農民を語るat HISTORY
農民を語る - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
11/01/09 15:36:21
農民にも蔭姓があったって本当?

3:日本@名無史さん
11/01/09 18:50:00
うそ

4:日本@名無史さん
11/01/09 23:54:46
地区によって違う>>2

5:日本@名無史さん
11/01/10 02:49:39
結婚で姓は減って行くのだが。
江戸時代母方の姓をどうやったら伝えられるの。

6:日本@名無史さん
11/01/10 03:02:03
>>4 マジか。詳しく教えて下さい

>>5 書物じゃないんですかね?

7:日本@名無史さん
11/01/10 03:13:23
農村は文盲だらけだし。
今でさえ祖母の旧姓なんて知ってる人はほとんどいないでしょう。せいぜい男系の姓しか引き継げないから伝承される姓はかなり減るはず。

8:日本@名無史さん
11/01/10 20:47:45
はあ?大体、子どもの数が多かったし、養子とかのシステムがあっただろ。
今の感覚で昔を語るなよ。

9:日本@名無史さん
11/01/10 21:23:08
>>7釣られるのもなんだが、
普通、祖母さんの実家ぐらいなら付き合いあるんで無いの?
うちは、高祖母の実家(さすがに父系のみ)までは親戚付き合いしてるけど・・・

あと、村の口伝も意外とバカにならないぞ、「あの家はどこの家から嫁を貰った」だの
「そこの家の先祖はあの家の分家だ」だのと自分の家の事より詳しかったり、
「他に関心が無いのか?」と思うほどw

さて、どっかでも書いたけど、
漏れの近くの村(南東北、因みに村高は622石2斗7升)での事例(嘉永五年)
惣百姓47人(軒)のうち
片寄次郎右衛門
同  又右衛門
同  幸右衛門
同  庄兵衛
同  市之丞
同  作 十
〆六軒
(以下同様にして)
木村:13軒、 林、榊原:各1軒
山野辺:3軒、 大和田:2軒
八幡:6軒、 守山、新妻、大泉:各1軒
久野;3軒 菅波:3軒、 吉田:3軒(4名の名前有り)
「村惣〆拾三真ヶ」(まけ:親類の意)

郷宿を勤めた家の「日記」より (この年、日記の筆者がこの村の名主を兼帯)
参考まで。

10:日本@名無史さん
11/01/10 21:28:37
平泉澄「百姓に歴史はありますか。豚に歴史はありますか」

11:日本@名無史さん
11/01/10 21:37:38
>>10 wwwwww

12:日本@名無史さん
11/01/10 21:39:32
柳田国男は史学会の例会で疑問を述べた。
百姓なくして、庶民なくして、日本に文化も歴史もありえなかったではないか。いったいあなたは、何を思いあがっているのか
平泉は蒼白になったという。


13:日本@名無史さん
11/01/10 22:25:03
>>8 >>9
統計学者の調査でわずか2世代で15000もの姓が消滅しているそうだ。
朝鮮や中国の漢族では300ほどしか姓がない。

14:日本@名無史さん
11/01/10 22:38:41
>>13

元の書き込みこれだろ?

・江戸時代の農村の大半は100人ほどの閉じた共同体なので、名字があったら結婚でどんどん種類が減っていくはず。
 中国(漢民族)はあれだけ人口が多いのに300-500程度の名字しかない。
・明治、大正の人が農民に名字がなかったと「勘違い」するはずがない。
・現代人は名字のない生活が理解できず、当然あったに違いないと思い込む。
・江戸時代の農民の8割程度は文盲。かなり読み書きができたというのは武士と商人が集まった江戸での話。
 農村に残る文書の多くは限られた富農(名字がある)に関するもの。

「減っていくはず」のどこが調査なんだw

15:日本@名無史さん
11/01/11 01:20:03
>>14 これな。
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
日本人の名字の統計解析 東京工業大学大学院情報理工学研究科

明治8年当時から現在に至るおおよそ3~5世代の経過のうちで失われた希少姓の数が、
相当なものであったことを強く示唆する。シミュレーション結果を単純に過去に3次スプライン
補間すれば、例えば過去1世代および2世代の間にそれぞれ6,300種類、15,000種類あまり
の名字が失われたという結果を示す。

16:日本@名無史さん
11/01/11 01:22:21
>>14
もし明治に伝承された苗字をつけたとするといろいろと矛盾が起きる。

URLリンク(www.nihonjiten.com)
「藤原」姓の都道府県別ランキング
秋田 14位
岩手 15位
兵庫 5位
島根 4位
岡山 3位
広島 17位

「藤原」は「源」や「平」と同じく賜姓なので、まともな家柄なら
「藤原」と付けるはずがない。九条とか京極ならともかく。

17:日本@名無史さん
11/01/11 02:01:12
ヨーロッパでも庶民が名字を使用するようになったのはこの500年ほどのこと。

URLリンク(www.geocities.jp)
Q:庶民に名字が付いたのはいつから?
A:庶民の間に名字が普及するのは、宗教改革後

URLリンク(okwave.jp)
16世紀ごろから庶民でも名字を名乗る人が増えたらしい(10世紀ごろからちらほらいたとい
う説もある)。

18:日本@名無史さん
11/01/11 07:31:46
庶民に名字があったのを「発見」したのが洞富雄の1951年の論文というのが
またあやしい。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
庶民の名字説の嚆矢となったのが昭和26年(1951)の洞富雄の発見

明治に生きた学者が庶民に実質的に「名字があった」と誤解するわけがない。
彼らは庶民がまったく名字が必要ない世界で生きていることを熟知していたはず。


19:日本@名無史さん
11/01/11 09:26:41
>>15

p.64
名字の継承を Galton-Watson 型分岐過程モデルを設定しているが、その妥当性が怪しい。
世代交代毎に名字を継承する次世代の世帯数がランダムに増減するという仮定をおこない、そのモデルをもとに
計算を行っているが、江戸時代は土地を持った農民は自分の次の世代にその土地を継承させなければならなかっ
たから、養子でもなんでもおこない無理矢理継承したわけだ。このモデルが妥当とは思えない。

小作が多世代繰り返されて、自分の本家が分からない場合には、>>16のように「藤原」だろうが何だろうが明治時代
に勝手に名字をつけたのだろう。

20:日本@名無史さん
11/01/12 00:44:41
>>19
江戸時代にも子がいない夫婦は結構いたはずだが、男の養子をとった場合その養子は自分の「隠し名字」を伝えるのか養子先の「隠し名字」を伝えるのか?

韓国は捏造してまで族譜を作る習慣があるが、日本人は4代遡った先祖なんてほとんどの人は知らない。

21:日本@名無史さん
11/01/12 01:57:36
Galton-Watsonはマルコフ過程を前提としている。そもそも名字の継承は、過去の口伝によるものが多いから、
マルコフ過程には全く当てはまらないだろ。

>>20
名字を含めて土地や資産を継承して欲しいがために養子取ったのに、継承しないんじゃ意味がないだろ。

22:日本@名無史さん
11/01/12 07:23:30
>>21
幕府によって違法とされた名字まで継承する義理なんてないだろ。
明治以降の戸主制度の価値観と混同している。

23:日本@名無史さん
11/01/12 07:42:06
「家名」を重視するというのは明治以降になって庶民に下りてきたことなのに、
(農民だったのに武士気取りになって)江戸時代からそうだったと思い込む
のは馬鹿げている。

24:日本@名無史さん
11/01/12 21:57:44
>>22
はあ?なんで違法な名字を継承するのが「義理」なんだw
自分のアイデンティティを保持していくのは当然だろ。

>>23
だから地方によって違うんじゃないの?
継承する必要がないトコはしなかっただろうし、自分の先祖がどこから来たかどこの出か
伝承する必要があったトコはした…と。

25:日本@名無史さん
11/01/12 22:01:26
>>24
URLリンク(dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080)(4)_524-535.pdf
文部省年報掲載の調査報告 自分の名前が書ける人の割合(%)

青森県 1881年 男子 37.39 女子  2.71 全体 19.94
鹿児島県 1884年 男子 33.43 女子 4.00 全体 18.33

武家を除けば農民の識字率なんて2割切るだろうな。
どうやって祖先の姓を受け継ぐんだ?


26:日本@名無史さん
11/01/12 23:35:37
口伝だろ。昔はTVもラジオも無かったから、昔話などをするしか長い夜を過ごす方法は無かったんだよ。
実際に、どこの家の家系は近江のどこの村から来て、どこの町に一旦定着して…なんて話が残っている。

27:日本@名無史さん
11/01/13 00:06:26
韓国人は族譜(デッチアゲも多いそうだが)によって1000年前までの祖先
を記録する民族。日本人は一握りの名家を除いて3代以上前の祖先
の名前すら関心を持たない民族。全然民族性が違うんだよ。

農民にとって重要なのは「家名」を継ぐなどという抽象的なことではなく
実子がない場合自分の老後を見てくれる養子を取ることだけ。「家名」
なんてどうでもいいんだよ。

28:日本@名無史さん
11/01/13 00:12:35
なんで、全く関係ない韓国を持ち出すw

29:日本@名無史さん
11/01/13 00:30:05
>>28
名前つながりで言えば、江戸時代の女性の庶民の名前は「りう」だの「かめ」だのだったのに
のに明治に入ってしばらくすると皇室を真似て「〇子」なんて付けるようになる。
それで馬鹿な連中は「〇子」が昔から庶民の女性の名前だったと思い込んでいる。

30:日本@名無史さん
11/01/13 00:56:46
馬鹿なマスコミは、「○仁」が昔から皇族の男性の名前だったと思い込んでいるけどな。

いずれにせよ、>>29はどこがどう>>28へのレスなのかわからないし、
何でこんな所でまで、韓国について語らなくちゃ気がすまない人がいるのかもわからない。

31:日本@名無史さん
11/01/13 01:09:46
四月一日灵异事件簿(23)
URLリンク(video.sina.com.cn)

32:日本@名無史さん
11/01/13 01:11:47
>>30
悔しかったら曽祖父母の名前言ってみろよ。生活に必要もない名字なんてすぐわすれるよ。

33:日本@名無史さん
11/01/13 01:36:04
はあ?悔しいって何が? あほ?

34:日本@名無史さん
11/01/13 01:42:56
韓国の方は祖国を愛していらっしゃるから
いつでもどこでも、全く無関係なところでも
自分の国について語らなくちゃ気が済まないんだよ。
放っておいておやり。

35:日本@名無史さん
11/01/13 07:29:30
それくらい日本の庶民は祖先の素性に関心がないんだよ。関心があるなら識字率が上がってみんな詳細な系譜を作るはずだろ?

36:日本@名無史さん
11/01/13 07:32:45
文盲の時には必死に祖先の素性を語りました。字を読み書きできるようになったら祖先のことに関心が無くなりました。

ってあり得ない。

37:日本@名無史さん
11/01/13 08:37:25
なんで>>28に対して>>29みたいな、
>>30に対して>>32みたいな返答になるんだろう?
言ってることが、相手の発言に全く対応してないじゃん。
不思議。

38:日本@名無史さん
11/01/13 09:55:19
どこにでも涌くのかよ・・・
無節操な奴等。

39:7
11/01/13 20:36:03
地方によるのですかね
(うちは安政6年、火事で焼けてしまったので、)文久3年に寺の過去帖を写して
新調した「過去帖」には、「養母@@村、大河原氏」(嘉永2)、「妻**村、大谷想兵衛娘」(天保11)
「法印浄胤、●●院二十一世、当村産鈴木氏」(寛政3)
なんて感じで頻繁に苗字が出てくるので、つい殆んどが持っている物だと思ってますた。
うちも分家でしたが、一応苗字持ってましたし(公称は寛政10から)・・・


40:39
11/01/13 20:53:53
あれ?前レス9だったw失礼

41:日本@名無史さん
11/01/13 21:12:21
俺のトコは、昔からこの地区に逃げ込んだコトが史実から明らかな亡命大名と
同じ名字だからな。多分その子孫だろ。

42:日本@名無史さん
11/01/13 23:36:45
>>41
その大名の名を詐称しているって可能性も高いのでは?

43:日本@名無史さん
11/01/14 01:02:29
>>39
兵衛って元は官職で、地位か財産があるってことでは?


44:日本@名無史さん
11/01/14 22:00:25
>>42
田舎は狭いから、そんなモン詐称したら白い目で見られるだろ。


45:日本@名無史さん
11/01/14 22:32:33
明治に農民が姓を許された時の安易なつけかたを思えば
実際は無関係だけどあやかってつけたというのは十分ありな気がする

46:日本@名無史さん
11/01/14 23:30:11
仮に伝承があったとして、網元の偉い人が魚の姓を付けても気にならない程度
のものだからな。ちなみに奇妙な魚の姓は昭和30年頃に無難な姓に改姓したら
しい。

47:日本@名無史さん
11/01/14 23:37:04
鱸とかですか

48:日本@名無史さん
11/01/15 02:13:16
全国に1000世帯ほどいた鱸さんは、全員鈴木さんに改姓したらしい。
っていう、ホントのような嘘のようでいて実際にはホントでない話。

49:日本@名無史さん
11/01/15 08:21:15
ちなみに沖縄でも戦後結構本土風への改姓の例がある。

50:日本@名無史さん
11/01/15 10:55:44
>>49
沖縄出身の「玉城」さんって子に
君の苗字は、本当は「たまぐすく」さんなんでしょ?、って聞いてみたら
「え??たまきですよ?」って言われた。

沖縄って行ったことないからよくわからんが、
どんなもんなんだろう?昔の読みなんて、忘れちゃってる人が多いのかな?

51:日本@名無史さん
11/01/15 16:41:41
>>45
没落士族の名を勝手に騙ったとか?

52:日本@名無史さん
11/01/15 19:14:10
>>45
田舎の姻戚関係の強さを勘定に入れていない。

>>51
没落した人もいる。逆にかなり隆盛してたトコもある。それだけ。

53:日本@名無史さん
11/01/15 19:15:37
農民のコトばかり問題にしてるが、戦国時代の武士だって、関係無いトコから
勝手に名字付けたりした例あるんじゃないの?

54:39
11/01/15 23:55:51
>>53
ちょうど、今日、旧藩士(150石、明治3年)の子孫の人と新年会で一緒だったのだけど、
その方曰く「1561年に今の姓になったと云う記録は有ったのだけれど、その前や、その由来は分からない」
とのことでした。
序でに、うちとこの苗字は江戸時代の初期、土着記念にに出来たものらしい、
(その成立については、市内の同苗でも系統により異同がある)


55:日本@名無史さん
11/01/16 12:12:24
江戸時代の一般的な農民の生活はどんなものだったのでしょうか?

56:日本@名無史さん
11/01/16 16:47:15
藩によってかなり差があったんじゃない?
東北や薩摩なんかは北朝鮮人民以下だったろうし。

57:日本@名無史さん
11/01/16 17:30:42
東北でひとくくりにされても…。

山形なんか、和算が盛んで、難解な数学を農民が解いていたじゃないか。
それだけ余裕があった。なぜなら、やませが奥羽山脈でさえぎられるからな。

58:日本@名無史さん
11/01/21 11:59:43
ふーん

東北の盆地より、空っ風吹く北関東の群馬や栃木のほうが、大変そう

59:日本@名無史さん
11/01/22 10:51:11
庄内藩は善政だったのか?
即身成仏しないと浮かばれないほど怨念があったろうに。


60:日本@名無史さん
11/01/22 13:46:14
まあ、とりあえず新兵器を買って、あくどいコトした薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちにしたり、
東北諸藩を「鎮撫」しようとやってきた薩長兵をより少ない兵員数で撃破したりしているな。

61:日本@名無史さん
11/01/23 13:34:05
>>60
で、庄内藩士の血の気が濃かったことと庄内藩の生活水準に、いったい何の関係が?

62:日本@名無史さん
11/03/17 19:37:00.60
荘園から語ろうぜ

63:日本@名無史さん
11/03/17 21:51:40.60
幕末関東における貨幣経済による農村の荒廃と大原幽学について考える

64:イケメン2号
11/03/19 11:25:33.86
漏れの父の先祖は代々農家で仏壇には1650年代からの墓誌が
納められているけど全部苗字が書いてあるよ。

65:日本@名無史さん
11/03/21 16:44:34.39
もう庶民の多くに名字がなかったと結論が出たよ。

66:日本@名無史さん
11/03/21 16:57:28.49
そういうのを強弁っていうんだね。詭弁の一種だね。

67:日本@名無史さん
11/03/21 19:10:19.66
もう終わった話だから。

68:日本@名無史さん
11/03/25 06:41:12.71
名字の話はもういいから
どんな生活水準だったのか聞きたい、特に食生活

69:日本@名無史さん
11/03/25 16:48:46.49
農民といっても、リッチな奴から水飲みまで

70:日本@名無史さん
11/03/25 17:27:59.32
リッチな水飲みもいたらしいけど。

71:日本@名無史さん
11/03/25 23:14:14.86
戦国時代の最下級農民より、江戸時代の水飲みのほうがひどい暮らしだった

72:日本@名無史さん
11/03/26 14:30:01.86
江戸時代に入ると平均気温が低下して、かつ人口が増えるからな。

73:日本@名無史さん
11/03/26 18:54:57.34
因島には米を作る農民は、ほとんどいなかった
米とは鉄製品と交換する物、戦国以前は奪う物


74:日本@名無史さん
11/04/02 02:16:26.56
江戸の身分制より前は兼業が当たり前で、農民兼商人だったり
多様だったんじゃなかったか

75:日本@名無史さん
11/04/02 03:08:46.37
>>74
江戸時代になってからも米と綿花とか野菜の栽培みたいな二毛作は普通。
当然作った商品作物を売る商人でもあった。

兼業とかそういう教科書的な話じゃなく。
因島の話とかも同じ。
生活していくために色んな事をしていた。

76:日本@名無史さん
11/04/09 17:18:07.81
伊藤博文のスレ

77:日本@名無史さん
11/04/09 20:34:36.88
>>71
戦国時代の隷属農民のがきついだろ

78:日本@名無史さん
11/04/23 12:53:57.53
税も不作の時は免除されてたんだよな~

79:日本@名無史さん
11/04/23 14:33:49.14
「百姓=農民」じゃないんだね。

80:日本@名無史さん
11/04/23 20:56:00.01
人民よ
一向革命をおこすのら

81:日本@名無史さん
11/04/24 01:03:29.88
戦国 戦死
近世 病死
近代 戦死

畳(ござ、土間)で死ねる分遥かにマシだろ

82:日本@名無史さん
11/05/12 00:28:28.53
地主と小作人

83: 忍法帖【Lv=20,xxxPT】 【東電 77.7 %】
11/06/11 12:01:32.63
てs

84:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】
11/06/11 18:28:09.79 BE:3988483698-2BP(791)
sssp://img.2ch.net/ico/onigiri2.gif
  時計の伝来

 日本には、古代は時計がなかった。中華から水時計が輸入され、天皇が使っていたらしいが、時刻を計るという風習を一般に広めてはいなかったようである。時刻を計るには、太陽の動きを計測し、時計をつくる必要がある。
 日本の朝廷において、太陽の動きを観察していたのは陰陽寮だ。のち、安部清明を祖とする土御門家に完全にのっとられてしまう部署である。
 しかし、民間に日本において、時刻を知らせたのは、寺の鐘の音だった。これは、インドから伝わったものである。日本の民間の時刻の概念を導入し、思考させてくれたのは、道教による陰陽師ではなく、仏教による仏僧であった。
 ここにおいて、日本には、インドの時間の概念が仏教によって導入されたことがうかがえる。太陰暦を司ったのは、陰陽師であるけれども、民間に時を知らせたのは仏教の寺であった。
 日本は、道教より、仏教に大恩ある国であることが示される。


85:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】
11/06/11 19:23:05.69 BE:553956825-2BP(791)
sssp://img.2ch.net/ico/onigiri2.gif
いつの間に、日本史板ってこんなに荒れたの?

86:日本@名無史さん
11/06/14 23:09:56.43
てめえみたいのがいるからだ屑

87:日本@名無史さん
11/07/15 23:29:14.44
こんばんわ

88:日本@名無史さん
11/07/20 14:46:00.31
ここは屑ばかりですね

89:日本@名無史さん
11/08/14 02:50:38.21
age

90:日本@名無史さん
11/08/14 05:10:24.68
武装開拓農民が武士の起源

91:日本@名無史さん
11/11/14 14:34:46.05
だいたいあってる


92:日本@名無史さん
12/02/11 18:20:34.73
あげ

93:日本@名無史さん
12/04/28 22:45:02.46
あげ

94:日本@名無史さん
12/05/05 03:17:20.23
日本農民党代表豊臣秀吉

95:日本@名無史さん
12/06/03 00:28:38.49
あげ

96:日本@名無史さん
12/06/04 03:18:06.26
憲法・みどり・農の連帯
代表幹事 安藤昌益
常任幹事会座長 寺田農

97:日本@名無史さん
12/06/04 06:02:56.92
ここは屑ばかりですね




98:日本@名無史さん
12/06/04 23:11:19.98
江戸時代、庄屋は、千歯こき、とうみ、 などを使い
効率を良くした。戦国時代当時の百姓の年貢は年間米俵3~6俵 ほどだったらしい。


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