11/01/23 11:02:32
>>391
三善や二階堂(藤原南家)や伊賀(秀郷流)もそうですね。
二階堂は『吾妻鏡』でも武士ではなく、文士として寓された例がある。
室町から微妙に外れるので、このついでに書いておきますか。
天正10年6月2日の早朝のことである。
その日、本能寺に桂川の鮎を届けに来た者がいたが、そのついでに妙なこと
を伝えてきた。
明智日向守が、丹波から兵を引き連れてきたが、道すがら京へ向かう者は切
り殺しているというのである。
近習もこの話を聞いて不審がったが、前夜信長は囲碁と将棋を楽しんで夜半
まで起きており、起こすことがためらわれたので、夜が明けたら何事か分か
るであろうということで、済ませてしまった。
翌朝訪れた運命は、言うまでもない。