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群馬県庁ホームページ
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古代ぐんまの姿
5世紀から8世紀ごろの群馬では、主に朝鮮半島からの渡来人が伝えた新しい技術により、最先端の文化が栄えていました。
古墳時代には、かんがい技術や金属製の道具などが発達したため、水田の大規模開発が可能になりました。
馬の飼育や織物の生産などが行われていたことも分かっています。
また奈良時代にかけては、多胡碑などの石碑が建てられました。
群馬県 - 地名由来辞典
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群馬県の由来
古くは「くるま」と呼ばれており、「くるま」が転じて「ぐんま」となった。
「くるま」の名は、朝鮮からの渡来人が多く住んでいたため「呉人(くれびと)の住む土地」
から「くるま」になったとする説、古代の豪族「車持君(くるまもちのきみ)」が住んで
いたとする説、川が曲流することを表す地名「くるま」からといった説がある