11/05/06 12:19:06.26
39 :日本@名無史さん:2011/04/30(土) 23:11:24.25
>>37
リアルタイムの北条氏は武闘派と見られていたようだが。
氏康は、武田家遺臣の記した甲陽軍鑑でも
「分別あり」として、名将の一人に数えられている。
常に少数の軍勢で管領殿(上杉憲政)の軍勢に勝った、
大きな負けを嫌い慎重に戦う、といった評価。
謙信と信玄は別格として扱われており、両者との敗北は
一般的な敗北には数えない、という姿勢だな。
ただむしろ、甲陽軍鑑が謙信の猪突を
レベルの低い行為とみなしている、そういう
プロの価値観も忘れてはダメだよ。
派手なことができないからダメ、というのは現代の価値観。
40 :日本@名無史さん:2011/05/01(日) 09:39:21.38
甲陽軍鑑は信頼性に難のある史料、特に他国の記述はあてにならない
上杉友貞なる架空の人物が登場したり(謙信が人質の子供を真っ二つに切るエピソード)
桶狭間の義元討ち取りは信長の謀略によるとされていたりで話にならん
氏康は武田が駿河争奪戦で勝った大名だから
信玄の箔付けに持ち上げられてるだけだろう
武田家臣「氏康は強かった、そしてそれに勝った信玄公は最高に強い!」
と言いたい訳だ。
当時、北条の半分程度の国力しかなかった武田に駿河を奪われた氏康のマヌケさは噴飯もの
信玄が過大評価される最大の理由は氏康にあると言える