【阿曇氏】海人族【宗像氏】at HISTORY
【阿曇氏】海人族【宗像氏】 - 暇つぶし2ch44:日本@名無史さん
12/07/25 06:51:21.43
>>32
安曇族は、越後姫川沿いを山越え南下し、安曇野へ到達したらしいね。
その目的は、信濃の黒曜石入手だったと推測されているらしいね。

45:日本@名無史さん
12/07/26 18:37:26.31
>>44
能登に志賀町安津見があり、この勢力でしょうね。でも、穂高神社の「祭神」
「御船祭り」から、そんなに古くなないと思います。能登で取れる「えごのり」
が、安曇野の一部「エゴ・イゴ」、博多の「おきゅうと」として食べられているので、
同じ安曇でしょうけどね。


46:日本@名無史さん
12/08/30 21:03:49.90
>>44
千国街道を南下し、安曇野に入植したのですね。
”安曇野は本来小谷から始って佐野坂峠、仁科三湖を経て、大町、池田松川までを北安曇郡といい、
有明、穂高、豊科(現安曇野市)を南安曇郡として行政区分されているが佐野坂峠を越えて白馬、
小谷(おたり)までを安曇野という訳である。このルートを日本海の糸魚川まで千国街道が縦断して
いて塩尻に至る。この街道は塩の道として有名・・・・持ち込んだ殖産は生糸と水銀や製鉄の技術・・・”
奴国 2011/1/23(日) URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

47:日本@名無史さん
12/08/30 22:22:08.76
>>45
推古天皇三十二年四月
「壬戌以観勒僧為僧正以鞍部徳積為僧都即日以阿曇連闕名為法頭 」
(阿曇連を以って法頭とす。)

孝徳天皇白雉四年
「或本於五年七月云僧旻法師臥病於阿曇寺於是天皇幸而問之仍執其手曰若法師今日亡者朕従明日亡 」
 (或る本に、僧旻法師、阿曇寺に臥病す。)

蘇我馬子が、推古天皇に葛城県を賜らんことを願い出た時に、阿曇連が使者となっている。
蘇我氏の仏教が百済であり、阿曇の新羅仏教を吸収して飛鳥仏教が花開いたのだろう。

48:日本@名無史さん
12/08/30 23:36:58.00
>>39
和邇氏ばかりか、葛城氏も海人族だったの?
”葛城氏は黒潮海人族で紀氏や和邇氏等の海人族と関係が深く、難波、紀伊を結ぶ
海難要路を確立し、西日本や海外との積極的な交渉・・・・・・”
2011.05.26 安曇氏・資料(南方神話と古代日本)
URLリンク(nigihayahi91.blog65.fc2.com)


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