12/01/28 00:28:59.92
公家の日記に書いてあっても、話し言葉が漢文体の日記とは
大幅にちがうように、日記に「王家」と書いてあったからといって
清盛らの日常会話に「王家」がでるとは思えない。
公家の日記というのは、論語などの漢籍の知識を元に書くわけで
論語は「皇帝」という公称が始まる前の「諸王」への就職活動の様子が
書かれたもの。概念での「王道」とか「王権」を伝えるための言葉が
あったとしても、それが日常会話の中に出るはずも無い。
すべては机上の空論を、製作側の思想的都合のために「史料に書いてある」
と乱用、悪用したものである。
これは本当に悪質。日本史学者がこれに参加してること自体を恥じるべき。