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『知足院殿鷹狩の事』
かつては弓矢を用い、馬に乗って大型獣を対象に狩猟をしていた公家も、10
世紀以降は軍事貴族や非軍事貴族でありながら武を弄んだ一部の公家を除き、
狩と言えば専ら鷹狩を行う様になっていた。
これは久安6年(1150)8月20日、藤原忠実が語った話である。
「最近は、小鷹狩(秋に小鳥を捕える鷹狩)が盛んであるな。
我も幼少の頃はおおいに楽しんだもので、中でも13~14歳(約50年前)
の頃には、熱中しておったものだ。
ここから下った絵林という所で飛ばしたこともあったが、その時は鳶が二羽
飛び上がって来てな。
互い違いに鷹が飛んで、そのまま迷って下りて来て、我の笠の上に乗った事
があって、哀れに思ったことよ。
その後の事よ、『宇治大納言物語』(※)を女房が読んでいるのを聞いたのは。
『今は昔。鷹狩を好んでいた男がいて、ある時自身が雉となり、妻子と共に
北山の小屋に宿っていたのに気づいた。
そのまま野辺に出て餌をついばんでいた所、人が来て鷹犬を放ち、自分たち
を捕えようとする。
天にあっては鷹の爪を免れえず、地にあっては犬の顎から逃れられず。
なんとか自分と残った一羽の子が叢に逃げおおせたと思った時、鷹に襲われ
て、夢から覚めた。
男は飼っていた鷹犬を放つと、そのまま出家した、と語り伝えている。』
この話を聞いた翌日の朝、鷹を全て空に放ったよ。その後はやっておらん。」
※『宇治大納言物語』……>>33の鳥羽僧正覚猷の父、源隆国編纂とされる説話集。
『今昔物語集』との関連が予想されているが、中世に散逸して詳細は不明。