14/04/21 23:29:17.47 hC3miNkj
>>222
リンク先の「3.渡来弥生人の規模」から引用。
URLリンク(www.han.org)
> 前回紹介したように、最近の考古学会は池田氏によれば<渡来説は古人骨
>研究からも絶大な支持を受けて容認され、今や探索の的は渡来人の原郷に絞ら
>れている>とのことなので、コンコンさんの見方が正しければ、ここの会議室
>は学会の趨勢にそぐわないようです。
> 学会では渡来人の原郷さがしとともに、弥生時代のどの時期、どの地方に
>どれくらいの渡来人がいたかが興味の対象になっているようです。といっても、
>日本は全般的に火山灰による酸性土壌のため、弥生人骨が残されている地方は
>限られますが。
> そうした最近の研究を池田次郎氏はこうまとめました。(注2)。
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> 上顔高が 70mm, 身長が 162cmを超える渡来系弥生人の骨は、(山口県)
>響灘(ひびきなだ)沿岸部・島根半島など西中国沿岸部の砂丘遺跡と、福岡平
>野・筑紫平野・熊本平野など遠賀川以西の北部九州平野部に分布するかめ棺墓
>遺跡から出ているが、これらの渡来系弥生人の特徴にも地域差があることがわ
>かっている。
> 個々の骨を渡来人タイプと縄文人タイプに分けて地域ごとの比率を調べた
>中橋孝博によれば、響灘沿岸部では渡来人タイプが全体の75%を占めるのに
>たいし、北部九州平野部ではそれより10%ほど多く、島根半島では響灘より
>10%ほど少ないという。
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> 渡来人タイプの割合を数値化するなど、考古学も進歩したものです。渡来
>人タイプの割合がやや低い島根県古浦遺跡は弥生前期と考えられているようで
>すが、弥生時代は古くさかのぼるほど縄文の割合が大きいようです。その一例
>として、古浦遺跡では抜歯の風習も縄文式と渡来式が入り乱れているようです。
> 時代がくだり、前期末から中期と考えられている響灘遺跡では渡来人の割
>合も高くなり、抜歯もほとんど渡来式だったようです。さらに中期から後期と
>考えられている北部九州の遺跡では、一段と渡来度が高くなるとともに、抜歯
>の風習もすたれつつあったようです。
> これらの結論として、池田氏はこう結びました(注2)。
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> 三地域の渡来系弥生人集団のあいだにみられる渡来形質の濃淡、抜歯の施
>行率と様式の違いは、このように時期差で説明でき、金属器が北部九州に出現
>する時期は、渡来形質と渡来系様式の抜歯を特徴とする弥生人が響灘・玄界灘
>沿岸部一帯で急増する時期にあたる。
> したがって、これらの金属器とその製作技術を持ち込んだのは、前期末か
>ら中期初頭にかけて渡来した朝鮮半島の無文土器時代人であり、渡来人の規模
>は縄文弥生移行期にくらべてはるかに大きかったと考えられる。
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江南から来たにしては北方渡来形質が多すぎる。