10/12/11 23:20:39
>>365
大奥法度が制定された時点でお江は健在。
大奥設営に功績があるというなら、それは秀忠&お江のコンビ。
もちろん、男色の家光にお世継ぎを作らせるまでのお福の苦労には同情できるけれども。
徳川十五代の将軍交替のうち
直系が絶えたための傍系相続が6度もある。
父子間の直系の世襲相続は家康~家綱の4代が最長。
徳川家が血筋を絶やさず長期政権を保ったことに貢献したというなら
御三家や御三卿の創設の方がずっと大きい。
それから春日局の名誉のためにいわせてもらうと
大奥が奢侈が流れたり
公家の風俗や様式をさらにエスカレートさせる方向で取り入れるようになったのは
春日局がいなくなって、お万の方が威張るようになってからだ。
大奥の風俗はお万の方から始まり、天英院が完成させたようなもの。
おかげで家光の子どもの代までは普通に育つ子供が多くいたのに
家綱・綱吉・家宣以降は虚弱体質や障害持ちの子どもばかりでまともに育たなくなってしまった。
正直、春日局は過大評価や過小評価というより
ヘンな方向へズレた評価が定着してしまったという感じ。