♪邪馬台国ドンと来い♪102at HISTORY
♪邪馬台国ドンと来い♪102 - 暇つぶし2ch390:日本@名無史さん
11/12/26 23:06:03.25
玉璧って、横山光輝の三国志か史記で知ったなあ。
子供の時だ。

391:日本@名無史さん
11/12/26 23:06:37.09
>>386 所謂ド・ツ・ボか? プッ

392:日本@名無史さん
11/12/26 23:08:22.64
>>388
渡来人は朝鮮半島が飢饉だったから日本に来たという事か?

393:ひとぶた
11/12/26 23:10:00.56
>>386

ヤフオクだと「玉壁」が800円、金印そのままは出品無いが「金印風香合」っていうのが1000円で出てたよ。
あと、白銅鏡へのツッコミは任せた。

394:日本@名無史さん
11/12/26 23:13:11.21
>>393 ひとぶた
面白い 最高 

395:太国 ◆yVAs7uaYlY
11/12/26 23:14:17.87
>>392
そういうことでないですよ。

~あれとは切り離して

宿主という男が言うに、

崇神5,6年の農民の飢饉が新羅192,3年に相当してるんだと主張してること
で、奴が言うに半島文献の192,3年に倭民が千人半島へ渡ったとあるんで
すが、それは千人の多勢の畿内人民が腹をすかして全員の渡海は出来
ないとコチラが否定、つついているわけです。

396:あらため だよん
11/12/26 23:15:38.71
>>393
あんた~何アホな事言ってるんだってW


397:日本@名無史さん
11/12/26 23:18:04.00
>>396 ドツボ
早く答えてくださいよ?なぜ「金印」よりも「玉壁」が格上なのか?

398:日本@名無史さん
11/12/26 23:21:36.79
金印は実用品として地位を示すもので、
壁は美術品で、権威を示すもの。

一概にどっちが上とはいえないが、
史記に壁で国を売る話があったなあ。

399:あらため だよん
11/12/26 23:25:11.35
>>397
なんで私が君達、名無しに一から十まで、何もかも教えて差し上げないといけないんだね?

もっぺん、図書館行って、お勉強して来いって言ってるでしょ。
それに、ここは自分が専門としているスレではないし~

400:日本@名無史さん
11/12/26 23:25:46.76
>>396 ドツボ
おいおい「金印よりも玉壁が格上」というものが君に常識としてあるんだろ?
ちと回答が遅すぎでないかい?それとも逃亡か?ま・いいけど・・

401:あらため だよん
11/12/26 23:26:52.99
>>400
終止符スレに書き込むよ

以上

402:日本@名無史さん
11/12/26 23:28:00.30
>>399 ドツボ
いい加減なこと言って偉そうにして回答できずに逃亡か?
かっこ悪いな

403:あらため だよん
11/12/26 23:31:50.06
ドツボ、ドツボ、うるせいょWWW

ねる ZZZ

404:日本@名無史さん
11/12/26 23:34:41.05
>>403 ドツボ

ごめんね 意地悪なこと言って おやすみ

405:日本@名無史さん
11/12/26 23:47:02.67
>>374
春の収穫期というものがある。天候不順が続き、
秋の実りが全く無い年の翌年、冬がいつまでも続き、
あるいは降水が皆無で、春に新芽が出ない年がある。
毎年、春の芽吹きは重要な食糧源なのだが、
春の芽吹きが無いと、ここで飢饉になる。

406:天才論客
11/12/26 23:50:20.81
>>379
>私は玉壁とは何かを知らないから聞いているのである。
>玉壁が最高のモノだという根拠はどこにあるかを確認しなければ

玉壁にも格があって、天子が天を祀るときの神器が至上のもの。
王侯の身分を現す宝器であり、死者を天上界へ導く副葬呪具でもある。
疑問があれば、自分で調べて確認すること。
自分でしらべたことは自分の知識となる。

何でも参加者や発言者に問えばいいというものではない。
「そうではない」という反論ネタを自分で探そうというのでもいい。
その途中で天才のいっていることの正しさを自ずと知ることになる。
ここでいちいち、常識ごとを説明するなどご免だ。

407:日本@名無史さん
11/12/26 23:55:22.54
ま、知らないふりして回答聞き出して、それの綻びにケチつけようという姑息な考えてなんだろ

408:天才論客
11/12/27 00:05:36.94
>>377 一発穴狙いの山師。
伊作、伊作とうるさいが、俺を叩くことで偉そな存在感を保とうという魂胆か。
目立つ奴を叩いてその上を行こうという怠け性根が見えてるぜ。

『倭人伝』の行程記録の一部をかじっただけで、「到」の我流解釈と「会稽東冶の東」という編纂者の所感と、
これに「インチキ図」をからめただけで、いっぱしになった気持で大口を叩くが、
これが「到」の読みに関する正論だ。とはいっても正視する了見はなかろうが。
↓↓
狗邪韓国と伊都国に「到る」。
明帝の詔書の中に、倭国が使者の難升米たちを「京都に到らしめた」「使節が還り到らば」。
この4回使われているが、4回とも到達する意味では共通している。
狗邪韓国は陸地の途切れた渡海の起点であり、
ここから「始めて一海を渡る」すなわち、一連の航海で最初の渡海が始まっている。
これが狗邪韓国に「到る」を使った理由だ。

伊都国は郡使たちの普段の目的地だから「到る」にしたものだ。
面白い実例がある。
▼『日本書紀』推古天皇16年
4月、小野臣妹子が使節代表の裴世清と12名の随員を伴って帰国。
(難波津の高麗館の上に迎賓館をつくるまで筑紫で2ヵ月ほど待機。
迎賓館の完成とともに難波津に入り、ここを定宿とする)。
8月3日に裴世清らが入京して倭王と接見。(8月16日裴世清らを朝廷でもてなす)。
9月11日、裴世清らが帰国。
やや半年にも及ぶ滞在期間中、入京(朝廷内に立ち入る)したのは1度だけである。

外来の役人とて、簡単には王都へ入ることはできない。
帯方郡の使者は伊都国を定宿としていたことから、彼らの目的地は伊都国になる。
1度だけ、魏本国からやってきた使節団は金印と詔書を携えて倭王の都に入っている。
これが伊都国に「到る」を使った理由だ。

これで、お前の我流言説の土台は液状化したわけだ。
にわか仕込みで偉そなマネはやめて、どこぞの・もといたカテでバカやってろ。

409:天才論客
11/12/27 00:13:53.85
>>407
親の教育がよくてなー。
俺はオープンマインドな人間に育ったから、
いつも脇を甘くして発言すべきことを発言している。

俺の論説にほころびなどない。
俺は、論拠ら乏しい推論はそう断っていうし、
断定的にいう場合は相応の論拠と根拠がある。
まともな議論ならばとことん説明するだけの用意があるが、そんな相手はここにはいない。

ご覧のとおり、ほころびないから、意図的誤解まじりに
お門違いの誹謗やあられもない横車を押すんだ。そこが人気者のつれーところよ。


410:日本@名無史さん
11/12/27 00:29:03.70
>>406
>玉壁にも格があって、天子が天を祀るときの神器が至上のもの。
>王侯の身分を現す宝器であり、死者を天上界へ導く副葬呪具でもある。
>疑問があれば、自分で調べて確認すること。
>自分でしらべたことは自分の知識となる。

礼記とか読んで調べてみたw
上記の説明じゃ100点満点中の20点と言うところだな。

玉壁・・・硬玉製の円盤で装身具、転じて威信財。
穀壁・・・爵位を示す瑞章の一つ(魏制下では子爵が持つ、侯爵以上は圭と言う角盤になる。)
卑弥呼の親魏倭王と言うのが魏制の爵位に該当するのかどうかわからんが、
王に値するなら鎮圭と言う最高位の瑞章を持つことになるな。


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