鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話at HISTORY
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話 - 暇つぶし2ch803:日本@名無史さん
12/06/24 19:03:32.83
>>802
妄想乙です! もう、バ○かと!
日本をつぶす気かと・・・!(笑)

804:日本@名無史さん
12/06/24 19:34:14.49
とりあえず「大東亜戦争への道」を読むといいよ
時系列で何が起きたかを淡々と書いてるだけの本だが
どういう経緯で日本が戦争に引きずり込まれたかよくわかるから

最初に手を出してきたくせに
嘘八百こいて自分を被害者に見せかける中国のやり方は
戦前も今の尖閣諸島問題でも全く変わってない

805:日本@名無史さん
12/06/24 19:52:43.33
>>804さんへ。
>>803です。
冷静なあなたを尊敬します。
ご教示の「大東亜戦争への道」を読んでみることにします。
では、これで!

806:日本@名無史さん
12/06/26 01:17:23.56
近、現代史好きなやつは、大体変なやつが多いよ。

807:日本@名無史さん
12/06/28 16:55:06.02
話の投下が少なそうなので小話をば

洋の東西を問わず、弓の技術を鍛えまくると腕の形が左右非対称になるという話があるが、
与一の名で知られている弓の名手・那須宗隆に至っては
鍛え過ぎて腕の形どころか長さ自体が左右非対称になっていたらしい。


808:日本@名無史さん
12/07/01 00:40:12.96
伝承で残るってのは見た目でわかるくらいっつーことかね

809:日本@名無史さん
12/07/05 09:13:25.88
転載

> 851 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 21:52:44.76
> 後三年の役における源義家の戦後処理
>
> 4 千任丸の舌
> 次ぎに、千任丸が召し出された。
> 義家は言った。「先日、矢倉の上で言ったことを、今、もう一度言ってみろ。」
>
> 千任は、頭を垂れて何も言わなかった。「その者の舌を切れ」と義家は命じた。
>
> すると、源直という者が、千任に近寄って、手でその舌を引出そうとした。
> 義家は、激怒しながら、
> 「虎の口に手を入れるのは、愚かなことだ。」と言って、源直を追い払った。
> 特に力自慢の兵を幾人か呼び寄せ、その中からとっておきの猛者を選んだ。
> その者に焼けた鉄を掴む金ばさみを取らせ、舌を挟んで抜くように命じた。
> ところが、千任は歯を食いしばって口を開こうとしない。
> 猛者は、金ばさみで歯を突き破り、ついにその舌を引き出し、これを切ってしまった。
>
> 千任の舌を切り終わると、縛り上げて、木の枝につり下げ、足を地に着かない程にして、その足の下に、武衡の首を置いた。
> 千任は、泣きながら足を縮めて、何とか主人の首を踏まないように我慢をした。しかししばらくして、力尽き、足を下げて、ついに主人武衡の首を踏んでしまったのであった。
>
> URLリンク(www.st.rim.or.jp)


810:日本@名無史さん
12/07/06 08:03:53.61
義家は平安時代だろ

811:日本@名無史さん
12/08/01 00:04:27.56
義家ってこういうのあるからイメージ悪いなあ
頼朝が義家の真似して泰衡の額に五寸釘うったんだっけか

812:日本@名無史さん
12/08/04 10:36:42.68
>>810
このスレ、院政期は範疇。んで、後三年の役は白河院の院政期。

813:日本@名無史さん
12/08/22 19:50:02.37
>>811
源義家は、衝突した美濃源氏の館を焼き討ちしましたとさ。

814:日本@名無史さん
12/08/22 21:11:14.35
聖人君子で名を成したわけじゃないんだし、なんでそんな事でイメージ悪くするかね?

815:日本@名無史さん
12/08/23 00:32:07.43
清和源氏は完全に戦闘民族だよなー
RPGとかの悪の帝国のキャラがそのまま務まるレベル

816:日本@名無史さん
12/08/23 01:15:19.36
>>814
敗者に対して情けを掛けず虐待するのは、日本人のメンタルと
合わない気がする。

817:日本@名無史さん
12/08/23 01:16:30.37
そんなメンタルは江戸期以降のものだし

818:日本@名無史さん
12/08/23 20:17:54.65
       (~)
     γ´⌒`ヽ      
      {i:i:i:i:i:i:i:i:}    
     ( ´・ω・`)  北条義時は、国家のためには、不忠の名をあまんじて受けた。
     / >‐ 、-ヽ  すなわち自分の身を犠牲にして、国家のために尽くしたのだ。
   /丶ノ、_。.ノ ._。)  その苦心は、とても軽々たる小丈夫にはわからない。
.  〈 、〈Y ,ーiー〈ト  頼山陽などは、まだ眼孔が小さいわい。おれも幕府瓦解のときには、
   \_ξ ~~~~~~Y  せめて義時に笑われないようにと、幾度も心を引き締めたことがあったっけ。
     |__/__|   
      |、,ノ | 、_ノ


819:日本@名無史さん
12/08/23 21:07:25.44
>>814
だが結局源氏嫡流は断絶したのであった。

820:日本@名無史さん
12/08/23 21:16:47.59
断絶したのは河内源氏頼朝流だけだが

821:日本@名無史さん
12/08/23 23:53:01.72
ら、頼朝流?

822:日本@名無史さん
12/08/23 23:55:34.39
で、良い話悪い話はどうなってんだ。
揚げ足取りしかいねえじゃねえか

823:日本@名無史さん
12/08/24 01:06:29.92
817のような何故このスレにいるのか
誰にも理解できない門外漢のいるスレで
何言ってんだ?

824:日本@名無史さん
12/08/24 16:48:16.90
NHK BSプレミアム『桃源紀行 七つの幸せ"鎌倉編"』
出演レポーター・ナレーター:アンジェリカ
●放送日:2012年8月14日
19:30~
アンジェリカオフィシャルブログ
寝ても覚めても夢の中
URLリンク(ameblo.jp)


825:日本@名無史さん
12/10/08 20:21:50.03
「国宝神護寺三像とは何か」を読みましたか?

826:日本@名無史さん
12/10/09 08:46:22.21
戦国スレと違って過疎ってるな。
みんな中世は興味無いんかな?

827:日本@名無史さん
12/10/09 11:47:09.47
>>826
戦国時代と違って、現代の似非日本人では理解できない破天荒な人達が多すぎてついて行けないから。

828:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/10/10 21:56:49.61
「日本史総合」の方がよかったかもしれませんね。
料理スレも最近まで江戸時代限定で書き込みにくかった。

829:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/10/10 22:05:28.28
>>685
別当寺のことでは。

>>706
『真言伝』の中で、病の時も飲酒しないことが美談となっているぐらいですから。
(室町時代の往来物には、五辛を薬とすることの是非を問答したものがある。)
平安後期の「起請文」の中にも、「杯を重ねない」と書かれています。
社交上必要な場合もあったので、なかなか非難もしがたいといいますか、そういう
のも当時の現実ですので、今から悪くは言えませんね。
法華八講も、僧侶が俗人に接待で酒を飲まされたのがきっかけで創始されています。

830:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/10/10 22:12:54.34
>平安後期の「起請文」の中にも、「杯を重ねない」と書かれています。
言うまでもありませんが、これを書いたのは僧侶ですよ。
起請文を「 」付きにしたのは、後代の定型がまだ完成されていないので。
『松屋筆記』は『宋高僧伝』の例を僧侶を酒で供養した例の初見としています。
成立年代は、平安初期の供養・飲酒を記す『三宝絵』の方がやや早いですが。

831:日本@名無史さん
12/10/11 17:22:55.67
>>826
まとめが機能してないのもあるかも

832:日本@名無史さん
12/10/14 01:06:52.86
>>826

ぶっちゃけ、学問板だから敷居が高いのよ。戦国板みたいに 雑談で盛り上がったり、後世(江戸中期以降)出典の俗説めいた逸話を出すのも気が引けるし

833:日本@名無史さん
12/10/14 07:53:31.73
日本史板もどこも俗論と雑談だらけだと思うが…

834:日本@名無史さん
12/10/14 10:32:19.67
学問板のくせに敷居が高いとか誤用しちゃうのかよwwwwwwwwwwwwwwwwww

835:日本@名無史さん
12/10/22 18:24:37.02
>>812
院政期も可ということで

白川院が休んでいた時にうなされていたことがあった。
「適当な武具を枕元に置いておけ」との言葉があり、

源義家にそれを取り寄せたので、義家は黒塗りの檀弓を一張差し上げた。
それを枕元に立ててからはうなされることもなくなり、院は感心した。

院が「この弓は前九年の役に持っていったものか」と尋ねたところ、
義家はよく覚えていない旨を答えたので、上皇は自分の活躍を自慢しない
義家の謙虚さを感じ、それもまたしきりに感心したということである。

(宇治拾遺物語)

836:日本@名無史さん
12/10/22 22:18:39.99
にきにきにんにんっ!

837:日本@名無史さん
12/10/23 07:59:01.49
日本人の謙遜の美徳の歴史半端ねぇ

838:日本@名無史さん
12/10/26 00:41:00.79
>>832
ぶっちゃけあっちは小説レベルの眉唾な話も普通にガンガン出てくるが
こっちは一応学問板としてのプライドからか信憑性が低いと書きづらいのもあるんかね

839:日本@名無史さん
12/10/29 02:24:48.52
ばさら大名の服装などがわかる絵ってどんなものがありますか?

なかなかそれっぽいのが見つからないんですが。
ネットではゲームの絵ばっかり出てくるし、良い本もなかなか見つからなくて…。
佐々木道誉も地味な坊さんっぽい絵しかわからず…。

840:日本@名無史さん
12/10/29 22:51:11.49
神護寺三像は、絵絹が日本産であったとしても、足利3人衆で揺るがないね。

841:日本@名無史さん
12/10/31 02:23:07.47
尊胤法親王は後伏見天皇の皇子で、天台座主まで務めた宮であるが、
正平一統が崩壊した後、南朝方によって吉野山中の柴の庵に幽閉され、
それを山本三郎という者が命を受けて厳重に監視していた。

2ヶ月程経って、親王の病態が日増しに悪くなるという噂が立ち、
親王は「峯を通る山伏でもいないか、病気退散の祈祷をさせたい」
と望むので、警護の武士たちがあちこちに散らばって探した結果、
その翌日に尊そうな山伏を3人連れて来た。親王はたいそう喜んで、
枕元に招いて祈祷をさせたところ、2日程で全快したというので、
山伏にお布施を賜った。そして武士たちにも祝賀の酒を賜ったので、
彼らは夜の更けるまで歌い騒いでいた。
山伏たちは暁にも出発しようというので、まだ暗いうちに立ち去った。

するとその日の昼頃であったろう、急に「宮がいらっしゃらぬ」と騒ぎ立ち、
慌ててあちこちの関所に人を走らせて山伏を追わせたが、すでにその前に
関を通り抜けて、夜には興福寺に着いていたとか。これは、親王の門弟・
律師元祐という者がかねがね計略を練り、自ら山伏姿に身をやつし、
それも親王の身を潜ませるには十分な大きさの笈を背負っていって、
まんまと連れ出していたことが後で分かった。それからは皇居の監視を
一層厳しくしたので、さまざまな計略があっても成功しなかったという。

842:日本@名無史さん
12/11/02 22:40:28.27
様々な計略って何やったんだろ。
しかしこういうことを一度やると本当に病気の時に信用してもらえなくて不便だろうな。

843:日本@名無史さん
12/11/26 21:33:52.56
あげ

844:日本@名無史さん
12/12/01 21:41:45.19
五月五日に賀茂の競馬を見ました。私(吉田兼好)の乗っていた牛車の前に
見物人が立ちふさがったので降りて近づいたが、人が多くて行けなかった。

そんな時に向こうの家の木に登って、枝の又に腰掛けて見物している僧がいた。
彼は枝につかまったままぐっすり眠っていて、落ちそうになって目を覚ますことが
何度もあった。その様子を見た人がこれを馬鹿にして笑い「大馬鹿者だ。
こんな危ない枝の上で安心して眠れるわけがないだろ。」と言った。

それを聞いて私は心にふと思いつくまま「私たちが死ぬ時はいまかもしれない。
それを忘れて見物などをして一日を過ごしている。この僧よりも愚かなことをして
いるともいえるのに…。」と言った。

すると前にいる人たちが「誠にその通りです。私たちが一番の愚か者です。」と、
皆が後ろを振り返って「こちらへどうぞ。」と場所を空けて下さった。

これほどの道理は誰だって思いつくはずのことだが、時機が時機だけに思いがけなく
ハッとしたのかもしれない。人は木や石ではないから場合によっては物に感じることも
ないわけではない。(徒然草)

845:日本@名無史さん
12/12/02 03:16:24.38
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
というところですかね

846:日本@名無史さん
12/12/05 22:16:10.84
源頼朝はいつも倹約を部下に指導してきた。ところが藤原俊兼が
美しく鮮やかな衣服を身に着けているのを見た頼朝は俊兼に命じて
その刀を取り、俊兼の着物の裾を断ち切った。

そして頼朝は「お前は働きのある男だというのに何故質素倹約を
履行しないのか。千葉常胤や土肥実平などのような者は鎧冑を
身に着けた武士で、礼儀作法を知らない。また、その領地はお前とは
比べものにならないほど大きいものだ。

つまり、彼らでさえ質素を実行して家を富まし、たくさんの士卒を
養っておるのだ。有事の時には功を立てようという志からである。
お前は何故それを考えないのか。」と俊兼を戒めたのであった。
(大日本史)

847:日本@名無史さん
12/12/15 14:32:59.36
礼儀作法を知らないのがなぜ質素倹約につながるんだ

848:日本@名無史さん
12/12/17 21:32:13.60
北条時宗は剛毅な人柄で幼い頃から弓を射るのが上手だった。

弘長中に鎌倉の極楽寺の屋敷で弓の大会が開かれた。この時、将軍が
小笠懸を見たいと言ったのだが、進んで引き受ける者はいなかった。

その時、北条時頼が「太郎が致しましょう。」と言った。当時の時宗は
十一歳であったが、馬に乗って出て見事に一発で命中させた。

見ていた多くの人々は歓喜の声をあげ、時頼もまた「この子は将来
きっと親の業を受け継ぎ、すぐれた者となるだろう。」と言った。
(日本外史)

849:日本@名無史さん
12/12/17 23:54:46.74
よくある眉唾ものの与太話だな。

850:日本@名無史さん
12/12/18 05:24:48.84
でも、時宗ならやりそうって思ってしまう。
はったりに強い=大舞台で強いって感じで。

851:日本@名無史さん
12/12/18 07:59:29.01
武家として日本で最高の英才教育を受けてたはずだしね

852:日本@名無史さん
12/12/19 13:38:36.00
その逸話、元は一度失敗して再チャレンジして成功させた話じゃなかったっけ?

853:日本@名無史さん
12/12/19 23:47:09.54
馬がいつもと違う馬でタイミングが狂ったけど
パルティアンショットで射抜いたって話もあるな。

854:日本@名無史さん
12/12/23 01:47:53.93
東北院は古い御跡で池山の景色など、すばらしく風流な場所だったので、
たびたび若い公卿殿上人が来ては琴・笛・歌などを楽しんだ所であった。

高倉院の時代、藤原実宗、藤原実家、中将泰道、隆房、平維盛・資盛、
源雅賢などはいつも打ち連れて遊ぶ人々であった。

治承の頃であろうか。月も花もさかりなる夜、例の人々は一緒に東北院で
遊んでいた。その日は景色もすばらしく優美で風情のある夜であった。
実宗は琵琶を弾き、資盛は箏を、泰道と維盛は笛を、隆房は笙の笛を
吹き合わせて、いつもより楽しい遊びとなった。

暁方程になって隆房、維盛、雅賢などは朗詠、催馬楽、今様をとりどりに
歌い、夜が明けるのを名残惜しんで「今宵は本当に心に残る遊びだ。」と
言い合った。彼らは「この中で誰が先に亡くなって偲ばれることになるの
だろう。」と言っていたのだが、

六、七年程経って思いもよらず世は乱れてあらぬ世となり、中でも特に若い、
将来も華やかであろうと思われた維盛兄弟が亡くなってしまった。残った
人々は口に出して酷く悲しんだ。年を経て東北院に集まってもあの夜の
ことを言い出して皆が袖を絞った。本当にさぞかし悲しいことであった。
(平家公達草子)

855:日本@名無史さん
13/02/19 09:36:42.14
逸話というより、昔話として読んでいただければ・・・。

赤松満祐は隣国の敵と和睦の後、互いに会盟せんと約して、15~6騎で国境へ向かっていった。
城を出ること3~4里、満祐はむこうの山に大蛇を見た。
十丈はあるかと思われるその大蛇は、山腹を横に這っており、
これに気付いて逃げ出した離れ牛を追いかけて呑み込んだのである。

満祐は「凄まじき有様だ」と馬を留め、守りを固めていたのだが、
この大蛇はどうしたことか、山を下るごとに次第に細く小さくなり、
麓に達した時には2尺ばかりの小蛇になってしまった。
そして、この小蛇は、舞い降りた鳶に掴み上げられ、辻堂の上で裂かれて食われてしまった。

満祐はこの様子をつらつらと見て、
「大蛇の時は牛さえ呑んだというのに、小蛇となれば鳶にさえ食われてしまった。
儂が数千騎を従え、いくつもの城に拠っているときなら大蛇が牛を呑むがごとくだが、
今、15~6騎で敵に出会うということは、小蛇が鳶に会うということに等しいではないか。」
と、会盟の場に行くべきではないと判断し、帰城したそうだ。

(播陽因果物語(播陽万宝知恵袋))

856:日本@名無史さん
13/02/20 23:50:54.95
大蛇は災害の象徴とかいうけど関係あんのかな

857:日本@名無史さん
13/02/23 18:56:58.60
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::ボトボトボト:::
::::::::::|||:::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::+::::::::::::::::::::|||::::::::
:::|||:::::::::::::∧∧::::*::::::::
::::*:::::::::::(∀゚ ,):::::::::::::  
;;:::..::..*.....(''',,o) ..:+;.::.:                      ∧∧
'''"""''"`''""`"""''''''"  カリカリキタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!

858:日本@名無史さん
13/03/15 08:01:42.95
【裸祭】オンスイ!オンスイ!半裸の勇ましい若者たちが寒さに耐えて何度も川に…/飯田市・時又初午はだか祭り(画像あり)
スレリンク(mnewsplus板)

859:日本@名無史さん
13/08/10 NY:AN:NY.AN
既出かもしれないが……

室町の初め、泉州堺の遊廓に、美人ではあるが一風変わった遊女がいた。

もとは武家の娘だったのだが、旅の途中で山賊にかどわかされて堺の遊廓に売り飛ばされたという。
遊女となった彼女は、前世の不徳を嘆き、自らの源氏名を「地獄太夫」と名乗り
地獄変相図を繍った衣を身に纏い、風流・今様を歌いながらも心に仏名を唱えた。


こんな変わり者の遊女の話を聞いたら決して放っておけない坊主がいる。
怪僧・一休宗純である。

地獄太夫を見た一休は、その場で、
  聞きしより 見るに勝れる 地獄かな
それに対して、地獄太夫が付けた下の句が、
  生き来る人の 落ちざらめやも
一休はその場ですぐに地獄太夫を仏弟子にしたという。

その地獄太夫の辞世と言われるのがこれ↓
  我死なば 焼くな埋めるな 野に捨てよ 飢ゑたる犬の 腹を肥やさむ

860:日本@名無史さん
13/08/10 NY:AN:NY.AN
仏弟子にした、じゃなくて、手籠めにした、の間違いでは?w

861:日本@名無史さん
13/08/10 NY:AN:NY.AN
>我死なば 焼くな埋めるな 野に捨てよ 飢ゑたる犬の 腹を肥やさむ
なんという帷子辻

862:日本@名無史さん
13/12/10 19:10:44.42
あいかわらずまとめ働いてないな
一年以上前のコメントがまだ承認待ちだよw

863:日本@名無史さん
13/12/13 21:48:03.54
北条泰時の禁酒の話
あれを語ってるのが酒宴の席だというのが笑うところ

864:日本@名無史さん
13/12/15 02:32:03.72
多分2つの話がごっちゃになっていると思う。今原典にあたれない状態なので
どなたか補足を望む。

鎌倉幕府のお偉いさんが、夜中にこっそり台所に忍び込み、酒を呑もうとした。
アテは味噌。
そこにたまたま出くわした下働きの奴が、「さすがにそれでは…」と鮭の干物を
差し出した。
お偉いさん大喜び。

鮭の干物のことを「楚割」と表現してあったような…。
最近スーパーでそれを売ってるんで、思いだした。燗酒で柔らかくするとうまいそうな。

しかし、こうして記憶を書きだしてみると、落語のネタにありそうだw

865:日本@名無史さん
13/12/21 20:25:07.26
書籍名の手掛かりは?

866:日本@名無史さん
13/12/24 01:39:07.77
>>864
中学校時代の国語便覧で見覚えがあったから引っ張り出してみた

>>『徒然草』に北条時頼が素焼きの小皿に乗った味噌を肴に酒を酌み交わした話がある

うーん、鮭も出ないし一人酒でもないようだし、違うかな


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