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寺門(寺の内部昇格)出身の天台座主の、異様な在任期間の短さ
28代明尊 長暦2年(1038)補任して三日目に、山門大衆の反対で辞任。
34代覚円 承暦元年(1077)2月5日補任。山門大衆が騒いで翌日辞任。
39代増誉 長治2年(1105)2月14日補任。翌日辞任。
44代行尊 保安4年(1123)12月18日補任。6日後辞任。
47代覚猷(鳥獣戯画で有名) 保廷4年(1138)補任。3日後辞任。
50代覚忠 応保2年(1162)2月1日補任。2日後辞任。
60代公顕 文治6年(1190)3月4日補任。4日後辞任。
公顕以降、流石にもうこのシステムはダメだと考えたか、寺門出身の座主はなくなり、摂家門跡、宮門跡の時代となる。
戦後の総理大臣どころではない、寺門出身天台座主の在位の短さのお話。