12/08/20 20:09:20.84
司馬は、たとえば河井継之助を描いた長編「峠」の前に短編「英雄児」を描いている。
短編では河井の決断を「何ら得るところのない無益な戦」と断じてるし、
河井の墓に鞭をくわえにくる長岡藩士のエピソードも紹介している。
あるいは三成を描いた「関ヶ原」でも、藤原惺窩の眼を通して直江らの挙動を裁断している。
つまり、問題点はちゃんと分かってる。しかし長編を描く際にはそこを故意に削る
最初は問題点が分かっていて、長編をサービスと割り切っていたが、次第に区別がつかなくなったんだね。
坂の上の糞まみれでは完全にイッちゃってる。