12/10/25 21:54:02.55
高田屋嘉兵衛に関しては、なぜロシア側に拘束されたのかという事情に関する問題もある。
これは松平定信の異人不接触政策が生んだ異人討払令で、
ロシア人が和人及び和人支配下の集落で食料や燃料を得られなくなったのが原因で、
その上ロシア政府に対し、長崎まで来れば通商をすると約束しておきながら幕府が破約を行ったのも良くなかった。
そのため蝦夷地沿岸はロシア人の攻撃を受け、東北諸藩の兵士を配置せざるを得ない状況となった。
この状況下で高田屋はロシア軍に身柄を拘束された。
田沼の時点では通商や漁業開発が主で、むしろ貿易の可能性すら論じられているのに。
通常の貿易通商への道は、日本側が断ってしまった。