14/04/15 00:59:10.23 xYFPY+69
>>13
どこが「ゴッドファーザー」のパクリなら、具体的に云うてみんさい。
原作は、>>11の美能氏の「手記」ど。
映画のコミカルなんは「ゴッドファーザー」にも無ぁし。それも関東人の深作氏によって脚色
されたんじゃが、実話の方が映画より激しかったんよ。
URLリンク(www.geocities.jp)
*ニッカボッカ(膝下で裾口をしぼった、ゆったりしたズボン)に腹巻の衣装について。
深作・・撮影を始めて半年も撮ったのかな、美能幸三が現場へ来たのでラッシュを見せたわけです。
そしたら「俺たち、あんな野暮な格好してなかったぜ。ひどいじゃないか。もうちょっと格好
良かった」
たしかにこれは駄目だと言って突き返した写真は、そっち方面から集めてきた写真でみんな
格好いいんですよ。腹巻なんか出しているやつ1人もいない。・・・
(写真の姿をそのまま映画にしたら面白くない、汚い時代だったからと、そのまま腹巻で通したが、
ラスト、菅原文太が葬式に乗り込むところは、スーツで決めた)
*当時、関係者がいっぱい生きていたことについて
深作・・あのとき、あそこに連れ込まれて、あの親分に片腕を斬られたのは俺だという人が、
映画では「こらえてつかあせ。こらえてつかあせ」って泣き喚くが、俺はそんなこと言わなかった、
と。本人が言ってくるんです。あのときの関係者は俺しかいない筈で、俺は泣き喚いたり
しなかったと。「いいえ、あれは芝居ですし、まあまあ」と、飲めや歌えで押し返えさにゃ
しゃないですわね。
*美能幸三本人について。
深作・・「わしゃあ、(この映画は)あまり好かん」と。監督が(美能の)いうことを聞かない。
汚いのは服装ばかりじゃなくて、心が汚い。つまり、あんな計算ずくでやくざは生きていられる
もんじゃない、と。『仁義なき戦い』というタイトルからして気にいらんわけです。出所してから、
だんだん変わってきたのかも知れない。俺は”仁義ある戦い”を求めて1人だけ頑張って、それで親分と
対立したんだ、ということでしょうね。馬鹿な親分がいたために若い奴の血が流されたという
意味では”仁義なき戦い”となるのは認めるけれど、それにしても、欲の皮の突っ張った奴ばかりで、
ナンバー2が出てくるとそいつが邪魔だから、ナンバー3のケツをかいて殺させるという構造は
一貫している。そうすると、どっか阿保に見えるんですね。こっちとしてはその阿保さには切なさも
あって、それはそれでいいんじゃないかと思うけれど、向こうはそこらへんがやっぱり気にいらん
のでしょう。・・・・・・・・・・・・・美能幸三は手記の原作者ですから、・・・・・・・
笠原の言葉を続けます。
「山中に関する話は殆ど事実を基にしている。一つだけ見落としている点は、山中と女、親分の間に
被差別階級の問題が介在していたのである。その点を衝けば、もっと明瞭なドラマになり得たので
あろうが、今差別の問題を一般の映画の中に持ち出すということは不可能といってもいいのが
現実である・・・・被差別と在日朝鮮人の抑圧の状態を抜きにして真実のやくざ映画は作れない。」
2作目の封切り後、広島市の防犯協会などが中心になって、このシリーズの広島ロケを一切
許さないという方針が出されたということです。理由は「ありもしない暴力沙汰を描いて広島市が
暴力の町の印象を与える」とのことらしいのですが、
笠原は「ありもしない暴力沙汰は1件も描いていない。割愛したほどである」と書いています。
(「仁義なき戦いの300日」)