10/10/16 17:28:53
>>177
そこでいう浮浪者=片輪であった様ですね。
奇形にした樹木や異常な岩を愛でるのは、奇形の人間を愛好するのとどう違うのか。
そういう問いかけをなした上で、思い切ってそれまでの財産を捨てたと考えれば、
一種の賞賛がなされていると受け止めたのですが。
評言が、「さもありぬべき事なり」ですし。
「為政者としてというか人間としてもダメなやつ」と言う批判は、本文に無い。
なお、この話の肝は、植木もまた片輪であったという点です。
単に浮浪者としたのでは、『王子と乞食』の乞食が差別用語だというので、
『王子と子供』に題名を変更したというぐらい、意味が通じなくなります。
これを「当時の貴族階級の障害者に対する差別意識」の例と言った人もいますが、
どうでしょう。
一般的な視点からの差別ではなく、資朝個人の目と気づきを述べたお話。
>生まれたからにはあんな風にならなくては面白くないなぁ
「罪なくして配所の月」を見たいとは、よく言われたこと。
単に名所で月を見るのではなく、理不尽な世の中に身を置くという悲劇性も
好まれた様ですが、この場合も為兼の境遇(無辜)を意識して言ったものだ
と、思ったのですが。
ただ、それを実際に見ながら口に出せるのは、やはり常人ではない。
とはいえ、この場合の常人ではないというのは、そう悪い意味ではないかと。
老い犬にせよ、為兼連行にせよ、東寺と違って評言はありませんが、特に否定
も肯定もされず、興味深い一例として挙げられていると感じました。
嫌いだから書いたという見方には、逆にそういう受け取り方もあるのかと、び
っくりしたぐらいです。