であるかどうか、
それが脱藩かどうかなんて、もうどうでもいいよ。
別の話題はないの?

137:日本@名無史さん
12/11/17 12:49:01.69
お前が出せばいいじゃん

138:日本@名無史さん
12/11/17 14:32:49.36
>>120
を覆す説が出ないので、坂本龍馬は脱藩とするしかない。
司馬以前の問題だよ。

139:日本@名無史さん
12/11/17 14:59:37.34
返事がないので書こう。
一次文献だの一次資料だの馬鹿じゃねえの

「脱藩」って言葉は明治以降に作られた言葉なんだよ

維新に命をかけていた志士の時代には「維新」という言葉はなかったのと同じ
明治新政府なって後その革命が維新と呼ばれるようになった。

明治になってから脱藩、脱藩と言い出した。
こんな変な言葉誰が作ったんだと言いたい。
「脱藩浪人」というような言葉が先に作られたんだろうな。勤王の志を持って京へ出てきた浪士のことを
指す言葉だったんだろう。小説あるいは講談が出所かもな。
ただ、「藩を脱する」という以上は藩士でなければならないはずで、殿様の家臣でないのに脱藩なんて
使うのはどうかしてる。司馬はおかしい。そういうのに影響されて龍馬が脱藩して、、なんて言ってる連中は
まさに「症候群」ではないか、と。そういう趣旨で書き込みしただけだ。

140:日本@名無史さん
12/11/17 15:17:59.62
間違いを公言し始めたら精神異常を疑うべき。
脱藩という単語は使わずとも、実際は藩の許可を取らずに藩外に出た藩士には死罪などの厳罰を科すのが原則であった。
そして、幕末の京都の花柳では尊皇攘夷派と付き合うのが粋とされ、
「脱一つもできない奴は駄目」と評判となった。

国を思う脱藩者が粋とされていた。

141:日本@名無史さん
12/11/17 15:51:15.82
>>139
郷士は武士であり藩士の中に入ります。
気に入らないからといって、史実の部分まで否定しては却っておかしい。

142:日本@名無史さん
12/11/17 16:27:11.81
藩士を昔は「家中」といいました。
郷士は家中ではありません。
家中と郷士は対置される概念です。
郷士は藩士ではありません。

143:日本@名無史さん
12/11/17 16:34:05.17
>>142
いいえ。郷士も藩士の中に入ります。
例えば薩摩の場合、郷士は城下町にいないというだけで法的な違いは全くありません。

144:日本@名無史さん
12/11/17 16:49:04.06
>>12ですが、私の書き込みに対して>>14さんが受け、
そこから竜馬の郷士&脱藩論がいっきに燎原の火のように広まりました。
面白いですね。

145:日本@名無史さん
12/11/17 17:22:00.85
薩摩藩の場合は特別で郷士は読んで字の如く、在郷の武士で上士です。
しかし、通常郷士と言う曖昧な存在は、藩の扱いやその家の出自によって違うはずです。
近世初頭身分を失い在地農民化した武士は、豪農などな場合は
いろいろな面で元武士の由緒を伝えおり、藩もまた庄屋にしたり、
苗字帯刀を許して郷士格を与えたりして、農村管理の末端に取り込んで行ったのでしょう。
そうして時代が下がるに従い、封建支配の弱体化のため金納郷士などが現れ、
郷士の種類が多様化し、益々その身分が曖昧になっていったのでしょう。
だから、一口に郷士と言っても薩摩藩と土佐藩や各藩によっても違うし、
郷士の出自によっても違うし、フラットに武士か武士でないかと論じられないと思います。

146:日本@名無史さん
12/11/17 17:22:40.36
>143
薩摩藩には郷(ごう)という軍団制度があった。
領内の各所に郷を単位に武士をすまわせ、戦時にはそのまま軍団になる。
中村半次郎で有名な吉野郷、島津最強を謳われた出水郷士のいた出水郷など。
郷に属する武士を郷士といった。
これに対して城下に住む武士が城下士(しろかち)。この関係で郷士は外下士とも呼ばれた。
あとは司馬読者なんだから知ってるだろ。
城下士と郷士の間には本来上下はない。それが長い間に田舎に住んでいるいう理由で
城下士から馬鹿にされ、下に見られるようになったと。
薩摩藩の郷士は武士だよ。薩摩藩は特別。
他藩はこれとは違います。
だって考えりゃ分かるだろ。
薩摩藩で町人が金を納めて郷士になるなんてこと考えられるか?

147:日本@名無史さん
12/11/17 17:37:45.27
全く変わらないと思うが。
土佐藩の場合も士分の中に入っていた。

148:日本@名無史さん
12/11/17 17:39:43.40
色々書いているが、郷士は武士じゃないといっている人は
>>120>>140に反論できないんだよね。

149:日本@名無史さん
12/11/17 17:44:58.56
>>148
変なチャチャ入れんな。
今いい流れで差別派が叩いてるから。

150:日本@名無史さん
12/11/17 17:46:10.88
差別派が叩かれてる
の間違い。上ね。

151:日本@名無史さん
12/11/17 17:55:28.52
>147
「士」がつくんだから士だろ。そりゃ
形式的には士になるんじゃなければ金出さないだろ。
大金出して身分は百姓のまま、町人のままなら誰が金出すんだ。
ただ士にもいろいろありまして、ということだな。

152:日本@名無史さん
12/11/17 18:00:48.93
>147
>全く変わらないと思うが。

だったら薩摩藩で町人が金出して郷士になれるのかよ。
薩摩藩というのは日本で一番苛政だったという藩。
武士の百姓町人に対する侮蔑意識はすごかった。百姓町人を侮蔑する意識が
反面薩摩武士の勇敢さやプライドを育てたというようなことを司馬も書いてるよな。
だから百姓や町人が郷士になるなんてありえない。
お前の言ってることは嘘

153:日本@名無史さん
12/11/17 18:01:06.81
坂本龍馬の場合、曽祖父から武士なんだよね。

そして薩摩の場合、郷士の次男以下は農民になってるが。
経済状態が向上しないかぎり無暗に武士は増やせない。実情は土佐と変わらないんだよ。

154:日本@名無史さん
12/11/17 18:09:08.26
>>152
薩摩武士を誤解しているからこのような文が書けるのだろう。
薩摩武士は確かに武道に年中明け暮れていたが、同時に金勘定にもうるさかった。

藩営事業に専売品の選定、大阪や蝦夷地、長崎での俵物買い付けと琉球への出荷、中国やその他諸国との輸出入、
そのためには藩内での専売品育成(砂糖・櫨・煙草など)とそのための農村への締め付けが強かった。

武道を威張って農村を締め付けていたわけではない。根本的に武士が多く、派手に全国的な活動をしていたので金が足りなかったのだ。

155:日本@名無史さん
12/11/17 18:17:59.50
調所笑左衛門の改革をちょっとだけ耳にしたか何かした人だなw
薩摩郷士の特殊性とは関係ないよ
頭のネジ締めろ

156:日本@名無史さん
12/11/17 18:20:39.84
>>152
坂本龍馬は武士じゃない説の人は、司馬遼太郎の食言をそのまま書き込む症候群患者か

157:日本@名無史さん
12/11/17 18:23:07.43
>>155
反論できないんですね。

158:日本@名無史さん
12/11/17 21:48:40.86
坂本龍馬が武士だなんて思ってる人は司馬チルドレンみたいなもんだろ。
「竜馬がゆく」が頭に焼き付いていて、それ以外のイメージを受け付けない司馬フェチだよな。
そういう純朴な人には、司馬の小説ではこうなってると説明してやれば納得できるんじゃないかと
親切心で書いてやったわけだ。
坂本家は武家の生活をしており、竜馬は武士の子弟としての教育を受けている。
乙女姉さんは武芸十八般。だよなw

159:日本@名無史さん
12/11/17 22:21:27.28
>157
反論って何だ?
148で反論とか言ってるが、120や140に反論しろということかな。
こんな半端な知識ふりまわしてる奴にまともに反論する奴いるかな。なんか恥ずかしい。
とりあえず
120で脱藩と考えるしかないと言っている。
140で藩の許可を取らずに藩外に出た藩士には死罪などの厳罰を科すのが原則と書いている。
すると、龍馬には厳罰が科されるんじゃないのか。
志士活動・勝との関係等宥恕すべき事情があり事後的に罰せられなかったとしても、厳罰を科される
ほどの罪であるならば、少なくとも藩外に出たことが藩庁に知れた時点で家族にお咎めがあるはずである。
しかし、そうしたことは全く無かった。

藩士が勝手に藩外に出たら、厳罰を科されるなんて悠長な話じゃないよ。
討手がかかる。主家を裏切って出て行こうとしたら追跡されるのは鎌倉時代からそうだ。
藩を脱走してから又ノコノコ帰ってくるやつもいないだろうしさ。厳罰を科されるはないだろ。
だから藩を抜けるときは家族全員を連れ、一族連れだって逃げる。
ただしそれは歴とした家来の話。
金納郷士なんてどうでもいい。金で買った地位なんだから、どうでもよくなりゃ無かったことにすれば
いいだけの話。おれは郷士だ郷士だ、と言ってるかぎり否定はされないというだけのことだ。
ただ、前に書いたけど、領民は勝手に藩外には出られないんだよ。それが封建時代というもの。
「封建」というのがどういう意味だか調べてみ、よく分かるから。
だから百姓だって町人だって届出と許可が必要。百姓が勝手に他所に行ってしまうことを逃散と言った。
学校で習ったろ。龍馬がやったことはこれと同じようなこと。脱藩じゃなくて無届けの藩外脱出。

160:日本@名無史さん
12/11/17 22:48:10.53
>>157
釣り過ぎ。
もうよくね?

161:日本@名無史さん
12/11/17 23:16:26.63
>>158,159
妄想を語られても、それが? しか返せません。
あなたは、かも、とか、かもしれない、しか語らない。

脱藩という事実を隠したいのは理解しましたが、あなたの話には論理がない。
覆したければ、証拠を持ってくるべきでしょう。

162:日本@名無史さん
12/11/17 23:51:46.67
龍馬は脱藩じゃない厨房の文は、長いだけで論証できない小説だよね。

163:日本@名無史さん
12/11/17 23:55:37.26
>>159
これは酷いw
教科書総動員して書いたみたいだ
幕末には土佐に限らず脱藩浪人など星の数ほどいたんだが
彼等は全員藩の追手から逃げまくっていたのか

どんな制度も時代や地域によって一概には語れない
それを「江戸時代はこう!」と決め付けて書いてる時点で説得力が無い

164:日本@名無史さん
12/11/17 23:57:56.23
>>159
「封建」とか「武士」とかわかりやすい言葉で一律に語ろうとしてる点が
皮肉にもまさに司馬症候群という感じ

165:日本@名無史さん
12/11/18 01:33:09.93
龍馬の場合は勝安房に弟子入り後、土佐藩から留学ということで脱藩ではないことにする、
代わりに一旦帰国するようにと書状が出てますね。(樋口真吉の日記、遣倦録という記録あり。文久三年二月二十六日付)

しかし坂本龍馬は勝安房の海軍学校創設に魅力を感じたのか帰国の意思がなく、
文久三年の暮れには帰国期限を過ぎて、また脱藩状態になってしまいます。

勝安房が土佐藩に、龍馬帰国延期の申し入れをした書簡まで残っているので、これを嘘と主張するのは困難と思われます。
土佐藩は脱藩の罪を帳消にする代わりに、坂本龍馬の一旦帰国を求めていました。

つまり先の龍馬の行為は間違いなく脱藩だったわけなのですが、「脱藩じゃない」さんはこれも誤魔化そうと試みるのでしょうか。

166:日本@名無史さん
12/11/18 01:53:34.10
おそらくここの龍馬は脱藩じゃない厨房さんは、司馬遼太郎症候群の中でも、
「竜馬が行く」ではなく、「王城の守護者」とか「燃えよ剣」で頭がキレちゃった人なんでしょう。

だから史料で確かめられること(龍馬脱藩など)を否定しにかかる。
おいおい、司馬のそれは小説だよ、と言ってあげたい。

167:日本@名無史さん
12/11/18 07:30:47.18
夜の11時過ぎから夜中の2時頃まで書き続けてるのかW
体に悪いぞ

168:日本@名無史さん
12/11/18 08:21:58.49
>165
江戸時代は、極論すれば領民は殿様の持ち物なんだよ。
領民が勝手に領外に出ていて、それを幕府の方であずかっているんだから
勝から土佐藩に挨拶があったり、土佐藩の方からいついつまでに帰って来い
というのは当たり前じゃないか。

>勝安房が土佐藩に、龍馬帰国延期の申し入れをした書簡まで残っているので、これを嘘と主張するのは困難と思われます。
>土佐藩は脱藩の罪を帳消にする代わりに、坂本龍馬の一旦帰国を求めていました。

仰々しく資料らしいものを挙げているが、じゃ、その資料とか書簡には「脱藩」と書いてあるの?

169:日本@名無史さん
12/11/18 09:48:08.15
龍馬は脱藩じゃない説の人は往生際が悪いです。
史料に妄想で挑まれても歴史は小説じゃないし。

170:日本@名無史さん
12/11/18 09:52:51.08
>>168
すぐ上で、藩士以外は誰が出ようが関係ないとあなたは主張していますが?
酷い嘘つきだな。

171:日本@名無史さん
12/11/18 11:01:25.64
結局「脱藩じゃないさん」は何が言いたいのかな?
・単に坂本龍馬が藩士ではないということを言いたいだけ
・藩士でもない坂本に出来ることは限られており
坂本の業績と(特に司馬小説で)されているものは再考が必要
・もしくは、藩とは縁の薄いところで活躍した坂本のバックボーンを見直すべき

どうなんだろう

172:日本@名無史さん
12/11/18 11:33:01.55
157と159は自演だな
それが分からず160が157を応援するつもりで余計なこと書いてる
脱藩はどうでもいいが脱藩派は頭はよくないな

173:日本@名無史さん
12/11/18 11:39:26.79
>>168
既に脱藩扱いしないと二月に書状を送っているのに、
その後の文書で、脱藩という間違いなく当時の犯罪者扱いする語は使わないでしょう。

あなたは文で嘘をつく。

174:日本@名無史さん
12/11/18 11:56:46.01
坂本龍馬ら、当時勝海舟の下にいた土佐藩士に土佐藩が罪を許す代わりに出頭命令を下したのは、
当時の土佐藩内における土佐勤皇党の情勢悪化が関係しています。

具体的に言えば、武市半平太ら土佐勤皇党はこの頃から年末にかけて土佐藩上層部に粛清されちゃったんですね。

坂本龍馬への脱藩を許すという書状も帰国が前提になっており、土佐藩の対応は、松平春嶽や勝海舟の許罪要望は考慮しながらも
帰国した時点で龍馬らは直ちに武市一派として粛清された可能性が高く、勝海舟は彼らを引き止め、龍馬も帰国しませんでした。

年末に期限が迫り、勝海舟は懸命に彼らの帰国延期を申し込んでいます。しかし土佐藩は受け入れず、龍馬らは再び脱藩藩士となります。

175:日本@名無史さん
12/11/18 12:01:04.37
つまり土佐藩は坂本龍馬を、どうでも良い出国してもよい存在とは全くみなしておらず、
龍馬は当時帰国すれば直ちに処刑を覚悟しないといけませんでした。

どこが脱藩じゃないのでしょう。「脱藩じゃない」さんは歴史も知らない。

176:日本@名無史さん
12/11/18 13:14:14.62
土佐に居っぱなしの人も粛正されちゃってるわけで

つまり、もし帰国すれば処刑というのは土佐勤王党だからでしょW

「その資料とか書簡には「脱藩」と書いてあるの?」というい突っ込みには答えられないから
目くらましの理屈を一生懸命考えたんだろうけど、結局こんなことかよ
マジで吹いたぞ

177:日本@名無史さん
12/11/18 13:50:48.37
>>176
書いてあるわけがない。
脱藩では無いことにするとその前に通知しているのだから。

このように、文章で嘘をついていながら他人のせいに仕立てようとする。
追い詰められた結果とはいえ、本性を出したな、この嘘つき、という印象。

坂本龍馬を脱藩でないと主張する人は、このような卑怯者の嘘つきです。

178:日本@名無史さん
12/11/18 13:59:21.71
脱藩じゃないさんの言動遍歴

・坂本龍馬は武士じゃないから出入り自由
→その前の長州行きの際は土佐藩の許可を取ってますが、三月の渡航の際には取ってません

・坂本龍馬を土佐藩が追うのは当然、でも武士じゃない
→前の発言と正反対ですが? しかも郷士は武士です

・薩摩の郷士は武士だが土佐の郷士は武士じゃない
→証明できません、この嘘つき

・脱藩という言葉があるなら見せてみろよ
→脱という言葉ならあります。藩を抜けるから後世で言う「脱藩」ですね

・土佐勤王党は全員粛清でしょ、坂本だけじゃないから坂本は脱藩じゃない
→帰国したら処刑されることを当時の坂本らは覚悟していました、どこが出入り自由なのでしょう?

脱藩じゃないさんの意見は嘘ばかり。

179:日本@名無史さん
12/11/18 14:52:55.84
なんだか、坂本龍馬は武士じゃないから出入り自由と最初に主張してしまった点が大嘘とばれて、
領民なら全員捕まえる対象と言い換えたり、

その後で坂本龍馬の帰国=処刑とされる状況だったと言及されると、土佐勤王党だったから当然と言い換えたり、
言っていることが二転三転する上に嘘が随所に見られる。

脱藩じゃない粘着は、坂本龍馬を脱藩浪士と認めたくないという陰湿な粘着意思があるだけで、言うことに筋が通っていない。

180:日本@名無史さん
12/11/18 15:54:05.22
勝海舟の記した「亡友帖」には1月15日付けで、勝海舟が山内容堂と面会し、坂本らの赦免を願い出た場面が記載されています。
これによると容堂は、「彼等の身事一に君に任ず」、と返答し、この時点で口頭上は坂本龍馬らは脱藩の罪から外れることとなりました。

この赦免は正式には2月25日に下ります。「維新土佐勤王史」によると島村寿之助及び望月清兵を京都に送った上で坂本龍馬を京都に呼び出し、
22日に龍馬が来ると、自首してきたことにしてそのまま3日間謹慎、譴責処分の上で別に藩命(操船学習)を下し、勝海舟の下で留学ということになります。

しかし一方この頃土佐では東洋暗殺の主犯として土佐勤王党が追求されており(主な追求者は後藤象二郎)、
8月18日の禁門の変を追い風に一気に尊王攘夷派粛清が開始されます。
坂本龍馬は藩から帰国を要求されていましたがこのような事情で帰れません。帰ったら処刑です。

神戸の海軍操船所も勝海舟が不穏分子(龍馬など)を匿ったかどで閉鎖となり、龍馬は勝海舟と面識のあった西郷隆盛の元に預けられることになります。
西郷や小松帯刀は、坂本らを西洋船操船術の技術者として自らの商社、亀山社中へ雇い入れます。

181:日本@名無史さん
12/11/18 17:19:49.25
そうか。
脱藩はもう問題なくなっていた。
勤王党粛正の嵐が吹きまくっていたから帰ったら処刑というわけね。
だとしたら175は阿保ということでok

182:日本@名無史さん
12/11/18 17:44:53.68
>>181
全然。龍馬脱藩の半月後には東洋暗殺です。
つまり龍馬脱藩と東洋暗殺はほぼ前後しており、土佐勤皇党への包囲網の一つとして龍馬帰国は仕掛けられていたわけですから。

183:日本@名無史さん
12/11/18 17:48:45.59
いよいよ龍馬は脱藩だったことで間違いないと史料から示唆されてくるのですが、
脱藩じゃないさんは今後、どう嘘をついて誤魔化そうとするのでしょう。

184:日本@名無史さん
12/11/18 18:08:08.73
>いよいよ龍馬は脱藩だったことで間違いないと史料から示唆されてくるのですが

で、その資料には脱藩という言葉は出てくるの?

185:日本@名無史さん
12/11/18 18:15:25.85
>>184
>>178参照のこと。反論も出来ずに同じ質問を重ねるあなたは、もはや荒らしでしかない。

186:日本@名無史さん
12/11/18 22:45:42.84
178に証明できません、嘘つきとか書いてあるけど、歴史学は歴史的事実を証明することだと
思っているのかな。この人は証明という言葉をどういう意味に使っているのだろう。
もしかして、子供のケンカで証拠あんのかよなどと言う、ああいうレベルで証明と言っている
のだろうか。
上の方で、文献と資料(史料)の違いが分かっていないことも明らかだし、概念規定という
イロハを抜きにして議論をしている様子だし。どうにもならんな。

187:日本@名無史さん
12/11/18 23:07:24.31
暴論の上にソースなしの「郷士は武士じゃない」論に、誰も賛成していないだけのこと。

188:日本@名無史さん
12/11/18 23:35:16.04
樋口真吉の遣倦録だの勝海舟の「亡友帖」だの必死こいて並べてるけど、脱藩論議に何の関係もないじゃん。
結局龍馬が帰国しないのは土佐勤王党のメンバーだからという藪蛇の結果を導いてしまっただけで、笑われて
おしまいじゃねーか。
ソースがどうしたこうしたとか聞いて呆れらぁ てのw
お前、ティムポに毛が生えて三年目ぐらいのリアル厨だろ
のろまのお母さんに口とんがらかしてわめくようなことすんな。升かいて寝ろボケ

189:日本@名無史さん
12/11/19 00:08:12.94
ますます脱藩という証拠を固められて泣いてますね。

190:日本@名無史さん
12/11/19 13:23:31.03
189は脱藩の証拠を挙げることができるのか。



  こりゃ見物だな

191:日本@名無史さん
12/11/19 14:36:09.37
往生際が悪い差別武士道だな
既に今挙がっているもので証明は済んでいる
反証がなければ脱藩じゃない説は放棄するしかない

192:日本@名無史さん
12/11/20 00:08:10.31
根本的に、藩と言う言葉は明治政府が藩知事を置いた時にできたものだから、江戸時代の文献に脱藩などと言う言葉が出てくるはずがないのである。
確かに「龍馬は脱藩者と書かれた文献はない」かもしれないが、その論調によれば日本に脱藩した武士はいなかったということになる。

193:日本@名無史さん
12/11/20 06:09:05.19


あ~あ、また「文献」なんて言ってる

江戸時代に脱藩について論じた文献があるのかよw

文献と資料(史料)の違いさえ分かっていない。

お前、もうちょっと自分の知識や能力を考えてみた方がいいよ。
いくら2ちゃんだってスレによっては多少の学力は要求されるんだよ

194:日本@名無史さん
12/11/20 06:50:40.83
もはや話も出来ずに中傷を並べるだけだね、脱藩じゃない厨房は。

195:日本@名無史さん
12/11/20 08:01:55.06
194は中傷なんて言ってないで少しは自省した方がいいと思う。
はずかしいよ君は。

196:192
12/11/20 08:06:20.87 BE:2718984285-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>193
いや、お前、日本語わかってる?
俺の書き込みって「龍馬は脱藩じゃないよ厨」をディスってるんだけど?

197:日本@名無史さん
12/11/20 18:03:07.69
>>195
恥ずかしいのは、自説を嘘っぱちと皆から指摘されている
脱藩じゃない厨房です、

198:日本@名無史さん
12/11/20 18:18:36.97
>>196
だから、193が厨本人。
脱藩という事実が明らかなので、言葉遣いを叩いて逃げようとするだけの状態。

199:日本@名無史さん
12/11/20 18:37:42.00
>191

歴史的事実の「証明」なんて・・・
なんという馬鹿なことを言うんだろう。すごいよ

191は証明は済んでるとか言ってるが、それらしきものは何一つなされていないじゃないか。
証明しろなんて言い出したのはお前だろ。
それなら証明というものをやってみせろよ。どうやってやるのか興味がある。

200:日本@名無史さん
12/11/20 19:05:36.74
脱藩じゃない厨房は反論も抗弁できず相手に粘着か。
反証できないのなら脱藩で確定なんですけど。

201:日本@名無史さん
12/11/20 19:41:53.83
>反証できないのなら脱藩で確定なんですけど

こんどは反証かよ。どこまで馬鹿晒せば気が済むんだW

教えてやってもいいのだが、お前みたいやつのために書くのは面倒だ。
いいのがあったから読んでみろや。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

お前は、歴史上の事実について証拠がありますとか証明がなされたとか簡単にできると
思っているみたいだが、そういうところが子供なんだよ。
証拠があります、ハイ証明されました、なんて具合にいくなら誰も苦労しない。
小学生みたいなこと言ってるんじゃないよ。

202:日本@名無史さん
12/11/20 19:57:25.19
また逃げた。
うそつきの脱藩じゃない厨は議論も出来ず、反証も挙げられないでただ粘着している。

203:日本@名無史さん
12/11/20 20:06:29.06
>>201
今までの議論で、君の坂本龍馬は脱藩でないという話は全て否定されている。
そして脱藩であるという話は十分確証が得られるところまで書かれていると思う。

君は敗北を認めるべきだと思う。

204:日本@名無史さん
12/11/20 21:09:41.00
>>201
あなたの相手にしてるのは、歴史スレで一部で有名な武士道への怨念を燃やす変態粘着女ですよ。
相手にしても何の意味もないですよ。
いつも論破されても勝手に勝利宣言するマジキチです。

205:日本@名無史さん
12/11/20 21:43:30.62
2009年
「小泉に騙された!言ってることはよくわからんが、民主党なら、この閉塞的な社会を打破してくれそう。」

2012年
「民主に騙された!言ってることはよくわからんが、橋下なら、この閉塞的な社会を打破してくそう。」

2016年
「維新に騙された!言ってることはよくわからんが、今度出来る新党なら、~~~」

2020年
「新党に騙された!言ってることはよくわからんが、今度の新・新党なら、~」

以下無限ループ

206:日本@名無史さん
12/11/20 21:58:40.49
他スレの荒らしかい
議論も出来ず荒らしを呼ぶようでは、「龍馬は脱藩じゃない」説はいよいよ嘘の塊と認定されることになる。

207:日本@名無史さん
12/11/22 11:50:28.02
結局、脱藩で決着
論拠なしの粘着(早乙女貢読者?)は迷惑であった

208:日本@名無史さん
12/11/25 07:49:13.24
勝手に勝利宣言馬鹿はまだ生きておったか

209:日本@名無史さん
12/11/25 11:43:24.47
嘘つき粘着が今更来ても無理

210:日本@名無史さん
12/11/25 11:54:34.49
>>209
よぉバブル君。208は俺じゃないぞw
俺はこのスレ書き込みしてないぞw
みんなお前の事覚えてんだよ馬鹿w
相変わらずツラれてんなww

211:日本@名無史さん
12/11/25 16:06:43.43
龍馬は脱藩じゃない武士じゃない論の馬鹿が何か話をしに来たかと思ったら、
別の荒らしか。

212:日本@名無史さん
12/11/25 17:49:11.21
脱藩した志士なんていねえよ。
高杉晋作も桂小五郎も脱藩なんかしていない。

213:日本@名無史さん
12/11/25 18:06:00.85
高杉晋作は時々発作的に他国に行っては藩に無かった事にしてもらっておりましたが。

214:日本@名無史さん
12/11/26 09:14:42.46
釣られてやんのW
メス犬見つけておっ立てたワンコロみたいだな
さっそく反応するなよ
そんなに構ってほしいのか


勝手に勝利宣言馬鹿はやっぱり馬鹿だなW

215:日本@名無史さん
12/11/26 09:27:51.80
                    _____________
                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その無所属は  . |
                    |l -―-               |
                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
                 ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ______|
                  /.::.::./.::.::.::.:j.::.::.:|.:ム;ヘ.::.:ハ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  ,'.::.::.::i.::.::.::.:/|.::.:: l/  `|.::./7
                :.::.::.::j:|.:!.:_:/´|_.::_」   くV <|
                   |:ハ_::_ル'´     /⌒丶 j//V|
               |:::::::::i x==ミ     _ 〈/.:|.::|
               |:::::::::i:'"     ´ ゙̄Y}!.::.l.::|
                 八:::::::圦   、' _   "/_ノ.::,'.::j
             /⌒ヽ::::ト{\   _,.ィ__/.::/l:./
               / 丶∧::| 丶 `ニ´ 彡// :厶|∧
            {/  丶ヘ|     ノ / |:/ (こ ハ
                /       }ヽ、 ∧ /  'x┴〈 }_ゝ、
           /         \∨ ∨  /  ニⅣ }  )

216:日本@名無史さん
12/11/27 07:05:16.40
龍馬どころか、幕末の志士の中で脱藩した奴なんているのか。
例えば高杉晋作は五回も六回も「脱藩」している。
しかし、脱藩とは藩を抜けること、すなわち藩主との主従関係を断ち切ることのはずだ。
会社員に例えれば、会社を辞めることだ。
一度会社を辞めた社員がまた会社に戻り、また辞めを五回も六回も繰り返すなんてことがあるか。
高杉晋作は脱藩して長州藩士でなくなり、長州に戻ってまた長州藩士になり、を何度も繰り返したのか。
高杉晋作は嫁を持ち、高杉家の当主だったはずだが、では脱藩したあと禄はどうなったのか。
家臣であることを辞めれば禄は貰えなくなるはずである。
また、武士の屋敷は社宅のようなものなのだから、脱藩すれば家族は住めなくなるはずである。
しかし、高杉晋作の家族が飢えたという話も、屋敷から出て行ったという話も聞いたことがない。
むしろ逆に「脱藩」が問題になったときは、家が取り潰されるのではないかと心配になり、自分から
のこのこ野山獄に出かけて行って入牢したりしている。
要するに高杉晋作は今日我々が言うような意味での脱藩はしていない。

「脱藩は」明治になってから出来た言葉で、幕末には脱藩浪人などというものは存在しなかった。
国事に奔走すべく郷里から無許可で出て行くことを当時は出奔とか逐電、あるいは国抜けとか言った。
そこには藩領内から外へ抜け出すというニュアンスしかない。
そもそも「藩」という言葉も使われていなかった。長州藩士、土佐藩士などという言葉も使われていなかった。
「脱藩」はあまりにいい加減な言葉である。

217:日本@名無史さん
12/11/27 09:38:59.51
>>216
現在の会社員はあまりにもドライすぎてたとえが悪いよ
たとえば戦前以前の徒弟制度は師を親、弟子を弟や子に例えた強い関係で
弟子が脱走しようが出奔しようが親である師のところに戻ってくることは可能だった
戦前以前の日本人はもっとウェットな関係だったってこと
伯父伯母甥姪いとこ大叔父大叔母といったこんにちでは完全別家計であまり交流のない人たちが
大家族制度で一緒に暮らしてた時代の話
あと、脱藩するのは協力者がいるためで尊王攘夷派の商人たちから軍資金を得たりしていた
海援隊立ち上げ前の龍馬もそうやって生活してる

218:日本@名無史さん
12/11/27 23:04:33.96
>>216
> しかし、脱藩とは藩を抜けること、すなわち藩主との主従関係を断ち切ることのはずだ。

違いますよ。
在郷義務違反のことですよ。
高杉晋作は罰せられるのを恐れていたけど、
死罪になったりお家取り潰しになるとは思わかなっただけの話。

「すなわち~」以下で極論を言っておいて、
それに基づく論理展開にしてるけど、それは詭弁だよ。

219:日本@名無史さん
12/11/28 13:50:50.02
違いますよ。
脱藩とは藩を抜けることなんだから藩士であることを辞めることでしょ。
家臣であることを辞めて自由な身になること。
家臣のままだと自由に行動できないから浪人になる。
明治以降の言葉だけれど、まちがいなくそういうニュアンスで使われていたはず。
脱藩と浪士(浪人)はセットで、脱藩浪士とか脱藩浪人とか使われていた。
でも幕末には実際にはそういう浪人とかはいないんじゃないかという疑問を呈している
わけだな。

高杉晋作は何度も長州に戻っていて身分上の変動はない。浪人になったわけではなく
長州藩士のまま。それなのに何で「脱藩」なんだ、ということだよ。
まあ言葉の意味だけの問題なんだけどね。
218が論理展開とか詭弁とか批判するのはおかしいよ。
全然論理の問題じゃない。
高杉晋作は藩士をやめたわけじゃなく、勝手に藩領を出て行っただけ、という理解は
一致してるわけだ。

220:日本@名無史さん
12/11/28 17:57:55.11
>>219
>脱藩とは藩を抜けることなんだから藩士であることを辞めることでしょ。

この考えがおかしい。当時、政治犯が藩の追及を避けるために藩外に出た場合も脱藩罪が適用されており、
武士が藩の許可なしに藩外に出たなら、それは脱藩となる。

221:日本@名無史さん
12/11/29 07:09:35.48
>脱藩罪が適用されており

脱藩罪???
変なこと言う人だな

222:日本@名無史さん
12/11/29 08:59:57.57
>>220
そこの部分だけ捉えておかしいというのは
普通に間違いでしょ?
部分定義として正しいだろ。

223:日本@名無史さん
12/11/29 09:18:42.92
脱藩とは藩の土地から無断で出ることです。

224:日本@名無史さん
12/11/29 12:44:16.89
単純に無断で出る事だけにはならんとおもうが、そこはケースバイケースでしょ。
藩を抜けて浪人にならなくても脱藩だと?

225:日本@名無史さん
12/11/29 17:30:27.25
吉田松陰の場合は、約束の期日を守るために過書手形を待たずに藩を出ましたが、
現代の用法では、この時点で脱藩と言われていると思います。
そして江戸に戻ってから、士籍剥奪、世禄没収になりました。
これで浪人になるわけですが、放逐されたわけではなくて、
その後、杉百合之助の育扱いになります。
そして十年の諸国遊学願いを出して許されます。
下田で捕まった後も、杉家に預かりになる。またしても放逐されてない。

> 藩主との主従関係を断ち切ることのはず

こういう杓子定規な関係ではありませんね。
いわゆる「武士道」に染まり過ぎでは?

226:日本@名無史さん
12/11/29 19:01:07.00
>>225
お前さぁ、222と224はこのスレの俺の初カキコなんだ?
このスレは2人でやり取りしてるスレなんか?
なんでいきなり武士道にそまり過ぎとか言い出すんだ?
意味わからんのでサイナラ

227:日本@名無史さん
12/11/29 19:06:17.58
225は、222にも224にもアンカーつけてないし、文章も引用してないようだが…

228:日本@名無史さん
12/11/29 19:20:54.62
>>227
じゃあつければ?個人批判するのになんでつけんの?

229:日本@名無史さん
12/11/29 19:22:47.24
ついでに、だから2人でやり取りしてのかって言ってんだバーカ
本当にさいなら

230:日本@名無史さん
12/11/29 21:02:56.44
ようバブル君。どこでも相変わらず人をみれば武士道扱いして叩かれてんなw
ほんと馬鹿だなw

231:日本@名無史さん
12/11/29 21:55:07.28
とつぜんヒステリー起こしたなw

232:日本@名無史さん
12/11/29 22:41:37.14
>>231
バブル君叩いてんのは脱藩論の人と別人ですよww

233:日本@名無史さん
12/11/29 22:52:10.24
病院いけよ。
統合失調症も前駆症状の時に薬飲めば助かるかもしれん。

234:日本@名無史さん
12/11/29 23:00:07.89
>>233
あなた前スレ知らんのね。

235:日本@名無史さん
12/11/30 00:15:56.93
脱藩じゃない説は話自体が成立していないのに、未だに粘着するんだよな

236:日本@名無史さん
12/11/30 07:33:53.06
>>235
あの226と224と228の書き込みは私ですが、ちなみに私は脱藩説ですよ。
脱藩じゃない説の人は多分昨日は書き込みしてないんでは?

237:日本@名無史さん
12/11/30 07:39:29.03
ついでに、私は脱藩説の人じょなく、普通に書き込みしたのにじゃない説の人扱いされたからキレたんだよ。
って230以降は私じゃないよ。

238:日本@名無史さん
12/11/30 09:50:28.99
維新の会は第二民主党+新自由主義の反日政党です(右翼{保守}を装う反日{革命}政党)

維新の公約
最低賃金の廃止(企業は時給1円で雇える←新自由主義の柱・セーフティネット無し)解雇規制緩和(時給1円が嫌なら首に出来る)
相続税100%・遺産全額徴収 消費税11%

橋下は人権擁護法案推進 (解同が作った団体役員に就任) 在日地方参政権賛成
・地方分権推進(在日に地方を乗っ取らせるため)
大口後援者 ・マルハン、電通、博報堂(カジノ利権目当て)・ソフトバンク(電力利権目当て)・パソナ ←在日朝鮮人の会社

・今井豊  (大坂維新の府幹事長)元自治労東大阪役員、元同和利権組織ティグレ生野所長
・井上哲也 (元社会党) 社会党副委員長で同和利権ボスの井上一成の甥
・谷畑孝  (元社会党・外国人参政権賛成) 同和利権組織ティグレの候補 部落解放同盟 ハンナンから支援
・小沢鋭仁 (元民主党・外国人参政権賛成) 小沢一郎支持★ 「脱原発して、韓国から電力の直接輸入を行う」
・松野頼久(元民主党) 小沢系★ 鳩山内閣のブレーン TPP反対(維新はTPP推進w)
・今井雅人 (元民主党・外国人参政権賛成) FX情報会社会長 芸名マット今井
・柳ケ瀬裕文 (元民主党) 東京都都議 「蓮舫」公設第一秘書
・石関貴史 (元民主党) 小沢系★ 習近平の特例会見を擁護 丸刈り白スーツ
・富山泰庸 (元吉本芸人)(株)アベブ(パチンコ店向け人材派遣会社)取締役

在日朝鮮人「我々は合法的に日本を侵略する」「どうせデモの1つもできやしない」
大阪人は頭空っぽだから、ドラマや映画を見る感覚で選挙に行く。
我々は、有権者が幾度と無く騙される事は既にあらゆる詐欺を通して実証済みである

239:日本@名無史さん
12/11/30 17:59:44.38
>>237
> 私は脱藩説の人じょなく、

そこで噛むなよ。どっちか分からんだろw

240:日本@名無史さん
12/11/30 18:12:00.76
w の人は荒らしくんで決定なのだけど

241:日本@名無史さん
12/12/01 14:22:44.98
しさしぶりにかきこ

武士というのは殿様のお側に控えていなけりゃならない。
そうでなければいざという時に役に立てない。
勝手に領地を出て行って好き勝手なことをする自由はない。
だから毛利家の家中(筋目の家臣)である武士が京や江戸で勤王活動し、それでも
罰せられなかったのは異例である。だが、それには特殊な理由がある。
毛利家が反徳川で固まっており、倒幕が藩是であったからだ。
勤王すなわち倒幕である。
若い武士が身命を挺してせっせと徳川を倒す活動をしているのに、それはいけないと
弾圧することは憚られたのだ。
ちょうど今の中国が反日一色で、日本を攻撃したり痛めつける活動なら何でも許される
のと同じである。愛国無罪。長州もこれと同じ。倒幕無罪。
尊皇派の家老がいたりしたのも長州藩の特色。
>216
だから216がウェットな関係だからというのはちょっと違うと思う。
封建体制というのは非情なものだ。差別と脅しの上に成り立っている。
土佐藩の勤王党弾圧みたいなやり方が普通だろう。長州藩は特殊だったのだ。
松陰は長州藩の感覚で政治活動したので、命を失う結果になった。

242:日本@名無史さん
12/12/01 14:24:14.26
吉田松陰の士籍剥奪というのは町人でいえば勘当ということじゃないの。
家人や親戚に迷惑がかからないよう、もううちの一族とは関係ありませんから、と
松陰の一族の方から藩に願い出ること。
これに対して父親の育みにせよ、というのはいわゆる温情判決で、家においても
いいということ。追放処分とかにならずにすんだわけだ。
家禄没収にはなってないだろ。だって松陰の実家はそのままでいられたわけだから。
家族が路頭に迷ったなどという話は聞いたことがない。
そもそも家禄没収なら父親の育みにするなどという処分もありえようがない。

243:日本@名無史さん
12/12/01 16:05:00.51 BE:1019619735-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>242
松陰は実家から吉田家に養子に出て家督を継いでた。
で、吉田家を取り潰された後、実父の育みになったの。

244:日本@名無史さん
12/12/01 16:13:48.93
>>241
江戸屋敷詰めで、殿が江戸にいなければ、お側に控えてないのが当たり前ですけど?

245:日本@名無史さん
12/12/01 23:35:06.74
だから吉田家を取り潰されていれば実家のはぐぐみに戻れるわけないの。
養子が養家を潰したら切腹。責任上生きていられない。
それを避けるために、とりあえず養家との養子関係を無かったことにしとけや、という扱い。
そうすれば類が養家に及ぶことはないから。
さらに十年の遊学を願い出るよう促され、ただちに許可が出ている。
とにかく周囲はほとぼりを冷ますことしか考えていない。
で、結局吉田家の養子のままになったんじゃないの。
なぜなら、吉田家は取り潰されていない。
藩としては松陰が大事というより吉田の家が大事だったんだろう。
「山田流軍学」という「芸」を伝える家だから。
松陰は死罪になるまで吉田寅二郎矩方と名乗っている。



244は下らなすぎる罠

246:日本@名無史さん
12/12/02 00:21:50.61 BE:679746825-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>245
松陰が吉田なのは当たり前。
家禄没収であって吉田の家が潰されたわけではない。
で、育みってのは赤の他人でも受け入れられるんだから、実家に身柄が帰っても、家制度的には吉田家の家長のまま。

だいたい、お前の主張は前半分と後ろ半分で真逆のことを言っとるぞ?

247:日本@名無史さん
12/12/02 00:54:20.82
>家禄没収であって吉田の家が潰されたわけではない

それはおかしいわ

248:日本@名無史さん
12/12/02 00:57:25.51
245の「山田流軍学」は「山鹿流軍学」の打ち間違い。
ここはうるせえからな

249:日本@名無史さん
12/12/02 14:23:32.77 BE:1223542692-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
>>247
>>245の言い方だと、「家を潰す」のはその家の人間皆殺しとか、苗字名乗るの禁止とかまでいかないと「潰す」じゃないって言いたそうだったので。
まぁ、戦国時代だとそういうケースもあるし。江戸時代でやった例をしらんが。
地味加藤さんとこの子供が家老の家にやろうとして減封食らった時ぐらいか?未遂だけど。

250:日本@名無史さん
12/12/02 23:31:13.15
吉田松陰は自分の信ずるところを敢然と貫く人物であったが、現実にはただの
トラブルメーカーであった。
宮部呈藏らと東北へ旅するにあたり藩の発行する過所手形が間に合わなかったが、
友との約束を重んじあえて手形なしで出発。結果、厳重な処分を受けた。
しかし、過所手形なんぞ旅に出た後で誰かに藩邸に取りに行ってもらい、預かって
もらえばそれでよかったのである。
松陰は友人との信義を貫いた一方、藩の決まりを破ったことについて馬鹿正直に
責めを負おうとした。黙っていれば問題にならないのに自訴したのである。
正面から本人がそう申告してくれば、藩としても処分を下さざるを得ない。
ともかく厳重な処分を下し、あとからおそらく藩の重役が苦慮した結果だろうが、
藩公の特別なはからいで事態は穏便に終息した。
松陰は気が済んだだろうが、周囲は大変な思いをした。
松陰のやったことは、免許証不携帯で東北をドライブしてきた人が、検問にも引っか
からず無事帰ってきてから、警察署へ自首するようなものである。
警察としてはこんな馬鹿に関わり合いになりたくないと思うだろう。しかし、本人が
免許不携帯で運転した事実を申告してきた以上黙って済ませるわけにはいかない。
松陰は後年密航を企てたときも、いくらでも誤魔化せるし、役人も穏便に済ませようと
しているのにあえて密航の意図打ち明けてしまった。その結果、事件に関連して
佐久間象山まで牢に入れられてしまった。老中暗殺計画にしても然り。
自分の行動の周囲への影響を全然考えられない人間なのである。
自分の主義を貫くのはいいが、まったく独りよがりで他人の迷惑を考えない。
岸田秀という心理学者は、こんな身勝手な人間が身近にいたらたまらない、と松陰を
こきおろしている。「ものぎさ精神分析」(中公文庫)

251:日本@名無史さん
12/12/02 23:35:24.97
>>250
ここまでくると完全なスレチだな

252:日本@名無史さん
12/12/03 01:05:12.69
まあ、坂本龍馬の脱藩に難癖をかけてきたら筋が通らないという指摘が多くて
以来、武士道は正義なり商業は行わないなりとか持ち出しては逃げているわけで。

253:日本@名無史さん
12/12/03 09:31:36.38
>>252
あなたもどうしたらそう読めるのか。
曲解も甚だしい。
ツリのつもりなのか?

254:日本@名無史さん
12/12/03 09:46:22.44
>250
要するに従来脱藩といわれている東北旅行は脱藩じゃなかったということね

255:日本@名無史さん
12/12/03 11:27:47.43
脱藩=勝手に藩を離れただから罰せられたわけですが。

256:日本@名無史さん
12/12/03 13:01:15.23
吉田松陰はアスペルガー症候群

257:日本@名無史さん
12/12/03 14:30:28.07
488 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] : 投稿日:2012/12/03 09:26:59ID:RC/vqUba0 [1/1回(PC)]
名前:可愛い奥様[] 投稿日:2012/12/03(月) 09:18:26.68 ID:Qt45Fz4s0
16 +4:名無しさん@13周年 ::2012/12/03(月) 02:18:01.01 ID: xm0FnEtg0 (1)
500 名前: イエネコ(西日本)[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 00:21:44.74 ID:9Ejy1hpx0 [2/2]

道路保全技術センター wikiより

財団法人道路保全技術センター(どうろほぜんぎじゅつセンター、英: Road Management Technology Center、現在は解散)は、
日本の国土交通省所管の財団法人。
道路および道路構造物の保全や調査研究、道路管理システムの提供、技術指導や資格制度の運営などを行っていた。
行政刷新会議による2010年5月の事業仕分けにより、2011年3月31日をもって解散[1]、同年11月30日付で清算手続きが終結した。

ちょw


道路保全技術センター
事業
・調査・研究および開発技術の提供
・レーダーを用いた路面下空洞探査、道路の防災管理、トンネルの保全、道路標識や路上工事削減に関する調査・研究などを行った。
トンネルの保全・・・

>行政刷新会議による2010年5月の事業仕分けにより、2011年3月31日をもって解散[1]、同年11月30日付で清算手続きが終結した。

258:日本@名無史さん
12/12/04 13:08:12.23
藩という言葉は明治になってから使われるようになったわけだが、
厳密に言うと江戸時代でも漢学者などが使うことはあった。
学者は日本の職制をあえて中国の名前で表記したりする。
漢学者が藩という言葉を使ったのもその類であり、全く一般化はしなかった。
藩とは訓読みでは「まがき」である。枝をそらせた生け垣のこと。
そこからの連想で中国の周囲に垣根のように連なる戎の国を藩国と呼んだ。
そこからさらに皇帝を守る垣根の意味で、諸侯の領地を藩と呼ぶようになった。
明治になって日本でも公に使われるようになったのは天皇制や天皇主権に適合
する言葉だったからである。藩という言葉は、君主(皇帝)の側から下々を
見下して使うような言葉なのである。
たとえば唐時代からの「藩鎮」という言葉がある。辺境を酋長みたいのを形だけ
家臣にして皇帝の支配が及んでいる体裁にした統治形態である。
蛮族の土地だから蛮族に治めさせておけばよいといったニュアンスがある。
蒙古襲来のときフビライが高句麗を通じて鎌倉幕府に渡した国書には、
「高麗は朕の東藩なり」という言葉がある。ここでは藩は属領みたいな意味で使われている。
この感じで明治の藩という言葉を捉えると、日本は天皇のしろしめす国だが、
下賤な武士どもに治めさせていた地域があり、それが藩である、というニュアンス
だろうか。藩という言葉は否定的な意味で使われているのである。
だから武士の世の中である江戸時代に、公に藩などという言葉が使われるはずが
ないのである。

259:日本@名無史さん
12/12/04 13:10:49.65
「藩」は「県」と同時に使われるようになった文明開化の後の言葉なので、
「長州」藩とか「薩摩」藩とか昔の国名が使われることはない。
山口藩とか鹿児島藩とか、仙台藩、水戸藩、高崎藩など、明治初期、仮の役所である
知藩事がその政務を執った役所が置かれた場所の名をとっている。
龍馬関係だと、土佐藩ではなく高知藩である。
だから「土佐脱藩」などというのはとんでもない言葉なのであるが、「脱」という言葉は
脱亜入欧という明治政府のスローガンでよく使われ、また徴兵制が布かれて「脱走」と
いう新しい言葉が流行し、その流れで出来たのだろう。
小説や芝居、講談で使われ広まった言葉だと思う。
藩士、藩校、藩祖、藩邸、などはみな明治以降の造語である。

260:日本@名無史さん
12/12/04 14:36:02.34
つまり当時の文書に脱藩という言葉がないのは当然で、
脱藩と書かれていないから脱藩ではないという意見は間違っている。

261:日本@名無史さん
12/12/04 15:33:41.25
凄まじい。既成政党を打破とか言ってるけどお前のとこが一番独善的
共産党やナチスより酷い妙ちくりんな集団
前科者も複数紛れて、いかにも大阪らしい

無党派さん[] 投稿日:2012/12/03(月) 21:55:03.05 ID:3W6Dp3GZ [11/13]
URLリンク(www.jiji.com)

維新 比例名簿の登載順位は次の通り。
(丸囲み数字は順位。同一順位の重複立候補者名は省略。前=前職、元=元職、新=新人。敬称略)
 【北海道=4人】(1)重複候補3人 (4)米長知得(新)
 【東北=11人】(1)小熊慎司(新)=福島4区 (2)重複候補2人 (4)重複候補8人
 【北関東=18人】(1)上野宏史(新)=群馬1区 (2)石関貴史(前)=同2区 (3)重複候補14人 (17)植竹哲也(新)(18)仲田大介(新)
 【南関東=20人】(1)小沢鋭仁(前)=山梨1区 (2)松田学(新) (3)重複候補16人 (19)田中甲(元) (20)横田光弘(新)
 【東京=22人】(1)石原慎太郎(元) (2)今村洋史(新) (3)山田宏(元)=東京19区 (4)重複候補18人 〔22〕上村昭徳(新)
 【北信越=10人】(1)中田宏(元) (2)重複候補8人 (10)堀居哲郎(新)
 【東海=14人】(1)藤井孝男(元) (2)今井雅人(前)=岐阜4区 (3)重複候補11人 (14)近藤浩(元)
 【近畿=40人】(1)東国原英夫(新) (2)西村真悟(元) (3)重複候補8人 (11)三宅博(新) (12)重複候補28人 〔40〕喜多義典(新)
 【中国=8人】(1)重複候補6人 (7)藤井昇(新) (8)谷本彰良(新)
 【四国=7人】(1)重複候補4人 (2)重複候補2人 (7)大内淳司(新)
 【九州=19人】(1)松野頼久(前)=熊本1区 (2)重複候補17人 (19)黒仁田典之(新)

マスコミに踊らされる前に、中身見たほうがいいな

262:日本@名無史さん
12/12/04 15:34:09.85
>>259
「讃の高松藩」とかね。

263:日本@名無史さん
12/12/13 15:04:21.26
明治維新となって天子様は東京に。東京が日本の中心になった。
廃藩置県前は日本中三百諸侯といわれる大名だらけ。徳川幕府は静岡藩にしてしまったので
東京だけは大名がいず、とりあえず天子様の領地。
その周りを大名どもの「藩」が囲む。
これで一応、中国の「皇帝の領地の周りを戎どもの藩が囲む」体制が出来たわけだ。
しかる後に藩を廃し県を置く。
県は皇帝の臣下である官吏に委ねる。
これにより天皇主権の中央集権体制が完成した。

264:日本@名無史さん
12/12/14 16:49:37.11
>>258
> だから武士の世の中である江戸時代に、公に藩などという言葉が使われるはずが
> ないのである。

吉田松陰の留魂録に書いてあるぞ。

265:日本@名無史さん
12/12/14 16:56:54.19
それから江戸繁昌記(1832-1836)に「数箇の藩士景に脊て酒を酌む」との用例がある。
ただ幕府公文書の用例は発見されたことないから
> 公に~使うはずない
というのはその通りかもしれない。

266:日本@名無史さん
12/12/14 16:58:06.26
新井白石も藩翰譜というのを書いてる。通称藩譜。

267:日本@名無史さん
12/12/15 07:44:28.76
ほんとは東京と埼玉はひとつの国(武蔵)で、埼玉を併せて東京にしたかったんだが、
埼玉は川越とか忍とか岩槻とか藩がけっこう有ったので、東京に含めるわけにはいか
なかったんだろう。
各大名の領地を「藩」という形で整理することは県に移行する前提として必要だった。
大名といっても、「家」として見ると複雑。
家臣の中に大名と並ぶ家格の家があり、それぞれ家来を養っている。
例えば、島津家で見ると一門で四家、一郷の領主にあたる一所持という家が二十九家あった。
それぞれの家来は島津の殿様の家来ではないので「股者」と呼ばれるが、こういう
陪臣の数が直参の家来に負けないほど多かった。
これらを含め、とりあえず「薩摩藩」としてひとつのまとまりとして扱う。
その上で版籍奉還させ、藩知事を置き、藩知事は旧殿様で殿様が陪臣を含め家臣団を
まとめて治める。(薩摩藩は西南の役が終わるまで特殊だったが。)
で、その後に藩知事を廃し、廃藩置県をして知事を置く、という順序。
その後金禄公債を発行して武士を廃した。
「藩」は旧秩序解体のワンステップだったわけね。

268:日本@名無史さん
12/12/15 09:32:02.16
だ~か~ら~、藩という言葉を漢学者は使ってたのよ。
今でも学者はやたら外国語まじりで論文書いたりするのと同じ。
シッタカだよ。それと漢文調の文章で書くときは「お家」とか書けないだろ。
それじゃ何のことか分からないもの。
中国語で適当なのを使うしかない。

江戸繁昌記を書いた寺門静軒は儒学者。儒学者だから漢学者なわけ。

新井白石は荻生徂徠と並ぶ江戸時代屈指の漢学者である。

吉田松陰は山鹿流軍学の家を継いだので軍学者に分類されるべきだろうし、
晩年は漢学と対置される国学の方へ行った。
だが教養の根っこは漢学である。幼時に四書五経を徹底的に叩き込まれ、
みずからも孟子を講義している。孟子は松陰の十八番であった。
漢学者としても通用する人物だったうえ、留魂録は弟子たちに尽忠報国の教えを
残すためのものなんだから「藩」にするに決まってるじゃん

269:日本@名無史さん
12/12/16 09:26:09.36
県に移行する前に知藩事という行政官を創出したことは実に賢明な政策だった。
旧大名は維新によって損したような気持ちになり、不満が噴出したらヤバイ
ことになりかねなかった。
これを知藩事という大名より権力の大きい地位に着けることにより懐柔。
旧家臣たちは元の殿様が知藩事なのだからこれに不満をぶつけようがない。
もしもこの段階で他藩出身の行政官が乗り込んで行ったら、地元の武士たちに
あっという間に殺されていたろう。
さらに知藩事になった殿様たちはほとんど馬鹿殿ばかりで自分が政治をしよう
などとは考えない。太政官の言いなりで、こんなに扱いやすいものはなかった。

明治政府は当面は「藩」を行政単位として地方を押さえつつ中央集権化を進めて
行くつもりでいたようである。
旧殿様を頭に藩の形で温存させないといつ地方が暴発するか分からない。
まあ十年か十五年は藩体制でいくつもりでいたようである。
明治政府は金も軍事力もなかったので地方の旧武士階級が怖かった。
しかし、実際は武士階級は疲弊してたいして気力も無いことがわかり、いっぽう
旧薩長土三藩が旧藩士を提供して御親兵を創設。これで地方に対抗できる軍事力を
持つことができたと判断した明治政府は、全国の知藩事を皇居に集め、明治天皇が
勅(みことのり)の形で「藩」を廃止することを宣言。知藩事制は四年で終わった。
これが廃藩置県である。
しかし、知藩事が置かれた四年間で藩という言葉は日本人の間に浸透。
旧大名家や大名領のことを言うときには藩、藩と言うようになった

270:日本@名無史さん
12/12/16 14:23:08.71
上に挙げた江戸繁昌記は漢学は関係ないんで、あまり漢学を強調しすぎるのはどうかと。
狂体漢文ではあるけど、タブロイド紙みたいな内容だしね。

271:日本@名無史さん
12/12/17 16:48:51.03
ワロタ
高杉晋作の関所破り。
司馬遼の与太話を信じて箱根の関所資料館に電話で問い合わせた人がいるんだなw

URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

この調子だと
德川家茂に向かって「いよう、征夷大将軍」と大向こうから野次ったというのは嘘だな

272:日本@名無史さん
12/12/17 17:12:44.50
>>271
コメントしている人たちも関所抜けの実態について全くの無知でワロタ

273:日本@名無史さん
12/12/19 15:51:25.46
ググってみたけど
「いよう、征夷大将軍」も嘘みたい
嘘と言ってはいけないか 司馬の小説的創作

274:日本@名無史さん
12/12/20 18:18:42.23
「江戸を離れ、箱根の関所を通過するとき、晋作はまた事件をおこした。宿駕籠(しゅくかご)で乗り打ちをするという
未曾有(みぞう)の事件をおこしてしまったのである。関所役人たちはさわぎ、駈けわめきつつとりおさえようとしたが、
晋作は走る駕籠のなかで太刀の鯉口を切り、大声で、「ここは天下の大道ぞ、幕法こそ私法ぞ、私法をかまえて
人の往来を制する無法があってよいか」と、雲助をはげましはげまししてついに関所破りをしてしまった。
江戸三百年のあいだ白昼公然と関所をやぶったのは、この男だけである。」

小説である以上何を書いても自由だが、こういう書き方をする小説家はいないんじゃないか。
「江戸三百年のあいだ白昼公然と関所をやぶったのは、この男だけである。」
こんなふうに書けば、普通事実と思ってしまう。
「龍馬がゆく」はもっと刺激的に書いてあるからな。
あれを真に受けた、調子の外れたアンチャンやオッサンが大量発生してもしょうがないかも。

275:日本@名無史さん
12/12/21 22:02:39.98
壇ノ浦で義経が自軍の舟漕ぎを完全に防備させたうえで平家側の舟漕ぎを狙ったという小説を真に受けたバカもいたわ。
『平家物語』読めば義経の戦術でも何でもないことくらい普通の知能を持っていればわかる。

276:日本@名無史さん
12/12/23 16:02:52.66
URLリンク(kunyon.com)

鈴木邦男という右翼団体やってる親父 知らなかったけど

団塊世代が司馬の影響でいかに馬鹿になったかが分かるわ
 小説と歴史知識が混ざり合いハチャメチャ そんなのを基に人格形成した結果がこういう人間たちだ
対談のところなんか信じられんことになってる

277:日本@名無史さん
12/12/23 17:55:14.67
石田三成と大谷吉継の関係こそ日本で最初の友情なんだよな

278:日本@名無史さん
12/12/24 12:33:30.56
「騎兵の襲撃が成功した例は、西洋でもまれといっていい」
 と、好古はいった。
 義経が一ノ谷を小部隊の騎兵で襲撃して成功した。平家がまもる一ノ谷城(いまの神戸市)については、源範頼(のりより)の源氏本軍が
平面から攻めていたが、義経は京都で騎兵団を編成し、ひそかに丹波篠山を迂回し、山路をとおって三草(みくさ)高原を越え、やがて
鵯越(ひよどりごえ)へ出て一ノ谷に向かって逆落としの奇襲をかけた。また屋島襲撃も小部隊の騎兵をもってした。
 その後、この戦術はほろんだ。戦国のころ織田信長が桶狭間合戦においてこれを用いたのが唯一の例であり、以後、豊臣、徳川時代を
通じてこの戦法はわすれられた。
「天才のみがやれる戦法だ」
 と、好古はいった。
 真之は、素直に感心した。
(この兄は天才かもしれない)
 と、ひそかに思った。
-----------------------

「古来、騎兵はその特性どおりにつかわれた例はきわめてまれである。中世以後、四人の天才だけが、この特性を意のままにひきだした」
 かれはその四人の名前をあげた。
  モンゴルのジンギス汗
  プロシャのフレデリック大王
  フランスのナポレオン一世
  プロシャの参謀総長モルトケ

279:日本@名無史さん
12/12/24 12:35:15.57
「居るかね、君の国にはそういう天才が」
「それは」
 好古は、苦笑し、それは軍事機密に属しますようで、といった。
「しかし、過去の例でいえば、先刻の四人しかいないというお説は訂正していただかねばなりませんな。
先生の博学は有名ですが、日本のことはご存じない。世界に六人いるとおっしゃるべきでしょう」
「つまり日本人を二人加えろというのかね。たれとたれだ」
 好古は、源義経と織田信長の二人をあげ、義経の鵯越と屋島における戦法を説明し、織田信長に
ついては桶狭間合戦を語った。
 老教官はおどろき、何度もうなずき、以後六人ということにしよう、といった。

280:日本@名無史さん
12/12/24 12:36:55.94
だからさあ、つまんないんだよね。

281:日本@名無史さん
12/12/24 12:42:11.50
以上、嘘のオンパレード

ちょっとばかり学術的な書き方をするんで、知識欲のある人間が真面目に読んでしまう。
そこまではいいんだけど、こんないい加減な知識をさらに受け売りしてしまうバカがいる。
そんな話を聞かされると、運命を呪いたくなる。

282:日本@名無史さん
12/12/24 17:24:28.79 BE:2039238656-2BP(0)
sssp://img.2ch.net/ico/opai.gif
司馬さんも娯楽小説を真に受ける人がこんなに多いと困っただろうね。

283:日本@名無史さん
12/12/24 18:07:31.75
>>275
それ司馬じゃなくて吉川英治じゃなかった?

284:日本@名無史さん
12/12/24 19:50:46.40
司馬の「義経」にあるよ。
もちろん司馬が言い始めではないだろうが、あれを本気にした人は多数。

285:日本@名無史さん
12/12/25 04:23:09.01
「日本列島は東西に細長いから、東日本はしぜん眠っていた」


この馬鹿おっさんはロシア船来航や蝦夷地警備も知らないらしいわ

286:日本@名無史さん
12/12/25 05:01:55.88
―騎兵の特質はなにか。
と、明治陸軍の騎兵監であった秋山好古は陸軍大学の学生に講義したとき、
いきなり拳をかため、素手をもってかたわらの窓ガラスをつきやぶり、粉砕した。
―これだ。
という。素手が、血みどろになった。
要するに騎兵は学校の備品を破壊して喜ぶくらいしか使い道がない、
という意味を、この明治の軍人は象徴的に説明しようとしたのであろう。

287:日本@名無史さん
12/12/25 07:03:22.18
>>285
ロシア軍から散々刺激を受けながら、会津や東北諸藩の兵制は旧態依然としたままだったので
刺激云々ではなく、どこかに欠陥があったと言うほかない。

でもその通り書くと、「北のまほろば論」が底の浅い思い入れだけとばれちゃうでしょ。

288:日本@名無史さん
12/12/25 17:52:10.29
>>285
『菜の花の沖』を書いてる人の言葉とは思えませんなw
その小説も、そっち系の研究家からボロクソに叩かれてたね。

289:日本@名無史さん
12/12/25 20:47:25.13
278-279なんて、コンプレックス丸出しで痛々しさすら漂うな

290:日本@名無史さん
12/12/25 21:26:08.77
なんか、「本能寺の変がなかったら」と妄想してる信長信者そのものだね。
こういった頭のおかしい信長信者そのものの始まりが司馬なのかもしれない。

291:日本@名無史さん
12/12/25 22:03:43.55
「秋山好古」を任意の韓国名に変えたら現代でリアルに起きてるような話だな。

292:日本@名無史さん
12/12/26 06:09:26.37
司馬遼太郎が歴史認識に対して「かなり偏向」してるという事実と、
その「かなり偏向」した歴史認識により書かれた「完全なフィクション小説」という、
極当たり前の常識を、常識と気がつかないで、司馬に影響されて歴史人物をイメージした里、評価する、
ニワカ戦国マニアとかが痛々しい

しかも司馬遼は歴史公証もお粗末ながら、自分が贔屓してる歴史人物に関しては、
「意図的に」捏造を、さも「事実かのように」読者に読ませる技術があるから、
タチ悪い

秀吉と豊臣贔屓はいいんだが、家康アンチ(家康だけではなく徳川と江戸幕府、江戸時代)を貶める為に、
世の中、アンチほど詳しいとは言うが、徳川家康を調べれば調べるほど面白く偉大な人物であるのも認めざるを得ないから、
「都合のよい勝手な想像と、人物像によるイメージの貶め」という幼稚な方法で、徳川家康叩きしてるというのが、
作家としての限界だと思う

そして、こういうフィクション作家を真に受ける大衆が意外と多いのもなんだかなあと思う

293:日本@名無史さん
12/12/26 06:59:19.12
日本の使者の態度に次第に現われてきた変化を観察すると、なかなかおもしろい。

●使者は 悪魔のように傲然としていたのだが ←司馬、ここだけ引用

艦上に足を踏み入れた時には
だんだん態度がやわらぎ、すべての提案を何の反対もなく承認してしまった。
それには大いに伊藤の影響があったようだ。
(アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」)

294:日本@名無史さん
12/12/26 13:43:41.09
宗教から歴史、政治思想まで。

中杉弘のブログ

URLリンク(blog.livedoor.jp)

295:日本@名無史さん
12/12/26 22:14:31.74
>>292
そして司馬愛読者は、司馬小説から得た自分の知識の間違いを指摘されると、
「小説なんだから史実通りじゃなくてもいい」と論点をすり替えるんだよね。
おめーの知識が間違っているのが悪いんだっちゅうのw

296:日本@名無史さん
12/12/27 00:25:17.00
>>295
確かにその流れは見事なほどにテンプレになってるw

297:日本@名無史さん
12/12/27 02:18:22.44
司馬の作品って戦後の日本人に自信?を与えたなんて言ってるのもいるけど、
焼け野原の時期には信者を生み出した作品なんて書いてない。
竜馬がゆくを書きだしたのが昭和37年(1962年)、坂の上の雲は昭和43年(1968年)からで、
日本の高度成長の時期、どんどん自信をつけていった成り金たちに、金ぴかの家系図を提供してまわった側。

298:日本@名無史さん
12/12/27 10:13:48.93
単なる歴史小説家なのに、歴史家みたいに振る舞い始めたのはいつ頃?
途中で商売替えしたら、面白くするためにデマカセ書いたのが仇になるわな。

299:日本@名無史さん
12/12/27 17:12:41.57
伝奇的な週刊誌小説を書いていた頃は当然普通の作家だった。
その後、幕末物で名を成し、中央公論や文藝春秋や講談社、日本の代表的な出版社にチヤホヤされたが、
これは司馬の本が売れるからで、出版の世界だけとのかかわりなら普通の小説家のままでいただろう。

「国士」みたいになったのはNHKや朝日新聞に持ち上げられるようになってからだと思う。
根っこが新聞記者だっただけに言論や報道の世界が嫌いじゃなかった。
俺の感じでは1982空海の風景、1986アメリカ素描・ロシアについて、あたりから変なんじゃないかと思う。
土地問題という政治的発言をはじめたのは空海の風景の頃だ。1986からバブルが始まる。
司馬は不動産屋の親父みたいなタイプの人間が大嫌いだった。この時期の司馬は、日本人のあり方が変わる
ことを微妙に感じ取っているようである。ジャーナリスト的感覚は鋭かったと思う。

作家としては書き方というか手法に癖がある。
小説に新聞記事の手法を応用するというか。
新聞記事も本当のことばかり書くわけではない。新聞が売れなきゃならないし。
本当のことを書くというより、いかに読者に本当と思わせるかが大事なわけだ。
事実と錯覚させる技術というか、そういうものに卓越した手腕を持ち、これにやられてしまう読者は多い。

300:日本@名無史さん
12/12/28 07:06:27.56
>>297
>どんどん自信をつけていった成り金たちに、金ぴかの家系図を提供してまわった

上手いね。
司馬とその信者に対して抱いていた漠然とした違和感・嫌悪感の正体って、まさにこれだわ。

301:日本@名無史さん
12/12/30 04:20:54.06
>>299
>事実と錯覚させる技術というか、そういうものに卓越した手腕を持ち、これにやられてしまう読者は多い。

これはわかる
そしてそれを指摘されると司馬信者は>>295みたいな反応で論点ずらしする

302:日本@名無史さん
12/12/30 08:16:36.94
司馬の足元にも及ばない連中がグダグダしゃべっているスレでつね。

おまえらが明日死んでも社会は何事も無く動いていきますよ。

303:日本@名無史さん
12/12/30 08:35:38.49
出ました、これが司馬信者の論点そらしw

304:日本@名無史さん
12/12/30 09:53:11.44
>>299
>事実と錯覚させる技術というか、そういうものに卓越した手腕を持ち、これにやられてしまう読者は多い。

技術というのが文章技術のことだとしたら、
そんな事はないと思う。

歴史(小説)に教訓や自分の帰属しているコミュニティ礼賛を求める人が心酔できる小説を書き、またそういう人たちは歴史小説は史学でないことを理解するリテラシーがないだけだと思う。

内容に負うところが多いはず。

305:日本@名無史さん
12/12/30 09:55:48.16
理解している人たちは司馬を無視するか叩く。
理解できないから>302みたいになる。

306:日本@名無史さん
12/12/30 10:33:24.15
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

307:日本@名無史さん
12/12/30 13:00:28.56
司馬ヲタ発狂中

308:日本@名無史さん
12/12/30 14:39:03.70
>>305
テレビの水戸黄門みたいな感覚で読んでるよ
所詮読み物だし・・
専門家の方がいちいちムキになるのは食えないから?

309:日本@名無史さん
12/12/30 15:36:20.75
専門家ってお前、大学教授が食えないとか思ってんのかよw
俺みたいな食えない底辺ノンフィクション作家ならまだしも、教授レベルは司馬なんて相手にしてないから。
稼ぎの問題に話を逸らしている時点でキミも終わっていますなあ。
司馬厨がいくら騒いだって史実は何一つとして変わらないから。

ちなみに食えないことでムキになるほど俺は精神まで底辺じゃない。
それに、そっちの問題で攻撃するのであれば対象は村上春樹さんになるだろうね。

310:日本@名無史さん
12/12/30 22:10:48.29
>>308「司馬さんの作品によると~」
一般人「小説を真に受けてどうするw」
>>308「テレビの水戸黄門にムキになるなよ」
一般人「お前が水戸黄門を史実と勘違いしているんだろw」

311:日本@名無史さん
12/12/31 10:42:30.65
>>308
水戸黄門は、途中で頻繁に
「閑話休題。史家は往々にして越後屋とつるむ者を悪代官のごとく罵る。
 しかしこれはアメリカがソ連と和解したらと言うのに似ている」
なんて、歴史特集番組みたいな解説をはさむか?

司馬はそれをやるんだよ。歴史への評価や歴史上の主張を組み込んでる点で、水戸黄門じゃないの。

312:日本@名無史さん
12/12/31 11:20:26.95
308は、その解説まで水戸黄門同然だと言いたいのかもしれんな。
しかし問題なのは、その解説を真に受けている馬鹿の話であって、
「食えないから司馬に対してムキになっている」という308の批判は的外れだな。
稼ぎうんぬんで嫉妬して攻撃するんだったら、専門家もノンフィクション作家も関係ないし、
相手だって司馬や村上みたいな作家に限らず、政治家や芸人や事業家でもおかしくない。
どうしてこうも、司馬ヲタは意味不明な反論しかしないのかね。

313:日本@名無史さん
13/01/02 12:53:54.73
司馬の創作術は新聞の記事の書き方と同じだ。
新聞記者もそうそう調べてから書くわけではない。取材のための時間も費用も乏しい。
いかにも分かってるように、そして事実のように書く技術が必要だ。
そのためにはともかく一部分は事実を使うこと。
一部分だけは確固たる事実に立脚する。あとはそれに適当な尾ひれを付ける。膨らませる。
事実の部分が足りなければもったいぶった解説、あるいは価値判断を付加する。
「~という批判も寄せられている。」とか。
それと新聞記事には事大主義も大事。大げさに捉えないと読む気がおこらない。
台風の記事なら「首都圏を直撃のおそれ」とか。
予測が外れれば「実りの秋。あやうく被害を免れる。」とか書いて、梨農家の○○さんの
安堵した発言を載せる。

314:日本@名無史さん
13/01/02 15:09:23.71
>>311
いや、それは別にいいだろ。
小説に限らず、史記だって「大史公曰く」なんてやってるからな。
問題なのはその解説の内容と読者の反応だろ。

史記を読む奴だって大史公の見解がそのまま正しいと思う奴はほとんどいないが、遼太郎読者の場合はそうじゃない。
(どっちも司馬だからややこしいな。)

315:日本@名無史さん
13/01/02 16:00:58.71
いや創作なら解説風な表現も含めてなんでもありでしょ。
歴史家みたいな発言を書籍やドキュメンタリーでやらなきゃいいだけ。

316:日本@名無史さん
13/01/02 17:46:21.70
司馬遼はそれをやっていましたね
よって有罪

317:日本@名無史さん
13/01/02 18:44:16.28
>>315
司馬小説を史実だと思いこむ読者って馬鹿しかいないよな

318:日本@名無史さん
13/01/03 13:23:34.11
司馬信者は、司馬小説を史実だと思い込んでるんじゃなくて、
現実と妄想の区別の観念自体を持ち合わせていなんじゃないかな。

司馬史観を披露し偉そうに天下国家論を語っていたかと思いきや、
間違いを指摘されるとこれは小説だと開き直る。
現実と妄想の区別がつく人間はこういう反応はしない。

10年前ちょっと前にいた、ライフスペースの高橋代表って覚えてる?
司馬信者の受け答えって、ちょうどあんな感じの理不尽さ。
カルト宗教や司馬小説の信者って、脳の器質的にどこか一部トンでる部分があるんだと思う。

319:日本@名無史さん
13/01/04 07:26:35.45
与太話を信じ込む読者もアホだけど
司馬の書き方にも問題があるよ

例えば
>>274
「江戸三百年のあいだ白昼公然と関所をやぶったのは、この男だけである。」
って書いてあるんだぜ
これを読んで事実だと思うなというのは普通無理じゃないか

320:日本@名無史さん
13/01/04 08:46:27.52
読者の知能レベルの問題でしょう

321:日本@名無史さん
13/01/04 09:18:48.18
その知能レベルを指摘すると「小説なんだから」でループするw

322:日本@名無史さん
13/01/04 14:35:27.12
>320
その知能レベルの低いウザい読者について語ってるんじゃないかボケ
お前知能レベル低すぎだわw

323:日本@名無史さん
13/01/06 12:48:13.63
司馬は出版社や新聞社に守られていた。
司馬の著作を全部合わせると二億冊になるという。
その出版社も新聞社も、自分のところが一番司馬と近しいということを競っていた。
たとえばサンケイと朝日。サンケイは司馬の出身母胎だし一方の朝日は街道をゆくのシリーズや
提灯記事で司馬と近いことを誇っていた。
司馬は出版界に莫大な利益をもたらす福の神だった。司馬を傷つけるような真似をさせるわけがない。

だから司馬のインチキ知識でも、それを叩くような本や記事はいっさい載せることができなかった。
書きたい小説家はいたにしても、書けば巨大出版社や新聞社を全部敵に回すことになる。
唯一、誰だったかな、名前忘れたけど、坂の上の秋山好古がいつも戦場で酔っ払っていたということを
「それによって霊感が浮かんでくるかのように描いている」とか、早い話そんなわけないだろ、と言いたかった
みたいだが、ハッキリ書けなかったんだろうな。
近代国家の軍の指揮官が前線でいつも酔っ払ってるわけないわな。

324:日本@名無史さん
13/01/06 14:13:10.43
ヨイトマケの唄
「土方は差別用語だから、この歌は放送禁止」ということだが、
土方を放送禁止にさせたのは、富豪や政治家、新興宗教や暴力団の傘下にある人権団体だった

むしろ「ヤクザな道は踏まずに済んだ」の部分こそ、彼らにとっての放送禁止な部分。
「ヤクザな道」を通って暴利を貪って来たのは、他でもない、彼ら自身だからだ。

その「ヤクザ」が「土方」にイチャモン付けて、「放送を通した歌の頒布を禁止」させた。

325:日本@名無史さん
13/01/06 18:04:40.45
>318
>司馬史観を披露し偉そうに天下国家論を語っていたかと思いきや、
>間違いを指摘されるとこれは小説だと開き直る。

これは読者だけでなくて、司馬遼太郎のスタンスでもあるわな。
どんないい加減なこと書いても「あれは小説」でシャアシャアとしている。
その一方で「この國のかたち」みたいな偉そうな本を書く。

326:日本@名無史さん
13/01/06 18:39:01.32
司馬がそういうスタンスなら読者も言い逃れ出来んな。
そういや司馬財団も事実誤認を指摘したら「文学だ」の一言で片づけて、
だったら○○みたいな人は名誉棄損でっせと言ったら逆ギレされたよ。

327:日本@名無史さん
13/01/07 13:48:07.50
>323
思い出した。
レイテ戦記や野火を書いた大岡昇平。
フィリピン戦線に従軍しただけにそんな指揮官がいるわけないと
言いたかったんだろう。

328:日本@名無史さん
13/01/07 14:11:37.33
結論

どうでもいい

329:日本@名無史さん
13/01/07 17:17:08.96
なら書き込むなボケ

330:日本@名無史さん
13/01/07 18:22:25.82
>>328は論破され反論不可能になった司馬財団のお方

331:日本@名無史さん
13/01/07 20:47:47.66
なら328にもう一つどうでもいい話をしてやるよ

>>278 でいうと

ノ谷合戦での義経の鵯越えの逆落としは全然奇襲じゃない。
範頼は東の城戸(大手口、生田の森)から、安田義定が西の城戸(搦め手口)から、義経が
山手から攻め下ることに軍議で決まっており、攻撃開始の刻限も卯の刻と決めていた。
申し合わせどおり一斉に攻撃を開始したのだから、義経の攻撃だけを捉えて奇襲というのはおかしい。
しかも、山手口から来ることは平氏も予想しており、ここに柵を置き、兵を配置していた。
そこに攻撃をかけたのがなんで奇襲といえるのか。

なお、義経が攻撃した場所は実はハッキリしていない。山手口はなだらかな丘陵地帯で逆落としを
するような場所がないからである。そこで西の城戸の近くの山から攻め下ったという説がある。
しかし、そうすると山手口からは誰が攻めたんだという話になる。
その結果逆落としは摂津源氏の多田行綱がやったのだという説まで出てくる。
しかもこの説が結構説得力があって困る。

332:日本@名無史さん
13/01/07 20:48:40.95
ノ谷合戦   ×

一ノ谷合戦 ○

333:日本@名無史さん
13/01/07 22:08:08.37
戦国幕末や源平ならマニアも多いけど、「菜の花の沖」は語れないようだね。

334:日本@名無史さん
13/01/08 08:10:33.81
「菜の花の沖」ならマニアも多いけど、「韃靼疾風録」は語れないようだね。

335:日本@名無史さん
13/01/08 09:12:02.28
「韃靼疾風録」は虚構とわかってるからなあ・・・
司馬遼太郎症候群というくくりでその功罪を語るとすれば
いちおう学者のはずの何某氏までもが文春では司馬賛美にまわってしまってる
ってことかなあ・・・ 「武士の家計簿」ヒットとその後の印税収入が
学者の良心を曇らせてしまったとしかかんがえられない。

336:日本@名無史さん
13/01/08 09:16:22.77
フィクションはフィクションとして楽しめばいいんだよ

337:日本@名無史さん
13/01/08 10:27:28.62
「韃靼疾風録」ならマニアも多いけど、「ひとびとの跫音」は語れないようだね。

338:日本@名無史さん
13/01/08 11:10:13.09
史実とフィクションを混同しちゃうレベルの人は
司馬の愛読者が「フィクションをフィクションとして楽しんでる」ことがわからないんだろうな。

339:日本@名無史さん
13/01/08 11:36:13.02
>>338
> 司馬の愛読者が「フィクションをフィクションとして楽しんでる」ことがわからないんだろうな。

もし本当にそのとおりなら司馬遼太郎症候群っていうネタに誰も食いついてこねーよw
司馬のフィクションや戯言を事実や権威として受け止めてしまう馬鹿な読者が多いから皆が賛同するわけだがね。

それとも、まさか「司馬の愛読者はフィクションや戯言と知りながら、事実や権威として他人に語ってる」とでもいいたいのか?
もしそうなら、司馬の愛読者は馬鹿どころか性格異常者ということになるぞw
それはそれでトンデモナイことだと思うが?

340:日本@名無史さん
13/01/08 13:32:26.52
好古の意識は四十度ちかい高熱のなかにただよっていた。
かれは数日うわごとを言いつづけた。
すべて日露戦争当時のことばかりであり、かれに魂魄はかれをくるしめた満州の戦野をさまよいつづけているようであった。
臨終近くなったとき、「鉄嶺」という地名がしきりに出た。やがて、
「奉天へ。-」
と、うめくように叫び、昭和5年11月4日午後7時10分に没した。

うーむ、格好いいね

でも事実はこうらしいね。
ー 好古の最後 ー
  「何十年もずーっと馬に乗って、長靴で足を締め付けていますから足が女の子みたいに細く
  あまり歩けませんでした。晩年になって血の循環も悪くなったんでしょう。病気の元はそこから
  来たんじゃないかと思います」と君代さんは語る。
  病気とは、脱疽という筋肉が壊死する病気で、松山から東京に帰ってきた好古はこの病気で
  大腿部から切断するという大手術を受けた。
  「手術はノコギリみたいなもので足を切ってパッと持って行ってしまいました。しかし切ったとこ
  ろが浅かったのか、毒が上のほうへ廻って、それから2~3日で叔父は危篤になりました。」
  叔父は死ぬとき「馬曳けーっ」といって逝ってしまいました。満州の荒野を駆ける夢でも見てい
  たんじゃないかと思います。その最後の言葉を言うとグッと倒れました。大往生でした」 昭和
  5年11月4日秋山好古は波乱に富んだ71年の生涯を終えた。

URLリンク(www.eonet.ne.jp)

            

341:日本@名無史さん
13/01/08 20:33:48.16
定期的に、必ず>>338みたいなのが出てくるよな。
いつもなら歴史を知らない子供相手に幕末小説や坂雲を史実であるかのように語るくせに、
こういう場でぐうの音も出ないほど指摘されると「フィクションとして楽しんでいる」と逃げるんだよね。
だったら二度と司馬本を参考に語らないでもらいたいね。
>>338本人は知らないが、世間にはいまだに司馬本を片手に歴史を語るアホが多いからね。

342:日本@名無史さん
13/01/08 22:15:55.36
336は例えば秋山好古の臨終の場面をフィクションとして楽しめるのだろうか。
フィクションとして楽しむにはフィクションと分かっていなければならない。
しかしフィクションかどうか区別するだけの知識があるのか。
そんな知識を持ち合わせている人は普通いないはず。
司馬だってもともと知って書いてるわけじゃないと思う。
ただ、商売のネタなんで、司馬は山のように資料を買った。
それを学者みたいに研究したんじゃなくて、適当に小説のプロットを探したんだろう。
十冊に一個見つかればいいぐらいの気持ちで。
なんせ、原稿用紙一枚が札束に変わるような作家だから。
膨らませる種が見つかればいいんだよ。
そうして書かれたものの細部について、素人が嘘だホントだと判断するのは無理だ。
司馬と同じだけの財力があり、同じだけの資料を入手できるのならともかくね

343:日本@名無史さん
13/01/08 23:14:08.56
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

344:日本@名無史さん
13/01/08 23:18:48.08
便所虫ってどんな虫?
「便所虫」ってどんな虫のことですか? 自分は便所にいる虫のことと思ってましたが、ダンゴムシの丸まらない奴説や
コオロギに似た昆虫説などが他のサイトにでていたので気になりました。
 わかるかたおしえてくださいm(_ _)m

質問者が選んだベストアンサー
回答:No.5

Shitumon_Kun
ANo.#2さんが書いてるように,人によって違うと思います。こちらにアンケートをされた方の記録がありますので御覧下さい。

 ◎便所虫アンケート
  URLリンク(www.yaouo.jp)

 「ダンゴムシ(まるむし、たまむし)」と言う方が多かったみたいです。

 なお,私も「便所虫」と言えば「ダンゴムシ(まるむし)」の事を言っていました。
参考URL:URLリンク(www.yaouo.jp)


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お礼
なるほどやはり人によって違うのですね。やはりトイレにいる虫の事と考えるのが妥当かもしれませんね。
 ありがとうございますm(_ _)m

345:日本@名無史さん
13/01/09 00:53:07.81
>343
司馬オナニーは気持ちいいかよ

フィクションはフィクションとして楽しむっていうのはそういうことだろw

346:日本@名無史さん
13/01/09 09:16:28.31
>>342
> そうして書かれたものの細部について、素人が嘘だホントだと判断するのは無理だ。
> 司馬と同じだけの財力があり、同じだけの資料を入手できるのならともかくね
頭のおかしな人っぽいね。
小説を読むのに「この記述は史実と一致してるだろうか」なんて気にしないよ。
登場人物のセリフなんて全部創作なんだし。

347:日本@名無史さん
13/01/09 14:33:55.26
気にしてないけど史実だと信じてる人がバカ。

348:日本@名無史さん
13/01/09 14:42:48.10
>346
そうだよな。
エロ小説を読むのに「これは本当にあったことなんだろうか。」とか気にしないよな。
登場人物の性技とかセリフなんて全部創作なんだし。

やっぱり君はオナニストっぱいね。
オナニー中断させちゃって悪かった。さ、続けてくれw

349:日本@名無史さん
13/01/09 18:34:19.00
>336
336に聞きたいんだが、龍馬がゆくの ↓こういう部分をどういうふうに読むの?
フィクションとして読むの?

「ここしばらく、眼を長州藩に移そう。なぜならば、元冶元年という年の焦点は、長州
藩の動きであった。
余談だがこの藩ほど、悲愴(ひそう)な藩はない。
「毛利元就(もとなり)以来、勤王先唱(せんしょう)の藩」
を自負し、げんに幕末の風雲に乗じて京で過激工作をし、侮幕(ぶばく)、反幕行動を
とり、天皇に政権を与える運動を陰に陽におこなった。
天皇も公卿(くげ)も、惚れられて憎かろうはずがない。はじめは長州藩に好意的であ
った。
が、しだいに長州の惚れかたが、当時に地口(じぐち)をかりれば、「悪女の深情け」に
似てさて公卿のほとんどが反感をもつようになった。
長州系志士のやりかたが、殺伐すぎた。たとえば反長州的な公卿や大名の屋敷に人間
の手首を投げ込んだりするたぐいのいやがらせをしたり、文書をもって脅迫したりし
た。過激浪士乱暴も、みな、「長州的行動」という印象を京都政界にあたえた。長州
藩がそれらを庇護していたからである。もはや、主義ではない。
その体質をきらわれた、といえる。
皮肉なことに、長州人がそのひとのためなら命も捨てようとした天皇から、もっとも
きらわれた。孝明帝は、このとし元冶元年正月二十一日に参内した将軍家茂に対し、
詔書をたまわっている。
長州への天皇みずからの挑戦状とさえいえるほどになまな感情が露出していた。意訳
すると、まず、「三条実美(さねとみ)(長州系公卿。官位剥奪されて長州にあり)ら
公卿は、田舎者の浪人どもの言説を信用し、海外の形成も察せず」とある。
ほんの一年前の孝明天皇自身がそうであったのに、いまは変節し、「海外情勢を察せ
ぬ」ということを攻撃している。」

350:日本@名無史さん
13/01/09 20:43:21.70
それまで司馬小説を史実だと思い込んでいた人が、
間違いを指摘されると必ず言うのが「フィクションをフィクションとして楽しんでる」

351:日本@名無史さん
13/01/09 23:51:14.40
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

352:日本@名無史さん
13/01/10 00:00:28.70
フィクションをフィクションとしてマスを掻くオナニスト

バカがそんなに現れるわけないから、351は上の方に出てきた勝手に勝利宣言馬鹿か
勝手に勝利宣言馬鹿って女なんだっけ?

龍馬読みながら毛マ○コに指突っ込んでかき回してる便所虫キタナ

353:日本@名無史さん
13/01/10 00:04:29.31
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

354:日本@名無史さん
13/01/10 20:07:12.70
反論できないと暴言を吐くしかなくなるんですかw
司馬信者なんてこの程度ってことですね。

355:日本@名無史さん
13/01/10 22:03:50.81
便所虫とか、爺いだろうな
便所に虫なんかいないもんな

昭和の農村で育ったジイサマか
便所で糞しながら司馬の歴史小説シコシコ読んで
酒飲んじゃしったかするのが好きだった前期高齢者とか

356:日本@名無史さん
13/01/10 23:04:01.96
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

357:日本@名無史さん
13/01/10 23:45:11.18
司馬遼太郎は子母沢寬の影響を受けてるな

「新撰組始末記」は、今ではほぼ子母沢寬の創作といわれているが
あのリアリティはすごい。
嘘でも思いつきでも本当らしく書く書き方は司馬に影響を与えたと見て
間違いない。

「父子鷹」は龍馬がゆくの元になってる感じがする。

358:日本@名無史さん
13/01/11 12:43:05.38
便所虫にフルボッコ状態の司馬w

359:日本@名無史さん
13/01/11 22:09:43.50
>>358
社会派気取りのモノ書き芸人として成功した司馬がああいう路線を貫き通したのは、
どん底からたまたま大当たりで人生大逆転したか弱き一個人の処世術として仕方の無かったことだと思う。
糾弾すべきは司馬本人ではなく、司馬信者の低知能・低教養・低学歴の方なのでは?

360:日本@名無史さん
13/01/11 22:54:35.32
だから、このスレではそういった無知な司馬信者を叩いているのだが、
信者が「司馬vs便所虫」の構図にしようとしているんだと何回言えば

361:日本@名無史さん
13/01/12 02:18:06.67
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

362:日本@名無史さん
13/01/12 05:17:59.84
君の崇拝する司馬遼太郎は人格も文章もかなりおかしい。
特に、明らかな嘘を史実と主張する癖はかなり迷惑なものだ。

363:日本@名無史さん
13/01/12 10:10:58.30
>>362
そういうお前はどれだけ立派な文章を書くんだ?
直木賞作家に対する嫉妬にしか見えん

364:日本@名無史さん
13/01/12 10:24:19.83
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

365:日本@名無史さん
13/01/12 10:30:51.23
例えば政治家の批判をしたところで、政治家に対する嫉妬だなんて返しは来ない。
でも、司馬の場合はすぐに>>363みたいなのが飛んでくる。
それこそが司馬のミーハー芸人たる所以なんだよね。

366:日本@名無史さん
13/01/12 10:43:40.43
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

367:日本@名無史さん
13/01/12 10:58:09.77
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

368:日本@名無史さん
13/01/12 11:23:21.97
作家と政治家は違うでしょ。
政治家は「鞄看板地盤」と言われるようにある程度周辺環境が必要だけど、
作家の場合はその表現物で評価される。作家の評価に政治家を持ち出すこと自体が間違い。

369:日本@名無史さん
13/01/12 12:47:47.66
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

370:日本@名無史さん
13/01/12 13:25:20.93
司馬信者の、便所虫に対する嫉妬は醜いね。
やはり知識がない人って最後は暴言を吐く以外に何もできないんだなあ。
日本史板なんだから議論で勝負しようぜ?

371:日本@名無史さん
13/01/12 15:21:35.09
>>370
便所虫ってお前みたいな司馬に嫉妬する歴史音痴のこと?

372:日本@名無史さん
13/01/12 15:37:30.20
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

373:日本@名無史さん
13/01/12 15:53:23.55
おまえら嵐が何を言おうとウンコ虫。

374:日本@名無史さん
13/01/12 16:06:47.25
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

375:日本@名無史さん
13/01/12 16:21:46.85
>>370
司馬に嫉妬する歴史音痴なんていねえw
歴史音痴は司馬を崇拝するウンコどもだろ。

376:日本@名無史さん
13/01/12 16:44:35.48
たかが歴史小説なんだから楽しめいいじゃん。
司馬だってそれ以上のことは考えてないだろ。

377:日本@名無史さん
13/01/12 17:04:19.65
時代的制約というものがある。
司馬の小説が売れた昭和三十年代から四十年代、歴史の本というと専門書とか教科書のような
堅い本ばかりだったはずだ。なぜならネット時代が来るまで本というのは教養に資するものだったから。
一方歴史小説というと吉川英治とか山岡荘八みたいなお話みたいなのばっかり。
そういう中で知性をちょっとくすぐるような司馬の小説は清心な印象を与えたのである。
しかし、今やネット上に歴史情報があふれている。
司馬の小説の情報価値はそれほどでもなくなった。
その気で読むと変な記述がいっぱいある。司馬のカリスマ性は失われた。

それと、高度成長期は二度と来ないということだよ。
若者が未来に夢を抱かなくなっておるのじゃ。女も口説かない。
司馬の小説を読んで「よし、俺も」と興奮するような男はいなくなっている。
今、司馬信者というのは、ここのアラシのような昭和のウンコたれ爺いのようなのしかいない。
376はせいぜい楽しめばよい。嫌みでなく、ほんとうにそう思う。
司馬の小説では楽しめなくなっている奴が多くなっているということだよ。時代のせいだ。

378:日本@名無史さん
13/01/12 17:14:58.79
>>377
負け組の意見だな。
日本の若者が誰も夢を描いていないわけでなければ
妻も彼女もいない男ばかりじゃないぞ。
負け組の俺は司馬の歴史小説の主人公になっているような勝ち組男に嫉妬する、
だから面白くないってはっきり言えよ。

379:日本@名無史さん
13/01/12 17:42:25.87
歴史上の人物に嫉妬する馬鹿なんて普通いるか?
自分がそうだからって他人もそうだと思うなよ。
司馬小説を史実だと勘違いしているお前みたいなキチガイを問題にしているの。
論点を逸らさないで現実を直視してくれ。

380:日本@名無史さん
13/01/12 18:45:17.94
>>379
だったら負け組のお前でも司馬小説を楽しく読めるんじゃないか?
「未来を悲観してるから成功話が多い司馬小説に共感できない」
「女を口説いたことがないから女をすぐ口説く司馬小説に共感できない」
と女々しいこと言ってたのはお前の癖にw

381:日本@名無史さん
13/01/12 18:47:00.94
「関ヶ原」

主人公と言うか中心人物は負け組の石田三成だから、これに嫉妬する人はいないだろうね。
よって378の論理は破綻してますがな。

徳川に加担したと言われる北政所寧は、実際には三成と親しかったことが知られている。
司馬遼小説を無批判に信じている人たちは、未だに三成と淀が結託したと頑なに主張しているようだが。

浅野長政は当初アンチ家康だった。だから秀吉の死後、家康によって追放の憂き目にあっている。
無知の司馬はこれに触れることができず、ただ一時期長政は嫌われていた、としか書いていませんね。

清正などに追われた三成は家康の屋敷に逃げたことなどありません。

西軍が岐阜戦線で敗れ後退した時のこと。小説では三成が島津入道を前線に置き去りにして一人引き返しているが、
石田勢と島津勢は別々の場所にいたのであり、小説のようなことはあり得ない。
それどころか前線に孤立した島津勢を三成が単身で迎えに行き、島津義弘はこれに感激している。

関ヶ原におびき出された説は、徳川のほうで西軍の移動を知らなかったから論破。

小西行長が早々に逃亡したことになっているが、実際には奮戦した。


クソ虫司馬信者が何を言おうと、歴史は変わりません。

382:日本@名無史さん
13/01/12 18:47:46.78
>>380
人違いすんなクソ虫ww

383:日本@名無史さん
13/01/12 19:28:15.72
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

384:日本@名無史さん
13/01/12 20:19:57.92
そして史実を持ち出されると遁走するしかない司馬信者は便所虫以下。

385:日本@名無史さん
13/01/12 20:40:09.36
おまえらカスが何を言おうと便所虫。

386:日本@名無史さん
13/01/12 21:06:50.80
司馬信者が何を言おうと歴史認識で圧倒している便所虫には屁でもないわw

さて便所虫厨はほっといて、改めて司馬の歴史認識のなさと読者の無知を語りますか。
「菜の花の沖」のことが前に出ているんで少しだけ。
司馬が、拉致された後リコルドの船が嵐にあうんだけど、
その時に高田屋さんはロシア人相手に操船を指示し、言葉が通じた、なんて司馬は書いてるけど、
一本マストの和船と二本マストの洋船では操船方法が全然違うから高田屋には何も出来るはずがないの。
言葉が通じたというよりもロシア人のほうで適切に対処しただけだろうね。
実際にリコルドの手記には、嵐にあったことはあるけど高田屋の関与については触れていない。

菜の花の5巻は小説というより歴史の参考書みたいになってるが、
その時代を研究している人が読むと司馬の無知さ加減が腹立たしいらしいですな。


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