11/01/26 19:41:45
母の愛とは?
源平の合戦が終わったとは言え、鎌倉の権力基盤がまだ固まりきれていないとき、
源義経と源行家がつるんで頼朝に対して反旗を翻した。
もちろん失敗したので、今度は京都に北条時政が乗り込んで、関係者の尋問を始めた。
当然義経の母親の常磐御前は尋問の筆頭である。当然呼び出されたのだが、
何と常磐御前、息子をかばうどころか義経の事について
素直にぺらぺらしゃべってしまったという。それも余計なことまで。
この人母親としての自覚がなかったんじゃないだろうか?
それでも生きながらえたのは、婚家の一条家のおかげか?
それとも、北条時政の娘婿2号機(1号機は頼朝)にして
鎌倉幕府の官僚になっていた息子の阿野全成(今若丸)のおかげか?
まさか北条時政が娘婿2号機のために尋問に手心を加えたんじゃ無かろうな?