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江藤淳
「そこで、この際、私は小沢一郎君に一言したい。最大野党の党首である
この大政治家に向かって、敢えて君呼ばわりするのは、
私が小沢君より十歳の年長であり、たまたま同学の先輩として面識が
あるからである。更にまたそれは、福沢諭吉以来の慶應義塾の
伝統に即してもいるからである。
小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は
新進党党首のみならず衆議院の議席をも辞し、飄然として故郷水沢に
帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を
友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ
他日を期すべきではないか。」
「どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、
現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、
故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。
むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだと
いうのである。
過去五年間の日本の政治は、小沢対反小沢の呪縛のなかを、
行きつ戻りつして来たといっても過言ではない。小沢一郎が永田町を去れば、
この不毛な構図はたちどころに解消するのである。
野中広務・亀井静香両氏のごとき、反小沢の急先鋒は、振り上げた拳の
行きどころを失うのである。
小沢一郎が永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだろうか?
かならずしもそうとはいえない。そのときむしろ、無数の小・小沢が出現する
可能性が開けると見るべきである。なぜなら、反小沢を唱えさえすれば
能事足れりとして来た徒輩が、今度は一人ひとり自分の構想を語らざるを
得なくなるからである。
沖縄は、防衛・外交は、財政再建は、憲法改正は?
小沢にはとてもついて行けないといって烏合の衆を成していた連中が、
自分の頭で考え、自分の言葉で語りはじめれば、永田町は確実に変わる。
変わらないかも知れないけれども、小沢一郎が新進党の党首を辞め、
議員バッジもはずしてサッサと故郷に帰ってしまえば、新進党はもとより
自・社・さも民主党も、皆一様に茫然自失せざるを得ない。
その茫然自失のなかで、人々は悟るに違いない。過去五年間日本の
政界を閉ざしていた暗雲の只中に、ポカリと一点の青空が現れたことを。
党首の地位にも議席にも恋々とせず、信念を枉げず、理想を固く守って
故山へ戻る政治家の心情の潔さを。小沢君、君は何もいう必要がない。
ただ君の行動によって、その清々しさを示せばよい。」