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>>93‐94
さて、その岡崎義実の息子である佐奈田義忠であるが、源頼朝の旗揚げの際には父ともども馳せ参じた。そして、石橋山の戦いにおいては、俣野景久と
取っ組み合いを演じることになり見事組み伏せたが、義忠の刀は血糊がこびり付いてなかなか抜けない。そこへ長尾定景がやってきたため逆に討ち取ら
れてしまう結果となった。
その後、頼朝が鎌倉へ入ると、定景は出頭してきた。そこで頼朝は彼を義忠の父、義実に預けた。普通ならここで、定景の首をはね義忠の無念を晴らす
ところであろうが、覚悟を決めた定景が毎日、経を唱えているをの聞いているうちに、息子を殺された恨みも消えたのか、頼朝へは「定景を討つことは、
かえって、義忠の成仏の妨げになります。ゆえに定景を許したいと思います」と報告した。
なお、この長尾定景という者は後年、源実朝を暗殺した公暁を討ち取った人物であり、かの上杉謙信の先祖でもある。もしも義実が、定景を殺していたら
後世の歴史は大きく変わっていたかもしれない