縄文・アイヌ・弥生・渡来人学17at GEO
縄文・アイヌ・弥生・渡来人学17 - 暇つぶし2ch99:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
13/12/30 02:33:09.65 RttLIjoV
>>94
 わしゃ、日本に文明じゃの文明妄想主義じゃ無ぁし、日本文化伝統好き
じゃわい。あんたのアジア優越主義は、>>67の梅棹忠夫氏も江上氏同様、
危険とされとるのう。
URLリンク(www.museum.kyoto-u.ac.jp)
梅棹
 「解決不可能な事態はあちこちにあるんです。アイリッシュの土地を
イングリッシュが暴力的に取り上げて、イングリッシュとスコッツで
分配した。
中国の体験から言いますと、本当に日本は中国から引き揚げてよかったと
思います。満州でも同じことをやってるんです。中国の農民から土地をり
上げて、開拓義勇軍と称する日本人が土地の分け取りをやったわけです。
それがもし、後まで残っていたら惨憺たるものになります。幸い、途中で
挫折したからよかった。開拓義勇軍なんていうと、聞こえはよろしいが、
実態は土地の取り上げです。」
URLリンク(www.museum.kyoto-u.ac.jp)
梅棹
「日本国家の今後の行き方の一つとして、アジア、アジアと言いなさんなということです。
アジアとどういうふうに共生しますか。非常に難しい。オーストラリアとならやれるんです。
逆に、オーストラリア、ニュージーランド、途中にあるフィリピン、インドネシア、
こういう西太平洋諸国間の連合を考えた方がいいんじゃないか。私は西太平洋諸国家連合を
考えているんです。海洋国家です。大陸はやめなさい。今まで日本が大陸に手を出して、
ロクな結果はないんです。島嶼連合が日本の将来につながるかもしれない。戦前に大陸で
甘い汁を吸ったという記憶が忘れられんのですな。しかし、それはやめた方がいい。
大陸は恐ろしいところです。」
URLリンク(www.museum.kyoto-u.ac.jp)
梅棹
「戦後の日本はある意味で悲しい道をたどった。繁栄の道でもあったんですが、
同時に繁栄の裏側、繁栄を支えるための経済重視の結果、日本人の経済人化が
起こった。司馬遼太郎さんがそれを「日本人がアジア人化した」と言うんです。
うまい表現ですが、危険な表現でもあります。しかし、それは当たっていると
思う。日本人はアジア人ではなかったんです。」
「私は先程から言っておりますように、日本国家から離脱して関西は独立した
方がいいと思います。どこで日本国家を分割するのか。たぶん関ケ原でしょうね。
関ケ原から東は「東国家」と名乗れ。そこから西は「大和国家」だと私は名前を
付けてるんです。我々は大和国家の中心にいる。それはそれなりの平和と安定を
エンジョイできるはずだということですね。それには難しい問題がいっぱいあります。
特に国際関係です。国際関係の中で大和国家が繁栄しながら生き延びる方策を
考えないといけない。これからは、とにかく経済力はじり貧ですから、相当やり
繰り算段を考えないといけない。しかし、東京に搾取されているよりはマシだと
思うんです。」と。
ちなみに、江上氏とは別に梅棹氏は、ツングース水軍説で、遊牧民の軍事組織が
西洋北部と極東北部で起こった云う説派じゃ。
URLリンク(twitter.com)
「ツングース水軍到来梅棹説。全く知らなかった。ツングースが4世紀前半に
朝鮮半島の東付根付近から船で南下し、関門海峡を通過。」
URLリンク(www.ggccaatt.net)
「4世紀のはじめに異民族が日本列島にはいってきて征服王朝をつくったと
いう論がある。江上波夫氏の騎馬民族説や梅棹忠夫氏のツングース水軍説が
そうである。
梅棹氏は海に注目して、渡来集団は、川や海の水運に長じた水軍であろうと
かんがえている。日本にやってきたのは本来の騎馬民族ではなく、のちの
渤海国あたりを拠点にしたツングース系の民族であろうというのである。
彼らは大陸の水運事業を発達させ、馬文化に対する知識もじゅうぶんもって
いた。そんな集団が、分裂統合を繰り返しながら朝鮮半島の西海岸をつたって
南部の百済をつくり、さらに北九州へと勢力をのばして、日本に王朝をたてた
とするのである。」


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