歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26at HISTORY
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26 - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
11/11/16 05:06:41.93
伊勢商人は繁栄出来たのですか?
厳密に調べてみると松阪商人と射和商人の繁栄が
半端じゃないんだよ。

151:日本@名無史さん
11/11/16 07:45:08.55
>>149
宗教自体が政治の重要な手法であり問題でもだった

災害や疫病があったら、寺社に要請して神仏にすがる以外に具体的な政策を持ち合わせていなかった。
だから、当然政治と宗教の癒着は発生する。

152:日本@名無史さん
11/11/16 08:28:28.23
佐々成政のアルプス越えについて
何故極寒のアルプス越えが可能たらしめたかを教えてください

153:日本@名無史さん
11/11/16 08:34:15.88
本多忠勝の身長は実際はいくつなの?
130センチ代という信じかたい説もあるが
甲冑から推定可能と思うのだが

154:日本@名無史さん
11/11/16 09:46:17.60
>>145
今の日本は「国民主権」なので天皇が国のナンバー1ではないよ
天皇は国の「象徴(シンボル)」に過ぎない
明治時代に内閣制度が発足すると同時に太政官制は廃止されている
「内閣総理大臣と将軍はどちらが偉いのか」みたいな質問だ

155:日本@名無史さん
11/11/16 16:06:49.94
>>142
大坂城は上町台地の北端に建築されていて築城当時当時は北、東、西の三方を川に囲まれていた
徳川勢は唯一川に阻まれない南側からしか攻めていないんだよ
上町台地は北へ行くほど高いので大坂城本丸まではひたすら上り坂だった

徳川時代に上町台地が削られて大阪城内の段差がないように変えられた
現在では川も埋め立てられ流れが変えられてしまっている
現在の埋め立てが進んだ大阪の地形と比べても意味がない



156:日本@名無史さん
11/11/16 16:24:36.26
平安京はむしろ東に川、西に道、南に池、北に山を備えた土地という風水の考えに則って設営した都だからあんまし防衛とか考えてない

157:日本@名無史さん
11/11/16 17:17:14.83
当時の軍事面から見たら三方に山、南は巨椋池でちゃんと考えられてるよ
まあそもそも造営時の政治的軍事的状況からは平安京襲う軍団なんて考えられもしないが

あと風水的防御は軍事面と同じかそれ以上に重要でもあった

158:日本@名無史さん
11/11/16 17:27:20.32
>>157
京都の山はかろうじて東側が迫ってるだけで西や南からは平地続きで入り放題だしな
巨椋池は現在の京都市伏見区から宇治市にかけてあった池で
洛中からは遠く迂回路がいくらでもある
巨椋池を渡らなくても陸続きの道路が何本もあったってこと

159:日本@名無史さん
11/11/16 18:09:18.13
>>147
奈良時代には弓削道鏡が太政法王となって政治介入したように
仏僧がもろに政治家になる例が見られていた
平安遷都した桓武天皇は奈良仏教を嫌い新興の天台宗・真言宗を庇護した
しかしその天台宗・真言宗も平安末期になると僧兵を抱えて
軍事力を背景に無理難題を要求し朝廷の手に負えなくなってしまった

160:日本@名無史さん
11/11/16 20:42:30.31
>140
>京都は軍事都市ではないよ
俺は軍事都市だなどとは一言も言っていない

>守りやすく攻めにくい都市を目指すなら山城にでも籠るべき
意味不明

>実際に京都は何度も簡単に攻め込まれ天皇や将軍が京都から逃げ出しまくってるからね
攻守の人物に大きな隔たりがあったり特殊な状況全てに対応できる都市って何処よ
想定できる難易度以下の攻撃計画しか立てられないのが一般的だとでも言いたいのか
御子様向けのアニメと現実の違いが理解できないの?
前世紀末のフィリピン人みたいな思考だな(苦笑

>大坂城や江戸城の攻めにくさを見れば一目瞭然
秀吉が御土居を強化して大規模な城郭都市にでもしないと納得できないようだが軍事都市とか城とかゲーム脳でものを言うのは止めてくれ

>天皇は都をオープンにし過ぎたために上洛してくる権力者とすぐに同盟したそのためにかえって殺されなかったというのはあるかも
史上無防備都市の発想は天皇の独占ではないし守られない例は世界史上無数にある

歴史人物辞典に掲載され後世に伝えられる人物が無能で俺様は優秀なんだと言いたいのなら対案をだせよ
京都よりも人口を養えて国境の隘路に軍勢を送り込めば敵軍を防ぐか時間稼ぎができて貴族官僚が拒否反応を示さないどこの都市にしなかったから駄目だというのか腹案を示してくれ
批判だけで発言できたと自己満足に陥ってよいのは小学生迄>140が中学生以上なら意味のあることを言ってくれんか

161:日本@名無史さん
11/11/16 22:59:17.02
そういえば、蘇我氏などは
要塞館の跡らしいものがあるようですが
天皇や平家は城を持たなかったのでしょうか?

ローマのバチカンにはそぐ横に脱出用の地下道でつながったサンタンジェロ城があります。

162:日本@名無史さん
11/11/16 23:15:17.57
まあ京都に攻めてくる輩はいなかったから防衛が手薄なのは自然の成り行きだな
室町時代に土塁が築かれてなかったか?

163:日本@名無史さん
11/11/17 01:17:25.97
室町幕府の滅亡へのターニングポイントは、やはり、日野富子でしょうか?

164:日本@名無史さん
11/11/17 15:16:08.67
無能の>>160が自説を論破されて著しく狂ってているが
>京都が攻め難く守り易いって認識は間違っちゃいない
これを一つも証明していない件
いいからお前が引用した「歴史人物事典」を挙げろよ
お前の私論はどうでもいい



165:日本@名無史さん
11/11/17 15:18:23.48
確かに京都は防衛では劣っている


166:日本@名無史さん
11/11/17 15:29:04.34
室町時代は何年からですか?
またわかるなら鎌倉時代も答えて

167:日本@名無史さん
11/11/17 15:44:30.50
平安時代(通い婚)について質問です

結婚までの流れとしては
文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)という流れでしょうか?
それとも、
文を送る→婚礼→夜這い×3日→3日夜餅という流れでしょうか?

また、その時代、女性は結婚するまで処女を守っていた、ということが分かる資料等ありますか?

168:日本@名無史さん
11/11/17 15:59:56.23
>>166
諸説ある
学生なら教科書に載ってる奴で覚えとけ。

>>167
>文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)

こっちが正解

あの時代に女性が処女を守っていたなんて資料があったらこっちが読みたいくらいだw

169:日本@名無史さん
11/11/17 16:02:31.85
室町も鎌倉も教科書にははっきりとは載ってない

板付や菜畑は縄文で断定してんのにこっちは曖昧

170:日本@名無史さん
11/11/17 16:03:38.48
>>167
文を送る→夜這い×3日間→翌朝3日夜餅→婚礼(披露宴)
ですかね
婚礼が行われるのは3日夜餅の後です

女性は結婚するまで処女を守る、という義務もなかったのでは?
勿論、親としては変な虫がついたら困ったでしょうが夜這い文化ですからね。
和泉式部や清少納言が自分の不倫歴を惜しみもなく日記に描いていた時代です。


171:日本@名無史さん
11/11/17 16:10:36.89
>>166
正式に言うなら「決まってない」
それぞれの学者がそれぞれの説を主張しているから。
縄文時代なんかも実は結構アバウトなんだけど、何故か決まっているw
不思議w

>>167
婚礼は後。
3日通った後で披露宴を行うのが普通。
また、3日というのも「通常であれば」で、実際には当時は縁起の悪い日が3日目にあたれば4日目に三日餅を食べるのが通常。
当時の日本は婚礼といっても今のような挙式を人前であげるわけじゃなく、あくまで「夫婦になりました」というお披露目なので通う前というのは無い。
日本は昔から披露宴(祝言)のみの文化だった。

女性が結婚するまで処女を守るという習慣は無かった。
当時そこまで処女性も重視されなかった。
処女性が重視されるようになったのは明治大正昭和の流れに入ってから。
それ以前、江戸時代ですら処女性は重視されなかった。
但し、武家の奥方等は結婚後の貞操はそれなりに求められた。
当然結婚前は問題なし。

172:日本@名無史さん
11/11/17 16:16:10.20
>>167は女がどの時代も処女を守っていたと思う処女厨って奴だろ。
こんな板まで遠征してくんな、アホ。

173:日本@名無史さん
11/11/17 16:22:18.87
167です。

すみません。
処女厨じゃないんですが、そういう主張をする人がいたもんで確認しにきました。

皆さんの意見が彼を正常な道へ戻してくれることを期待します。

174:日本@名無史さん
11/11/17 16:27:13.80
| ┏━━┓   従軍慰安婦は反日朝日新聞の捏造でした。
| ┃借収安┃    デマだらけの報道に注意しよう
| ┃三三婦┃
| ┃○○大┃
| ┃○○募┃
| ┃○圓集┃
| ┃圓以  ┃
| ┃迄上  ┃_
\┃可   ┃ \
  ┗━━┛  \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
URLリンク(img.blogs.yahoo.co.jp)


175:日本@名無史さん
11/11/17 16:27:51.36
>>171
まあ、乱暴な書き方ではあるな。
関白藤原忠実が白河法皇から息子忠通の妻に養女の藤原璋子を勧められたとき
璋子が未婚時代に別の公家と密通していたことを日記に書きなぐって大激怒
結局理由を付けて断っているからな。
処女でなければ結婚できないわけではないが処女であるほうが望ましいという
男の願望はあったわけで。



176:日本@名無史さん
11/11/17 16:33:51.08
>>173
そいつに、根拠となる資料の提示を求めてみろ。
提示できたら再度検証。
提示できずにそれをひたすら主張する奴ならマジキチだからそれ以上は関わるな。

177:日本@名無史さん
11/11/17 16:39:08.57
まあ、藤原璋子は「乱行の人」と呼ばれるほど、男の出入りが激しい女だったからなw
しかも鳥羽天皇との間に子をもうけた後も白河院とデキてたしw
そりゃ固辞するわなw

178:日本@名無史さん
11/11/17 16:55:55.81
顕仁親王の母は婚前はヤリマンでしたっつーのはワロエナイ
結婚した後もヤリマンっつーのも更にワロエナイ
でも、そういう時代なんだからシカタナイ

当時に処女厨がいたら発狂してただろうな。。。

179:日本@名無史さん
11/11/17 16:59:48.56
>>177
藤原季通との密通は同時代の忠実の日記にあるから限りなく史実だろうが
白河院との密通は同時代史料にはなく確認できない
崇徳帝が不義の子というのは100年ぐらい後の鎌倉時代に初めて出てくる

帝の后妃や摂家正室が結婚前に密通しているというのはやはりこの時代でも
印象が良くなかった
「源氏物語」でも源氏と密通した朧月夜が女御としての入内が認められず
尚侍という女官での出仕になってしまったことが描かれている

180:日本@名無史さん
11/11/17 17:49:09.10
あれは相手が源氏だったからだろ

181:日本@名無史さん
11/11/17 17:50:35.61
つか、非処女が結婚できないなら
璋子が鳥羽天皇の中宮になるっておかしくね?
中宮って一応「天皇の妻」だぜ

182:日本@名無史さん
11/11/17 17:58:30.75
源氏が相手だったから、というより、知れ渡ってしまったからというのが問題だった。
尤も、朧月夜はその後、弘徽殿入れたし最高の寵愛を受けているので、
知れ渡らない程度の火遊びなら黙認されていた、と考えられる。
知れ渡ってしまったので「形式上」低いくらいでの出仕になった、ということだ。
まあ、フィクションだけど。

183:日本@名無史さん
11/11/17 18:19:15.99
もともとこっそり忍んできて朝には帰るのが礼儀なんだから
結婚前の女にそういう男がいたかどうか確認のしようがないんだよな。
だから、噂になるほど酷い男遊びをするような女だけ排除して
おとなしく男と遊んでた女はスルーするしかなかったんだろう。
今なら処女膜の有無で検査できるけど当時はその手段すらなかった。

184:日本@名無史さん
11/11/17 18:54:55.90
>>181
院政期は特殊
鳥羽天皇が絶対王権であった祖父白河法皇の命に
逆らえるわけがない
>>182
弘徽殿は姉弘徽殿女御が朧月夜に譲ったものだけどな
朧月夜は朱雀の寵愛を受けることは許されたものの
正式な妃である藤壺女御や承香殿女御ほどの栄華を得られなかった

185:日本@名無史さん
11/11/17 19:18:02.23
>>183
童貞っぽいな
処女膜はもともと穴が開いている
だから生理の時の経血が外へ出せる
初体験=ふさがっていた処女膜に穴が開くではない
つまり現代であっても処女膜観察で処女かどうかは確認できない
また性行為を繰り返しても完全に処女膜が失われるわけではない
出産で巨大な赤ん坊の頭が通り抜けて初めて処女膜が完全に喪失する

186:日本@名無史さん
11/11/17 23:23:03.38
>>167-168
古代には、処女という語句は未婚という意味に過ぎなかったから、
結婚していなかったら「処女」に決まっている。

だが、「婚前交渉」なしに結婚する例は滅多になかったんじゃないかとは思う。

>>169,171
>板付や菜畑は縄文で断定
それの場合、文化様式が縄文文化だから縄文時代、みたいな意味で断定されてるんじゃないの。
「年代は未定だけど、これは縄文時代」という感じだと思う。

およそこれぐらいの年代、という案は出てても、異論もあって決定的ではない。
弥生開始年代も同様だよね。

>>175
それ、忠実の性格が変わってたという意味の逸話なんじゃない?
日記自体は事実だけど、彼の意見は特殊例でしかなかったような気がする。

187:日本@名無史さん
11/11/18 08:14:43.64
まあ、順番的に婚前交渉→婚礼だから、「婚前交渉無しに」結婚する例は滅多に無かっただろうな。

188:日本@名無史さん
11/11/18 10:23:35.13
>>186
>古代には処女という意味は未婚という意味にすぎなかったから

さすがに処女と未婚は違うぞ。
伊勢斎宮・賀茂斎院は未婚の皇女・女王に限られていたが、
伊勢斎宮在任中に男との不義密通の疑いをかけられた斎宮が
未婚のまま「汚れた」として斎宮をおろされた例がある。

>忠実の性格が変わっていた(普通の男は非処女と喜んで結婚した)
男は妻に自分以外の子を産まれては困る、妻には貞操の義務を求めるのであって。
独身時代に奔放にやってた女性は結婚後も以前の男ときれずにヤリまくる可能性があり
これを忌むのはある意味当然。
ちなみに忠実の北政所源師子は若い頃白河法皇との間に一子産んだが
白河に捨てられその後忠実と再婚したという経歴の持ち主。
忠実も最初の正室と離婚しお互い再婚同士ではあったものの
忠実が特にこの時代にしては異常な処女信仰の持ち主であったわけではない。

189:日本@名無史さん
11/11/18 11:03:23.35
>>188
言葉の意味としてだろ?

処女というのは当時は未婚の女性の意味だったし
未通娘(おぼこむすめ)も同じ意味。

当時は処女かどうかの確認のしようがなかったので
未婚の娘かそうでないかを区別した程度。

斎宮に関しても「潔斎中の密通などの不祥事」で斎宮を降りることはあるが
それ以前の不義密通を理由に卸された例なんてあったか?

190:日本@名無史さん
11/11/18 11:09:29.01
斎宮をおろされたのは済子女王のことかな。
まあ、野宮で密通してたのなら、退下させられて当然って気もするけどな。
何歳で斎宮になったのかすら不明だから、何ともいえんけど、それ以前はどうだったんだろうか。

191:日本@名無史さん
11/11/18 11:13:55.92
伊勢の斎宮である恬子内親王も業平との不義密通の噂はあるけど、こちらは退下させられてない件もお忘れなく。
当然事実かどうかは知らんが、疑いだけで下ろされた済子女王とは違う処遇になったのは、何か理由があったのかもしれん。

192:日本@名無史さん
11/11/18 14:05:51.93
>>188
もともと、処女という語句は、「生家に処る女」の意味で、
嫁入り婚を前提として、嫁入りしていないことを示していた。
この言葉が中国から輸入された当時には、日本では、嫁入り婚は普及していなかったので
当時の中国での、常用される意味である「未婚」の意味のみが採用されて持ち込まれた。

>忠実が特にこの時代にしては異常な処女信仰の持ち主であったわけではない

すると、璋子は同時期に複数の相手と関係していたことがあって、
二股三ツ股ないし乱交の嫌疑で嫌われた、ということだろうか? よくわからん。

193:日本@名無史さん
11/11/18 14:30:31.74
>>191
「伊勢物語」は創作物語だから。
あれを史実として扱わないように。

194:日本@名無史さん
11/11/18 14:32:24.26
>>192
璋子に関しては「婚姻関係にない男と乱交していた」ことが問題なんだろ


195:日本@名無史さん
11/11/18 15:35:49.18
結婚前に男が通うなんて当たり前にあった時代じゃん
問題なのはそれが、人の口の端に上るほどのご乱行だった、ということ

196:日本@名無史さん
11/11/18 16:51:07.09
正しくは
男が文を送る→娘の両親が見て「この男こそは」と思う奴にだけ返事を書かせる→
男の筆まめさ律義さを両親が見極めて男を家に呼び夜這いを許す→結婚
だな
娘の両親の許可を得ない夜這いは非難されたし
無理やり髪切られて出家させられそうになった姫もいる

197:日本@名無史さん
11/11/18 16:58:51.00
筆まめさ律儀さより、どういう立場でどういう人間なのかのほうが重要だと思われ
男親にしてみたら、自分が後ろ盾になる相手だからな。
男の方も色恋沙汰というより、そういう計算も込みで女を狙ったんだろうし。

198:日本@名無史さん
11/11/18 19:05:39.84
>>197
人間性も重視してたと思うよ
左大臣家の長女で入内を考えてた源倫子が当時微官だった藤原道長に許されたり
東三条院詮子が養女の源明子を摂関になる可能性の高い兄たちの求婚を退け
末弟の藤原道長に与えたりしたように

199:日本@名無史さん
11/11/18 21:04:32.86
| ┏━━┓   従軍慰安婦は反日朝日新聞の捏造でした。
| ┃借収安┃    デマだらけの報道に注意しよう
| ┃三三婦┃
| ┃○○大┃
| ┃○○募┃
| ┃○圓集┃
| ┃圓以  ┃
| ┃迄上  ┃_
\┃可   ┃ \
  ┗━━┛  \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
URLリンク(www.iza.ne.jp)


200:日本@名無史さん
11/11/18 22:33:14.96
伊勢の斎宮だけ見ても、雅子内親王は22才で斎宮になったけど、斎宮になる前に藤原敦忠と恋仲で
二人の贈答歌もちゃんと残ってたりする。
規子内親王も斎宮になったのは26歳なので、それまでに恋人が居てもおかしくは無い。

もともと未婚の内親王または女王の中から候補者を選んで占いで決めるという規定があるだけで
そこに処女性だの過去の恋愛だのを問われることは無い。

201:日本@名無史さん
11/11/19 02:44:58.04
歴史上の人物の諱の読みってどうやって判断してるの?それが分かる史料があるってこと?

たとえば足利義政は最初義成と名乗っていたようだが、国史大事典を見ると「よししげ」とわざわざ読みが併記してある
でも、その義成から偏諱を受けたと言われる伊達成宗は「しげむね」ではなく「なりむね」としている本が多い。
あとは足利義尚も「よしひさ」と読むことが多いと思うが、伊達尚宗は「なおむね」とする本が多い。

これは何で?読みに関してはそこまで重要じゃないってことなんですか?
些細なことでも良いので知ってる人教えてください。

202:日本@名無史さん
11/11/19 02:53:54.87
質問スレに書いた人と同じ人?
向こうであんだけ丁寧に返事もらって、話題も盛り上がってたのに、こっちにマルチするってどういう神経なんだよ。

203:日本@名無史さん
11/11/19 03:02:34.08
と思ったら、微妙に初心者スレとは内容違うか。失礼しました。
んでもせっかく向こうで近い話題出てるんで、まずそっち見てみるといいかと。

204:日本@名無史さん
11/11/19 09:38:29.63
>>201
護良親王は「もりなが」「もりよし」と読み方が二つあるな
吉良義央は花押の研究で「よしひさ」と読むのが正しいらしい

名前って上下につくかで読み方が変わるんじゃないのかな
足利直義や足利直冬は「ただ」、と徳川義直は「なお」
大体法則があるんじゃなかろうか
吉良義央のような事がなければ法則に則ってみたいな
定子や彰子みたいに読み方が伝わらない例も多く存在するからそうやっていかないと無理な気がする

明子って「あきらけいこ」と読むって決めたの誰だよ
ググったら藤原明子も源明子も「あきこ」と読む事もあるらしいし
「めいし」とも書かれている

205:日本@名無史さん
11/11/19 17:54:04.63
読み方は特に決まってない
江戸時代の沖田総司ですら「おきたそうじ」と「おきたそうし」の両方の説がある。
単に「今そういうふうに言い伝えられている」というものが多数。
それと歴史上ではひらがなで書されたものもあるので、そういうのは読み仮名として採用されているだけ。

206:日本@名無史さん
11/11/19 20:51:53.56
>>203-205
ありがとうございます
やっぱり分かっているものはほとんどないんですね

そもそも諱で呼び合うなんてあり得ない時代だから当然と言えば当然か

質問スレも見てみました。情報ありがとうございました。

207:日本@名無史さん
11/11/20 09:39:41.78
かつては朝廷が、そして幕府が、そして明治政府が、
現代なら民主党政権が日本を統治していますが、
「統治する」とは具体的にどういうことを指すのですか?

208:日本@名無史さん
11/11/20 10:37:15.84
税金の使い方ともらい方を決めること。

209:日本@名無史さん
11/11/20 17:13:25.87
足利義昭の邸宅を京都に建造するに当たり、信長自ら現場監督のような事を努めたと
本で読みましたが、現場監督まで出来る為政者って凄くないですか?
現場監督といってもいろんなレベルがあるのかも知れませんが、単に
「そこ!モタモタすんな、早く運べ!」とか言うだけならほとんどの大名なんかも
やっていただろうし、わざわざ「信長自ら現場監督をした」などと書かれないですよね
それなりに専門的かつ的確な指示を出していたんですかね?

210:日本@名無史さん
11/11/20 20:18:36.06
>>209
違うだろ。金出して命令するだけで良い所をわざわざ現場監督した、と書いてるだけで
それだけで専門的な指示までしてたか判らん。

211:日本@名無史さん
11/11/20 21:59:44.46
>>金出して命令するだけで良い所をわざわざ現場監督した、と書いてるだけで


それだったら、わざわざ書かないだろう

212:日本@名無史さん
11/11/20 22:11:40.45
だから『(金出して命令するだけってのが普通なのに)わざわざ現場に来て「しっかり働け!!」と
ハッパかけて行った。』と記録したんじゃないの、って話だ。

213:日本@名無史さん
11/11/20 22:13:53.85
>>200
敦忠と雅子内親王が斎宮卜定前に恋仲(男女の関係にあった)のに
斎宮卜定により引き裂かれたというのには異論もあるようだよ。


214:日本@名無史さん
11/11/20 23:51:17.51
小学館「漫画 日本の歴史」を読んでいたら、明治政府で天皇に次ぐ高位にあった
三条実美が「ギャクか?」と思うほど気の弱いキャラで描かれていました
もちろん、実際の三条実美も気が弱い人だったんだろうけど、ここまであからさまに
描いてしまうのは問題ないのですか?
子孫の方の名誉に関わるとか、ここまであからさまに描く必要はなかったとか・・
悪いことをして、悪人として描かれるのとは訳が違うわけだし


215:日本@名無史さん
11/11/21 00:16:58.50
魯粛の子孫は吉川三国志を知ったらどう思うだろうか…

216:日本@名無史さん
11/11/21 00:36:02.79
>>214
悪人として描いてるんじゃないんだから問題無いんじゃないの?読んでないから判らんけど。
征韓論の時だったか何か、政府内の意見が割れて三条が決定しなきゃいけない場面があったんだけど、
あまりの重圧で体調を崩して決められなかったらしい。

217:日本@名無史さん
11/11/21 01:13:47.24
>>216
じゃあ明治六年の政変ひいては西南戦争、国会開設の発端は三条実美にあったのかな
生前に正一位を賜った最後の人であり、近代唯一の太政大臣、臣下として初めての大勲位菊花大綬章叙勲
今でも官報の題字は三条実美の筆
URLリンク(1.bp.blogspot.com)
という凄い人物の筈なのに認知度が低いのは政治にあまり口を出さなかったからなのかなあ

218:日本@名無史さん
11/11/21 05:55:42.81
645年の乙巳の変(大化の改新の蘇我氏征伐クーデター)から中臣(藤原)鎌足や中大兄皇子(後の天智天皇)から、幕末・維新まで約1200年間天皇を傀儡とし真の支配者として日本を牛耳ってきた藤原氏

…いや明治から現在まででも藤原氏系の総理大臣が2名と、藤原腹の細川護煕氏を加えたら計3名総理大臣を輩出したというのは本当ですか?
総理や大臣などの要職や財閥など含め維新後の政財界など表と裏から日本を牛耳ってきた影に絶えず藤原は居た(今も居る)というのは本当なんですか?

・武士による鎌倉幕府成立時
・明治維新
・第二次世界大戦終戦1945年
・現在もそう
・その他
藤原の世は一体いつ終わったのですか?
それとも徐々に影響力を低下させたまま今も一定程度の影響力は温存させているのですか?

あと現代の藤原系子孫の政治家や資産家や実業家や社会に影響を与える様な有名人を教えて下さい

トンデモ的なユダヤやフリーメーソン、在日、宗教などの日本支配陰謀論よりは、藤原氏の日本支配論の方が納得出来そうな気がします

219:日本@名無史さん
11/11/21 06:04:18.24
あと藤原は名前が別れましたよね
鷹司だとか三条、九条とか
その辺が不勉強な者にとっては「藤原」判別を一見分かりづらくしてますよね
主な系統だけでも分かりやすく藤原系氏族を解説していただけたら幸いです

藤原の宗家(本家)って今どこなんですか?
藤原を名乗る人はいまは?

220:日本@名無史さん
11/11/21 07:17:49.27
>>167
わるい、光源氏のご乱交勘違いしてたわ。orz
正式には結婚後三日目の祝い餅だった
公家だもんな。お試しセクロスとかやってるわけ無いか

1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)

現代の様な自由恋愛じゃないから実際の結婚は親が決めるので文のやり取りも形式的な事が殆どだったようで。



221:日本@名無史さん
11/11/21 07:28:45.45
流れわからんけど
文→通う(3日)→婚礼の儀→3日夜餅だから上が正解なんじゃねーの?
通うより先に婚礼やらかしたなんて資料、見たことねーわ。

222:日本@名無史さん
11/11/21 07:32:11.81
>>220
新参か?
このスレsage推奨。
ログ読めばわかるがageるといろんな奴が湧いていっきにレスが増えるぞ。
まあ、俺も「いろんな奴」のうちの一人だがw

>現代の様な自由恋愛じゃないから実際の結婚は親が決めるので文のやり取りも形式的な事が殆どだったようで。

二種類あったのは常識だろ。
親が絡まない自由恋愛部門。
親が絡んだ戦略的恋愛(結婚)部門。
だから、親に内緒で勝手に男連れ込んで散々揉めて尼になれと強制された奴までいる。
全部に親が絡んでたらそんなことにはならんし、正式な父親がいない場合は関与が一切無い場合もある。

223:日本@名無史さん
11/11/21 07:42:41.13
wikiがわかりやすくまとめてあるな


平安時代
通い婚の時代での帝(天皇)においては、女御と家族が入った宮中の殿舎に、
天皇が三夜しのんだ後発見されたという「露顕(露見)」(ところあらわし)という宴をおこなう。
これが現在の披露宴に該当する。
民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式であるが、
女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待する。
3日目には露顕(ところあらわし)という披露宴が行われ、新郎新婦が披露される。 
列席者は妻側の関係者のみに限られる



源氏物語は有名だし、たとえ話として用いられるので俺も用いるが
浮舟で薫と匂宮が鉢合わせというシーンがある
自分が通う女のところに他の男が通っているのは当然、とうい当時の世相をよく現したシーンだな

まあ、和泉式部や清少納言あたり読んでみりゃ、当時の女がどれだけ性的に縛りがなかったかよくわかるし
こんなスレじゃそんなこと一々取り上げる必要も無いくらい常識だろ

224:日本@名無史さん
11/11/21 07:45:28.77
また蒸し返してるアホがいるのか
処女厨ってのは本当に頭がおかしいんだな

225:日本@名無史さん
11/11/21 08:15:30.61
>>219
五摂家には、近衛、鷹司、九条、二条、一条の五家があります。
流れとしてはまず平安時代末期に近衛家と九条家の二流に分かれ、
鎌倉時代初期に近衛家から鷹司家が、九条家から二条家と一条家が別れています。
(あげられている三条家は五摂家ではなく清華家ですので、説明を省きます)
<近衛家>
平安時代末、関白藤原忠通が没すると、その長男基実が関白となります。
この基実が近衛家の祖。
本来、長男系で継いでいくと近衛家が摂家嫡流ということになり、
実際に江戸時代には近衛家は「摂家筆頭」と自称していたようです。
<九条家>
九条初代の九条兼実は近衛家初代の近衛基実の弟。
近衛家は摂関家嫡流であったがゆえに、平安時代末期、平清盛による政略の対象となります。
清盛は天皇に娘を嫁がせるのと同時に摂関家である近衛家にも娘を嫁がせました。
そのため、平氏と癒着した近衛家を嫌い、源氏が別の関白を立ててしまうのです。
九条家はそのような経緯から源頼朝によって関白に立てられて成立します。

226:日本@名無史さん
11/11/21 08:25:07.50
>>225の続きです。
<二条家>
兄九条教実が25歳で早世したことにより、弟の二条良実が関白に任命されて
立てられた家。
<一条家>
一条実経を祖とする家。実経には九条教実、二条良実といった兄たちがいましたが、
父の九条道家に兄弟たちの中で最も寵愛され、道家は二条良実を関白からおろして実経に譲らせ、
実経を関白として一条家を継承者とするようなことを言ったともされています。
しかし、弟九条頼経(鎌倉幕府前将軍)の北条氏排斥計画に道家と実経がかかわったとされて
鎌倉幕府は実経を罷免しています。
<鷹司家>
鎌倉時代の鷹司兼平を祖とする家。九条家の流れが三家に分かれたのに対抗して
近衛家から分流したものだとされています。


227:日本@名無史さん
11/11/21 08:58:33.91
>>222
光源氏であっても好き勝手に女と結婚することができたのは
親に死なれた身寄りのない女とだけだよ。
親がいれば原則親の許可なしには結婚できない。
二種類あったもなにも、親の許可を得て夜這いが王道であって
それ以外は不倫とか密通とか呼ばれる類だよ。


228:日本@名無史さん
11/11/21 09:03:28.20
結婚する必要なかったんじゃね?
実際、源氏は人妻にも手ぇ出してるし
結婚まで至らない恋愛もそこかしこであった
平安より前だが「とはずがたり」あたり読んでみりゃ良い

229:日本@名無史さん
11/11/21 09:08:15.90
平安といっても平安のいつに焦点をあてるかで変わってくるけど
一般的に言われている通い婚というのは今ほど縛りはきつくなかった。
男の足が遠のけば自然に離婚となって、女は次の男を探す。
親は娘のためにあちこちで噂をばら撒き、良い男との縁談をつくろうとした。
その一方で結婚という正式な形にとらわれず男が通い女が招いていたのも
その時代の書物を見れば明らか。
まあ、正式な結婚が何を指すのか、という議論が沸きそうな話題だけどな。

230:日本@名無史さん
11/11/21 09:17:01.97
>>227
平安時代はあちこちの女に手を出すのが一種のステイタス
むしろ、一人の女のとこにしか通わない男は「あいつは頭が固い」「真面目すぎる」と揶揄されたくらい
ただ、人妻に手を出すのはルール違反で不義密通に値する

231:日本@名無史さん
11/11/21 14:11:20.75
質問です。

位牌の戒名の裏に俗名が書いてあるのですが

例えば日本太郎と俗名の下に藤原忠勝と誰だか
わからない人の名前が書いてあるのですが

藤原忠勝って誰ですか?

232:日本@名無史さん
11/11/21 15:18:57.20
スレ違いスルー徹底してんなw

>>231
ここら辺できいてこい
歴史関係ねぇ

冠婚葬祭
URLリンク(toki.2ch.net)

神社・仏閣
URLリンク(kamome.2ch.net)

233:日本@名無史さん
11/11/21 15:24:31.81
江戸時代は銭湯が混浴だったと聞いたのですが、それは本当ですか?
また、それならいつ男女分けられたのでしょう?

234:日本@名無史さん
11/11/21 15:26:21.36
>>233
本当
一度幕府から禁止令が出たけど効果なし
いつ男女分けられたのかは知らん

235:日本@名無史さん
11/11/21 15:26:22.67
>>221
>文→通う(3日)

ここが違うみたいだね。それじゃ自由恋愛みたいな物で。
公家の場合、大抵子供の頃に婚約相手が決まっているので、文もなしで結婚は先に決まってる。
元服12歳でいきなり結婚も珍しくないようだね。(光源氏・正妻 葵の巻)

婚約も決まってない関係の場合は、男が噂を聞きつけて、何度も文を送り、女房が代返しつつ
親にも品定めされて、気に入られたら、御簾越しの対面を繰り返し良家の結婚話し合い。
合意が成されると、日程調整のうえで結婚日(通い初日)が決められる。
そして 結婚2日  → 結婚3日(三日餅、披露宴)ということ

俺も勘違いしたのは「3日かかって」結婚だと思ったこと。初日が結婚日(婚礼)なんだよ。
餅は「結婚3日目」を祝う餅で、3日目でやっと結婚成立したから祝う餅ではない。
その間に披露宴の準備も進んでいて3日目に親類縁者等を呼んで披露宴

以上が正解なので、どのソースもても「結婚・婚礼後、3日目の・・・・」と説明されている。
違う史料ってどんなのだ。

236:日本@名無史さん
11/11/21 15:30:05.65
>>233
混浴だけど男は湯褌・女は腰巻で入っていた、と聞いたことがある
歴史というより文化風俗だから、あんまり詳しくない。
スマン

>>235
>公家の場合、大抵子供の頃に婚約相手が決まっているので

決まっていない。
その時々によって実力者が違い、それにあわせて相手を選ぶので
逆に子供の頃からの婚約者なんてほとんどいなかった。

紫の上は稀な例。
紫は正式に元服する前に源氏に手を出されてしまった特殊例。

>俺も勘違いしたのは「3日かかって」結婚だと思ったこと。初日が結婚日(婚礼)なんだよ。

上で何度も書かれているけど、「初日が婚礼」ではなく「婚礼が決まっている場合3日通ったあと披露宴がある」というだけで
そうでない恋愛も山ほどあった。
詳しくはそれ関連のレスについている書物を片っ端から読め。
いい加減処女厨キモイわ。
さっさと自分のスレに戻れ。

237:日本@名無史さん
11/11/21 15:34:58.44
>>233
江戸時代は男女の混浴が普通だったが、江戸時代中期に禁止令が出された
ただ、これは一切効果なしで普通に混浴が続いていた
明治になり、明治政府が禁止令を出し、さらに翌年分離しないと営業停止となったので
渋々分離することになった。

>>235
婚礼は3日目
初日か2日目にしくじったら、3日目までに拒否されて結婚もおじゃん。
初日と2日目はお互いに様子見の猶予であって、3日通い続けないと結婚とはならない。

>以上が正解なので、どのソースもても「結婚・婚礼後、3日目の・・・・」と説明されている。

君の言うソースって何?
例えば辞書なんかでは「男が女の元に通って3日間セックスした後での婚礼」と明記できないので
「結婚(=3日無事通う)の後に3日餅」と濁してはいるけど、それ以外にちゃんとした史実
もしくは資料的なもので、初日から結婚と明記されたものはあるのか?
それはどんなのだ?

238:237
11/11/21 15:44:27.61
ああ。これ処女厨とか言う奴なのか・・・
だったら一応こっちのソース出しとくか。

山岸徳平・今井源衛監修 『源氏物語』全54帖
服藤早苗 『平安朝の男と女ー貴族と庶民の性と愛ー』
川村裕子 『王朝生活の基礎知識 古典のなかの女性たち』
山本淳子 『源氏物語の時代 一条天皇と后のものがたり』

ここら辺読めばわかるが、当時の「結婚の条件」というのは
・3日続けて通う(契る)
・3日目の夜(都合次第で2日めや4~5日目にシフトすることもあり)に三日夜の餅を食べる
・後朝の文を送ること
・露顕で舅(いない場合は後見人)が婿と従者を饗応する(現在の披露宴)

これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。
これを終えない限りは逆に言えば結婚が成立したとは言えない。
初日が結婚、なんてトンデモ説が書いてある文書があるなら
具体的にその書物名あげて反論しろ。
それができんのなら、その自スレとやらにさっさと戻って妄言吐いてろ。

239:日本@名無史さん
11/11/21 15:58:39.31
なんで処女厨ってだけで叩くの?

240:日本@名無史さん
11/11/21 16:02:51.84
別に処女厨だから叩かれてるんじゃないと思うぞ
言ってることめちゃくちゃだから叩かれてるんだ

あと、このスレは過去に与謝野晶子訳の源氏物語を鵜呑みにした処女厨が暴れた過去があるので
特にこのスレでは嫌われる、という傾向はあるかもしれんが

241:日本@名無史さん
11/11/21 16:20:53.38
>>236
処女厨??なんだそれ。
ソースは>>220
違うなら自分のソース出せばいいだろ。君のソースは何だよ

242:日本@名無史さん
11/11/21 16:22:09.97
>>237
>「結婚(=3日無事通う)の後に3日餅」と濁してはいるけど、それ以外にちゃんとした史実

それ君の妄想だろ。自分の主張のソース出せよ

243:日本@名無史さん
11/11/21 16:24:08.86
>>220は「結婚後」と書いてあるだけで
「初日が結婚日(婚礼)」とは書いてないだろ。
そのソースを出せって言われてるんだが、お前のオツムじゃ理解できんの?

244:日本@名無史さん
11/11/21 16:25:16.11
っていうか話の流れ的に

>>220=>>235=>>241=>>242がキチガイ処女厨だよな。

うんこには触らんほうがえぇぞ。

245:日本@名無史さん
11/11/21 16:25:51.04
>>238
>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。

そんな事書いてないから。俺と同じ誤読してるよ君。





246:日本@名無史さん
11/11/21 16:27:22.06
>>244
その処女厨とかいうレッテルはなんなんだおまえ?
国語大辞典に書いてあると言うとなんで処女厨なんだ。
平安時代の結婚の話じゃないのか?

247:日本@名無史さん
11/11/21 16:31:20.73
すみません。
こいつ、独身女性限定板で論破されたキチガイ処女厨なんです。

流れを説明すると

「キリスト教は処女崇拝だ」と主張する(これも処女崇拝じゃなく一神崇拝だと論破され済)



さらに「世界的に数千年前から処女婚が常識。結婚前にセックスする女は居ない」と主張



それに対して「通い婚は通ってから婚礼だ」と異論を唱えられる



「まず婚礼が最初にあって、次に文を交わすんだ」と主張するもソースを求められてなみだ目で辞書(>>220)を出すが相手にしてもらえず


こういう流れで論破されたアホがこっちに流れてきているだけです。
どうか、相手にせず放置してあげてください。

「現に」まず婚礼が行われる、ということの根拠が何一つ出せてない時点で、こいつ完敗なんです。
それを認められないキチガイなんです。

どうか赦してあげてください。

248:日本@名無史さん
11/11/21 16:32:48.09
>>246
そうだな。
日本史板なんだから、ソースは辞書じゃなく資料を提示すべきだな。
「初日から結婚」というソースを辞書以外で出せたら相手にしてやるわ。
それができないんならこの板的には相手にすらならん雑魚。

249:日本@名無史さん
11/11/21 16:35:06.76
>>245
>>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。

補足、三日通いの風習は結婚後の儀式ではあるが、実際にやらないでも結婚は結婚だっよ
それは源氏物語の紫の上の巻でもそう。
源氏がさらってきて、そのまま妻になってる。
婚姻届の無い時代だから、合意があればそれで結婚なんだよ。それで男が来なくなれば自然消滅。
正式な手順は>>220の通り。異論はあっても辞書記載が変わる程ではない別解釈程度。

ソースもなしに妙な押しつけとレッテルするおかしな奴出てきたな。
結婚後だとなにかまずいことでもあるのか?

250:日本@名無史さん
11/11/21 16:36:23.90
>>248
辞書は史料に基づいているから辞書なんだよ?
お前らキチガイか?
歴史史料的に正当とされているから辞書に載るんだぞ

251:日本@名無史さん
11/11/21 16:38:38.88
>>247
>「現に」まず婚礼が行われる、ということの根拠が何一つ出せてない時点で、こいつ完敗なんです。

おいおいキチガイかおまえ???
>>220は見えないのか??


252:日本@名無史さん
11/11/21 16:39:02.56

なんで急にキチガイが沸いてるんだ

253:日本@名無史さん
11/11/21 16:39:26.14
>>250
その史科に基づく辞書に「初日から結婚」とは書いていないから
その根拠の提示を求められている、ということなのが理解できないのかね。

辞書にはあくまで「結婚後~」であって「何日目から結婚なのか」は明記されておらず。
よって「初日から結婚である」という主張の根拠としては成立しない故
その根拠となる資料を提示しろ、と言われているだけだが。

当然、その資料の提示ができてこそ議論が成立する。
それが出来ないのであれば主張のみで根拠が無いのでそれ以上議論の必要すらない。

254:日本@名無史さん
11/11/21 16:42:37.83
>>253
>『結婚後』三日目の夜に

他にどう解釈するんだよキチガイ。

255:日本@名無史さん
11/11/21 16:44:18.46
>>249
紫の上については未だに賛否両論出ているから根拠としては薄くね?

工藤重矩を初めとして、紫の上は法律上の婚姻を結んでおらず
生涯「正妻扱い」であるだけの「妾とする説も根強くある。

あと、婚姻届は無いが法律に基づいて正妻・妾などの区別があった。

とりあえずお前は工藤重矩の『平安期の結婚制度と文学』を読め。

256:日本@名無史さん
11/11/21 16:45:09.30
>>254
「辞書」以外のソース出ず。

これ以上議論の価値無し。

後は独身女性限定板に戻って妄言吐いてろ。

257:日本@名無史さん
11/11/21 16:45:32.41
わけがわからん。他の板のキチガイなのかこいつら

反論があるなら辞書の出版社や編集に関わった国語、歴史学者に言えよキチガイ共
日本中の出版社相手になるだろうが。

258:日本@名無史さん
11/11/21 16:47:17.76
>>255
嫁じゃなくて引用しろよ。
おまえがそう解釈した下りを。なにも出して無いじゃないか、
記載の不明な書籍の名前出しても辞書ソースの反論にならない。何処の板の奴なんだおまえ


259:日本@名無史さん
11/11/21 16:48:21.37
辞書に「初日から結婚」なんて書いてないのに
「そういう意味合いで書いてるんだ」と主張するキチガイが叩かれてるだけだろ。

つか、こいつら源氏物語すら読んだことないんだろうか?
3日通っても婚姻にならない男女の仲が普通にあった時代の話だって理解してるんだろうか?

まあ、「厨」といわれるだけのことはあるわな。
これ以上さわらんほうがえぇ、ってのは理解できた。
俺も以後スルーするわ。

260:日本@名無史さん
11/11/21 16:48:29.55
>>256
まず出されたソースを覆してからにしろよ。
辞書は尤も多くの人の目に晒されて、数多の国語学者や歴史学者が編纂しているんだから

261:日本@名無史さん
11/11/21 16:48:57.91
>>259
>『結婚後』三日目の夜に

他にどう解釈すると言っているんだよキチガイ。

262:日本@名無史さん
11/11/21 16:49:57.72
>>258
引用も何もww

工藤重矩は源氏物語の研究者としては有名だし
数年前に出した当時の法律と源氏物語を絡めた文書は基本中の基本。

その基本を引用しろってのは「1+1は2だろ」って質問に
「そのソースを出せ」というのと同じw

お前こそどの板の人間なの?w
このスレ基本sage進行なことすら知らない初心者が、このスレの住人気取ってんじゃねーよw

263:日本@名無史さん
11/11/21 16:50:37.05
>>262
だから触るなっつの。

264:日本@名無史さん
11/11/21 16:51:42.23
>>259
>3日通っても婚姻にならない男女の仲が普通にあった時代の話だって理解してるんだろうか?

愛人の話じゃないだろ。
4日通っても5日通っても結婚の合意がなければ結婚にはならんのは当たり前だろ。
源氏が六条御息所 に何度通ったと思っているんだ。


265:日本@名無史さん
11/11/21 16:53:01.97
>>262
有名かどうかは主観だろ。
出せばいいだろソースを。書籍名じゃなくて 早くしろよ。
お前の言うとおりだったら、なぜそれが主流の解釈ではなく辞書記載にならないのか
そういう話だ

266:日本@名無史さん
11/11/21 16:54:05.20
>>263
OKw

>>264
その通り。
処女厨涙目の事実を指摘しただけ。

浮舟では二人の男が鉢合わせなんて場面もあった。
それくらい性に奔放な時代の話なんだから、処女厨がでしゃばる話じゃねっつこと。

後は知らん。
ROMに戻るわ。

267:日本@名無史さん
11/11/21 16:57:03.57
ageて必死な人が一人いて、その人が>>247の人ってこと?
前に沸いた処女厨とは別人っぽいな。
別人とは言えキチガイなのは間違いないけど。

268:日本@名無史さん
11/11/21 16:57:48.62
1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)



ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


アホかこいつら何年検証に晒された辞典なのかわからんのか。

269:日本@名無史さん
11/11/21 16:57:55.38
ソースが辞書wwwwwwwwwwwww

いや、久々に声出してワロタwwwww

いいんじゃね?www

国語板でもできたらいいなwwww

270:日本@名無史さん
11/11/21 16:59:00.02
>>269
俺もワロタw
斬新な「資料」だなwww

271:日本@名無史さん
11/11/21 17:00:20.09
>>220
三日後だったか。

272:日本@名無史さん
11/11/21 17:01:43.58
文のやり取りが形式的って時点でもう・・・・w

273:日本@名無史さん
11/11/21 17:03:02.92
だからお前らもう触るなっつの。
スレ違いだから書かなかったけど、こいつヲチ板にも難民にも最悪板にもヲチスレがある真性キチガイなんだからな。
このスレに常駐されたらかなわん。
初日に結婚でいいだろ。
別にこいつにそう言ったところで、史実や事実が歪むわけじゃない。
こいつが納得して消えてくれたらそれでいいだろ。

274:日本@名無史さん
11/11/21 17:03:13.36
以前、「司馬遼太郎小説の何ページ何行目に書かれているから会津は正義である事は間違いない」という話を始めた馬鹿がいた。

275:日本@名無史さん
11/11/21 17:04:12.87
>>269
>>270
おまえらこの板の人間じゃないだろ?
この板の人間はそんな事はいわんぞ
なにをしに来ている?

辞書ソースは基本の基本だぞ古典や歴史の。
歴史学的不明な論争は記載されないし。明確と多数の学者に認められた物だけが記載される。
違えば誰かが修正するしな。


276:日本@名無史さん
11/11/21 17:05:24.95
>>273
なんなんだ急に沸いてきてそのレッテルは。
どこの連中だおまえらはと聞いているんだ。



277:日本@名無史さん
11/11/21 17:05:52.16
辞書ソースが基本なわけないじゃん。
辞書は曖昧で参考にならんっていうことこそ常識だろ。
以前は辞書に書いてある嘘の告発スレが別板にあったくらいなのに。

278:日本@名無史さん
11/11/21 17:06:55.54
>>277
シッ
黙ってろ

>>275
その通りです。
諸説色々あるなかで、辞書に採用されたものだけが正解です。
たとえ事実とは違っていても、辞書に載ったらそれが事実です。

これで満足っすよね?

さ。そろそろ自分の板へ戻ってください。

279:日本@名無史さん
11/11/21 17:08:32.49
>>277
>辞書は曖昧で参考にならんっていうことこそ常識だろ。

アホ。何処の常識だ

280:日本@名無史さん
11/11/21 17:09:27.27
辞書に書いてあるのが正解じゃないってのは歴史系好きなら誰だって知ってるだろ。
没年数がはっきりしないものでも、編集者の一存で勝手に決められて異論の長文を送った住人もいて
リアルタイムで文句言って荒れてたこともあっただろ。
何年も前のことだけどな。
辞書は語句が多い分、どうしても一般的に分かりやすく言葉を変えたり
そういう風に編集するので、専門的なものとしては扱えない、というのが基本。

そういうスタンスに異論があるのなら、別の資料として価値のあるソースをもってくるか
引き続き「辞書だけ」を根拠に自己主張すればいい。

ま、後者ならこのスレでは相手にされんけどな。

俺も引くわ。
マジキチ相手にしてるほど暇じゃない。
課題溜まってるし。

281:日本@名無史さん
11/11/21 17:10:27.61
はい。解散~

以後はキチガイの独り言劇場が始まるよ~

以前からのこのスレの住人はROMに徹してね~


↓↓↓↓↓↓↓

282:日本@名無史さん
11/11/21 17:10:42.36

おいおい、日本語、古典の基本ソースの日本国語大辞典にソースも無で難癖つける厨が沸いているのか(笑)
どこの厨房だ

283:日本@名無史さん
11/11/21 17:12:58.12
>>280
>辞書に書いてあるのが正解じゃないってのは歴史系好きなら誰だって知ってるだろ。

どこの国の話だ
示せよソースを。そこのここはこう間違ってます、それが国語会で今は常識ですと。
出したソースを論破できないで次のソース、次のソースでは同じ繰り返しだろ
中二病かおまえW

284:日本@名無史さん
11/11/21 17:14:14.47


おい沸いてきたキチガイこれを上回るソース持ってこい!!




1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)


ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


アホかこいつら何年検証に晒された辞典なのかわからんのか。

285:日本@名無史さん
11/11/21 17:16:24.74
これもあるぞ キチガイこれを上回るソース持ってこい!!


URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
みか‐の‐もちい〔‐もちひ〕【三日の▽餅】 平安時代、婚礼後3日目の夜に、妻の家で新郎・新婦に食べさせた祝い餅(もち)。また、
その儀式。三日夜(みかよ)のもち。 提供元:「デジタル大辞泉」





286:日本@名無史さん
11/11/21 17:26:52.95
>>237
>初日か2日目にしくじったら、3日目までに拒否されて結婚もおじゃん。

今で言えばそれは短期離婚でしょ。実例はしらんけど

287:日本@名無史さん
11/11/21 17:30:45.03





       文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)


   上記ここまでソース提示無し、名無しのキチガイが言い張っているのみ


   正解>>220 ソース有り










288:日本@名無史さん
11/11/21 17:31:39.29
>>283
一度だけマジレスするけど
辞書って何故版が重なると思う?
何度も中身を精査してその都度変えるからなんだよ。
辞書に載っているから正解、じゃなく辞書は「その時選者が一番ベストと思うもの」が掲載されているに過ぎない
だから昔の辞書と今の辞書では中身が違うことなんて多々ある

また、辞書というのは情報としては「二次情報」に当たる
これは歴史だけじゃなく今の日本の情報においてもそうだけれど
二次ソースは「誰かが情報に手を加えた形」でしか読むことができないので、信憑性に欠けるというのが基本。
誰かの手の加えられた伝聞より、その情報源を見るほうが良いというのはわかるよね。
だからこそ、この場合ソースというのは「歴史的な根拠となる資料」という一次情報が求められている。
例えば、誰それの書いた書物であるとか、誰それの紀行文であるとか。
そういう一次情報が提示できないから二次情報である辞書を持ち出して主張しているんだろうけど
裏を返せば「歴史的根拠の無い(辞書的根拠しかない)」話でしかないわけで・・・

これ以上言わなくてもわかるよね?

もうこのスレで君の相手をする人間は誰もいないと思うから、本当に自分のスレに戻った方がいいよ。
俺ももう相手にしないから。
サヨウナラ。

289:日本@名無史さん
11/11/21 17:37:10.41
なんか急に荒れてるね。
処女厨とかなに?歴史?それ
諸説あるならその諸説をだせばいいのに?
今までなかった荒れ方だね。キチガイの正体は>>167では無かろうか。急にレスが増えてるし

290:日本@名無史さん
11/11/21 17:38:41.03
>>288
>辞書に載っているから正解、じゃなく辞書は「その時選者が一番ベストと思うもの」が掲載されているに過ぎない

今載っているから問題なしだね。馬鹿かおまえ。

>裏を返せば「歴史的根拠の無い(辞書的根拠しかない)」話でしかないわけで・・・

馬鹿かお前、根拠なければ載るかアホ どんな妄想だ

291:日本@名無史さん
11/11/21 17:40:36.80
>>288
根拠がないから辞書にのってるって・・・・・・・・・・

頭痛くなってきた・・・・誰この人

292:日本@名無史さん
11/11/21 17:45:24.04
>>289
よくわからん。
軽く調べたら辞典レベルでわかりやすく解説あったから>>220に書いたら
急に発狂したキチガイが沸いてきた。

餅食うのが三日後でも三日前でもどうでもいいが、三日後でないと困るキチガイのようだ。
なんの利益があるんだろ言い張って。
ソース出せと言えば書籍名だして読めとか言わんし。
初めてだなこのスレでこんなキチガイが現れたのは

293:日本@名無史さん
11/11/21 18:09:44.83
>>249
源氏が紫上の三日夜餅をしてあげた時に乳母が
「正式な奥様にしていただいて」と感激しているから
一応「妻」になるには三日夜餅が必要だったと想像できるよ。
夕顔や朧月夜が源氏の「妻」になれなかったのは
源氏が三日間続けて通ったところで三日夜餅をしてあげた形跡がないから。
源氏がさらってきた=同居していれば妻なのではなくて、
紫上は三日夜餅がなければ一生源氏に仕える侍女兼愛人として
日陰の身の上にされてた可能性があるということ。

294:日本@名無史さん
11/11/21 18:22:01.11
>>292
そうか?
参考の資料として書籍名を出すのは結構あるだろ。
むしろ辞書をソースに主張する奴を見たのはこのスレじゃ初めてだ。

っていうか「辞書レベルでわかりやすい解説」しか出せないから荒れてるんじゃね?
他にソース無いの?
いや、無いんなら無いでそれこそもうどうしようもないし。
あるんなら出せば済むじゃん。
あるのに出せないの?
それとも無いから出せないの?どっち?

295:日本@名無史さん
11/11/21 18:27:59.09
>>290-291
ああ。わかりにくかったね。
そこだけ解説しておくよ。

辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料を提示する=辞書的根拠+歴史的根拠がある
辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料が提示できな(今の状況)=辞書的根拠のみ(=歴史的根拠が無い)

現時点では後者、ということ。
辞書的根拠しかなく、歴史的根拠が無いのであれば、このスレとしてはそれ以上議論するだけの価値が見出せない、という意味。

普通に読めばわかると思うんだけどな。
何故「根拠が無いから辞書に載っている」なんて思う人が「二人も連続で」沸いたのか、不思議だw

ま、これ以上突っ込んでもしょうがない。
結局「辞書以外の根拠は提示できない」わけだからなあ。
根拠があるのなら出して自分の主張の歴史的裏づけをすれば良いよ。
それができたら、またこのスレで違う議論もおこるだろうし、君の意見の賛同者も出てくると思うよ。
でも現時点では歴史的な根拠が無いんだから、議論しようもないし、賛同者も出てこない。
だからもうこれ以上このスレに君がいる必要性は無い。

そういうことだね。

296:日本@名無史さん
11/11/21 18:30:30.43
処女スレお留守になってるよ~
さっさと戻ってトモ叩き開始しなよw

あっちのスレでトモ叩きが無いと、こっちのスレで連投があるってわかりやすっw

297:日本@名無史さん
11/11/21 19:51:34.10
辞書は過去の研究を踏まえて書かれるのが本来的なものだが、
研究そのものが古くて既に覆されていることもあるし、
当時の研究水柔な低くて良質な研究ですらなかった場合だってあるし、
執筆者が研究の状況を知らない場合だってある。

国語辞典の執筆者が歴史学者の研究状況を知らなくてもおかしくないってわけだ。

そういうことをわきまえずに、
>辞書ソースは基本の基本だぞ古典や歴史の。
とか言っちゃう時点で、素人丸出しだな。

辞書よりも専門研究の方が優先されるのが常識。

>>284
つまり、半世紀も前の古い研究しか反映されてないわけで、
研究水準が充分に高かったとは言えんな。
>>285 の大辞泉の方が新しいだろうが、執筆者の歴史学に関する知識水準はそれなり。

国語辞典の類よりは歴史事典(国史大事典とか)のほうが信憑性は高いだろうが、
こいつだって古いしなあ。

>>295
ちゃんとした記述なら、辞書にも論拠が載ってるだろうけど、辞書にもよるしなあ。

>>296 トモって何者?

298:日本@名無史さん
11/11/21 19:59:22.19
>>238
>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。
>これを終えない限りは逆に言えば結婚が成立したとは言えない。

服藤早苗は読んでるが、そんな記述はないな。
儀式が三日間の説明はあったが、成立要件などとは書かれてない。
三日やらなかったら結婚したことにならない、なる記述もない。
あるなら示してくれ。

山岸徳平・今井源衛監修 『源氏物語』全54帖
服藤早苗 『平安朝の男と女ー貴族と庶民の性と愛ー』
川村裕子 『王朝生活の基礎知識 古典のなかの女性たち』
山本淳子 『源氏物語の時代 一条天皇と后のものがたり』



299:日本@名無史さん
11/11/21 20:03:37.71
>>295
それも詭弁だな。
辞書や辞典には個人の諸説が載っているわけではない。
現時点の総合的な見解として取り上げられている。だから辞書、辞典、
論争があるなら断定しないのが常

君が権威より権威あるソースだせばいいんだよ。
都合が悪いから他のにしてくれとかバカかね

300:日本@名無史さん
11/11/21 20:06:50.50
>>297
>辞書は過去の研究を踏まえて書かれるのが本来的なものだが、
研究そのものが古くて既に覆されていることもあるし、


それを示しなさいよ。
タラレバはソースじゃないから
どこから沸いてきているんだ、
主張をするならソースをだせ。妄想は聞き飽きたぞ

301:日本@名無史さん
11/11/21 20:28:53.99
>>295が荒らしババア>>167だな、実にわかりやすいw
辞書に載るということは一応の根拠があるということ。言わば通説的な存在。
で、それに加えてどこぞの馬の骨の文章を合わせて提示しないと主張として認めないとか
もうヴァカかとアフォかと。
つか、歴史研究には異説があるのもよくある話で(邪馬台国関連なんぞはその典型例)、
異説をソース付けて出しても反対派から反論されて論争になるだけ。
ここは論争スレではなくて回答スレじゃねーのか?

それより処女厨がどうとか、レッテル貼りが異様に好きな基地外がいるようだが、
何考えてるんだアフォがw

302:日本@名無史さん
11/11/21 20:30:34.41
>>297
>辞書よりも専門研究の方が優先されるのが常識

だからそれを示せばいいじゃない。
これが市場に広く流通した誰々さんの新説ですと。

辞書のソースとか言い出すのは悪魔の証明
編纂しに関わった学者の研究を全部並べる不可能作業。厨房の詭弁ですよ。





303:日本@名無史さん
11/11/21 20:32:22.10
1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)


URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
みか‐の‐もちい〔‐もちひ〕【三日の▽餅】 平安時代、婚礼後3日目の夜に、妻の家で新郎・新婦に食べさせた祝い餅(もち)。また、
その儀式。三日夜(みかよ)のもち。 提供元:「デジタル大辞泉」


ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


はい、キチガイはとっとと上に勝るソースを示しましょう。


                               キチガイの論拠ソースここまで無し

304:日本@名無史さん
11/11/21 20:34:50.11
>>295
>辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料を提示する=辞書的根拠+歴史的根拠がある

違うねどんなキチガイだよ

辞書に載ったことを主張する = 歴史的史料・多数学者の賛同根拠がある

間違わないでね

305:日本@名無史さん
11/11/21 20:37:00.80

なんでこの人達は>>288、辞典の記述を目の敵にしてるのw
違うなら違う根拠出せばいいのにw



306:日本@名無史さん
11/11/21 20:40:03.13
>>301
あなたこのキチガイ知ってる人?
どこから沸いてきてるのこんな馬鹿。
辞書の記述の間違いを指摘するならまだしも、辞書の正しさのソース出せとかアホな人間初めて見たわ。

307:日本@名無史さん
11/11/21 20:42:32.36
>>305
根拠がないから、辞書の記述は無かったことにしたいみたいだな。
どんな頭しているのか興味があるわ


308:301
11/11/21 20:42:35.87
>>297
>トモって何者?
毒女板の荒らしの一人。

ちなみに>>167=>>295も荒らしの一人である通称パラババア(パラおばさん)
こいつは自分勝手な妄想を盛んに主張して、受け入れられないとすぐさま発狂する真性。

309:日本@名無史さん
11/11/21 20:45:41.54
だから、一次史料を出してきて説明すればいいんだよ。
ウィキとかから引っ張ってきて説明しようとする人は何?
歴史学者どころか
一次史料すら読めない人が回答しても意味ないと思うんだけど

310:301
11/11/21 20:53:53.25
>>306
こいつは恐らく、毒女板や鬼女板、男女板などを根城に荒らしてる、通称パラババア。
パラとはパラノイアの意味で、文字通りの基地外ババア。
元々は、毒女板で平安時代は非処女婚が当たり前だと主張してその根拠として>>167
持ち出したところ、>>220みたいなレスがつきまくってフルボッコされて逃亡し、ここで
>>167をレスして、(多分自演で)賛同レスを付けて、元々の毒女板でここのレスを都合の
いいやつだけ抜き出してコピペw
日本史板の住人は>>167に賛同してると吹きまくってますw

311:日本@名無史さん
11/11/21 21:03:04.27
>>310
まじかよやっぱキチガイか

そもそも、この件
後朝使や三日の餅などは、重明親王の結婚とか徽子女王の入内儀などが史料だから
1日目2日目でドタキャンとか有り得ないんだよ。
入内の段階でもう嫁という認識なんだからさ。
いつ結婚が成立しているかと言えば、入内決まった段階なんだよ。

312:日本@名無史さん
11/11/21 21:09:39.44
まあ藤原北家の娘とかなら親が入内させる気でいるから変な男は近寄らせないだろうな
文なんざ書いても女房が破り捨てるわな
他の家はちょっと高貴な男が来たらその貴族の子を産ませる為にホイホイ寝所に案内するもんかもしれないけど

313:日本@名無史さん
11/11/21 21:18:17.10
それに、結婚前に夜ばいだが普通とか言ってるが、がっちり親と女房が
ガードしてて光源氏みたいな速攻レイプとかしたら人呼ばれてフルボッコだわ。
史料読めば、娘の母親が娘の男性選びを行っているような話が多くて、近寄ってくる
男は排除されてる。
たとえば、大和物語(76)には、
桂のみこの 御もとに嘉種が来たりけるを 母御息所、聞きつけたまひて、
門をささせたまうければ、夜ひと夜立ちわづらひて、かへる」
といって、孚子内親王のもとに、源嘉種が通っているのを母親が門を閉めて
追い出したとある。自由恋愛なんぞないんだよ。ちょっといい娘生まれたら
後宮政治の為になんとかして女御にして入内させようと時代なんだから。
キズもんの娘など末代までの恥という時代で、二夫にまみえずが普通。
当然再婚とかは例外の希少例なんだよ。希代の女性の再婚なんか幾つあるよ。


314:日本@名無史さん
11/11/21 21:29:07.52
>>310
>日本史板の住人は>>167に賛同してると吹きまくってますw

なにそれw


315:日本@名無史さん
11/11/21 21:36:14.99
>>313
未婚の娘を親や女房がガードしていたというのは同意だが、
「二夫にまみえず」まあ、これは違ったと思うな。
親の同意があれば再婚は可だった。再婚した女性の例も多いよ。

藤原能子=醍醐天皇女御→醍醐天皇没後、藤原実頼室
婉子女王=花山天皇女御→花山天皇出家後、藤原実資室
藤原尊子=一条天皇女御→一条天皇没後、藤原通任室

清少納言、和泉式部、大弐三位、小式部内侍などにも再婚歴がある。

316:301
11/11/21 21:44:49.33
>>314
このスレの806以降w
処女だけど処女厨が嫌い Part26
スレリンク(sfe板:806-番)


ちなみに、これの129が、このババアが毒女板も荒らしていたことを自白したレスw
処女だけど処女厨が嫌い Part26
なお、このスレも、実はパラババアが乱立させた重複スレw
スレリンク(sfe板:129番)n

317:日本@名無史さん
11/11/21 22:10:53.19
>>216
自分の記憶によると、西郷派と岩倉派が対立するごとにオロオロしっぱなしで、
征韓論で揉めた時は自分で判断できずに泡吹いて倒れてた気がする
非常にかっこ悪い印象で描かれてるね
>>217
>>生前に正一位を賜った最後の人であり、近代唯一の太政大臣、臣下として初めての大勲位菊花大綬章叙勲

確かにすごい実績だけど、なぜこんな評価が高いんだろう?
気が弱くて重大な判断を下せなかった、リーダーシップが取れなかったり、
部下たちをまとめられなかったわけだし・・
家柄が良かったのかも知れないけど、それだけで上記の実績は出ないよね

318:日本@名無史さん
11/11/21 22:15:46.94
>>315
>再婚した女性の例も多いよ。

多くないだろ3例じゃ。
それに、訳あり再婚だろそれらは。普通の経過じゃない。


319:日本@名無史さん
11/11/21 22:19:00.93
>>317
維新派の公家のトップだからじゃないの!?

320:日本@名無史さん
11/11/21 22:22:41.19
>>318
えっ?
どんな訳あり?
どれも藤原元子みたいな親の同意を得ない駆け落ち再婚じゃないけど?

321:日本@名無史さん
11/11/21 22:27:13.23
>>316
酷いね。
要するに、処女で嫁に行ったか行かないかの下らない喧嘩かw
例外はあれど処女で結婚したに決まってるじゃないか。
元服した男(12歳前後)以上の男には、兄弟ですら顔も姿も見せてはいけない時代に
自由恋愛が出来るかってのw 

322:日本@名無史さん
11/11/21 22:28:16.77
>>320
あげるなら調べろよ自分で3例なんだから。
異例な再婚なんだから。


323:日本@名無史さん
11/11/21 22:29:45.34
盛り上がってると思ったらまだこの話題やってんのか

324:日本@名無史さん
11/11/21 22:31:44.34
再婚例追加

藤原繁子(藤原道長の叔母)=藤原兼家先室→離婚後、平惟仲室
藤原遠量女(藤原道長の従妹)=藤原兼家後室→兼家没後、藤原顕光室
普子内親王(醍醐天皇皇女)=源清平室→清平没後、藤原俊連室

325:日本@名無史さん
11/11/21 22:34:17.33
>>324
はい6例ぽっち。

どこが多いの?

326:日本@名無史さん
11/11/21 22:35:35.57
二人以上の男性と結婚、もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性
県犬養三千代
清少納言
赤染衛門
伊勢
小式部内侍
軽く調べてこんだけいた

327:日本@名無史さん
11/11/21 22:37:17.59
>>324
それとさ、一夫多妻制の時代に側室(愛人格)あげたら本末転倒だぞ。



328:日本@名無史さん
11/11/21 22:38:29.82
>>326
>こんだけいた ×

その程度しかいない。
おまえら、日本の貴族歴史を汚したいチョンかよw

329:日本@名無史さん
11/11/21 22:50:20.32

キチガイは平安時代の結婚が家格の結婚だという認識ないんだな。

基本は同格の家同士、再婚事例を見ると、縁故での救済的な側室待遇、
家同士の格差が大きい場合、政略性の観点での再婚、幼少時の縁故組で
男が夭逝したので後に再婚、そういった事情が大体ある。
マンガ読み過ぎると恋愛結婚があったように勘違いするし、そんな妄想で
ブログ書いている馬鹿多いけど全部アホ。


330:日本@名無史さん
11/11/21 23:09:47.66
あと、統計端から無視して「多いだの少ないだの」言う奴はこのスレの住人じゃないだろ。

多い少ないの主観ばなしは馬鹿だからやなんだけど。
現在が再婚が”多い”と基準置くとしてこれ見ろ

厚生労働省:1 婚姻の推移
URLリンク(www.mhlw.go.jp)

平成17年で婚姻が70万、その内再婚が20万 つまり28%
これを元に話せよ。平安時代の記録に出てくる人物で再婚してるのが
28%もいるかよ。1%にもならないだろ。
男は側室取り放題の時代にも関わらず再婚などにたどり着けた女は一握りの更に一握り。

ソース見ないでも普通にわかるだろうがこれくらい。

331:日本@名無史さん
11/11/21 23:12:55.39
>>319
維新派の公家のトップでも、先頭に立って下の人間を引っ張ったとか、
重大な局面で英断を下したとか、そういうのがないしね
完全に岩倉に出し抜かれていた感じだし、気が弱くて特にこれといった事してないんじゃね
一応、建前上維新派公家のトップとしてそれなりの高位にいたとしても、
>>217に挙げられているような前人未踏の実績をもらう(与えられる)必要はないよね


332:日本@名無史さん
11/11/21 23:19:25.33
百人一首の女流歌人を集めてみた
・付きが複数の男性と結婚もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性
○付きはそれ以外の結婚した事がわかっている女性
○持統天皇
小野小町
・伊勢
右近
○藤原道綱母
○儀同三司母
・和泉式部
○紫式部
・大弐三位
・赤染衛門
・小式部内侍
○伊勢大輔
・清少納言
○相模
周防内侍
祐子内親王家紀伊
待賢門院堀河
皇嘉門院別当
式子内親王
殷富門院大輔
○二条院讃岐

333:日本@名無史さん
11/11/21 23:45:09.98
>>332
その程度、しかも殆ど側室(愛人)な。
上に書いただろ。キズもの女はそういう扱いの時代なんだよ才があっても


334:日本@名無史さん
11/11/21 23:55:09.25
>>333
額田女王って知ってるか?

335:日本@名無史さん
11/11/21 23:59:19.04
>>332
小式部内侍とか再婚じゃなくて私生児産まされてるんですけど・・・・
そういうのカウント大分入ってるみたいだけど

336:日本@名無史さん
11/11/22 00:02:18.69
>>334
知ってるけど、そういう推理小説真に受けるより、史料確認できる
藤原多子(二代の后で有名)の方がまだマシなんじゃないの?

337:日本@名無史さん
11/11/22 00:07:33.55
なんか、上げキチが暴れてるみたいだな。

338:日本@名無史さん
11/11/22 00:16:55.87
皇極天皇ってたかむき

339:日本@名無史さん
11/11/22 00:20:14.22
>>338
ミス
皇極天皇は最初高向王に嫁いで男児をもうけたが舒明天皇の皇后となり舒明天皇の死後は皇極・斉明天皇として即位
舒明天皇との二皇子は後の天智、天武天皇

340:日本@名無史さん
11/11/22 00:33:15.49
>>331
いやだから、功績に応じた報償はするけど、トップは何もしてなくてもトップの褒賞をもらうという事じゃないの。
三条みたいな上流の公家を神輿として担いでおかないと色々と横やりも入るだろうし。

341:日本@名無史さん
11/11/22 00:39:34.44
>>339
それ飛鳥時代だけどw

342:日本@名無史さん
11/11/22 02:50:24.77
百人一首で言うと、蝉丸は謎が多いな

343:日本@名無史さん
11/11/22 08:09:49.79
スレの住人さんにまず謝っておく。
毒女板のキチガイが迷惑かけてごめんなさい。

それと
>>310あたりのキチガイ

悪いけどそれは私じゃない。

ついでに私は男女板も鬼女板も根城にしてない(この時点で既に妄想)
鬼女板は空気があわなくて特定の情報系スレのみROMってる状態だし
男女板にはもう何年もROMすらいってない。
私が普段いるのは、独身女性限定板と女性板(これも3つほどスレをROMってるだけ)と冠婚葬祭板くらい。
後はお前らと被ってないから申告はしない。

前に書いたことを繰り返すけど、お前らキチガイを相手にするのはもうやめた。
過去も私とババアちゃんが同一人物だ、やれパラババアは千葉ババアの自演だとホザきまくるキチガイだったけど
今度は別板の住人とまで同一人物認定するようなキチガイとこれ以上は本当に付き合いたくない。

時間って有限なの知ってた?
お前らがこのスレで暴れてる間に、世の中の人はいろんなことしてるって知ってた?
いい年して女に相手にしてもらえない売れ残り無職ニートにとってはいくらでも暇な時間はあるかもしれないけど
私にとっては凄く大事なものだってここしばらくで特に思ったから、本当にこれ以上お前ら相手にすることは無い。

このスレも一応、住人に迷惑かけたのとアホが喚いてるから説明しにきただけで
これ書いた後はすぐにログは消す。
引き続き自演だパラだファビョーンファビョーン祭りを開催したいなら、好き勝手やってくれても良いけど
できればそれはお前が建てた毒女板のスレでやって。
これ以上このスレの住人に迷惑かけんな。
そんだけだわ。

では、失礼。

344:日本@名無史さん
11/11/22 08:43:56.75
1978年刊行・朝尾直弘編 小学館・ジュニア日本の歴史4 戦国の争い 97頁左上に載ってる
刀に寄り掛かってクネっとポーズ取ってる立ち姿の
茶筅(ちゃせん)まげ結ってる若い侍風の美少年の肖像画が有るんだど
なんてタイトルの絵画か知ってる方いたら是非とも教えて下さい、お願いします。
東大史料編纂室や国会図書サイトをググっても出て来ません。恐らく安土桃山から戦国時代に描かれた絵だと思います。

345:日本@名無史さん
11/11/22 10:04:42.10
>>343
なに寝言言ってるんだw
これからおもしろくなるってのに。
今更見つけたおもしれえおもちゃ逃がすかよ。
どこまでもスネークしてやんぜババアw クックク


346:日本@名無史さん
11/11/22 10:49:51.10
>>327
そこであげているのは全部正室ですが?
それから正室も側室も妻ですよ。
源倫子は正室だけど源明子は側室だから妻ではない、
側室ならば夫藤原道長以外とでも自由恋愛だったといいたいのですか?
なら、天皇も正妃である中宮以外の女御・更衣は天皇以外とも恋愛自由の側室になってしまいます。
尚、愛人関係はあげていません。
(和泉式部は正式な結婚が2回あったということです。
親王2人との不倫はカウントしていません)

347:日本@名無史さん
11/11/22 11:30:33.34
>>321
兄弟ですら顔も姿も見せない女が体の関係を結ぶ時代に何言ってんだw

348:日本@名無史さん
11/11/22 11:35:04.55
>>327は当時の制度を理解してないんじゃね?

当時は一言で言うなら「一夫多妻」
一人が正妻で後は愛人、というのではなく、力があれば一人で何人も妻がもてた。
そのうちの一番格の高い女が正妻と呼ばれるだけ。
側室を愛人扱いするのはおかしい。

349:日本@名無史さん
11/11/22 11:37:53.18
>>330
ソースに文句つけるつもりはないけど、それ分母おかしいだろ。

「1年間の婚姻件数」からみた「1年間の離婚件数」の割合が28%であって
「既婚者全体が離婚する確率」が28%じゃない。

その統計そのものは間違っていないが、そこから「28%が離婚している」なんて言うお前の主張は明らかにおかしいだろ。

第一「1%にもならない」の根拠も不明。

350:日本@名無史さん
11/11/22 13:52:36.76
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています

「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット

「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」

「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット

「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット

他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください


351:日本@名無史さん
11/11/22 14:45:06.85
>>346
キチガイさんお帰り

>そこであげているのは全部正室ですが?

赤染衛門は再婚してない。
清少納言は私生児2人 結婚してない。妾
伊勢は初回女房仕えで天皇のお手つきで親王産む、次の親王でも女房仕えでお手つき子供設ける。2回とも結婚してない。
和泉式部も最初は女房、次は召人なので結婚してない。妾

アホですか

352:日本@名無史さん
11/11/22 14:45:49.62
>>347
日本語話せよ

353:日本@名無史さん
11/11/22 14:46:53.65
>>348
>側室を愛人扱いするのはおかしい。

おかしくないね愛人だからねえ。

354:日本@名無史さん
11/11/22 14:47:30.08
>>349
1年当たりで見る事が出来ない出来ない馬鹿ですか?

355:日本@名無史さん
11/11/22 14:49:45.81
>>346
>>347
>>348
>>349

なんか>>343のキチガイがまだいるんですけどw

356:日本@名無史さん
11/11/22 15:02:36.10
>>351
話にならんわ。

赤染衛門→再婚に上げてないが?
清少納言→枕草子読めよ。最初の夫が登場するから。
伊勢→再婚に上げてないが?
和泉式部→和泉式部って夫の官職から名前がついたんですが?

平安時代は結婚制度が存在しなくて、愛人しか存在しなかった、
男女はすべて愛人関係だったという妄想で話す凄い人ですね。

357:日本@名無史さん
11/11/22 15:05:30.33
>>351>>353
同じ奴が連投する意味あるか?
変な奴が常駐してるな
まずは尊卑分脈でも読め
「室」と書かれてあるのに「愛人」と読み替える馬鹿

358:日本@名無史さん
11/11/22 15:07:00.72
>>351
残念。
当時の史料に「室」と書いてあります。
ということで君が基地外決定です。

359:日本@名無史さん
11/11/22 15:37:44.96
>>356
お前が書いた設定だぞ

・付きが複数の男性と結婚もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性

 「・」が見えないか

・伊勢
・和泉式部
・大弐三位
・赤染衛門
・小式部内侍
・清少納言


>平安時代は結婚制度が存在しなくて、愛人しか存在しなかった、 ×

ブブーー飛鳥、鎌倉時代から婚姻令がありました~~

婚姻令
男は十五歳、女は十三歳以上
女側はその祖父母・伯叔父母・兄弟・外祖父母の承諾を得なければならない
媒人を必要とする
正妻一人

360:日本@名無史さん
11/11/22 15:40:02.51
>>357
>まずは尊卑分脈でも読め

ブブーー 異本が多くアテになりませんーー(常識)

361:日本@名無史さん
11/11/22 15:40:45.13
>>358
>>360 ブブーー

362:日本@名無史さん
11/11/22 16:33:31.73
普通に考えて、一夫多妻制なんだから女が複数の男と関係を結ぶか結婚しない男が増えるかのいずれかだろ
儀同三司母(高階貴子、従一位摂政関白太政大臣藤原道隆の妻で正二位内大臣藤原伊周や中宮定子の実母)のように大貴族の正室だの天皇の后は離婚も再婚もまず無い訳だから数を合わせるにはそうするほか無い


363:日本@名無史さん
11/11/22 16:40:10.45
>>357=>>343=パラババア乙w

364:日本@名無史さん
11/11/22 16:47:38.30
側室を愛人と思う人は確かに多いけど、側室は正式な「妻」ぞ
勘違いしてるアフォがこのスレにいるとは思えんが

【側室】wiki
正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。
正妻、本妻とも言う。
律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。
これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。

正室=第一夫人
側室=第二夫人以下

こういう並び
大辞泉にもそう載っている。
辞書は根拠なんだよな?w

365:日本@名無史さん
11/11/22 17:22:45.31
初歩的な質問ですみません

秀吉が一代で終わってしまった理由を独自の見解でも良いので教えてください
色々本を読んだんですが、いまいち納得できません

366:日本@名無史さん
11/11/22 17:28:51.68
現代人が言葉だけで無理なく意思疎通図れるのって何時代まで?

367:日本@名無史さん
11/11/22 17:31:52.34
>>364
>側室は正式な「妻」ぞ

なんて書いてないね。勝手に妄想乙

368:日本@名無史さん
11/11/22 17:40:46.22
ついでに言えば

第一夫人 = 第二夫人以下

なんて書いてないから。

結婚の順番じゃないしね。

一夫多妻制というのは現在の結婚制度から見て、そっち寄りという意味しかない(妾を不法とする条項がなかった)。
律令下で一夫一妻多妾性だから。
頭悪いキチガイは、律令での嫡妻とそれ以外の側室の権利関係調べてご覧。
正室も側室も同じ「妻」?馬鹿言うなよw マンガじゃないんだって。

369:日本@名無史さん
11/11/22 17:44:06.24
>>359
おまえ、別の奴にレスしてるだろ。
再婚例をあげた>>324に対して>>327がその中には
妻ではない愛人が含まれているとレスを返すから
>>324 に愛人は含まれていない(妻しかあげていない)と返したんだが?
>>324に愛人が含まれてないのだからお前のレスは見当違い。
見当ちがいのアンカつけて基地外もいいとこ。


370:日本@名無史さん
11/11/22 17:45:10.52
>>366
地域にも寄るけど明治ぐらいじゃないかな。
青森、沖縄だと戦前あたりでも大分怪しい

371:日本@名無史さん
11/11/22 17:50:28.12
>>368
馬鹿すぎるな。
律令の「戸令」のことを言っているのならば
庶民は一夫一妻制で側室や妾を持つことを禁じていた。
そのために夫婦関係に対する取り決めがあった。
しかし、これは天皇や貴族には該当しない。
現に天皇は皇后、夫人、嬪など多くの妃を持つことを許されていて、
皇后以外の妃たちに相続が普通にされていた。
貴族も同様。
で、君がいう「律令」の記載ってどんなもの?
中宮以外の天皇の妻は愛人なので、女御や更衣は自由に浮気し放題で
天皇以外にも自由にいろんな男の種を産んでいたのか。
女御腹の男子が天皇になったり、
側室腹の男子が摂関になった例も多いのにね。

372:日本@名無史さん
11/11/22 17:53:50.25
>>366
明治以降、義務教育で全国共通の「標準語」を学ぶようになったことで
随分意味が通じるようになったらしい。
昭和30年代以降のテレビ放送開始以降は、日本全国ほぼ皆標準語を
口語で話すことができるようになった。
この世代以降だと、日本国内で会話ができないということはまずない。

373:日本@名無史さん
11/11/22 18:05:22.01
>>370 >>372
トン
って事はドラマ「仁」のような展開はありえないってことだね


374:日本@名無史さん
11/11/22 18:23:36.24
>>373
「東海道中膝栗毛」の原文を読むと江戸時代の江戸の言葉が分かるよ。
確かに現代人の言葉とは違うんだが単語は共通するものが多く
完全に「何を言っているのか分からない」というわけではない。
語尾やイントネーションはだいぶ違うけれどもまあ、同じ日本語なので。
平安時代ぐらいになるとほぼ源氏物語を原文で朗読するような世界なので
漢字で書いてもらえれば筆談で意味は通るだろうけど口語ではほとんど外国語常態かも。

375:日本@名無史さん
11/11/22 18:44:54.43
>>367
スマン
引用箇所間違えた

>現在では側室を正室以外の「妻」と定義(『大辞泉』)される

上のは「正室」のwikiだったw

376:日本@名無史さん
11/11/22 19:04:36.03
>>374

なるほどなるほど・・・・うわあなんかワクワクするなぁ

377:日本@名無史さん
11/11/22 20:05:30.50
>>371
>愛人なので、女御や更衣は自由に浮気し放題で

そもそもそんな時代じゃないんだが。自由恋愛病だなおまえ何度も言うけど。
さすがナントカババアとか異名を持つだけあるね。
来ないと言ったのになにしてんだい?

378:日本@名無史さん
11/11/22 20:07:05.58
>>373
孫生まれて田舎帰って爺さん婆さんの言ってることが孫がわからんなんてのもまだあるしね。


379:日本@名無史さん
11/11/22 20:13:25.71
>>375
???

1.そく‐しつ【側室】
貴人のめかけ。そばめ。⇔正室/嫡室。 大辞泉
URLリンク(dic.yahoo.co.jp)

しかもキチガイさんのソース(wiki)ではご丁寧に

 >本来は正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」である
 >この点で、家族の一員としての妻が複数存在する「一夫多妻制」とは厳密には異なる

側室 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

だってさ




380:日本@名無史さん
11/11/22 20:26:24.32
要は>>313
>キズもんの娘など末代までの恥という時代
とか書いたのがおかしいだろ
小式部内侍は二人の男との間に子供がいんのに左中将(のち参議、従二位権中納言)藤原公成の息子を出産している
Wikiによると二十代で死んだらしいし

381:日本@名無史さん
11/11/22 20:30:39.50
>>380
だから恥知らずなんでしょ。
今でも、殺人犯とか強姦魔とか恥知らずな時代だけど、いるよね。
なにがおかしいの。

みんなが平和を願えば戦争はなくなるとか8/15日に叫んでる人の仲間かな君
おめでたいねえ



382:日本@名無史さん
11/11/22 20:37:10.81
そう言えばさぁ

>律令の「戸令」のことを言っているのならば
>庶民は一夫一妻制で側室や妾を持つことを禁じていた。 >>371

この規定「戸令」に見つからないんだけど、脳内かなぁ。


383:日本@名無史さん
11/11/22 20:55:56.58
文徳、陽成、光孝、宇多、醍醐天皇も女御の腹ですね
なぜ父帝は皇后をとらなかったのかなあ

桓武帝は正妻の子じゃないんだな
まあ井上内親王の廃后が原因ではあるけれど

平城、嵯峨、淳和天皇兄弟も淳和天皇だけ母が違って正妻の子じゃない

384:日本@名無史さん
11/11/22 20:58:24.57
>>371
律令の制定当初は中宮と皇后は同義語だったのに、
いつの頃からか同格の異なった地位、にかわったんだっけ。
皇后と中宮と、二人の正妻がいる?

>>374
漢字で書いても通じないと思う。
あの時代に漢字仮名交じり文は充分には普及してなくて、
むしろ「漢字表記=漢文(擬漢文)」のはずだよね。
実際には、あまり漢文に似せることができていない、エセ漢文の場合が多かったようだけど。

385:日本@名無史さん
11/11/22 21:18:00.16
>>384
>律令の制定当初は中宮と皇后は同義語だったのに、
>いつの頃からか同格の異なった地位、にかわったんだっけ。

ちゃうちゃう、皇后居るところが中宮だったわけ「宮」は場所。

よって、皇后、大皇后、を中宮と言ってもよかったわけ。場所だから

皇太子を「東宮」と言ったりするのと同じ。

当然 2后が立つようなドタバタもあるにはあって、新しく立后したのを中宮、

前のを皇后とか変則的な事もあっただけ。基本、中宮、皇后についても律令があったので

これは例外



386:日本@名無史さん
11/11/22 23:21:26.15
>>365
秀吉が死ぬ前に後継者に引き継ぐ事が出来なかった。それが全て。秀次に引き継いで、
次は秀頼に回せと遺言を残すべきであった。

387:日本@名無史さん
11/11/23 09:20:55.54
>>340
>>トップは何もしてなくてもトップの褒賞をもらうという事じゃないの。

そのトップとしての褒賞が前例から見ても過剰すぎるんじゃないのかなって言う疑問
それプラス、トップのリーダーシップや決断力のなさから考えたら余計にそう思う

388:日本@名無史さん
11/11/23 10:29:29.59
>>387
だって三条の褒賞が上限になって、他はそれ以下の報償しか貰えないんだから、過剰なくらいにと
岩倉辺りが運動するだろ。リーダーシップとか関係ないし。

389:日本@名無史さん
11/11/23 11:12:33.88
史上最低の総理と言われる鳩山さんとか、史上最悪の総理と言われる菅さんが
歴代首相でももらってない最大級の勲章を天皇陛下から賜るような感じ?

390:日本@名無史さん
11/11/23 15:56:38.81
>>379
wikipedea書いた人(素人)の間違いっぽいね。
その辺の間違った記述が2次3次ソースになって間違ったまま覚えている人はかなりいると思う。
通常の結婚でさえ法律婚じゃない時代から側室はただにセフレから実質正室扱いまで様々というのが
正しいけど、律令的には正妻は一人の一夫一婦制なんだよね日本は。
その辺の男女の色恋をおもしろおかしく脚色してねじ曲げた2次小説多すぎ。

391:日本@名無史さん
11/11/23 16:59:13.08
>>389
後醍醐天皇の建武の新政では鎌倉幕府を倒すのに功績のあった武士にあまり恩賞が無くて、
公家ばかりが恩賞をもらった。そんな感じ。明治維新の時は三条だけでなく実際に功績のあった
西郷や木戸らにも報賞があったから異論は出ないということ。

392:日本@名無史さん
11/11/23 17:11:57.17
>>390
だって紫式部が光源氏の正妻の葵の上を六条御息所にとり殺させたりするんだもん…
てか後冷泉天皇や鳥羽天皇って皇后が三人いたんだな
二条天皇も高倉天皇も皇后の子じゃないな
高倉天皇の母、平滋子は女御

393:日本@名無史さん
11/11/23 20:53:40.30
関ヶ原から豊臣滅亡までなんで15年もかかったのですか?
家康はマジで豊臣を残そうと考えてたのですか?


394:日本@名無史さん
11/11/24 03:05:36.42
「一つの大名家としてなら残してやってもいいよ。でも大阪城からは出て行ってね。減封もするよ」
「イヤざます。日ノ本はうちの子のものざます。減封など論外ざます」
「あ、そ。じゃ、消えて」

395:日本@名無史さん
11/11/24 04:09:02.69
>>392
>てか後冷泉天皇や鳥羽天皇って皇后が三人いたんだな

律令に反してどっちも皇后にしなきゃならんというのは、
正室と側室にそれほど立場上の開きがあったということだよ。


396:日本@名無史さん
11/11/24 04:46:06.51
毒女板のキチガイババアとやらの無知をまとめておくな。
同意レスが付いているが多分同じ奴の自演だろう。この馬鹿自演ぶりは板住民ではあり得ない。

【キチガイのまとめ結論】
   >1.そく‐しつ【側室】貴人のめかけ。そばめ。⇔正室/嫡室。 大辞泉
   >URLリンク(dic.search.yahoo.co.jp)

【無知を強弁したキチガイの書き込み(おそらく一人の自演)】
   >346 :2011/11/22(火) 10:49:51.10
   >>>327
   >そこであげているのは全部正室ですが?
   >それから正室も側室も妻ですよ。

   >348 :2011/11/22(火) 11:35:04.55
   >>>327は当時の制度を理解してないんじゃね?
   >当時は一言で言うなら「一夫多妻」
   >一人が正妻で後は愛人、というのではなく、力があれば一人で何人も妻がもてた。
   >そのうちの一番格の高い女が正妻と呼ばれるだけ。
   >側室を愛人扱いするのはおかしい。

   >364 :2011/11/22(火) 16:47:38.30
   >側室を愛人と思う人は確かに多いけど、側室は正式な「妻」ぞ
   >勘違いしてるアフォがこのスレにいるとは思えんが
   >【側室】wiki 正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。
   >正妻、本妻とも言う。
   >律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。
   >これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。
   >正室=第一夫人 側室=第二夫人以下 こういう並び
   >大辞泉にもそう載っている。辞書は根拠なんだよな?w

スレリンク(history板:346番),348,364,379


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch