12/01/08 15:59:44.55
てすと
551:日本@名無史さん
12/01/08 18:25:39.99
自分の小学生~大学生時代は中大兄皇子らが蘇我入鹿を討って、その後にさまざまな政治改革を行ったことを
総称して「大化の改新」と習いました。
しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、
「さまざまな政治改革=大化の改新」
とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?
552:日本@名無史さん
12/01/08 19:32:23.05
震災前
/::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
/::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~ ヽ:;::l
|:::::::::::| 岡田 異音 |ミ|
|:::::::/ ,,, ヽ,、 '|ミ|
'|:::::::l '''"" ゙゙゙゙` |ミ|
|:::::|. ,,r ‐、 ,, - 、 |/
,/⌒| ノ ・ _), (. ・ `つ|
| ( "''''" |"'''''" |
ヽ,,. ヽ |
| ^-^_,, -、 |
| _,, --‐''~ ) | マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・
'ヽ ( ,r''''''‐-‐′ /
震災後
|:::::::::/ |ミ|
|::::::::| ,,,,, ,,,,, |ミ|
|彡|. '''"""'' ''"""'' |/
/⌒| -=・=‐, =・=- |
| ( "''''" | "''''" |
.ヽ,, ヽ .| キリッ
| ^-^ |
. | ‐-===- | 大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
,\. "'''''''" /
朝鮮民主党
おわり
553:日本@名無史さん
12/01/08 20:50:09.49
>しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、 「さまざまな政治改革=大化の改新」 とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?
80年代末か90年代初頭にNHKの歴史番組でやっていたから最近ではない罠
554:日本@名無史さん
12/01/08 21:06:07.75
>>553
90年代前半は大学生だったし、歴史は結構好きだったんだけど、
乙巳の変なんて最近まで知らなかったわ~
知ったのは本当にごく最近
今は歴史の授業で乙巳の変を習ってるんでしょうかね
555:日本@名無史さん
12/01/08 21:39:32.12
あるマンガで豊臣秀吉の死後、その死から一夜明けた朝
徳川家康の前に並べられた足袋を諸将が一つずつ持っていく
というシーンがあります。
マンガの主人公である古田織部のみ部屋を訪れず、足袋は一つ余ります。
この儀式(?)がもつ意味と、なぜ古田織部のみ足袋を受け取らなかったかを
教えてください。
556:日本@名無史さん
12/01/09 01:06:07.06
後鳥羽院が法然房源空を流罪にするにあたって、還俗させましたが、僧籍を剥奪することにどんな意味があるのでしょうか。
557:日本@名無史さん
12/01/09 01:26:54.43
へうげものの話なら、徳川との確執を後で描写するための伏線ってだけじゃ?
ネタバレっぽくなるけど、
史実における古田は徳川政権下で切腹させられるよ。謀反を疑われて。
558:日本@名無史さん
12/01/09 01:29:20.24
>>556
「寺は神域なので、世俗の権力が及ばない」という建前なんですよ。
だから、神域の人間を世俗の権力で裁くためには、
前段階として還俗させて俗世間の人間に戻さなければならないわけです。
神様の世界に住んでいる人を罰せられるのは、
神様ないし、神様の世界の住人だけだって理解でも良いのですが。
559:日本@名無史さん
12/01/09 02:52:28.50
秀吉が高野山に入った秀次に切腹命令を出した時も
僧達がかなり抵抗したというからね。
560:日本@名無史さん
12/01/09 05:18:16.30
>>554
小学校では何時からか知らないけど、歴史用語としては以前からですよ。
乙巳の変のような事変を改革を意味する大化の改新で呼ぶのは変でしょ。
561:日本@名無史さん
12/01/09 08:29:07.87
>>558-559
ありがとうございます。
よく判りました。
江戸時代になると寺社奉行が坊さんを絞めあげてくれるからいいですね。
寺社領を失った寺に抵抗する力はないだろうし。
562:日本@名無史さん
12/01/09 10:18:35.10
名無しでいいよ:2011/08/15(月) 23:20:15.53 ID:2fed4jwtO
FNS歌謡祭やHEY!×3の制作会社
株式会社CELL
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル
前バリ・REN4・野田らに政治献金した後藤組のフロント企業
メディアトゥエンテイワン
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル
563:日本@名無史さん
12/01/09 11:39:52.40
>>561
ちと誤解があるといけないが寺社者奉行自体が
そんな権限?を行使できるようになるのはかなり後で
基本はあくまでも徳川の世の安定度に関連してくる。
徳川自体は各地で荒廃した寺社を助けて復興に協力
してる。信長にやられた叡山もだし本願寺も今に
残るしね。
564:日本@名無史さん
12/01/09 17:03:31.73
日本史上の大きな合戦の時代って源平と戦国と幕末以外にありますか?
他に外国でも小競り合いではなく、英仏戦争みたいに大きな合戦には何がありますか?
(第一時世界大戦などの近代戦争以外でお願いします)
565: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/09 17:16:32.14
白村江
566:日本@名無史さん
12/01/09 17:45:00.80
保元の乱、平治の乱は源平に含むのかねぇ?
承平天慶の乱とか前九年の役、後三年の役とか平安時代は大きな戦争が相次いだ時代だった。
567:日本@名無史さん
12/01/09 17:46:04.92
室町幕府成立前
568:日本@名無史さん
12/01/09 17:59:26.27
磐井対大和
吉備国対大和
569:日本@名無史さん
12/01/09 18:55:08.91
仙台の伊達氏の家紋?に、
「太陽のようなマーク」の物があったと思いますが、
あれの正式名称は何と言うのでしょうか?
伊達の家紋って、複数あるのかな?
570:日本@名無史さん
12/01/09 22:13:23.20
伊達家は家紋が最も多い家と言われる。
由緒ある家紋をうまく使用してどことでも関係があるように見せかけた
わけね。
詳しいことはググればいっぱいでてくるぉ。
571:日本@名無史さん
12/01/09 22:53:56.25
太陽のようなマークってもしかして中心に大きな●があって
周りに小さい●が九個ある紋?
それなら伊達政宗が細川家から貰ったとも言われる九曜紋だが
572:日本@名無史さん
12/01/09 23:15:59.98
>>563
追加解説ありがとうございます。
色々勉強してみたいと思います。
573:日本@名無史さん
12/01/10 09:07:52.32
>>572
徳川が寺社を保護したのは、寺ウケ制度というのがあるのだけど、
これはいろいろ重要な側面があるからそういう風に徳川支配体制を
理解していくとおもろいぉ。
574:日本@名無史さん
12/01/10 09:36:20.05
民主党には朝鮮人など外国人のなりすまし、スパイが約90名在籍している
野田内閣は過半数が帰化人
野田はどうだろうか
韓国人から賄賂を貰い、韓国人の集いに出席している野田は
575:日本@名無史さん
12/01/12 18:56:24.71
泣いてとりすがる子供をけり倒して出家したのって、西行であってる?兼好だっけ?
576:日本@名無史さん
12/01/12 18:57:34.20
源義経が水神として祀られている神社
があったと思いますが、どこの神社でしたっけ?
577:日本@名無史さん
12/01/13 19:40:06.59
>>575
西行で合っている。
吉田兼好は生涯独身だった。
578:日本@名無史さん
12/01/14 02:42:31.11
幕末に寺子屋が急増した理由は何?
幕末の経済成長が影響してる?
579:日本@名無史さん
12/01/14 08:41:43.78
江戸と地方では一概には語れないけど
広義の社会の安定、というのが一番だろう。
生活苦では学問なんかしてるひまがない。
衣食住が満ち足りてこそ、立身出世、余裕があらわれてくる。
それと下々の存在がそういった「向上」的なものを持ち始めたというのは
特筆すべきだろう。
世界中では貧富の差から革命が起きてるのに日本では
身分社会であるのに階級闘争にはなってない。
これはいかに徳川の世が優れていたかを示すもの、でもあるだろう。
ちょと話がそれた。
580:日本@名無史さん
12/01/14 11:54:20.84
でもその見解は「幕末」ではなく「江戸全体を通した時」の見方でしょ? 幕末だけ安定してたわけじゃあるまいし
581:日本@名無史さん
12/01/14 15:55:47.03
江戸時代にはそろばんや帳簿などの技術が発達したこともあり
江戸時代末期には「読み書きそろばん」が一種のステイタスとなっていたことかな。
皆が行くならうちの子も、みたいな感じで寺子屋へ通わせる庶民が増えた。
寺子屋は室町時代頃から存在し、もともとは寺の住職が庶民の子供を集めて読み書きを教え始めたことに始まるらしいが、
江戸時代中期以降、「往来物」と呼ばれる絵をふんだんに取り入れた子供に分かりやすい教科書の普及、
「百姓往来」「商人往来」など職業直結の内容などが受けて受講者が増えた。
582:日本@名無史さん
12/01/14 21:59:27.73
個人的には、黒船来航以降、天下国家を語ることが一種の流行となり
そのためには当然読み書きできないといけないから、という理由がありそう。
幕府に意見上申して出世した、なんて逸話が広まれば教育にも熱が入るだろ
583:日本@名無史さん
12/01/14 23:37:34.43
天皇の存在や役割の変化として、孝明天皇→明治天皇(幕末→維新)の時の変化と
昭和天皇(戦前→戦後)の時の変化はどちらが大きいと考えられますか?
584:日本@名無史さん
12/01/15 00:36:34.91
>>583
どちらも大きい。比較検討する事は大事だけど、どっちが重要とか単純な見方をするのは無意味。
585:日本@名無史さん
12/01/15 09:10:27.97
でも先生にそういう宿題出されたら、無意味、とも
返事かけないだろうし困るだろうねぇ。
586:日本@名無史さん
12/01/15 10:12:54.30
そんな宿題だす先生がいたら、免許取り上げるべきだな。
587:日本@名無史さん
12/01/15 10:59:02.08
どちらが重要か決め付けるのはよくないが、それぞれの背景や歴史的意義などを
比較検討してみるのは歴史学上良いことだと思うけどね
歴オタレベルの比較検討でも良いと思うけど
588:日本@名無史さん
12/01/15 14:37:11.20
>>582
ペリー来航は1853年だが、それ以降寺子屋受講者数が急激に伸びたわけではない。
江戸時代を通じて寺子屋入学者数は徐々に右肩上がりで増え続けたものであり、
「黒船」といった一事件によって突発的に増えたものではない。
URLリンク(historyrakusei.bake-neko.net)
589:582
12/01/15 19:10:09.64
なるほど、ありがとう。
ただ、19世紀から急激に増加するのは、やはり松平定信らの
文教政策が背景にあると思うんだ
590:日本@名無史さん
12/01/16 12:11:38.15
学問上はよいことだけど
学校レベルではイエスノーで答えがないと
いけないからそのあたりが今の教育の
問題点でもあるわな。
591:日本@名無史さん
12/01/16 13:52:36.59
ひょうたん形の土製品13点出土 京都・美濃山廃寺
URLリンク(www.asahi.com)
これって、石灯籠の原型ですか
592:日本@名無史さん
12/01/16 17:17:00.46
>>588
それのソースなんかあてになるかよw
フランスの識字率が1パーセントってなんだよw
593:日本@名無史さん
12/01/16 23:36:48.13
>>591
それは塔。そのリンク先にも「百万塔」の事が出てる。石灯籠は灯籠だから全然別の物。
594:日本@名無史さん
12/01/17 20:35:54.23
初歩的な質問で申し訳ないのですが
天守と櫓の違いって何なんでしょうか?
櫓に天守が含まれると思っていいんでしょうか
いまいち掴みきれないです
595: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/17 20:53:45.80
>>594
天守は一つの城に一つ
連結してる場合は大天守、小天守
と思ったけど豊臣大坂城には天守二つあった気がする
瓦葺複数層なら天守なんじゃない?
ただし一つの城に一つが原則
石垣はどうなのかな…水戸城の三重櫓は天守?
596:日本@名無史さん
12/01/17 21:58:00.74
>>595
回答ありがとうございます
一番立派なものを天守としてそれ以外は櫓となる感じですかね
小天守やら天守とみなす櫓やらややこしい…
597:日本@名無史さん
12/01/18 00:30:53.38
>>596
江戸時代になると小藩なのに天守を建てるのはおこがましいから三重櫓にしておくとか、
一国一城令でお城は一つしか許されない事になったから名目上は要害とか陣屋とかにして、
天守と呼ぶのも憚られるので櫓と呼んでおくとか、いろいろあります。
598:日本@名無史さん
12/01/18 01:27:46.90
>>593
ありがとうございます。
百万塔というのが、あることも知りませんでした。
599:日本@名無史さん
12/01/18 03:19:46.07
>>598
塔はお寺にある三重塔とか五重塔とか、あれの事だけど、元々はストゥーパといって仏陀の遺骨を
収めた塚の事だった。礼拝の対象として各地に分骨して一杯建てられた。
元々は土饅頭のでかいような物だったが中国で木造建造物となり、日本に伝わってあんな感じになった。
歴史上、信仰心を示す為に写経したりするのと同様に、小型の塔を作ってお寺に収めたりする事が行われて来た。
600:日本@名無史さん
12/01/18 16:27:30.64
日本の思想史とか精神史ですごい本教えてください。
ただし右寄りじゃなくて世界でも通用する学術的なの
601:日本@名無史さん
12/01/24 13:33:04.24
日本史って何が面白いの?
スレリンク(poverty板)l50
602:日本@名無史さん
12/01/28 20:14:02.00
スレチだったらすみません
卒論に地元加賀の一向一揆を扱おうと思ってます
でも先行研究が膨大で、まとめるだけで本一冊書けそうなくらいです
何か加賀一揆に関して面白いor書きやすいテーマないでしょうか
603:日本@名無史さん
12/01/28 21:07:55.58
なんで教授に聞かないの?
604:日本@名無史さん
12/01/28 21:24:27.59
研究史
605:日本@名無史さん
12/01/28 22:33:56.75
>>602
教授に聞くのが一番いいんじゃね?
一向一揆というと、神田千里氏の著書あたりをかじってみたらどうかしら?
606:日本@名無史さん
12/01/28 22:58:10.93
>>578
幕末に寺子屋が急増した、という話が既に間違いだからなぁ
急増したのは18世紀後半以降
理由は諸説あるけど、少なくとも幕府の政策なんか関係あるわけがない
国民国家じゃないんだから
607:日本@名無史さん
12/01/28 23:02:11.30
>神田千里氏
ん?加賀の一向一揆について何か書いていたか?
608:602
12/01/28 23:38:18.93
レスありがとうございます
まぁ確かに教授に相談するのが一番ですよね(笑)
日本史板の人なら日本史の卒論書かれた人も多いでしょうし
参考になれば、と思って書き込みさせていただきました
>>607
神田氏は「戦争の日本史」などいくつか加賀一揆について著作をお持ちです
609:日本@名無史さん
12/01/29 00:11:32.66
海外ではパリコミューンに先駆けて世界初の
コミューン誕生という人もいるから
章の最後ぐらいでこっそり触れてみるとか。
610:日本@名無史さん
12/01/29 02:25:31.98
ドイツ騎士団領に近い特権僧侶騎士による地域改宗領地化運動じゃないか
611:日本@名無史さん
12/01/29 10:08:32.28
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?
612:日本@名無史さん
12/01/29 10:42:43.36
644 日本@名無史さん sage 2012/01/25(水) 01:03:55.27
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?
613:日本@名無史さん
12/01/29 21:29:05.19
よほど切羽詰まった宿題らしいな。
614:日本@名無史さん
12/01/29 23:06:30.84
小説などに出てくる毒味役って、大名クラスだと大体いたのでしょうか、
効果はあったのでしょうか
615:日本@名無史さん
12/01/31 20:18:12.34
質問です
徳川秀忠の妻お江与、豊臣秀頼の妻千姫
共に再嫁してますが、江戸時代以降でも大名家に嫁いだ者が
夫が死んだ場合等再嫁するケースは多かったんでしょうか?
616:日本@名無史さん
12/02/01 11:05:09.01
しません
尼になります(半ば強制
617:日本@名無史さん
12/02/01 11:09:26.72
>>602
中世社会と一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
北西弘先生還暦記念会
出版:吉川弘文館
発行年月:1985.12
戦国大名論集 13 本願寺・一向一揆の研究
URLリンク(www.bk1.jp)
峰岸 純夫
出版:吉川弘文館
発行年月:1984.7
富樫氏と加賀一向一揆史料
URLリンク(www.bk1.jp)
舘 残翁
出版:石川史書刊行会
発行年月:1973
618:日本@名無史さん
12/02/01 11:13:55.49
宗教で読む戦国時代 講談社選書メチエ 459
URLリンク(www.bk1.jp)
神田 千里
出版:講談社
発行年月:2010.2
一向一揆と石山合戦 戦争の日本史 14
URLリンク(www.bk1.jp)
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:2007.10
中世社会の一揆と宗教
URLリンク(www.bk1.jp)
峰岸 純夫
出版:東京大学出版会
発行年月:2008.7
戦国期の真宗と一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
新行 紀一
出版:吉川弘文館
発行年月:2010.11
税込価格:\11,550 (本体:\11,000)
619:日本@名無史さん
12/02/01 11:16:03.22
大系真宗史料 文書記録編11 一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
真宗史料刊行会
出版:法藏館
発行年月:2007.10
一向一揆論
URLリンク(www.bk1.jp)
金竜 静
出版:吉川弘文館
発行年月:2004.12
一向一揆と部落 正 三一新書 945
URLリンク(www.bk1.jp)
石尾 芳久
出版:三一書房
発行年月:1983.5
URLリンク(www.bk1.jp)
真宗教団の構造と地域社会
大阪真宗史研究会
出版:清文堂出版
発行年月:2005.8
620:日本@名無史さん
12/02/01 11:19:02.01
URLリンク(www.bk1.jp)
東北中世史の研究 下巻
入間田 宣夫
出版:高志書院
発行年月:2005.6
URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と戦国社会
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1998.10
URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と真宗信仰 中世史研究選書
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1991.8
URLリンク(www.bk1.jp)
金沢四百年にあたり真宗と一向一揆を考える
出版:真宗大谷派金沢別院
発行年月:1982
621:日本@名無史さん
12/02/01 11:30:06.65
URLリンク(www.bk1.jp)
賀国司富樫氏と御廟谷 闡提舎叢書 第1輯
出版:闡提舎
発行年月:1939
URLリンク(www.bk1.jp)
補正暫定富樫氏系譜
舘 残翁
出版:舘残翁
発行年月:1938
URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と富樫氏
出版:石川県図書館協会
発行年月:1934
622:日本@名無史さん
12/02/01 20:56:55.47
俺の手元にある北陸一向一揆関連五冊が一冊もねぃーてどういうことだよ
623:日本@名無史さん
12/02/02 02:29:09.97
下地中分の「下地」って何ですか?
624:日本@名無史さん
12/02/02 03:10:28.40
大宝律令から親王以外の諸王と諸臣に冠位26階や冠位48階の時にあった位階の差はなくなりましたよね
しかし、八色の姓で決められた姓には依然として皇族と豪族の氏姓的な階級差があります
この時代に三等親以外の真人と朝臣の位階が同じだったら朝廷での権力はどちらが上となりますか?
また、律令国家を目指す国が三等親以外とは言え氏姓的には差がある皇族と豪族の位階を同一にしたのはどうしてですか?
せっかく八色の姓で皇族と豪族を分けて皇親政治を取ったと言うのにまた豪族が力をつける事を予想しなかったのでしょうか?
625:日本@名無史さん
12/02/02 11:52:40.76
応仁の乱前後~信長上洛頃までの京の都は一体どういう状態だったのでしょうか
そうだ、京都行こうと雅や活気を求めて庶民が観光に来るような感じなのか
むしろその辺の町より荒れ果てていたのか
どういった様子でしたか?
626:日本@名無史さん
12/02/02 20:44:40.86
応仁の乱以降は荒れ果ててた、というのが一般的な理解。
そこに飢饉とかも起きて諸国から紛れ込んできた人たちが
餓死したりするからさらにすごいことに。
信長パパが内裏修理に多額の献金したりしてるから
その時点でも朝廷ですら貧窮にあえいでいたという感じかな。
ちなみにこのあたりではまだ観光という習慣はないでしょう。
せいぜい寺社ー僧たちが奈良ー京都をお勉強しに
移動してたぐらいじゃないかな。
627:日本@名無史さん
12/02/02 23:43:20.03
観光的なものは西行とかが歌枕を見に行くくらいだろうね。
庶民が行けるようになるのは江戸時代の伊勢参り以降の話になる。
628:日本@名無史さん
12/02/03 00:19:03.62
「下地」って何ですか?
博士も分からないのでしょうか?
629:日本@名無史さん
12/02/03 01:31:26.52
>>626,>>627
詳しい説明ありがとうございます
この時期は観光の習慣がないというのは知りませんでした
勉強になりました
630:日本@名無史さん
12/02/03 02:11:41.40
>>622
その5冊
ぜひ紹介してくれ
読んでみたい
631:日本@名無史さん
12/02/03 15:54:29.68
>>627
桜を見に行くのはあったかも
632:日本@名無史さん
12/02/03 23:37:21.59
[信仰と参詣]
元来,祭りは共同体の行事として行われるものであったが,平安京の神社では,祭りが華麗な催
物としての性格を持つようになり,祭りに参加せずに見物する人々があらわれた。そして,祭りの
担い手ではなく傍観者になった人々は,祈願に際して他所の神社にも参詣するようになる。中世に
なって参詣はさかんになり,徐々に庶民の間にもひろまった。参詣する人は,身心を洗い清めて米
銭などを奉った後,神々の加護を願い,誓いを立てる。中世以降各地に多くの参詣者を集める神社
があらわれたが,中でも伊勢神宮や熊野大社では,参詣者を集める御師などの専門的な神官が
あらわれ,遠隔地からの参詣者の団体を組織した。参詣者は祈願成就のために,旅の苦労と道中
の禁忌に耐えて参拝するが,目的を果たした後に,門前町のにぎわいの中で精進落しの歓楽に
浸る。さらに参詣のしるしとなるみやげを持ち帰って隣人に配るが,こうした遠隔地参詣のさまざま
な習慣は,何世紀にもわたって繰り返されるうちに,日本人の旅行のしかたの型となった。
633:日本@名無史さん
12/02/04 00:42:07.39
簡単にまとめると御師による団体でのお伊勢参りがツアーで旅行するスタイルの始まり。庶民には個人で
旅費を工面出来ないのでみんなで出し合って代表者がお参りする伊勢講が出来て、お金出したのに
行けなかった人たちに配るのがお土産。
634:日本@名無史さん
12/02/04 00:59:43.76
>>633
>お金出したのに行けなかった人たちに配るのがお土産。
なるほど、お土産の起源、納得
イスラム教徒が一生に一度行くメッカ巡礼者もお土産をどっさり買うのもわかる。
インドネシア→サウジはすごく遠い
635:日本@名無史さん
12/02/04 10:21:36.89
当時は生物とか重いものは運べなかったから
「お札」とかなんだけどお土産を勘違いされてそうだな。
636:日本@名無史さん
12/02/08 10:07:43.37
これは正しいの?
『長宗我部元親は元来朝鮮民族の渡来人秦氏の末裔です。秦という字があります。秦と言いますのは朝鮮では、チンという苗字です。』
URLリンク(www.nc-21.co.jp)
637:日本@名無史さん
12/02/08 14:05:46.98
>>636
確かに秦氏の祖は百済の弓月君ですね
百済人=朝鮮民族には疑問符がつくけど
638:日本@名無史さん
12/02/08 19:49:28.56
自殺した天皇はいると思いますが、乱を起こして負けても、何故天皇は殺されなかったんですか?
639:日本@名無史さん
12/02/08 20:34:18.77
尊い身だから。ダビデの前に救世主に選ばれたサウルののちに神の意に背いたが、
一度は救世主に選ばれた尊い身という理由で殺される事は無かった。
それと同じ。
640:日本@名無史さん
12/02/08 20:50:26.99
戦する時点で尊いなんぞ思っていないはず。
結局は世間体
641:日本@名無史さん
12/02/08 23:16:49.51
現代史の方法論的な歴史学の本ある?
642:日本@名無史さん
12/02/08 23:36:02.46
>>640
サウルはダビデに討伐されたけど殺されはしなかった。
それでどんな世間体で殺さなかった訳?
643:日本@名無史さん
12/02/09 00:04:00.23
>>637
ありがとうございます 以下引用の信憑性はどうなんでしょうか?
『古代日本人は韓国より中国が文化の本元って意識があって、
韓国人よりは中国にルーツをもつと言われる秦(はた)氏と漢(あや)氏を大切にした。
秦氏・漢氏は帰化人だから権力中枢に入ることは遠慮して黒子として政治・外交をやった。
表に立ったのは臣(おみ)連(むらじ)姓を賜(たまわ)った豪族』
『物部は神武以前から大和にいた弥生の民』
『蘇我氏はわからんけど、馬子とか入鹿とか韓国や中国でもちょっと無い名前。
中国式からしたらとても野蛮な名前だが日本では動物的な名前はよくある。
熊五郎とか虎吉とか。悪い意味でつけたのではなく強いものからつけた。
やはり土着のアイヌに通じる名前なんじゃないか?』
梅原猛 談
梅原日本学講義/君は弥生人か縄文人か 梅原 猛×中上 健次 より
644:日本@名無史さん
12/02/09 00:27:39.51
秦氏とかは自分らのルーツの宣伝として名乗ってるだけで
渡来人自体は山のように来てるだろ
つーか何世紀に大陸や半島から来たなら渡来人になるわけ?
645:日本@名無史さん
12/02/09 02:39:31.51
信憑性は、そういう事を言ってる人も居るらしい、と参考にする程度。
646:日本@名無史さん
12/02/09 10:01:15.12
>。643
いろんな話題がごっちゃになってるから
答えようがないのだけど、帰化人は各種技術に
優れて土着したからそういう意味でも秦氏は渡来系であることは
確実だろう。
名前に関しては、日本の後の幼名とかは自然とか動物から
採用するからその祖として解釈するのもあるけど
やはり蘇我に対しては蔑称的なものを感じるし
ここはかなり難しいところ。
アイヌとの関連はもちろんあるだろうしね。
秦氏自体が韓国から渡ってきたといっても
その祖はさらに中国にあったかもしれないし
韓国or中国という意味ならどっちでもありそうと言うしかない。
それぞれが細かくて深い話題だから面白い
ところではあるんだけどね。
647:日本@名無史さん
12/02/09 10:07:48.42
弥生時代には時代を通して名も知れぬ渡来人がたくさん来て、戦争や農耕、土木の
技術を広めている
ただしその人たちの子孫がみな渡来系を名乗っているわけではないし、自分の先祖
のことなどわからないという人も多いだろう
古墳時代にも渡来人は多数流入しているが、その中で渡来系を名乗ることに何か
有利性がある人たちがそう名乗ってるだけじゃないの
648:日本@名無史さん
12/02/09 11:00:33.91
戦国時代、殿様達の偉さの順番は何で決まりましたか?石高?官位?
あと主家の重心と配下の国の殿様ではどちらが偉いのですか?
例えばだけど主家:織田家 重臣:柴田勝家 配下の国の殿:宇喜多直家とかだとどうですか?
こう見ると宇喜多直家の方が偉いよなと思うけれど…
649:日本@名無史さん
12/02/09 23:11:28.83
「偉い」という意味がよくわからないけど
席次、みたいなものでいいのかな。
秀吉ぐらいになると結構残ってるけど
各家では公式、非公式いろいろあるだろうし
単に長幼の序かもしれないし
「偉い」というのがちょっとイミフだね。
650:日本@名無史さん
12/02/10 11:11:04.83
>>649
イミフですみませんでした
当時は今よりも縦社会だから上下はきっちりしているイメージで
席次もそうだし仮に殿様達やら重臣なりが顔を合わせた時に
どういう判断で誰が謙る側になるのかと疑問に思っての質問でした
651:日本@名無史さん
12/02/10 16:40:53.50
>>650
子会社の社長と親会社の重役なら当然
重役が偉いだろうけど、いくら親会社でも
課長クラスが「偉いんだ」みたいにしたら
問題があるわなぁ。
こういうのはケースバイケースとかいいようがない。
それよりも親会社の社長の「親兄弟奥さん」とかの
関係の方が面白いとは思うよ。
公的には関係ないだろうけどやはり日本では
肉親関係とかは重要視される。
ちなみに律令制の色分けなんかはそういうトラブル
防止のためとはよく言われるね。
大河でもきっちり色分けはしてわかるようにはなってる。
652:日本@名無史さん
12/02/10 22:53:55.01
歴史学の存在意義って何?
歴史は繰り返す・・・なら、お前ら不要じゃん。
リーマンショックを防げたの?
イラク戦争防げたの?
宦官達の腐敗で、中国王朝が腐敗してっったよね。
今のギリシャ問題防げて、ねえじゃん。
歴史学は不要だろ。自己満足オナニー学問?
何の役にも立たない歴史という学問の意義は何だ?
653:日本@名無史さん
12/02/10 23:02:24.63
歴史学とか自己満オナニー学問だろ。
趣味ならまだわかる。
新撰組、会津、とかで、血眼変えて、
今の日本人を見ると、日本は終わったとか言うんだろ?
馬鹿そのもの。DQNと同じ。というか、歴史学はDQN。歴史に拘るのは、ネトウヨかDQN
654:日本@名無史さん
12/02/11 02:29:05.80
日本で西欧的な「市民」が出てきたのっていつ?
655:日本@名無史さん
12/02/11 09:16:27.46
>>651
ありがとうございました
決まった上下関係というのはないんですね
確かに実際は色んなパターンがあって一概にこうとは言えなさそう
656:日本@名無史さん
12/02/11 16:11:11.39
歴史とは、過去に学び未来に活かす、もの。
歴史学とは、そのための学問と思ってる。
今は、受験用暗記学問、となってるから本来の
目的や意味や重要性が失われてるだろう。
それだけのこと。
学問自体が悪いのでなく、その付帯的状況が悪いと言う
だけね。
657:日本@名無史さん
12/02/11 16:15:36.35
>>654
いわゆる、市民革命、が日本では起きてないから
「いまだ出ていない」という言い方がより正確かも。
第二次大戦後の「我々」はそうなんだけどこれも
一種の「輸入」だから、自発的努力で手に入れたものではない
という言い方もあるし。
ただ、こんな質問がテストで出たら先生の主義主張に
あわせないとマルはもらえないだろうしかわいそうではあるな。
658:日本@名無史さん
12/02/11 17:00:57.60
>>657
明治維新は「上から」だから違うのか
659:日本@名無史さん
12/02/11 17:11:38.99
明治の文章読むコツを教えてくらはい
660:日本@名無史さん
12/02/11 17:20:24.89
>>658
明治維新は「王政復古」と言うの自体が
「市民革命」と矛盾してる部分が多いし
徳川藩からその他いろいろ藩に変わっただけ。
難しい議論はいっぱいあるだろうが
あれを「革命」という人は左右どっちにもさすがにいないだろう。
661:日本@名無史さん
12/02/11 17:24:41.40
>>660
じゃあやっぱり敗戦してからと考えるのが最も無難か。憲法も八月革命説あるし。
662:日本@名無史さん
12/02/11 17:36:14.10
市民というのは一般的には参政権を持った人ということだろ。すべての男女に
選挙権が与えられるようになった敗戦後でよくね
663:日本@名無史さん
12/02/11 19:19:11.87
普段どんな感じで研究してるのか気になる
664:日本@名無史さん
12/02/11 20:11:24.89
義経が最初に奥州に行ったとき、
秀衡はどうして本物だと確信できたの?
最初『平清盛』スレで訊いてみたけど、
答えが返ってこなかった。
教えて。
665:日本@名無史さん
12/02/11 20:13:01.05
嘘発見器
666:日本@名無史さん
12/02/11 20:56:23.25
>>661
まあ市民の定義にもよるけどね。
>>664
それ結構不思議なとこでね。
書状でもそうなんだ。
花押があるというけどいくらでも偽造できるし。
たぶん、父親とか先祖とか名前を聞いて確認もどきを
したんじゃないかな。
言えないから偽者じゃなくてなんか本人しか
知らないことってあるんじゃないかってね。
667:日本@名無史さん
12/02/11 21:17:21.84
藤原長成→藤原基成→藤原秀衡のルートで確認できるよ
668:日本@名無史さん
12/02/11 21:56:06.02
Quarantineって何?
669:日本@名無史さん
12/02/11 22:23:26.16
>>667
へ~、長成はあのわずかな期間に頼朝は
見てそうだけど義経もどっかで大きくなった
ところを見てるわけか。なるほどなぁ。
670:日本@名無史さん
12/02/11 23:21:50.80
刀鍛冶とか神主が、日向の守などの国守名を名乗っている場合がありますが、
あれは、どっかの許可を得て名乗っているの。
それとも、自由に自称ってこと?
671:日本@名無史さん
12/02/12 00:25:38.40
>>664
俺はそれが本物であるかどうかは割とどうでも良かったのだと思う。
重要なのは利用価値が有るかどうかだから。
672:日本@名無史さん
12/02/12 11:31:25.99
五位以上の官人が畿内の外に出る場合には天皇の許可が必要であったと記憶しておりますが、
場所そのものが畿内の外れであった平安京に遷都された後、
五位以上の官人が平安京から隣接する丹波国桑田郡や近江国志賀郡に行く場合にも許可が必要であったと考えて良いのでしょうか?
反対に両郡よりも遙に遠い、摂津国の難波や大和国の吉野に行く場合にも許可は不要であったのでしょうか?
673:日本@名無史さん
12/02/12 11:34:46.23
>>623下地中分の下地とは?
”土地”でもいいんだけど、当時年貢など土地の収益を上分といいました。
上分(年貢)を分ける方法ではなく、土地そのものである「下地」を分けるという意味で
下地といいました。
674:日本@名無史さん
12/02/13 16:40:42.79
>>666
なるほど。多謝
>>671
そういう見方もあるか。
なるほど。㌧
664
675:日本@名無史さん
12/02/13 23:11:40.34
>>674
奥州藤原氏と源氏の関わりを考えてみれば、源義家のおかげで藤原氏は奥州の覇権を握ったが、
代わりに藤原清衡は全ての家族を失った。義家の父、源頼義は清衡の父、藤原経清の仇でもある。
源氏に対して良い感情はあまり無いと思う。だから『利用価値』と考える。
676:日本@名無史さん
12/02/14 08:43:13.03
少しわからないのだが、偽者とわかって利用したら
本物が出てきたり、あそこは詐称だ、と山賊扱い
されたりかえって自分たちの「源氏」が傷つかないだろうか。
利用するならかえって「真贋」には厳しくなると思うが
どうだろうか。
その前の「何のための利用価値」というのもよくわからなくてね。
677:日本@名無史さん
12/02/14 21:44:29.52
日本は神話時代から生きてる文化を持つ唯一の国ですか?
678:日本@名無史さん
12/02/14 23:04:53.99
幕府法、藩法をまとめて説明したサイト、ブログ、本などがあれば教えてください
679:日本@名無史さん
12/02/15 09:03:35.16
>>677
よくわからないが神話と文化は表裏一体部分も
あるしそういう意味では神話を持つ国はすべて
そうともいえるかな。
>>678
幕府と言ってもいろいろあるし
政治史的に語るのと法律史では違うし
もう少し質問を具体的に細かくしたほうが
いいんじゃないか。
680:日本@名無史さん
12/02/15 10:03:22.63
>>678
もう少し詳しく聞かせてください。私は>>677は間違いだと思って質問させてもらいました。
詳しく述べると、渡部昇一という学者がギリシアに海水浴をしにいったときにアテネのポセイドンの廃墟の柱をみたそうです。
それから日本に帰って塩釜神社に行くと茅葺の木造でほっとけばすぐ腐るのに腐っていない、その理由は祀る人が絶えた事がないからとのことでした。
そのことから日本は古代が生きているという実感をしたそうです。そしてギリシアもローマもゲルマン諸国もイギリスも古代は死んでいると結論していました。
しかし神話が神社と結びついたのは国家神道からで、それまでは土地神を祭ったり仏教と合体した習合神道が一般的だったと聞きます。
これは、古代人が古事記神話にでてくる神を祀りにきていたとは言えないと思うのですがどうでしょうか?
私は日本に神話が生きていないとは思いませんが、同様に他の国々にも神話は生きていると思います。
博士号を持っている人からみて、このような自国と相手国を理解してない安易な比較文化をどう思いますか?
681:日本@名無史さん
12/02/15 10:17:12.42
>>680
679だけど、安易な比較文化は意味が無い
ですよね。
少し問題提起だけど古いものを無条件で価値あるものとするか
そういうものを認めないか。
これは国とか支配層とか個人とかそういうのを解釈する視点として
それなりに有効な時も多い。
比較文化ならいろんな視点がありすぎるから
まず絞って具体的に、とかね。
まぁ、方法論を話し出すときりがないのでこのあたりで。
682:日本@名無史さん
12/02/15 13:09:14.31
武士が狩りで馬に乗るときなんか、
鹿の皮みたいなのを両足の外側に着けてるようだが、
あれはなんの役に立つものなの?
683:日本@名無史さん
12/02/15 13:35:45.58
日本の歴史って明治以降からなの?
684:日本@名無史さん
12/02/15 15:34:35.35
>>662
限られたブルジョワジーのみが参政権を確立するレベルでも市民革命と呼ぶんだから、
普通選挙じゃなく制限選挙でも「市民」と呼んでいいのでは。
>>680
古代ギリシャも古代ローマもゲルマン諸国もイギリスも、古代文化の担い手たちと現在の住民とは民族が違うわけで、
同じ文化を維持継続している可能性を想定する人はいない気がするよ
それを単純に言い換えただけではないのかな。
「ああ、やっぱり連続してないんだなあ。」と、あらためて実感した、という意味だよな、たぶん。
>>683
かつては、明治維新より前の歴史なんて学ぶ必要はない。なんて意見も少なからずあったけど、
いまはそういう意見は少数派だろう。
ただ、誰もが必ず学ぶべきと言える部分は、明治維新より前には多くあるわけではない。という見解なら、いまでもある。
685:日本@名無史さん
12/02/15 18:09:23.68
卑弥呼の前の倭国大乱って
前漢の時代に百余国に別れてたのが統一していく過程なの?
686:日本@名無史さん
12/02/15 18:57:12.85
統一かどうかはわからないが、モメごとは
あったんだろうということで。
古代史以前はちと答えるのに厳しい。
687:日本@名無史さん
12/02/15 19:05:33.09
>>682
足がスレて痛いからそれ防ぎ?
688:日本@名無史さん
12/02/16 03:49:55.69
>>687
足の外側につけてるように見えるんだが。
682
689:日本@名無史さん
12/02/16 06:21:26.14
下地中分の「下地」の意味について、
博士たちも答えられないのか・・・
われこそは、という博士いない?
690:日本@名無史さん
12/02/16 09:44:57.61
>>688
すまんかった。
691:日本@名無史さん
12/02/16 13:13:47.47
>>689
誰か答えてやれよ!
692:日本@名無史さん
12/02/17 00:41:03.36
>>673が既に答えている。
693:日本@名無史さん
12/02/17 03:49:57.83
さすが博士
ありがとうございました
694:日本@名無史さん
12/02/19 11:14:30.30
○○派の総理大臣とその○○派の領袖はどちらが格上とみなすべきですか?
695:日本@名無史さん
12/02/19 11:40:56.87
板違いのうえに、質問じゃなくてアンケートだな。
696:日本@名無史さん
12/02/19 23:06:22.07
建武の親政は後醍醐天皇による天皇親政でしたが、後醍醐天皇自らいろんな政策を
考えたり、配下の人間と協議したり討論したりしてたんですか?
天皇親政というのは、どのレベルで天皇自ら政治を取り仕切っていたんでしょうか?
697:日本@名無史さん
12/02/19 23:54:18.79
フランス領であったインド南部への日本軍進駐により、
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ、在米日本資産凍結や
対日石油禁輸をおこんった。
この文章で間違えてる部分ってありますか?
698:日本@名無史さん
12/02/20 00:04:34.73
>>696>>697は受験生か?
699:日本@名無史さん
12/02/20 00:19:11.72
>>697
「おこんった。」
700:日本@名無史さん
12/02/20 00:21:08.99
インド南部→インドシナ
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ→アメリカは対日姿勢を更に硬化させ
おこんった→行った
701:日本@名無史さん
12/02/20 00:40:10.95
>>699>>700
ありがとうございます
誤字は気にしないでください。
次のも頼みます…。
日中戦争時の話です。
政府は日本労働総同盟のもとに
労働組合を組み入れ、労働者の統制をはかった。
間違いありますか?
702:日本@名無史さん
12/02/20 02:09:04.78
期末試験?
703:日本@名無史さん
12/02/20 04:26:45.85
>>696
討論もしたんだろうが、少数の側近の話しか聴かないタイプ
前代未聞の新政策を乱発し、
「朕が新儀は後代の先例となるべし」=自分が打ち出した新政策は先例として将来に残る、と言い放ったが、
肝心の後代の人からは、あの時代は「もの狂い」が多かったから先例として考えるべきではない、扱いされた。
704:日本@名無史さん
12/02/20 14:35:02.92
>>697
近代史スレの方が詳しいんちゃう!
705:日本@名無史さん
12/02/20 21:40:11.70
日本で馬車が使われなかったのは何故ですか
牛車やら大八車が有ったんだから簡単に作りそうなものですが
706:日本@名無史さん
12/02/20 22:37:37.47
馬車ってか、道が舗装されてたわけじゃないから
車自体が役に立たない。
牛車は京でごく限定されたところを通っただけだし
大八車も許可制だったけど江戸のきれいになった
ところを通れてただけだからね。
707:日本@名無史さん
12/02/21 22:49:13.90
>>706お返事ありがとうございます
708:日本@名無史さん
12/02/22 13:03:07.79
>>688
西洋の馬術ではチャップス、日本では むかばき と言います。
カウボーイもジーンズの上にかぶせて穿く革のプロテクターを穿きますね。脚部の保護でしょう。
709:日本@名無史さん
12/02/22 13:58:33.95
虐殺は無かったといったらまぁ嘘になるだろうね。
名古屋市長の河村さんはイタいことしちゃったね。 公人として失格。
日本に都合のいい情報だけを集めて「虐殺はない」なんて勝手に納得しちゃったネトウヨとかは論外として
30万人って言うのはいくらなんでも多すぎだぜ。人数についてはいろんな説があって分からんが
中国人ってのは限度を知らないな。
大学で歴史学の勉強をしてきた小生が言わしてもらうと当時の南京の人口をもはるかに越えてるんじゃないかな。
人数についてはいろんな説があって分からんが、せいぜい見積もって5~10万人くらいが相場だろうな。おっと別に自虐史観とかじゃないんだぜ。
単なる歴史的事実を述べたまでだ。
右翼系の雑誌やサイトだと「虐殺は無かった」とかのトンデモ論がよく飛び出るが
あれに飛びつく奴はよほど歴史について勉強したことが無いか何も前提知識がないのだろうね。簡単にだまされちゃうんだから。
ああいうのは中国に弱みを握られたくない保守派(主に知識人は除く)のせめてもの抵抗なんだな。
彼らはとにかく植民地の話になると西洋の植民地政策を挙げて正当化しだすからな。
俺はイギリスやスペインのやってきたことに比べたら日本のはまだ生ぬるいと思う。
まぁ南京虐殺否定派は歴史をねじまげてでも自己満足でもしてればいいww
でもここで重要なのは数じゃなくて虐殺の事実なんだな。(それを認めたくないというのがウヨクのホンネ)
いずれにせよ日本人と中国人は対等な関係を築き上げていきたいものだな。
たぶんムリだが…。
反日vs嫌中の構図はこれからも続くだろうしな…。
710:日本@名無史さん
12/02/22 14:33:36.14
↑のような政治運動員には、まず、「虐殺」行為の定義から語ってもらいたいですなぁ。
711:日本@名無史さん
12/02/22 22:34:15.80
↑当然、「虐殺」の定義は知っているんでしょ?
712:日本@名無史さん
12/02/23 02:40:27.32
火のないところに煙をたてれる実例知ってるからねー
日和見で折衷していくやつがよくわからん
713:日本@名無史さん
12/02/23 20:08:19.68
織田信長は生前右大臣まで昇進しましたが、時の天皇だけではなく、
まだ信長よりも格上の存在が数人いたという事ですよね?
また信長亡き後、秀吉が天下人となりましたが、関白や太政大臣に
昇進するまでは秀吉よりも格上が時の天皇のほかに数人いたという事ですよね?
さすがに信長も秀吉も時の天皇には(少なくとも建前上は)一目置いていたでしょうが、
左大臣や太政大臣に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?
逆に左大臣や太政大臣は信長や秀吉に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?
714:日本@名無史さん
12/02/23 22:38:32.82
>>713
答えようがないけど、公式の場では上下の差を
わきまえたTPOにあった態度だったんじゃないかな。
あんまりそういう機会もなかったろうけど。
有名な関白左大臣近衛前久なんかは武将にあこがれてたから?
逆に自分がおっかけみたいになって武将たちに接近してたけど
そういう時は少々プライベートチックに鷹狩とかして
普通におつきあいしてたというか。
715:日本@名無史さん
12/02/24 05:53:46.11
>>713
その一方では、貴族たちや天皇の領地は信長や、その後には秀吉の保護下にあったのも事実なので、場面にあわせて振る舞いを変えてるよね。
716:日本@名無史さん
12/02/24 07:45:00.72
ちなみに信長の在世中に格上だった公卿は、信長の前任の右大臣で一緒に左大臣に転じた一条内基と
1582年の2月から5月まで太政大臣だった近衛前久
前久の3か月での大臣辞任は、信長の三職補任問題との関連とも言われている。
717:日本@名無史さん
12/02/24 13:05:28.07
>>708
ありがとう。
ただ、なにからの保護かがわからないのよ。
足の内側も覆っているなら、
馬腹で擦れないようにだろうと推測できるんだけど、
映像で見たところ、外側しか覆っていないんだ。
718:日本@名無史さん
12/02/24 23:05:11.63
騎手の足は馬の身体から外にはみ出すことになるから
樹木の枝などの障害物によって足が傷つけられるのを防ぐものではないか
719:日本@名無史さん
12/02/25 00:31:07.76
バイクと同じで、寒さ対策ということは
冬も戦いはあるが寒いので
720:日本@名無史さん
12/02/28 05:07:41.47
682,718です。
専門家に聞いたところ、718が正解だった。
行縢は雨露や小枝などから守るためのもの。
みなさん、ありがとう。
721:日本@名無史さん
12/03/02 22:05:19.83
>>697
日本軍の仏印進駐はアメリカの対日姿勢を硬化した。昭和10年ごろから帝国海軍
は軍艦の石炭から石油のボイラー変更を実施。その石油をオランダ領、イギリス領
にあったアメリカ、オランダ、イギリスの会社に求めた。しかし支那事変の
長期化は円の国際価格の暴落(円安)をさそい、円の価値を下げた。
す当時高価だった石油代金の支払いが滞った。ついに日本在外資産の凍結が実施された。
差し押さえ。そして帝国は年末12月開戦に踏み切る。
不当な利益を得ているアングロサクソンの企業を追い出しアジア人の物にしようと。
大東亜共栄圏のため。
722:日本@名無史さん
12/03/03 04:23:17.35
天皇っていつからいたの?
723:日本@名無史さん
12/03/03 18:20:28.50
>>722
天皇という称号を使いだしたのは天武天皇か持統天皇のころから
桓武などの漢字二文字の称号(贈り名)は奈良時代末ぐらいからか。
存在そのものは、もっと昔から。三世紀か四世紀ごろ。
724: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/03/03 22:53:33.75
>>723
漢字二文字の諡号は奈良時代末の淡海三船による
725:日本@名無史さん
12/03/03 23:44:26.23
実在した天皇は応神天皇までのようですがこの人はどこから湧いて出たんですか
726:日本@名無史さん
12/03/04 01:34:47.03
実在したのは応神天皇までって、それ以後の天皇は架空の存在か?
727:日本@名無史さん
12/03/04 02:03:41.45
応神まで遡及するってことだろ
728:日本@名無史さん
12/03/04 16:51:04.78
大和連合国という広域支配が史書と照らし合わせて考古学的に確認できる天皇がってことだろ
おそらく奈良県内を統治したであろう伝説的な存在として、応神以前もいたんだろうけどな
729:日本@名無史さん
12/03/04 17:17:10.57
までって言い方をからかったつもりだったんだがな。
730:日本@名無史さん
12/03/07 07:16:27.03
江戸の茶屋文化について調べたいと考えているのですが
現代語でお勧めの資料はありませんか?
731:日本@名無史さん
12/03/07 13:24:37.01
725の書き方そのものは別に不自然ではない
近代から見て行くと、今上から応神までって、普通にそういう意味に解釈できる
732:日本@名無史さん
12/03/07 13:26:04.56
>>722
「天皇」は聖徳太子の時代にはすでに使われていたよ
733:日本@名無史さん
12/03/07 13:50:01.54
さあどうかな?
天智天皇がみづからを初めて「天皇」と称し、
親の舒明天皇に遡って「舒明天皇」と諡(おくりな)したのが最初、
という説が現在最も有力なわけで…。
734:日本@名無史さん
12/03/07 16:59:29.11
ちょっと質問させてください。
戦国筒井氏年表その他に
永正四年六月二十七日の出来事として
「丹後出陣中に政元暗殺の報せを受けた朝経が軍を返すと石川ら
の一揆が蜂起してこれを攻撃、朝経は丹後にて自害し和久掃部・
古市丹後は討死。大和では国人衆が悉く入国を果たす。」
とあるんですが、これを記載している日記や記録にご記憶がおあ
りなら教えて下さい。
735:日本@名無史さん
12/03/08 00:40:33.04
>734
府中城(成相寺)の戦いのことなら田辺旧記にある
736:日本@名無史さん
12/03/08 18:25:08.79
平安京とか平城京とか長岡京とか藤岡京とか
遷都しすだと思ったんですけどそんな力あったんですか?
仕丁がやってたんですか?
737:日本@名無史さん
12/03/08 18:45:19.54
>>733
小林よしのり「天皇論」の揚げ足を取るブサヨ乙
738:日本@名無史さん
12/03/08 19:35:48.63
>>736
ごめん質問がよくわかんない
739:日本@名無史さん
12/03/08 20:40:39.10
>>737
小林は漫画家であって歴史学者じゃないから、板違い
740:日本@名無史さん
12/03/08 22:44:31.72
>>738
変な文章になってて申し訳ないです
藤原京とか平城京とか長岡京とか平安京とか短期間で移ってて
簡単に遷都してるような印象があるんですけど
そんな力が古代の日本にあったんですか?
あと遷都する時の労働力は仕丁なんですか?
741:日本@名無史さん
12/03/09 13:42:32.29
労働力は普通の民衆だよ。
現代社会と違って民衆は年中仕事してるわけではない。
労賃払えば押すな押すなと近隣から幾らでも集まってくる。
労賃はコメなど穀類だけでなく薪やら時には日当として野菜や魚まで呉れるんだから。
古代の天皇家はそれだけ財政力があったが、天皇家だけで賄うのではない。
貴族各家にむしろ大半を出させる。
すなわち、貴族に臨時の巨額課税をするわけ。
古代の天皇家(天智天皇以降)は、それだけ権力が強かった。
誰に対する権力かと言えば、何よりも貴族に対してだ。
貴族とは、物部氏や蘇我氏が亡んだあとの古代豪族達。(後の公卿)
権力と言うと、すぐ民衆に対する権力を云々する向きがあるが、
古代は、民衆は常の納税以外ほったらかしだよ。
生産力を上げるため、天皇家も貴族達もむしろ仁政を敷いていたのが時代の普通の姿。
742:日本@名無史さん
12/03/09 16:36:27.97
でも徳政相論で平安京の造営は民を苦しめていると習ったんですがどうなんでしょう
743:日本@名無史さん
12/03/09 17:07:46.14
「民を苦しめている」というのは、すべて戦後の左翼教育。
744:日本@名無史さん
12/03/09 17:18:28.89
タージマハルの例もあるし箱物そんなにつくって民衆に
しわ寄せがいかないとは思えんがね
745:日本@名無史さん
12/03/10 01:12:47.73
戦後教育以前に『日本後紀』も読んだことがないのかよwwww
746:日本@名無史さん
12/03/10 12:59:04.15
>>743
徳政相論が戦後に作られたって事ですか?
権力があったのはわかるんですけど
遷都の時は民を苦しめてるから、そんなに何回も遷都できるほどの体力はないという事ですよね
747:日本@名無史さん
12/03/10 13:00:45.59
あと国司は力が強くなっていったのに郡司の力が衰えたのはなぜですが?
748:日本@名無史さん
12/03/10 14:45:52.31
なんでもかんでも、苦しめる、に結びつけるのは
どうかってことだと思うよ。臨時収入で儲かる人もいるだろうし
常にマイナス方面、なんでも反対、と騒ぐのは大昔の
記録からしてそうじゃないかってね。
儲けたり喜んだ話は記録に残らない・・というとまた
おかしな方向に話が行ってしまいそうであれだが。
749:日本@名無史さん
12/03/10 15:41:10.74
>>747
国司が中央官僚層で郡司が在地領主層だということを忘れるな
総務省官僚と町内会会長ぐらい最初から違う
750:日本@名無史さん
12/03/10 19:18:10.00
>>749
最初から違うのは違うでいいんですけど
どうして国司は力をつけて郡司は力が衰えたんですか?
751:日本@名無史さん
12/03/11 04:41:20.90
国司が力をつけたというか、朝廷が地方支配を強化して
土着豪族の権限を徐々に奪っていった結果じゃないの?
752:日本@名無史さん
12/03/11 08:02:30.18
西郷隆盛の孫、侯爵・西郷吉之助が「両性愛の人物」とウィキペディアにありますが、
その根拠となる記録ないし証言にはどんなものがあるんですか?
活字になってる作品があったら、その書名も教えて下さい。
よろしく。
753:日本@名無史さん
12/03/11 08:51:06.66
かつての太政官制では官職の序列が割りとはっきりしていましたが、
現在の内閣制では官職の序列はあるのですか?
もちろん内閣総理大臣がトップなのは間違いないでしょうが、
NO2、NO3・・と序列はあるのでしょうか?
また、閣僚とは別に内閣官房長官や政調会長、国対委員長、などの
役職もありますが、この辺の序列も決まっているのでしょうか?
754:日本@名無史さん
12/03/11 10:48:01.79
閣議席順や総理大臣臨時代理順位で判断できます
官房長官は国務大臣なので閣僚の一人です
幹事長の序列は時々によって上下します
755:埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ
12/03/11 12:47:12.81
>>746
徳政相論があった延暦年間は古代国家の地方支配がほつれてくる時期であることも大きいんだけどね。
百姓を苦しめるものとしては「軍事と造作」っていう二つの政策があって、軍事とは蝦夷征討
で造作ってのは造都のこと。
基本的にはこの二つの事業の担い手は百姓で、その疲弊が極限まできていたのが
延暦年間ってみていい。
遷都自体なんでそう繰り返し行われるのかってことに関しては、平城京から長岡京
・平安京への遷都は天武系から天智系への皇統の変化を新王朝の樹立ってことを示す
意図から行われたとか、掘立柱建物は耐久性が15年程度しかないからとか、水害に
よるものとか、諸説混淆としているけど、平安京以後造都が終焉した理由に関しては
百姓の疲弊、つまり国力が限界に来ていたとみていいと思う。
こうした現象を一番端的に示すのが東国。東国は防人の供給地であったことは
知ってると思うけど、それと同時に蝦夷征討の軍兵や兵糧の類の徴発地でもあった。
そのために、極めて重い負担を強いられていたようで、群馬とか栃木あたりの古代の
集落遺跡の様相は8世紀後半以前は大規模集落といえるような集落景観をもつ遺跡が
検出できるんだけど、蝦夷征討が活発になる8世紀後半頃の集落遺跡の在り方はかなり
散在的になる。これは蝦夷征討によって東国社会がかなり疲弊していたことの
表れであると理解されている。
後は東国は東北への移民政策の担い手になっていたことも大きい。8世紀前半頃の例では
約1万5千人前後の人が東北に強制的に移住させられたことがわかってるし、
そうしたことも東国社会の既存の在り方を破壊した行為で、在地社会の疲弊を招いた。
756:日本@名無史さん
12/03/11 14:24:10.08
平安京では親が子供を捨ててそれを犬や鳥が食べてしまうという事もあったそうですが
施薬院や悲田院などの効果はどれぐらいのものだったんですか?
こういう貧しい人が増えた理由が知りたいです
それとも貧しい人はずっと昔からいて平安時代が特別というわけではないんですかね?
757:日本@名無史さん
12/03/11 22:06:07.38
>>756
昔からずっとあったとは思うよ。
なくなったのは綱吉の生類哀れみの令ぐらいから。
758:日本@名無史さん
12/03/11 22:18:18.91
>>757
昔からというのはどの時代ぐらいからでしょうか?
あと施薬院とか悲田院ってどのぐらいの効果があったんですかね?
759:日本@名無史さん
12/03/11 23:54:53.48
>>757
平安の日記類には結構エグいことも書いてあるからね。
効果と言うと難しいけどそういう「思想ができた」というのは
重要だろね。
760:埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ
12/03/12 00:14:57.06
>>759
野犬に食べられて一週間前は全身あった子供の遺体が首だけになってたとか
その類のやつか。。。身寄りなくなって病にかかった子供が屋敷追い出されちゃって
死んだ母親が仕えていた屋敷の門付近をうろうろしてるのを追い払ったり、
心苦しい記事も見かけた気がする。こういうのみてると悲田院とか施薬院が
十分に機能していたかどうかといわれたら甚だ疑問。。。
この手の論文はコピーしただけでまだ読んだことないんだけど、財政的な面
からも光明皇后とか支持する人が政治の主権もってる時はある程度確保される
けど、そうじゃない人が政治の担い手になった時はあまりね。。。
賑給とか食料を貧民に給付するのもあるけど、平安末期になると京内だけの
殆ど儀式化しちゃうよね。それ以前はわりと中央・地方を問わず行われているけど、
それは殆ど政治的演出にすぎないし、これも十分かと言われたら甚だ疑問。。。
761:日本@名無史さん
12/03/12 07:34:33.58
>>760
結局中央集権もままならない中世をどう解釈するかには
なってくるね。
今の物質文明からみたら過去の歴史状態は全て悲惨で
悪の状態みたいに考えてしまうのが進歩的で人道的
というのに問題があるわけで、各時代の状況とかをどう
価値観的に判断するかは難しいだろうから。
762:日本@名無史さん
12/03/12 08:41:34.53
>>753
原口氏が総務大臣のときに「総務大臣は財務大臣に次ぐNO2」と言ってたから、
閣僚の序列は財務大臣>総務大臣>外務大臣が妥当なのかな
あと、日本の国家元首説では天皇説、総理大臣説に次ぐ3番目として衆議院議長説が
あるから、日本のNO3は衆議院議長になるのかな
それと国政ではなく地方行政ではあるけど、東京都知事は執行予算の規模や権力基盤が
かなり高いらしい、序列でいうとどういう順番になるかは知らんけどね
誰か詳しい人いたら追加&訂正ヨロ
763:日本@名無史さん
12/03/12 14:04:26.17
封建制ってどのようなものですか?
古代の律令制度以前のヤマト王権は封建制になるんですか?
あと中世ってなにをもって中世とするんですか?
764:埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ
12/03/12 15:00:20.30
>>761
中世って幅広いから何ともいえないけど、無秩序っていうイメージがあるよねww
戦国なんかは一番の例だろうけど、分国法みたいに国ごとに法があり、国境越えると別世界
みたいな。まあ中世専門にしてる人からみれば違うんだろうけど。
765:日本@名無史さん
12/03/12 19:30:54.30
>>762
真面目な話、
形式上では首相臨時代理順が序列
これは時の政権ごとに違う
実質的には一番カネを動かせる閣僚が重量級
昔は超軽量級だった環境省も今や重量級
766:日本@名無史さん
12/03/12 22:12:53.05
>>765
皇族と国政のトップどころと地方行政のトップどころ、
総合するとどういう序列になるんですか?
767:日本@名無史さん
12/03/12 23:38:41.14
>>763
王あるいは皇帝が功臣や協力的な異族を諸候あるいは王として封建して、一定の支配権を与える制度。
江戸幕府で説明すると王でも皇帝でもないけど将軍が三河以来の譜代の功臣や関ヶ原辺りから配下に
なった外様の大名を諸候(大名)として封建した、という説明になる。諸藩には一定の支配権があるので
他所の大名や幕府でもある程度の事は口出し出来ない。
ヤマト政権は有力な豪族たちの連合政権。
中世の定義は俺も知らん。古代を規範する秩序が役目を終えた以降という事にはなるだろう。
768:日本@名無史さん
12/03/12 23:46:00.60
江戸時代の大名経験者で一番長生きしたのは誰の何歳でしょうか?
769:日本@名無史さん
12/03/12 23:52:57.31
天海の124歳。
770:日本@名無史さん
12/03/13 00:06:45.47
>>767
ヤマト王権の大王家は他の豪族を配下にして支配を認めたりはしてなくて
ただ単に豪族達が大王家を盟主として担いだって事ですか?
封建制と有力豪族の連合政権の具体的な違いってなんになります?
自分の理解力が足りなくて何回も申し訳ないですがお願いします
771:日本@名無史さん
12/03/13 00:17:57.31
>>770
横から悪いが、土地管理、の問題かな。
支配権というのを、土地に結び付けて固定支配する、というの。
そっから農奴制とかそういう分化的な話になっていくよね。
772:日本@名無史さん
12/03/13 01:02:52.06
>>770
>ただ単に豪族達が大王家を盟主として担いだって事ですか?
そういう事です。一応リーダーだけど、それほど強い権力を持っている訳では無い。
封建制では君主が土地を与えて支配させるという建前になっています。だからそれまでの土地から引きはがして
転封させる事も出来ます。実際はそれまでの支配権をそのまま認めるという場合も少なくないですが。
773:日本@名無史さん
12/03/13 01:03:32.31
大陸から稲作を日本に伝えた人の子孫が天皇になったという説はありますか?
自分は一番自然な考え方だと思いますが・・・
774:日本@名無史さん
12/03/13 03:15:36.61
封建制の特徴って、
領土を与える、領有権を公認するという形で上位権力が地方領主に何らかの支配権を持つって事かなあ。
その意味で言えば、封建領主(地方領主)の立場に近いのは、
大和王権のころの地方豪族(国造・群造)よりも律令時代初期の郡司のほうだろうね。どちらかといえば。
>>773
あまりにも時代が開きすぎているので無理と思う。
1000年以上は離れてるよ。
775:日本@名無史さん
12/03/13 11:44:05.52
四つ質問がありますのでお願いします
最初の土地制度は私地私民で、公地公民になったそうですが
なぜすんなり豪族達が納得したんですか?
あと浮浪・逃亡・偽籍が増えて税収が減ったそうですが
偽籍をしても逃亡したわけでもないしすぐ把握できないものなんですか?
浮浪・逃亡した人達が多かったそうですがそのたくさんの人達はどうなったんですか?
あと墾田永年私財法とか三世一身法とか百万町歩開墾計画ってどういう理由で出されたんですか?
776:日本@名無史さん
12/03/13 14:30:29.88
>>775
>なぜすんなり豪族達が納得したんですか?
それまでに、蘇我氏が滅ぼされたりなどの形で君主の権力が強くなり、文句を言えるような豪族は
いなくなった。
>すぐ把握できないものなんですか?
誰が調査するんですか?また、逃亡した人がどうなったか判るくらいなら連れ戻すとかも出来るだろう。
>どういう理由で出されたんですか?
生産を増やして税収を増やす。他に理由があるのか?
777:日本@名無史さん
12/03/13 16:45:13.42
>>776
墾田永年私財法とかの法が生産を増やして税収を増やすための法だってのはわかるんですけど、どういう理由で出されたんですか?
あと墾田永年私財法が出される前は開墾してもすぐに国のものになってたんですか?それとも国のものになってしまうので開墾してなかったんですか?
調査する人がいなかったという事ですが、戸籍がおかしいって段階で調査をすることはなかったんですか?
あと戸籍って農民の自己申告だから偽れたんですか?それとも戸籍を作る役人が不正してたんですか?
逃亡した人のその後は現在でもわかってないんですか?
蘇我、物部、大伴とかが潰しあって蘇我氏も滅ぼされて他に有力な豪族っていなくなったってことですか?
藤原氏って蘇我氏滅亡後も力が強いと思いますけど、藤原氏は大王家に文句言えるような力はないって事ですか?
778:日本@名無史さん
12/03/13 17:39:39.23
>>777
逃亡などで田畑が荒れた。開墾しろ!(開墾計画)。号令だけで実績上がらず。
三代耕せば私有を認めるから耕せ!!(三世一身法)。3代目になったらやーめた。実績上がらず。
しょーがないから私有を認めてやる。ちょっとは上がりを収めろ!!!(墾田永年私財法)
>調査する人がいなかったという事ですが、
戸籍調査はそんな簡単じゃないよ。現代だって国勢調査に大量のバイトを使い、更に交番のおまわりさんが
歩いて回ってやっと実態が把握出来る訳で。
例えば蘇我氏を例にとると必ずしも滅んだ訳ではない。一族の反主流派の蘇我倉山田石川麻呂が中大兄
皇子に接近して主流派を滅ぼした後の蘇我一族の長を継承している。でもその権力は朝廷との結びつきを
背景としているから蘇我入鹿とは違う。その石川麻呂もまた謀反の嫌疑をかけられて自害したが。
そういう風にして豪族の力を弱めて行った。
藤原氏の力は中大兄皇子との結びつきに由来していて、しょせんは朝廷の臣下としてのもの。
でも墾田永年私財によって有力貴族が私有地を増やして荘園にする事を認めてしまったら、どんどん力をつけて、
皇后に娘を押し込んで外戚になり、天皇の祖父ともなれば天皇にも文句を言ったり出来るようにもなる。
779:日本@名無史さん
12/03/13 17:42:02.68
>>778
>三代耕せば私有を認めるから耕せ!!
間違えた。三代の間は私有を認める。その後は公地になる。
780:日本@名無史さん
12/03/13 19:04:00.14
>>765
>>766もお願いします
781:日本@名無史さん
12/03/13 22:05:34.77
>>780
形式的には、
天皇が第一位、総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁長官が同列第二位
知事は並べてはいけない
実質的には、
誰かが国会議員を辞めて知事になったとき、
御輿として担がれたと見られるか、重鎮自ら出てきたと見られるか
それだけのことでしかない
782: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/03/13 22:33:36.36
宮中席次
1 : 大勲位
1 : 菊花章頸飾
2 : 菊花大綬章
2 : 内閣総理大臣
3 : 衆議院議長、参議院議長
4 : 最高裁判所長官
5 : 国務大臣
6 : 衆議院副議長、参議院副議長、最高裁判所判事、会計検査院長、宮内庁長官
7 : 特命全権大使、検事総長
8 : 侍従長
9 : 認証官、国家公安委員
10 : 勲一等旭日桐花大綬章
11 : 従一位
12 : 勲一等
1 : 旭日大綬章
2 : 宝冠章
3 : 瑞宝章
13 : 衆議院議員、参議院議員
14 : 都道府県知事
15 : 公務員
正二位以下有位者
勲二等以下有勲者
備 考
正二位以下勲三等までは十二級職の次
正四位以下勲八等までは九級職の次
位勲の順位は正二位従二位勲二等(一、旭日重光章 二、宝冠章 三、瑞宝章)として三位以下之に準ずる。
ただし存命者で大勲位を賜っているのは中曽根康弘元首相のみ
783:日本@名無史さん
12/03/14 00:50:51.13
江戸時代の大名経験者で最も長生きした人は誰の何歳ですか?
784:日本@名無史さん
12/03/14 01:28:26.21
>>782
こういうものを維持するために何百人かの公務員と、何千人かの関連業者がいて
税金いくらつかっているんだろうね
そろそろ勲章は全廃して3ランク松竹梅くらいの表彰状に変えよう
785:日本@名無史さん
12/03/14 02:39:01.32
>>781>>782
詳しい紹介サンクスです。
ちなみに皇太子や宮家当主はどういう序列でしょうか?
786: 忍法帖【Lv=4,xxxP】
12/03/14 13:08:08.33
787:日本@名無史さん
12/03/15 02:21:17.15
>>784
こういうのは年々価値が落ちてくものだから次々新しいものを作らないといけないのさ
788: 忍法帖【Lv=27,xxxPT】
12/03/15 13:16:09.07
質問です
間宮林蔵以前に樺太先住民のことを日本人はどれくらい知っていたのでしょうか?
また日本との交易とかはあったのでしょうか?