12/07/18 08:21:51.49
>>470
東北の飢饉はそんな生易しいものじゃない。特に冷害ならね。なにしろ収穫皆無の上に
領主が年貢として何の斟酌もなく米を奪おうとするんだから。
出羽の側は北前船交易である程度の経済的余裕もあるから、庶民でなく領主が備蓄していた。
南部や津軽は格式で競い合って万年金欠だから、飢饉でも領主はまともに領民を顧みない。
天保の飢饉の最中に南部は年貢率を上げてのけたり、津軽は領民がはじめから領主を当てにせず
飢饉のたびに他藩領に乞食となって流れ込む。村に残った側が全滅し、他所に流れた方が生き残った
前例があるから。
天保四年の飢饉では出羽の方も洪水で備蓄米を腐らせてしまい、久保田その他の領民が
仙台領に流れ込んだりしてる。仙台も天保四年段階では備蓄はしてるけど、それでも城下の川に
上流村々で投げ捨てられた子供の死体が次々に流れ来たなんて記録がある。
備蓄を諦めて早々と乞食になる者たちがいる一方で、余力があれば備蓄するところもある。
その場合は、領主が再配分するから手持ちを全て供出せよと呼びかける。しかし、誰も応じない。
過去に集めた食料を武士がガメたり売払ったりして種籾まで食われた経験があったりするからな。
飢饉では庶民も善良さをかなぐり捨てる。人肉を食ったり、旅人に物乞いをして、断られると豹変して
荷を奪って逃げる。それを続けた者だけが体力を維持して旅人と対等に渡り合うことができる。
飢饉は生き地獄だよ。