歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26at HISTORY
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26 - 暇つぶし2ch396:日本@名無史さん
11/11/24 04:46:06.51
毒女板のキチガイババアとやらの無知をまとめておくな。
同意レスが付いているが多分同じ奴の自演だろう。この馬鹿自演ぶりは板住民ではあり得ない。

【キチガイのまとめ結論】
   >1.そく‐しつ【側室】貴人のめかけ。そばめ。⇔正室/嫡室。 大辞泉
   >URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)

【無知を強弁したキチガイの書き込み(おそらく一人の自演)】
   >346 :2011/11/22(火) 10:49:51.10
   >>>327
   >そこであげているのは全部正室ですが?
   >それから正室も側室も妻ですよ。

   >348 :2011/11/22(火) 11:35:04.55
   >>>327は当時の制度を理解してないんじゃね?
   >当時は一言で言うなら「一夫多妻」
   >一人が正妻で後は愛人、というのではなく、力があれば一人で何人も妻がもてた。
   >そのうちの一番格の高い女が正妻と呼ばれるだけ。
   >側室を愛人扱いするのはおかしい。

   >364 :2011/11/22(火) 16:47:38.30
   >側室を愛人と思う人は確かに多いけど、側室は正式な「妻」ぞ
   >勘違いしてるアフォがこのスレにいるとは思えんが
   >【側室】wiki 正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。
   >正妻、本妻とも言う。
   >律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。
   >これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。
   >正室=第一夫人 側室=第二夫人以下 こういう並び
   >大辞泉にもそう載っている。辞書は根拠なんだよな?w

スレリンク(history板:346番),348,364,379

397:日本@名無史さん
11/11/25 08:51:46.28
>>396
それ全部バラバラ。
お前の考えが特殊で反対する奴全部同一人物にしてるだろ?
逆に一夫一妻残りは愛人と言ってる奴がお前一人だけ。
じゃあ、日本の天皇って半分が愛人から生まれてるんだね?
明治天皇も大正天皇も愛人の子だという不敬罪の奴が湧いてる。

398:日本@名無史さん
11/11/25 08:54:57.50
>>395
皇后腹の男子を差し置いて女御腹の男子が即位した例がないからだろ。
一条天皇の中宮に定子がいたので強引に彰子を立后させたのと同じ理由。
当の一条天皇は女御腹の天皇だ。
しかし母の藤原詮子は女御から皇太后、女院となり、女院制ともいわれる
強大な政治権限を駆使した。
詮子付きの女房たちが子がなかった円融天皇の中宮導子を「それみたことか」
といったというから大して差はないんだよ。
導子が雲の上の人だったら詮子なんて処罰だろう。

399:日本@名無史さん
11/11/25 10:27:02.47
>>393
「関ヶ原の戦い」は徳川家康が豊臣秀頼を攻めたわけではなく
家康はただ豊臣家家臣の内紛に乗じて勝たせていただいただけ
家康は豊臣恩顧の大名を味方に引き入れるために「石田三成の謀反を討伐する、
秀頼さまのために戦う」というスタンスを貫く必要があった
そのために秀頼は殺せなかった
関ヶ原から15年もたってからなぜ急に殺そうと動いたかといえば
やはり徳川政権には必要ないとかねがね思っていたからでしょうな
すでに秀吉が死んでから18年の月日が流れ、豊臣恩顧の大名たちも
ほとんどが代変わりして秀吉から直接恩を受けていない者も多くなり
やりやすかったということだろう

400:日本@名無史さん
11/11/25 21:51:18.54
実家から凄く古い写真が出てきました。
リアルタイムを知る人はもう誰もいないので推測でしか無いですが、祖母の兄が出兵する時の記念写真のようです。
写真に写っている祖母と思われる少女の年齢から推測するに1930年代前半の撮影ですが、その当時一般人が出兵するような戦争ってありましたか?
いつの写真なのか詳しく知りたいです。

401:日本@名無史さん
11/11/25 22:48:29.06
兵役は臣民の義務だよ

402:日本@名無史さん
11/11/25 23:00:34.49
>>400
満州事変は1931年。
それ以降は満州に大部隊を張り付けてる。

403:日本@名無史さん
11/11/25 23:14:54.48
親父の遺品整理してたら多分終戦直後くらいの時期の
モノクロ無修正の本番写真が出てきたことがあったわw

404:日本@名無史さん
11/11/25 23:24:15.24
>>403
親父の?

405:日本@名無史さん
11/11/26 00:01:40.48
ヤってるのはお前のとーちゃんとかぁちゃんだとして、撮影したのは…?

406:154
11/11/26 00:35:45.92
自分が産まれる瞬間の映像と思うとあらたかな気持ちにもなるけど、
自分の親とか考えると絶対見たくないな。

407:日本@名無史さん
11/11/26 00:36:44.40
失礼。↑どっかで書いた154が残ってた。

408:日本@名無史さん
11/11/26 00:56:29.53
大使は馬車で皇居へ 信任状奉呈式で震災以来復活
URLリンク(www.asahi.com)

欧の猿まね、カコワルイ
日本なら牛車か駕籠という発想はしなかったのでしょうか

409:日本@名無史さん
11/11/26 01:14:10.07
>>408
西洋から来た大使に正座を強いるのは失礼に当たります。

410:日本@名無史さん
11/11/26 01:28:54.88
ハリスも立礼を通したから畳を七枚も重ねて家定は謁見する羽目になった

411:日本@名無史さん
11/11/26 01:29:57.45
椅子席にすればOK
大使たるもの郷にいれば郷に従え

そんなこと言ったら、欧に赴任する東洋の大使に椅子を強いるのは失礼に当たります。

412:日本@名無史さん
11/11/26 02:02:08.41
>>411
東洋の民であるお前の家には椅子が無いのか?

お前は郷に入っては郷に従えなんて言葉をいっちょまえに使える人間か?
国際関係でそんな事言ってるのは今時ナンセンス
昔からの風習だ
URLリンク(pub.ne.jp)

413:日本@名無史さん
11/11/26 03:47:15.50
>>397
>逆に一夫一妻残りは愛人と言ってる奴がお前一人だけ。

人数の問題じゃないし、IDも出ない匿名掲示板で人数などわかるわけもない。
そんな事が分からないのは自演の当事者。
論理で対抗できないと自演で支持があるかのように装う。

>>398
「それ見たことか」の揶揄でひとつで妄想乙


お前だけだよキチガイさん

414:日本@名無史さん
11/11/26 18:26:03.07
>>398
言ってることがワケワカメ??

>女御腹の男子が即位した例がないからだろ。
>一条天皇は女御腹の天皇だ。

415:日本@名無史さん
11/11/26 19:56:46.71
>>411
牛車に椅子載せるんならもはや馬車で良いじゃん。

416:日本@名無史さん
11/11/26 20:18:26.36
■民主党政権になって放送禁止になった言葉一覧■
[道義的責任・進退問題・発言のブレ・閣内不一致・派閥・プライマリーバランス
空気が読めない・庶民感覚・国民目線・バラマキで人気とり・国民に信を問うべき・OECDの貧困率
ワーキングプア・ネットカフェ難民・世襲・料亭・漢字・読み違え・直近の民意・国民の生活が一番、政権交代が最大の景気回復策、公務員改革
ガソリン値下げ、景気回復策、解散総選挙、ホッケの煮付け
世襲制廃止、地域主権、議員定数削減、地球温暖化対策]


417:日本@名無史さん
11/11/28 00:29:38.63
西郷隆盛「ペリーの固くて黒くておっきいので我々の鎖国をぶち抜いてっっ!!!」
このギャグの実用性を問いたい。

418:日本@名無史さん
11/11/28 00:33:22.16
>>417
なぜ西郷なのか

419:日本@名無史さん
11/11/28 01:15:11.87
斉彬の方が良かったな。

420:日本@名無史さん
11/11/28 13:08:05.19
>>418
西郷だとよりリアルかなと思ったので

421:日本@名無史さん
11/11/28 14:56:56.23
素朴な疑問なんですが、実子のいない大名は種無しだったのでしょうか?

422:日本@名無史さん
11/11/29 09:30:47.23
>>414
意図的に文章切ってるな。
「皇后腹の男子を差し置いて女御腹の男子が即位した例がない」
円融天皇の皇后(中宮)には子供がなかった。
だから女御腹の一条天皇が即位した。
お前、円融天皇の中宮導子に男子があったのに
女御腹の詮子の男子が即位したと思ってたの?

423:日本@名無史さん
11/11/29 09:31:54.70
>>413
「大正天皇の母親は愛人」
不敬罪だよ、お前

424:日本@名無史さん
11/11/30 22:15:05.75
日本史を語る上で、ペリー提督とマッカーサー元帥はどちらがより
外せない重要人物でしょうか?

425:日本@名無史さん
11/11/30 23:45:58.07
ペリーは日本を開国する為に入念に研究した結果、恫喝が一番効くと判断した。彼以前に日本を開こうと
やって来た者は皆、友好的にやろうとして幕府の「交渉の窓口は長崎である」という説明を真に受けて結局
良いようにあしらわれて追い返されてしまった。ペリーが居なければ開国はもっと遅れ、明治維新も無かった
かもしれない。

異論は認めます。

426:日本@名無史さん
11/12/01 01:54:33.47
ペリーって、ペルリって言われるドラマだとよくセリフある
ペルリは誰が通訳したんだ

427:日本@名無史さん
11/12/04 10:32:40.88
>>424
もう一つの質問スレでも同様のこと聞いてるけど
マルチポストはやめたほうがいい

428:日本@名無史さん
11/12/06 06:06:31.16
歴史学のコアジャーナルって何なのでしょうか?
複数挙げてもらえれば嬉しいです

429:日本@名無史さん
11/12/06 23:06:11.18
日本歴史
歴史評論
歴史学研究

あたりかな

430:日本@名無史さん
11/12/10 09:01:05.20
日本の統治機構や社会制度が違うから単純比較はできないけど、
「ザク」っとした感覚で比較すれば、飛鳥~平安時代の歴代の天皇、
鎌倉時代の執権北条氏、室町時代の足利将軍、信長、秀吉、
江戸時代の徳川将軍、明治~昭和初期の薩長閥の総理大臣、戦後の
自民党の歴代総理大臣、近年の鳩山~野田は「日本の統治権者」
(またはそれに近い存在)として同格の存在と言えるのですよね

この解釈は間違ってますか?

431:日本@名無史さん
11/12/10 10:24:17.36
>>430
平安時代を一つに括るのはあまりね…
桓武、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳帝は天皇親政
清和、陽成、光孝帝は藤原良房、基経の摂政
宇多天皇前期も藤原基経が政権を握ったけど死後天皇親政(寛平の治)
醍醐帝は菅原道真、藤原時平を用いた天皇親政(延喜の治)
朱雀帝は摂政藤原忠平の政治
村上帝初期数年は摂政藤原時平が政治をとったが、その死後は摂関を置かず天皇親政(天暦の治)
あと冷泉、円融、花山、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉天皇は藤原北家の天下
後三条天皇は藤原氏を抑える天皇親政を行った
白河帝も同様の政治を行ったが出家し、堀河、鳥羽、崇徳帝時代の政治をとる
鳥羽上皇も崇徳、近衛、後白河帝時代の院政をとる
後白河上皇の院政は長く続き、二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽帝時代に至った
もちろん太政大臣平清盛も政治とったけどね
関白もいたし
後鳥羽帝は譲位後順徳、仲恭帝時代に院政をとるが承久の乱に敗れ配流
後堀河帝即位後は父の守貞親王の院政
これ以後の院政は形だけのものとなり北条氏が実権を握る
長くなってごめんな

432:日本@名無史さん
11/12/10 20:53:32.80
>>430
それぞれの在位期間の長さや貢献度はバラバラだけど、「統治権者」という視点のみで
語ればほとんど同格と言えるんじゃないのかな
ここ何年かの総理は存在感なさ杉だけど、北条氏の後半や足利氏の後半なんかも存在感ないし、
信長秀吉が傑出してますね~

433:日本@名無史さん
11/12/11 09:12:46.20
統治権者というと、明治~戦前は時の総理ではなく時の天皇になるべき?

434:日本@名無史さん
11/12/11 21:19:33.24
信長秀吉と鳩山菅が同格と聞くと、胸に去来するものがあるな

435:日本@名無史さん
11/12/12 00:36:49.73
秀吉はともかく、信長は日本全土を統治したわけではない
とすると、鳩山、菅>信長、という解釈も成り立つ

436:日本@名無史さん
11/12/12 01:21:41.19
その論理でいけば戦中は中国に領土あったり併合してるアジアの国も多かったから、戦中の総理大臣は大物になっちゃうぞ

437:日本@名無史さん
11/12/12 02:47:45.00
歴史を知らずに哲学は語れない 2
スレリンク(philo板)




438:日本@名無史さん
11/12/12 10:41:24.47
>>434
鳩山は一代で内閣総理大臣に上り詰めたわけではなく、世襲だからな。
祖父も内閣総理大臣、父も衆議院議員だし。

現在の内閣総理大臣は名目上は一代限りということで
親が幕府をひらけば子供は馬鹿でも将軍という
明治以前の政治形態とは明らかに違うだろう。

439:日本@名無史さん
11/12/13 10:00:01.12




ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼かもしれん
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?










440:日本@名無史さん
11/12/13 22:49:10.64
質問です。
黒田孝高は長政を信長への人質に提供し、信長が孝高離反疑い長政を殺す命令を出したとき
竹中さんが命令違反をして長政を殺さず信長に虚偽報告をしということですが、
後に孝高の潔白がわかり長政は堂々と生きていけるようになりましたが、もし孝高が
死ぬなどして潔白が証明されなかった場合、長政は身元不明の人間として出家したり
庶民になったりしたのでしょうか。

また、室町以前は家督相続問題などで周囲が他の当主(当主の弟など)を持ち上げようと画策し、
当主は騒動を鎮めるため当主候補を殺した例がしばしばありますが、当人同士の思いとは別に
現状に不満を持つ周囲が対立当主候補を持ち上げてしまうため、騒動の根を絶つため
対立候補を殺したことにして実は殺さずにおいた、ということはあったのでしょうか。

441:日本@名無史さん
11/12/13 23:43:13.18
「実は殺さずにおいた」事例があったとしても歴史には残らないから分からん

442:日本@名無史さん
11/12/14 18:04:22.41
質問です
元老院議長を島津久光にするという案があり(結局中断した)ましたがその前に岩倉が議長に任じられていたが断った
という歴史事実はありますか

あと島津が大審院長になってほしいと頼まれた歴史事実があるかも教えて欲しいです

もしわかれば文献も教えてほしいです、よろしくお願いします(>人<

443:日本@名無史さん
11/12/16 15:21:35.37
森有恒(文部大臣)が、伊勢神宮の御神体・八咫鏡を見てユダヤ文字が書いてあったと新聞記者に言っただけで、なぜ暗殺されたのでしょうか?
新聞にはもっと他のことも書いてあったのでしょうか?

444:日本@名無史さん
11/12/17 00:19:12.55
幽霊のこと言ってるのか

445:日本@名無史さん
11/12/17 06:17:27.95
豪族を作って天下を取りたいのですが
まずは何から始めればよいのでしょうか?
「信長の野望」なら何度も全クリしてます。

446:日本@名無史さん
11/12/17 10:00:20.42
>>445
信長の野望クリア程度では、天下は取れません。
戦国史の天文戊申シナリオを江儀遠山家あたりでクリアしてから出直してください。

447:日本@名無史さん
11/12/18 14:27:46.60
質問させてください

新井白石の母の姓名 家系を教えてください

448:日本@名無史さん
11/12/19 20:54:44.95
寺に貫主と別当がいるんだけどどっちがえらいの?

449:日本@名無史さん
11/12/19 22:24:53.71
>>365
1.統治システムが未成熟だった。
 ほぼ秀吉の独裁。五大老・五奉行は晩年にできたシステムのできそこない。

2.引き継ぎができなかった。
 家康が生きているうちに位を譲って後見に回ったのは秀吉の引き継ぎがうまくできなかったのを目の当たりにしたから。

450:日本@名無史さん
11/12/19 22:26:43.01
天皇家ユダヤ人説>騎馬民族征服説>九州王朝説

古代史ドイヒー説順序

451:日本@名無史さん
11/12/20 00:03:31.25
>>449
家康の時代も独裁に近かった。
正直、豊臣秀頼を殺さないうちに家康が没していたら、どうなっていたかわからない。
結局、家康が秀吉と違っていたのは、家康が存命中に嫡孫家光までが生まれていたこと
家康が秀忠の弟三人に御三家を作らせるなどして徳川家中枢を固めたこと。
家康の血縁者が非常に多かったことが吉と出た(女系やら家臣の子まで大量に養子や養女にしている)

江戸幕府も統治体制が整ったのは3代家光頃。
家光以降は、ほぼ将軍が幼くても馬鹿殿でも耐えうる幕府体制ができた。


452:日本@名無史さん
11/12/20 00:37:59.57
2011年
東日本大震災
東京電力福島第1原発の事故
世界同時多発テロ首謀者のビンラディン殺害
平成で最悪の台風被害
天皇陛下入院
北朝鮮の金正日国家主席死亡

戦後の六十数年の中でも2011年は傑出していろいろあった一年じゃない?
日本国憲法施行の年とか、サンフランシスコ講和条約の年とか、
東京オリンピックの年とか、それ自体は大きな出来事だけど、
こんなに盛り沢山な一年ではなかったよね(多分)

もっと年配の方の意見が聞いてみたい


453:日本@名無史さん
11/12/20 01:29:58.51
私事ですが、私の先祖は下級ながら武家だと聞いていました。こないだ江戸時代に生きていた先祖の名前を知る機会があったのですが、○太郎、○次郎、○七郎、○作、○吾などとごく平凡な名前で驚きました。
武士でも○衛門とか、大名みたいに漢字二文字の名前と言うのはむしろ少数派だったのでしょうか?

454:日本@名無史さん
11/12/20 01:32:22.88
94年の阪神大震災と地下鉄サリン事件&オウム真理教を軽く越えたな

455:日本@名無史さん
11/12/20 01:44:34.67
昭和天皇崩御に天安門事件、東欧革命に冷戦の終結、
ソ連崩壊、とどめにバブルが弾けた1989年もなかなか

456:日本@名無史さん
11/12/20 02:13:04.11
>>453
赤穂浪士で有名な堀部安兵衛は正しくは堀部安兵衛武庸となります。安兵衛は通称で、
武庸は諱(いみな)です。大岡越前守忠相や遠山左衛門尉景元のように通称ではなく官職の
場合も有ります。水戸中納言光圀も官職です。
そちらの場合も通称の他に諱が有るんではないでしょうか。

457:日本@名無史さん
11/12/20 06:32:20.48
金さんは通称は金四郎だね。
越前さんも忠衛門なのかな。
平凡だから驚いた、と言われるけど下級だったら
ごめん、平凡でも普通だし「衛門」「兵衛」というのも
官職由来だからカッコよく聞こえるけど
実はありふれてる。
大名みたい、というのはちょっと意味合いが違って
ちゃんとした官職持ってればいいけど
下級だと、ごめん、単に「二文字ネーム」を名乗っただけだろうから
やっぱりあんまり大名っぽくもない。

ちなみにお百姓さんでも「兵衛」と書いて?「べぇ」と呼んだりするから
「大名みたい」というあたりに少し誤解があるかもね。
0吾、なんてかえって平凡じゃなくてキラキラネームだったかも。

458:日本@名無史さん
11/12/20 19:23:41.52
>>454
95年も凄かったけど、今年は抜いちゃったね
>>455
1989年も確かに凄かったね
世界的に見たら1989年の方が上かも
ただ、日本に限定したら今年の方がインパクトあったかも
まあ昭和天皇崩御&バブル崩壊もでかいけど

452に追加で中東革命、タイ大洪水

459:日本@名無史さん
11/12/20 19:41:01.65
>>452
ニュージーランド地震
トルコ地震
ジョブズ死去
南スーダン独立
二度の皆既月食
世界人口70億人突破

460:日本@名無史さん
11/12/20 19:54:16.68
人数は諸説ありますが一応は
テルモピュライの戦い
スパルタ兵300人でペルシャ軍100万と三日間戦い四日目でようやく全滅
100万相手に300人で四日持ちこたえるという最強の無双騎士団

日本を含めて世界でこれより凄いか同格の話ってありますか?
個人的には島津軍の鬼の引き口以上の、たぶん人類史上一番凄い実話だと思ってるんですけど
(三国志の張飛が一人で、魏軍100万人に啖呵切ったのは、啖呵切っただけで実際は戦ってないのでノーカンで
 というかあれは三国志演義という小説上の話らしいので)

こういう話好きなので「史実じゃなくて神話だけど一応○○ってのがある」
というのでも知っていれば教えてください

461:日本@名無史さん
11/12/20 20:37:57.85
>>460
他でもやってたけど、人の知らない話を知りたいのなら
ググればいいと思うよ。
一応こっちは、真面目な話、のスレだから「史実じゃなくていい」
というのはちょっと失礼になる。
仮想歴史コーナーに行けば「鬼の~」「最強~」とか
オビにもいっぱい書いてあるからそこから探せば早いよ。

462:日本@名無史さん
11/12/20 20:41:28.85
>>452
オヤジだが感動が薄れてな~。
万博、あさま山荘、三島切腹、よど号、猪木対アリ
こういうのが近い年で印象が強い。国内だけでもね。

463:日本@名無史さん
11/12/20 20:51:37.05
>>461
失礼になるとは思いませんでしたすいません
ただこうしないと史実と完全確定してるものいがい誰も描きこまない気がしたのであえて幅を広くしました

例えばアーサー王物語は伝説ですけど円卓が発見されたり、史実だったんじゃない説や
ギルガメス大王は叙事詩の架空の人物かと思われたけど最近実在の人物説が出て来てウィキペディ
でも数千年まえの人間でありながら126年間在位したという記述があったりするので

テルモピュライもスパルタ軍はもっといたとかペルシャ軍はもっと少ないとか
あれはほぼ架空で史実はたいしたことない説もあるので、気を悪くしなたならすいません

464:日本@名無史さん
11/12/20 21:19:56.17
>世界でこれより凄いか
世界史板へどうぞ

465:日本@名無史さん
11/12/20 21:55:38.31
>>463
ウィキをありがたがってるようだけど
あれは、トンデモさんが自分の主張をするところ、だから
それだけでレスはつかないと思うよ。

いろんな単語や「鬼の~」みたいなのを使いたいのは
わかるけど「サンタクロースは実在しますよね、史実じゃなくていいので
逸話を教えて」と言われても、まず「いないよ」というところから始まるでしょう。

史実と確定、とも言うけどそれ自体が難しくて答える人が
その確度や信憑性を悩みながら答えることになる。
それに対して「そんなのはどうでもいいんです、最強、とさえつけば
いいんです」というのなら、やはり架空コミックスレのほうがいいよ
ということね。

説教みたいで悪いが、史実とドラマの区別がついてないというのは
もう一度考えて見たほうがいいんじゃないかってね。

466: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/20 22:05:08.41
>>465
ちょっと待て
中東のセントニコラウス司教をいじめるな

467:日本@名無史さん
11/12/20 22:08:36.53
>>463
「日本を含めて世界で」だったら、やはり世界史板に行くべきだな。
この板の人は日本史の史料は読んでいる人はいるだろうけれども
海外の史料にまで当たっている人は少ないよ。

468:日本@名無史さん
11/12/20 22:35:48.91
>>462
近年ではっていっても、どれもずいぶん古いな~

469:日本@名無史さん
11/12/20 22:58:01.54
>>460
俳優の宇梶剛士は暴走族の総長時代に1vs100で喧嘩して勝った事が有るらしい。

470:日本@名無史さん
11/12/20 23:02:00.16
>>468
その頃はまだ生中継が少ないぐらいだったからねぇ。
白黒テレビもあったし。
あと、そういう10大ニュースのさらに10年で一番すごかった
みたいなのも前はよくみかけたけどね。
丁度21世紀にかわるあたり。
今年はそんなに印象ないというか
大震災が抜けちゃってると言うか。

471:日本@名無史さん
11/12/20 23:30:51.84
>>453
それ、仮名(けみょう)だね。
それとは別に実名(じつみょう)がある。

織田信長の仮名は三郎だし、同じようにみんな仮名をもっている。

472:日本@名無史さん
11/12/21 01:04:01.59
>>471
長男、次男、三男、を昔は
太郎、次郎、三郎と言っていたということじゃないのかな

473: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/21 01:22:02.84
源九郎判官牛若丸義経
九郎は第何子か、判官は官職、牛若丸は生まれたときからの通称、義経は元服後の本名(源経基と源義家から一字ずつとったとされる)
桂小五郎の「小五郎」は幼名(通称)
福沢諭吉の「諭吉」は諱(本名)
通称は先祖と同じものを名乗る場合が多い(松平家は竹千代)

諱は親友でも知らない事があり、西郷隆盛を大久保利通は「吉之助」と呼んでいたので本名を知らず、戸籍の届け出の際に西郷の父親の名前、隆盛にしてしまった(本当の諱は隆永)

474:日本@名無史さん
11/12/21 02:27:16.29
仮名、実名、通称、本名、諱、幼名、戸籍名
と出てまいりました。

歌舞伎の襲名とも違うのかな

475:日本@名無史さん
11/12/21 03:28:39.27
歌舞伎のは芸名であって、襲名は過去の偉大な役者の名を継承すること。
2代目市川団十郎が始めたらしい。

476:日本@名無史さん
11/12/21 09:39:20.94
>>475
襲名自体は歌舞伎以前から遊郭などでもあったみたいだな。
宮本武蔵の小説にも出てくる吉野太夫(実在の人)は2代目吉野太夫で、
安土桃山~江戸時代初期の人。

477:日本@名無史さん
11/12/21 15:42:46.20
>>474
全部立脚する場所が違うから同一で並べると
ニワカさんが話を混乱させるよ。

478:日本@名無史さん
11/12/21 23:04:50.36
尾張家五代、五郎太が3歳で亡くなった時 17歳未満の者による末期養子の禁 が全く取りざたされなかったのは何故なんでしょ
継友への甥→叔父の逆行相続も、何事もなかったかのよう
福井松平家で重昌が16歳で亡くなった時も、当然のように続いているのは何故?

伊達家、南部家、宗家などでは、必死になって隠しているのに

御三家親藩スレにも見当たりませんでした。
知っている方、教えてください。本気で知りたいです。  

479:日本@名無史さん
11/12/21 23:59:33.35
>>478
一応末期養子は慶安時代に禁が解かれてるけど、そうじゃなくて?
実際は手続きが複雑でいろいろなんだけど、そういう個別の事情って
話なのかな。

480:日本@名無史さん
11/12/22 00:27:40.19
>>472-474
幼名と仮名は別。
仮名・実名とも、元服時につけられる名前だよ。

信長の関係者(親族)の仮名では、
三七(信長三男、信孝)、勘十郎(弟、信行)なんてのもある。

俗に「通称」などといってるのが仮名のことだ。
で、同じく俗に「本名」などと言ってるヤツが「実名」な。
諡と言ってるのも実名と同義と思っていい。(微妙に違うかもしれん。)
戸籍名は明治以後のもので、江戸時代までは存在しない。


481:日本@名無史さん
11/12/22 00:42:54.82
>>480
おくりなといみなはちがうだろ。

482:日本@名無史さん
11/12/22 01:46:44.40
漁師は士農工商で言うとどれに当たりますか?

また、海辺の土地の郷土資料には必ず漁師と加子が出てきますが、この二つは別物でしょうか?
地元の資料には「加子は○●番所に所属」とありましたが、番所に所属すると言うことは士分だったのでしょうか?

483:日本@名無史さん
11/12/22 04:51:50.00
士農工商という言葉自体がデタラメなので参考にするべきではない。

明治期の人が幕藩体制下の身分秩序のことを呼ぶのに使った言葉だが、
江戸時代の実態とは関係が乏しいんだよ。
言葉自体は中国からの輸入物らしい。

実際には、武士とか貴族が上位に来て、その下に農工商などの庶民が来たってだけ。
町民より農民が上位に置かれたというのもウソらしい。
あと。「農」とされているのは、「町民以外の庶民すべて」程度な意味っぽい。

そうそう、「町民」という身分階層は、江戸時代の定義としては、
商家・長屋を管理する大家などといった、武士による統治を補佐する重要な地位の人を指す言葉であって、
農村における庄屋などと同格だった。
もちろん、庶民は町人ではない。いわゆる江戸っ子たちの大多数は町人じゃないわけ。

公的な序列としては、実のところ、町の統治に関わる町人の方が、農村の統治に関わる庄屋より上だった。
同格だが少し優先、という位置づけらしい。
同様に、町に住む庶民の方が農村に住む庶民より上に置かれた模様。
士農工商という呼び方とは違って、農民の序列は商人より低かったわけだよ。

484:478
11/12/22 07:40:48.11
>>479  レスありがとうございます。
その慶安年間の解禁自体も、どんな解禁なのか知りたいのです。
というのも、解禁されたとはいいつつも、その後も、478で書いたように、必死で隠している家がある。
Wikiの記述ではあるが、そうまでしたのは、やはり改易を恐れたためだとある。

それじゃあ解禁って一体何だったの?
その一方で、まったくスルーで相続されている家もあるし???

実際問題として、尾張や福井に手を付けることは無理だったのでしょうが、盛岡や仙台、対馬だって、そうそう手を付けられそうにはない
だから、当時として全くスルーされていることが解せないのですが・・・


485:日本@名無史さん
11/12/22 09:45:59.08
>>484
結局、末期養子を認めるには江戸幕府の許可が必要で、
親藩と外様では幕府の査定に差があった可能性も。
福井藩主では、藩主松平斉善が19歳で没した時にも子はなかったが、
松平斉善が11代将軍の実子でありながら福井藩の養子に入った人物であったことから
兄である12代将軍徳川家慶が特別の配慮で12歳の松平慶永を死後養子とすることを認めている。
徳川幕府は開幕以来、外様を警戒し冷遇する風潮があったということです。

486:日本@名無史さん
11/12/22 16:49:08.86
>>484
どうして慶安に解禁が解除されたかというと政情不安
につながる意味が大きい。
つまり改易とか末期養子の禁とかの意味合いが時代と共に
違ってきてて幕府にとって重要なのはいたづらな改易よりも
社会安定第一ということになってきたということ。

隠してた、というのは485さんも触れているけど
手続きのミスや他に何かヤマしいことがあってそういう
事情があったのかもしれない。
だから改易を恐れてたということなんだけどそれは
各藩に理由があるわけで幕府側の事情ではない。
解禁ってなんだったの?というのはあくまで幕府側の
事情なんだが個別で各藩がヤマしいことをしてたら
やはり改易を恐れてしまうことになる。

実際に幕府が解禁した、と言っても段階的だから各藩は
本当に安心できたかは別問題、幕府もサジひとつでどうにでもなる、と
解禁はうまい作戦とは思うし個別の事情でいろいろ発生することにもなる。

ゴチャゴチャしたレスで悪いが、慶安の解禁は正雪事件で幕府がビビって
方針転換、このあたりが重要だから幕府の政策変更という観点から捉えるべきで
それを押さえた上で個別の事情を考えていくと言うのが方法的にはいいのかな。

487:日本@名無史さん
11/12/22 17:09:12.53
江戸時代までの諱って概念はむずかしいよね
いろいろ文献漁ってみても理解しがたい

488:日本@名無史さん
11/12/22 17:14:40.05
どういう文献みたの?

489:478
11/12/22 22:37:48.66
>>485 >>486 ありがとうございます
・親藩と外様では違う
・時代とともに意味合いが違っている
・さじ加減でどうにでもなる可能性があるので、諸藩の側は安心できなかった がキーワードですね。
実態は個別案件ごとの判断であり、統一ルールはあるようで無かったという…

尾張家への手出しは政情への影響が大きすぎる
(ただし、八代将軍争いの際に「継友以降は新家のようなもの」という理屈が生まれた)
福井家は、485さんが挙げたように、一橋家からの養子の受け皿としての配慮

外様の件も個別事情であり、
伊達家は、東北の大藩であり、本気で改易を恐れたのではなく、当時、有り余っていた一橋系の子の養子押し付けの回避
南部はわからんが、宗家は、手続きを無視した藩主の死の公表に、幕閣から待ったがかかったというところでしょうか

疑問な部分も残ってはおりますが、自分の中でかなりクリアになりました。ありがとうございました。

490:日本@名無史さん
11/12/23 14:35:16.80
聖徳太子は父親、母親までわかっているし、17条憲法や冠位12階などの実績も多いのに、
なぜ「架空人物説」があるのでしょうか?

491:日本@名無史さん
11/12/23 15:10:12.75
17条憲法や冠位12階などは、実際は蘇我氏がやった業績。
蘇我氏を亡ぼして天皇権力を確立できたわけだから、それまでの良い業績は、
聖徳太子という架空の人物を創作して、みんなその業績とした。

492:日本@名無史さん
11/12/23 16:25:28.88
天武持統陵は今までの陵墓と違う感じがします。
まったく違う政権と考えてよろしいでしょうか?
後、愛知県の岡崎市に大友と言う地名があり
大友神社がありますが大友皇子は乱の後生き延びたのでしょうか?
くだらない質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

493:日本@名無史さん
11/12/23 16:36:56.95
厩戸皇子は存在したが聖徳太子はいなかった
ってことなんでしょあれ。
単に言葉のレトリックでしかないと思うのだけどね。

494: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/23 16:47:18.05
十七条憲法制定、冠位十二階を制定した人物が一人の聖徳太子という人物であるか、それが用明天皇の皇子、厩戸皇子かどうかは確実ではないって事だろ

495:日本@名無史さん
11/12/23 17:12:15.27
ちょと違わないか?
憲法や十二階は後世の偽造だから
それを制定した人物なんかはいない、ということじゃないのか。
だから聖徳太子は架空であって厩戸皇子は実在。
だから教科書は、聖徳太子から厩戸皇子に書き換わってるんじゃないのかな。

496:日本@名無史さん
11/12/23 17:14:54.81
天智・天武は稲目の子孫、
持統・文武・元明・元正はさらに馬子の子孫、
ところが上記の誰一人厩戸の子孫ではない(史料上)、ってのも皮肉だな。

497:日本@名無史さん
11/12/23 17:18:55.75
つーか十七条や十二階を作ったのが蘇我氏だなんて証拠も無いんだけどね。

498:日本@名無史さん
11/12/23 18:34:18.44
公地公民制、口分田などの大化の改新も、皆、蘇我氏がやった業績。
敵の蘇我氏のやったことだから、年代を下げて天智天皇の手柄にしている。

同様に、その他の業績を、丁度厩戸皇子が居てたから、これを聖徳太子に仕立て
話を創ったもの。
厩戸皇子自身は政治的には全く無意味な存在。

当時の天皇が推古女帝というのも作り話。
男帝である、摂政も居なかった―記紀の所為で、その名が伝わっていない。

499: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/23 18:39:10.28
中宮寺の天寿国繍帳を見ろ

500:日本@名無史さん
11/12/23 19:00:24.58
>公地公民制、口分田などの大化の改新も、皆、蘇我氏がやった業績

これって証拠あんの? 希望的観測?

501:日本@名無史さん
11/12/23 19:17:30.28
息子が大兄皇子になるくらいだから、ウマちゃんは有力者だったんじゃないの?

502:日本@名無史さん
11/12/23 19:23:09.76
>>501
「大兄」とついても天皇になれなかった皇子なんていくらでもいるよ

長男が帝位につくことが多かったために長男に多い大兄の名を持つ皇子が帝位につくことが多く
天皇の後継者を意味するという説を出してくる人がいるだけで
当時の史料にそんなことが描かれてあるわけではない
光明皇后の兄葛城王が橘姓に改姓したとき諸兄と名乗ったように
ただ大勢いる兄弟の中で兄であるという理由からそう呼ばれただけとも考えられる

503:日本@名無史さん
11/12/23 21:13:40.79
【諡と諱】
実は、俺の家は代々、男は諱を持っている。
それが本名だから、明治五年以来、諱を戸籍名にされて来た。

然るところ、俺の親は「諱は他人に知られたのでは意味が無い」と言って、
何を寝呆けたのか、通称の方を戸籍届けした。

以来、何かオカシイことになっている。
本来正式の時に使う本名を現代社会では結局使う機会が無い。

504:日本@名無史さん
11/12/23 21:55:23.94
よく判らんが、諡(おくりな)は死んでから残された人が故人につけるものだろ。

505:日本@名無史さん
11/12/23 22:45:01.56
それは戒名では

506:日本@名無史さん
11/12/23 23:28:50.73
現代人からすれば「何を馬鹿な」と思うだろう
だが>>503の父はそう考えなかった
なにしろ本名を知られてしまう事は「支配される」事を意味するのだから
従って「戸籍に本名を載せない」という選択を取らざるを得ない
もちろん本人は大真面目である

507:日本@名無史さん
11/12/24 00:28:32.67
>>505
戒名は仏教用語。本来は出家して戒を授けられた時に与えられる名前。
西遊記の沙悟浄や猪八戒(猪悟能)が観音様に名前を貰うのがそれ。

諡は皇帝とか王様が死んだ後につけられる名前。武帝とか文王とか桓公とか
歴史でおなじみの名前は生前は使われていない名前。

508:日本@名無史さん
11/12/24 01:03:12.79
昭和天皇のwikiに

諱は裕仁(ひろひと)。幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。

今上天皇が、在位中の元号から採り昭和天皇と追号した。
とありますが、在位中はなんというお名前でしたっけ?
まあ天皇陛下でわかるといえばわかるが。

509:日本@名無史さん
11/12/24 01:20:01.98
在位中でもお名前は諱の裕仁の筈です。生前に天皇として、過去の天皇と区別する必要がある時は
今上天皇とするから個人名は無い筈です。

510:日本@名無史さん
11/12/24 08:55:13.99
古代の漢文(史料)はどうしたら読めるようになりますか?
やはり量ですか?

511:日本@名無史さん
11/12/24 10:14:43.85
>>503
諡と号を間違えてるのかな。
諱=正式文書に署名するときの公式名。
号=普段用いられる通称。
諡=死後贈られる名。
戸籍は正式の文書なのだから、諱で届け出るのが正しい。
号はニックネームに近いので、今でも使ってる人はいるだろ。
芸名やペンネームが号に該当する。



512:日本@名無史さん
11/12/24 13:14:35.42
正しいもなにも今はイミナなんて認められてないのだから
戸籍も何もないだろう。
届けたのが本名であり名前、ただそれだけ。
歴女あたりが「イミナも子供につけた~い」なんて
言ってそうだが。

513:日本@名無史さん
11/12/24 21:51:50.25
>>512
むしろ、今は諱を日常でも使うようになったってだけだろ。
龍馬とか勇とか、自分で勝手につけたものだぞ。
現在は親が役所に勝手に届け出た名(諱)のみが有効になった。
天皇家でも「愛ちゃん」とか「悠ちゃん」とか諱読みされてるぞ。

514:日本@名無史さん
11/12/25 14:40:49.19
歴史上、性的にものすごく遊んだとされる人は誰ですか?
TOP5を教えて下さい

515:日本@名無史さん
11/12/25 15:01:21.08
光源氏は有力候補

516:日本@名無史さん
11/12/25 20:43:17.52
世之助

517:日本@名無史さん
11/12/26 10:44:07.34
1位 徳川家斉(推定妻妾数40人・子供53人)
2位 嵯峨天皇(推定妻妾数30人・子供50人)
3位 桓武天皇(推定妻妾数30人(うち人妻3人)・子供35人)
4位 亀山天皇(推定妻妾数20人・子供25人)
5位 後白河天皇(推定妻妾数15人(遊女含む)・子供17人)


518: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
11/12/26 15:45:43.27
どっかの大名に70人以上子供がいたのがいなかったっけ
織田信長も21人ぐらい子供いたような
伝承では景行天皇には80人を超える皇子女がいたそうな

519:日本@名無史さん
11/12/26 16:27:47.80
子供の数は関係ないんじゃないか。

520:日本@名無史さん
11/12/27 21:56:39.16
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています

「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット

「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」

「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット

「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット

他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください


521:日本@名無史さん
11/12/29 17:47:00.05
実朝が殺された時、後鳥羽上皇に、鎌倉からの後任将軍派遣要請を断るという選択肢は無かったのでしょうか?
ほどなく武力討幕を試みるくらいなら「後任将軍?自分らで将軍守れないのに知ったことか!自分らでなんとかしろ」とシレッと突き放して、様子をみる。
うまく瓦解したらラッキー みたいな。

解説、推測、お待ちしております。m( )m

522:高橋
11/12/29 23:32:05.84
石見高橋氏について質問です
現在高橋久光について悩んでいます
ウィッキでは
URLリンク(ja.wikipedia.org)

寛正元年(1460年) - 大永元年(1521年))
とあります
1521年に三次市にある青屋城を攻めている途中に討死したとあります
しかし、その出典が陰徳太平記という軍記物なので嘘だろうと思います
いろんな文献をあたっても久光の名前が全然出てきませんのでフィクションで
勝手に架空の人物を作ったのでは?と思っています

当然、島根県の市町村史などには系図で久光もあり、久光の事柄もありますが、
どれも
①高橋久光の時代に最大の領土にした
②娘は毛利興元に嫁ぎ孫の幸松丸が生まれ外祖父として大きな権力を握った
(毛利家へも干渉している)
③その結果毛利元就は発言力があまりなかった
④1521年に三次市の青屋城を攻めている途中に討死
⑤結果高橋家は内証を起こし、結果的に毛利元就に攻め滅ぼされる
とあります
この1521年の戦いは実はなかったとか、久光の娘ではなく、次男の弘厚の娘だとか様々です
なにかこの久光が実在したという証拠みたいなものはないでしょうか?
○○文献には久光から■■へ感状があった
○○神社には奉納記録があったとか
この城の近くに住んでいるんで前々から気になっていました
よろしくお願い致します

523:日本@名無史さん
11/12/31 17:16:30.23

URLリンク(cp2.uh-oh.jp)
URLリンク(cp2.uh-oh.jp)

テレビに騙されるな(自称街の人-台本読んでるだけの業者)


524:日本@名無史さん
12/01/03 19:52:40.21
アイヌ、蝦夷、琉球人はいつからヤマト風の名前を名乗るようになったの?

525:日本@名無史さん
12/01/04 00:37:30.11
>>524
しりたい

526:日本@名無史さん
12/01/04 12:53:04.52
>>524
アイヌ人はもともと日本語とは文法も言語体系も別のアイヌ語を持っていた。
アイヌ語による独自の名前を持っていたが(ケプリアン、オフェミヤなど)
江戸時代の1855年、蝦夷地が幕府領となってから日本風の名前が奨励された。
明治時代に戸籍が作られると、日本風の名前の登録が半ば義務付けられたらしい。

一方で、琉球は、もともと古くから日本語を話していた(琉球の言葉は日本語の方言に入る)。
琉球王国が中国と交渉を持ち出してから王侯貴族は中国風の名前を名乗るようになったが、
それ以前は日本でも見られるような素朴な名前を名乗っていた(ムタとか、阿古屋とか)。
元々の名前に相当するものは幼名として残り家族間で用いられていた。
明治以降は旧王侯貴族の名前も日本風になった。

527:日本@名無史さん
12/01/04 13:57:30.81
無名F欄大学からでは歴史学者になれませんか?

528:日本@名無史さん
12/01/04 14:55:46.59
>>527
広い意味での学者なら自称可
狭い意味での学者なら…
あなたのゼミの先生に「どこの大学を出てますか?」って聞いてみたらいいよ

529:日本@名無史さん
12/01/04 15:17:52.60
>>528
決心がつきました
ありがとうございます

530: 忍法帖【Lv=9,xxxP】
12/01/04 16:57:25.36
高校の日本史Bを勉強していて質問なんですが、

武士の台頭は教科書では9,10世紀からと書いてあるのですが、それ以前は
治安維持はどのように行われていたのでしょうか?

531:日本@名無史さん
12/01/04 17:34:37.26
まろ とか おじゃる って いつから言わなくなったの?

古典の教科書に出てこないんですけど

532: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/04 17:43:26.71
>>530
検非違使とか、地方豪族とか
9、10世紀の武士ってまんま豪族じゃん

武士いても治安は維持できないからな

533:日本@名無史さん
12/01/04 17:58:27.78
>>530
古代には地方豪族が領国の治安維持を行っていた
律令社会後は公地公民となったので中央政府が治安維持を行った
都の治安維持のためには検非違使を置き
地方の反乱については国司からの要請によって鎮圧のために
征夷大将軍や鎮守府将軍を中央から送った
「武士」と呼ばれる人たちももともとは律令制度の中で
中央の役職についていた人たちだった

534:日本@名無史さん
12/01/04 18:01:24.12
>>527
無名大でもある程度は自分の大学の卒業生を採用しているよ
大学院を併設している大学ならば可能性はあるかも
あとは、大学が無名でも有名大学の大学院を狙う手かな
就職が異常にいい大学だと大学院進学率が低く意外に簡単に入れるらしい
2浪して琉球大学→就職できずニート→3年後なぜかふと受けた京都大学大学院に合格
→東北大学非常勤講師
という人を知っている

535:日本@名無史さん
12/01/04 18:08:33.61
>>531
「まろ」は平安時代の一人称。
栄華物語や土佐日記にも出てくるよ。
「おじゃる」は少し時代が下り、室町~江戸時代の公家言葉。
「ござる」が変化したもので室町時代の狂言などに出てくる。
言語板でやったほうがいいかもしれんが

536:日本@名無史さん
12/01/04 22:33:18.26
女房言葉というのかな、あれは公家言葉の変種で
また違う意味合いになるのかな。
現在皇居内で使われてるであろう言葉は比較的
古い時代の雅言葉ってことか。

537:日本@名無史さん
12/01/04 23:58:15.09
2000円札に載ってるのはどちらが光源氏ですか?
全く見分けがつかない上にどっちもイケメンじゃないってどういうことなの。

538: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/05 00:15:47.18
>>537
URLリンク(www14.plala.or.jp)
かいつまんで言うと、左のヒゲが冷泉院で、右の横顔が光源氏
冷泉院は光源氏の弟にあたるが本当は実の息子
親父(桐壺院)の奥さんをはらませちゃったんですね

絵柄に関して説明すると、当時「引目鉤鼻」は美男美女の証だった訳です
抽象化された顔は、高貴だからこその表現
リアルに描いては低俗さしか表れないのです

539:日本@名無史さん
12/01/05 01:43:09.54
>>538
「引目鉤鼻」
今でいう萌絵だったりして

540:日本@名無史さん
12/01/05 02:12:55.47
明治時代のとある有名人物のひ孫さん(♀)が今、声優とか女優とかをしてるって、以前ネットの
書き込みで見たのですが、肝心のその人の名前も、「歴史上の人物」も忘れてしまいました。

もし、ご存じの方がいたら教えていただければと思います。

541:日本@名無史さん
12/01/05 11:31:40.80
>>536
女房言葉は室町時代頃から宮中の女官たちの間で使われ始めた言葉で、
女房奉書などに現れる。
公家言葉とも違う(当初は公家であっても男性は用いず、女性が使う言葉だった)
語頭に「お」を付ける(おかき(お餅)、おひや(お冷)、おなら(お鳴)など)
語尾に「もじ」を付ける(しゃもじ(杓もじ)、かもじ(髪もじ)、おめもじ(お目もじ)など)が特徴。
一部は現代語でもつかわれている。

542:日本@名無史さん
12/01/05 18:20:25.53
>>541
女官たちで、というのを独立的な意味合いで強く
解釈したほうがいいのか単にイマドキのギャル語みたいなものだったのかなってね。
不遜だからおおっぴらにはいえないが。

543:日本@名無史さん
12/01/06 12:01:44.56
>>521
実朝死後、北条氏らは後鳥羽上皇に皇子を鎌倉へ下し将軍とするよう要請したが、
後鳥羽上皇はこれを拒否しているよ。
やむなく、頼朝の遠縁にあたる三寅(後の九条頼経)が鎌倉に下ったが、
この時朝廷は三寅に対して将軍宣下を与えておらず、
承久の乱のときには鎌倉に征夷大将軍は不在だった。
三寅が元服、征夷大将軍となったのは承久の乱後。
すでに後鳥羽上皇も順徳上皇も流罪になった後のことだった。

544:日本@名無史さん
12/01/06 22:13:01.81
URLリンク(ja.wikipedia.org)
日本語と英語で全然記述が違うんですがどういうことですか?

545:日本@名無史さん
12/01/06 23:09:51.68
英語版の冒頭の記述を読んでみたが、
韓国側の見解を書いてる感じに見えるな。

546:日本@名無史さん
12/01/07 08:37:54.27
>>535
さっき日本語の本読んでたら
「おじゃる」から「ござる」に変化したみたいに書かれてた。
鈴木貞美という人の本で、間違ってたら悪い。

547:日本@名無史さん
12/01/07 16:50:27.62
日本って白人国家みたいに支配するために外国同士(またはその内部の勢力同士)を
煽って戦わせたり、武器を売ったりしたことありますか?

548:日本@名無史さん
12/01/07 23:45:37.85
>>547
これからやろうとはしているな

549:日本@名無史さん
12/01/08 00:15:24.43
日露戦争ではロシア内部の共産主義者を支援したものだ
しかし権謀術数を用いるのは白人のみだと思ってるのかな

550:日本@名無史さん
12/01/08 15:59:44.55
てすと

551:日本@名無史さん
12/01/08 18:25:39.99
自分の小学生~大学生時代は中大兄皇子らが蘇我入鹿を討って、その後にさまざまな政治改革を行ったことを
総称して「大化の改新」と習いました。
しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、
「さまざまな政治改革=大化の改新」
とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?

552:日本@名無史さん
12/01/08 19:32:23.05
震災前

     /::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
    /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~    ヽ:;::l
     |:::::::::::|    岡田 異音    |ミ|
     |:::::::/     ,,,  ヽ,、   '|ミ|  
     '|:::::::l    '''""   ゙゙゙゙`   |ミ|
       |:::::|.  ,,r ‐、   ,, - 、  |/
     ,/⌒|  ノ ・ _), (. ・ `つ|
     | (   "''''"    |"'''''"  | 
      ヽ,,.        ヽ    |
       |       ^-^_,, -、   |   
         |    _,, --‐''~    ) |  マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・ 
         'ヽ  (   ,r''''''‐-‐′ / 


震災後

     |:::::::::/            |ミ|
     |::::::::|   ,,,,,    ,,,,,   |ミ|
     |彡|.  '''"""''   ''"""'' |/
     /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |
     | (    "''''"   | "''''"  |  
     .ヽ,,         ヽ    .|  キリッ
        |       ^-^    |
   .     |     ‐-===-   |   大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
         ,\.    "'''''''"   / 
朝鮮民主党
     おわり

553:日本@名無史さん
12/01/08 20:50:09.49
>しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、 「さまざまな政治改革=大化の改新」 とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?

80年代末か90年代初頭にNHKの歴史番組でやっていたから最近ではない罠

554:日本@名無史さん
12/01/08 21:06:07.75
>>553
90年代前半は大学生だったし、歴史は結構好きだったんだけど、
乙巳の変なんて最近まで知らなかったわ~
知ったのは本当にごく最近
今は歴史の授業で乙巳の変を習ってるんでしょうかね

555:日本@名無史さん
12/01/08 21:39:32.12
あるマンガで豊臣秀吉の死後、その死から一夜明けた朝
徳川家康の前に並べられた足袋を諸将が一つずつ持っていく
というシーンがあります。
マンガの主人公である古田織部のみ部屋を訪れず、足袋は一つ余ります。
この儀式(?)がもつ意味と、なぜ古田織部のみ足袋を受け取らなかったかを
教えてください。

556:日本@名無史さん
12/01/09 01:06:07.06
後鳥羽院が法然房源空を流罪にするにあたって、還俗させましたが、僧籍を剥奪することにどんな意味があるのでしょうか。

557:日本@名無史さん
12/01/09 01:26:54.43
へうげものの話なら、徳川との確執を後で描写するための伏線ってだけじゃ?

ネタバレっぽくなるけど、
史実における古田は徳川政権下で切腹させられるよ。謀反を疑われて。

558:日本@名無史さん
12/01/09 01:29:20.24
>>556
「寺は神域なので、世俗の権力が及ばない」という建前なんですよ。

だから、神域の人間を世俗の権力で裁くためには、
前段階として還俗させて俗世間の人間に戻さなければならないわけです。

神様の世界に住んでいる人を罰せられるのは、
神様ないし、神様の世界の住人だけだって理解でも良いのですが。

559:日本@名無史さん
12/01/09 02:52:28.50
秀吉が高野山に入った秀次に切腹命令を出した時も
僧達がかなり抵抗したというからね。

560:日本@名無史さん
12/01/09 05:18:16.30
>>554
小学校では何時からか知らないけど、歴史用語としては以前からですよ。
乙巳の変のような事変を改革を意味する大化の改新で呼ぶのは変でしょ。

561:日本@名無史さん
12/01/09 08:29:07.87
>>558-559
ありがとうございます。
よく判りました。

江戸時代になると寺社奉行が坊さんを絞めあげてくれるからいいですね。
寺社領を失った寺に抵抗する力はないだろうし。

562:日本@名無史さん
12/01/09 10:18:35.10
名無しでいいよ:2011/08/15(月) 23:20:15.53 ID:2fed4jwtO
FNS歌謡祭やHEY!×3の制作会社
株式会社CELL
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル

前バリ・REN4・野田らに政治献金した後藤組のフロント企業
メディアトゥエンテイワン
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル




563:日本@名無史さん
12/01/09 11:39:52.40
>>561
ちと誤解があるといけないが寺社者奉行自体が
そんな権限?を行使できるようになるのはかなり後で
基本はあくまでも徳川の世の安定度に関連してくる。
徳川自体は各地で荒廃した寺社を助けて復興に協力
してる。信長にやられた叡山もだし本願寺も今に
残るしね。

564:日本@名無史さん
12/01/09 17:03:31.73
日本史上の大きな合戦の時代って源平と戦国と幕末以外にありますか?

他に外国でも小競り合いではなく、英仏戦争みたいに大きな合戦には何がありますか?
(第一時世界大戦などの近代戦争以外でお願いします)

565: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/09 17:16:32.14
白村江

566:日本@名無史さん
12/01/09 17:45:00.80
保元の乱、平治の乱は源平に含むのかねぇ?
承平天慶の乱とか前九年の役、後三年の役とか平安時代は大きな戦争が相次いだ時代だった。

567:日本@名無史さん
12/01/09 17:46:04.92
室町幕府成立前

568:日本@名無史さん
12/01/09 17:59:26.27
磐井対大和
吉備国対大和

569:日本@名無史さん
12/01/09 18:55:08.91
仙台の伊達氏の家紋?に、
「太陽のようなマーク」の物があったと思いますが、
あれの正式名称は何と言うのでしょうか?

伊達の家紋って、複数あるのかな?

570:日本@名無史さん
12/01/09 22:13:23.20
伊達家は家紋が最も多い家と言われる。
由緒ある家紋をうまく使用してどことでも関係があるように見せかけた
わけね。
詳しいことはググればいっぱいでてくるぉ。

571:日本@名無史さん
12/01/09 22:53:56.25
太陽のようなマークってもしかして中心に大きな●があって
周りに小さい●が九個ある紋?
それなら伊達政宗が細川家から貰ったとも言われる九曜紋だが

572:日本@名無史さん
12/01/09 23:15:59.98
>>563
追加解説ありがとうございます。
色々勉強してみたいと思います。

573:日本@名無史さん
12/01/10 09:07:52.32
>>572
徳川が寺社を保護したのは、寺ウケ制度というのがあるのだけど、
これはいろいろ重要な側面があるからそういう風に徳川支配体制を
理解していくとおもろいぉ。

574:日本@名無史さん
12/01/10 09:36:20.05
民主党には朝鮮人など外国人のなりすまし、スパイが約90名在籍している

野田内閣は過半数が帰化人

野田はどうだろうか
韓国人から賄賂を貰い、韓国人の集いに出席している野田は


575:日本@名無史さん
12/01/12 18:56:24.71
泣いてとりすがる子供をけり倒して出家したのって、西行であってる?兼好だっけ?

576:日本@名無史さん
12/01/12 18:57:34.20
源義経が水神として祀られている神社

があったと思いますが、どこの神社でしたっけ?

577:日本@名無史さん
12/01/13 19:40:06.59
>>575
西行で合っている。
吉田兼好は生涯独身だった。

578:日本@名無史さん
12/01/14 02:42:31.11
幕末に寺子屋が急増した理由は何?
幕末の経済成長が影響してる?

579:日本@名無史さん
12/01/14 08:41:43.78
江戸と地方では一概には語れないけど
広義の社会の安定、というのが一番だろう。
生活苦では学問なんかしてるひまがない。
衣食住が満ち足りてこそ、立身出世、余裕があらわれてくる。
それと下々の存在がそういった「向上」的なものを持ち始めたというのは
特筆すべきだろう。
世界中では貧富の差から革命が起きてるのに日本では
身分社会であるのに階級闘争にはなってない。
これはいかに徳川の世が優れていたかを示すもの、でもあるだろう。
ちょと話がそれた。

580:日本@名無史さん
12/01/14 11:54:20.84
でもその見解は「幕末」ではなく「江戸全体を通した時」の見方でしょ? 幕末だけ安定してたわけじゃあるまいし

581:日本@名無史さん
12/01/14 15:55:47.03
江戸時代にはそろばんや帳簿などの技術が発達したこともあり
江戸時代末期には「読み書きそろばん」が一種のステイタスとなっていたことかな。
皆が行くならうちの子も、みたいな感じで寺子屋へ通わせる庶民が増えた。
寺子屋は室町時代頃から存在し、もともとは寺の住職が庶民の子供を集めて読み書きを教え始めたことに始まるらしいが、
江戸時代中期以降、「往来物」と呼ばれる絵をふんだんに取り入れた子供に分かりやすい教科書の普及、
「百姓往来」「商人往来」など職業直結の内容などが受けて受講者が増えた。

582:日本@名無史さん
12/01/14 21:59:27.73
個人的には、黒船来航以降、天下国家を語ることが一種の流行となり
そのためには当然読み書きできないといけないから、という理由がありそう。
幕府に意見上申して出世した、なんて逸話が広まれば教育にも熱が入るだろ

583:日本@名無史さん
12/01/14 23:37:34.43
天皇の存在や役割の変化として、孝明天皇→明治天皇(幕末→維新)の時の変化と
昭和天皇(戦前→戦後)の時の変化はどちらが大きいと考えられますか?

584:日本@名無史さん
12/01/15 00:36:34.91
>>583
どちらも大きい。比較検討する事は大事だけど、どっちが重要とか単純な見方をするのは無意味。

585:日本@名無史さん
12/01/15 09:10:27.97
でも先生にそういう宿題出されたら、無意味、とも
返事かけないだろうし困るだろうねぇ。

586:日本@名無史さん
12/01/15 10:12:54.30
そんな宿題だす先生がいたら、免許取り上げるべきだな。


587:日本@名無史さん
12/01/15 10:59:02.08
どちらが重要か決め付けるのはよくないが、それぞれの背景や歴史的意義などを
比較検討してみるのは歴史学上良いことだと思うけどね
歴オタレベルの比較検討でも良いと思うけど

588:日本@名無史さん
12/01/15 14:37:11.20
>>582
ペリー来航は1853年だが、それ以降寺子屋受講者数が急激に伸びたわけではない。
江戸時代を通じて寺子屋入学者数は徐々に右肩上がりで増え続けたものであり、
「黒船」といった一事件によって突発的に増えたものではない。

URLリンク(historyrakusei.bake-neko.net)

589:582
12/01/15 19:10:09.64
なるほど、ありがとう。
ただ、19世紀から急激に増加するのは、やはり松平定信らの
文教政策が背景にあると思うんだ


590:日本@名無史さん
12/01/16 12:11:38.15
学問上はよいことだけど
学校レベルではイエスノーで答えがないと
いけないからそのあたりが今の教育の
問題点でもあるわな。

591:日本@名無史さん
12/01/16 13:52:36.59
ひょうたん形の土製品13点出土 京都・美濃山廃寺
URLリンク(www.asahi.com)

これって、石灯籠の原型ですか

592:日本@名無史さん
12/01/16 17:17:00.46
>>588
それのソースなんかあてになるかよw
フランスの識字率が1パーセントってなんだよw

593:日本@名無史さん
12/01/16 23:36:48.13
>>591
それは塔。そのリンク先にも「百万塔」の事が出てる。石灯籠は灯籠だから全然別の物。

594:日本@名無史さん
12/01/17 20:35:54.23
初歩的な質問で申し訳ないのですが
天守と櫓の違いって何なんでしょうか?
櫓に天守が含まれると思っていいんでしょうか
いまいち掴みきれないです

595: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/01/17 20:53:45.80
>>594
天守は一つの城に一つ
連結してる場合は大天守、小天守
と思ったけど豊臣大坂城には天守二つあった気がする
瓦葺複数層なら天守なんじゃない?
ただし一つの城に一つが原則
石垣はどうなのかな…水戸城の三重櫓は天守?

596:日本@名無史さん
12/01/17 21:58:00.74
>>595
回答ありがとうございます
一番立派なものを天守としてそれ以外は櫓となる感じですかね
小天守やら天守とみなす櫓やらややこしい…

597:日本@名無史さん
12/01/18 00:30:53.38
>>596
江戸時代になると小藩なのに天守を建てるのはおこがましいから三重櫓にしておくとか、
一国一城令でお城は一つしか許されない事になったから名目上は要害とか陣屋とかにして、
天守と呼ぶのも憚られるので櫓と呼んでおくとか、いろいろあります。

598:日本@名無史さん
12/01/18 01:27:46.90
>>593
ありがとうございます。
百万塔というのが、あることも知りませんでした。

599:日本@名無史さん
12/01/18 03:19:46.07
>>598
塔はお寺にある三重塔とか五重塔とか、あれの事だけど、元々はストゥーパといって仏陀の遺骨を
収めた塚の事だった。礼拝の対象として各地に分骨して一杯建てられた。
元々は土饅頭のでかいような物だったが中国で木造建造物となり、日本に伝わってあんな感じになった。

歴史上、信仰心を示す為に写経したりするのと同様に、小型の塔を作ってお寺に収めたりする事が行われて来た。

600:日本@名無史さん
12/01/18 16:27:30.64
日本の思想史とか精神史ですごい本教えてください。
ただし右寄りじゃなくて世界でも通用する学術的なの

601:日本@名無史さん
12/01/24 13:33:04.24
日本史って何が面白いの?
スレリンク(poverty板)l50


602:日本@名無史さん
12/01/28 20:14:02.00
スレチだったらすみません

卒論に地元加賀の一向一揆を扱おうと思ってます
でも先行研究が膨大で、まとめるだけで本一冊書けそうなくらいです
何か加賀一揆に関して面白いor書きやすいテーマないでしょうか

603:日本@名無史さん
12/01/28 21:07:55.58
なんで教授に聞かないの?

604:日本@名無史さん
12/01/28 21:24:27.59
研究史

605:日本@名無史さん
12/01/28 22:33:56.75
>>602
教授に聞くのが一番いいんじゃね?
一向一揆というと、神田千里氏の著書あたりをかじってみたらどうかしら?

606:日本@名無史さん
12/01/28 22:58:10.93
>>578
幕末に寺子屋が急増した、という話が既に間違いだからなぁ
急増したのは18世紀後半以降

理由は諸説あるけど、少なくとも幕府の政策なんか関係あるわけがない
国民国家じゃないんだから

607:日本@名無史さん
12/01/28 23:02:11.30
>神田千里氏

ん?加賀の一向一揆について何か書いていたか?

608:602
12/01/28 23:38:18.93
レスありがとうございます

まぁ確かに教授に相談するのが一番ですよね(笑)
日本史板の人なら日本史の卒論書かれた人も多いでしょうし
参考になれば、と思って書き込みさせていただきました

>>607
神田氏は「戦争の日本史」などいくつか加賀一揆について著作をお持ちです

609:日本@名無史さん
12/01/29 00:11:32.66
海外ではパリコミューンに先駆けて世界初の
コミューン誕生という人もいるから
章の最後ぐらいでこっそり触れてみるとか。

610:日本@名無史さん
12/01/29 02:25:31.98
ドイツ騎士団領に近い特権僧侶騎士による地域改宗領地化運動じゃないか

611:日本@名無史さん
12/01/29 10:08:32.28
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?




612:日本@名無史さん
12/01/29 10:42:43.36
644 日本@名無史さん sage 2012/01/25(水) 01:03:55.27
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?

613:日本@名無史さん
12/01/29 21:29:05.19
よほど切羽詰まった宿題らしいな。

614:日本@名無史さん
12/01/29 23:06:30.84
小説などに出てくる毒味役って、大名クラスだと大体いたのでしょうか、
効果はあったのでしょうか

615:日本@名無史さん
12/01/31 20:18:12.34
質問です
徳川秀忠の妻お江与、豊臣秀頼の妻千姫
共に再嫁してますが、江戸時代以降でも大名家に嫁いだ者が
夫が死んだ場合等再嫁するケースは多かったんでしょうか?

616:日本@名無史さん
12/02/01 11:05:09.01
しません
尼になります(半ば強制

617:日本@名無史さん
12/02/01 11:09:26.72
>>602
中世社会と一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
北西弘先生還暦記念会
出版:吉川弘文館
発行年月:1985.12


戦国大名論集 13 本願寺・一向一揆の研究
URLリンク(www.bk1.jp)
峰岸 純夫
出版:吉川弘文館
発行年月:1984.7


富樫氏と加賀一向一揆史料
URLリンク(www.bk1.jp)
舘 残翁
出版:石川史書刊行会
発行年月:1973

618:日本@名無史さん
12/02/01 11:13:55.49
宗教で読む戦国時代 講談社選書メチエ 459
URLリンク(www.bk1.jp)
神田 千里
出版:講談社
発行年月:2010.2


一向一揆と石山合戦 戦争の日本史 14
URLリンク(www.bk1.jp)
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:2007.10


中世社会の一揆と宗教
URLリンク(www.bk1.jp)
峰岸 純夫
出版:東京大学出版会
発行年月:2008.7


戦国期の真宗と一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
新行 紀一
出版:吉川弘文館
発行年月:2010.11
税込価格:\11,550 (本体:\11,000)

619:日本@名無史さん
12/02/01 11:16:03.22
大系真宗史料 文書記録編11 一向一揆
URLリンク(www.bk1.jp)
真宗史料刊行会
出版:法藏館
発行年月:2007.10

一向一揆論
URLリンク(www.bk1.jp)
金竜 静
出版:吉川弘文館
発行年月:2004.12

一向一揆と部落 正 三一新書 945
URLリンク(www.bk1.jp)
石尾 芳久
出版:三一書房
発行年月:1983.5

URLリンク(www.bk1.jp)
真宗教団の構造と地域社会
大阪真宗史研究会
出版:清文堂出版
発行年月:2005.8

620:日本@名無史さん
12/02/01 11:19:02.01
URLリンク(www.bk1.jp)
東北中世史の研究 下巻
入間田 宣夫
出版:高志書院
発行年月:2005.6

URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と戦国社会
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1998.10

URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と真宗信仰 中世史研究選書
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1991.8

URLリンク(www.bk1.jp)
金沢四百年にあたり真宗と一向一揆を考える
出版:真宗大谷派金沢別院
発行年月:1982

621:日本@名無史さん
12/02/01 11:30:06.65
URLリンク(www.bk1.jp)
賀国司富樫氏と御廟谷 闡提舎叢書 第1輯
出版:闡提舎
発行年月:1939

URLリンク(www.bk1.jp)
補正暫定富樫氏系譜
舘 残翁
出版:舘残翁
発行年月:1938

URLリンク(www.bk1.jp)
一向一揆と富樫氏
出版:石川県図書館協会
発行年月:1934

622:日本@名無史さん
12/02/01 20:56:55.47
俺の手元にある北陸一向一揆関連五冊が一冊もねぃーてどういうことだよ

623:日本@名無史さん
12/02/02 02:29:09.97
下地中分の「下地」って何ですか?

624:日本@名無史さん
12/02/02 03:10:28.40
大宝律令から親王以外の諸王と諸臣に冠位26階や冠位48階の時にあった位階の差はなくなりましたよね

しかし、八色の姓で決められた姓には依然として皇族と豪族の氏姓的な階級差があります

この時代に三等親以外の真人と朝臣の位階が同じだったら朝廷での権力はどちらが上となりますか?
また、律令国家を目指す国が三等親以外とは言え氏姓的には差がある皇族と豪族の位階を同一にしたのはどうしてですか?
せっかく八色の姓で皇族と豪族を分けて皇親政治を取ったと言うのにまた豪族が力をつける事を予想しなかったのでしょうか?

625:日本@名無史さん
12/02/02 11:52:40.76
応仁の乱前後~信長上洛頃までの京の都は一体どういう状態だったのでしょうか
そうだ、京都行こうと雅や活気を求めて庶民が観光に来るような感じなのか
むしろその辺の町より荒れ果てていたのか
どういった様子でしたか?

626:日本@名無史さん
12/02/02 20:44:40.86
応仁の乱以降は荒れ果ててた、というのが一般的な理解。
そこに飢饉とかも起きて諸国から紛れ込んできた人たちが
餓死したりするからさらにすごいことに。
信長パパが内裏修理に多額の献金したりしてるから
その時点でも朝廷ですら貧窮にあえいでいたという感じかな。
ちなみにこのあたりではまだ観光という習慣はないでしょう。
せいぜい寺社ー僧たちが奈良ー京都をお勉強しに
移動してたぐらいじゃないかな。

627:日本@名無史さん
12/02/02 23:43:20.03
観光的なものは西行とかが歌枕を見に行くくらいだろうね。
庶民が行けるようになるのは江戸時代の伊勢参り以降の話になる。

628:日本@名無史さん
12/02/03 00:19:03.62
「下地」って何ですか?
博士も分からないのでしょうか?

629:日本@名無史さん
12/02/03 01:31:26.52
>>626,>>627
詳しい説明ありがとうございます
この時期は観光の習慣がないというのは知りませんでした
勉強になりました

630:日本@名無史さん
12/02/03 02:11:41.40
>>622
その5冊
ぜひ紹介してくれ
読んでみたい

631:日本@名無史さん
12/02/03 15:54:29.68
>>627
桜を見に行くのはあったかも

632:日本@名無史さん
12/02/03 23:37:21.59
[信仰と参詣]
元来,祭りは共同体の行事として行われるものであったが,平安京の神社では,祭りが華麗な催
物としての性格を持つようになり,祭りに参加せずに見物する人々があらわれた。そして,祭りの
担い手ではなく傍観者になった人々は,祈願に際して他所の神社にも参詣するようになる。中世に
なって参詣はさかんになり,徐々に庶民の間にもひろまった。参詣する人は,身心を洗い清めて米
銭などを奉った後,神々の加護を願い,誓いを立てる。中世以降各地に多くの参詣者を集める神社
があらわれたが,中でも伊勢神宮や熊野大社では,参詣者を集める御師などの専門的な神官が
あらわれ,遠隔地からの参詣者の団体を組織した。参詣者は祈願成就のために,旅の苦労と道中
の禁忌に耐えて参拝するが,目的を果たした後に,門前町のにぎわいの中で精進落しの歓楽に
浸る。さらに参詣のしるしとなるみやげを持ち帰って隣人に配るが,こうした遠隔地参詣のさまざま
な習慣は,何世紀にもわたって繰り返されるうちに,日本人の旅行のしかたの型となった。

633:日本@名無史さん
12/02/04 00:42:07.39
簡単にまとめると御師による団体でのお伊勢参りがツアーで旅行するスタイルの始まり。庶民には個人で
旅費を工面出来ないのでみんなで出し合って代表者がお参りする伊勢講が出来て、お金出したのに
行けなかった人たちに配るのがお土産。

634:日本@名無史さん
12/02/04 00:59:43.76
>>633
>お金出したのに行けなかった人たちに配るのがお土産。

なるほど、お土産の起源、納得
イスラム教徒が一生に一度行くメッカ巡礼者もお土産をどっさり買うのもわかる。
インドネシア→サウジはすごく遠い

635:日本@名無史さん
12/02/04 10:21:36.89
当時は生物とか重いものは運べなかったから
「お札」とかなんだけどお土産を勘違いされてそうだな。

636:日本@名無史さん
12/02/08 10:07:43.37
 これは正しいの?

『長宗我部元親は元来朝鮮民族の渡来人秦氏の末裔です。秦という字があります。秦と言いますのは朝鮮では、チンという苗字です。』

URLリンク(www.nc-21.co.jp)


637:日本@名無史さん
12/02/08 14:05:46.98
>>636
確かに秦氏の祖は百済の弓月君ですね
百済人=朝鮮民族には疑問符がつくけど

638:日本@名無史さん
12/02/08 19:49:28.56
自殺した天皇はいると思いますが、乱を起こして負けても、何故天皇は殺されなかったんですか?

639:日本@名無史さん
12/02/08 20:34:18.77
尊い身だから。ダビデの前に救世主に選ばれたサウルののちに神の意に背いたが、
一度は救世主に選ばれた尊い身という理由で殺される事は無かった。
それと同じ。

640:日本@名無史さん
12/02/08 20:50:26.99
戦する時点で尊いなんぞ思っていないはず。
結局は世間体

641:日本@名無史さん
12/02/08 23:16:49.51
現代史の方法論的な歴史学の本ある?

642:日本@名無史さん
12/02/08 23:36:02.46
>>640
サウルはダビデに討伐されたけど殺されはしなかった。
それでどんな世間体で殺さなかった訳?

643:日本@名無史さん
12/02/09 00:04:00.23
>>637
ありがとうございます 以下引用の信憑性はどうなんでしょうか?

  『古代日本人は韓国より中国が文化の本元って意識があって、
  韓国人よりは中国にルーツをもつと言われる秦(はた)氏と漢(あや)氏を大切にした。
  秦氏・漢氏は帰化人だから権力中枢に入ることは遠慮して黒子として政治・外交をやった。
  表に立ったのは臣(おみ)連(むらじ)姓を賜(たまわ)った豪族』
  『物部は神武以前から大和にいた弥生の民』
  『蘇我氏はわからんけど、馬子とか入鹿とか韓国や中国でもちょっと無い名前。
  中国式からしたらとても野蛮な名前だが日本では動物的な名前はよくある。
  熊五郎とか虎吉とか。悪い意味でつけたのではなく強いものからつけた。
  やはり土着のアイヌに通じる名前なんじゃないか?』

  梅原猛 談
  梅原日本学講義/君は弥生人か縄文人か 梅原 猛×中上 健次 より

644:日本@名無史さん
12/02/09 00:27:39.51
秦氏とかは自分らのルーツの宣伝として名乗ってるだけで
渡来人自体は山のように来てるだろ
つーか何世紀に大陸や半島から来たなら渡来人になるわけ?

645:日本@名無史さん
12/02/09 02:39:31.51
信憑性は、そういう事を言ってる人も居るらしい、と参考にする程度。

646:日本@名無史さん
12/02/09 10:01:15.12
>。643
いろんな話題がごっちゃになってるから
答えようがないのだけど、帰化人は各種技術に
優れて土着したからそういう意味でも秦氏は渡来系であることは
確実だろう。

名前に関しては、日本の後の幼名とかは自然とか動物から
採用するからその祖として解釈するのもあるけど
やはり蘇我に対しては蔑称的なものを感じるし
ここはかなり難しいところ。
アイヌとの関連はもちろんあるだろうしね。

秦氏自体が韓国から渡ってきたといっても
その祖はさらに中国にあったかもしれないし
韓国or中国という意味ならどっちでもありそうと言うしかない。

それぞれが細かくて深い話題だから面白い
ところではあるんだけどね。

647:日本@名無史さん
12/02/09 10:07:48.42
弥生時代には時代を通して名も知れぬ渡来人がたくさん来て、戦争や農耕、土木の
技術を広めている
ただしその人たちの子孫がみな渡来系を名乗っているわけではないし、自分の先祖
のことなどわからないという人も多いだろう
古墳時代にも渡来人は多数流入しているが、その中で渡来系を名乗ることに何か
有利性がある人たちがそう名乗ってるだけじゃないの

648:日本@名無史さん
12/02/09 11:00:33.91
戦国時代、殿様達の偉さの順番は何で決まりましたか?石高?官位?
あと主家の重心と配下の国の殿様ではどちらが偉いのですか?
例えばだけど主家:織田家 重臣:柴田勝家 配下の国の殿:宇喜多直家とかだとどうですか?
こう見ると宇喜多直家の方が偉いよなと思うけれど…

649:日本@名無史さん
12/02/09 23:11:28.83
「偉い」という意味がよくわからないけど
席次、みたいなものでいいのかな。
秀吉ぐらいになると結構残ってるけど
各家では公式、非公式いろいろあるだろうし
単に長幼の序かもしれないし
「偉い」というのがちょっとイミフだね。

650:日本@名無史さん
12/02/10 11:11:04.83
>>649
イミフですみませんでした
当時は今よりも縦社会だから上下はきっちりしているイメージで
席次もそうだし仮に殿様達やら重臣なりが顔を合わせた時に
どういう判断で誰が謙る側になるのかと疑問に思っての質問でした

651:日本@名無史さん
12/02/10 16:40:53.50
>>650
子会社の社長と親会社の重役なら当然
重役が偉いだろうけど、いくら親会社でも
課長クラスが「偉いんだ」みたいにしたら
問題があるわなぁ。
こういうのはケースバイケースとかいいようがない。
それよりも親会社の社長の「親兄弟奥さん」とかの
関係の方が面白いとは思うよ。
公的には関係ないだろうけどやはり日本では
肉親関係とかは重要視される。
ちなみに律令制の色分けなんかはそういうトラブル
防止のためとはよく言われるね。
大河でもきっちり色分けはしてわかるようにはなってる。

652:日本@名無史さん
12/02/10 22:53:55.01
歴史学の存在意義って何?
歴史は繰り返す・・・なら、お前ら不要じゃん。
リーマンショックを防げたの?
イラク戦争防げたの?
宦官達の腐敗で、中国王朝が腐敗してっったよね。

今のギリシャ問題防げて、ねえじゃん。

歴史学は不要だろ。自己満足オナニー学問?



何の役にも立たない歴史という学問の意義は何だ?

653:日本@名無史さん
12/02/10 23:02:24.63
歴史学とか自己満オナニー学問だろ。
趣味ならまだわかる。
新撰組、会津、とかで、血眼変えて、
今の日本人を見ると、日本は終わったとか言うんだろ?

馬鹿そのもの。DQNと同じ。というか、歴史学はDQN。歴史に拘るのは、ネトウヨかDQN

654:日本@名無史さん
12/02/11 02:29:05.80
日本で西欧的な「市民」が出てきたのっていつ?

655:日本@名無史さん
12/02/11 09:16:27.46
>>651
ありがとうございました
決まった上下関係というのはないんですね
確かに実際は色んなパターンがあって一概にこうとは言えなさそう

656:日本@名無史さん
12/02/11 16:11:11.39
歴史とは、過去に学び未来に活かす、もの。
歴史学とは、そのための学問と思ってる。
今は、受験用暗記学問、となってるから本来の
目的や意味や重要性が失われてるだろう。
それだけのこと。
学問自体が悪いのでなく、その付帯的状況が悪いと言う
だけね。

657:日本@名無史さん
12/02/11 16:15:36.35
>>654
いわゆる、市民革命、が日本では起きてないから
「いまだ出ていない」という言い方がより正確かも。
第二次大戦後の「我々」はそうなんだけどこれも
一種の「輸入」だから、自発的努力で手に入れたものではない
という言い方もあるし。
ただ、こんな質問がテストで出たら先生の主義主張に
あわせないとマルはもらえないだろうしかわいそうではあるな。

658:日本@名無史さん
12/02/11 17:00:57.60
>>657
明治維新は「上から」だから違うのか

659:日本@名無史さん
12/02/11 17:11:38.99
明治の文章読むコツを教えてくらはい

660:日本@名無史さん
12/02/11 17:20:24.89
>>658
明治維新は「王政復古」と言うの自体が
「市民革命」と矛盾してる部分が多いし
徳川藩からその他いろいろ藩に変わっただけ。
難しい議論はいっぱいあるだろうが
あれを「革命」という人は左右どっちにもさすがにいないだろう。

661:日本@名無史さん
12/02/11 17:24:41.40
>>660
じゃあやっぱり敗戦してからと考えるのが最も無難か。憲法も八月革命説あるし。

662:日本@名無史さん
12/02/11 17:36:14.10
市民というのは一般的には参政権を持った人ということだろ。すべての男女に
選挙権が与えられるようになった敗戦後でよくね

663:日本@名無史さん
12/02/11 19:19:11.87
普段どんな感じで研究してるのか気になる

664:日本@名無史さん
12/02/11 20:11:24.89
義経が最初に奥州に行ったとき、
秀衡はどうして本物だと確信できたの?
最初『平清盛』スレで訊いてみたけど、
答えが返ってこなかった。
教えて。



665:日本@名無史さん
12/02/11 20:13:01.05
嘘発見器

666:日本@名無史さん
12/02/11 20:56:23.25
>>661
まあ市民の定義にもよるけどね。

>>664
それ結構不思議なとこでね。
書状でもそうなんだ。
花押があるというけどいくらでも偽造できるし。
たぶん、父親とか先祖とか名前を聞いて確認もどきを
したんじゃないかな。
言えないから偽者じゃなくてなんか本人しか
知らないことってあるんじゃないかってね。

667:日本@名無史さん
12/02/11 21:17:21.84
藤原長成→藤原基成→藤原秀衡のルートで確認できるよ

668:日本@名無史さん
12/02/11 21:56:06.02
Quarantineって何?

669:日本@名無史さん
12/02/11 22:23:26.16
>>667
へ~、長成はあのわずかな期間に頼朝は
見てそうだけど義経もどっかで大きくなった
ところを見てるわけか。なるほどなぁ。

670:日本@名無史さん
12/02/11 23:21:50.80
刀鍛冶とか神主が、日向の守などの国守名を名乗っている場合がありますが、
あれは、どっかの許可を得て名乗っているの。
それとも、自由に自称ってこと?

671:日本@名無史さん
12/02/12 00:25:38.40
>>664
俺はそれが本物であるかどうかは割とどうでも良かったのだと思う。
重要なのは利用価値が有るかどうかだから。

672:日本@名無史さん
12/02/12 11:31:25.99
五位以上の官人が畿内の外に出る場合には天皇の許可が必要であったと記憶しておりますが、
場所そのものが畿内の外れであった平安京に遷都された後、
五位以上の官人が平安京から隣接する丹波国桑田郡や近江国志賀郡に行く場合にも許可が必要であったと考えて良いのでしょうか?
反対に両郡よりも遙に遠い、摂津国の難波や大和国の吉野に行く場合にも許可は不要であったのでしょうか?

673:日本@名無史さん
12/02/12 11:34:46.23
>>623下地中分の下地とは?

”土地”でもいいんだけど、当時年貢など土地の収益を上分といいました。

上分(年貢)を分ける方法ではなく、土地そのものである「下地」を分けるという意味で
下地といいました。

674:日本@名無史さん
12/02/13 16:40:42.79
>>666
なるほど。多謝
>>671
そういう見方もあるか。
なるほど。㌧
664

675:日本@名無史さん
12/02/13 23:11:40.34
>>674
奥州藤原氏と源氏の関わりを考えてみれば、源義家のおかげで藤原氏は奥州の覇権を握ったが、
代わりに藤原清衡は全ての家族を失った。義家の父、源頼義は清衡の父、藤原経清の仇でもある。
源氏に対して良い感情はあまり無いと思う。だから『利用価値』と考える。

676:日本@名無史さん
12/02/14 08:43:13.03
少しわからないのだが、偽者とわかって利用したら
本物が出てきたり、あそこは詐称だ、と山賊扱い
されたりかえって自分たちの「源氏」が傷つかないだろうか。
利用するならかえって「真贋」には厳しくなると思うが
どうだろうか。
その前の「何のための利用価値」というのもよくわからなくてね。

677:日本@名無史さん
12/02/14 21:44:29.52
日本は神話時代から生きてる文化を持つ唯一の国ですか?

678:日本@名無史さん
12/02/14 23:04:53.99
幕府法、藩法をまとめて説明したサイト、ブログ、本などがあれば教えてください

679:日本@名無史さん
12/02/15 09:03:35.16
>>677
よくわからないが神話と文化は表裏一体部分も
あるしそういう意味では神話を持つ国はすべて
そうともいえるかな。

>>678
幕府と言ってもいろいろあるし
政治史的に語るのと法律史では違うし
もう少し質問を具体的に細かくしたほうが
いいんじゃないか。

680:日本@名無史さん
12/02/15 10:03:22.63
>>678
もう少し詳しく聞かせてください。私は>>677は間違いだと思って質問させてもらいました。
詳しく述べると、渡部昇一という学者がギリシアに海水浴をしにいったときにアテネのポセイドンの廃墟の柱をみたそうです。
それから日本に帰って塩釜神社に行くと茅葺の木造でほっとけばすぐ腐るのに腐っていない、その理由は祀る人が絶えた事がないからとのことでした。
そのことから日本は古代が生きているという実感をしたそうです。そしてギリシアもローマもゲルマン諸国もイギリスも古代は死んでいると結論していました。

しかし神話が神社と結びついたのは国家神道からで、それまでは土地神を祭ったり仏教と合体した習合神道が一般的だったと聞きます。
これは、古代人が古事記神話にでてくる神を祀りにきていたとは言えないと思うのですがどうでしょうか?
私は日本に神話が生きていないとは思いませんが、同様に他の国々にも神話は生きていると思います。
博士号を持っている人からみて、このような自国と相手国を理解してない安易な比較文化をどう思いますか?

681:日本@名無史さん
12/02/15 10:17:12.42
>>680
679だけど、安易な比較文化は意味が無い
ですよね。
少し問題提起だけど古いものを無条件で価値あるものとするか
そういうものを認めないか。
これは国とか支配層とか個人とかそういうのを解釈する視点として
それなりに有効な時も多い。
比較文化ならいろんな視点がありすぎるから
まず絞って具体的に、とかね。
まぁ、方法論を話し出すときりがないのでこのあたりで。

682:日本@名無史さん
12/02/15 13:09:14.31
武士が狩りで馬に乗るときなんか、
鹿の皮みたいなのを両足の外側に着けてるようだが、
あれはなんの役に立つものなの?

683:日本@名無史さん
12/02/15 13:35:45.58
日本の歴史って明治以降からなの?

684:日本@名無史さん
12/02/15 15:34:35.35
>>662
限られたブルジョワジーのみが参政権を確立するレベルでも市民革命と呼ぶんだから、
普通選挙じゃなく制限選挙でも「市民」と呼んでいいのでは。

>>680
古代ギリシャも古代ローマもゲルマン諸国もイギリスも、古代文化の担い手たちと現在の住民とは民族が違うわけで、
同じ文化を維持継続している可能性を想定する人はいない気がするよ
それを単純に言い換えただけではないのかな。
「ああ、やっぱり連続してないんだなあ。」と、あらためて実感した、という意味だよな、たぶん。

>>683
かつては、明治維新より前の歴史なんて学ぶ必要はない。なんて意見も少なからずあったけど、
いまはそういう意見は少数派だろう。
ただ、誰もが必ず学ぶべきと言える部分は、明治維新より前には多くあるわけではない。という見解なら、いまでもある。

685:日本@名無史さん
12/02/15 18:09:23.68
卑弥呼の前の倭国大乱って
前漢の時代に百余国に別れてたのが統一していく過程なの?


686:日本@名無史さん
12/02/15 18:57:12.85
統一かどうかはわからないが、モメごとは
あったんだろうということで。
古代史以前はちと答えるのに厳しい。

687:日本@名無史さん
12/02/15 19:05:33.09
>>682
足がスレて痛いからそれ防ぎ?

688:日本@名無史さん
12/02/16 03:49:55.69
>>687
足の外側につけてるように見えるんだが。
682


689:日本@名無史さん
12/02/16 06:21:26.14
下地中分の「下地」の意味について、
博士たちも答えられないのか・・・

われこそは、という博士いない?

690:日本@名無史さん
12/02/16 09:44:57.61
>>688
すまんかった。

691:日本@名無史さん
12/02/16 13:13:47.47
>>689
誰か答えてやれよ!

692:日本@名無史さん
12/02/17 00:41:03.36
>>673が既に答えている。

693:日本@名無史さん
12/02/17 03:49:57.83
さすが博士
ありがとうございました

694:日本@名無史さん
12/02/19 11:14:30.30
○○派の総理大臣とその○○派の領袖はどちらが格上とみなすべきですか?

695:日本@名無史さん
12/02/19 11:40:56.87
板違いのうえに、質問じゃなくてアンケートだな。

696:日本@名無史さん
12/02/19 23:06:22.07
建武の親政は後醍醐天皇による天皇親政でしたが、後醍醐天皇自らいろんな政策を
考えたり、配下の人間と協議したり討論したりしてたんですか?
天皇親政というのは、どのレベルで天皇自ら政治を取り仕切っていたんでしょうか?

697:日本@名無史さん
12/02/19 23:54:18.79
フランス領であったインド南部への日本軍進駐により、
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ、在米日本資産凍結や
対日石油禁輸をおこんった。

この文章で間違えてる部分ってありますか?

698:日本@名無史さん
12/02/20 00:04:34.73
>>696>>697は受験生か?


699:日本@名無史さん
12/02/20 00:19:11.72
>>697
「おこんった。」

700:日本@名無史さん
12/02/20 00:21:08.99
インド南部→インドシナ
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ→アメリカは対日姿勢を更に硬化させ
おこんった→行った

701:日本@名無史さん
12/02/20 00:40:10.95
>>699>>700
ありがとうございます
誤字は気にしないでください。

次のも頼みます…。

日中戦争時の話です。

政府は日本労働総同盟のもとに
労働組合を組み入れ、労働者の統制をはかった。

間違いありますか?

702:日本@名無史さん
12/02/20 02:09:04.78
期末試験?

703:日本@名無史さん
12/02/20 04:26:45.85
>>696
討論もしたんだろうが、少数の側近の話しか聴かないタイプ
前代未聞の新政策を乱発し、
「朕が新儀は後代の先例となるべし」=自分が打ち出した新政策は先例として将来に残る、と言い放ったが、
肝心の後代の人からは、あの時代は「もの狂い」が多かったから先例として考えるべきではない、扱いされた。

704:日本@名無史さん
12/02/20 14:35:02.92
>>697
近代史スレの方が詳しいんちゃう!

705:日本@名無史さん
12/02/20 21:40:11.70
日本で馬車が使われなかったのは何故ですか
牛車やら大八車が有ったんだから簡単に作りそうなものですが

706:日本@名無史さん
12/02/20 22:37:37.47
馬車ってか、道が舗装されてたわけじゃないから
車自体が役に立たない。
牛車は京でごく限定されたところを通っただけだし
大八車も許可制だったけど江戸のきれいになった
ところを通れてただけだからね。

707:日本@名無史さん
12/02/21 22:49:13.90
>>706お返事ありがとうございます

708:日本@名無史さん
12/02/22 13:03:07.79
>>688
西洋の馬術ではチャップス、日本では むかばき と言います。
カウボーイもジーンズの上にかぶせて穿く革のプロテクターを穿きますね。脚部の保護でしょう。

709:日本@名無史さん
12/02/22 13:58:33.95
虐殺は無かったといったらまぁ嘘になるだろうね。
名古屋市長の河村さんはイタいことしちゃったね。 公人として失格。

日本に都合のいい情報だけを集めて「虐殺はない」なんて勝手に納得しちゃったネトウヨとかは論外として
30万人って言うのはいくらなんでも多すぎだぜ。人数についてはいろんな説があって分からんが
中国人ってのは限度を知らないな。
大学で歴史学の勉強をしてきた小生が言わしてもらうと当時の南京の人口をもはるかに越えてるんじゃないかな。
人数についてはいろんな説があって分からんが、せいぜい見積もって5~10万人くらいが相場だろうな。おっと別に自虐史観とかじゃないんだぜ。
単なる歴史的事実を述べたまでだ。
右翼系の雑誌やサイトだと「虐殺は無かった」とかのトンデモ論がよく飛び出るが
あれに飛びつく奴はよほど歴史について勉強したことが無いか何も前提知識がないのだろうね。簡単にだまされちゃうんだから。
ああいうのは中国に弱みを握られたくない保守派(主に知識人は除く)のせめてもの抵抗なんだな。
彼らはとにかく植民地の話になると西洋の植民地政策を挙げて正当化しだすからな。
俺はイギリスやスペインのやってきたことに比べたら日本のはまだ生ぬるいと思う。
まぁ南京虐殺否定派は歴史をねじまげてでも自己満足でもしてればいいww

でもここで重要なのは数じゃなくて虐殺の事実なんだな。(それを認めたくないというのがウヨクのホンネ)
いずれにせよ日本人と中国人は対等な関係を築き上げていきたいものだな。

たぶんムリだが…。
反日vs嫌中の構図はこれからも続くだろうしな…。

710:日本@名無史さん
12/02/22 14:33:36.14
↑のような政治運動員には、まず、「虐殺」行為の定義から語ってもらいたいですなぁ。

711:日本@名無史さん
12/02/22 22:34:15.80
↑当然、「虐殺」の定義は知っているんでしょ?

712:日本@名無史さん
12/02/23 02:40:27.32
火のないところに煙をたてれる実例知ってるからねー
日和見で折衷していくやつがよくわからん

713:日本@名無史さん
12/02/23 20:08:19.68
織田信長は生前右大臣まで昇進しましたが、時の天皇だけではなく、
まだ信長よりも格上の存在が数人いたという事ですよね?
また信長亡き後、秀吉が天下人となりましたが、関白や太政大臣に
昇進するまでは秀吉よりも格上が時の天皇のほかに数人いたという事ですよね?
さすがに信長も秀吉も時の天皇には(少なくとも建前上は)一目置いていたでしょうが、
左大臣や太政大臣に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?
逆に左大臣や太政大臣は信長や秀吉に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?

714:日本@名無史さん
12/02/23 22:38:32.82
>>713
答えようがないけど、公式の場では上下の差を
わきまえたTPOにあった態度だったんじゃないかな。
あんまりそういう機会もなかったろうけど。
有名な関白左大臣近衛前久なんかは武将にあこがれてたから?
逆に自分がおっかけみたいになって武将たちに接近してたけど
そういう時は少々プライベートチックに鷹狩とかして
普通におつきあいしてたというか。

715:日本@名無史さん
12/02/24 05:53:46.11
>>713
その一方では、貴族たちや天皇の領地は信長や、その後には秀吉の保護下にあったのも事実なので、場面にあわせて振る舞いを変えてるよね。

716:日本@名無史さん
12/02/24 07:45:00.72
ちなみに信長の在世中に格上だった公卿は、信長の前任の右大臣で一緒に左大臣に転じた一条内基と
1582年の2月から5月まで太政大臣だった近衛前久
前久の3か月での大臣辞任は、信長の三職補任問題との関連とも言われている。

717:日本@名無史さん
12/02/24 13:05:28.07
>>708
ありがとう。
ただ、なにからの保護かがわからないのよ。
足の内側も覆っているなら、
馬腹で擦れないようにだろうと推測できるんだけど、
映像で見たところ、外側しか覆っていないんだ。

718:日本@名無史さん
12/02/24 23:05:11.63
騎手の足は馬の身体から外にはみ出すことになるから
樹木の枝などの障害物によって足が傷つけられるのを防ぐものではないか

719:日本@名無史さん
12/02/25 00:31:07.76
バイクと同じで、寒さ対策ということは
冬も戦いはあるが寒いので

720:日本@名無史さん
12/02/28 05:07:41.47
682,718です。
専門家に聞いたところ、718が正解だった。
行縢は雨露や小枝などから守るためのもの。
みなさん、ありがとう。


721:日本@名無史さん
12/03/02 22:05:19.83
>>697
日本軍の仏印進駐はアメリカの対日姿勢を硬化した。昭和10年ごろから帝国海軍
は軍艦の石炭から石油のボイラー変更を実施。その石油をオランダ領、イギリス領
にあったアメリカ、オランダ、イギリスの会社に求めた。しかし支那事変の
長期化は円の国際価格の暴落(円安)をさそい、円の価値を下げた。
す当時高価だった石油代金の支払いが滞った。ついに日本在外資産の凍結が実施された。
差し押さえ。そして帝国は年末12月開戦に踏み切る。
 不当な利益を得ているアングロサクソンの企業を追い出しアジア人の物にしようと。
大東亜共栄圏のため。

722:日本@名無史さん
12/03/03 04:23:17.35
天皇っていつからいたの?

723:日本@名無史さん
12/03/03 18:20:28.50
>>722
天皇という称号を使いだしたのは天武天皇か持統天皇のころから
桓武などの漢字二文字の称号(贈り名)は奈良時代末ぐらいからか。
存在そのものは、もっと昔から。三世紀か四世紀ごろ。

724: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/03/03 22:53:33.75
>>723
漢字二文字の諡号は奈良時代末の淡海三船による

725:日本@名無史さん
12/03/03 23:44:26.23
実在した天皇は応神天皇までのようですがこの人はどこから湧いて出たんですか

726:日本@名無史さん
12/03/04 01:34:47.03
実在したのは応神天皇までって、それ以後の天皇は架空の存在か?


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