10/10/10 14:32:00
これとほぼ同時であったという
桟敷が人々が一斉に立ち上がったため、その重圧によって将棋倒しに倒壊したのだ。
この将棋倒しに数えきれないほどの人々が巻き込まれ、押しつぶされた。
更にこの混乱の中、他人から刀などを奪おうとする者、それを見つけて斬りつける者、
争いに巻き込まれ刀傷を受け血まみれになる者、茶の湯を浴びて大やけどをする者、
それまでの田楽歓楽の情景からは一変、四条河原には、地獄絵図が現出した。
この事故、死者だけでも100名を超える大惨事となった。
この後間もなく、河原にこのような狂歌が立ったという
『田楽の 将棋倒しの桟敷には 王ばかりこそ登らざりけれ』
(桟敷の将棋(倒し)の現場には王(天皇)がおられなかった)
また、人々は「世の中がこのように田楽に熱狂するのは、何かよからぬことが起こる前触れではないか」
と囁きあったが、はからずもこの直後に。足利直義と高師直の対立が表面化、新たな騒乱、観応の擾乱が
起こる。
有名な四条河原勧進田楽、桟敷倒壊事件についてのお話。