10/10/13 23:35:14
前九年役の時のこと
八幡太郎義家は剛臆の席を定め、その日の戦における剛臆を調査し、
剛あるものは剛の席につかせ、臆した者は臆の席に置き、その剛臆によって
饗応を分けた。
剛の席での食事が3度に及ぶと、よく家職を守り武義の勤め正しければこそと、
これに褒美を与えて賞し、
臆の席につくのは3度までは許したが、3度を越えて臆の席に着いた者には
家職を忘れ俸禄を盗み、主恩を忘れたものでありその罪は深い、と
これを罰した。
その故に人々大いに武義第一と励んだ、とのことである。
八幡太郎義家の剛臆の席、と言うお話。