12/03/01 07:10:59.98
>>783
待賢門院は備後守季通や宮律師増賢童子との密通が度々あった、
と忠実の日記殿暦にある(これは忠実の嘘かもしれないが)。
ただ妻問婚という当時の常識からすれば、そういうこともあり得るだろうし、
それなら当時の常識の中で生きている人間の男女関係を、
当時の常識が何か分かるように、また、当時の常識の範囲内で虚構を織り交ぜ
表現すればいいと思うのだが、全くそうしようとはしていない。
言い出したらキリが無いが、
院の御所で緊急避難的に女性を射殺したり、>>657の山野さんのいう「近代的自我」
を持った女性の登場など、現代劇ではあり得るシーンや価値観を仮借して、
(海賊との友情?のようなあたかも階層がない社会を志向する表現など言わずもがな)
切っても切っても金太郎飴みたいに現代の相しか現われないノッペリとした表現に、
さすがに歴史に詳しくない視聴者も嘘くささを感じて、
視聴率の低迷に繋がっているのだと思う。
我々とは常識の違う日本であって日本でないような世界がかつてあったことを
表現することが、視聴者に対する「時代劇」の一番のウリとかツカミになるのに、
みすみすその機会を失ってしまっている。