【初心者】スレッド立てる前に質問をPart29【歓迎】at HISTORY
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart29【歓迎】 - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
12/06/13 19:54:35.81
分からないことがあるときは、スレッドを立てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問については、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
回答に時間がかかったり、回答が得られなかったりしても、怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップを付けることをお奨めします。
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたいときは、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

※まずは下記でチェックしてください。
日本史・世界史FAQ
URLリンク(www.geocities.jp)

<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・過度な論争は自粛してください。
・煽り質問はスルー。
前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart28【歓迎】
スレリンク(history板)

2:日本@名無史さん
12/06/14 22:28:38.66
BS-TBSで放送中の河井継之助、ソースは全部司馬か?
TV局は何時まで童門冬二なんかを使い続けるんだろうか…

3:日本@名無史さん
12/06/14 22:48:50.85
>BS-TBS
ガトリング最強!キター

4:日本@名無史さん
12/06/15 01:22:07.50
昔の人の命名に興味をもったんですが
武士、武将はほとんど秀勝とか直政みたいな漢字二文字系ですよね?
一方で◯右衛門とか◯兵衛のような名前もあります。
身分やら何やらで名付けのセオリー、流行り廃りがあったと思うのでそういうのを知りたいです。
日本人の名前がどうやって形作られていったのか、良い本などあったら教えて下さい。

5:日本@名無史さん
12/06/15 18:35:16.85
【世論調査】 民主党の支持率8%、最低を更新・・・時事通信
スレリンク(newsplus板)

1桁台突入。NHK平清盛とどちらが先かといわれてましたが民主党が先でした。

6:日本@名無史さん
12/06/15 18:58:47.34
例えば源判官義経の場合、「源」は姓で「判官」は官位、「義経」は諱(いみな)となる。
諱は日常的には使われない。普通は官位が有れば官位で呼ぶ。官位が無い場合は仮名で呼ぶ。
仮名には幾つかの種類が有る。太郎、二郎のように順番を示すのは排行名。義経は官位を貰う以前は
源九郎義経と名乗った。仮名には他に受領名(ずりょうめい)、東百官(あずまひゃっかん)などがあるが
説明は省くのでググれ。

ちなみに武田信玄の場合、武田は苗字で姓は源となる。信玄は出家後の法名。

7:日本@名無史さん
12/06/15 20:30:09.90
[古代] 
大和時代の神名や貴人の名には、美称や尊称が付されるのが常であった。
例えば、天鈿女(あめのうずめ)命の〈天〉は美称、〈命〉は尊称であって、実名は鈿女である。
天国排開広庭天皇(あめのくにおしはらきひろにわのすめらみこと)(欽明天皇)のうち、〈天〉は美称、〈国排開〉は威力を示す尊称、〈天皇〉は尊号であって実名は〈広庭〉である。
これは奈良時代の高官であった中納言阿倍朝臣広庭と同名である。
大和時代の人名は男女とも複雑で無定則的であるけれども、接尾語として彦(ひこ)、比売(ひめ)(姫、媛、比黄)、郎子(いらつこ)、郎女(いらつめ)、足(たり)、比登(ひと)、女(め)、
戸弁(とべ)、麻呂、雄(お)(男)、子(男女ともに)、君(男女ともに)等が名に付される例が多かった。
複雑、無定則的であるから後代に姿を消した名が少なくない。

奈良時代になると前代の名にみられた著しい多様性や無定則性はしだいに影をひそめ平明化した。
男性名では接尾語の麻呂が優位を占め、郎子、彦、子(男性名としての)などは消え、または廃れた。
麻呂を接尾語にもたない名の場合、2字の名(例えば、家守、広足、牛養(うしかい)、川継、継縄(つぎただ)、等々)が優勢となった。
比登は人と記され、二文字名の一つに用いられた(例えば、旅人、東人(あずまびと)、国人、祖(おや)人、等々)。
男(雄)もわずかにみられるが(勝雄、諸男、刷雄など)、これに対応する女性用の接尾語の女(売)(め)が圧倒的優位を保つのに対して劣勢となった。
こうして〈女(め)〉は〈麻呂〉と対応関係を結ぶに至った。
奈良時代の女性名では、戸弁、姫、君は消失し、接尾語は〈女〉に統一される形勢となった。
また郎女の語は劣勢となり、奈良時代の末には影をひそめたが、他方〈子〉字が女性名用の接尾語に採用される気運が生じた(宮子、弟兄子(おとえこ)、若子、等々)。

平安時代になると男性名の大部分は2字で構成されるに至った。
麻呂は丸(まろ)に変わり上流社会では幼名に用いられ庶民の間では男性に多い名となった。
嵯峨天皇は、賜姓源氏の皇子に融(とおる)、信(まこと)、弘(ひろむ)、常(ときわ)、寛(ひろし)のような一文字の名を与えたが
男性の一文字の名は嵯峨源氏や仁明源氏の伝統となった。

8:日本@名無史さん
12/06/15 20:34:02.80
また同天皇は、親王や内親王の名に乳母の氏の名を採る慣例をやめ、親王には2個の佳字(秀良(ひでよし)、忠良のような)を、内親王には×子型を賜った。
また賜姓源氏の皇女を×姫と名づけた(潔(きよ)姫、全(また)姫、盈(みつ)姫など)。
復興された×姫型の名は、さほど影響を及ぼさなかったが、×子型の名の方は、上昇気運にあった子型の女性名の流行に拍車を加えた。
ただ庶民の間では、女型の女性名が依然として圧倒的であった。
平安時代中・後期の上流社会では、男性は幼名(童名)を帯び、元服に際して2字の実名(諱,名乗)をつけるのが恒例となった。
紀貫之の幼名が阿古久曾であったことは知られているが、これはわざと汚い文字を用いた辟邪(へきじや)的な幼名である。
このころから男性には,通称(呼名)がつけられた。
元来これは、実名敬避の習俗を背景としているが、太郎、次郎、三郎など排行(はいこう)(年齢順の数による称呼)が古い型式の通称であった。
平清盛の通称の〈平太〉は、平氏に生まれた一男の意味である。
庶民は、2字の諱をもたず、幼名または通称だけで呼ばれることが多かった。
武士などは、住地(荘園)を家名とし、家名と通称で呼ばれ、氏名と諱とは公式の場合に用いられた(熊谷次郎→平直実)。
公式には、氏名+諱が、略式には家名+通称が呼ばれ、家名+諱は1871年(明治4)まで違法であった
(例えば略式は西郷吉之助、公式には平朝臣隆盛となり、西郷隆盛は、1872年以後の戸籍名である)。
女性の諱は、×子型に統一されたが、これは裳着、宮仕え、叙位に際して命名されるのが常であった。
女性の通称には、大い君、中の君、三の君(庶民の場合は、姉子、中(なかんの)子、三(さんの)子)があり、また×氏女(うじのによ)が広く用いられた。
平安時代後期には、千寿女、万寿女のような佳名型の通称(時によっては実名)が多くみられたが、後代のセン、マンといった名はそれらに由来している。

9:日本@名無史さん
12/06/15 20:41:43.01
[中・近世] 
鎌倉時代から南北朝時代にかけて上流社会の男性は、公家、武家とも、氏名+諱を公式の名とし、家名+通称を日常の名とした。
通称には、排行名のほか百官名(幸嶋左衛門尉、難波刑部縁、朝山右馬大夫、足利木工助(もくのすけ)、新田大炊助のような)が盛んに用いられた。
上流社会の女性名は、公式には子型の諱であったが、日常生活ではもっぱら通称が用いられた。
叙位、任官の場合を別とすれば、普通には通称が用いられ、通称の本名化がみられた。
鎌倉時代には、仏教的な通称(薬師女、千手女、如来女、拘沙(ひさ)女、金梼羅女、伊王女、夜沙(やさ)女、袈裟(けさ)女、等々)も数多くみられた。
室町時代の男性名には、さほど大きな変化はなかったが、排行名・百官名が複合したり、他の文字が加わったりして通称は複雑化した。
排行名も、本来の源一郎、橘三、藤三郎等から変化した藤(藤原)吉(橘)郎、吉蔵、弥太郎、三郎兵衛、右衛門太郎のような名が普及した。
百官名では、四等官部を落とした左衛門、右兵衛などのほか、大学、隼人(はやと)、刑部(ぎようぶ)、主税(ちから)、弾正(だんじよう)、采女(うねめ)のような通称もみられた。
上流社会における子型の諱は変わらなかったが、通称の方は、阿茶(あちや)、阿茶々、伊茶、ちやち、あこゝ等の新しい名の導入によって幾分面目を改めた。
貴族庶民の別なく、通称には女字の脱落と仮名書き化が相当進んだ(とら、かめ、わか、いちの類)。
しかし一方では、千代女、若鶴女といった旧型式の名もみられた。
女性名の接頭詞としての〈お〉は、軽い敬称ないし愛称として南北朝時代に始まるが、室町時代において漸増した(御ふく女、お今、おあちや、等々)。
安土桃山時代には女字の脱落と仮名書き化が激しい勢いで進行した。
豊臣秀吉の正妻は木下ねねであって、〈ね〉または〈ねい〉ではない。
〈ねね〉という名は、鎌倉時代前期に早くもみられるが、この時分には珍しくない名となっていた。
〈ね〉や〈ねい〉という女性名は、この時代の文献には検出されないが、〈ねね〉とその妹の〈やや〉とは、そのころにはありふれた女性名であった。
しかしそれでは叙位の対象にならないから、彼女は公式の名を平朝臣寧子と定め、その名で従一位に叙されたのであった。

10:日本@名無史さん
12/06/15 20:42:16.03
江戸時代の庶民の女性名は、ほとんど仮名書きであり、大部分が2文字である(はつ、せん、せい、かめ、とら等々)。
これらはしばしば接頭語の〈御〉をつけて呼ばれた。

現在、各地に残るおびただしい宗門人別改帳によって江戸時代の女性名は無数に知ることができる。
室町時代から江戸時代にかけて庶民は家名を失い名だけで呼ばれた。
江戸時代において商人の場合には、屋号を名の上に冠したが(越後屋八郎右衛門、俵屋藤兵衛のように)家名を称するには許可が必要であった。
徳川三百年の泰平にあって文運が隆昌するにつれて諱や通称のほかに多種多様な異名が用いられた。
遊女の源氏名などは、さまざまな《吉原細見》などから多数知ることができる。

11:日本@名無史さん
12/06/16 22:57:45.46
中世の文書を読み下したいのですが、全然読み下せません。
読み下し方が学べる本があれば教えてほしいです。

ちなみに文書に関しては釈文になっているので、漢字自体はわかります。


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