日本は百済の属国だった 3at HISTORY
日本は百済の属国だった 3 - 暇つぶし2ch449:日本@名無史さん
13/01/27 13:34:18.25
阿蘇の剥片尖頭器の時代は約2万5千年前のもので、2万9千年前に大規模な噴火があって、夥しい火山灰が体積したようである。
従って剥片尖頭器はこの大噴火の後からやって来た人たちが使ったものであろうと推測される。
噴火の後、朝鮮半島から多く渡来したようだ。
朝鮮半島で見付かった石器は殆どこの剥片尖頭器であったからである。
特に最近韓国の龍湖洞で出土した剥片尖頭器は4万年前のものと断定されている。
九州一帯にはこれら韓国から移住して来た人たちがいたのだろう。
2万7千年前、海水は110mも低く、朝鮮半島は大陸と一続きになっていた。
その時朝鮮半島と日本は海域がずっと狭かったから渡りやすかったのではあるまいか。
その後6000年前ぐらいになると、現在の海水面と同様になって来るのだが、北九州と韓国の深い繋がりを示唆する発見があった。
韓国の南の島・慶尚南道の煙台島(ヨンテド)で、1988年この島の貝塚から約6000年前の人骨が15体も見付かっている。
それらは国立晋州博物館に保存研究されているが、発掘調査に立ち会った鹿児島女子短大の竹中正巳教授(形態人類学)は、
その当時韓国に招かれ調査に参加したのだが、そのうちから2体だけを復元し、煙台島人(ヨンドジン)と命名され、
九州北部にある縄文人の特徴をそっくり持っていたようである。
どちらにも耳の下に瘤のような突起物があり、外耳道骨腫(がいじどうくつしゅ)は冷たい海で潜水すると、
そのような突起物が出て来るようである。
遺伝的ではないが、海の民びとは、海峡を挟んで同じ文化を持っていた可能性がある。
更に韓国・全羅南道の安島(アンド)から、6000年前の人骨5体が発掘された。
所謂安島人(アンドジン)であるが、腕を組んだままの男女の人骨には韓国中が沸き上がったようである。
安島人にも骨の瘤が見付かっている。
そして重要なのは黒曜石も見付かって、この産地は佐賀県の腰岳であることが断定された。
海を通した交流があり、北九州地方の縄文人の人骨と酷似していた。


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